第八十三話 討伐命令
教会からの返答は、早かった。
早すぎる、と言っていい。
ルーネがそう感じたのは、封蝋がまだ新しかったからではない。
文章が、あまりにも短かったからだ。
宿の一室。
机の上に置かれた書状を、イェルグは無言で開く。
ルーネは、立ったまま待った。
椅子に座る気になれなかった。
「……出た」
イェルグが言う。
その声には、予想外の色はなかった。
予測していた未来が、ただ予定通りに来た、という調子。
「正式に“処理”を許可する」
「討伐、ですか」
「そうは書いていない」
イェルグは書状を机に置き、指で押さえた。
「“処理”だ」
ルーネは、紙面を覗き込む。
命令文は、事務的だった。
――対象は意思疎通可能型に該当せず。
――長期保護は不可。
――共鳴被害の拡大が確認された場合、現地判断により処分を許可する。
「……曖昧ですね」
「わざとだ」
イェルグは即答した。
「曖昧にしておけば、誰も責任を取らなくて済む」
その言葉が、ルーネの胸に沈む。
書状の末尾には、追記があった。
――作業時は、言語刺激を最小限に抑えること。
――感情遮断具の使用を推奨する。
「……遮断、具」
「声を聞かないための道具だ」
イェルグは淡々と説明する。
「耳を塞ぐ。
視線を合わせない。
名前を呼ばない」
「……それで、出来るんですか」
「出来るかどうかじゃない」
イェルグはルーネを見る。
「それ以外のやり方が、ない」
沈黙が落ちる。
ルーネの脳裏に、女の顔が浮かぶ。
衰弱しきった体。
それでも穏やかだった表情。
そして、あの子供。
「……先生」
声が、自然と低くなる。
「教会は、この怪異を……どう思ってるんですか」
「どうとも思っていない」
イェルグは、きっぱりと言った。
「分類上の“問題”だ。
善悪でも、救済対象でもない」
「……でも、名前は」
「ある」
イェルグは、椅子に腰を下ろす。
「改めて説明するが、地域ごとに違う。
愛喰い、抱き仔、白児、無垢病」
ルーネは息を呑む。
「病……」
「誤解だ」
イェルグは言い切る。
「病じゃない。
だが、人は“病”という言葉でしか、理解できなかった」
彼は続ける。
「この手の怪異はな、原因を個体に押し付けると楽になる」
「育て方が悪い、とか」
「元からおかしかった、とか」
「だが、実際は逆だ」
ルーネは、黙って聞く。
師匠の声は、授業のように落ち着いていた。
「世界の方が、うるさすぎた」
「感情が、鋭すぎた」
「愛を受け取る器が、足りなかった」
「その結果、“離れないで”という感情だけが残った」
ルーネの喉が、鳴る。
「……じゃあ、悪いのは」
「決めるな」
イェルグは、即座に制した。
「悪い、で終わらせるな」
「これは“結果”だ」
彼は、机の上の書状を指で叩く。
「人が選び続けた結果、こういう形が生まれた」
「だから教会は、罰もしないし、救いもしない」
「ただ、増えすぎないように削る」
削る。
その言葉が、刃のように刺さる。
「……俺が」
ルーネは、視線を落とす。
「俺が返事をしたのも、結果ですか」
イェルグは、少しだけ間を置いた。
「ああ」
「順当だ」
その肯定は、優しくなかった。
だが、否定よりも重い。
「お前は、検死官だ」
「死に、応える仕事をしてきた」
「だから、“呼ばれた”」
ルーネは、唇を噛む。
「じゃあ……」
声が震える。
「俺が、あれを……育てた、みたいじゃないですか」
「違う」
イェルグは首を振る。
「お前一人じゃない」
「必ず、誰かが応える」
「それが母で、保護者で、看病人で、あるいは――」
彼は、ルーネを見た。
「お前だ」
逃げ道は、なかった。
「討伐は、いつですか」
ルーネが尋ねる。
「今夜だ」
「被害が広がる前に終わらせる」
ルーネの胸が、ざわつく。
「……話しかけてきたら」
「無視しろ」
「名前を呼ばれても」
「無視だ」
「“すき”って」
言い切れなかった。
イェルグは、低く言う。
「それが一番、危険だ」
彼は立ち上がり、装備を確認し始める。
「いいか、ルーネ」
「これは、救出じゃない」
「説得でもない」
「処理だ」
その言葉を、噛み砕くように続ける。
「優しさを出すな」
「理解しようとするな」
「返事をするな」
「それでも――」
ルーネは、小さく息を吸う。
「それでも、声は……聞こえるんですよね」
イェルグは、否定しなかった。
「ああ」
「一番、欲しい言葉を選んでくる」
だからこそ。
「耳を塞げ」
「心もだ」
ルーネは、黙って頷いた。
だが、胸の奥では分かっている。
――自分は、もう一度、試される。
返事をしない、という選択が出来るかどうか。
教会の命令よりも。
規範よりも。
正義よりも。
自分自身に。