火葬戦記です。文章しかありません。

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もしも、ドイツが最善手を打ち続けていたら?

1939年9月1日、ドイツはポーランドに侵攻した。理由はドイツの要求するダンツィヒ割譲及び東プロイセンとの連絡道路設置を拒絶したからだ。とはいえ、仮に拒絶したとしても、ドイツの侵攻が先延ばしになるだけだろう。ドイツの要求を受け入れたチェコスロバキアの末路を見れば、ポーランドが拒絶するのも当たり前の話と言える。

 

この事態に英仏はドイツに宣戦布告した。ポーランドとは安全保障協定を締結しており、これを踏みにじるドイツを座視できなかったからだ。だが、英仏の戦争準備は整っていない。地形的にはポーランドと挟み撃ちできたにも関わらず、英仏軍はドイツ本土への小規模な空爆や侵攻でお茶を濁す。

 

この間にポーランドは追い詰められた。ドイツ軍は火力と機動力で凌駕しており、瞬く間にポーランド軍主力を包囲したからだ。首都ワルシャワや主要な工業地帯は占領され、単独では戦局の挽回は難しい。9月10日にはポーランド軍上層部はルーマニア国境付近への撤退を命じ、そこで英仏の援護攻撃を待つことにした。

 

だが、その判断は間に合わなかった。9月17日にソ連がポーランド東部に侵攻したからだ。表向きにはベラルーシ人及びウクライナ人の保護を謳っているが、実際には独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づいた分前の確保に過ぎない。無防備な背後を大軍で突いたことで、10月6日にはポーランド全土が独ソの支配地域となってしまう。

 

この勝利にドイツ国民は喜んだものの、ドイツ軍上層部は頭を抱えてしまう。なにせ、恐れていた英仏との戦争が始まったからだ。イギリス海軍は既にドイツへの海上封鎖を実施し、海路での原材料輸入は途絶えている。幸い中立国経由での輸入は可能なものの、その量は必要最低限しか無い。

 

このジレンマを解決するには、短期間で英仏を打倒するしか無い。ただ、ポーランド戦で予想以上に弾薬を消耗した。すぐに対仏戦を始めることは難しい。それにもうすぐ厳しい冬が訪れる。空軍に多くの火力を依存する陸軍にとっては、出来るだけ天候が安定している時期が好ましいだろう。故に攻撃開始は1940年5月を予定した。

 

この間にドイツ海軍は通商破壊戦を開始する。イギリスはエネルギー資源及び食糧の多くを海上輸送に依存しており、それを寸断することで戦争からの離脱を期待できたからだ。幸いドイツ海軍はリソースの大半を潜水艦建造に充てたこともあり、年内までに約80万トンの船舶を沈めることができた。

 

このような中で、ドイツ軍は北欧侵攻を模索する。理由は英仏軍によるノルウェー及びスウェーデン侵攻を恐れたからだ。というのも、ドイツは鉄鉱石の多くをスウェーデンに依存している。仮にドイツの予想通りに英仏軍が動こうものなら、軍需生産に大きな影響を与えるだろう。看過することはできなかった。

 

侵攻は気象条件が良くなる4月上旬を予定した。侵攻に際しては、スウェーデンは対象から除外される。下手に侵攻して採掘施設を破壊されたら、復興に手間が掛かってしまうからだ。あくまで、鉄鉱石の輸送ルートさえ確保できれば良い。故にデンマーク及びノルウェーに絞り、英仏軍の本格介入前に制圧することを目指した。

 

かくして、1940年4月9日にドイツはデンマーク及びノルウェーへ侵攻する。軍事力に乏しいデンマークは即日降伏したものの、ノルウェーは徹底抗戦を選択した。すぐにドイツ軍はノルウェー南部をしたが、英仏軍の介入で戦闘が長期化してしまう。また、北部のナルヴィクでは、降伏寸前まで追い込まれてしまった。

 

