ある日の高専、放課後の教室にて。
夕陽が差し込む教壇の上で、その少女――水都梨那(みずみや りな)は、まるでオペラの舞台に立つプリマドンナのように大袈裟に両手を広げていた。
手には愛用のステッキであり、特級呪物でもある『諭示裁定カーディナル』が握られている。
「いいかい? 君たちは『黒閃』を単なるラッキーパンチか何かと勘違いしていないかな?」
彼女の前に座らされているのは、虎杖悠仁をはじめとする一年生たちだ。
水都は、その特徴的なオッドアイを輝かせ、自身の白髪をふわりと払う。
「黒閃……それは、呪力が打撃との誤差0.000001秒以内に衝突した際に生じる空間の歪み。威力は大体2.5乗らしい。教科書通りの説明なら伊地知君にでも聞けばいい。だが、この僕、特級術士たる水都梨那が語るのは、その『本質』だよ!」
彼女は芝居がかった口調でそう宣言すると、あらかじめ用意しておいた高級洋菓子店のケーキをフォークで一口つまみ、至福の表情を浮かべた。
甘いものには目がないのだ。
「ん〜っ、デリシャス! ……コホン。さて、僕の解釈を聞きたいかい? 聞きたいだろうとも!」
誰も返事をしていないのに、彼女は満足げに頷く。
「黒閃とはね、言うなれば『舞台のスポットライトが完全に演者と重なる瞬間』さ。演者(術師)の肉体というアクションに、照明(呪力)が遅れて追いつき、世界という観客の視線が一点に集中する……その刹那、演劇は爆発的な喝采(エネルギー)を生むんだ」
彼女はステッキで空中に円を描く。
「通常、呪力というものは肉体の操作に遅れるものだ。だが、その遅れが極限まで縮まり、しかし完全に同時ではないという絶妙な『溜め』が生まれた時――空間そのものが、その一撃を祝福し、黒くスパークする。これこそが最高のショータイムじゃないか!」
水都は机から飛び降り、カツカツとヒールを鳴らして虎杖に近づく。
「黒閃を経験した術師は『ゾーン』に入ると言うね。僕に言わせれば、それは『主役(ソリスト)の時間』だ。周りの動きが手に取るようにわかり、自分だけが世界の中心で踊っているような万能感……。僕の領域展開『万海蒼宴舞(ばんかいそうえんぶ)』におけるテンションの高まりにも似ているかもしれないね」
彼女は自信満々に語るが、実は彼女自身の経験によるものではない。
しかし、その態度はあくまで尊大で、あたかも全てを掌握しているかのように振る舞う。
それは彼女が前世から身につけているロールプレイであり、水神としての虚勢でもある。
「ま、僕の場合は? サロン・ソリティアの『ゲスト』たちが勝手に敵を殲滅してしまうからね。自ら拳を振るって黒閃を狙うなんて野蛮な真似はしないし、それは君たち前衛の役目というものさ」
そう言って彼女は肩をすくめ、再びケーキへと向き直る。
「精々、僕の舞台を盛り上げるためにその『黒い火花』とやらを散らしてみせたまえ。君たちの活躍次第では、この僕が特別に『喝采』を送ってあげなくもないからね!」
そう締めくくると、彼女は優雅に紅茶を啜った。
その瞬間、教室の引き戸がガララッと思い切りよく開け放たれた。
「やあやあ、名演説だったねぇ水都! 僕も聞き惚れちゃったよ」
入ってきたのは、黒い目隠しをした長身の男――五条悟である。
その隣には、ベージュのスーツを着こなした七海建人が、呆れたような溜息をつきながら立っていた。
水都は、紅茶のカップを口元で止めたまま、ギクリと身を硬くする。
「げッバカ目隠しに七海先輩……ふふん、僕の講義を聴講しに来るとは感心だね。だが残念、チケットは完売だよ?」
彼女は精一杯の虚勢を張って微笑んだ。
