気がつくと、五条悟は空港にいた。
「よっ」
声をかけると、そこには懐かしい顔があった。
夏油傑だ。
学生時代の姿のまま、呆れたようにこちらを見ている。
「悟。随分と早かったじゃないか」
「……まあな」
五条は頭をかいた。
ああ、そうか。僕は負けたのか。
あの宿儺という呪いの王に。
全ての力をぶつけて、それでも届かなかった。
「どうだった? 呪いの王は」
「……強かったよ。十種影法術がなくても勝てたか怪しい」
五条は清々しい顔で、友に語りかける。
悔いがないと言えば嘘になる。
だが、全力を出し切った心地よい疲労感があった。
背中を叩かれ、あるいは軽口を叩き合いながら、彼は皆が向かう「南」の方角へ歩き出そうとする。
「鍛えた肉体も、技術も、ひらめきも爆発力も。全部ぶつけた。それでもあっちが強かったんだから、もうしょうがない」
「満足したかい? 悟」
「ああ、楽しかったよ」
そう言って、五条は搭乗口へと足を向けた。 これで終わりだ。重荷を下ろして、あとは後進たちに――。
――。
唐突に、乾いた空港のロビーに水音が響いた。
「?」
夏油が怪訝な顔で足元を見る。
いつの間にか、空港の床が薄く水に浸っていた。
そして、どこからともなく、聞き覚えのある、やたらと芝居がかった高い声が響いてくる。
『――勝手に終わらせるなよ! ボクの舞台に、シナリオ通りのバッドエンドなんて認めないぞ!』
「……は?」
五条は足を止めた。
水かさが急速に増していく。
透明で、美しい水。
それは空港の景色を、死後の静寂を、強引に洗い流していく。
「あー……これは」
五条は苦笑した。
脳裏に浮かぶのは生意気で、尊大で、それでいてどこか危なっかしい特級術師。
水都梨那の顔だ。
上層部からは危険分子扱いされ、自分と同じように煙たがられている、あの「女優」。
水面が輝き、搭乗口への道を塞ぐように泡が立ち昇る。
その泡の中に、現実世界の光景が映し出された。 必死の形相でステッキを掲げ、宿儺と対峙しながら、自分の下半身と上半身を強引にくっつけようとしている彼女の姿。
『起きろ五条悟! キミは最強なんだろう!? 僕という神が演出する舞台で、主役が寝てるなんて許されるわけがないだろう!』
「……ぷっ、あはは!」
五条は腹を抱えて笑い出した。
夏油が驚いたように彼を見る。
「何がおかしいんだい、悟?」
「いや、悪い傑。どうやら『お迎え』の時間じゃなくて、『出番』の時間らしい」
水が五条の体を押し上げる。
南へ向かう飛行機は、まだ彼を乗せてはくれないようだ。
五条は振り返り、親友に手を振った。
「僕の生徒……じゃないな、僕の『後輩』がさ。随分と無茶な
「……そうかい」
夏油は少し寂しげに、けれど優しく微笑んだ。
「なら、精々踊ってきなよ。悟」
「ああ。アンコールに応えてくる」
意識が、急速に浮上する。 死の安らぎから、痛みの待つ修羅の現世へ。
(ひっ、ひぃぃぃぃぃ! 嘘でしょ!? 斬撃が止まらないんだけど!?)
水都梨那の内心は、恐怖のあまり悲鳴を上げていた。
だが、その表情はあくまで不敵。
唇の端を吊り上げ、嘲るような笑みを絶やさない。
彼女は五条悟の体を守るように立ち、降り注ぐ死の雨を一身に受け止めていた。
「どうした、呪いの王! 芸が
宿儺が指を振るうたび、不可視の斬撃『解』が空気を裂いて迫る。
だが、それらは水都の周囲に漂う『原始胎海』の呪力に触れた瞬間、パシャリとただの水飛沫となって弾け飛んだ。
術式の構成を強制的に分解し、無害な水へと還す「希釈」と「還元」。
その絶対的な防御性能が、今の彼女の生命線だ。
「……チッ」
遠距離の斬撃が通じないと見るや、宿儺の姿がブレた。
瞬速の肉薄、圧倒的な身体能力による、純粋な質量を乗せた近接戦闘。
「ッ――!」
水都は反射的に『諭示裁定カーディナル』を構える。
宿儺の拳が、彼女の剣の腹を叩いた。
岩盤にプレスされたような衝撃が腕を駆け上がり、骨がきしむ。
彼女は五条を背後に庇っているため、避けるわけにはいかない。
(重い重い重い! 骨折れる! ていうか折れてるかも!? 痛い痛い!)
