蒼を名に冠す、君を。   作:夜月詠

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サマーレコード・ボウライン Ⅲ

「いや、まさか本当に気付いてなかったとはねェ。西瓜も、ちゃァんと二つ送っただろォ?」

 

「あー、二人分だったんだ。だから二玉。太っ腹だね、立夏さん」

 

「あれ、一玉何万でしたっけ。軽く札束飛んでく感じ?」

 

「値段聞いた時は時価って答えられたかなァ」

 

「時価……時価の果物なんてあるんだ……」

 

 頭の痛くなる会話が、柔らかな絨毯と体重を吸い込むような座席の上で繰り広げられる。手中のグラスの、その葡萄の鮮やかで不気味な色彩と同じ様な、不気味な空気感はそのままに。

 彼等はそれを感じていないとでも云うかの様に、一切変わる事の無い調子のままに言葉を交わす。

 

「世の中広いからねェ。この世には時価の果物は有るし、幽霊だって居るし、陰陽師だって居るのさ」

 

 世の中が広い、という事には同意するが異常な側が云うのは辞めて欲しいという気持ちもある。そういう言葉は、僕のような"普通"に属する人間が自分を納得させる為に言う言葉だ。

 

「悪性変異の兆候は無し。他の特異現象の発現も見受けられない。現状維持、経過観察が合理的ですね。それが一番安く済むし」

 

「まァ、私が出張ってきたせいで安くは済まないんだけどね。あはっ、はははっ!」

 

「疫病神ですね、マイ・マスター。勝手に首を突っ込んできた癖に、相応の対価は要求するなんて。貧乏神かな?」

 

「安倍晴明大明神の末裔かなァ」

 

「……それで、その陰陽師が何の用で?」

 

「理由は……まぁ、二つあるかな。一つは幽霊云々の調査だ。なんか交差点に幽霊が出るって噂あるだろォ?」

 

 それは、彼女と始めて出逢った交差点の事だろう。詳しくは知らないが、幽霊が出る云々という噂が存在した。実際、幽霊は存在したし噂もあながち馬鹿に出来ないものだ。

 

「あの真偽を確かめて、場合によっては祓いをしよう、って事だったんだよねェ。まぁやんないけど。悪性変異の兆候も無いし、流れに任せるのが安全だ。

 もう一つは……ま、これが想定外でね。君の画だよ、錦木君」

 

 彼は手中のグラスを軽く啜ると、静かな声色で言葉を紡ぎ始めた。貼り付けた様な薄い笑み、どうしようも無く違和感を覚えさせるその雰囲気はそのままに。

 

「君の画は──人物画は、特殊に過ぎる。才能だねェ……神秘学的に力を持ってしまうんだよ」

 

 彼の言葉が、ノイズとなって木霊する。なら、僕の人物画()は、本当に呪われた……それこそ、悪魔の業だったとでも言いたいのか。

 

「何、を……」

 

「人形ならわりかしポピュラーなんだけど、画だとまず起き得ない特殊な現象だ。形代、依代……そういう、魂が宿る器として成立してしまう。ほら、あるだろォ、呪いの人形とか、髪の伸びる市松人形。あの類型だ。器が、人形では無く人物画だったというだけさ」

 

 さらりと言ってのけた。

 彼は、僕がその事実を、その呪いを、単なる類型だと、そう断じた。

 

「簡単に云えば、呪われた画だったんだよォ。君の描いた、例の人物画は。余りにも完璧だったから、人形よりも尚高い親和性を持って霊の籠る器となってしまった」

 

 指先に残る、絵の具の感触。あの時描いた人物画の、その絵の具の、泥のような停滞感。

 なら、僕は。僕のせいで。僕が、人間を描いたから。

 

 死人が出た。そう云う、事だ。

 吐き気が込み上げる。車酔い等では無い、生死を左右したというその事実の悍ましさと疎ましさ。僕の手が、自分の物では無いかの様な幻覚。

 