しかし、最強の呪術師はニカッと笑い、残酷な事実を無邪気に突きつける。
「いやー、いい例えだったよ。スポットライトとか喝采とかさ。でもさぁ――」
五条は虎杖たちの後ろから、水都を指差して言った。
「水都は出したことないじゃん」
凍りつく教室。
水都の表情が、ピキリと固まる。
追い打ちをかけるように、七海が眼鏡の位置を直しながら冷静な声で続けた。
「ええ。そもそも貴女の戦闘スタイルは式神による遠隔制圧。自ら拳を振るう機会など皆無に等しい。黒閃の経験という意味では……貴方は未経験でしょう」
…………。
教室に、重苦しい沈黙が流れた。
先ほどまで目を輝かせて水都の「ソリストの時間」論に聞き入っていた虎杖、伏黒、釘崎の三人の表情が、みるみるうちに虚無へと変わっていく。 彼らの目は、まるで漫画のように点になっていた。
( ・・) (・・ ) ( ・_・)
「……え、水都さん?」
虎杖が恐る恐る口を開く。
「今の話、全部想像だったんスか……?」
「ち、ちが……っ!」
水都はカップをソーサーにガチャリと戻し、慌てて立ち上がる。
顔は真っ赤だ。
「ち、違うのだよ君たち! できないんじゃない、やらないだけさ! いいかい? 僕のような高貴な存在が、汗水垂らして殴り合いをするなんてナンセンスだろう!? 僕には『サロン・ソリティア』の優秀なゲストたちがいるんだからね!」
彼女は必死にステッキを振り回して弁解する。
「それに! 理論は完璧だ! 僕は特級だよ!? 理屈さえ分かっていれば、経験の有無など些細な問題に過ぎない! そう、これは演出家としての視点からのアドバイスであって……!」
「はいはい、言い訳は見苦しいよーフリーナちゃん」
五条がケラケラと笑い、七海は「時間の無駄でしたね」と手元の時計に目を落とす。
「う、ううう……っ! 見ていたまえ! いつか僕だって、華麗なる一撃で黒い火花を散らしてみせるからね!」
生徒たちの点になった目は、もはや同情の色を帯びていた。
偉大なる水神(の演技をする少女)の威厳は、最強と脱サラ術師のたった二言によって、あえなく崩れ去ったのであった。
「ええい、バカ目隠しぃ! 余計なことを言うんじゃないよ! 僕のカリスマが台無しじゃないか!」
顔を真っ赤にした水都は、なりふり構わず五条へと詰め寄った。
ステッキを振り回すのは流石に危ないと思ったのか、彼女はその小さな拳を握りしめ、ポカポカと猫のように五条の顔面を叩こうとする――否、通常であれば、その拳は『無下限呪術』によって触れることすら叶わないはずだった。
五条もまた、ニヤニヤと笑いながらその「抵抗」を受け流すつもりでいた。
「はいはい、ごめんって。でも事実だしさ〜」
その油断が、奇跡(あるいは事故)を招く。
「うるさいうるさいうるさい! この……っ、デリカシーなしの目隠し野郎め!」
羞恥と焦燥。
極限まで高まった感情は、無意識のうちに彼女の呪力を爆発的に活性化させた。
水都梨那の呪力特性――それは『原始胎海』に由来する【希釈】と【還元】。
あらゆる術式構成を強制的に分解し、無害な水へと還すその性質は、五条悟の絶対不可侵である『無限』のバリアさえも例外ではなかった。
インクが一滴、海に落ちても色が変わらぬように。
彼女の拳に纏わりついた濃密な水の呪力が、接触した瞬間に五条の術式を「洗い流した」のだ。
五条の六眼が(あ、やべ)と認識した時には、もう遅い。
術式の盾を貫通した水都の拳は、羞恥心による全力の加速と、五条への接触という極小のタイミングが、神懸かり的な確率で合致してしまっていた。
――打撃との誤差、0.000001秒以内。
空間が、黒く歪む。
ドォォォォォンッ!!
