明晰夢、というものがある。
自分が夢を見ていると自覚できる夢のことだ。
何故そんなことをいきなり言い出したかは、もはや問うまでもないだろう。
現在俺が、その明晰夢を見ているからだ。
「……懐かし」
思わず呟いた言葉もむべなるかな。
俺の目の前に広がる光景は、見慣れたもの。
L社の前身となった研究所、L旧研の廊下だった。
ふむ、と顎に手を当てる。
「……これ、夢じゃなくて精神攻撃の可能性もあるな」
単純な夢と言うには、空気や床の感触があまりにリアルすぎるし。
目の前の光景だってぼんやりしておらず、細かいところまで正確すぎる。
……いつぞやカーリーが勢い余って付けた傷まで再現されてら。確か山田君の鎮圧の時に付いたんだったか。
そういった仔細を観察する余裕もあることに加えて、思考がふわふわと浮いている感覚もない。
どうにも夢らしくないな。
むしろ、それこそ道化師がやってきたような、相手の思い出を掘り返し再現するタイプの精神攻撃でも受けてるんじゃないかこれ?
思い出せる直前の記憶は、普通に業務時間を終え、女王と従者と一緒に眠っていたところで終わってる。
そこから考えると、やっぱり夢説が濃厚なわけだが……。
ひとまず……今は、彼女たちに頼ってみるか。
「騎士」
……うーん、反応なし、か。
一応、俺の腰には夜空剣が差してあるんだが……。
いつもなら一拍の間隔もなく飛んでくる返事がない。
なんなら、騎士と精神を繋げている感覚すらも希薄だ。
……なるほどね。
これ思ったよりヤバいかもな。
それなら、彼女に頼るべきだろう。
彼女であれば、言葉が届かないということはそうそう起こり得ない。
「道化師、聞こえる?」
俺がその名を呼びかけると同時……。
ポーン、と。
L旧研のスピーカーが起動し、向こうから声が届いた。
『あー、コナー? コナー、聞こえるかしら?
今から所長室に来れる? ちょっと急ぎの用件があるの!』
…………。
あー、未練がましい。ちょっと胸に来たわ。
道化師からのリアクションかと思ったんだが……これは、十中八九仕掛けられてるな。
カルメンの声を、それもあの日々の平穏を真似るとは。
俺の性質をよく弁えていらっしゃることだよ。
軽く頭を掻き、考える。
まあ、この際、敵の正体はどうでもいい。
どうやって道化師の守りを抜いて攻撃を通したかも、考えるのは後でいいだろう。
今大事なのは、さっさとソイツをしばくなり何なりして、ここを脱すること。
俺には帰りを待ってくれる人たちがいるもんでね。
こんなところで立ち止まっちゃあいられないのですよ。
というわけで、腰から夜空剣を抜き払い、勝手知ったる研究所を所長室へと歩き出す。
誘導してくれるっつうんなら、それに乗ってやる。
罠があるとしても踏み砕いて、首謀者を引きずり出してやろうじゃないのよ。
* * *
そうして、L旧研の所長室に向かった俺を待っていたのは……。
「サプラーイズ!!」
……アホのぶっぱなしたクラッカーの音と、それが散らした無数の紙吹雪だった。
「……はぁ」
ぺたぺたと降り注いでは張り付いて来る紙吹雪を払いながら、思わずため息。
夜空剣ぶっ刺してやろうかな、という思いがこみ上げてきたのを、懸命に我慢する。
俺は我慢強いジェントルマンなのだ。こんなイタズラなんぞに負けるかよ!
「はよ説明せんと敵としてぶち転がすぞアホ!!!」
「めちゃくちゃ怒ってる!? わ、私よコナー、偽物でもなんでもなくあなたの妻のカルメンよ!!」
必死な表情でぶんぶん手を振り釈明する女は、カルメン。
それも、釣瓶でもなければ、意識体でもなく……。
人の体に洋服を身に着け、その上に雑に白衣を羽織り、黒茶の髪を赤いクマの髪留めでポニーテールに纏めている、いつぞやの彼女である。
勿論、これが現実のものであろうはずもない。
カルメンのこの体は俺の死後、調律者による上半身と下半身が泣き別れにされたらしい。
であれば、今現在、それが俺の目の前にあるはずがないのだ。
精神攻撃か!?
イヤ、精神攻撃じゃない……イヤ精神攻撃か?
また精神攻撃なのか!?
何だこれは!? また精神攻撃なのか!?
……となるのが、普通なんだろうが。
まあ、付き合いの長さ(10,000年弱)でわかる。
この面の皮の厚さと、俺の記憶からですら抽出しかねるくらいのマイペース具合からして、目の前にいるのはカルメンご本人だろう。
ついでに言うなら、なんか若干光りながらふわふわ浮くことで鬱陶しくも幽体アピールしてやがるので、多分カルメンの偽物とかではなく、普通に本物カルメンだこれ。
てっきり敵に精神攻撃でもされてるかと思ったんだが、状況からして違うわ。
サプライズとのことだし、ここ最近道化師とやってた新たな試みとやらの発表会だなこれ。
……はぁ~、無駄に緊張したわクソが!!
