第八話 枯れ兆し
最初に気づいたのは、
魚だった。
「……少ないですね」
ルーネが言った。
川面を覗き込むその声には、
もう初日の硬さはない。
だが、代わりに別のものが混じっていた。
違和感だ。
「いなくなった、
の方が正確です」
イェルグは、
川の縁にしゃがみ込み、
石を一つ拾い上げた。
濡れているはずの裏側が、
乾きかけている。
「水位が、
指一本分、下がっています」
「そんな……
雨は降っていました」
「ええ」
イェルグは、
石を戻した。
「流れが、
変わっていません」
「……減っているのに?」
「はい」
それは、
自然としては不自然だった。
水が減れば、
流れは速くなる。
あるいは、
音が変わる。
だが、
この川は違った。
「……留まっている」
ルーネが、
呟く。
イェルグは、
その言葉を訂正しなかった。
川岸の草が、
昨日よりも萎れている。
「……これ、
踏み荒らされた、
わけじゃ……」
「ええ」
イェルグは、
草の根元を指で触れた。
湿り気が、
足りない。
「吸われています」
「……水を?」
「境界を、
弱めるものは、
すべてです」
ルーネの喉が、
小さく鳴る。
「ヌックが……?」
「直接ではありません」
イェルグは、
首を振った。
「ヌックは、
淡水を越えられない」
「でも……」
「境界が、
薄くなれば……」
言葉は、
途中で止めた。
言い切るには、
まだ早い。
だが、
十分だった。
川の上流へと、
二人は歩いた。
そこに、
奇妙なものがあった。
「……焼いた、
跡……?」
ルーネが、
しゃがみ込む。
黒く焦げた地面。
そこに、
乾いた藻の残骸。
「……海藻、
ですか?」
「ええ」
イェルグの声が、
わずかに低くなる。
「誰が……
こんな場所で……」
「ヌックを、
追い払おうとしたのでしょう」
ルーネは、
息を呑む。
「……でも、
それは……」
「怒らせます」
イェルグは、
短く言った。
「海藻を焼く煙は、
ヌックを遠ざけます」
「……なら……」
「同時に、
学習させる」
風が、
焦げ跡の上を通り抜ける。
「ここで、
人が……」
「ええ」
「境界を、
刺激した」
ルーネは、
帳面を開いた。
だが、
手が止まる。
「……これ、
書くと……」
「教会は、
どう判断するか」
「……はい」
イェルグは、
答えなかった。
代わりに、
川を見た。
水面が、
わずかに揺れている。
だが、
流れていない。
「……祈祷が、
来ますね」
ルーネの声は、
確信に近い。
「ええ」
「境界が弱まっているなら、
神に……」
「祈りは、
水を増やしません」
イェルグは、
静かに言った。
「ですが」
一拍。
「祈った、
という事実は残ります」
ルーネは、
黙った。
それが、
何を意味するか。
もう、
分かってしまっている。
遠くで、
鐘が鳴った。
昨日より、
少し長い音だった。
「……教会が、
動き始めました」
「ええ」
イェルグは、
煙草を取り出した。
火は、
つけない。
「川が、
完全に枯れる前に……」
「何を、
すべきですか」
イェルグは、
少しだけ考えた。
「越えないこと」
同じ答えだった。
だが、
今回は。
それが、
守れるかどうか、
分からなかった。
川は、
まだ、
境界だった。
けれど。
境界は、
自然に壊れる。
人が、
触れ続ければ。