禪院家の男の娘 作:⬛️⬛️⬛️
家から嫌がらせと虐めを受けるようになった頃、直幸にある転機が訪れた。
転機とはいえ、いい思い出ではない。直幸本人もあまり思い出したくない嫌な思い出だった。
その日、直幸は禪院家の集会に呼ばれて本家の方に来ていた。
禪院家は規模の大きい家系であるので、屋敷は広い。広すぎて同じ地域にあるのに分家のようになっている構造だ。
なので、定期的に一家全員が集まる集会のようなものが開かれる。これには直幸も強制参加だった。
ただ、その時も直幸は女子の格好だった。集会が終わり、直幸は他の男子たちと話す機会もなく、女中達と遊んだ後だった。
そして、微かにカビの匂いがする本家の古い屋敷の廊下を、綺麗な足袋でギシギシと音を言わせながら歩いていた。
家の男子たちを避けて人通りの少ない裏手を歩いていると、廊下の影に人影がいた。
「おっ、見つけだで。禪院家のオカマってのはお前のことかいな?」
「え?」
その人物は直幸を確認するなり、廊下を塞いできた。
壁に寄りかかって道を塞ぐのは一人の少年だった。
歳は直幸より五歳以上離れてるだろうか、背が高い。まだ子供なのに、直幸から見ても見上げるくらいの威圧感があった。
髪は金髪で顔立ちは整ってる。だけど直幸には見覚えがなかった。
「アンタ誰や……?」
「は?俺のこと知らんの?まあええ、俺は禪院直哉、お前とは腹違いの兄ちゃんや」
腹違いの兄、と聞いても直幸には特別感はなかった。
なにせ当主直毘人がお手付きしまくってる禪院家で、そんな兄弟はなんぼでもいる当たり前のものだからだ。
だけど、そんな直哉からは威圧感があった。自分を今まで揶揄ってきた子たちとは違う、一線を画す強さのようなものを感じた。
「俺はオカマのお前と違って天才なんやって。男連中はみんな言うとるで?同じ父ちゃんなのに可哀想な差やなぁ」
直幸の格好と歳のを馬鹿にするような口調。そこから直哉は、間髪入れずに直幸の袖を掴んだ。
「っ……!」
「で、なんやそのキショい着物?」
「や、やめてや……」
「これ女モンやろ?こんな花柄、男が着るもんやないで、ほれ──」
そのまま直哉は胸ぐらに手を伸ばそうとした。着物を破こうとしたのだろう。
だが、直幸はその手を払いのけ、咄嗟に数歩後ろに下がったことでそれを回避した。
直幸は、直哉がこうして意地悪する理由は知っていたが、それ故争いは避けたかったが故に祈るような口調で手打ちにするように懇願する。
「な、なぁ、やめてくれへんか……?」
「へぇ、反応が早いやん。けど──」
だが、直哉はそんな直幸の言葉を意に返さず──
「ぐっ──」
直幸の視界から消えた。
瞬間、腹部に衝撃が走った。
「う"っ……げほっ、げほっ……!」
直幸はふらついてその場に倒れた。
衝撃を受けた腹部を抑え、痛みを堪える。込み上げてきた吐き気を堪えていたが、幸いにも胃の中のものは吐き出さなかった。
直幸はいきなり腹部に拳を打ちつけた直哉に対し、怒りを込めて睨みつけるしかなかった。
「な、なにすんねん……」
「悪いねんなぁ。いっぺん痛み付けたろと思ったんねん」
「なん、で……?」
「いやな、禪院家にオカマは要らんねんと思ってんねん。家の恥やで、お前」
直哉はそう言うと、次に直幸の髪を掴んでぞんざいに持ち上げ、無理やり頭を上げさせる。
「ちょっ、いたっ……!」
髪の毛を引っ張られて痛い。
いつも母に倣って手入れを欠かせなかった直幸の髪が、この男の手によって雑に扱われていた。
直幸は慣れたつもりだったが、ここまで直接的で激しい暴力を受けたのは初めてだった。
直哉はそんな直幸が苦しむ様子を見て、薄気味悪い笑みを浮かべながら、顔を近づけこう問いかけた。
「それか、もう女の服着まへんって言うなら勘弁しといてやるで?」
直哉はそう言った。
一瞬、直幸はその言葉の意味を理解するまで固まった。理解した瞬間、度重なる直哉からの理不尽に、なにかが込み上げて来た。
悔しさから唇を噛み締めて、少し血が出た。
「やめ、ろ……」
「は?」
「──やめろって、言うてんねん!」
直幸は、今までしたことない怒りの形相で直哉を睨みつけると、髪を掴んでた直哉の腕を左手で弾き飛ばした。
「なっ──」
それは直哉でも反応できない速度だった。しかも、年上の男子の手を弾き飛ばすほど威力が高いのを直幸も感じていた。
「痛ったいなぁ……なにすんねんクソオカマ!!」
