葬送フリーレン~アフターオレオール~ 作:rvr75_raiden
■あの日の再来
中央諸国 クレ地方
ここは、かつて戦士の村のあった場所。今は……この地に根を下ろしたフリーレン一行の住まう地。
自宅正面に立っているシュタルクの姿は、今では逆に着る機会も減ってきた黒のインナーと赤のジャケット。
ちょっと懐かしい出で立ちで一人待っている。
「あの……おはようございます。シュタルク様」
「おはようフェルン。今日はいい日だな。……その服、懐かしい。初めてデートした日に着てたやつだ」
フリーレン一行が旅を終えてもう10年以上経つ。シュタルクからすると旅の間の出来事より旅の後の出来事のほうがもう長いぐらい。
「はい……大切に、取っていたみたいです。私が……」
「似合ってるよ。すごく」
手を差し伸べて、フェルンに向かって微笑むと彼女は納得できないように頬を膨らませた。
「……手慣れている感じがして、ムカつきます。昔のシュタルク様は……そういう感じじゃ……」
「いや、誰かさんの徹底した教育の結果なんだけどね……
『ちゃんと褒めてください』って10年ぐらい言われ続けたし……流石にね……」
納得のいかない様子を見せつつも、彼女は差し出した手をおずおずと握ってくれた。
そんなフェルンは、あの日と何一つ変わらぬ姿……本当に10代最後の姿で彼の隣を歩き始めた。
彼女が、納得できないという感覚も致し方ないかもしれない。
今のフェルンにとっては、無策なデートを挑んだ未熟なあの日の姿こそがシュタルク。
あの日から随分月日が経つ。今のフェルンは唐突にその差を見ているのだから――
✧ ✧ ✧ ✧
時間を遡ること、二日ほど。
事の起こりはフリーレンが行商から買ったという魔導書の1冊から始まった。
その日は比較的早く仕事を終えていたフェルン。
学舎から帰ってくる子供たちの出迎えをしつつ夕食を……と、いそいそと準備を始めていた。
「おかえり、フェルン。見て。なかなかいい買い物をした」
「魔導書ですか? フリーレン様のお金なのでとやかくは言いませんけど。
ご利用は計画的にお願いしますよ」
フリーレンは現在、無職の魔法使い……のようでこまごまとした仕事はしている。
古エルフ語で書かれた翻訳や暗号の解析だったり、近隣の町の魔物討伐依頼をこなしたり。
シュタルクとフェルンが領地経営をやっている裏でそれなりに忙しそうにしている。
というわけで、彼女の趣味の物は彼女自身のお財布からだ。フェルンも旅を終えてからそこに手出しをしないようにはしている。
フェルンが気にすべきは家計と領地の資金繰りで手一杯だからだ。
閑話休題。魔導書を掲げてむふーと自慢げなフリーレンは「今回のは結構面白いよ」と告げる。
師がこういう仕草をした時は大概ろくなことがない。眉を寄せながらフェルンはその内容を聞く。
一番困るのは子供たちに害のある魔法の場合。
もちろんフリーレンも子供たちをお祖母ちゃんの如く――と言うと本人は怒るが――溺愛しているので、危険が及ぶことはそうないが。
とはいえ、魔法とはピンキリである。『肩叩きのトントンが極上の力加減になる魔法』という平和なものから『奈落の底の落とし穴の魔法』など危なっかしいものまで。
「なんの魔法ですか?家庭用の便利な一般魔法であれば助かりますけれど」
「うーん。まだよく分からないけど……」
「今回のは面白いんじゃないんですか?」
面白いのか、わからないのかどっちだと聞いてみるとフリーレンは「まあ落ち着いてよ」と返してきた。
「この魔導書のタイトルは『憧憬の日々』ってタイトルでね。ちょっと変わった魔法が載ってるんだ」
「なんだか、詩集のようなタイトルですね」
「魔導書を書く人なんて
『あなたの過去の憧憬と今の日々がつながり、より幸せであることを願う』
とか、なかなか悟った感じの言い回しとか」
「良い一節じゃないですか……」
ちょっと辛辣な言い様に長命種ならではの奢りも感じつつ……
魔導書の一読者として常に楽しんでいる姿には安心する。
「それで、結局どんな魔法なんですか?」
一応、大陸では指折りに数えられる魔法使いであるフェルン。
魔導の道の知識に興味がないわけではない。フリーレンがそうであるように……