この状況下で5月10日にフランス侵攻が開始される。防備の手薄なベネルクス諸国経由で侵攻したのだ。この動きに英仏軍はベルギー領内での迎撃を試みる。ディール川に沿った防衛線を敷くことで、フランス本土を戦場にさせないようにした。実際、ドイツ軍の進軍速度は緩んでおり、このままなら守りきれそうに見える。

 

だが、この動きこそドイツ軍の待ち望んだ展開だった。ドイツ軍主力は南部のアルデンヌの森に展開しており、ベルギーに釣り上げられた英仏軍を包囲殲滅する算段だ。この動きを英仏軍は予期しておらず、この付近の防備は余りにも手薄だった。これにより、ドイツ軍の装甲部隊は瞬く間に英仏軍の背後を遮断する。

 

この事態に英仏軍は海路での脱出を模索した。未だ使用可能なダンケルク港へ兵力を移動させる。ところが、ドイツ軍の動きは速かった。英仏軍の海上脱出を阻止するため、装甲部隊を急進させたからだ。5月24日にはダンケルク港が陥落し、孤立した英仏軍はドイツ軍に降伏せざる得なかった。

 

この瞬間、彼我の戦力比はドイツ側に大きく傾く。この機を逃すはずもなく、6月7日にはフランス本土へ侵攻が本格化した。フランス軍は必死に抵抗したものの、まもなく戦線は崩壊する。首都パリは6月14日に陥落した。工業と政治の中心地を失ったことで、6月22日にはフランスは降伏を余儀なくされる。

 

この一連の勝利は、世界を驚愕させた。なにせ、フランスは陸軍大国で先の大戦では、四年の長きに渡る総力戦の末に勝利した。その粘り強さと国力の高さは折り紙付きだ。それが実質的に6週間の戦闘で敗れ去ったのだ。この勝利に今まで中立を保っていた親独派の国々は参戦を検討し、イタリアに至っては6月10日に英仏へ宣戦布告したほどである。

 

この勝利で一息付いたドイツは、戦争を終わらせるために動く。7月19日には様々なメディアを通じて、イギリスに和平交渉を持ち掛けたのだ。その内容は勝者にしては寛大なもので、自身のヨーロッパ大陸での勢力圏を認めるかわりに、イギリスへの領土割譲及び賠償金請求を放棄すると言うものだった。

 

ここまでドイツが譲歩したのは、早期の英本土上陸が困難だったからだ。なにせ、英本土は強力な海軍と空軍に守られている。これを突破するのは難しい。少なくとも、年内の上陸は困難だろう。上陸用の戦力を整えるのに数年の時間が必要だし、その間にソ連やアメリカなどの介入も考えられた。故に交渉での終結を模索した。

 

だが、イギリスは拒絶する。理由はドイツを信用できなかったからだ。ミュンヘン会談のように軍備が整うまでの時間稼ぎだと考えた。それにフランス戦で陸軍は大打撃を受けたとはいえ、英本土の守りの要たる空軍と海軍は健在だ。未だ戦争の継続が可能な以上、将来の脅威となり得る和平など受け入れる余地がなかった。

 

この事態にドイツは頭を抱えたものの、すぐに軍部は対英戦の方針を固める。具体的には英本土上陸等の直接的な方法ではなく、通商破壊戦や海外植民地の奪取及び煽動による間接的な打倒を狙う。この方針に基づいて、軍部は潜水艦戦力の増強、外務省は同盟国イタリアや友好国スペインとの交渉、諜報機関は反英勢力への支援に動く。

 

この動きにイギリスは有効な手を取れなかった。原因は戦力不足だ。ドイツ軍の本土上陸を警戒するあまり、海外植民地の防衛及び海上輸送の護衛が疎かになったからである。アメリカはイギリスの現状に同情的であり、基地使用権と引き換えに旧式駆逐艦50隻を与えたものの、反戦的な世論の問題で直接参戦してくれる状況にはない。

 

このような中で、ドイツ空軍はイギリス本土空襲を開始する。目標は港施設及び造船施設だ。海軍の通商破壊戦に連動する形で、イギリスの物資揚陸及び造船能力を奪う。空襲はイングランド南部等の戦闘機による援護可能な地域には昼夜問わず空襲し、それ以外の地域は戦闘機の迎撃が困難な夜間爆撃を主とした。

