▲▲国際空港、到着ロビー。
自動ドアが開くと同時に、日本の湿った空気が肌にまとわりつく。
海外任務から帰国したばかりのその少女――水都梨那は、白髪を揺らしながら、特徴的なオッドアイを細めた。
「ふふん、やはりこの国の空気は僕の肌には少し重たいね。だが、それもまた一興! さあ、凱旋だ! まずは甘いケーキで長旅の疲れを癒やすとしようか!」
(うわぁああ疲れた! やっと帰ってこれたよぉお! エコノミー症候群になるかと思った! 早くふかふかのベッドで寝たい!)
彼女はカツカツとヒールの音を響かせながら、迎えの車を探して視線を巡らせる。
その時だった。
雑多な群衆の中に、見知った――しかし、あり得ないはずの法衣の男の姿を見つけたのは。
(ん……? あれは……)
黒い長髪。
袈裟。
そして、どこか人を食ったような笑み。
かつて処刑されたはずの特級呪詛師、夏油傑。
(げ、夏油……!? なんで生きてるの!? バカ目隠しが殺したんじゃなかったっけ!?)
水都の心臓が早鐘を打つ。
幽霊か?
それとも見間違いか?
だが、彼女の六眼にも劣らぬ呪力感知能力は、その男から放たれる禍々しい気配を捉えていた。
しかし、どこか違和感がある。
かつての夏油とは違う、もっと湿度の高い、粘着質な呪い。
水都は慌ててスマートフォンを取り出し、短縮ダイヤルを押した。
相手は高専時代の同級生であり、現在は補助監督を務める伊地知潔高だ。
「……はい、伊地知です」
「伊地知! 僕だ! 今空港にいるんだが、信じられないものを見た! 死んだはずの夏油傑が歩いているぞ! これは一体どういう演出だい!?」
水都は極力尊大に振る舞おうとしたが、声の端々に動揺が滲む。
電話の向こうで、伊地知が息を呑む気配がした。
「……水都さん、帰国されたんですね。落ち着いて聞いてください」
伊地知の声は震えていた。
「それは夏油傑ではありません。彼の肉体を乗っ取った何者か……『加茂憲紀』と呼ばれる呪詛師です」
「乗っ取った……? 死体をかい? 悪趣味な脚本だね」
「それと……五条さんが、五条悟が、その夏油によって封印されました」
「は?」
水都の思考が停止した。
あの天井知らずのバカ目隠しが?
現代最強の術師が?
封印?
「……冗談にしては笑えないよ、伊地知。あのバカ目隠しが負けるわけがないだろう」
「事実です。現在、呪術界は未曾有の混乱状態にあります。水都さん、あなたは特級術師として――」
通話の途中だったが、水都はスマホを下ろした。
視線の先、人混みを縫って歩く“夏油傑”――羂索と目が合ったからだ。
その額には、以前にはなかった奇妙な縫い目があった。
(あれが……五条を封印した黒幕……)
水都の背筋に冷たいものが走る。
(バカ目隠しを倒した相手とか絶対無理だって! 逃げたい! 今すぐ回れ右して海外にトンボ返りしたい!)