なんやかんやと、フリーレンとは毛色は違えど興味はある。
「憧憬の回帰の魔法。ちょっと使ってみる? 説明によると……昔の憧憬を呼び起こす魔法って感じかな?」
「昔のあこがれですか……どういう事でしょう?」
「じゃぁ、フェルンそこに立ってて」
「えっ……?」
試せばわかるとばかりに、手をかざすフリーレン。静止をかける前に彼女の魔法はフェルンの意識を覆う。
一般魔法使いであれば突然こんなことをされてもフェルンなら抵抗できるが、フリーレンは訳が違う。
長命なエルフ特有の膨大な魔力量と魔力出力、精神防御を正攻法でぶち破ってくるその魔法にフェルンの意識はゆったりと――
✧ ✧ ✧ ✧
「ただいまー」
「ただいま戻りました」
という声をかけて玄関のドアを開けたのは、青紫の外はねした髪で三白眼の少年、シュタルクとフェルンの長男、シュタアル。
そして、燃えるような赤い髪と、更に引き込まれるような深紅の瞳の少女はその妹のティアフォート。
彼女の手を引かれている幼いフェルンと瓜二つの少女は次女のエリシア。
学舎が終わり一度家に帰って来た子供たち。そんな子供たちが居間についたときにかかったのは、優しげに微笑む母のお帰りなさいの言葉ではなかった。
「……だれ……?ですか……シュタルク様に……似た、男の子と女の子?
フリーレン様……これは、いったい、どういう事ですか?」
「フェルン、ちょっと落ち着いて。ごめんこれはまずいな……」
いきなり、「誰?」と言ってきたのは……おそらくは母であるフェルン。『おそらく』と言う但し書きが付くのはちょっとイメージと違うから。
父シュタルクと母フェルンは、一般的にかなり見た目が若い。とは言え、10代というのは無理な程度には大人。
いつまでたっても20代と言われるような見た目……という感じ。だが、今目の前にいる母はそれどころではない……
「か、母さん……?」
「母様……?今日はメイクが……不自然なぐらいに若作りに……」
呆然とするシュタアルとティアフォートにしがみついたのは小さなエリシア。
いつもならフェルンを見つけたら真っ先に飛びつくのだが……
「お……お……お母さん……? フリーレン様。説明してください。
これはどんな幻ですか?いったい何が起きたのですか?旅はどうなったのですか?夢か何かですか?」
「フェルン……説明するからちょっと、落ち着こうか……」
肩をぐわんぐわんと振られて目を回したフリーレンはフェルンを制止するように促した。
「いや、でも……私は……フリーレン様とシュタルク様と旅をしていて……あれ?
私がお母さん……で……シュタルク様そっくりの……子供って……?」
混乱する母の姿に、ティアフォートはフリーレンが持っていた魔導書を拾い上げて、パラパラと中身を確認した。
「フリーレン様……ややこしいことを引き起こしましたね……どうするんですかこれ」
「ごめん……」
なんだか泣きそうなエリシアをあやすシュタアルはティアフォートに確認する。
「いや、結局何?どういう状況?」
そんな兄の質問にため息をついたティアフォートは魔導書を数ページ眺めてから言葉を返した。
「母様は……おそらく、私たちが生まれる前……いえ、もっとずっと前の日に記憶が回帰しています」
「はあ……?フリーレン!?」
「ごめーん。まさかこんな感じになるとは」
そう、母フェルンは……領主夫人として3児の子供を育てた敏腕母ではなく――
葬送のフリーレンと戦士シュタルクと旅をしていた……魔法使いフェルンの姿へと戻っていた。
■少し歳を経た戦士様
「お疲れ様です。後は私が」
シュタルクから書類を受け取ったのは、彼の右腕であり、斧技の弟子であるエアフォルク。
魔族被害にあった地で、シュタルクとフェルンが保護した兄妹の兄である。
生きる意味を吸収するようにシュタルクの仕事と業を学び、いつの間にかいないと困る存在となった。
「いつも悪いな」
「いえ、むしろ上司であるシュタルク様が帰ってくれないと私が帰りにくいです」
「そういうもん?」
「はい。さっさと帰ってください。手元の書類より、家族サービスでフェルン様のパフォーマンスを上げていただく方が優先されます」
だが、最近はシュタルクに辛口な部下でもある。
