自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~ 作:パラレル・ゲーマー
東京都千代田区永田町、首相官邸。
地下五階に設けられた『特別情報分析室』は、外界のあらゆる情報と喧騒から完全に切り離された絶対の密室である。分厚い鉛と電磁波吸収材に守られたこの空間に、今日も冷徹な空調の駆動音だけが単調に響いていた。
円卓を囲むのは、矢崎薫内閣総理大臣を筆頭に、官房長官、外務大臣、御堂周作経済産業大臣、財務省代表。そして、外務省の国連担当幹部たち。
スクリーンの傍らには、内閣官房参事官の日下部が立ち、部屋の隅にはアンノウン機関所属の『オラクル義体』が微動だにせず控えている。
工藤創一も呼ばれてはいるが、本日は完全な外交の修羅場であるため、邪魔にならないようカメラに映らない壁際で大人しくコーヒーを啜っていた。
日下部が、手元の端末を操作する。
「外部通信遮断。内部記録は政府管理ログへ限定。音声、映像、端末同期、すべて隔離環境へ移行。……ジャミング、オン」
ブゥン……という極低周波の音が響き、室内の照明が警戒の赤色へと切り替わった。
巨大なメインスクリーンに、四つの国旗が映し出された。
日本、ドイツ、インド、ブラジル。
『議題:G4首脳緊急協議 日本国の国連安全保障理事会常任理事国・単独先行案について』
矢崎総理は、そのタイトルを見上げ、深く、重い溜息を吐き出した。
「アメリカ、イギリス、ロシア、中国、フランス……。現在の常任理事国五か国(P5)すべての支持が揃うという、本来なら国を挙げて祝杯を上げるべき歴史的快挙なのですが」
総理は円卓の面々を見回した。誰の顔にも、喜びの色はない。
「ええ。我々は今から、長年ともに戦ってきた『仲間』たちに、自分たちだけが先にその席に座ることを説明しなければなりませんから」
外務省国連担当幹部が、胃の痛くなるような現実を口にする。
「G4(グループ・オブ・フォー)。……日本、ドイツ、インド、ブラジル。我々は長年にわたり、互いの常任理事国入りを支持し合い、共に国連改革を訴え続けてきた運命共同体です」
日下部が、淡々と過去の経緯を整理する。
「我々は、四人で並んで列を作り、ずっと扉が開くのを待っていました。……しかし今、その扉が開き、中の人間(P5)から『日本だけ中へ入れ』と手招きされている状態です」
「しかも、その手招きしているのが、現在の常任理事国全員です。ここで我々が『仲間が揃うまで入りません』と断れば、二度とこの扉は開かないかもしれない」
外務大臣が、外交的な絶望の選択を口にする。
「断ることはできません。ですが、黙って先に行くこともできません」
矢崎総理が、毅然と、しかし苦渋に満ちた声で言った。
「三か国とも、怒って当然ですね」
「はい」
日下部も、それを否定しなかった。
スクリーンに、各国の『想定される反応』が羅列される。
【ドイツ】
「G4への裏切りだ。欧州における独仏のバランスが崩れる」
【インド】
「中国と日本だけがアジアの代表になるのか。我々も大国である」
【ブラジル】
「南米の代表権はどうなる。日本が入った後も改革を続ける保証はあるのか」
「……三方向から、一斉に非難の集中砲火を浴びるわけですね」
官房長官が、額に滲んだ汗をハンカチで拭う。
「では、怒られましょう」
矢崎総理は、腹を括ったように真っ直ぐ前を見た。
「総理。その表現でよろしいのでしょうか」
官房長官が、思わず突っ込む。
「他に言い方がありますか?」
「『外交的な説明と理解を求める協議』です」
日下部が、冷徹に訂正する。
「意味は同じでは?」
「意味は似ていますが、体裁が違います」
日下部は、決して官僚の言葉遊びを崩さなかった。
◇
「協議に臨む前に、日本側の『持ち札』を再確認します」
日下部が、事前の準備状況をスクリーンに表示した。
【日本側・基本方針と提示条件】
