ハンドグリッパーズ   作:伝説のファミチキ

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この物語はフィクションです。
現実の人物とは一切関係がありません。


第三話「口臭」

夜だった。

 

瓦礫の町から少し離れた、高架下。

外山街児は、コンクリートの柱にもたれながら、膝を抱えていた。

 

「……はぁ……」

 

ため息が、やけに大きく聞こえる。

 

(なんで……こんなことに……)

 

ほんの昨日まで、

学校行って、帰って、飯食って、寝るだけの生活だった。

 

それが今は――

町は消えて、

知らない女の人といて、

「戦う力がある」とか言われている。

 

「む、無理でしょ……普通に……」

 

声に出すと、少し落ち着いた。

 

その横で、ジェン・ダーは壁に背を預け、周囲を警戒している。

 

「ねえ……」

 

街児が、小さく声をかける。

 

「ぼ、僕……本当に……

その……戦うしか……ないんですか……」

 

ジェンはすぐに答えなかった。

しばらくして、短く言う。

 

「選択肢は、三つ」

 

「……み、三つ……?」

 

「逃げる。隠れる。握る」

 

街児は、思わず俯いた。

 

「……逃げても……

どうせ……追ってきますよね……」

 

「ええ」

 

即答だった。

 

「隠れても?」

 

「嗅ぎつけられる」

 

その言い方に、街児は背中がぞわっとした。

 

「……じゃあ……」

 

「残るのは、ひとつ」

 

ジェンは、街児の拳を見る。

 

「握る」

 

「……」

 

街児は、ぎゅっと手を握り直した。

 

「……こ、怖いです……」

 

「知ってる」

 

ジェンの声は、少しだけ柔らかかった。

 

その時だった。

 

――ぬるり。

 

空気が、変わった。

 

甘ったるく、

鼻にまとわりつくような、不快な臭い。

 

「……っ」

 

街児は、思わず口元を押さえる。

 

「う……なに……これ……」

 

「来たわね」

 

ジェンが、一歩前に出る。

 

高架下の影から、

ゆっくりと人影が現れた。

 

「くっさ……」

 

男は、笑っていた。

 

半笑い。

口元を押さえたまま、楽しそうに。

 

「いや〜……

やっぱさぁ……

“覚醒直後”の匂いって、最高だよね」

 

街児の喉が、鳴る。

 

「……だ、誰……」

 

「おっと、失礼」

 

男は大げさに頭を下げた。

 

「ダニ・ビラ。

君たちみたいな“新米”を、

ちょっとからかうのが趣味でさ」

 

「……か、からかう……?」

 

「うん」

 

ダニは、ゆっくり近づいてくる。

 

一歩ごとに、

臭いが、濃くなる。

 

「離したくなるでしょ?」

 

「……っ……」

 

街児の視界が、少し揺れた。

 

「な……なに……これ……

気持ち……悪……」

 

「でしょ?」

 

ダニは嬉しそうだった。

 

「ほらほら、

その手。開いちゃいなよ」

 

ジェンが、低く言う。

 

「街児、見るな。吸うな」

 

「む、無理……です……

に、臭いが……」

 

ダニが、にやりと笑った。

 

「いいね、その顔」

 

「我慢してる感じ、最高」

 

次の瞬間。

 

ダニが、ぐっと拳を握った。

 

臭気が、圧になる。

 

「――っ!!」

 

街児の膝が、がくっと落ちた。

 

「……や……やば……」

 

吐き気。

目眩。

頭が、真っ白になる。

 

(は……離したい……)

 

その時。

 

ジェンが、街児の肩を掴んだ。

 

「外山街児!」

 

「……っ!」

 

名前を呼ばれ、意識が戻る。

 

「今、何を握ってる?」

 

「……え……」

 

「考えなくていい。答えて」

 

街児は、震えながら答えた。

 

「……こ……この……気持ち……」

 

「それでいい」

 

ジェンは、街児の前に立つ。

 

「離すな」

 

ダニが、舌打ちした。

 

「チッ……

邪魔すんなよ、ジェン」

 

「この子は、まだ“壊していい段階”じゃない」

 

「へぇ?」

 

ダニは、興味深そうに街児を見る。

 

「じゃあさ」

 

「試すだけ、試していい?」

 

次の瞬間――

街児の顔のすぐ前まで、ダニが迫った。

 

「……っ!!」

 

「ほら」

 

「臭いでしょ?」

 

街児の手が、震える。

 

(やだ……)

 

(でも……)

 

(ここで……離したら……)

 

街児は、歯を食いしばった。

 

「……は……離し……ません……」

 

声は小さい。

でも、確かだった。

 

ダニは、一瞬だけ目を見開き――

そして、笑った。

 

「……いいね」

 

「その目」

 

「覚えとくよ、インキャくん」

 

次の瞬間、臭いが引いた。

 

ダニは、後ずさる。

 

「今日はここまで」

 

「続きは……

ちゃんと“握れる”ようになってから、ね」

 

そう言い残し、

闇の中へ消えていった。

 

沈黙。

 

街児は、その場にへたり込んだ。

 

「……た……助……かっ……た……?」

 

ジェンは、深く息を吐く。

 

「ギリギリね」

 

街児は、まだ震える手を見る。

 

「……ぼ、僕……

本当に……戦えるんですか……」

 

ジェンは、少し考えてから答えた。

 

「戦い方は、知らない」

 

「でも」

 

彼女は、街児の拳を見る。

 

「離さなかった」

 

街児は、かすかにうなずいた。

 

「……それ……だけは……」

 

夜風が、吹き抜ける。

 

外山街児はまだ弱い。

まだ怖い。

まだ何もできない。

 

それでも――

手だけは、開かなかった。

 

――第三話・完。

 

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