ちょっと前は、年相応に素直な青年だったんだけどなぁ。シュタアルもそのうちこんな感じなのかなぁ。
なんて、お父さん的に寂しい想いを抱えていると……ちらっとこちらに視線を向けたエアフォルクが咳払いをする。
「言っておきますが、俺は、一瞬たりともシュタルク様を軽んじていません。兄妹ともに変わらぬ感謝と親愛で……
強いて言うなら、この街や、守るべきものを守るためにやるべきことをしていると、自然とこうなっている……だけだと思います」
「お、おう……どうしたのエアフォルク」
唐突に補足を始めたエアフォルクにびっくりしながら聞き返す。
「難しい顔をされていたので。シュタルク様は、この地の領主であり……俺や、シュタアル達の父であり、フェルン様の旦那様なのですから。
もっと気楽に構えていないと……老けますよ?」
「そうかな?」
シュタルクのピンとこない様子にエアフォルクは苦笑して首をすくめた。
「そういう所が、シュタルク様に歳を感じさせない所かもしれませんね……ご家族がお待ちしているのです。お早めに」
「おう、エアフォルクもさっさとあがれよ」
「はい。これを片付けたらすぐに帰りますよ」
エアフォルクは手渡した書類を受け取って自席について、チェックとサインを始めた。
「帰るか!」
そんな頼りになる部下の言葉に甘えて家路についた。
愛する家族と――妻のもとへ。
✧ ✧ ✧ ✧
で、家に帰ったシュタルクを待っていたのは――
「シュタルク様……なのですか……?
……なんか少し老け……ましたね……!?」
「えぇっ!?」
愛する妻の辛辣な言葉。さっきエアフォルクから若々しいって言われたばっかりなのに。
「酷くない!? いつも通りだよ!?」
「い……いえ……、すみません。いまだに状況が飲み込めていなくて」
酷く動揺するフェルン。その姿を見てふと気づいた。
なんか、若いな……フェルンが若い。いや、普段老けているという訳じゃない。
いつものフェルンにくらべると、不思議とまだ未成熟というか……様々なことが探り探りというか。
そう、言い換えれば……旅をしていたころみたいな感じだ。
「フェルン、どうしたの? なんか雰囲気が……出会って2~3年の頃みたいだ……」
という素朴な疑問をぶつけてみる。
彼女は不安げな様子でこちらを見たり視線を外したりしながら小さくうなずいた。
「多分……そのような感じ、なのだと思います。はっきりはしませんが……」
「どういう事、フリーレン?」
廊下の角からこちらを恐る恐る覗いていた我が家のエルフ様。
どうして隠れているのかと思ったら、この奇妙な状態の犯人か!?と確信した。
「ごめん……シュタルク。困ったことになっちゃった」
「説明してくれ……」
「私も、今の状況をシュタルク様の口から聞きたいです」
✧ ✧ ✧ ✧
「紅茶でございます」
「ありがとう」
フェルンが現状で機能不全を起こしているため、急遽駆けつけてくれたのは、元オルデン家のベテランメイド、ライニ。
彼女は作りかけていたフェルンの料理をそそくさと完成させて、母の状況に泣きはらしていたエリシアをあやして寝かせた。
そして、今に至る。ものすごい勢いで対応してくれて感謝しかない。
夕食もなんか妙な雰囲気になってしまった。
「あの……フリーレン様、シュタルク様、もう一度確認させてください。旅は……」
「オレオールにはたどり着いたよ。答えも得た」
「旅が……終わった……」
フェルンは肩の荷が下りたというより、やることがなくなったというようなショックを受けている。
「フリーレン、なんかもうちょっと言い方を……」
「シュタルク、マイルドに言っても結果は変わらないよ」
「そうかもしれないけど」
それにと、フリーレンが耳打ちしてくる。
「彼女はあくまで今のフェルンだ。今のフェルンに昔の記憶が呼び起こされているだけ、過去のフェルンが今に来たわけじゃない」
「どうやったら元に戻るのさ?」
「発動した後、解いて治る類じゃなさそうでさ……ヒントはこの
『あなたの過去の憧憬と今の日々がつながり、より幸せであることを願う』
って魔導書の意図にあると思うんだけど……」
フリーレンの言葉に頭をひねる。今幸せだってわかればいいのだろうか?