「君が人間を描くのを止めたのは英断だ。描き続けていれば、君の周りは"碌でもないモノ"で満ちていただろう。何しろ器を得てしまえば、カタチ無き霊が物質に干渉できる様になるからねェ」

 

 追想する。あの日描いた、画を。

 完璧に世界を切り取った、あの人物画を。瞳の反射、肌の感触(テクスチャ)、光の当たり方、影の落ち方、髪の流れ、肉体の僅かな上下、血流の鳴動。はっきりと、思い起こせる、人の顔。

 専門のモデルの、その全てを切り取り描き出した人物画。

 

 その、虚ろな存在感と、悍ましい気配。多分、中身(たましい)が宿ってしまった呪いの画。

 

「あぁ、とは云え君が心を動かす必要も道理も無いよ。あの画は調査したが、中身は一握幾らの低級霊。人の精神を多少歪める程度だ。理性を以てすれば抑え込める程度のね。全て、抑え込まなかった愚物が悪いのさ」

 

 その言葉は、冷たい氷の様に。

 人の生き死にを、何処までも冷酷に、無感情に、無慈悲に──そして、何より公正に語るその口振り。空虚さが滲む、その声色。

 人間離れした、けれど、人情味の介在する気遣いの混ざった言葉の羅列。僕には、彼の事が分からない。

 

「魂は物質界にしがみついているだけで、歪んでいく。単独で存在し得ないものだからね。少しずつ、存在が薄れて行くか歪んで行く。例の事件は、画に歪んだ魂が入ってしまい、その影響を受けた愚物がやらかした。ただそれだけ」

 

「ただ、それだけって……」

 

 桜木が、震えた声色で言った。

 怒りか、嘆きか、哀しみか。共感、同情、憐憫その何れか。豪奢な内装に、彼女の震えた声が冷たく響く。

 

「まァ、被害者と作者からすれば溜まったものじゃァ無いよねェ。けど、こればっかりは運が悪かったと諦めて貰うしかない。

 ……と、話を戻そう。何の用件か、という質問に答えなくてはね。まぁ偶然、なんだけどねェ」

 

 平坦な声色と、空虚で軽薄な口調。信頼しようのない、怪しい気配と言葉の音律。なのに、彼の言葉を聞くことを辞められない。

 

「夏休みがてら軽ゥいお仕事で幽霊調査に来たら、偶然君を見つけた。私の担当では無かったけど、見つけたんなら仕方ないと担当を振り直されてねェ。そんなこんなで、君の……監視というか……警護というか……をしていたのさァ。不味そうなら無理矢理介入しようと思ってね」

 

「……介入?」

 

「君が好き放題に人物画を──魔画を描こうとしたら止めなくちゃならないからさァ。流石に呪具を好き勝手に増やすのは許容できないんだよねェ」

 

 彼は窓硝子の向こうに覗く風景を見つめながら、道端のゴミでも拾うかの様な、気軽な声色で言い切った。

 

「沙也君は、そんな事しないよ。描かないって、言ってるんだから」

 

 珍しく真面目な口調で、硬い声色で断定的な重みを以て言い切る彼女の姿。夏服の蒼と白に包まれた、幽霊のその姿。

 何故、彼女はそう言うのか。

 

「理解しているよ。だって、彼はあの一枚以外描いてないからねェ。その事実に、今までただ一度の例外も無いのがその証左だ。

 しかし、その異能に目を付けられて人攫い〜なんて事が起きないとも限らない」

 

「死者を繋ぎ止めたい。人を呪いたい。不幸にしたい。そういう人間の感情は、罪悪感等という不確かなモノを容易に踏みにじりますので」

 

 車体が緩やかに速度を落としていくのを体感する。窓の外には、夏祭りの、吊り下げられた提灯達の温かな橙色の光。

 

「到着だ。……ではね、錦木君、桜木君。どうか、良い時間(よる)を。……あァ、何かあれば此処まで来ると良い。この夏の間、私が逗留している住所だ」

 