一、G4枠組みを絶対に解散・離脱しない。
二、日本は三か国の常任理事国入り支持を維持する。
三、日本が入った後も、安保理拡大を国連内で推進する。
四、日本の国連代表部に『第二段階改革の専門班』を設置する。
五、毎年G4首脳会議を継続開催する。
六、日本の常任理事国入りを『最終的な国連改革』と位置づけない。
そして、日下部は最も重要な防衛線を口にした。
「第七に……技術協力と、今回の常任理事国支持の件は、完全に『切り離し』ます。アンノウン技術を、彼らへの言い訳や交渉材料には絶対に使いません」
御堂経産大臣が、確認するように身を乗り出す。
「ドイツ向けに提示していた、リクレーマー関連の周辺産業協力はどうなりますか?」
「既存の経済協力として、予定通り継続します。……ただし、本日の議題に対する『見返り(買収)』としては、一切提示しません」
日下部が即答する。
「正しいですね」
矢崎総理が深く頷く。
「先日の見直しで焼却したものを、名前だけ変えて持ち出すわけにはいきません。これは我々の覚悟の問題です」
「日本は卑屈にはなりません。謝罪はしますが、判断そのものを撤回する素振りは一切見せない。……我々は、自分たちの決断を説明し、その上でこれまでの約束を今後も守ると、直接伝えるためにこの会議を開くのです」
日下部が、交渉の絶対的なスタンスを定めた。
◇
「それでは、回線を接続します」
外務省幹部がコンソールを操作する。
メインスクリーンが四分割され、三つの国の首脳たちの顔が映し出された。
ドイツ首相。その表情は、まるで氷の彫刻のように硬く、冷たい。
インド首相。落ち着き払っており、その瞳には深い思索の色が浮かんでいる。
ブラジル大統領。比較的穏やかな表情だが、その目は鋭く日本の真意を測ろうとしている。
最高機密の多国間オンライン会議が、静かに幕を開けた。
矢崎総理が、居住まいを正し、真っ直ぐに画面を見つめて口を開いた。
「皆様。本日は急な会議の要請にお応えいただき、誠にありがとうございます」
総理の声は、落ち着き、そして重みがあった。
「アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国。……現在、国連安全保障理事会の常任理事国である五か国すべてから、我が国、日本国の常任理事国入りに対する明確な支持が表明されました」
画面越しの三か国の首脳たちは、ピクリとも表情を変えない。彼らもすでに、それぞれの情報機関を通じてその事実を掴んでいる。
「日本単独の先行であれば、国連での安保理改革が実現する可能性が極めて高い。……私は、この機会を逃すべきではないと判断しました」
矢崎総理は、決して言い訳から入らなかった。自らの決断を、正面から突きつける。
「我が国だけが先行することについて、皆様が不快感を抱かれることは十分に理解しています。……それでも、我々は進みます」
総理は、画面の三人を一人一人見据えた。
「本日は、皆様に許可を求めるためにこの会議を開いたのではありません。日本の決断をご説明し、その上で……我々はG4を捨てる意図はなく、これまでの約束を今後も守ると、私自身の口から直接お伝えするために参りました」
矢崎総理の、媚びることなく、逃げることもない堂々とした宣言。
会議室の日本側の面々は、これから始まるであろう三か国からの猛烈な非難と追及の嵐に備え、全身を硬くして身構えた。
沈黙。
数秒間の、永遠にも感じられる重い時間が流れた。
やがて、画面の中で、インド首相がゆっくりと口を開いた。
「……矢崎総理」
日本側が、息を呑む。
インド首相は、ふっと顔をほころばせ、穏やかに笑った。
「まずは、お祝いを申し上げます。……おめでとうございます」
「…………え?」
矢崎総理が、思わず素の声を漏らしそうになるのを、ギリギリで堪えた。
日下部も、完璧なポーカーフェイスの裏で、猛烈に処理回路を回転させていた。
(……お祝い? 怒らないのか?)
