第五章 幸福の発見(前編)
それは、
勝利でも、
救出でも、
再会でもなかった。
手を伸ばして届くものではなく、
名を呼べば振り向くものでもない。
だからこそ、
エカテリーナは、
最初それを
自分の探していたものとして
数えなかった。
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古い帳簿だった。
表紙は擦れ、
角は丸く、
何度も開かれ、
何度も閉じられた重みだけが残っている。
管理する者の癖で、
几帳面に並んだ文字の列。
その端。
余白に押しやられるようにして、
薄い紙が綴じ込まれていた。
正式な記録ではない。
書き足し。
覚え書き。
忘れないための走り書き。
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「女児一名」
「健康」
「引き取り済」
それだけ。
署名はない。
理由もない。
いつの出来事なのか、
確かめる術もない。
ページをめくる指が止まり、
戻り、
もう一度そこへ落ちる。
文字は増えない。
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帳簿を預けた女は、
別の棚の話をしている。
不足している毛布の数。
寄付の減少。
今年の冬の見通し。
生活が続いている。
紙の上の三行は、
その流れに引っかからない。
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エカテリーナは、
礼を言い、
帳簿を閉じた。
閉じたはずなのに、
指先に、
まだ紙の感触が残っている。
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外へ出る。
昼の光が、
建物の輪郭をはっきりさせる。
遠くで、
荷車の軋む音がする。
誰も急いでいない。
世界は、
何も知らない顔で回っている。
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「女児一名」
それ以上の情報はない。
ないはずなのに、
彼女の足は、
次に向かう場所を
もう決めていた。
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町は小さかった。
道は狭く、
洗濯物が頭の上を渡り、
パンを焼く匂いが
どの家からも同じように流れてくる。
兵士の影はない。
演説も、
旗も、
ない。
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彼女は、
遠くから見た。
近づかなかった。
声も、かけなかった。
門柱に手を置き、
体重を預ける。
それ以上は進まない。
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庭で、
子どもたちが走っている。
追いかけ、
逃げ、
転ぶ。
膝についた土を払いもせず、
顔を上げる。
泣き声が短く上がり、
すぐに別の音に混ざって消える。
笑い声。
誰かが名を呼ぶ。
また走り出す。
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その中に、
探し続けた姿があった。
確信は、
どこにも書かれていない。
似ている理由も、
説明できない。
けれど、
目が離れない。
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——生きている。
胸の奥に落ちたその事実は、
重さを持って沈んだ。
跳ね返らない。
声にならない。
ただ、
そこに収まる。
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すぐに、
次の光景が重なる。
誰かの手が伸び、
服の埃を払う。
遅れて叱る声。
しゃがみ込む影。
子どもは顔を上げ、
口を尖らせ、
すぐにその袖へ寄っていく。
抱き上げられる。
抵抗は、ない。
慣れている動き。
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エカテリーナは、
門柱から手を離した。
木の表面に残った
自分の体温が、
急に他人のものになる。