 

この攻撃にイギリス空軍は有効な対策を取れなかった。イギリス本土にはレーダーが張り巡らされたものの、沿岸部の防衛は探知範囲の制約から迎撃が間に合わず、夜間空襲は戦闘機による補足が困難だったからだ。故にドイツ空軍の損害は十分に許容範囲内であり、これによってイギリスは徐々に打撃を受けた。

 

また、ドイツ陸軍も沿岸部で活発的に動く。上陸用舟艇を集結させ、何度も演習を実施したのだ。この動きにイギリス側はドイツ軍の本土上陸を警戒しなければならず、水際防衛のために貴重な駆逐艦を沿岸部で待機させなければならなかった。これにより、船団護衛に割ける戦力が減り、ドイツ海軍の通商破壊による戦果を向上させた。

 

ただ、海外植民地の奪取及び煽動は上手くいかなかった。原因はイタリアとスペインの非協力だ。イタリアは独力でスエズ運河を占拠できるとドイツ軍の派兵を断り、スペインは内戦による疲弊から参戦に後ろ向きである。植民地への煽動工作もイギリスの妨害で上手くいかず、はっきり言うなら手詰まりだった。

 

それだけなら未だしも、イタリアの場合は10月28日にギリシャへ侵攻する。エジプト侵攻が準備不足で停滞したことから、未だ簡単そうなギリシャの占領を狙ったのである。この裏にはイタリアに無断でルーマニアへドイツ軍が駐留したことにあるが、これは軍事的には更なる戦力分散を招いてしまう。

 

むろん、それでも勝てれば良い。だが、年末には両方の戦線で反撃を受ける。北アフリカ戦線では逆にリビアへ侵攻され、ギリシャでも自国領のアルバニアへ攻め込まれてしまう。この有様にドイツは頭を抱える。このままではアフリカへの足場を失うばかりか、ヨーロッパに敵の反抗拠点が出来てしまう。

 

とはいえ、悪いことばかりではなかった。この敗北でイタリアは漸くドイツ軍の派兵を要請したからだ。1941年2月に北アフリカ戦線へ派兵が始まり、4月までにトブルク以外のリビア全土を奪還した。4月9日にはギリシャ及びユーゴスラビア侵攻が始まり、4月27日にはクレタ島以外のギリシャ本土を攻め落とす。

 

この勝利でヨーロッパの安全を確保すると、今度はエジプトへの侵攻を狙う。目標はスエズ運河の奪取だ。これに基づいて、北アフリカ戦線には4個装甲師団と大量の航空戦力が派遣される。これは補給の乏しい砂漠で活動可能なギリギリの戦力だった。故にイタリア軍は今回の侵攻には最低限の戦力しか参加できなかった。

 

当然、この動きにイギリス空軍は港への攻撃を強化した。如何に理論上運用可能とはいえ、港を利用不能にすれば、これらの戦力は維持できないからだ。だが、ドイツ空軍は大量に送られた航空戦力で港の防衛を強化することができた。これにより、最前線に最も近いベンガジ港は、想定通りの物資を揚陸できたのだ。

 

7月6日にトブルクを陥落させると、間髪入れずにエジプトへ侵攻する。火力、機動力、兵力に勝るドイツ軍にイギリス軍は対抗できず、7月20日にはスエズ運河西岸まで制圧することができた。この勝利に中東地域では反英的なアラブ人による反乱が本格化し、イギリス軍は内側の敵とも対峙する必要に迫られた。

 

この危機に現地のイギリス軍は本国に増援を要請する。だが、上手くいかなかった。原因は本土上陸への備えを外せなかったからだ。この時期、フランス方面のドイツ軍は北アフリカ戦線の動きを援護するため、大規模な陽動を行っていた。特殊部隊による小規模な上陸も試みられ、とてもではないが増援を送る余裕がなかったのだ。

 

