超かぐや姫!Encore -超かぐや姫!短編集- 作:YURitoIKA
例えるなら透明な彗星。
写真に収めるには惜しい。
スケッチするのも惜しい。
それなら目に焼き付けようとして、
瞬きをすると──そこにはもうない。
いつかの巡り合わせなんて待ちきれない。
きっと今生のお別れだ。
後悔。後悔。後悔。
あたしは子供みたいに泣きじゃくる。
みすぼらしい。
あたしに振り返ることなんて万に一つも無いだろうけど、あの彗星がこの醜態を見ていないことだけを祈る。
そーゆー人生だ。
「あ……流れ星……」
夏の日。バイト終わり。ふと見上げた夜空に虹がかかる。流れ星だ。生まれて初めて見たかもしれない。流れ星が散ってしまう前に願い事を頼まなきゃ……!
「好きな子が────」
どうしたの? 早く続きを言いなさいよ。怖いの?
怯えているの?
だからあなたは────、
「幸せになれますように」
嘘つき。
あたしはあたし自身に嘘をつくことに慣れている……はずなのに、胸が痛む。
自分への嘘で傷付くなんて、馬鹿みたい。
結果的に、流れ星に祈った願い事は叶うことになる。
あたしが彗星と例えた人は、立派に幸せになるのでした。
そう。おとぎ話のお姫様が、彼女を幸せに連れて行く。
いや、これは彼女やお姫様が頑張って手に入れたハッピーエンドであって、あたしの願い事なんて、一切関係がない。
主役はあたしじゃない。
あたしはモブキャラだ。
それでいい。
さぁ、そんな脇役のお話を覗いてみたいだなんて物好きがいるのなら、ひとつお付き合いいただこう。
あたしのことは、芦花って呼ぶべし。
※ ※ ※
彩葉と関わるようになったのは高校に入ってから数カ月のことだったと思う。
第一印象は出木杉君なクラスメイト。
大げさな化粧をしているわけでもないのに綺麗な顔をした女の子で、文武両道、誰かの困り事にはソッコーで手を貸すような、漫画から飛び出してきた高嶺の花。
けれど、みんな頼るばかりで、彼女と深い関係を築こうとはしなかった。
お昼休みも休み時間も予習復習に全ツッパしているし、放課後も無駄話一つせずに教室を飛び出してバイトに行っている。
そのおかげでクラス内では『東大に年上の彼氏がいる』だの『ホストの彼氏がいる』だの『ヒモの彼氏がいる』だの、けしからん噂話が広まりつつあった。
夏休み直前のことだ。
成績が配られ、夏休みの課題が提示され、お待ちかねの夏休みがやって来るということで、学生諸君は放課後の鐘が鳴り響くと共に学校を飛び出していった。
あたしはというと、赤点の教科があったために、しかし補習は受けたくないがために、先生にせがみ、補習用の課題を全部もらい、その日中に終わらせて提出しようと居残りをしていた。
七月下旬。お日様も随分と長居していたけど、やがて暮れていく。橙色の世界が黒く塗りつぶされていく。教室にはあたしを含めて二人の生徒。
もう一方は──、酒寄彩葉。
体育の授業でペアを組んだ時とか、体育祭のリレーの時とか、偶然の鉢合わせが無い限りは話すことがなかった。そんな彼女と二人きりの教室。あたしは席替えで勝ち取った最後方の席で居残り勉強中。彩葉はというと、最前列の席(最前列を拒否った女の子と交換してあげてたような)で復習中。
気まずい空気ではない。お互いに集中していて、ここが二人の空間である、ということをそもそも意識していない。
なんだか居心地が良くて、普段勉強に集中できないあたしが、一言も喋らず、スマホに触れることなく、課題の終盤に辿り着くことができた。
しかし現実はそう上手くいかない。
終盤の問題、先生から借りたメモ入りの教科書を見ても解けない難題がある。スマホを使っても例題が出てこない……。
あたしは立ち上がって、解けない問題のあるプリントを手に持って彩葉の席へと向かった。彩葉が気づくと、
「芦花さん。どうしたの?」
なんて、とびきりの笑顔で答えてくれる。青空の下の向日葵みたいな笑顔だ。
