京都の山奥、結界によって隠匿された呪術界の中枢――呪術総監部。
千年の長きにわたり日本の呪術界を裏から操ってきたこの魔窟は、今、かつてない混乱に包まれていた。
「報告! 結界が……天元様の結界が消失していきます!」
「馬鹿な!
豪奢な襖絵に囲まれた大広間で、顔を隠した老人たちが狼狽する。
彼らの権威を物理的・呪術的に守護してきた絶対的な安全圏が、音を立てて剥がれ落ちていくのだ。
その時、轟音と共に天井が弾け飛んだ。
瓦礫と粉塵が舞う中、夜空から二つの影が降り立つ。
一人は、ボンバージャケットを羽織った長身の女性、九十九由基。
もう一人は、ステッキを片手に感情が消えたような顔の少女、水都梨那。
「やあ、諸君! 随分とカビ臭い場所でコソコソと会議かい?」
水都は瓦礫の山を舞台装置のように使い、老人たちを見下ろして微笑んだ。
「貴様ら……! ここをどこだと思っている!」
上層部の一人が叫ぶが、九十九は耳をほじりながら鼻で笑った。
「どこって? ただのボロ屋敷だろ。もう『結界』はないんだから」
九十九が指を鳴らすと、総監部を幾重にも守っていたはずの強固な結界術が、薄氷が溶けるように霧散した。
彼女の背後には、かつての天元とは異なる、より力強く、洗練された呪力の奔流が渦巻いている。
「なっ……まさか、天元様と……!?」
「正っ解ッ!! 今の私は九十九由基であって、天元でもある。つまり、日本の全結界システムの管理者ってわけオーケー?」
九十九はニヤリと笑い、足元の床を軽く踏み抜いた。
それだけの動作で、特級術師の『質量』を乗せた衝撃が広間全体を揺らし、数人の老人が腰を抜かす。
「さて、と。舞台の準備は整った」
水都が『諭示裁定カーディナル』を高く掲げる。
その瞳の虹彩が、右と左で異なる光を放った。
「『審判』の時間だ、呪術界の癌細胞諸君! 君たちの長い長い支配という名の『三文芝居』は、これにて打ち切りだ」
「ふざけるな! 護衛は何をしている! 術師を呼べ!」
上層部が喚き散らすが、誰も来ない。
彼らが飼っていた護衛の術師たちは、既に水都が放った高水圧レーザーによって静かに無力化されていた。
「無駄だよ。キミらのスタッフ(術師)は、もう君たちの芝居には飽き飽きしているんだ」
水都は切なげに、しかし冷徹に告げた。
「君たちは、若者の青春を消費し、保身のために才能を磨り潰してきた。その罪は、万死に値する」
彼女が剣を振り下ろすと同時に、虚空から巨大な水流が発生した。
それは単なる水ではない。
万物を押し流す、水龍の権能を帯びた水だ。
「終わりだよ」
「高き者を、私は蔑む」
水都の号令に応じ迸る怒涛が放たれる。
九十九もまた、仮想の質量を乗せた拳を壁に叩き込み、建物の構造そのものを破壊していく。
「ヒィィッ!」
「や、やめろ! 我々がいなくなれば誰が呪術界を……!」
逃げ惑う老人たちの前に、水都が立ちはだかる。
彼女は、まるでダンスを踊るように軽やかにステップを踏みながら、絶望的な現実を突きつけた。
「心配無用。新しい脚本は既に書き上がっている。主役は僕たちと、これからの若者たちだ。君たちの席は、もうどこにもないんだよ」
ドォォォォォン!!