「素晴らしい反応だ」
宿儺が嗤う。
追撃の左手が、水都の喉元へ伸びる。
その掌が触れれば、対象の強度に合わせて卸す必殺の『捌』が発動するはずだった。
だが。
ジュワッ……!
宿儺の指が水都の肌――その表面を覆う水の膜に触れた瞬間、術式の発動自体が不発に終わる。
ゼロ距離からの『捌』すらも、彼女の呪力特性は「ただの水」へと変えてしまうのだ。
「無駄だよ! 僕の前では、キミのそれは不発に終わる!」
水都はステッキのような細剣で宿儺の腕を強引に払い除け、刺突を繰り出す。
素人目には見えない高速の突き。
だが、宿儺はそれを最小限の動きで
「術式の無効化か。面白い……だが、いつまで持つ?」
宿儺の蹴りが水都の脇腹を捉えた。
防御の上からでも内臓が跳ねる衝撃。
水都の体がくの字に折れ、瓦礫の上を数メートル滑る。
「がはッ……ぅ……」
(もう無理、もう限界! HP(体力)へってないのに痛すぎて死ぬ! 五条先輩、まだなの!? 早く起きてよ!!)
水都は血の味がする口元を拭い、震える足で再び立ち上がる。
背後の五条悟へ、今なお『衆の水の歌い手』が慈愛の歌(ヒール)を注ぎ続けている。
その光が、ある一点でカッと強く輝いた。
「――お疲れ、水都」
不意に、背後からかけられた声。
それは、地獄の底に垂らされた蜘蛛の糸よりも頼もしい、最強の響きだった。
水都が振り返ると、そこには上着を脱ぎ捨て、瑞々しい肉体を取り戻した五条悟が立っていた。
切断された胴体は完全に癒着し、その呪力出力は先刻の黒閃を経て最高潮に達している。
「ご、五条先輩……!」
泣きつきそうになるのを堪え、水都は瞬時に「特級術師・水都梨那」の顔を作る。
彼女はふん、と鼻を鳴らし、大仰な仕草で場所を譲った。
「遅いよ、待ちくたびれて欠伸が出そうだった。……さて、主役のお目覚めだ」
「ああ。最高の目覚ましだったよ」
五条が首を鳴らし、宿儺を見据える。
だが、水都は下がるどころか、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべて五条の肩を叩いた。
「じゃあ、
「は? 俺の出番だろ」
「ああ、キミの出番さ観客としてね! いつの時代も演劇の主役は観客だろう?」
五条が怪訝な顔をする間もなく、水都はパチンと指を鳴らした。
五条を治癒していた精霊が消滅する。
同時に、水都の纏う空気が一変した。
慈愛に満ちた白の呪力から、敵を滅ぼすための攻撃的な黒き奔流へ。
「お披露目だ!!!」
ドポン、ドポン、ドポンッ!
虚空から溢れ出した水の中から、三体の異形が飛び出した。
タコ型の『ジェントルマン・アッシャー』。
タツノコ型の『シュヴァルマラン婦人』。
ヤドカリ型の『クラバレッタさん』。
水都が使役する、自立型の強力な式神たち。
だが、それらを召喚・維持するためには「代償」が必要だ。
通常なら水都自身の、あるいは周囲の味方の血液(HP)を削る『
「五条先輩。キミ、反転術式で元気いっぱいだよね?」
水都は邪悪な笑みで振り返った。
「――
「え、ちょっ――う゛ッ゛」
五条の体から、強制的に呪力と生命力が吸い上げられる。
全快したばかりの五条のHPがガクリと削れ、その対価として三体の式神たちが凶悪なまでの呪力を迸らせて、狂暴な殺意を宿儺へと向けた。
『サロンメンバー』の攻撃力は、支払われた代償に比例して跳ね上がる。
最強の術師の生命力を燃料にした今、その出力は特級呪霊すら一撃で葬るレベルだ。
水都は『諭示裁定カーディナル』を宿儺に突きつけ、高らかに宣言する。
「さあ、第二幕のクライマックスだ! 僕と、可愛い
宿儺を取り囲む、水都と三体の式神。 実質的な4対1の構図。
宿儺が呆れたように、しかし楽しげに目を細める。
「多勢に無勢か。呪術師らしくない真似をする」
その言葉に、水都は今日一番の「イイ笑顔」で言い返した。
「おや?