直哉は瞬間的に庭の方に移動し、体制を整えた。目では追えない速さだった、おそらく直哉に宿った術式なのだろう。
庭に土埃が舞う中、直哉は怒りの形相でこちらを睨みつけて叫ぶ。
理不尽に怒りたいのはこっちだった。
自分の格好を馬鹿にされるならまだしも、母から褒められたこの服を破こうとし、それを止めろと何様のつもりで命令する……
後は分かるだろう。詰みだ。もう直幸の機嫌を直すことはできない。周りのことなど吹き飛んで頭に血が登っていた。
そしてその時、直幸は本能的に唇を噛んで出た血を、親指に付けた。それを、目元に模様を描くように擦り付ける。
すると直幸の身体に呪力が巡っていく。怒りと呪力によって、今まで出したことない力が身体に湧いてくる。
直幸は直哉が何かする前に、地面を蹴り出し直哉に突進した。
まるで荒神を降ろしたかのように、怒りに任せて──
「な、なんやねんお前──」
直幸は避けようとする直哉を地面ごと吹き飛ばそうとした。直哉はそれを避けると確信していたから、丸ごと吹き飛ばすつもりだった。
地面に大穴が空いても、それで腕が吹き飛ぼうと構わなかった。
とにかく、この嫌な男子だけは是が非でも……頭に血が登っていたのもあったが、何よりも、悔しいから痛い目に合わせたかった。だから──
「そこまでにしろ」
その時だった。
誰かが、二人の間に介入してきて二人に触れた。するとその瞬間、直幸は身体が画角に収められたかのように硬直する。
訳もわからず、直幸は勢いを失い地面に倒れた。土埃で着物が汚れるが、痛みはそこまでなかった。そしてその瞬間、身体に宿っていた力が抜けていく。
直幸がゆっくりと顔を見上げる。そこには、尻餅をついてへこたれる直哉との間に、初老の男が立っている。
直幸はその顔に見覚えがあった。自分の父親であるのに、母や自分の事について何も意に返さないあの男。
「っ、父様……?」
「これはなんの騒ぎだ。お前ら大事な庭を汚しおって。やかましいぞ」
禪院家現当主、禪院直毘人。
近くて遠い実父の登場に、二人の間に沈黙が流れた。
どうやら直幸と直哉が喧嘩しているのをいち早く感知し、場を仲裁しに来たのだろう。屋敷に傷がついた事にも立腹しているようだった。
それを理解した直哉は、即座に被害者面をし始めた。
「コイツがいきなり殴ってきたんや!俺の顔目掛けて術式使って──」
「……直幸、それは本当か?」
直幸は当主である直毘人の目の前で指を刺されたため、目を逸らすしかなかった。
直幸は妾の子だ。立場としては直哉の方が上だと理解できた。だから自分が何を言って弁解しようと、直毘人には伝わらないと思った。
「なんの騒ぎだ?」
「あの妾の子が直哉を殴ろうとしたらしいぞ……」
「いや、あの年齢差でそんなことあるのか?」
同時に、騒ぎを聞きつけた家の者達が集まってきた。男連中は直幸の事を見て、どちらが悪いかの議論をしていた。
いや、疑うのは正しい。実際には違うが、正当な妻の子よりも妾の子の方を疑うのは家柄的には正しかった。
ましてや、直幸は格好にも問題がある変人だ。要らぬ疑いをかける人間がいるのは仕方ない。
だが直毘人はそんな意見には耳を貸さず、家の者達を諌める。
「鎮まれ……直幸」
「は、はい!」
「どうやらお前にも術式が芽生えたようだな。すぐに術師達に調べてもらえ。それと──」
直毘人は二人の間に立ち、家の者達にもしっかりと伝わるように、こう宣言した。
「直哉と直幸は喧嘩両成敗とする。以後、二人の決闘は禁止だ。いいな?」
「えっ、ちょ……なんでや!?」
「…………」
直幸は、直毘人が宣言した意外なその言葉に困惑する。
突然の喧嘩両成敗宣言には直哉が抗議を起こそうとしたが、直毘人はまだ煮え切らない二人の間を持つように、直哉を諌めていた。
その後、直哉に睨みつけられながら、直幸は家の術師達に別室へ連れて行かれた。
「ガッハッハ!久しぶりにいい喧嘩を見たぞ」
一方で、現当主の禪院直毘人はえらく上機嫌だった。
理由は、今まで息子でありながらあまり目を付けてなかった直幸が、一番才能のある息子の直哉相手に喧嘩で術式を発動したからだ。
やはり直幸も禪院の子だと確信した。我が強く、決めたことは意地でも曲げない。いい兆候に思えた。彼も直毘人の跡を継ぐ次代当主の候補者まで行くのは間違いない。
だが、その先はどうなるか不透明だ。
少なくともあの術式で苦労するのは間違いない。女装なんて行為を、この家の者たちが認めるとは思えない。