嘘だ。とっても巧い嘘。嘘の笑顔だ。あたしには人の嘘を見抜ける特技がある。入学してから一緒のクラスになってずっと、この子は嘘をついている。そう、見抜いてしまった。見抜けてしまった。作り笑いの中でも百点満点の作り笑いだ。まるで──小さな頃からずっとナニかを遠慮して生きてきたみたいな────。
窓に反射した彼女の表情は、疲れ切っていて、今にも机に突っ伏してから、それきり起き上がらず、溶けて、消えてしまいそうなもの。
現実の彼女はキラキラとした笑顔で「あ、分からない問題? えーと、ここはね〜」と言いながらガサゴソとスクールバッグを漁っている。
彩葉先生による初回授業の後。
「ありがとう、彩葉のおかげで解けた。教え方もめっちゃうまくてさ、これまでてんで駄目だったのに、一発で理解できちゃったよ〜。彩葉、天才っ」
「もう〜言い過ぎだよ。芦花さん」
「さん付けいいよ。クラスメイトでしょ。ねぇ、夏休みさ、どこか空いてる?」
「夏休み……かぁ。ちょっと待ってね」
彩葉がスマホを取り出して、カレンダーのアプリを開いた。ちらりと見えたカレンダーには、沢山の文字の列と蛍光色。言うまでもないみっちみちの予定。
「夏期講習全部行くから……えーと、ごめんっ。結構限定されちゃうかも」
「いいよいいよ。あたしは暇だし。こっちが合わせるよ。ね、ロイン交換しよ」
そうして彩葉と遊ぶようになった。
二年生になり、真実とつるむようになってからは、三人で遊ぶようになった。
……こう振り返ってみると、如何にも普通な女学生の親睦の深め方だけれど、あたしの初恋もこの日だったりする。
え? 一体どの場面かって?
あのさぁ。
好きでもない女の子の笑顔に、たとえ作り笑いだったとしてもさぁ、〝向日葵みたいな〟なんて喩えすると思う?
声をかける直前。
集中して、夏期講習に向けてノートをまとめている彼女の横顔。
これまでも度々見ていて、気づいていないフリをしていたけれど、その日、ようやく気がついた。
あ、──あたしこの人のこと、好きだ。
あたしの誰にも言えない青春は、その瞬間から始まった。
※ ※ ※
それからの話。彩葉と真実とあたしの三人は、友達を越えて親友になって、放課後も休みの日もしょっちゅう遊ぶようになった。テスト前では彩葉ノート及び彩葉先生による補習が始まるし、真実による立川グルメ紹介デーがあったり。あたしは美容系インフルエンサーとして着々とフォロワーを増やしていたので、今流行りの美容グッズについて二人に解説したりしていた。
喧嘩をしたことなければしそうになっこともない。この二人といれば毎日が楽しい。会えない日もメールのやり取りをして、深夜に都合が合うなら仮想空間・ツクヨミで合流する。
二人は──最高の親友だ。
だから。
あたしの胸の中で、彼女と目を合わせる度にふつふつと煮えているこの感情は、見知らぬふりをするべきなんだ。大丈夫。火事にはならない。あたしが火傷をするだけなら、誰も困らない。
自分の抱いた感情が正常か異常かなんて逐一考えていたら、きっと人間はフリーズして、そのまま一生動けなくなるだろう。
この感情がいつまで、どこまで続くのかなんて何度も考えていたら、きっとあたしはフリーズして、そのままナニもできなくなってしまう。
大丈夫だ。
自分で付けた痛みに耐えるくらい、どうってことはない。
なにより大切なのは、二人と一緒にいられることだ。
楽しい方がずっといい。
だから……ほんのちょっとだけ……。靴やネイルを、ちゃっかりお揃いにしたり、真実と都合が合わなくて二人きりで遊ぶときは、気合い入れて化粧したり。本当にちょっとだけ、アピールさせてよ。あたしだって、女の子なんだから。
はぁ。ごめんね彩葉。
ナニに謝ってるんだって感じだけど。
※ ※ ※
七月上旬。夏のはじまり。冬は乾燥が敵だけど、夏は夏で日差しや汗など、女の敵が多い季節。つまるところ地球が女という生き物に優しくないのだ。あたしが真のフェミニストになるのなら、まずは地球を割っている。