インド首相は、全く悪びれることなく、鷹揚に言葉を続けた。
「我々は、日本の決断に反対しません。むしろ、進むべきです」
「……よろしいのですか?」
矢崎総理が、慎重に問い返す。
「我が国だけが、先に常任理事国となることですよ?」
インド首相は、少しだけ肩をすくめてみせた。
「扉が一度しか開かないかもしれないのに、四人揃うまで待って、結局誰も入れずに扉を閉じるのですか?……それは友情ではありません。ただの集団自殺です」
そのあまりにも的確で、皮肉の効いたユーモアに、重苦しかった会議室の空気が一瞬でふっと和らいだ。
ブラジル大統領も、画面の向こうで声を立てて笑っている。
「P5全員の支持が揃う機会など、歴史上滅多にありません。その千載一遇の好機を日本が断る理由は、どこにもないでしょう」
インド首相は、真っ直ぐに矢崎総理を見た。
「それに、日本という国の気質は、我々も長年の付き合いでよく理解しています。……一度、仲間として約束した相手を、自分だけ席を得たからといって切り捨てて忘れるような国ではないでしょう?」
それは、打算ではなく、長年アジアの民主主義国として共に歩んできた日本に対する、長年の積み重ねに裏打ちされた『信頼』の言葉だった。
「日本が内側へ入るなら、我々は外から扉を押します」
インド首相の目が、力強く光る。
「次は内側から、我々のために扉を引いてください」
矢崎総理は、深く、万感の思いを込めて頷いた。
「……必ず」
「ならば十分です。頑張ってください」
インド首相は、それ以上の見返りも、技術への要求も一切口にせず、あっさりと日本を送り出した。
◇
「ブラジルとしても、日本の先行を全面的に支持します」
続いて口を開いたブラジル大統領も、極めて前向きな表情だった。
「我々が欲しいのは、四人で仲良く並んで撮る記念写真ではありません。安保理改革という、結果(現実)です」
ブラジル大統領は、陽気な手振りで熱弁を振るう。
「安保理改革は、数十年もの間、一ミリも動きませんでした。四カ国同時加入という理想にこだわれば、さらに数十年止まり続けるでしょう。
ですが、日本だけでも中に入れば、『新しい常任理事国は増やせない』というこれまでの前例の壁が、完全に崩れ去ります。壁に最初の穴を開ける者がどうしても必要なのです。……今回は、それが日本だった。ただ、それだけのことです」
「ご理解いただき、感謝に堪えません」
矢崎総理が、安堵の息を吐き出しながら礼を述べる。
「日本が中へ入った後、我々のために開けたその壁の穴を塞がないと約束してくれるなら、我々に反対する理由はありません」
「塞ぎません。むしろ、広げます」
矢崎総理が、力強く断言する。
ブラジル大統領は、満足そうに笑った。
「それなら、頑張ってください。次は我々も続きます。
……日本が先に椅子へ座ったら、我々三カ国分の場所も、ちゃんと確保しておいてくださいね」
「席そのものを勝手に増やす権限はありませんが……場所を空ける努力はします」
矢崎総理も、少しだけユーモアを交えて返す。
日下部は、内心で激しく突っ込んでいた。
(総理。曖昧な家具の比喩で、外交上の約束をしないでください。後で議事録に残す時に非常に困ります)
日本側の事前の『猛烈な非難を浴びる』という予測は、見事に裏切られた。
インドも、ブラジルも、日本の先行を問題視するどころか、背中を押してくれた。彼らは日本が自国だけ利益を得て逃げる国ではないと信じ、P5全カ国の支持が揃う機会を逃す方が愚かであると、極めて高度な政治的リアリズムで理解していたのだ。
会議室の日本政府メンバーたちに、ようやく安堵の空気が広がりかけた。
——だが。
画面の四分の一。
ドイツ首相だけが、いまだに氷のように冷たい、硬い表情のまま、一言も発していなかった。
◇
矢崎総理が、静かにドイツ首相へと視線を向けた。
ドイツ首相は、ゆっくりと口を開いた。
その声は、感情的に怒鳴るようなものではない。極めて冷静に、論理的に、そして冷徹に、日本の痛いところを突いてきた。
「……我々は、まだ日本を祝福することができません」
その一言で、和みかけた空気が一瞬にして再び凍りついた。
「我々は四カ国同時の加入を基本線として、長年にわたり膨大な外交資源を投入し、協調してきました」
ドイツ首相は、一つずつ、制度的な不満を並べ立てていく。