九十九の蹴りが建物の支柱を粉砕し、総監部が崩壊を始める。
崩れ落ちる瓦礫の中で、水都はスポットライトを浴びる主演女優のように、高らかに宣言した。
「これにて閉幕」
その夜。
呪術界の頂点として君臨し続けた総監部は、物理的に、そして政治的に消滅した。
瓦礫の山となったその跡地には、二人の特級術師だけが残されていた。
建国から数ヶ月――。
南洋に浮かぶ人工の楽園、フォンテーヌ(仮)にあるパレ・メルモニア風の執務室バルコニーにて。
夕日が白亜の街並みを茜色に染め上げる中、水都梨那は優雅にティーカップを傾け、その背後に立つ疲れ切った男に声をかけた。
「どうだい夏油傑。君の望んだ世界の姿は? 感想を聞かせてくれないか」
振り返った先には、かつて特級呪詛師として恐れられた男の見る影もない姿があった。
目の下には濃い隈を作り、髪は乱れ、高級な袈裟の代わりに動きやすい作業着の袖をまくっている。
その手には、報告書の束と共に、なぜか配管修理用のレンチが握られていた。
「……最悪だ」
夏油は重い足取りで手すりに歩み寄ると、美しい街並みを見下ろして深く溜息をついた。
「今日は1級術師が三人、泣きながら辞表を持ってきたよ。『呪霊を祓うのは得意ですが、下水管の詰まりを直す術式なんて持っていません』とね。……私も同感だ。なぜ私が、特級呪霊を操るこの手で、公衆便所の配管図面と格闘しなければならないんだ」
彼の声には、深い疲労と動揺が滲んでいた。
非術師(サル)を排除した世界。
選民された術師だけの楽園。
その理想の果てにあったのは、これまで「サル」たちが黙々と担っていた膨大な社会維持コスト
の山だった。
「電気もそうだ。私の呪霊たちがタービンを回し続けているが、私の睡眠中も脳みそのリソースが割かれているせいで疲れが取れない」
「ハハハ! それは傑作だね!」
水都は高らかに笑い、ステッキで石畳の床を鳴らした。
「君は気づいたはずだ。君が見下していた非術師(サル)たち――彼らが積み上げてきた『文明』というものの重さに」
水都はバルコニーから身を乗り出し、眼下に広がる街を指差した。
そこでは、術式を持たないが故にこれまで冷遇されていた低級の「窓」や補助監督たちが、現場監督として高位の術師たちに怒鳴り散らしながら建設作業を指揮しているという、皮肉な光景が広がっていた。
「いいかい夏油。君は『強者』だけで世界が回ると思っていた。だが現実はどうだ? 水道一つ、電気一つ、パン一枚焼くのにも、膨大な『弱者』の手が必要なんだ」
水都は諭すように、しかしどこか楽しげに言葉を紡ぐ。
「術師はあくまで『特異点』だ。マイノリティなんだよ。戦闘や除霊に特化した殺傷能力の高い生物兵器が、畑を耕し、道路を舗装し、コンビニのレジ打ちをする……。そんな適材適所を無視した社会構造が、破綻するのは当たり前だろう?」
「……ああ、痛感しているよ」
夏油は力なく笑った。
かつて「弱者生存」を否定した彼が今、その「弱者」たちが担っていた役割の欠落に殺されかけている。
「君が殺そうとした『サル』たちは、君が優雅にお茶を飲み、シャワーを浴び、清潔な服を着るための『土台』だったんだ。それを排除すればどうなるか……君たち自身が泥にまみれ、糞尿を処理し、火を起こす原始的な生活に戻るか――」
水都は振り返り、レンチを握りしめる夏油の目を見据えた。
「あるいは今のように、少数の『強者』が過労死するまで文明の維持に奉仕し続けるか。その二択しかない」
「……そんなもんだよ、社会なんてものは」
水都の言葉は、冷酷な現実(リアル)でありながら、どこか慈愛に満ちていた。
それは、かつて神を演じ続け、民衆という「弱者」の営みを500年間見つめ続けた者の視点でもあった。
「君の理想は美しかったかもしれない。だが、美しさだけでは腹は膨れないし、トイレも流れない。……どうだい? 少しは『サル』への見方が変わったんじゃないか?」
夏油はしばらく沈黙し、暮れなずむ海を見つめていた。
やがて、彼は握りしめていたレンチをポケットにしまい、自嘲気味に口角を上げた。
「……認めるよ、水都。私は傲慢だった」
夏油は視線を戻し、再び執務室へと足を向けた。
そこにはまだ、山のような「求人票(非術師の技術者募集)」の決裁書類が待っている。
「猿は嫌いだ。その感情は変わらない。……だが、彼らが作った『文明』のない世界で生きることは、もっと嫌だと気づいた」
「賢明な判断だ! さあ、なら仕事に戻りたまえ! 明日の朝までに、島全域の電力供給計画を見直すんだ! 頼んだよ、我が国の宰相くん!」
「……人使いが荒い神様だ」
背を向けて去っていく夏油の背中は、以前のような憑き物が落ちたように、少しだけ軽やかに見えた。
理想の楽園は地獄のような忙しさだが、少なくとも彼はもう、孤独な教祖ではなかった。
配管工事の打ち合わせが一区切りついた、午後のティータイム。
優雅に紅茶を啜る水都梨那が、不意に書類仕事に追われる夏油傑へと声をかけた。
「ところで夏油傑」
「なんだい?」
夏油は手元の『下水処理施設・人員配置計画書』から目を離さずに答える。