魔虚羅と顎吐(アギト)を引き連れ、3対1で五条をリンチにしていた呪いの王への、痛烈な皮肉をもって水都は剣を振り下ろす。
号令と共に、五条悟の生命力を燃料にした、可愛らしくも凶悪な波状攻撃が宿儺へ襲いかかった。
「――――ッ!!」
真っ先に動いたのは、重甲ヤドカニ姿の『クラバレッタさん』だ。
サイズは人間より小さいまま。
だが、その突進には五条の莫大な呪力が圧縮され、質量保存の法則を無視した重戦車の如き破壊力を生み出していた。
ドゴォォォォンッ!!
宿儺が腕で受け止めるが、その衝撃に目を見開く。
(重い……! 見た目と質量が合っていない!)
足元の瓦礫が粉砕され、宿儺の体が後方へ弾き飛ばされる。
そこに追い打ちをかけるのが、アワアワタツノコ型『シュヴァルマラン婦人』だ。
プププ、とかわいい音を立てて吐き出される水弾。
だがその一発一発は、コンクリートのビルを貫通し、蜂の巣にするほどの貫通力を持っていた。
「チッ!」
宿儺は空中で身を捻り回避するが、水弾の嵐は止まらない。
さらに『ジェントルマン・アッシャー』が優雅に帽子を振ると、宿儺の足元に高密度の水流が炸裂する。
「ハハハハハッ! どうだい? 僕の
水都は狂ったように笑いながら、自身も剣を構えて前線へ躍り出る。
(五条先輩が財布だと、サイズそのままでも火力がバグってるしなんとかなるかも!?)
宿儺が鬱陶しそうに『解』を放つ。
だが、水都が割って入り、その『原始胎海』の呪力で斬撃を無効化する。
「だから無駄だと言っているだろう!」
水都が優雅に舞うようにステップを踏み、斬撃の軌道上に割って入る。 彼女の体から溢れる『原始胎海』のオーラが、致命的な斬撃を「ただの水しぶき」へと還元して無効化した。
「キミの攻撃は僕には通じない! 詰みだよ、呪いの王!」
(か、かっこいいセリフ決まった! でも怖い! 今の斬撃、鼻先かすめたよ!? ちょっとでもタイミング遅れたら首飛んでたよ!?)
水都の足はガクガク震えているが、ロングスカートの裾がそれを上手く隠してくれていた。
傍目には、最強の呪いの王を相手に一歩も引かず、華麗に立ち回る「水神」そのものに見える。
宿儺は舌打ちをし、格闘戦へと切り替える。
呪力で強化した拳で、眼前の『クラバレッタさん』を殴り飛ばし、その隙間を縫って水都へ肉薄する。
「小賢しい!」
「ひっ――!」
水都の喉から短い悲鳴が漏れる。
速い。速すぎる。
術式無効化のバリアがあるとはいえ、純粋な質量を持った拳で殴られればタダでは済まない。
だが、その拳が水都に届く直前。
「あー、ごめんごめん。見てるだけって言われたけどさ」
ドゴォォォォンッ!!
宿儺の横顔に、五条悟の拳骨がめり込んだ。
『蒼』による高速移動と引力を乗せた、重い一撃。
宿儺の体がボールのように吹き飛び、廃ビルを数棟貫通して彼方へ消える。
「やっぱりウズウズしてきちゃってさ」
五条は悪びれもせず、水都の隣に並んだ。
水都はポカンと口を開け、それから抗議の声を上げる。
「ちょっ、バカ目隠し!? 僕の活躍の場を奪わないでくれたまえよ! あとちょっとで『かっこよくフィニッシュ』の画が撮れたのに!」
「ははっ、悪い悪い。でもほら、水都。お前一人じゃ荷が重いだろ? それに――」
五条は、吹き飛んだ宿儺が瓦礫の中からゆらりと立ち上がるのを見据え、獰猛に笑った。
「あいつを泣かすのは、僕とお前の共同作業だろ?」
その言葉に、水都は一瞬きょとんとし、やがて呆れたように帽子を目深に被り直した。
「気色悪い言い方をしないでくれたまえ……はぁ、仕方ないな。特別に
水都が『諭示裁定カーディナル』を掲げる。
五条が拳を構える。
背後には、五条の生命力を吸ってさらに強化された三体の式神たち。
実質5対1。
史上最強の術師を相手に、現代最強の術師と、水神による、最悪で最高のカーテンコールが始まろうとしていた。
渋谷事変後の禪院家に関してどっちにするか迷ったので
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直哉:「僕はマグロやない特級や」ルート
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直哉:「人の心が無いんか?自分」ルート