第一章
血は、名より先に呼ばれる
阻止派が訪ねてきたのは、
帝国での生活が「安定した」と
記録の上で判断された頃だった。
安定。
毎朝同じ時刻に目を覚まし、
同じ量の食事を取り、
決められた距離だけ歩く。
廊下の見張りが交代し、
侍女の運ぶ湯の温度が一定になり、
医師が首を縦に振る。
逃走の兆候なし。
精神状態、推移良好。
そうした言葉に置き換えられた結果が、
安定だった。
面会の許可は、
帝国側から提示された。
拒否する理由がないから、
という説明が添えられていた。
⸻
通された部屋は白かった。
壁に額はなく、
窓には薄布だけが下がり、
外の光が形を持たずに広がっている。
椅子は硬く、
背もたれは短い。
長居を想定していない作りだった。
すでに三人が座っていた。
見慣れた外套。
阻止派の記章。
旅塵を払ったばかりの靴。
立ち上がり、
礼があり、
着席を促される。
一連の動きが滑らかで、
互いの距離を測り慣れている。
「お身体の具合はいかがですか」
問いは穏やかで、
形式に沿っていた。
「問題はありません」
喉に触れる言葉の重さは、
日ごとに軽くなっている。
本当だった。
めまいは記録され、
食事は調整され、
歩数は管理されている。
身体は、
生きるという機能に関して、
よく整備されていた。
男たちはうなずき、
視線を一度、机の上に落とした。
そこには紙も筆もない。
残すべきやり取りではないという合図だった。
「……お子さんのことですが」
その瞬間、
部屋の温度が変わったわけではない。
窓から入る光も同じ、
椅子の硬さも変わらない。
ただ、
全員が同じ一点を確認した。
ここから先は、
別の段階に入る。
彼らは、もう知っている。
どの週数か、
医師が何と報告したか、
帝国がどう動いているか。
それでも、
初めて触れる話題の顔をして、
順番に言葉を並べる。
「帝国は、血を重んじます」
「ご存じの通りです」
「混ざる血を、良しとはしない」
復唱のようだった。
確認であり、
前提の共有。
反論のためではない。
エカテリーナは、
両手を膝の上に置いたまま聞いていた。
動かさなければ、
震えは記録されない。
呼吸を整えれば、
余計な質問も生まれない。
ここで求められているのは、
態度の安定だった。
「ですが、我々にとっては違う」
一人が声を落とす。
親密さを示す高さ。
秘密を扱うときの、
訓練された低さ。
彼は身を乗り出さない。
距離は守られたまま。
「その子は、帝国にとって“不吉”です」
「生きているだけで、彼らの物語を壊す」
物語。
誰が書き、
誰が守り、
誰が語り継ぐのか。
ここでは当然のように共有されている。
男は続けた。
重要な語を机の中央に置くように、
はっきりと区切って。
「……内部では、あの子を
ヴィイと呼んでいます」
聞いたことのある音だった。
古い紙の匂い。
夜に語られる例え話。
子どもに向けるには強すぎる戒め。
人の名というより、
現象に貼られる札に近い。
「帝国に死をもたらす存在、という意味です」
説明は不足がなかった。
不足がないことで、
逃げ場もなかった。
部屋の白さが、
わずかに輪郭を持つ。
椅子の脚が床を押す感触が、
急にはっきりする。
ヴィイ。
その音は、
まだ形を持たない腹部のどこにも
触れていない。
触れていないまま、
周囲だけが理解を進めていく。
「生まれたら、我々が保護します」
「帝国の手には渡しません」
「あなたも、安全な場所へ」
安全。
運びやすく、
傷つけにくい言葉。
差し出す側の手に
よく馴染んでいる。
エカテリーナは、
そこで初めて顔を上げた。
男たちの視線が揃う。
彼らは待っている。
了承。
感謝。
安堵。
用意された反応を。
「……名前は?」
問いは、
自分でも予想していなかった位置から出た。
部屋の中央に落ち、
小さく跳ねる。
男の一人が、
瞬きをする。
もう一人は、
視線をわずかに横へ動かす。
短い、
だが確かな空白。
「象徴に、個別の名は必要ありません」
整えられた答えだった。
躊躇は、
内容のためではない。
順番のためだ。
どの言い回しが
もっとも摩擦を生まないかを選ぶ、
その時間。
それで十分だった。
エカテリーナはうなずいた。
首の角度は正しく、
速度も適切だった。
話し合いは終了の形を取り、
椅子が引かれ、
礼が交わされる。
誰も触れない。
触れないことで、
すべてが円滑に進む。
扉が閉まるまで、
音は立たなかった