「日本がここで先行すれば、国際社会からは『G4が事実上崩壊した』と見られるのは避けられません。日本がどれだけ否定しようと、です」
「さらに、欧州内の不均衡の問題です」
ドイツ首相の目が、鋭く光る。
「アジアには中国がいる。日本が入れば、アジアからは二カ国が常任理事国となります。
しかし、欧州には現在、イギリスとフランスがいますが……イギリスはすでにEUを離脱しています。実質的に、EU加盟国の常任理事国はフランスだけです。人口、経済力、国際貢献の規模を考えても、ドイツだけがこの枠組みから取り残され、フランス一国だけが欧州大陸を代表する状態に置かれる。……これは、我々にとっては到底受け入れがたい事態です」
外務省幹部は、予測していたはずのドイツの不満が、首相本人の言葉として突きつけられる重さに息を呑んだ。
フランスは、日本の支持に回ることで、ちゃっかりと自分の席を守りつつ、リクレーマーという超技術の欧州拠点まで手に入れようとしている。ドイツからすれば、日本に置いてけぼりにされた挙句、ライバルのフランスに欧州の覇権を独占される悪夢のシナリオなのだ。
「そして、最も重大な懸念があります」
ドイツ首相は、矢崎総理を真っ直ぐに見据えた。
「日本政府のことは信用します。……しかし、P5全体は信用できない」
「信用できない、とは?」
「日本が加わり、P6となった安全保障理事会が、『日本が加わったことで、現代の国際社会のバランスを反映した。これにて国連の現代化(改革)は完了した』と判断し、次の拡大改革を拒絶すれば、どうするのですか?」
ドイツ首相の指摘は、極めて鋭利だった。
「日本政府の『善意』が、将来の国際制度を保証してくれるわけではありません。国際政治を、国家の善意だけに預けることはできないのです」
「……」
日本側は、誰も反論できなかった。
ドイツは、欲深さから文句を言っているのではない。ただ、国際政治における極めて真っ当で、正当な「制度的不満」を口にしているだけなのだ。
「日本の成功を妬んでいるのではありません」
ドイツ首相は、少しだけ声を落として言った。
「ですが、我が国の国民にどう説明すればよいのですか。
日本は常任理事国になる。フランスは常任理事国のまま、欧州のリクレーマー拠点も得る。そしてドイツには……周辺設備の部品製造の契約書だけが届く」
日下部は、心の中で深く頷いた。
(その通りです。我々が用意したのは、まさにそういう絵図ですから)
「我々が長年求めてきたのは、単なる産業の受注ではありません。国際秩序における、正当な席です」
この正当な不満を前に、日本側も安易な反論を返すことはできなかった。
◇
ここで日本側が、「しかしP5が我々だけを選んだのだから仕方がない」「我々にはアンノウン技術があるから」などと責任転嫁や傲慢な態度を取れば、ドイツとの関係は決定的に破綻する。
矢崎総理は、逃げずに、正面からドイツの言葉を受け止めた。
「……ドイツ首相の仰る通りです」
総理は、深く頭を下げた。
「日本だけが先に進めば、ドイツ国民の皆様から見て、我が国がG4を利用し、裏切ったように映るでしょう。その不信を、誤解だとは申しません。……実際に、我々だけが先へ行くのですから」
外務省幹部は、総理がドイツ側の不信を正面から認めたことに、一瞬緊張したが総理の言葉はそこで終わらなかった。
「ですが、それでも日本は進みます」
矢崎総理が顔を上げ、強い意志を込めた瞳でドイツ首相を見つめ返した。
「P5全カ国の支持が揃ったこの歴史的な機会を、我々は決して捨てません。
ドイツに不満があるからといって、すでに開かれている扉を閉じて引き返すこともしません」
ドイツ首相の眉が、わずかに動いた。日本は謝罪しながらも、決断そのものは一歩も引かない構えだ。
「その代わり」
矢崎総理は、言葉に最大の重量を乗せた。
「我々は中へ入った後、ドイツを置き去りにしないことを、曖昧な『善意』ではなく、明確な『制度』と『公文書』で保証します」
◇
日下部が、すかさず端末を操作し、ドイツ側に日本政府の『第二段階改革保証案』のデータを送信・表示した。
【日本国・安保理第二段階改革保証案】
一、日本政府の公式国家方針
日本の常任理事国入り後も、ドイツ、インド、ブラジルの加入を含む安保理拡大を、日本政府の『正式な外交方針』として閣議決定し、維持する。
