検死官イェルグの境界事件録   作:5734589

86 / 131
討伐

第八十五話 討伐

 

 朝は、いつも通りに来た。

 

 それが、何よりも異様だった。

 

 夜の出来事が、すべて夢だったかのように。

 村は、何事もなかったように息をしている。

 

 家々から煙が上がり、

 鍋の音がして、

 人々は畑に向かう。

 

 誰も、あの家のことを話題にしない。

 

 ルーネは、宿の窓から外を眺めていた。

 

 胸の奥に、まだ沈んだものがある。

 重さは残っているのに、形が思い出せない。

 

 ――討伐は、完了した。

 

 そう書類には記される。

 それで終わりだ。

 

「終わった顔じゃないな」

 

 背後から、イェルグの声。

 

 ルーネは振り返らなかった。

 

「終わった、って……」

 

 言葉を探す。

 

「何をもって、終わりなんでしょう」

 

 イェルグは、机に書類を並べる。

 

 乾いた紙の音。

 

「対象の消失」

 

「共鳴被害の停止」

 

「これ以上、死者が出ない」

 

「それで、十分だ」

 

 十分。

 

 ルーネは、拳を握る。

 

「……あれは」

 

 声が低くなる。

 

「あれは、死んだんですか」

 

 イェルグは、少しだけ考える素振りを見せた。

 

「消えた」

 

 それ以上でも、それ以下でもない。

 

「死体は、残らなかった」

 

「だから、死因も、検死もない」

 

 検死官として、最悪の結論だった。

 

 ルーネは、机に視線を落とす。

 

 そこには、簡潔な報告書。

 

 ――対象、処理完了。

 ――二次被害、なし。

 

「……抵抗、ありませんでした」

 

「記載不要だ」

 

 イェルグは、即座に言った。

 

「抵抗がなかったことは、重要じゃない」

 

「重要なのは、終わらせた、という事実だ」

 

 ルーネの胸が、ざわつく。

 

「でも……」

 

 あの時。

 

 首を傾げた仕草。

 問いかけるような声。

 

 ――どうして?

 

「先生は……」

 

 ルーネは、言葉を選びながら続ける。

 

「先生は、あれを……どう思ってるんですか」

 

 イェルグは、しばらく黙っていた。

 

 窓の外で、子供たちの笑い声が聞こえる。

 

 それが、余計に刺さる。

 

「思わないようにしている」

 

 ようやく、答えが落ちた。

 

「思えば、刃が鈍る」

 

 正直な言葉だった。

 

 ルーネは、息を吸う。

 

「……俺は」

 

 声が、掠れる。

 

「俺は、応えなかったのに」

 

「胸の奥に、まだ……」

 

 言葉に出来ない。

 

 イェルグは、椅子に腰を下ろした。

 

「残る」

 

 短く言う。

 

「それが、正常だ」

 

「何も残らない方が、危険だ」

 

 ルーネは、目を閉じる。

 

 あの声が、まだ耳の奥にある。

 

「……すき」

 

 イェルグは、静かに続ける。

 

「多くの記録に、共通点がある」

 

「討伐前に、必ず誰かが応えている」

 

 ルーネは、目を開けた。

 

「……俺みたいに、ですか」

 

「ああ」

 

「だから、終盤は“沈黙”になる」

 

「誰かが応え、誰かが終わらせる」

 

「役割分担だ」

 

 冷たい説明。

 でも、現実的だった。

 

「育ったから、応えたんだ」

 

 イェルグは、昨日と同じ言葉を繰り返す。

 

「感情が成熟した」

 

「誰かに向ける準備が、整った」

 

 ルーネは、唇を噛む。

 

「……それって」

 

「親みたい、じゃないですか」

 

 イェルグは、否定しなかった。

 

「だから、余計に刃が振れない」

 

 沈黙が落ちる。

 

 報告書をまとめる音だけが、響く。

 

「村には、何て説明するんですか」

 

 ルーネが聞く。

 

「説明しない」

 

「“自然に収束した”で終わりだ」

 

「詳しく話せば、また誰かが応える」

 

 その理屈は、理解できてしまう。

 

 優しさが、連鎖を生む。

 

 だから、沈黙する。

 

 ルーネは、立ち上がった。

 

「……俺は、検死官として」

 

「何も、出来なかった気がします」

 

 イェルグは、書類を封じながら言う。

 

「違う」

 

「お前は、出来ることを全部やった」

 

「それ以上は、人間には無理だ」

 

 その言葉に、慰めはなかった。

 ただ、限界が示されているだけ。

 

 ルーネは、窓の外を見る。

 

 村は、今日も生きている。

 

 何事もなかったように。

 

 それが、正しいのかどうか。

 分からない。

 

 ただ一つ。

 

 あの声が、もう響かないことだけは、確かだった。

 

 それが救いなのか、

 それとも――

 

 ルーネは、答えを出せないまま、

 次の書類に手を伸ばした。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。