加えて、5月にイラクで反英クーデターが発生し、クーデター政権がドイツに援助を求めたことも戦力不足に拍車を掛ける。ドイツ軍は空輸師団を派遣して、イラク北部を占拠してしまったのだ。これを掃討するためにも戦力が必要であり、現地のイギリス軍は戦力の劣勢を挽回できなかった。

 

当然、これをドイツ軍が見逃すはずもない。9月3日にはスエズ運河東岸への上陸が開始され、圧倒的な砲兵火力の支援で橋頭堡を確保した。その上で戦車などの重火器を揚陸させると、一気に内陸部へ侵攻が始まる。現地のイギリス軍は必死に抵抗したものの、火力、機動力、兵力の差から敗走を余儀なくされた。

 

戦場はシナイ半島から中東へと移り、9月26日にはイラク北部の空輸師団と合流する。この部隊はキルクーク油田を主に守っていた。イギリス軍に奪われなかったことで施設は殆ど破壊されておらず、輸送路さえ確保できるなら直ぐにでもヨーロッパに送ることができるだろう。石油不足のドイツには有難い戦利品だ。

 

10月までに中東全域はドイツの手中に落ちる。イギリス軍はバスラ経由で脱出するほかなく、ドイツ軍の追撃で多くの犠牲を出した。この勝利に中立国のトルコは枢軸国へ加入する。ソ連の脅威に対抗するためだ。実際、中立国のイランは8月にソ連の侵攻を受けた。イギリスの弱体化を突いたハイエナ的行動だ。

 

また、10月12日にはスペインも参戦した。スエズ運河の陥落で地中海封鎖が現実味を帯び始め、ドイツが軍隊を用いての圧力を掛け始めたからだ。仮に拒否するようなら、スペインごと潰す覚悟だった。これを察知したスペインは戦っても勝てないと判断し、出来る限りの要求を吹っかけつつも戦争参加を選択する。

 

この動きにイギリス海軍は地中海の島々からの連合国兵士の撤退作戦を開始した。ジブラルタルの維持は非現実的であり、このままでは各拠点の兵士は降伏か全滅かの2択を迫られるだろう。この動きはスエズ運河陥落後から徐々に始まっており、スペインの参戦で撤退作戦は本格的に始まった。

 

この動きにドイツ軍及びスペイン軍はジブラルタル制圧を急ぐ。この撤退作戦には多くの大規模艦艇が参加しており、タイミング次第では空母や戦艦などを地中海に閉じ込めることができるからだ。当然、そのリスクはイギリス海軍も承知しており、ジブラルタル要塞の将兵も自らの活躍次第で戦局が変わると奮闘する。

 

この時間との戦闘は最終的にイギリス海軍の勝利で幕を閉じた。ジブラルタル要塞は強固に防衛されており、短期間なら火力に勝るドイツ軍の攻撃に耐えるだけのポテンシャルがあったからだ。むろん、最終的には12月19日には要塞は陥落したものの、これにより10万人の兵士を救出できた。

 

とはいえ、これで地中海の制海権は枢軸国の手に移る。自由に大西洋にアクセスできる上に、敵の攻撃が及ばない安全な地域だ。それに目を付けたドイツ海軍は、戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウをジブラルタルに移動させる。ここを起点にして、大西洋での通商破壊戦を活発化させようとしたのだ。

 

このようにヨーロッパ戦線だけなら、ドイツは圧倒的に優勢だと言える。ところが、12月7日に同盟国の日本がアメリカへ宣戦布告したことで状況が変わった。12月22日にはアメリカはドイツ海軍の商船攻撃を理由に参戦したのだ。対日戦の勃発で反戦派の勢いが衰えたことで、アメリカ政府は脅威となりうるドイツ打倒を決断したからである。

 

この事態にドイツ海軍はアメリカ沿岸での通商破壊戦を開始した。この攻撃は予想以上に上手くいく。アメリカ海軍はイギリス海軍以上に船団護衛には消極的だったからだ。8月までに480万トンの船舶が沈められた。以後は流石に対策が講じられたものの、一連の攻撃で一時的にアメリカの経済は混乱する。

 