二、国会決議
日本国会において、「日本の加入を安保理改革の完了とせず、次段階改革を推進する」という決議を目指す。これにより、政権交代後も容易に方針を覆せないようにする。
三、G4枠組みの維持
日本が常任理事国となった後もG4は解散しない。「一カ国が常任理事国となったG4」として、内側と外側から同時に改革を進める。
四、日本国連代表部の専門部署設置
日本の国連代表部に、『安保理第二段階改革推進室』を新設。ドイツ、インド、ブラジルとの常設連絡窓口とする。
五、常任理事国就任演説での明言
日本が常任理事国入りを果たした最初の国連総会演説で、「今回の日本の加入は改革の完了ではない」と世界へ向けて公式に明言する。アフリカ代表を含む、さらなる拡大が必要であると述べる。
六、期限付きの進捗確認
毎年G4首脳会談を継続開催し、第二段階改革の進捗を共同発表する。「努力します」で終わらせず、毎年公に確認される仕組みを作る。
七、国連総会でのG4共同声明
日本の単独先行を「G4の崩壊」ではなく、「安保理改革の第一段階」と位置づける共同声明を、四カ国で発表する。
八、技術供与との切り離し
ドイツへのリクレーマー関連の周辺産業協力は、既存の計画として継続する。これを常任理事国支持への対価(買収)とはせず、明文化して切り離す。
「これらが、我が国が提示する『保証』です」
日下部が、淡々と、しかし確かな重みを持って説明する。
ドイツ首相は、送られてきたリストを無言で読み込んだ。
そして、冷たく指摘した。
「閣議決定は、次の内閣が構成されれば変更できる」
「国会決議には、国際的な法的拘束力はない」
「推進室を作っても、実際に改革が進むという保証にはならない」
日下部は、顔色一つ変えずに頷いた。
「……すべて、その通りです」
日本側は、誰も苛立たなかった。
ドイツは揚げ足を取っているのではない。国際政治という冷酷な舞台において、実効性のある「真の保証」を必死に求めているのだと、痛いほど理解していたからだ。
「ならば、追加の保証を求めます」
ドイツ首相が、さらに厳しい条件を突きつけてきた。
【ドイツ側からの追加要求】
・G4共同声明へ、日本の明確な継続支持を記載すること。
・日本が常任理事国入り後、一定期間内に次段階改革案を国連で正式に提起すること。
・G4外相会談を年二回開催し、改革進捗報告を共同公開すること。
・日本がP5との非公開協議において、「これ以上の拡大は不要」とする提案へ絶対に同調しないこと。
・他のP5による妨害が起きた場合、日本が積極的に協議を要求すること。
・そして何より……日本自身が、将来のドイツ、インド、ブラジルの加入案に対して『拒否権』を行使しないこと。
最後の条件は、最も重いものだった。
日本が席に座った後、自らの特権を守るために後続を拒絶するのではないかという、最大の恐怖に対する防波堤だ。
矢崎総理は、一秒の迷いもなく即答した。
「日本が、ドイツ、インド、ブラジルの加入を拒否権で妨げることは、絶対にありません」
「ただし」
日下部が、即座に実務的な補足を入れる。
「将来の国際情勢の変化や、加盟案の具体的な条文内容までを、未来永劫にわたって『無条件にすべて承認する』とまでは書けません」
ドイツ首相も、そこはプロの政治家として理解を示した。
「当然です。我々も、白紙委任状を求めているわけではありません」
◇
だが、それでもドイツ首相の態度は硬いままだった。
書類上の約束だけでは、まだ彼らの中にある不信感と、欧州における焦燥感は拭い切れないのだ。
ここで、日本側だけが必死に説得を続けると、日独の対立構造が強くなりすぎてしまう。
その空気を察したように、インドとブラジルが絶妙なタイミングで間に入った。
「ドイツ首相。あなたの不安は、我々もよく理解できます」
インド首相が、穏やかに語りかける。
「我々も、日本政府の公文書だけで、未来が完璧に保証されるとは考えていません」
インド首相は、少し身を乗り出した。
「しかし……日本を外側の我々と同じ場所に残したままであれば、未来は『さらに』保証されません。
少なくとも日本が中へ入れば、我々にはあの強固な城の中に、改革を理解する常任理事国が一人できることになります。ゼロより、一の方が良い。これは単純な計算です」