その横顔には、連日の激務による疲労が色濃く滲んでいた。
「君は五条悟に追いつきたいとか思わないのかい?」
その問いかけが落ちた瞬間、執務室の空気が凍りついた。
書類をめくる音が止まる。
傍らのソファでふんぞり返っていた五条悟が、サングラス越しに鋭い視線を投げかけ、夏油もまた筆を止めてゆっくりと顔を上げた。
「……おいていかれたのは俺だろ!」
五条が叫ぶように言った。
最強故の孤独。
善悪の指針であった親友の離反。
彼の中では、勝手に悩み勝手に去っていった夏油こそが、自分を置いていった側だった。
だが、夏油もまた、額に青筋を浮かべて食い気味に返す。
「私だろう! 君だけが最強に成った! 私は……!」
置いていかれたのはどちらか。 それは彼らの青春における最大の棘であり、決別したあの日から互いが抱え続けてきた澱だった。
一触即発の空気が流れる中、水都はカップをソーサーに戻し、呆れたように肩をすくめた。
「まぁどっちでもいいが、五条悟は最強じゃないぞ」
「「は?」」
二人の声が重なった。
何を言っているんだこいつは、という顔だ。
現代最強の術師に対し、あまりにも不遜な物言い。
だが、水都は悪びれる様子もなく、むしろ楽しげに目を細めた。
「僕は五条悟を正面から殺せる」
その言葉には、虚勢や冗談の類が含まれていなかった。
五条は六眼で彼女を見る。
底なしの呪力量、規格外の出力、そして触れた術式を強制的に「水」へと還元し無効化する特性。
「……その呪力特性でそのスペックなら、そうかもな。負けねぇけど」
五条は不敵に笑う。
たとえ相性が最悪でも、自分が負けるビジョンはない。
それが最強の自負だ。
水都はため息をつき、ステッキで二人を指し示した。
「二人とも幻想をいつまでも見るのは時間の無駄だ。現実を見ろ。夏油傑は術式を知らず、五条悟は現実を知らない」
「「はぁ゛あ゛!?」」
本日二度目のシンクロ。
今度は明確な殺気と怒気が混じっていた。
だが水都は、その殺気を柳に風と受け流し、まずは夏油に向かって指を立てた。
「夏油傑、君は自分の術式を『手駒を増やすだけ』の能力だと思っていないかい? 違うよ。キミの術式の真価は、『極ノ番・うずまき』による準1級以上の呪霊を使用した際に起こる『術式の抽出』にある」
「……術式の、抽出?」
夏油の目が丸くなる。
彼は呪霊を圧縮し高密度の呪力としてぶつける技としてしか、それを認識していなかった。
「そうだ。取り込んだ強力な呪霊の術式を、君自身の技として使いこなす。それが出来れば、君の手数は無限に広がる。さらに言えば――低級呪霊同士の合成による『新規呪霊の創造』。これこそが君を特級足らしめる、真の可能性だ」
「合成……創造……」
夏油が自身の掌を見つめる。
ただ集めて、使役するだけではない。
術式を我が物とし、新たな概念を生み出す。
それはまさに、彼が目指していた「大義」を実現するための、具体的な力への道筋だった。
インフラ整備のための労働力として呪霊を見ていた視点が、一気に塗り替わっていく。
呆然とする夏油を他所に、水都は次に五条へと視線を転じた。
「そして五条悟。君は1度死にかけた癖に、その傲慢な態度を正せないでいる」
五条の眉がピクリと動く。 脳裏によぎるのは、10年以上前の夏。伏黒甚爾との戦い。
「君が生きてるのは、伏黒甚爾の凡ミスと――僕の気まぐれだ」
水都は冷ややかに言い放つ。
あの日、あの時。
首を切り落とさなかった、脳天に天の逆鉾を突き立てなかった甚爾の慢心。
そして、初めて五条と出会ったその日から今現在まで五条にその絶対の矛を向けなかった「水神」の意思。
「君は最強かもしれないが、無敵ではない。首を飛ばされれば死ぬし、毒も効く。魂に干渉されれば防げない。……僕という『例外』を前にしても尚、最強の座に胡坐をかいているなら、君は本当に現実が見えていない子供だよ」
執務室に沈黙が落ちた。
しかしそれは、先ほどのような凍てついたものではなく、熱を帯びた沈黙だった。
新たな可能性を示された夏油傑と、自身の「死」と「生」の不確かさを突きつけられた五条悟。
「……はっ、言ってくれるね」
五条が獰猛な笑みを浮かべ、夏油もまた、憑き物が落ちたような、しかし野心に満ちた目で水都を見た。
「……術式の抽出、か。試してみる価値はありそうだ」
「だろう? さあ、無駄話は終わりだ。夏油はさっさとその新しい視点で『ゴミ処理用の新型呪霊』でも開発したまえ。五条は……そうだな、暇ならその辺の雑草でも抜いてくるといい」
水都はパンと手を叩き、再び優雅に紅茶を口に運んだ。
理想と現実、最強と最悪。 そのすべてを掌の上で転がす「王」の顔で。
渋谷事変後の禪院家に関してどっちにするか迷ったので
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直哉:「僕はマグロやない特級や」ルート
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直哉:「人の心が無いんか?自分」ルート