俺が戦士スイッチをオフにしつつ夜空剣を鞘に収めていると、カルメンはあわあわと俺の周りを飛び回り始めた。
妖精の祭典かな? 喰ってくる(意味深)しそこまで間違いでもないか。
「あの、ええと、ごめんね? まさかそこまで張り詰めて来るとは思わなくて。
うわ~久しぶりだ~、夢とはいえ懐かしくて楽しいな~、くらいの温度感かと思ってたのよ」
「俺は戦士なんでね、異常事態に気付いたらすぐスイッチが入るようになってんだよ。
特に最近は、ちょっと前に道化師に精神絡め取られたこともあって、この手の攻撃には警戒してんの。
……てか道化師、君、普通に説明してくれてよかっただろうに」
半ば確信を持って呼びかけると……やはり、彼女の声が脳内に響いた。
『ごめん パパ カルメンが こうしろって
お尻ぺんぺんは 許して お願いします 何でもしますから 靴とか舐めるよ 全然』
そこまで嫌だったかアレ……? 別に筋肉とか内臓千切れる程に強く殴ったりはしてないんだけど。
『パパ 感覚おかしい 紫の涙 なんてことをしてくれたのか
………… 罰を受ける準備 しておきます …… 優しくしてね ……』
道化師の気配はしょもしょもしながら消えていった。
いや、別にお尻ぺんぺんまでする気はないけどね?
どうやら俺の腰に提げた夜空剣は見た目だけのハリボテらしく、騎士と繋がっている感触はない。
当然、彼女の作ったパスに乗じて頭の中で会話していた、他の元魔法少女たちもそうだ。
だが、道化師は違う。
彼女はそもそも、俺の意識に憑依している。
言ってしまえば、俺は常に彼女から精神干渉を受けているような状態だ。
なので、夢の中だろうが他人から精神攻撃を受けてる最中だろうが、理論上は普通に会話することが可能……とのことだ。道化師本人が自慢げにしていた。
さっきはそんな彼女にすらコンタクトが取れなかったと思い、正直ちょっと焦っていたんだが……。
どうやら全部カルメンのイタズラだったらしい。
まったく、肩から力が抜けた思いだ。
「そのぅ、えへへ、驚かせてごめんね?」
ウインクしつつ手を合わせてくるカルメンに、思わずため息が漏れた。
まったく……自分のつよつよビジュアルに自覚的な女は強敵だわ。
「ま、今回は相手が俺だけだから赦したる。他の奴らには迷惑かけるなよ」
「いえーい、コナーったら男前~!」
ぱあっと笑顔になったカルメンは、年甲斐もなくこちらに飛び付いてくる。
俺は咄嗟にその体を抱き留めたのだが……。
「……!」
思わず、息を呑んだ。
確かに、抱き留めた感覚があったから。
更に言えば……それは正しく、俺の記憶の片隅にあった、カルメンの重さだったから。
俺はてっきり、目の前のこれを、道化師によって再現された映像だと思っていた。
道化師に取り込まれかけた日に味わったように。
この子には、憑依した対象の記憶をリフレインさせ、再生する能力がある。
それをカルメンの内在型E.G.Oで調整すれば──改めてコイツのE.G.Oの汎用性どうなってんだ、とは思うが──こうして記憶の世界を再現し、自分を投影させることも可能だろうと思っていたのだ。
……だが、それはあくまで、映像に過ぎない。
あの夢の中で確かめたが、映像はただのリフレインでしかなく、触れることなどできなかった。
仮にカルメンがこれに干渉したとしても、あくまで
故に、目の前のカルメンも、触れても確かな感触はないのではないかと思っていたのだ。
しかし、思い返せば。
ここまでやってきた歩行の際にも、違和感を覚えない程の確かな感触は、確かにそこにあった。
そして、今。
俺の眼下には、きゅっと俺の体を抱きしめ、胸に顔を埋めるカルメンがいて。
背に回された手に締め付けられる感覚も、彼女の高めの体温も、とくんとくんと高鳴る鼓動も。
俺はその全てを、生前と同じように、感じることができた。
……そして、それはきっと彼女も同じく。
「……ああ。やっと、また、触れ合えた」
くぐもった、そして少しだけ震えた声は、空気と共に俺の体にも響く。
その物質的な感触は、確かに彼女がそこにいることを、俺に伝えていた。
「カルメン、お前……」
「すぅー……はぁ」
カルメンは落ち着くためか、一度大きく息を吸い込み、俺の体から身を離す。
……落ち着くためだよな?
俺の匂いを嗅ぐためとかじゃないよね??
久しぶりだからいっぱい匂い嗅いどことか思ってないよね???
