「では、僕はこれで失礼するよ。最高のケーキと紅茶が僕を待っているからね!」
迎えにきた伊地知に死体の残る現場を押し付け、颯爽と立ち去ろうとした水都だったが、ふと足を止めた。
彼女の視界の端――水溜まりの中に沈む、夏油傑の損壊した法衣のポケットから、濡れていない何かが覗いていたからだ。
(ん……? なんだあれ。触りたくないけど……なんか気になる……)
水都は眉をひそめながら指先を振るう。
クラバレッタさんが現れ、その紙片を摘み上げて彼女の手元へと運んできた。 それは、航空券(ボーディングパス)だった。
「……▲▲発、ワシントンD.C.行き?」
搭乗時刻は、今日の夕方。
ファーストクラス。
水都の脳内で、嫌な予感が警鐘を鳴らした。
(待って待って。こいつ、バカ目隠しを封印した後に海外旅行に行くつもりだったの? 優雅すぎない? ……流石に、違うよね。仮にも呪詛師でしょ? ただの観光なわけがない)
水都の中の何かが告げている。
これは、次の「仕込み」だ。
日本国内での死滅回游だけでなく海外も巻き込んだ何らかの計画。
(見なかったことにしたい! 破り捨てて帰りたい! でも……もしこれを放置して、後で何かあったら? その時、「なんで気づかなかったんだ」って責められるのは……僕!?)
『水神』として、それは許されない。
民を導く水神としても、怒られたくない小市民としても、災厄の芽は見逃せないのだ。
たとえ、今すぐふかふかのベッドにダイブしたくても。
「……はぁ」
深く、深く溜息をつく水都。
その溜息さえも演劇の一幕のように優雅に見せかけ、彼女はくるりと踵を返した。
「伊地知!!」
ビクゥッ! 頭を抱えておろおろしていた伊地知が、直立不動になる。
「は、はいッ!」
「予定変更だ。ケーキはお預けにする」
「えっ? し、しかし水都さん、ボロボロですし、まずは高専に戻って硝子さんに……」
「そんな暇はないと言っているんだ! 見たまえ、これを」
水都は航空券をピラつかせる。
「加茂憲紀は、この国を地獄に変えるだけでなく、外の世界まで巻き込むつもりだったらしい。……ワシントンだ。合衆国大統領との会談か、あるいは軍部との密約か……いずれにせよ、放置すれば『舞台』は台無しになる」
「ア、アメリカですか!? 今から!?」
伊地知が絶句する。
五条悟が封印され、呪術界がひっくり返っているこの状況で、特級戦力である水都まで国外へ出るなど、正気の沙汰ではない。
「行かせませんよ! 今は一刻も早く事態の収拾を……!」
「伊地知、君はバカ目隠し復活の術を探すために高専へ帰りたまえ。それが君の役目だ。それにいつまでも僕たちが居るとは限らない。下の世代にとってはいい経験だろう?」
水都はビシッと伊地知を指差す。
その瞳は、有無を言わせぬ光を放っていた。
「そして僕の役目は、この物語のエンドロールを汚す染みを、徹底的に洗い流すことだ! ……安心したまえ。向こうに着いたら、現地のスイーツでも食べながら優雅に調査してくるさ」
(嘘です本当は行きたくない! エコノミー症候群の恐怖再び! でも行かなきゃ後が怖いんだよぉぉ! 誰か代わりに行ってよぉぉ!)
内心で泣き喚きながら、水都は伊地知に背を向け、破壊されたロビーではなく、まだ機能している出発ゲートの方へと歩き出した。
「ちょ、水都さん! パスポートは!? チケットは!?」
「僕は水神だよ? 顔パスに決まっているだろう!(※帰国したばかりでパスポートは手元にある。チケットは今拾った)」
スタスタと歩き去るその背中は、あまりにも小さく、しかし頼もしく見えた。
伊地知は呆然と見送るしかなかった。
彼女が去り際に、小声で「……機内食は一番いいやつを出させるからな、絶対だぞ……」と呟いていたことには気づかずに。
こうして、水都梨那の休息は遠のいた。
空港での激闘を終えたその足で、彼女は次なる舞台――アメリカ合衆国へと飛び立つ。
そこに待ち受けるのが、呪力エネルギーを狙う軍産複合体の陰謀か、それとも単なる高カロリーな
アメリカン・スイーツか。
カッコつけてアメリカへ向かったのが1週間前
太平洋上空、高度一万メートル。
ファーストクラスの広々としたシートに身を沈めながら、水都梨那はふぅ、と重いため息をついた。
手元には、甘すぎて半分も食べられなかったアメリカン・サイズの極彩色ケーキ。
(信じられない! 本当に何にもなかった! ただの観光旅行じゃん!)
ワシントンD.C.での調査結果は、驚くべきことに「シロ」だった。
羂索が接触しようとしていた形跡はあった。
しかし、軍産複合体や政府要人との交渉は、羂索本人が水都の手によって露と消えた瞬間、糸が切れた凧のように立ち消えていたのだ。
羂索という「交渉役」不在の計画など、所詮は絵に描いた餅。
米軍が呪力を求めて日本に侵攻する――そんな最悪のシナリオは、水都が羂索を瞬殺したことによって未然に、そして誰にも知られることなく防がれていたのである。
「……僕を日本から追い出す作戦だったのかな? 自分が死んでまで? そんなわけないか」
(羂索が死んだら忘れる縛りでもあったのかなぁ)
水都は窓の外に広がる雲海を見つめ、虚勢を張って呟く。
内心では『あ〜あ! これならもう少しゆっくり観光してくればよかった! ホワイトハウスの前で自撮りくらいしたかったよ!』と地団駄を踏んでいたが。
しかし、機体が日本列島に近づくにつれ、水都の肌にピリピリとした不快な感覚が戻ってきた。
加茂憲紀は倒した。
だが、まだ終わっていない。
この国にはまだ、もう一人の「王」が残っている。
帰国した水都を待っていたのは、賞賛の嵐でも、凱旋パレードでもなかった。
張り詰めた空気と、決死の覚悟を決めた術師たちの顔。
「おかえりなさい、水都さん。お疲れのところ申し訳ありませんが、すぐにブリーフィングに入ります」
出迎えたのは、目の下に深い隈を作った伊地知。
「……やあ、伊地知。アメリカ土産のマカダミアナッツチョコを買ってきたんだが、どうやらそれどころではなさそうだね」
水都はスーツケースを放り出し、ヒールを鳴らして作戦室に入った。
第1幕へ続く
渋谷事変後の禪院家に関してどっちにするか迷ったので
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直哉:「僕はマグロやない特級や」ルート
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直哉:「人の心が無いんか?自分」ルート