「保証が不完全だからといって、日本の先行を止めるというのは違うでしょう」
ブラジル大統領も、少し軽快なトーンで後押しする。
「日本が約束を破った時は、その時に我々三カ国で日本を徹底的に責めればいいのです」
ブラジル大統領は、画面越しの矢崎総理に向かって笑いかけた。
「日本が席に座った途端、我々の電話に出なくなったなら……その時は、ベルリンとニューデリーとブラジリアから、同時に電話をかけましょう。東京の回線が壊れるまでね」
矢崎総理は、少し困ったように苦笑した。
「できれば、その事態は避けたいですね」
「なら、約束を守ってください」
ブラジル大統領が、笑顔の奥に確かな圧を込めて言う。
「もちろんです」
ドイツ首相は、沈黙したまま二カ国の首脳の言葉を聞いていた。
インドとブラジルが、日本側についたことに苛立っているわけではない。彼ら二カ国が、それほどまでに日本を信頼しているという事実を、重く受け止めているのだ。
もしここで自分たちだけが反対し、日本の好機を潰した場合……今度はドイツが「自分たちの嫉妬でG4を壊した」と国際社会から見られることになる。その現実的なリスクも、ドイツ首相は冷徹に理解していた。
◇
長い、息の詰まるような沈黙。
やがて、ドイツ首相が静かに口を開いた。
「……ドイツは、日本の単独先行を歓迎するとは申しません」
その声は、相変わらず冷たかった。
「我々が置かれた状況への不満も、撤回しません」
日本側が、固唾を呑んで次の言葉を待つ。
「……ですが、日本の常任理事国入りを、妨害することもしません」
外務省幹部が、安堵のあまり崩れ落ちそうになるのを必死に堪えた。
「提示された保証をG4の共同声明へ明記し、日本政府と国会がそれを正式に承認するのであれば。……ドイツは、日本を支持します」
矢崎総理は、画面に向かって深く、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「感謝は不要です」
ドイツ首相は、一切の愛想笑いを見せずに言った。
「これは友情ではなく、改革を前進させるための政治的判断です」
ドイツ首相は、少しだけ間を置いて、付け加えた。
「ただし。……日本が席へ座った後、我々を忘れた時は」
「四方向から電話ですね」
ブラジル大統領が、すかさず相槌を打つ。
「我々は、時差を調整しませんからね」
インド首相が、深夜でも電話を鳴らし続けると脅す。
その言葉に、ドイツ首相もほんの少しだけ……本当に微かに、表情を緩めた。
「その時は、覚悟していただきたい」
「肝に銘じます」
矢崎総理が、力強く頷いた。
◇
オンライン会談が終了し、実務者協議へと移行した。
だが、ここからが日本政府にとっての「本当の地獄」であった。
G4の共同声明案の作成作業である。
インドから送られてきた草案は、比較的短く、シンプルだった。
『日本の先行を支持する。次段階改革を共に進める』
ブラジルからの草案は、前向きで読みやすいものだった。
『これは終わりではなく始まりである』
そして。
ドイツから送られてきた修正案のデータファイルを開いた瞬間、外務省幹部は完全に顔面蒼白になり、声を出して固まった。
「……ドイツ側から、共同声明の修正案が届きました」
外務省幹部が、震える手でタブレットを掲げる。
「早いですね」
矢崎総理が、安堵して微笑む。
「……本文二十八ページ。附属文書九十四ページです」
「……共同声明、ですよね?」
総理の笑顔が引きつる。
「はい」
「条約の草案ではなく?」
「共同声明です」
日下部が、送られてきたデータを猛スピードでスクロールしながら静かに言った。
「定義集、進捗確認手続き、会談開催周期の厳密な規定、各国の責任範囲、改革停滞時の再協議条項、共同報告の手順まで……完璧に網羅されています」
「ドイツが、納得したという意味です」
「納得すると、文書がここまで増えるのですか?」
総理が頭を抱える。
「ドイツの場合は」
日下部が真顔で答える。
「受注より重いものが来ましたね」
御堂経産大臣が、その文書の厚みに苦笑する。
「これが、彼らの求めていたものです。口約束の利益ではなく、制度と公文書による『保証』です」
日下部は、決してドイツの細かさを笑わなかった。それは彼らの本気度であり、日本に対する信頼回復のための絶対条件なのだ。
◇