「えへへ♡」
……とにかく。
顔を上げたカルメンは、少しだけ潤んだ目元を隠すように笑った。
「体はまだできてない……っていうか、正直とっかかりも掴めてないわ!
コナーにはムキになって言い返したけど、やっぱりこの状態だとできることなんて何もなくて……。
でも、道化師ちゃんのおかげでだいぶやれることも増えてね! ついには実現したわ、これが!!」
……なるほどね。
道化師と協力した、という点に関しちゃ、俺の考察も間違ってはいなかったみたいだが……。
どうやら2人は、俺が思っていたより、ずっと先に進んでいたらしい。
「で……これってのは結局何なの?
ホログラフィ、じゃないよな、感触があるし。認識の差し込み?」
「さっすがコナー、相変わらず勘が鋭い! 殆ど正解!」
俺の体に抱き着いたままに、カルメンはパチンと指を鳴らす。
瞬間、俺はいつの間にか移動し、所長室のベッドに座っていた。
……あー、この唐突感、さては最初に思い浮かべてたのが正解だな?
夢か、これ。
「うーん、一瞬でぱっと答えを出されると謎かけのし甲斐がない! そんな可愛くないところも魅力的ね!」
ちょっとあばたもえくぼすぎません??
まあ俺もあんま人のことは言えないとは思うが……。
カルメンはわざとらしい発光と浮遊を止め……かつてと同じ姿になって。
俺の隣に座り、満面の笑みで足をぷらぷらと振りながら語った。
「夢ってすごいわよね。人の意識の上で、疑似的かつ不完全とはいえ、記憶を元に世界が再現されるんだから。
それに、夢の中じゃ痛みを感じない、なんて言うけど……実際には、ぼんやりと痛みみたいなものを感じることができるのよ。いわゆるプラシーボに近い、思い込みなんだけどね。
その辺りを調整すれば、疑似的な世界を再現して、こんな風にコナーと触れ合えるんじゃないかって……しばらく前から道化師ちゃんと試行錯誤していたのよ」
ちゃんと形にするのに、何反復も使ったけどね、と。
そう言って、カルメンは俺の腕を抱き、身を寄せて来る。
L旧研にいた頃なら、鬱陶しいとでも言って、振り払っていただろうが……。
「……そか。お疲れ様、それにおめでとう」
「えっ??」
俺は彼女の腕を引き、その細い体を抱きしめた。
騎士も大概、これまで苦労させてしまったが。
カルメンにもまた、10,000年近く、色々と我慢させてしまった。
あれだけ肉体接触や人との触れ合いを楽しんでいた女が、人の濁った集合無意識に投げられたまま、俺たち以外とは言葉すら交わせなくなったのだ。
どれだけ気丈に振舞おうと……彼女が寂しさを感じることくらい、察せないわけもない。
まだ、カルメンに物質的な体ができたわけではない。
彼女が自由自在に他者と触れ合えるのは、まだ先のことになるだろう。
だが、それでも……。
これが最初の一歩、あるいは彼女の無聊を慰めるものであればいいと願う。
……まあ、それと、敢えて言うまでもないが。
こうして触れ合えて嬉しいのは、何も、カルメンの側だけじゃないのだ。
その細い体を抱き締め、顔を寄せ……。
俺は、彼女の唇を奪った。
「っ!」
……慣れ親しんでいたはずの、けれど今や懐かしい、夢見人の感触と熱。
少しだけカサついたそれは、数千年ぶりの口付けにしては、情緒に欠けるものだったが……。
その分、俺と彼女の間にあった日常を思い出させるものだった。
驚きから見開かれた彼女の赤い瞳は、徐々に蕩け、そして潤み……。
一筋の雫が零れ落ちた辺りで、俺は顔を離した。
「変わらないな、お前も、この熱も。
ま、あの頃は、もっと乱暴に貪られてばかりだったけど」
ははっ、真っ赤な顔。
いつも揶揄われっぱなしだから、ちょっとだけ気分が良いな。
「っ! は──……あー、もう、本当に、あなたって人はっ♡
コナーえっち過ぎ警報発令!! ビビビビビ~ッ!!」
「じゃあやめるか? L旧研の頃くらいの温度感に戻ってもいいんだが?」
「それはヤ! ……今だけは、もうちょっと甘やかして」
「はいはい、お姫様」
もう一度、まぶたを閉じた彼女と唇を合わせる。
ベッドの上に置かれた手が重なり、絡まった。
「……待っててね。
いつか、必ず、あなたに戻るから」
「何千年でも何万年でも待ってるよ、お前のことを」
というわけで、カルメンのデート回でした。
カルメンの想像以上の人気に乗じて筆を走らせた乗り気な作者、ワン・ダーウェイと申します。
とはいえ、流石にオマケはここまで。
L社からのヒロインズのお話は、またどこかで書きたいと思います。
オマケにお付き合いいただきありがとうございました。
L社編後編の投稿再開まで、もう少々お待ちください!