憧憬とはなんだろう?
「あの……シュタルク様……」
「あ、はい」
どうにも、他人行儀な感じになってしまって困るな。
「あの子達が、私とシュタルク様の子供というのは……真実ですか?」
「そうだよ。シュタアルとティアフォート、泣いて寝ちゃったのはエリシア。俺とフェルンの子供たちだ」
「……っっ!?」
少なからず、そう言われたことにショックを受けている様子に、シュタルクは焦る。
「えっ!?フェルン? なんか嫌だった?」
「……すみません。状況が全然追いつけていなくて。
いえ、状況証拠はいくらでもあったのですけど……酷いことを言ってしまいました。『誰』だなんて母親から……あんな小さな娘だったのに」
俯いて反省するフェルンの様子にシュタルクは視線だけをシュタアルとティアフォートに向けた。
どうやら、フリーレンの魔法が巻き起こした状況ということで二人は飲み込めてはいるらしいが、残念そうに首を振る。
「まあ、気にするなよ。エリシアには俺からも言っておくよ」
と肩に手を触れると、ビクンとフェルンが跳ね上がった。
「ど、どうした……?」
「いえ……少しだけ、離れてもらっても……いいですか?」
そう言って、フェルンはシュタルクから距離をとってフリーレンの隣へ行く。
この、当時のフェルンから見て異常だらけの中で唯一記憶と何一つ変わらないのがフリーレンなのだろう。
困ったな……という感じで頭をかいていると……
「すみません、シュタルク様。嫌とか怖いという訳じゃないんです」
「そ、そうなの?」
「その……私はちゃんと……出来ていたのでしょうか?」
視線をそらしながら、若干顔を赤くして、フェルンは言う。
シュタルクが「何が?」という顔をしていると、フェルンはためらいながらも言葉をつづけた。
「子供が……子供が3人もいるということは、その……」
あれ?フェルンは何を言おうとしている?
これって子供が聞いていい話か?もしかしてえっちな事について言及しようとしている!?
と、シュタルクがうろたえそうになった時―― 背後から凛とした声が響く。
「母様は、しっかりとした母親をされていましたよ。
毅然と、親であることを誇りをもって、私たちにずっと愛を注いでくれる。
娘の贔屓目なのかもしれませんが……それでも母様は誰よりも替えのきかない母様です」
ティアフォートの言葉にフェルンは大きく目を開いてから、俯いて小さく微笑んだ。
「そうですか……私、家族を幼い頃に失って、お母さんのこともあまり多くは思い出せなくなってしまったけど。
ちゃんと……頑張れたんですね」
「フェルン……」
その様子におずおずと立ち上がったのは長男のシュタアル。
「父さん、僕らはもう寝るよ。母さんが、落ち着かないみたいだから」
シュタアルは隣にいるティアフォートの手を取って立ち上がる。
どうやら、シュタアルなりに気を使ってくれるらしい。
フェルンにとって、明らかに二人の特徴を併せ持つ子どもの姿は情報過多なのだろう。
「兄様……いいのですか?」
「エリシアが寂しがるから行こう」
「はい……」
後ろ髪を引かれているティアフォートだったが、シュタアルが頭をなでると大人しく従ってくれたようだ。
妹の手を引くシュタアルは軽く手を振って部屋を出て行った。
■今の私と広い浴室
「お利口な……優しい子達なんですね」
「そうだよ。俺たちと、フェルンが育てた……」
「……」
一生懸命に今を受け入れようとしているフェルンにシュタルクは怪訝な顔をする。
「フェルンは……旅のいつぐらいの記憶を持っているんだい?」
「……それは、あいまいです。一級魔法使いになって、火山地帯と温泉地に行って……それで……
何か嬉しいことがあって……私たちは北部高原を超えて……金色の……」
「そこまでにしておこうか」
と肩を叩いたのはフリーレン。
「どうやら、曖昧ながらだが、18~19歳ぐらいの頃の記憶みたいだね。嬉しかったことって? そこらへんにヒントがあるかも」
「それは……」