高校二年生になり、そろそろ受験を意識し始める時期だ。先生との面談が始まっている。あたしは美容の専門学校に進学予定であり、親からも先生からも応援されている幸せ者なので、あとは勉強とか成績をしっかりと頑張るのみ。
真実はグルメが多い駅の大学に行きたいって言ってる。実に真実らしい。
彩葉は──、
『東大かな。確定ではないけど』
とっても凄いところを目指していた。
実に彩葉らしい答えだった。
高校生にして上京して一人暮らしで学費も自分で稼いでいるというのは、正直どうかしてると思う。彼女の境遇を聞いた人なら誰しも彼女の家庭環境を察する。
彩葉のお父さんは彩葉が小さい頃に亡くなっている。お兄ちゃんは彩葉よりずっと前に東京に上京しており、プロゲーマーとして活躍している。お母さんは弁護士としてバリバリ仕事をしており、かーなーり厳しい人らしい。そんな母親と喧嘩別れする形で上京し、母親に認めて貰うために彩葉は頑張っているという。
親に認めてもらうために頑張るなんてのは、よく聞く子供の微笑ましいエピソードだけれど、彩葉のはワケが違う。
『彩葉頑張りすぎだよー。エナドリばっか飲んでるから、肌荒れも口内炎も酷くなるんだよ。ね、彩葉。もうちょっと頑張るペース落としていいんじゃない?』
『あはは……そだよね。でもごめん。それは無理なんだ』
『……どうして』
『これでもまだ、足りないから』
彩葉はこの生活に命をかけている。
酒寄彩葉という人間のために命をかけている。
歪だ。
彼女の生き方は、ハッキリ言って歪んでいる。
普通は順序が逆だ。あたしはあたしのために生きてなんかいない。ただぼんやりと未来を見据えて、過去に笑いながら、のらりくらりと日々を生きている。
彼女は違う。誰にも助けを乞うことなく、自分で生き抜いていけるという実力を証明するために、生きている。あたしや真実とは、日常というものの価値観が違うんだ。学校が休みの日、遊びに行く日にだって、
『ガス抜きも疎かにしない。お母さんがよく言ってたよ』
疎かって……。そんな考え方で、あたしたちみたいな女子高生は生きてないよ。
楽しいから、生きてるんじゃん。
理由なんて考えないじゃん。
『彩葉……体調悪そうだよ。ずっと眠れてないんでしょ? そういう時は学校休まないと。身体、壊れちゃうよ』
『大丈夫……。来週ね、バイトもなにもない三連休あるからさ、その日までとりあえず頑張るんだ……』
おかしいよ……彩葉……。
恐くなるんだ。彩葉はこれまで一度も、本当に笑ったことなんてないんじゃないかって。心の底からナニかを楽しいと思ったこと、無いんじゃないかって。
ツクヨミのライバー、月見ヤチヨの配信やライブを観ているときは楽しそうだけど、いつぞやのバイトの帰り道、イヤホンをした彩葉がおじいちゃんみたいな顔つきで歩いているのが見えたんだ。その時彼女は、涙ぐんでいた。
──もう限界だ。
彩葉は何のために生きているんだろう。
あたしや真実は、彩葉の足を引っ張ることしかできていないんじゃないか。
ごめん。
ごめんね。
力不足でごめん。
思い上がりでごめん。
彩葉を抱きしめてあげて撫でてあげて、もういいんだよって声をかけることができたとしても、彩葉は作り笑いをするんだろうな。
あたしにできることなんてないんだろうな。
大切な人が擦れて擦れて擦り切れて、ボロボロになっていくのをただ見ていることしかできない。
あたしは何をしているんだろう。
こんなやつが……彩葉のことを〝好き〟だなんて言う資格はない。
ピロンッ。
ロインの通知だ。彩葉からだ。
『ごめん! 眠気マックス過ぎて、エイム終わりそうだから今日寝る!』
あたしはタタタッと早打ちで返信する。
『全然いいよー。ゆっくり寝なー。おやすみー(ニッコリマーク)』
連絡なんてわざわざしなくたっていいのに。明日言ってくれればいいのに。本当に彩葉って律儀な子だ。っていうか数時間前から真実の既読がつかないけど、もしやこっちが寝落ちしてるんじゃないか?
