ヴィイは目を閉じている   作:5734589

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言葉だけが生き残る

第四章 言葉だけが生き残る

 

 

帝国側で語られるヴィイは、

阻止派のそれとは、少し違っていた。

 

会議の卓は長く、

磨かれている。

声はよく通り、

端まで届く。

 

「存在しない」

「反逆者が作り出した怪異」

「恐怖を煽るための虚構」

 

発言は順番に並び、

記録係が頷く。

羽根ペンの先が紙を滑る。

 

言葉は否定の形を取りながら、

丁寧に繰り返される。

 

別の者が、

同じ結論を

別の語尾で述べる。

 

それが確認になる。

 

 

資料が回る。

 

封を切る音。

紙の擦れる音。

 

「存在しない」と書かれた項目の下に、

対策が箇条書きで並んでいる。

 

巡回の強化。

噂の出所の監視。

接触者の洗い出し。

 

誰も不思議に思わない。

 

存在しないものに対する準備が、

手慣れた動きで進んでいく。

 

 

廊下で名が出る。

 

ヴィイ。

 

それだけで、

会話が一拍途切れる。

 

すぐに続く。

笑いも混じる。

 

だが、

空気の張りは

消えないまま残る。

 

嫌われている。

 

その響きが持つものを、

彼らはよく知っている。

 

エカテリーナは、

それを眺めていた。

 

誰も、

彼女に説明を求めない。

 

彼女が何を抱いたかより、

その血がどこに属するかの方が

重要だからだ。

 

 

彼女は分かっていた。

 

なぜその言葉が

ここで使われるのか。

 

それは、

呪いだからではない。

 

説明できない敗北を、

置いていく場所が

必要だからだ。

 

机の上に、

原因を置く。

 

形のあるものとして。

 

そうすれば、

次へ進める。

 

 

帝国を倒したのは、

人間だった。

思想だった。

選択だった。

 

それらは、

責任を伴う。

 

だから、

もっと扱いやすい何かが

求められる。

 

怪物。

 

そう呼んでしまえば、

線が一本で済む。

 

 

阻止派も、同じだった。

 

部屋は狭く、

天井が低い。

息が近い。

 

彼らは、

エカテリーナに椅子を勧める。

湯を出す。

 

手つきは柔らかい。

 

「あなたは犠牲者だ」

「帝国に人生を奪われた」

「だから我々が代わりに戦う」

 

頷きやすい高さで、

言葉が置かれる。

 

けれどそのどこにも、

揺れはない。

 

 

子のことが

話題の中心に来ることはなかった。

 

名前は何度も出る。

 

ヴィイ。

 

だがそれは、

遠くへ投げられた形でだけ。

 

 

「ヴィイは生きているのか」

 

エカテリーナが口を開いたとき、

湯気が止まった。

 

器を持つ手が、

ほんの少しだけ

机から離れる。

 

視線が集まり、

そして、外れる。

 

「重要なのは、

 生きている“可能性”だ」

 

返答は早い。

用意されている。

 

冷静で、

無駄がない。

 

誰も間違っていない。

 

だからこそ、

動かない。

 

 

返ってきた答えは、

揺れなかった。

 

卓の上にまっすぐ置かれ、

誰の手も触れない。

 

「可能性」という語は、

便利だった。

 

開いたまま、

閉じなくていい。

 

探しきれなくても、

責められない。

 

 

その瞬間、

エカテリーナは理解した。

 

この人たちも、

すでに別の場所へ

子を置いている。

 

届かない棚。

触れられない距離。

 

そこに収めて、

鍵をかけている。

 

彼らにとって、

ヴィイは

生きていようが、

死んでいようが、

動かない。

 

語れること。

使えること。

恐れさせられること。

 

それが整っていれば、

十分だった。

 

 

湯は冷めていた。

 

誰も口をつけないまま、

話は次へ進む。

 

配置。

連絡。

明日の予定。

 

エカテリーナの席だけが、

どこにも接続していない。

 

呼ばれてここにいるのに、

用事がない。

 

 

彼女は立ち上がった。

 

止める声はなかった。

 

見送られることもない。

 

扉を閉める音が、

やけに遠くへ行く。

 

 

外の空気は軽い。

 

人が歩き、

荷が運ばれ、

値段のやり取りが続いている。

 

誰も、

象徴について話していない。

 

生活が進む。

 

エカテリーナは、

その中へ入った。

 

 

噂を拾う。

 

誰かの小さな記憶。

確かめられない目撃。

曖昧な善意。

 

孤児院。

医師。

名もない女。

 

一夜だけ、

赤ん坊を預かったという話。

 

どれも、

大きな旗の下には置かれていない。

 

署名も、

宣言も、

ない。

 

ただ、

あったかもしれない

という形で転がっている。

 

 

彼女は足を止め、

繰り返し尋ねる。

 

顔を覚えられない程度に。

不自然にならない回数で。

 

抱き方。

布の色。

泣き方。

 

返ってくる答えは、

頼りない。

 

けれど、

重さがある。

 

机の上の言葉とは違う。

 

指で触れられる場所にある。

 

エカテリーナは、

そこにだけ

うなずくことができた。

 

ヴィイは、

言葉ではない。

 

先にあったのは、

息で、

温度で、

重さだ。

 

言葉は、

後から追いついてきただけだ。

 

 

ある夜、

彼女は一人で、

灯りの消えた部屋に座っていた。

 

窓の外を

人影が通る。

 

遠くで、

また誰かが語っている。

 

帝国を滅ぼす目。

見た者を殺す視線。

 

耳を塞がなくても、

届いてくる。

 

 

彼女は、

目を閉じた。

 

暗さの中に、

一度だけあった光景を置く。

 

見上げてきた瞳。

 

焦点も合わず、

意味も持たず、

ただそこにあった。

 

向けられた、

というより、

合ってしまった視線。

 

それだけ。

 

 

その瞬間、

彼女は決める。

 

探すのは、

象徴ではない。

 

救うのは、

思想ではない。

 

確かめるのは、

たった一つ。

 

あの子が、生きているかどうか。

 

 

ヴィイという言葉は、

もう止まらない。

 

人の口を渡り、

勝手に形を変え、

遠くへ行く。

 

追いかけても、

追いつけない。

 

だからこそ、

彼女は

反対へ歩く。

 

声の届かない方へ。

 

母であることだけを、

手放さずに。

 

ーーーーーーーーー

民間伝承の断片

 

ヴィイについて語るとき、

人は目を伏せる。

 

それは、

見てはならないものだからではない。

 

見た者が、

何を見たのか

説明できなくなるからだ。

 

ヴィイは、

目を開くとも言われ、

目を閉じているとも言われる。

 

誰も、

確かめた者はいない。

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