内心では泣き喚きながらも、水都は震える膝に力を込め、ステッキ代わりの片手剣『諭示裁定カーディナル』の柄を握りしめた。
一方、羂索もまた、水都の存在に気づいていた。
「……おや」
羂索は立ち止まることなく、隣を歩く白髪のおかっぱ頭の呪詛師――裏梅に目配せをした。
「面倒なのと会っちゃったね。あれは水都梨那。五条悟に次ぐ化け物だ」
「……殺すか?」
「いや、今はよそう。五条悟封印の後始末で忙しいんだ。それに、彼女の術式は少し厄介でね。まともにやり合うと骨が折れる」
羂索にとって、水都梨那は想定外のイレギュラーに近い存在だ。
その無尽蔵の呪力量で操る『水精操術』は軍隊に匹敵する制圧力を持つ。
何より、その本質が不可解すぎる。
羂索は興味なさげに視線を逸らし、素通りを決め込もうとした。
「無視するとは良い度胸だね! この僕、水都梨那を前にして!」
水都が虚勢を張って声を上げようとした、その瞬間。
ピタリ、と裏梅の足が止まった。
その冷徹な瞳が、水都を凝視する。
裏梅が感じ取ったのは、水都の内側にある“海”。
呪術師として到底人間に収まる力ではない。
もっと根源的な、宿儺の側近である裏梅だからこそ感じ取れる、異質な“格”。
そして何より、裏梅にとって、水都が纏う気配は、天敵そのものだった。
「……貴様」
裏梅の顔色が変わり、喉の奥から絞り出すような絶叫が迸る。
「何だそのふざけた“水”は……!!」
「えっ」
水都が間の抜けた声を上げる間もなく、裏梅の手から殺意の篭った氷塊が放たれた。
「ちょ、ちょっと待っ――!?」
ドォォォォン!!
空港のロビーに爆音が響き渡る。
とっさに展開された『サロン・メンバー』の“クラバレッタさん”が重厚なハサミで氷を防いだが、衝撃で周囲のガラスが砕け散った。
「これは見逃してくれないか」
羂索がやれやれと肩をすくめるが、裏梅は止まらない。
本能的な嫌悪と警戒。
水都の持つ力が、受肉体や呪物にとって猛毒であることを察知したのだ。
一般客の悲鳴が上がる。
パニックになる空港。
水都は顔を引きつらせながらも、瞬時に役に入り込んだ。
「
水都は『諭示裁定カーディナル』を掲げ、高らかに宣言する。
「いいだろう、その無作法……この僕が裁いてやる! だが、ここは僕の舞台には狭すぎる!」
彼女の足元から、あり得ない質量の水が溢れ出した。
式神の能力だけを顕現し馬鹿げた水量を現実に出力する。
空港の床が、壁が、天井が、瞬く間に青い水流に飲み込まれていく。
「なっ……!?」
羂索が目を見開く。
結界術ではない。
領域展開ですらない。
ただ、物理的な水流による物理的な移動。
「ようこそ、僕の海へ! さあ、場所を変えようか!」
津波のような激流が羂索と裏梅を呑み込み、空港の外――遥か上空へと彼らを押し流していく。
水都自身も水流に乗り、サーフィンのように優雅に(と見えるように必死でバランスを取りながら)彼らを追う。
「まったく……帰国早々、とんだサプライズパーティーじゃないか!」
水都梨那の、そして水神フォカロルスの“演技”が、幕を開けた。
空港の上空、水都が作り出した巨大な水流は、滑走路脇の開けた空間へと雪崩れ込み、即席の“舞台”を形成していた。
水飛沫が霧のように舞う中、水都はカツリとヒールを鳴らして着地する。
「さて、第二幕といこうか。諸君!」
水都は右手に握る『諭示裁定カーディナル』を優雅に振るうと、自身の衣装と髪型を一瞬で変化させた。
深い青を基調とした
それは攻撃的な性質を捨て、慈愛と回復を司る形態。
「君に捧げよう!」
彼女の背後に、純水精霊のような姿をした歌手が顕現する。
歌い手が奏でる旋律は、範囲内の味方の傷を癒やす回復の波動だ。
通常、水都は自身のHPを削って攻撃力を高めるが、今は違う。
(今は僕一人だけだ、下手に自傷するのはマズい。美しくは無いがゾンビ戦法でいくッ!!)