真実が起きてくれるまで暇なので、部屋の電気を消して、カーテンと窓を開けて、お月様を見てみる。物思いにふけるってやつだ。たまには女子高生らしくないこともやってみたくなったのだ。
綺麗なお月様。あと数日足らずで満月になる。
満ちていなくても綺麗なのだから、ちょっとズルいよね。
ねぇ神様。きっとお空の向こうにいるんでしょ?
彩葉は頑張ってます。なにかプレゼントをあげてください。彩葉がとびきり幸せになれるようなプレゼントを。
……なんてね。
──七色の流れ星が月から降り注いだのは、その一週間後のことだった。
※ ※ ※
築地からやって来たという彩葉の従姉妹、かぐやちゃんは、月からやってきた本当のお姫様だった。
……という内容が、かぐやちゃんの卒業ライブ直前に、彩葉の口から伝えられた真実だった。
多分これがあたしと真実じゃなければ、爆笑してブログがイソスタのネタにするんだろうけど、あたしも真実も、それを嘘だと疑うことはしなかった。客観的に見てあまりにも素っ頓狂な話ではあるけど、なぜだか信じることができたんだ。
それはかぐやちゃんと過ごした一ヶ月半のことがあるからだ。
いつフッと消えてしまってもおかしくなかった彩葉を、振り回して暴れて、大変なことに巻き込んでいたけれど、彩葉の笑顔がみるみる増えていった。
あんなに毎日が楽しそうな彩葉は初めて見た。
かぐやちゃんのおかげで、彩葉は変わったんだ。ピアノの才能の話も、あんまり触れてほしくなさそうだった彩葉が、自らキーボードを叩いているなんて、まさに魔法にかかったみたいだった。
それが月からやって来たおとぎ話のお姫様だというのなら、納得するしかないってものだ。
そんなかぐやちゃんが、おとぎ話よろしく月に帰ってしまうという。
『ごめん、全然大丈夫じゃなかった』
初めてだったんだ。彩葉が〝大丈夫じゃない〟と素直に打ち明けてくれたのは。
だから。今回は本気で──いや、いつでもこちとらマジだけど、今回は超大マジで、彩葉を助けたいんだ────ッ!