同時にドイツの諜報機関も積極的に動く。アメリカ国内で有色人種による蜂起を嗾けた。幸いアメリカ国内での人種差別の根は深く、アメリカ政府に批判的な有色人種は相当数いたのだ。彼らに武器や資金を秘密裏に提供することで、生産施設や物流に一定の損害を与えることに成功した。

 

これにアメリカ政府は鎮圧を試みたが失敗に終わる。ドイツからの継続的な物資提供に加え、対日戦でアメリカが劣勢だったからだ。特に真珠湾攻撃の成功でアメリカ国内が一時的にパニックとなったのが大きい。もしかするとアメリカ本土に上陸して、現体制が崩壊するかもしれないとする『幻想』が生まれたからだ。

 

これでアメリカの軍需生産が停滞している間に、ドイツ海軍は全力で米英間の輸送路寸断を図る。1942年中盤には潜水艦保有数は何と600隻に達しており、そのうち300隻が大西洋でローテーションを組んでいる。その破壊力は凄まじく、一ヶ月で200万トンに達した。これは米英の生産力の3倍に及ぶ。

 

同時に地中海からは独伊艦隊が定期的に船団を襲うようになる。米英は船団護衛のために、少なくない戦力を捕捉に注ぎ込む。当然、船団護衛に割ける戦力も減少して、それが潜水艦の更なる戦果に繋がった。この悪循環を解消するには圧倒的な戦力が不可欠だが、これを1942年中に行うのは困難だ。

 

この苦難の中でイギリスは弱っていく。1942年後半には食糧不足が深刻となり、やむなく食糧の輸送比率を上げた。そうなると軍需生産に必要な物資も減ることになる。これはイギリス軍の戦闘能力を大幅に落とした。対独戦の戦略方針を修正しなければならず、夜間爆撃の中止など決断しなければならなかった。

 

それでも、1943年には追い詰められる。追い討ちとなったのは新型潜水艦の配備だろう。ドイツ海軍は戦前から潜水艦による通商破壊こそ必要だと判断して、開戦前には方針に合致した潜水艦の設計に成功していた。製造はフランス戦終結後から本格化しており、ようやく実戦に投入された。

 

この潜水艦は静粛性と水中速度に秀でており、従来型のソナーでは探知が不可能だった。その上、生産性も良かったことから、瞬く間に稼働数を増やしてしまう。これにより、3月には300万トンの船舶が沈められた。もはや、イギリスの海上輸送は破綻寸前まで追い込まれ、食糧不足による飢餓が待ち構えている。

 

これを防ぐために、イギリスは枢軸国との和平交渉に乗り出す。アメリカは非難したものの、破滅を回避するには仕方ない。これに英連邦や植民地の多くが参加した。本国が降伏する以上、それを無視して戦闘を続けるだけの理由はなかったからだ。この交渉で現在の占領地を暫定的な国境とし、双方で停戦協定が成立した。

 

この事態にアメリカは頭を抱える。イギリスが離脱したことで、大陸反攻は難しくなったからだ。それにドイツの新型潜水艦が反乱勢力の支援や東海岸での通商破壊戦に乗り出したことで、再びアメリカの戦時経済に悪影響を与えてしまう。それどころか、反攻作戦に必要な新型空母まで沈められてしまうこともあった。

 

これを挽回するために、中立国のソ連に参戦を求める。だが、ソ連は参戦に後ろ向きだ。なにせ、現状でドイツと戦争しようものなら、その矢面に立つのはソ連自身だ。勝ったとしても多くの犠牲を被るだろう。枢軸国も連合国も潜在的に敵だと認識する以上、双方が弱体化した後に漁夫の利で参戦するのが賢い選択だ。

 

それでもアメリカは粘り強く交渉して、なんとか対独参戦に同意させた。とはいえ、その内容はソ連に有利なものだ。参戦時期はアメリカがヨーロッパに確固たる橋頭堡を築いた瞬間だとし、その上で戦後はドイツ及びイタリア以東のヨーロッパ及び中東全域がソ連の影響圏だと認めるほかなかった。

 

