ヴィイは目を閉じている   作:5734589

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血は、名より先に呼ばれる(前編2)

第一章

 

血は、名より先に呼ばれる(前編2)

 

部屋は広かった。

 

天井が高く、

音は上へ逃げ、

人の気配だけが足元に残る。

 

家具は過不足なく置かれている。

座る場所、眠る場所、書き物をする場所。

用途は明確で、

迷う余地がない。

 

窓辺には重い幕が垂れていた。

開閉は外から管理され、

内側に紐はない。

 

エカテリーナは、

そこが与えられた範囲なのだと理解した。

 

滞在ではなく、

収容でもなく、

もっと穏当な言い方で呼ばれる種類の配置。

 

扉の外には、

いつも同じ位置に人が立っている。

 

視線は合わない。

話しかけられることもない。

 

ただ、いなくなることがない。

 

 

数日は、何事も起こらなかった。

 

起床の時刻に扉が叩かれ、

湯が運ばれ、

食事が並ぶ。

 

食器は静かに取り替えられ、

着替えは寸分違わぬ大きさで用意される。

 

不足はない。

不便もない。

 

だからこそ、

彼女は自分の身体に目を向ける時間を持った。

 

朝、目を開いたとき、

遠くで水に潜ったような感覚がある。

 

天井の模様が、

薄い膜を隔てた向こう側にある。

 

瞬きをすると戻る。

何事もなかったように。

 

立ち上がると、

足裏が床を探すのに一瞬遅れる。

 

以前はなかった遅れだった。

 

階段を使うことは許されていなかったが、

廊下を往復するだけで、

呼吸が浅くなる日があった。

 

侍女は何も言わない。

 

だが、湯の温度が変わり、

料理の味付けが薄くなり、

香の匂いが消えた。

 

記録されている。

 

そう思った。

 

彼女の表情ではなく、

歩幅でもなく、

体温や脈や、

食事の減り方が。

 

人ではなく、

数値として。

 

 

ある朝、

いつもより早く扉が叩かれた。

 

侍女ではない。

靴音が重い。

 

白衣の男が二人、

道具箱を持って入ってくる。

 

挨拶は短い。

視線は手元に落ちている。

 

椅子に座るよう促され、

脈を取られ、

瞼を上げられ、

腹部に触れられる。

 

どれも手慣れていて、

迷いがなかった。

 

紙に文字が並ぶ音だけが、

部屋の中央に残る。

 

やがて、年長の方が言った。

 

「妊娠しています」

 

報告だった。

 

発見でも、

祝福でもない。

 

手順の最後に置かれる確認。

 

沈黙が数拍あり、

若い方が書類に印を押した。

 

それで完了したらしい。

 

身体から手が離れ、

椅子を立つ許可が出る。

 

「今後の管理については、追って通達があります」

 

それだけが付け加えられた。

 

男たちは入ってきた時と同じ速さで退室し、

扉が閉まる。

 

金具が噛み合う。

 

部屋は元の広さに戻った。

 

 

廊下の向こうで、

声がした。

 

低く、抑えられている。

 

「血が混ざるな」

 

強い調子ではない。

 

誰かを責める響きでもない。

 

帳簿に線を引くときのような、

均一な声音だった。

 

いくつかの返答が続く。

内容は聞き取れない。

 

だが、

話題が整理されていく気配だけが伝わる。

 

問題点。

対処。

必要な期間。

 

扉の外で、

未来が分解されていく。

 

 

静かになってから、

エカテリーナは立った。

 

窓辺まで歩き、

手を伸ばす。

 

幕は動かない。

 

決められている。

 

彼女は自分の席へ戻り、

ゆっくりと腹に触れた。

 

平坦だった。

 

形はない。

重さもない。

 

皮膚の下は、

いつもと同じ沈黙を保っている。

 

それでも、

そこに新しい項目が追加されたことだけは、

はっきりしていた。

 

食事。

睡眠。

移動制限。

 

そして、

ここ。

 

彼女の身体は、

すでに彼女一人のものとして

数えられていない。

 

手を離す。

 

もう一度触れる。

 

何も変わらない。

 

変わらないまま、

記録だけが先に進んでいく。

 

 

この子は、

生まれるより前に

用途を持つ。

 

理由が与えられる。

 

望まれるか、

排除されるか、

どちらにせよ。

 

決定は、

ここではない場所で行われる。

 

エカテリーナは椅子に座り直し、

背筋を伸ばした。

 

呼び鈴は鳴らさない。

誰も呼ばない。

 

ただ、

次に扉が開く時刻を待つ。

 

それが、

いま彼女に許されている

唯一の参加だった。

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