瓦礫の山が、内側から弾け飛んだ。
五条悟の「赫」と「蒼」、そして水都の式神たちの波状攻撃を受け、廃墟の底に沈んでいたはずの両面宿儺。
だが、そこから立ち上がった姿は、先刻までの伏黒恵の面影を残した受肉体とは異質の、禍々しくも神々しい「異形」へと変貌を遂げていた。
右眼は仮面のような外殻に覆われ、四本の腕が阿修羅の如く広がる。腹部には大きく裂けた口が、二つ目の舌なめずりを繰り返している。
呪いの王、その全盛期の姿。
一千年前、藤原北家の「日月浄明」すら退けた、生ける天災の再臨である。
「……いいだろう」
腹の口が低く唸り、顔の口が嗤う。
二重の声が重なり、大気を震わせる。
「小娘、そして五条悟。貴様らの骨の髄まで味わうには、皿が少々狭いな」
宿儺が印を結ぶ。 それは、五条悟との戦いですら見せなかった、完全詠唱による真の領域。
「領域展開――『伏魔御廚子(ふくまみづし)』」
結界を閉じず、現実に絵の具を塗りたくる神業。
必中効果範囲は最大半径二百メートル。
無機物には『解』、生物には『捌』。
絶え間ない斬撃の嵐が、新宿という都市そのものをミキサーにかけるように粉砕し始めた。
「――ッ!!」
五条が即座に簡易領域、あるいは落花の情を展開しようと構える。
だが、その噴出する斬撃の暴風雨の中、一人の少女の声が凛と響き渡った。
「――それがキミの切り札かい?」
水都梨那は、四方八方から迫る死の刃を前にしても、一歩も退いていなかった。
いや、退く必要がなかった。
彼女の周囲に漂う『原始胎海』の水流が、触れる斬撃を次々と「ただの水」へと還し、無効化し続けているからだ。
「ならば、こちらも見せようか。……アンコールに応えるだけの価値が、今のキミにはある!」
水都は右手に握る『諭示裁定カーディナル』を、天へと掲げた。 その瞳の虹彩が、眩いほどの光を放つ。
『――原罪』
『――幕開け』
『――虚像の正義』
『――孤独な玉座』
『愛の盃』
「――領域展開『
ドクンッ。
その場にいた全員――宿儺、五条、そして遠く離れたモニター室の術師たちすらも、心臓を鷲掴みにされたような圧迫感を感じた。
それは呪力という枠を超えた、惑星の鼓動にも似た重圧。
特級呪物『諭示裁定カーディナル』に封印されていた途方もないほどの呪力。
言葉通りの意味で水神、あるいは水の龍王に匹敵する力の奔流。
視界の全てが、蒼く染まる。
両面宿儺の『伏魔御廚子』が描く斬撃の嵐。
本来なら新宿の街並みを塵芥へと変えるはずのその破壊の旋律が、唐突に、そして静かに途絶えた。
いや、途絶えたのではない。
『飲み込まれた』のだ。
水都梨那は、自身の展開した領域の水面上にて、まるでワルツを踊るかのようにクルクルと回ってみせた。
その全身から放たれる青白い燐光は、彼女の「ハイ」になった精神状態をそのまま具現化したように、激しく、そして美しく燃え盛っている。
「あはははは! なんだいその顔は? 気分が悪そうだね、呪いの王! 千年の時を経た君でも、
宿儺が膝をつき、口から呪力の嘔吐物を垂れ流す様を見下ろし、水都は愉悦に頬を紅潮させた。
そして、彼女はあえて攻撃の手を緩め、大げさに両手を広げてみせた。
「教えてあげよう! 今、この舞台(ステージ)で何が起きているのかを! 特別講義だ、心して聞きたまえ!」
水都の声が、劇場(ドーム)全体に響き渡るソプラノのように通る。
「第一に! この領域『万海蒼宴舞(ばんかいそうえんぶ)』には、結界が存在しない!」
その宣言に、苦悶の表情を浮かべる宿儺の眉がピクリと動く。
「君の『伏魔御廚子』とやらと同じさ。『観客の出入り自由(オープン・ハウス)』の縛りだ。キャンバスに絵を描くのではなく、現実という空間そのものを水没させる! あえて『逃走経路』を残すことで、領域の範囲を都市一つ分まで拡張し、その出力を爆発させているんだよ!」