この方針に基づき、アメリカは戦力を集中させる。本来なら対日反攻に不可欠な空母部隊すらも、上陸作戦に不可欠だからと投入された。この空母部隊は1943年末からヨーロッパ沿岸を襲って、ドイツ空軍の戦力を分散させようと目論む。これで本命の上陸地点を悟られないようにすることができた。

 

その上で1944年6月にウィジーフランス植民地のモロッコへ上陸する。ここに確固たる拠点を築けば、地中海進出の足掛かりを得られるからだ。幸い現地のフランス軍が亡命政府の説得で戦意がないことも選ばれた理由である。この作戦に2000機規模の航空機、30隻の各種空母が支援した。

 

この動きにドイツ軍の初動は遅れた。なにせ、水際防衛の任に当たるフランス軍が即日降伏したからだ。この動きを寝返りを判断したドイツ軍はウィジーフランス本土及び北アフリカの植民地接収に動く。軍備の制限されたフランス軍では対処することもできず、僅か数日で陥落してしまった。

 

この間にアメリカ軍はモロッコに確固たる足場を得た。あとはアルジェリアに進出して、地中海の出口を抑えなければならない。ところが、スペイン領モロッコに駐留するドイツ軍がアルジェリアに進出しようとするアメリカ軍の動きを止めた。未だ装備の整っていない先発の部隊では突破できず、その間に本格的な増援部隊が駆けつける。

 

ここにアメリカ軍とドイツ軍の本格的な戦闘が始まったものの、戦力と戦術に勝るドイツ軍に終始圧倒されてしまう。なにせ、アメリカは遥々大西洋を横断しなければならないのに対し、ドイツ軍は勢力圏の側での戦いだ。それにドイツ海軍の通商破壊も機能したことで、現地のアメリカ軍は物資不足に悩まされる。

 

やがて、破滅的な結果を招く前に撤退を決断したものの、その間際で連合国の主要な補給港のカサブランカにて、世界初の原子爆弾が起爆してしまう。ドイツの科学力が生み出した忌むべき兵器だ。対仏戦後、大規模な陸戦がなかったために、ドイツは世界を一変させかねない兵器を逸早く発明してしまった。

 

これで物流が麻痺した現地のアメリカ軍は孤立してしまう。この機を逃すことなく、ドイツ軍は猛攻を仕掛け、1944年9月13日に制圧してしまった。これで現地に展開したアメリカ軍50万人が降伏を余儀なくされる。この勝利と核兵器の破滅的威力はアメリカの戦意を打ち砕き、11月の選挙では休戦派の大統領が勝利した。

 

1945年1月には枢軸国とアメリカの間で和平交渉が成立する。この交渉で枢軸国の支配地域は正式に認められ、アメリカは新大陸に事実上閉じ込められてしまう。これで背後の安全を確保したドイツは今度こそ本来の宿敵たるソ連打倒に向けて動き出す。ソ連も軍備の近代化に成功したが、流石に核兵器までは生産できていない。今なら勝てる。

 

これにソ連は必死に平和を呼びかける。参戦のリスクを恐れるあまり、リスクを取り続けたドイツに遅れを取ってしまっているからだ。これを解消するには時間を稼いで、核兵器を開発する時間を稼ぐしかない。故に交渉の中では手に入れたイランやウクライナなどの一部割譲も上がったという。

 

だが、ドイツの腹は既に決まっている。1945年6月にソ連の主要地域へ核兵器が投下され、それとともにドイツ軍は進軍した。ソ連軍は必死に抵抗するも、その度に核兵器が投入されるため、戦線はあっという間に崩壊する。工場も疎開前に核兵器で消滅し、それどころか指導者も核兵器で行方不明となった。

 

故に戦闘はソ連の崩壊で事実上終結する。ドイツはウラル山脈以西を我が物とし、残りは傀儡国家や盟友日本に分け与えた。その上で豊富な資源を簒奪することで、国内の工業力は大幅に伸びる。経済もアメリカを追い抜くようになり、誰もがドイツとの対立を恐れるようになる。ここにドイツによる世界覇権が成立したのだ。

 

(終わり)

 


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