当主というのは外からの印象も大事だ。女装した男子が当主ですとなれば、他の御三家からの心情を気にするだろう。そこまで行き着くのは難しい。
いや、だからこそ──
だからこそ、簡単に当主になってくれては困るとも思った。
もし直幸が直哉を差し置いて当主になることがあれば、禪院に新しい風が吹く。そのような変革は鬱屈とした環境で這い上がってこそだ。直幸にはそれを乗り越えてもらう必要があった。
「(そういえば昔、御前試合で調伏困難な式神を呼んだ術師がおったなぁ……)」
直毘人は脳裏に浮かぶ影法術使いのことを思い出しながら、新たな当主候補の出現を受け、禪院の将来は面白くなるかもしれないと思った。
現当主として家の未来に不満はない。
直毘人の機嫌はさらに高揚したのだった。
今回の件はあっという間に家中に広まった。
直幸は正式に術師として家に名を連ねることになり、術式も詳しく調べられることになった。
その結果、術式発動のトリガーは直幸の格好にあると分かった。
その術式の名は「纏衣(まとい)術式」。
纏衣術式は着ている衣服によって効果が変わる術式だ。
これは例えばだが、ある神を模った衣装を羽織ると、自らを神聖なものだと錯覚させることができ、その神が持つ奇跡や神託の一部を再現できるというものだ。
これは一種の降霊術のようなものであり、母の家系ではかなり古くから伝わる相伝術式である。
また、衣装の他に化粧もこれと同じ効果を得られらしく、直哉と喧嘩した時は血で化粧を模ったため、一瞬だが戦神や荒神に近い能力を得ていた。
なので、直毘人が止めてなければ危うく流血沙汰になったかも知れなかったのだ。
また、この術式は衣装によって効果や攻撃法も変わるため、理論上は衣装を着替えることで無限のバリエーションが構築できた。
欠点は事前に衣装の用意が必要なのと、術式を切り替えるには衣装を着替えなければならないこと。
そして何より──これは降霊術式の全てに共通することだが──本人の身体の負担が大きい。
それ故、この術式を相伝としてきた母の家系は長い月日を経て衰退した。だがこの術式は禪院家にて再び現れたのだ。
ちなみに纏衣術式は、様々な衣装によって効果が変わるが、男の神や戦神などを降ろすことは、逆に本人が降霊対象に乗っ取られる危険性が高い。
そのため基本的に降ろせるのは制御しやすい女神や女性の格好となる。また、直幸に関しては女装している方が呪力が格段に上昇する事例があった。
つまり、直幸の術式の発動には女装してコスプレをする必要が出たのである。
そのことが分かると、家の者達の大半は、直幸の女装のことを黙認せざる得なかった。
極め付けに直毘人が「これは一種の縛りのような物だ」と言い放ったため、将来有望な術師を無下にできず、認めるしかなかった。
だが、文句が全く無かったわけではない。
直毘人の権限により、直接虐められる事は無くなったが、代わりに陰口や陰湿な嫌がらせ行為を男連中から受けた。
直幸は賢い子だったのでそれの大半を躱していたが、自分が家の男たちから疎まれているのをひしひしと感じていた。
「(なんやねん。男のくせに、やり方が女々しいんとちゃうか?)」
直幸は常々そう思っていた。
ただ悪いことばかりではない。
直幸は改めて当主候補に認められたのか、身の回りの物が良くなった。高級な物が多くなり、食事も多くなった。
また、術式のこともあるので、研究のためあらゆる衣服や上質な布を簡単に調達する権限を手に入れた。
元々男連中の嫁や女中たちに着せる着物は持ち腐れになっていたため、ちょうど良かったのだろう。
ただ、仲の良かった女中たちが自分を「様」付けで呼んでくるので距離感を感じたのと、個室を与えられた事で母と別室になってしまったのが残念だった。
「(母さんに毎日会えないのは寂しいなぁ……)」
直幸は身の回りのことが良くも悪くも変化していくのを感じながらも、母のことを気にかけ続け、よく見舞いに行っていた。
そして、母の具合がますます悪くなっていくのを感じていた。
じゅじゅさんぽ
『纏衣術式』
本作オリジナルの術式。
要はコスプレをして能力を得て、尚且つそれを着替える事によって様々な能力を切り替えられる術式。あらかじめ準備する必要はあるが、相手の手の内に対して絶対に負けないじゃんけんを仕掛けられるのが利点。
元来は古来より続く神聖な儀式において、巫女や宮司が神様を模した衣装で神を演じる行為そのもの。神卸の術式に近い。つまり結構歴史がある。