「……逃走経路だと?」
「そうさ! 泳いで逃げたければ逃げたまえ! ――もっとも、この水がただの水であれば、の話だがね!」
水都はさらに畳み掛ける。
「第二に! 僕は『脚本の不干渉(ノン・フィクション)』という縛りを課している! この領域は、君に対して必中効果による攻撃を一切行わない!」
「……何?」
「君を直接傷つけるためのリソースを全て放棄し、その莫大な呪力を『味方へのバフ』へと全振りしているのさ!ん? ああ、勘違いしないでくれよ? この水は領域の効果じゃない僕の呪力が漏れてるだけだ」
水都はビシりと、背後に立つ五条悟を指差した。
「第三の縛り、『命を削る喝采(ブラッド・チケット)』! この領域内では、僕の
五条悟の体からは、赤い蒸気のようなものが立ち昇っている。
生命力が削られる端から、バフによって強化された反転術式が瞬時に肉体を修復していく。
無限の呪力と、死線を超えた回復速度。
まさに無敵の永久機関。
「そして――ここからが君へのトドメだ!」
水都は『諭示裁定カーディナル』の切っ先で、足元の蒼い水を掬い上げる動作をした。
「この水の正体……僕自身の呪力特性の開示といこうか! HAHAHA」
彼女は恍惚とした表情で、残酷な真実を告げる。
「この水は『原始胎海』! 星の生命の源であり、あらゆる不純物を洗い流す原初の羊水だ! この海において、『術式』は希釈される!」
「希釈……」
「そう! 君の自慢の斬撃も、炎も、インクを一滴海に垂らした程度の意味しか持たない! 圧倒的な質量と密度が、君の術式構成を強制的に分解し、無害な真水へと還元してしまう!」
これが、宿儺の必殺の斬撃が水都に届かない理由。 黒縄や天逆鉾のような強制解除ではない。海が雨粒を飲み込むような、理不尽なまでの容量差による無効化。
「でもそれだけじゃないのはわかってるだろ? 喜びなよ呪いの王! 拡張術式『浸魂胎忌(しんこんたいき)』! この水は、『受肉体』にとっての猛毒だ!!」
宿儺が目を見開く。
体内の奥底、魂の輪郭が焼けつくような感覚の正体が、その言葉で氷解する。
「生命の源であるこの水は、魂の在り方を正しく定義する! 一つの器に二つの魂が混ざり合うなんて醜悪な
術式の開示。
それは呪術戦における定石にして、自身の術式効果を底上げするための「縛り」。
そのリスクを負ったことで、領域は広がり水都の呪力が持つ「浸透圧」が跳ね上がる。
宿儺の全身から煙が上がり、皮膚が焼け爛れるように泡立つ。
魂が肉体から拒絶される激痛が、呪いの王を襲う。
「ガ、アアアアッ……!!」
「あはははは! 聞こえるよ、君の魂の悲鳴が! さあ五条悟、フィナーレだ! 溺れかけの害虫を、君の拳で粉砕したまえ!」
「
まぁいいか、と五条悟がニヤリと笑う。
五条には水都の領域による無敵のバフがかかっている。
もはや、それは戦いではない。 一方的な、神による「断罪」の儀式だった。
「すっげえな、これ。……今の僕なら、地球ごと割れるかもよ?」
「許可する! 派手にやりたまえ! 修理費は全部、バカ目隠しに請求すればいいさ!」
「僕かよ!? 半分出せよ!」
水都が指揮棒のように剣を振るう。
水都の号令に呼応し、五条悟が、そして五条の無限のHPを吸い上げて極限まで強化された三体の式神たちが、溺れる呪いの王へと殺到した。
「あはははは! どうしたんだい? 千年の邪悪も、母なる海の前では産声すら上げられないのかい!?」
水都梨那は、水面を滑るように舞いながら嘲笑する。
だが、その内心は呪力操作に必死だった。
(早く! 早くして五条先輩! こんな馬鹿げた呪力量垂れ流すのが精一杯なんだよ!!! 反動で僕の頭も焼き切れそうなんだから!)