フェルンが申し訳なさそうにシュタルクをチラチラと見てくることに気づく。
火山地帯か……とシュタルクは記憶を思い起こす。そういえば……と、苦甘い想い出がじわじわとよみがえる。
良い想い出なんだけど。どうしても思い起こすと何故もっとうまくやれなかったという失敗ポイントも多い。
今のフェルンとの関係性の礎にもなっている気はする。
「初めてデートした日だ。俺が誘った」
フェルンは目をそらしながらこくんと頷いた。
「そういえば、そんなことあったね。シュタルクがフェルンの喜ぶことをどうしても教えてほしいって懇願してきた」
「言うなって……いや、フリーレンに聞いたことは言ったけど」
「未熟さゆえに甲斐性は足りなかったよね……」
「今、頑張ってるでしょー」
そんなやり取りをしていると、フェルンはクスッと笑った。
「どうしたの?やっと笑ってくれたのはちょっと安心したけど」
「いえ、やっと……私の知っている光景と今の光景が少しつながって……変わったけど、変わらないんだなって」
フェルンの様子にやれやれと苦笑いしながらフリーレンは小さく嘆息した。
「……フェルン。お風呂に入ると良い。感覚としてないかもしれないけど、本体のフェルンは朝から働き通しなんだ」
「……分かりました」
フェルンが立ち上がったので、シュタルクも用意だけは手伝おうと腰を上げた。
「今日は一緒に入っちゃだめだよ」
「入らないよ!タオルの場所とか教えるだけ!いつも一緒に入っているような言い方やめて」
「私の目を盗んで時々一緒に入っていることは知ってるんだよ」
「やめろぉっ!!」
その話を聞いて固まっているフェルン。
「その、フェルン……あまり気にしないでもらえると。俺たち一応夫婦なんで。何もやましいことは」
「そうだね、そういう事があった日の翌日のフェルンはいつも機嫌がいいから、何かいいことがあったんだと思うよ」
「フリーレン、余計なこと言うの止めてぇ……」
フェルンのほうを見ると、思いつめたように俯いていた。
「夫婦だから……一緒にお風呂……そういう日も……? 私……そんなことを……?」
「フェルン、とりあえず深く考えずにお風呂入ってきて、タオルあそこにあるから」
と、シュタルクが指さした戸棚からタオルを取り出し、フェルンは浴室へ向かった。
✧ ✧ ✧ ✧
広い浴槽。フリーレンが好みそうな設えだ。
かまどで沸かす火は、フリーレンやフェルンの魔法と、シュタルクが日々用意する薪で賄っているようだ。
「ふう……」
たしかに、心が覚えていなくても体は疲労を訴えていたらしく落ち着いていく。
――「私の目を盗んで時々入っていることは知ってるんだよ」
――「やめろぉっ!!」
先程の言葉をふと思い出してフェルンは湯舟に顔を半分沈める。
そんな破廉恥なことを……シュタルクが強引にするとは考え難い。となると双方合意なのだろう。
今度こそ顔を全て湯舟に沈めて羞恥に震えた。
仕方ないではないか、まだ、シュタルクの事をどう定義していいのか分からないのだ。
大切な仲間で、頼れる前衛で、ちょっと頼りなくて、だけど何時でも怖い時に何故か前にいてくれて……
プレゼントを贈り合って……すごく大切なもので、送り合ったその思い出自体が大切だ……要するに……
顔を半分出した状態でブクブクと呼吸を泡立てながらしぶしぶ認める。
というか、現状を見るとどうしたってそうとしか言いようがない。
―― 当時からずっとシュタルクの事が大好きだったのだ
―― 旅の最果て、彼と居られる未来をやんわりと夢見ていた
―― そして、今がその夢の最果て――
「いったい、私は……どうすれば?」
夢の最果てには何かの終わりがあったわけではなく、今の始まりが広がって、また別の最果てがある。
フェルンは、湯舟のお湯を両手ですくった。
ただ違うのは……今この手に旅をしていたころとは比べ物にならないほど多くのものを得ていること。
それはきっと、旅を経て、今の暮らしを得るためにシュタルクと自身が繰り返した努力の結果なのだろう。
