それは、まだ水都梨那が高専に入学して間もない、ある晴れた日のことだった。
「ほらほらー、どうしたの水神様? 足止まってるよ?」
五条悟は、あくびを噛み殺しながら、ヒョイヒョイと水都の攻撃を避けていた。
ステッキによる刺突も、式神たちの水鉄砲も、すべて『無下限』のバリアに阻まれ、五条の制服の裾すら濡らすことができない。
「はぁ、はぁ……! 無礼者め……! 僕が本気を出せば、こんなグラウンド、海に沈められるんだぞ!」
肩で息をする水都に対し、五条はニヤニヤと笑いながらサングラスをずらした。
「出せば? その『本気』とやらをさ。口だけなら猿でも言えるよ~」
その言葉が、水都の演者としてのプライド(と、追い詰められたパニック)に火をつけた。
(……やってやる! もう知らない! 本当に沈めてやる! あとで夜蛾学長に怒られるのは五条先輩だ!)
水都は覚悟を決め、愛剣『諭示裁定カーディナル』を高く掲げた。
その瞬間、彼女の纏う空気が一変した。
『――原罪』
彼女の口から紡がれたのは、呪詞。
それと同時に、五条悟の「六眼」が、あり得ない情報の濁流を感知して悲鳴を上げた。
(――あ?)
五条の表情から、余裕の笑みが消える。
彼が視ていた「水都梨那」という小さな器。
その横にあったステッキ。
その六眼ですら覗けなかったブラックボックスの蓋が開き、**「海」**が決壊したのだ。
自身を遥かに凌ぐ呪力総量に馬鹿げた出力。
それは呪術師という枠すら超えていた。
『――幕開け』
『――虚像の正義』
グラウンドの土が震え、小石が浮き上がる。
水都の背後に、巨大な「水の龍」の幻影が揺らめくのを、五条は確かに視た。
(なんだこれ。呪力……だよな? 僕の六眼でも解析しきれねぇ……!)
『――孤独な玉座』
『愛の盃』
戦慄。
だが、次の瞬間、五条の背筋を駆け上がったのは、猛烈な歓喜だった。
孤独な最強。
並び立つ者のいない頂点。
だが今、目の前の少女は、間違いなく自分を殺しうる「最強」の領域に足を踏み入れている。
「はっ……ははは! すっげぇ!」
五条は構えた。
遊びではない。
本気の迎撃態勢。
赫か、蒼か、あるいは領域か。
彼が最善手を選ぼうとしたその時、水都が高らかに宣言した。
「――領域展開『
世界が蒼に染まる。 結界を閉じず、現実を侵食する神業。
高専のグラウンドが、校舎が、瞬く間に美しい深海の大劇場へと変貌していく。
泡が弾ける音は万雷の喝采の如く。
「素晴らしい……! これなら僕も楽しめそ――」
五条が興奮のあまり一歩踏み出した、その時だった。
ドサッ。
「……え?」
五条の視界から、水都の姿が消えた。
視線を下に向けると、そこには白目を剥いて地面(海底)に倒れ伏す、水神様の姿があった。
「…………は?」
五条は呆然と立ち尽くす。
領域展開は維持されている。
凄まじい水圧と、神々しいまでの呪力は健在だ。
だが、術者本人がピクリとも動かない。
「おい、梨那? ……あー」
五条は六眼で彼女の状態をスキャンし、すぐに事態を理解した。
領域の縛り――『命を削る喝采(ブラッド・チケット)』。
彼女は自身の式神と領域の出力を爆発させる代償として、**「自身の血液」**をコストに支払っていたのだ。
神座解放による身体への負荷。
領域展開による呪力の大量消費。
そして、縛りによる急速な失血。
結果――重度の貧血(立ちくらみ)による気絶。
「…………」
五条は、まだ誰もいない観客席に向かって何かを演じている式神(タコ)を横目に、深いため息をついた。
「バカなの? 死ぬ気なの?」
緊張感もへったくれもない結末。
五条は倒れている水都の襟首を掴んで持ち上げる。
意識のない彼女は、まるで釣られた魚のように力なく揺れていた。
「……ま、合格点はやってやるよ。面白いモン見れたしな」
五条は、気絶してもなお『諭示裁定カーディナル』を離さない彼女の手を見て、苦笑した。
領域が解除され、海水が光の粒子となって霧散していく。
「次は倒れる前に殴らせろよな、自称水神様」
最強の術師は、最強になり損ねたポンコツな神様を抱え、保健室(家入硝子のもと)へと歩き出した。
これが、二人の間に確かな「信頼」と「呆れ」が生まれた、最初の日となるのだった。
渋谷事変後の禪院家に関してどっちにするか迷ったので
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直哉:「僕はマグロやない特級や」ルート
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直哉:「人の心が無いんか?自分」ルート