※ ※ ※
結果だけ述べる。
あたしたちは月人に負けた。
かぐやちゃんを助けることができなかった。
またあたしは、なにもできなかった。
※ ※ ※
『みんな、お疲れ様でした。本当にありがとう……先帰るね、ごめん』
月人に敗北し、かぐやちゃんを連れて行かれてしまった時の彩葉は、作り笑いすらできていなかった。
欠けてはいけないものが欠けてしまった。そんな時にする表情と声色だった。
その場にいた誰もが、彼女に声をかけることができなかった。
「カボチャフェアだってー。にしては人気無いなぁ……」
「コラコラ。失礼でしょ。ほら、行こ」
卒業ライブの翌日。放課後。真実と共に彩葉のバイト先・BAMBOOcafeにやって来ていた。住宅街の隠れ家的コンセプトから、ネットで宣伝もしていないし、お店も、マップを駆使しないと見つけにくいところにある。
そのせいか、ちょっと早すぎるようなカボチャフェアを実施しているものの、客席はあまり埋まっていないようだった。
「あの、すいません」
「はっはいっ! いらっしゃいませ!」
ずっこけそうになりながらも、入店したあたしたちのもとに走って駆けつけ、ハキハキとした声で対応してくれる女性店員さん。
「酒寄彩葉さんって今日のシフト入ってます?」
「せんぱ、あ、彩葉さんですか? それがですね、本当はシフト入ってたんですけど、急遽お休みしちゃったみたいで……」
「そうですか。ありがとうございます」
「いえいえっ」
お店の外に出ると、ぽつぽつと雨が降り始めた。予報を見ずに出掛けたあたしたちは途方に暮れたものの、先ほどの女性店員さんがお店の傘を貸してくれた。
一本しか無かったようなので、あたしと真実は相合傘をしながら、彩葉の住むタワーマンションを目指す。
昨晩のライブ以降、彩葉と連絡が取れない。それが昨晩中の話なら、彩葉が寝込んだ、という程度で話は終わりなのだけれど、朝になっても昼になっても、ロインも電話も反応が無い。学校にもバイト先にも来ていない。無断欠席・欠勤なんて彩葉は絶対にしない。ブラックオニキスの帝アキラさんにDMを送り、連絡がつくか聞いてみたけど、駄目みたいだった。
いよいよ彩葉のことが本気で心配になったあたしと真実は、こうして彩葉捜索に出かけたのである。もちろん、元々入っていたあたしのバイトや、真実の彼氏との予定を蹴って、である。
ログアウトする時の彩葉の様子は正直ヤバかった。これまで精神ギリギリで自分を追い詰め続けた彩葉。そんな彩葉を変えてくれたかぐやちゃんが、月に帰ってしまった。おとぎ話通りなら、かぐやちゃんとは二度と会えないことになる。
かぐやちゃんと出会ってからの彩葉は、より限界を超えた稼働をしていたけど、それでも楽しそうだった。ここでかぐやちゃんがいなくなってしまったら、いよいよ彩葉が空っぽになってしまうのではないか。
そのまま……死んでしまうのではないか。
彼女が住んでいるのはタワーマンションの最上階だ。
その点もあたしたちの〝嫌な予感〟を加速させた。
それだけはダメだ。
親友として、絶対に止めなくてはならない。
ピンポーン。
彩葉の部屋番号を押してインターホンを鳴らすものの、反応はない。
「彩葉……大丈夫、かなぁ」
真実が泣きそうな顔をしている。正直あたしも不安が込み上げて叫びだしそうだったが、これで二人ともパニックになったら収拾がつかなくなるので、
「大丈夫。彩葉は、大丈夫だよ」
確証のない〝大丈夫〟を連呼して、真実と自分自身を落ち着かせた。
真実と解散し、家に帰ったあとも、あたしは落ち着かなくて、一人で彩葉のタワマンに戻った。インターホンを押しても、返ってくるのは呼び出し音なだけで、彼女の声は聞こえない。最上階の様子なんて地上からじゃ見えない。彼女の安否が分からない。