彼女の焦燥を悟ってか、あるいは単に虐殺(ショー)を楽しんでいるのか。
全身から赤い蒸気を噴き上げる「無敵」の五条悟が、宿儺の眼前へと瞬間移動した。
「楽しかったよ、宿儺」
五条の拳が、黒く、禍々しく閃く。
水都の領域によるバフ、そして彼自身の規格外の呪力操作。
それらが収束した、極大の黒い稲妻が迸る。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!!
宿儺の腹部の口が、そして顔面の口が同時に絶叫を上げ、砕け散った。
物理的なダメージではない。
五条の一撃が宿儺の精神を揺さぶり、水都の海がその隙間に滑り込む。
水都が『諭示裁定カーディナル』を振り下ろす。
巨大な水の断頭台が、宿儺の首を落とす――のではなく、その肉体から「異物」のみを濾過するように通り抜けた。
「オ、オエェェェェェッ!!」
宿儺が嘔吐する。
吐き出されたのは、胃液ではない。
赤黒い、どろりとした呪いの塊。
伏黒恵という「器」から、両面宿儺という「寄生虫」が、物理的な水圧と魂の浸透圧によって無理やり引き剥がされたのだ。
「小娘ェェェッ!! 貴様ァァァァッ!!」
肉体を失い、不定形の呪いの塊となった宿儺が、怨嗟の声を上げながら水都へと飛びかかる。
だが、肉体という器を失った魂だけの存在になれば、もはや彼はこの「原始胎海」の中ではプランクトン以下の存在だ。
「往生際が悪いよ呪いの王。……退場したまえ」
水都が冷徹に告げる。
彼女が指をパチンと鳴らすと、領域内の海水が渦を巻き、宿儺の魂を包み込んだ。
希釈。
還元。
呪いの王としての自我が、記憶が、力が、膨大な水量によって薄められ、無害な水へと還っていく。
「五条悟ォォォォ……ッ!!」
断末魔を残し、呪いの王は泡沫となって消え失せた。
「どう考えてもここで叫ぶべきはボクの名前じゃないかい? どう思うバカ目隠し」
「単純に知らないんでしょ。後その呼び方ヤメろ!野薔薇にもそう呼ばれたぞ!?」
後に残されたのは、水面に横たわる一人の少年。 伏黒恵。
「ってそんなこと言ってる場合じゃなかった!おい恵!」
五条が駆け寄るよりも早く、領域が解除される。
蒼い海水が光の粒子となって霧散し、新宿の廃墟が戻ってくる。
水都はその場に崩れ落ちそうになるのを、ステッキ代わりの剣で必死に支えた。
「……う、ん……」
瓦礫の上で、伏黒恵が薄く目を開けた。
その瞳は、宿儺の赤ではなく、彼本来の深い緑色に戻っていた。
「……五条、先生……? それに、誰ですか……?」
「よっ! おはよう恵。随分と長い反抗期だったねぇ」
五条がいつもの軽薄な調子で、しかし安堵に声を震わせながら伏黒の頭を鷲掴みにする。
伏黒は状況が飲み込めない様子だったが、自分の体が自由であること、そしてあの不快な同居人が消え失せていることに気づき、涙を流した。
「……俺、は……」
「礼はいいよ! バカ目隠しの生徒なんだろ?」
水都は震える足でなんとかポーズを決め、ウィンクを投げた。
その直後、限界を超えた疲労で彼女の意識が暗転する。
倒れ込む彼女の体を、五条の「無下限」が優しく受け止めた。
「よくやったよ、水都。」
新宿決戦、決着。
死者――零。
渋谷事変後の禪院家に関してどっちにするか迷ったので
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直哉:「僕はマグロやない特級や」ルート
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直哉:「人の心が無いんか?自分」ルート