「ぶっ!!?」
鈍い打撃音と共に、黒い火花――『黒閃』が盛大にスパークした。
教室の窓ガラスがビリビリと震え、衝撃波が虎杖たちの前髪を吹き上げる。
最強の呪術師、五条悟の体が、まるでマンガのようにくの字に折れ、教室の壁際までスパーンと吹っ飛んだ。
「……」
「……」
「……」
拳を振り抜いたポーズのまま固まる水都。
壁にめり込み、ズルズルと落ちてくる五条。
そして、顎が外れんばかりに口を開けている虎杖、伏黒、釘崎、七海。
土煙が晴れていく教室の隅で、現代最強の呪術師・五条悟は瓦礫の山に背を預けたまま、呆けたように天井を見上げていた。
彼の整った顔立ちの左頬が、じわりと赤く腫れ上がっていく。
常時発動しているはずの『無下限呪術』――対象の接近を無限に遅延させ、あらゆる攻撃を無効化する絶対不可侵の盾。
それが破られたという事実は、物理的な痛み以上に、その場の全員の思考を停止させていた。
「いっ……たぁ〜……」
沈黙を破ったのは、五条の間の抜けた呻き声だった。
彼は自身の頬をさすりながら、信じられないものを見るように、指先に付着したわずかな血を見つめる。
「マジで? 僕、今殴られた? しかも黒閃で?」
その言葉に、凍りついていた時間が動き出す。
「あり得ません」
七海建人が、普段の冷静さをかなぐり捨てたような声量で言った。
眼鏡の奥の瞳が、驚愕に見開かれている。
「五条さんの無下限を突破すること自体が異常事態ですが……それ以上に、今の『黒い火花』。間違いなく黒閃でした」
七海は鋭い視線を、拳を振り抜いたまま硬直している水都梨那へと向けた。
「水都さん。貴方の呪力特性は確か……【希釈】と【還元】ですね?」
「え……あ、う、うん?」
水都は我に返り、ビクリと肩を震わせた。
「あらゆる術式構成を強制的に分解し、無害な水へと還元する。その特性が、五条さんの術式さえも洗い流してしまった。……理論上は可能かもしれませんが、まさかこのタイミングで黒閃と共に決めるとは」
七海は感服と呆れが入り混じった溜息をついた。
虎杖悠仁が目を輝かせて水都に詰め寄った。
「すっげえええええ!! 水都さんマジかよ!! 五条先生ぶっ飛ばして黒閃まで出すとか、とんでもねぇじゃん!!」
「……いや水都さん、あんた何者だよ……」
伏黒恵もまた、冷や汗を流しながら呟く。
あの五条悟に一撃を入れる難易度を知り尽くしている彼にとって、今の光景は天変地異に等しい。
「……は、ははは!」
賞賛の嵐の中、水都は乾いた笑い声を上げた。
内心は、パニックの極致にあった。
(やっちゃったやっちゃったやっちゃった!! 勢いでバカ目隠しを殴っちゃったよ!?)
彼女の背中を冷たい汗が伝う。
しかし、彼女は「フリーナ」としてのロールプレイを崩すわけにはいかない。
ここで謝れば、今まで築き上げてきた「偉大なる水神」としての威厳が崩壊してしまう。
彼女は震える足を隠すように、バッとマントを翻した。
「ふ、ふふふん! 見たかい君たち! これぞ神の怒り、これぞ『喝采』の一撃だ!」
彼女はビシッと指を突きつけ、瓦礫に埋もれた五条を見下ろす。
「いいかいバカ目隠し! 僕が普段、前線に出ないのは、僕が強すぎるからなのだよ! 僕が本気を出せば、君の自慢のバリアごと粉砕してしまうからね! 分かったら二度と僕を『未経験』などと揶揄うんじゃないぞ!」
精一杯の虚勢。
しかし、その言葉を聞いた五条は、腫れた頬をさすりながら、ニカッと楽しそうに笑った。
「あーあ、一本取られたね。すごいよ水都、君の呪力特性、僕の天敵じゃん」
五条はひょいと瓦礫から起き上がると、埃を払いながら水都に歩み寄る。
その瞳には怒りの色はなく、むしろ新しいオモチャを見つけた子供のような好奇心が宿っていた。
「ガードの上から殴れる相手なんて久しぶりだよ。ねえ、今のもう一回やってみてよ。次は避けないでちゃんと受けるからさ」
「ひっ……!」
詰め寄る最強の威圧感に、水都の喉から小さな悲鳴が漏れそうになる。
「さ、さあて! 今日の講義はここまでだ! 僕は忙しいからね、これにて失敬させてもらうよ!」
「あ、逃げた」
「逃げたな」
「逃げましたね」
そそくさと教室から退出していく水都の背中を見送りながら、生徒たちは顔を見合わせる。
その日、高専内に一つの噂が駆け巡ることとなった。
『特級呪術師・水都梨那は、ブチ切れると五条悟すらワンパンで沈める』
それは半分は誤解だが、半分は紛れもない事実として、彼女の「最強」伝説に新たな1ページを刻むことになったのである。
空港の話で七海と灰原がいないのは生きてるからって事に今した。
渋谷事変後の禪院家に関してどっちにするか迷ったので
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直哉:「僕はマグロやない特級や」ルート
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直哉:「人の心が無いんか?自分」ルート