いやだ。いやだ。いやだ。
こわい。こわい。こわい。
これまでの彩葉はどんなに辛いことがあっても、挫けず、己を奮い立たせて、挑戦し、頑張る女の子だった。強い女の子だった。
それでも、どんなことがあっても折れない人間なんていない。挫けることだってある。もし、それが今だったら。これまでの反動で、今まで積み重ねてきた〝無理〟の全てが彼女を襲っていたら。
彩葉が死んじゃう。
いや、だ。
いやだよ。ねぇ、やだよ。
「かぐやちゃん、戻ってきてよ」
夜。雨の強さは増すばかり。ぼとり、と傘を落として、膝をつく。降り続けた雨のせいで、地面はほとんど水溜り。けど感触なんて今はどうでもいい。
髪に、顔に、制服に、スカートに、心に、雨が滲んでいく。どす黒い夜空と雨音が、あたしの心を蝕んでいく。
「帰ってきて……」
どの口でそんなことを言うのだろう。
あたしは最低な人間だ。
彩葉と一緒に毎日を過ごして、彩葉に作ってもらった曲で彩葉に伴奏をしてもらって、彩葉にご飯を美味しいと言ってもらえて、彩葉と一緒の布団で寝ているかぐやちゃんのことを、羨ましいと思った。それだけじゃない。
あたしも、そんな風になりたいなぁ。
かぐやちゃんが帰ったら、彩葉と距離を詰めることができたりしないかな。
最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ最低だ。
一度でも、たった一度でも、そんなことを思ってしまった。大切な人が大切にしている人に、いなくなってしまえ、だなんて思ったんだ。そんなあたしは最低だ。クズで。人でなし。彩葉の気持ちも知らないで。彩葉の気持ちにつけ入ろうとして。これでもし彩葉が死んでしまったら、あたしはどうすればいいんだろう。
いや。彩葉が死んでいなかったとしても、どんな言葉を掛ければいいんだろう。その答えがあたしに見つけられるのだろうか。
「ごめんなさい……」
空を見上げる。頭を上げるな、とでも言うように雨粒が顔を殴る。
月は見えない。一面の黒。
「帰ってきて……かぐやちゃん……」
結局、あたしでは彩葉に何かをしてあげることなんてできない。こうやって後悔を積み重ねて、泣きじゃくることしかできないんだ。
このまま雨に溺れて死んでしまえばいいんだ。
「芦花ッ!」
雨が止んだ。違う。
雨の音は止んでいない。
あたしの頭上にだけ、雨が降っていない。
「芦花っ、ねぇ芦花ってばっ。なにしてるのッ、こんなところで、ここ、ずっといたの!? 死んじゃうよっ」
顔を上げて、暗がりのなかで目をこすると、真実の顔がある。街灯の逆光で見えづらかったけど、傘を持った真実は顔を涙でぐしゃぐしゃにしている。
「なにしてるの……ねぇ、芦花……。芦花まで……芦花までこんなになっちゃったらぁ……わたし、わだじッ」
「……ごめん。真実、心配させて、ごめん」
「うん……風邪引いちゃうよ……早くあったかい場所、行こっ?」
家に帰り、お風呂に入って、着替えて、それからリビングで待たせていた真実に五十回くらい謝った。
「本当にごめんね。心配させて」
「むむぅ、はいひょうふ」
あたしのお母さんが感謝の気持を込めて、夕飯として作っていたスパゲティを口いっぱいに詰め込んでいる真実。豪快な食いっぷりながらもどこか上品なのは、流石グルメ系インフルエンサー。そういえば帰る途中、夕飯食べたって言ってた気がするけど……まぁいっか。
「芦花はさ、彩葉のこと、好き?」
「え────」
家の中だというのに、あたしの脳天に雷が直撃した気がした。
「そりゃあ、好きだよ。親友として」
「うん。わたしも彩葉のこと好きー」
あ、やっぱりそっちの意味か、と一息つく。