最終的に、膨大な調整を経て決定された『G4共同声明』の主要な内容は以下の通りとなった。
一、日本の常任理事国入りを、安保理改革の『第一段階』として位置づける。
二、ドイツ、インド、ブラジルは、日本の常任理事国入りを支持する。
三、日本は、ドイツ、インド、ブラジルを含む次段階の安保理拡大を継続して支持する。
四、G4枠組みを維持する。
五、日本は常任理事国入り後、安保理内部から改革を推進する。
六、四カ国は定期的な首脳・外相・実務者協議を継続する。
七、今回の日本加入を、安保理改革の完了とはみなさない。
八、常任理事国入りと技術・経済協力を直接結びつけない。
九、アフリカを含む地域代表性の改善についても、次段階で協議する。
最後のアフリカ枠を入れることで、G4だけの身勝手な席争いではなく、より広い『国連全体の改革』として見せる構成に見事に着地させた。
◇
オンライン会談が完全に終了し、スクリーンが暗転する。
インドとブラジルの画面は、最後まで笑顔で消えた。
ドイツの画面は、最後まで硬い表情のままだったが、退出する直前に一言だけ、「成功を祈ります」とだけ言い残した。
「おめでとう」とは言わなかった。
その微妙な言葉の選び方に、彼らの拭いきれない不満と、それでも前に進むという意地が滲んでいた。
矢崎総理が、深く、長く息を吐き出して椅子に寄りかかった。
「……インドとブラジルには、もっと厳しく言われると思っていました」
「両国とも、日本が約束を守る国だと評価しているのでしょう」
外務大臣が、これまでの外交の蓄積に感謝するように言う。
「だからこそ、裏切ることはできません」
日下部が、冷徹に釘を刺す。
「ドイツは、まだ納得していませんね」
御堂大臣が呟く。
「納得はしていません。ですが、合意はしました」
日下部が答える。
「違うのですか?」
総理が問う。
「大きく違います。国際政治では、納得できなくても合意できることの方が、はるかに重要です」
日下部は、外交の真理を口にした。
官房長官が、手元の端末で、まだドイツから送られ続けている微細な文言の修正要求を見ながら呻いた。
「現在、第三次修正案が届きました」
「会談が終わって、まだ三分ですが」
総理が呆れる。
「彼らは本気です」
日下部は、決して油断することなくその修正案のチェックに入った。
◇
「次は世界中、ですか」
矢崎総理が、少し疲れた声で言う。
「はい」
日下部が淡々と答える。
「P5の五カ国と、G4の三カ国が揃いました。ですが、国連総会はそれだけでは足りません」
スクリーンに、世界地図と各国の投票予測が映し出される。
賛成の緑、保留の黄色、反対の赤、未定の灰色。
まだ、圧倒的に黄色と灰色が多い。
「アフリカ、東南アジア、中東、中南米、太平洋島嶼国。ここから先は、一カ国ずつです」
矢崎総理が、その広大な地図を見上げる。
「床は、まだ広いですね」
「はい。ですが、少なくとも一番大きな亀裂は塞がりました」
日下部が、静かに答える。
壁際で大人しくしていた工藤が、ドイツから送られてきた分厚い資料の束のデータを見て、感心したように言った。
「これ、なんかのシステムの仕様書ですか?」
「共同声明です」
日下部が答える。
「ドイツ、しっかりしてますね」
「あなたは嬉しそうにしないでください」
日下部は、ホワイトボードの『床補強リスト』の項目に、次々とチェックを入れていく。
『P5支持確認』にチェック。
『G4調整』にもチェックが入る。
ただし、その横には日下部の几帳面な字で、こう書き加えられていた。
『ドイツ。支持。ただし不満継続』
財務省代表が、それを見て首を傾げる。
「不満継続まで、わざわざ記載する必要がありますか?」
日下部が、無表情で答える。
「必要です。支持と納得は別物ですから」
インドは笑って、日本の背中を押した。
ブラジルは、最初の穴を開けてこいと送り出した。
ドイツだけは、最後まで笑わなかった。
それでも彼らは、日本が先に座ることを認めた。
日本が得ようとしているのは、自国だけの椅子ではない。少なくとも、そう証明し続ける重い責任を、日本は新たに背負ったのだ。
P5の門番は退いた。
G4の仲間たちも、道を譲った。
次に待つのは、世界百数十カ国の、名もなき票たちである。
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