ヴィイは目を閉じている   作:5734589

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共倒れという選択(前編)

第六章 共倒れという選択(前編)

 

戦争は、宣言から始まらなかった。

 

紙が掲げられたわけでも、

鐘が鳴ったわけでもない。

 

代わりに、

人の流れが変わった。

 

いつもの時間に開くはずの店が閉まり、

子どもを外へ出していた家が

扉を半分だけにする。

 

窓辺に立つ時間が長くなり、

視線が、通りを往復する。

 

 

噂が先に走った。

 

荷車の速さで。

徒歩の伝達で。

酒場の囁きで。

 

形を持たないまま、

けれど確実に、

人の胸の中へ沈んでいく。

 

 

そのあとで、

部隊が動いた。

 

靴音は揃い、

旗は畳まれ、

誰も説明をしない。

 

問われないからではない。

答えるつもりがないからだ。

 

 

検問が増える。

 

昨日まで

ただの境目だった場所に、

今日は理由が置かれている。

 

通る人間は、

自分が何を疑われているのかを

知らない。

 

知らないまま、

通されるか、

止められる。

 

 

町の人間が、

理由も知らされずに怯え始める。

 

その怯えは、

声にならない。

 

代わりに、

動きが減る。

 

夜が早く来る。

 

 

そのすべてを、

エカテリーナは、

少し離れた場所から見ていた。

 

建物の陰。

屋根の上。

使われなくなった物見台。

 

どこからでもよかった。

 

近づきすぎれば、

選ぶ側に入ってしまう。

 

離れていれば、

まだ動かせる。

 

 

帝国派は、

静かだった。

 

伝令は走るが、

走っていることを

見せない。

 

兵はいるが、

増えたようには見せない。

 

 

静かであるということは、

準備が終わっているということだ。

 

動き出す前の、

整えられた机のように。

 

 

阻止派は、

騒がしかった。

 

正義を掲げ、

言葉を掲げ、

人を集める。

 

集まるほどに、

足並みが揃わなくなる。

 

それでも声は大きくなる。

 

 

どちらも、

目的地は同じ。

 

地図の上で、

円が重なっている。

 

——あの町。

——あの子が生きている場所。

 

 

エカテリーナは、

仲間を集めた。

 

声をかける場所は、

決まっている。

 

勝ちきれなかった者。

信じ切れなかった者。

名前だけを使われ、

置いていかれた者。

 

 

帝国を憎む者。

阻止派に裏切られた者。

どちらにも属さない者。

 

呼ばれれば行くが、

旗の下には立たない者。

 

 

共通点は、

ただ一つ。

 

どの思想にも、救われなかったこと。

 

 

集まった顔は、

よく似ている。

 

諦めてはいない。

期待もしていない。

 

代わりに、

計算している。

 

自分がどこまで失えるかを。

 

 

彼女は、

理念を語らなかった。

 

卓の上に地図を広げ、

駒を置き、

消し、

また置く。

 

それだけを見せる。

 

 

帝国が悪だとも、

阻止派が正義だとも言わない。

 

その言葉は、

もう使い古されている。

 

 

代わりに、

こう言った。

 

「勝たせない」

 

間を置く。

 

「どちらにも」

 

 

最初は、

笑われた。

 

鼻で。

肩で。

息で。

 

戦争に、

引き分けはない。

 

勝者が歴史を書く。

敗者が死ぬ。

 

その順番だけが、

繰り返されてきた。

 

 

それでも、

彼女は駒を動かした。

 

片方が進めば、

もう片方に触れる。

 

触れた場所が、

崩れる。

 

 

「勝てなければ、

 象徴は使えない」

 

視線が上がる。

 

 

「象徴がなければ、

 戦争は長引く」

 

誰も口を挟まない。

 

 

「長引けば、

 外が動く」

 

ここで、

ようやく空気が変わる。

 

 

——他国。

——第三者。

——介入。

 

 

それは、

勝っても負けても

奪われる未来だった。

 

 

彼女は、

誰の顔も見ない。

 

ただ、

駒と線だけを見る。

 

 

勝利を焦る両陣営にとって、

それは最悪の結末だった。

 

だからこそ、

使える。

 

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