内心で悲鳴を上げながら、水都は地面を蹴った。
遠距離攻撃の撃ち合いではなく、あえて格上の羂索への接近戦を選択する。
「ほう、式神使いの割に術師本人が突っ込んでくるとはね」
羂索は不敵に笑い、袈裟の袖を払った。
その周囲の空間が歪み、どす黒い呪力の穴が開く。
夏油傑の肉体が持つ術式『呪霊操術』。
「行け」
羂索の号令と共に、無数の呪霊が弾丸のように水都へ殺到した。
一つ目、多脚、羽蟲のような異形たち。
それらは決して低級ではない。
一級術師でも手を焼くレベルの呪霊が混じっている。
「邪魔だァァッ!!」
水都は『諭示裁定カーディナル』を横薙ぎに一閃する。
剣術の心得など、高専で数年習った程度。
呪力による強化された膂力と、武器そのものの性能に任せた力任せの斬撃だ。
しかし、その剣には水都の呪力特性である『原始胎海』が十分に乗っている。
触れた呪霊の呪力構成が、インクが海に溶けるように強制的に希釈され、霧散していく。
だが、数は羂索が圧倒的だ。
撃ち漏らした呪霊の爪が、水都の脇腹を抉り、鋭い牙が肩に突き刺さる。
「ぐっ……!」
鮮血が舞うその刹那。
背後の『衆の水の歌い手』が歌声を張り上げると、水都の傷口が水に覆われ、瞬きする間に塞がった。
(いったぁぁぁい!! もう治ってるけどやっぱり痛いじゃないかバカァ!!)
再生速度は反転術式のそれを凌駕し、まるで傷など最初からなかったかのように肌が戻る。
「なるほど、絶え間ない
羂索は冷静に分析しながらも、自身の体術で水都の剣をいなす。
五条悟とも渡り合えるほどの体術を持つ夏油に対し、水都の剣技は拙い。
だが、水都は「防御」を捨てていた。
斬られようが殴られようが、即座に回復する。
その異常なタフネスと、触れれば術式を無効化される“水”の剣が、羂索に回避を強要させているのだ。
「裏梅!」
羂索がバックステップで距離を取った瞬間、死角から裏梅が飛び出した。
その掌には極低温の呪力が凝縮されている。
「氷凝呪法『霜凪(しもなぎ)』!!」
裏梅の放った冷気が、物理法則を無視した速度で水都を凍結せんと迫る。
水都の足元の水たまり、そして空中の水分が一瞬で氷結の刃へと変わり、彼女の全身を貫こうとした。
「宿儺様の為……ここで砕け散れ!!」
だが、水都は焦らない。
彼女はニヤリと笑い(顔は引きつっていたが)、ステッキのように剣を掲げた。
「僕の海は、凍てつくことなどない!」
水都の足元から、爆発的な質量の水が噴き上がった。
それは裏梅の氷を飲み込み、包み込む。
本来なら、水は氷に冷やされ凍りつくはずだ。
しかし、この『原始胎海』の水は違う。
圧倒的な「量」と「濃度」が、裏梅の氷結の術式そのものを希釈し、ただの冷たい水へと還元していく。
「なッ……私の氷が、溶かされた……!?」
裏梅が驚愕に目を見開く。
氷塊は水都に届く前に形を失い、ビシャビシャと虚しく降り注ぐ雨となった。
「残念だったね! コップの水なら凍るだろうが、海を凍らせるには君の氷(呪力)は少なすぎる!」
水都は回復した身体で、再び羂索へと肉薄する。
その瞳(オッドアイ)は、恐怖と興奮が入り混じった奇妙な輝きを放っていた。
(いける……! 痛いけど、死ぬほど怖いけど、これなら戦える!)
「しつこいね、君も」
果てしなく続くかと思われた泥仕合。
水都の『諭示裁定カーディナル』が幾度目かの斬撃を繰り出し、それを羂索が呪霊を盾にして極小のうずまきを放つ。
飛び散る水飛沫と呪いの残穢。
水都の体は既にボロボロだったが、背後の『衆の水の歌い手』が奏でる癒やしの旋律が、瞬時に肉体を縫い合わせ、彼女を戦線に立たせ続けていた。
「はぁ……はぁ……どうだい? 僕の演舞は! 君が音を上げるまで、この舞台は終わらないよ!」
水都は息を切らしながらも、不敵な笑みを浮かべて挑発する。
(痛い痛い痛い! 感覚麻痺してきたけど精神が持たないよぉおお!)
