蒼を名に冠す、君を。   作:夜月詠

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サマーレコード・デュオ Ⅲ

 微睡みの淵で、懐かしい夢を見る。

 もう死んでしまった母の顔と、忙しくて禄に顔を合わせることの無かった父の顔。大好きだった、両親の幻想。

 

 溶け行く意識の中で、過去を幻視する。

 血液(いのち)の零れゆく悪寒と、叩くように降りしきる雨の冷たさ。アスファルトに照り返す紅の残光と、轟くエンジン音。

 

 微睡む意識と、揺蕩う身体。

 水中に浮いているかの様な重みと、身体が自由にならない疎外感。喉を震わせたくても、掠れた様に沈黙が溢れだす。

 身体は動く事なく、声が溢れる事も無く。

 

 私の身体はただ、沈黙する。

 もはや起きているのか、眠っているのかさえ分からない意識と無意識の狭間に、揺蕩うように、更に深い眠りに沈んで行く。

 

 微睡みの淵で、懐かしい夢を見る。

 偏屈で、意地悪で、けれど優しい人の夢。ふん、だとか、チッだとか。鼻で笑うのと舌打ちをするのが癖になっている、彼の声色を追憶する様に思いだす。

 

 けれど、これ以上望むことはない。

 やりたい事は、取り敢えず終わらせた。孤独なアフタータイムの中で、人生(ゆめ)は終了させた。

 私は死んでしまったけれど。君と同じ世界に生きた。

 

 本当に。これ以上望む事は何も無い。

 楽しい人生だった。良い夏だった。はじめて出来た友達と、一杯遊んだ。思う存分に、好きなだけ。心ゆくまで笑顔を浮かべた。

 

 だから、悲しい事は一つだけ。

 彼を独り残して消え去るのが、心苦しい。私が消えてしまったら、偏屈で性格の悪い彼の隣には誰が立つのだろう。

 

 あの孤独を、一体誰が抱いてあげられるのだろう。

 独りは辛い。独りは淋しい。私はその事実を、とても良く知っている。死んでしまってから2年ほど、独り交差点を彷徨っていたから。

 

 彼の目に写るまで、私は独り彷徨っていた。私が死んでしまった交差点の上で、独り迷い続けていた。……まぁ、ずっと交差点に居た訳では無いのだけれど。大抵はあの交差点に居た。

 多分、自分が何故死んだのか知りたかったんだと思う。

 

 ……理由なんて、無かったのだけど。

 

 寂し紛れに入り込んだ家で見た、テレビニュースで全てを知ったのだ。何処にでもある、不幸な。居眠り運転による人身事故。

 疲れから眠り込んでしまったトラックの運転手。

 そんな不幸のせいで、私は死んだ。あの時は、酷く落ち込んだものだ。特段深い理由は無く、ただ運が悪かったせいで私の人生は終わったなんて。

 

 そんなに理不尽な事は無いだろう。

 理不尽だ。理不尽に過ぎる。あまりにも理不尽だ。

 運が悪かった、なんて。乾いた笑いしか溢れない。

 

 多分そこで、心が折れた。

 最初の内は事件の真相を知るんだ、とか。この恨み晴らさでおくべきか、とか。色々思っていたのだけど。何の変哲もない事故死、なんて。何もかもが壊れて消えた。

 

 それ以来、虚ろなままに交差点を彷徨っていた。父は(わたし)の死から目を逸らす様に何処かへ越してしまったし、私は誰の目にも写らないから。例え写ったとしても、掠れた残像の様な幽霊(げんそう)としてだけ。

 

 行き場がもう何処にも無くて。言葉を交わし合う事もできず。誰の目にも止まる事も無く。だから私は孤独に、彷徨い続けていた。

 

 2年間の、終わりも知れない孤独の彷徨。2度の夏が過ぎ去った後、3度目の夏に出逢ったのが、彼だった。

 私をきちんと認識する彼。私と言葉を交わしてくれる彼。

 

 拠り所にしてしまうのも、仕方ない。独りは余りに辛すぎる。誰とも言葉を交わせず、誰とも触れ合えず、誰の目にも写らないなんて、耐えられない。だから、無理矢理にでも彼の家に押し掛けた。

 押し掛けて、そうしたら彼が折れて受け入れてくれた。

 

 ──それからは、本当に。楽しかった。

 彼は悪態をつきながらも、私の我儘に付き合ってくれた。私がやりたかった事。私が、友達とやりたかった事に、本当に良く付き合ってくれた。

 

 もう飲めないラムネの味も、彼のおかげで思い出せた。

 瀬途に来てからずっとやってみたかった、友達とサイクリングに行く、なんて事もできた。海だって行ったし、夏祭りだって行った。ピアノの連弾にも、付き合って貰った。

 彼の演奏は不慣れで、途切れ途切れだったけれど。それでも本当、楽しかった。私よりも先に死んでしまった、お母さんとの連弾の記憶が呼び起こされる様だった。

 

 本当に、楽しかったのだ。

 だから、こんな。たった一つの未練が出来てしまった。

 

 彼。偏屈で、性格が悪くて、けれど私の我儘に付き合ってくれる彼。絵の上手い、厭世的で、厭人的な彼。惑い、悩み、悔みながらも歩き続ける、今を生きる君。

 終わってしまった私には、そんな彼の在り方が眩くて。彼との日々が楽しくて。それ故に、私が消え去る瞬間まで、ついつい長居してしまった。

 

 ──彼に無用な痕跡(きず)を残してしまった。

 

 眩い君。今を生きる君。

 私に色彩(ひかり)をくれた人。

 赤、青、藍。無数の色を使って、美しい世界を描き出す君。貴方が見る虹色の世界に、私は生きていた。

 

 最後に一つ、願いが叶うなら。

 あの神社の神様が、お願いを聞いてくれるなら。

 

 彼に画を。彼に筆を。

 

 彼の見る世界に、どうか美しい色彩を。私が消え去った後も、彼が笑い、鮮やかな世界を描ける様に。

 どうか彼に、美しい画を描かせてあげて欲しい。

 

 それが私の願い事。たった一つの、私の願望(ゆめ)

 私の我儘に付き合ってくれた彼に、栄達を。

 

 意識は溶けて消えて行く。

 不確かな身体の感覚と、耳の奥に悠く響く残響と共に消えて行く。悲愴の第三楽章。絶望に射す僅かな曙光(きぼう)

 眩く温かいその光が、どうか彼の行く末を照らしますように。

 

 祈りと共に、意識(わたし)は消えて行く。

 

 はじまりのやりたい事は──辿り着きたかった未来には、結局手が届かなかったけれど。そんな未来よりも大切に思える、大切なものに私は出逢ったのです。

 私自身よりも大切に思えるものに、私は出逢ったのです。

 

 だから、もうおしまい。

 

 人生という旅路の、そのあり得るはずのないアフタータイム。短くも楽しく、彼の描く鮮やかな彩りに満ちた美しい時間。

 名残惜しく、淋しいけれど。私の人生は、終わったのだ。

 

 さようなら、偏屈で性格の悪い君。

 

 さようなら、最高の絵描きさん。

 

 さようなら、錦木沙也君。

 

 産まれてはじめてできた、私の友達。

 

 たった一人の、私の夢。

 

 たとえ私が消えてしまったとしても。どうか画を描き続けて欲しい。美しい、君の画。孤独で冷たくて、けれど鮮やかな貴方の画。

 どうか美しいままに、描き続けて欲しい。

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