「だからさ。きちんと彩葉のこと信じて、待っててあげよ。芦花の言う通りさ、彩葉はきっと大丈夫だよ」
「……うん。そうだね」
「でもさ。流石に心配かけすぎだからさ。ちょっといじわるで、拗ねたフリとか、しちゃおっか」
「だねっ」
※ ※ ※
数日後。朝から長文のロインが送られてきて、学校に来てみると、あたしと真実が登校するのを待っていたらしい彩葉が、怒涛の謝罪をしてきた。
「連絡返せんくて、ごめん!」
おぉ。久々に見た。本当に焦っている時かリラックスしている時にしか見れない彩葉の京都弁。
それから謝罪しまくる彩葉を前にして、少しだけ拗ねるフリを実行したものの、やっぱり彩葉が可哀想になってしまって、
「……わたしたちはさ、」
「彩葉が生きてればいいから」
と返すのだった。心の底からの、言葉だった。
久々の再会を三人で噛み締めていると、学校の鐘が容赦なく鳴り響くので、教室に向かって走り出した。
駆け出して数歩、彩葉が付いてきていないことに気づく。ハッとした様子だ。もしかして──、
「ごめん……なさい」
彩葉があたしと真実に抱きついてきた。
力強い。冗談ではない雰囲気。
「ごめんなさい」
あぁ……もしかして気づいたのか。さっきのカフェの話で、違和感に気づいたんだろうな。やっぱり彩葉は頭がいいな。
「彩葉、もう、いいから」
真実の目に一杯に、涙が溜まっている。決壊寸前だ。
「泣かないで。大好きだよ」
もちろん、親友として。うん。これでいいんだ。大切な人がちゃんと生きていて、こうやって心配して、泣いてくれる。あたしたちのために泣いてくれる。
それだけでいい。
大好き。大好きだよ、彩葉。
ようやく、この言葉を、何の心の翳りもなく、言えるんだ。
「ありがとう……芦花、真実」
あたしたち三人は抱き合って、学校の廊下で泣いた。先生が駆けつけるまで泣き続けた。化粧が崩れることなんて一切気にしなかった。嬉しいのか悲しいのかよく分からない涙だった。ただハッキリしているのは、この涙は、未来に進むためにあるものなんだ。
『ありがとう』
うん。あたしは彼女のその言葉を聞くためなら、なんだってできちゃうんだ。この三人ならどんなことだってできる。どんな未来にも進んでいける。
あたしたち、ずっと友達だよ。
※ ※ ※
それから十年の月日が経つ。あまりにも時間をすっ飛ばしてしまったけど、長々と語ってしまうと誰のどんな人生だってダレてしまうものだ。
彩葉は東大に合格し、無事卒業してから、かぐやちゃんのアバターボディの作成を開始した。そのための研究室を開き、ボディは近日完成予定とのこと。幾ら技術の進歩が盛んな現代とはいえ、こんなにトントン拍子で進むことは業界でも異例だという。その辺りはやはり、彩葉は可愛い上に天才だからで説明がつく。
あたしはインフルエンサーとしての活動が成功して、今やブランドのアンバサダーとして活躍中だ。
真実は大学を卒業してから、高校の頃から付き合っていた彼氏と結婚して、双子のお母さんとしてバリバリ育児を頑張っている。ちなみにめちゃくちゃ可愛い。
ま、とにかくみんな頑張っていて、幸せなわけだ。彩葉の研究は最終段階なだけで、まだまだゴールは先みたいだけど。
あたし、彩葉、真実の三人は、これまでの十年、変わらずに、辛いことを愚痴って、楽しいことを分かち合って、旅行に行って美味しいもの食べて、お洒落してワクワクしてドキドキして、ずっと一緒だった。
過去形って縁起悪いか。これからも一緒だ。
今でも、誰かが辛そうな時は〝頑張れ〟って声をかけるのだ。