そんな水都の“虚勢”と“本音”の乖離を見透かしているのか、羂索はふぅ、と小さく溜息をついた。 袈裟の袖が風にはためく。
その表情から、先程までの遊ぶような余裕が消えていた。
「君のその再生能力と、術式を希釈する特性……実に鬱陶しいね」
羂索は冷めた瞳で水都を見下ろした。
これ以上の長期戦は、五条悟封印後の不安定な状況下ではリスクでしかない。
彼は決断する。
目前のイレギュラーを、確実に圧殺することを。
羂索が両手を合わせ、掌印を結ぶ。
「領域展開」
空気が凍りついた。
水都の肌が粟立つ。
本能が警鐘を鳴らす。
「『胎蔵遍野(たいぞうへんや)』」
ズズズズズ……ッ!! 世界が塗り替わる。
水都の背後に、巨大な“樹”が聳え立った。
無数の、苦悶と絶望に歪んだ「顔」が積み重なり、幹を成している。
上部には磔にされた妊婦。
成田の空が、おぞましい赤黒い結界に侵食されていく。
だが、水都が驚愕したのはそのビジュアルだけではなかった。
「結界が……閉じない!?」
そう、この領域には空間を分断する「壁」がない。
現実世界というキャンバスの上に、羂索の領域が直接上書きされている。
それは神業(かみわざ)。
現代では両面宿儺と水都のみが至れる、結界術の極致。
動揺する水都に対し、羂索は淡々と、しかし朗々と語り始めた。
自身の術式効果をさらけ出し、リスクを負うことで効果を必殺へと昇華させる『術式の開示』。
「私の領域は結界で空間を分断しない。故に、相手に逃げ道を与えるという“縛り”が発生する」
羂索の声が、領域内に反響する。
「そして、この領域に付与された必中の術式は――『
「呪霊操術ではなく、重力?」
水都が顔を上げた瞬間、羂索がニヤリと笑った。
「『重力』だよ」
術式開示によるバフが乗った必中効果が、水都を襲った。
ガァァァンッッ!!!
「ぐ、ぎゃああああっ!?」
(くっそッ 今の開示か)
水都の体が、見えない巨人の掌で叩き潰されたかのように地面へめり込んだ。
アスファルトがクレーター状に陥没する。
全身の骨がきしむ音などという生易しいものではない。
内臓ごと押し潰される圧倒的なG(重力)。
水都は地面に這いつくばり、指一本動かせない。
口から吐血し、眼球が飛び出しそうになる圧迫感。
本来なら、この一撃で肉塊に変わっていてもおかしくはなかった。
「すごいね君……今の出力(おもさ)に耐えるか」
羂索が感心したように眉を上げる。
水都の周囲――彼女を包み込むように展開された『原始胎海』の水が、超高圧で圧縮されながらも、彼女の肉体を守るクッションとなっていたのだ。
重力という術式効果さえも、水都の水は「触れた端から希釈」し続けている。
だが、領域の必中効果と『術式の開示』による出力上昇は凄まじい。
希釈が追いつかず、水ごと押し潰されそうになる。
「ぐ、ぅ……ぁ……!」
水都は震える手で『諭示裁定カーディナル』を杖にし、必死に首を持ち上げた。
顔は泥と血にまみれている。
それでも、彼女は“水神”としての演技を捨てない。
捨てれば、恐怖で心が折れて死ぬからだ。
「……ふ、ふふ……重力が、なんだって……?」
ミシミシと音を立てる体で、水都は血の混じった笑みを浮かべる。
「彼女の背負う……フォンテーヌの……『予言』の重さに比べれば……こんなもの、羽毛のように軽いねッ!!」
(嘘嘘嘘!! 惑星背負ってるくらい重いです!バカ目隠しぃぃ! 七海先輩ぃぃ! 助けてぇぇぇ!!)
「減らず口を。なら、潰れるまで加重するだけだよ」
後半素がでてらっしゃる
渋谷事変後の禪院家に関してどっちにするか迷ったので
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直哉:「僕はマグロやない特級や」ルート
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直哉:「人の心が無いんか?自分」ルート