検死官イェルグの境界事件録   作:5734589

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後処理

第八十六話 後処理

 

 報告書は、白かった。

 

 文字が少ないからではない。

 削られすぎて、意味の居場所がなくなっている。

 

 イェルグは、机に向かって淡々と筆を走らせていた。

 書く内容は、すでに決まっている。

 

 ――辺境村落における異常事案。

 ――原因不明の衰弱事例。

 ――現在は沈静化。

 ――追加対応、不要。

 

 それだけだ。

 

 ルーネは、少し離れた場所で立っていた。

 書類の内容は、見なくても分かる。

 

「……これで、終わりですか」

 

 問いは、確認ではなかった。

 

 イェルグは、筆を止めずに答える。

 

「記録上はな」

 

「村の名前も」

 

「書かない」

 

 封蝋を押す音が、やけに大きく響いた。

 

「地図からも消える」

 

「人が減って、いずれ誰もいなくなる」

 

「よくある話だ」

 

 よくある話。

 

 ルーネの胸に、鈍い痛みが走る。

 

「怪異は……」

 

「いないことになった」

 

 イェルグは、淡々と言う。

 

「それで、世界は回る」

 

 ルーネは、拳を握る。

 

「……先生」

 

 声が、少し低くなる。

 

「教会は、この件を……失敗だと思ってるんですか」

 

 イェルグは、少しだけ考えた。

 

「成功でも、失敗でもない」

 

「想定通りだ」

 

 想定通り。

 

「発生し」

「誰かが応え」

「限界が来て」

「処理される」

 

「繰り返しだ」

 

 ルーネは、息を吐く。

 

「じゃあ……また、どこかで」

 

「ああ」

 

 即答だった。

 

「また起きる」

 

「形を変えて、名前を変えて」

 

「同じものが」

 

 ルーネは、視線を落とす。

 

「……止める方法は」

 

「ない」

 

 イェルグは、はっきり言った。

 

「人が優しさを捨てない限り」

 

「理解しようとする限り」

 

「返事をしてしまう限り」

 

 それは、呪いのような条件だった。

 

 書類を束ね、封筒に入れる。

 

「内部文書には、追記しておく」

 

 イェルグは、低く言う。

 

「――討伐前に、必ず誰かが応えている」

 

「――応えた者は、候補として認識される」

 

「――感情遮断が間に合わない場合、被害は拡大する」

 

 ルーネは、唇を噛む。

 

「……俺のことも」

 

「個人名は出さない」

 

「だが、事例としては残る」

 

 それが、後処理だった。

 

 人ではなく、現象として残す。

 

「検死官の仕事だ」

 

 イェルグは、立ち上がる。

 

「感情を、切り分ける」

 

「残すべきものと、捨てるべきものをな」

 

 ルーネは、うまく頷けなかった。

 

 宿を出る。

 

 村は、変わらない。

 

 変わらなすぎて、胸が痛む。

 

 誰も、あの子供の話をしない。

 誰も、衰弱死の理由を探らない。

 

 それで、いいのかもしれない。

 

 それでしか、保てない日常もある。

 

 村を離れる道すがら、ルーネは足を止めた。

 

「……先生」

 

「なんだ」

 

「俺は……また、返事をしてしまうと思います」

 

 正直な言葉だった。

 

 イェルグは、歩みを止めない。

 

「それでいい」

 

「返事をするな、とは言わん」

 

「だが――」

 

 一拍置く。

 

「終わらせる覚悟も、同時に持て」

 

 それが、師匠としての答えだった。

 

 二人は、村を後にする。

 

 書類は、教会に届く。

 記録は、棚に収まる。

 事件は、なかったことになる。

 

 そして――

 

 別の土地。

 別の村。

 

 日暮れの中、家の裏手で。

 

 子供ほどの影が、誰かを見上げる。

 

 穏やかな顔。

 澄んだ目。

 

 言葉は、意味を持たない。

 ただ、感情だけを反射する。

 

「……すき」

 

 その声に、誰かの足が止まる。

 

 それだけで、十分だった。

 

 また、始まる。

 

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