研究が大詰めということで、所長である彩葉は特に忙しそうだった。その事を知ったあたしは、差し入れを渡しに研究室にやって来た。研究員の方に案内してもらって所長室まで来てみると、彩葉は奥のデスクでカタカタとキーボードを早打ちしている。やっぱり大詰めらしい。忙しいところを邪魔するのは悪いとは思うけど、やっぱり心配してしまうのだ。
扉が開いた音にも気づかず、彩葉は背中を向けて集中している。差し入れの入った紙袋を持って、ゆっくりと近づく。彩葉の横顔。大人びて、昔より、もっともっと綺麗になった。これでかぐやちゃん一筋なんだから、研究室の男性諸君は泣いていい。
「あれ、芦花? ごめん! 気づかなかったっ! めっちゃ集中してたー」
「お疲れ。ごめんね、忙しい時に」
紙袋を渡して、一歩引く。長話はいけない。
今の彩葉には負担になってしまう。
「ううん。ありがと」
「じゃ、ちゃっちゃとお暇するね。また今度ね」
「うん。時間取れなくてごめん。今度ね」
「頑張れ、彩葉」
「うん、頑張る」
何気ない会話。
本心での会話。
十年前とは違う。
出会ったばかりの彩葉には〝頑張れ〟なんて到底言えなかった。さらに彼女を追い詰めてしまう気がしたから。
でも今は、全力で、彼女の背中を押してあげることができる。
「よし、切り替え」
研究室を出て、誰にも聞こえない声でそう呟いた。
頑張るのは彩葉だけじゃなく、あたしもだ。あたしだって前を進まなきゃならない。切り替え大事。あたしはもう大人の女性なのだから。
こーゆー人生だ。
伝えたかったことを伝えきれたかなんて分からない。
でも、そんなことを確かめている暇なんて無いほど、今、あたしが生きている人生ってやつは、最高だ────!
※ ※ ※
蛇足。
かぐやちゃんのボディが完成し、彼女の復活ライブが開催された。いろPと月見ヤチヨとの三人での公演であったが、そのアンコールで、あたしと芦花、ブラックオニキスの面々が出演することとなった。
あたしたちを呼んだ張本人である彩葉曰く、出資者で昔からお世話になってる人たちは呼びたかった、とのこと。律儀な子だ。昔から変わらない。
アンコールでの舞台の演出は、海の上。ツクヨミの入り口・鳥居の前にセッティングされた特設ステージであたしたちは踊ることになっている。
彩葉に演出の意図を直接聞いたわけではないけど、恐らくこれも〝約束を果たすため〟だろう。どこまでも彩葉らしい。
本番が終わり、スタッフたちのもとに彩葉が帰ってきて、水分補給をしている。いよいよあたしたちの出番がやって来る。
「お疲れ、彩葉。神伴奏だったよ。久々なのに、ミス無しだったね」
「ありがと。でもちょっとタイミング遅れたところあったよ。……まぁあれはかぐやが歌詞ミスったせいもあるけどさ」
「ふふっ、でも大丈夫? この後いろPのダンス解禁だけど。体力残ってる?」
「頑張りますよー。かぐやの無茶振りだけど、復活ライブだし、ちょっとは甘えさしてやるかってね。芦花こそ、こういう大きなステージでダンスをするのは初めてでしょ。緊張してる?」
「そりゃあしてるよ。でも大丈夫。
「そっか。よし、じゃあいっちょ、やりますか!」
各々準備を整えて、ステージへと続く階段の前に立つ。
本番が終わってから、拍手が鳴り止まない。
「ね、彩葉」
「ん、なに?」
「幸せ?」
「なーにー、急に。幸せだよ」
「そっかっ!」
大げさだけどさ。
なんだか。
あたしは今日この日の、この瞬間の彼女の笑顔を見るために生まれてきたって、そう思ったんだ。
例えるなら透明な彗星。
すぐに消えてしまいそうだけど。
透明だからといって消えやしない。
周りに散らばる沢山の星々の
世界で一番綺麗な星。
あたしはその星を見上げるのではなく、共に夜空を駆けていくんだ。
夢物語じゃない。
これから先に待っている、おとぎ話ではない、超ハッピーな現実だ。
だから、もう、大丈夫。
/おしまい