 紙の切れ端を僕に握らせて、彼は腰を上げた。同時に、いつの間にか車体から降りていた縁が流麗な動作で扉を開けた。

 流れ込んでくる、生温い夜の風とソースの焦げる匂い。遠くで響く太鼓の振動と、数多の人間が放つ、生という熱の混濁した気配。

 

 一歩、外へ足を踏み出す。

 山頂へ続く山道の、その麓。数多の屋台建ち並ぶ山道を望む、交差点。頂まで続いているであろう提灯が夜闇を斬り裂いていた。

 

「……沙也君」

 

 隣に降り立った彼女の横顔。

 現実の、何の干渉も受けることのない彼女の肌は、やはり死蝋の青褪めた蒼白のまま。

 けれど、彼女の輪郭だけが不自然に発光して夜闇の中に浮き上がっている様にも見えた。

 

「……ねぇ、君は──」

 

 車の過ぎ去る音が聞こえる。エンジンの、低い唸り声。視界の端には、気楽そうな笑みを浮かべたままフラフラと夏祭りの灯りの中に姿を消していく彼等の姿。

 

「……行くぞ、桜木。来ないなら、置いていく」

 

「……気にしちゃ駄目だよ? あの話の事」

 

 宙を滑る様に追ってくる彼女。

 昼間と何一つ変わらない、異常な光と影のバランス。夜闇の中に浮き上がっている様にも見える、その白い肌。何一つ、世界の影響を受けない彼女のカタチ。

 

 周囲の人間達は、僕を避けようとはするが彼女を避けようとはしない。認識していないから。見えないから。だから、彼女を真っすぐに突っ切って、だから彼女は真っすぐに通り抜けて追走する。

 その有様は、何よりも雄弁に彼女の不存在()を突きつける様で。

 

「……分かっている。理性的に考えれば、凶器の作成者に罪が無い事くらいは理解できる」

 

 その声色は、自分で思っていたものよりも数段冷たかった。

 安倍立夏の云う『魔画』。魂を閉ざす依代。

 僕の、悪魔じみた画を定義する言葉。

 

 指先の感覚が、絵の具の触感が。鮮やかに、生々しく思い起こされる。あのモデルを描いた感覚、あの日切り取った世界の記憶。

 感覚と共に、追憶する。けれど、何より悍ましいのは──

 

「……楽しかった。楽しかったんだよ、あの時も。あの時だって」

 

 楽しかったという、その記憶。

 画を描くのは、楽しかった。例えそれが、悍ましい呪具を創り出す行為であったのだとしても。

 

「知ってるよ。だって、君は絵が好きなんだから。絵が。絵を描く事も。あんなに楽しそうに筆を動かすんだから」

 

 彼女は、冷え切った独白を否定する事無く。

 

「好きだよ。真っすぐに、好きな事を楽しそうにやる君が。君の絵が。真摯に向き合うから、君の絵は綺麗なんだ」

 

 僕の顔を覗き込んで、優しい笑みを浮かべた。

 それは蒼い、夏の日の様な。宵の熱気よりも尚強く僕の心を焼く、幻日の様な。華やかな、笑顔だった。

 

「そう、か……」

 

 それは救いを幻視する、余りにも鮮やかな生の肯定。

 醜く、悍ましいその罪と業を、彼女は笑って肯定する。

 

「さ、行こうよ。金魚すくいに、焼きそばに、かき氷……あ、焼きトウモロコシ! 射的もあるじゃん! 全部楽しそう!」

 

「──あぁ。そうだな、楽しそうだ」

 

 宵の坂道を彩る屋台の影。吊り下げられた提灯達の、その明るさ。彼女が一緒なら、きっと何だって楽しいのだろう。

 その笑顔が、その振る舞いが。

 他の何でも無い、彼女の声が。

 

 何だって鮮やかに彩るのだから。

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