どこか幼さの消えたシュタルク。むしろ当時のシュタルクのような雰囲気を持った男の子。
少年に手を引かれながらも凛とした目でこちらを見る妹の女の子。
そして、今のフェルンを見るなり寂しげな表情を見せた末の妹の女の子。
「誰……だなんて、あんな歳の子になんて残酷な事を言ってしまったんでしょう……」
思い出してあげたい。今の10代の終わりの自分の感覚が仮初であるならば。
自身が勝ち得た今の日々を……
✧ ✧ ✧ ✧
「フェルン、お風呂丁度良かった?」
フェルンが戻った居間にはフリーレンだけが残っていた。
「はい。広いお風呂ですね」
「でしょ。私が注文したんだよ……お湯の準備はなかなか大変だけど。まあ、魔法もあるし」
「フリーレン様らしいですね。ところでシュタルク様は?」
きょろきょろと見まわすが、彼の様子が見えない。
「シュタルクなら……着替えてから子供部屋に行ったよ。エリシアが起きて来ちゃったから……」
「そうですか……申し訳ありません」
「謝ることないよ。シュタルクも別に嫌がってるわけじゃない。――まあ、だから今夜は私とフェルンで一緒に寝ることになった。
シュタルクが、いきなり二人で寝ると困惑するだろうから、当時みたいにしようってさ」
冒険中はフリーレンとフェルンの女性部屋とシュタルクの個室で宿をとっていた。
当時がそれが当たり前だが……今はそうではないのだ。
「じゃあ、私もお風呂入るからちょっと待っててよ」
「はい……」
✧✧✧ ✧
寝室は……フェルンにとっては刺激の強い空間だった。いや、別に変なことは何もないのだろう。
とりあえず、立てかけている写真に衝撃を受けた。ウエディングドレスを着ている自分が写っている。
「本当に、結婚しているのですね……」
「そうだね……すごく大変だったよ。二人とも頑なで……わがままも言わないから……」
あくびをしながら眠そうなフリーレンが答える。
フリーレンがもそもそと入り込んだ広いダブルベッド。フェルンもおずおずと入り込んだ。
やんわりと……香ってくるのはシュタルクの匂い。
当然だろう、普段シュタルクと自分がここで寝ているのだから。
「フェルン……魔法の強制解除も考えたんだけどね……」
「……」
強制解除されるとどうなるんだろう。ここにいる自分の人格ごと元の自分に戻って消えてしまうのだろうか?
今の自分は何なのだろうか?少し怖くなる。
「やめにするよ。フェルンはフェルンだけど10代終わりのフェルンの姿は今あるフェルンの物だ。
きっと何らかの形で現在のフェルンに合流するよ」
「そう、でしょうか」
「この魔導書の術者がそんな野暮じゃないならね……きっと本当に誰かの幸せを……願ったんだろう」
フェルンはシーツに顔を埋める。
「フェルンは今の状況が嫌?」
「いえ……そういう訳じゃないです。こんなに幸せでいいのかなって」
そのフェルンの解答にフリーレンは「んー?」と首をかしげる。
その応対の変わらなさに安堵しながらフェルンはつづけた。
「あの日の私は、フリーレン様とシュタルク様が大好きで、3人でいることが幸せで……
旅でも何でもいいからずっと一緒にいられる日々が続けばいいなって……
でも旅には目的地があって、たどり着けば終わってしまう」
「そうだね」
天井を眺めて彼の言葉を思い出す。
「シュタルク様は、アイゼン様に冒険の日々を聞かせてあげるために冒険に出ました」
「シュタルクらしい動機だったね」
「いつか帰るべき日が来る。どこかに終わりがある。きっと私はその先の未来が欲しかった……」
こそごそと動いたフリーレンは隣のフェルンの頭を撫でる。
「今の生活も、なんとなく手に入れたわけじゃないよ。シュタルクとフェルンでたくさん喧嘩して、たくさん泣いて……
その末にたどり着いた一つの結論だ。シュタルクに聞いてみるといい。……フェルンは今を勝ち取るためにすごく頑張っていたよ」
フリーレンの言葉にくすっと笑ったフェルンは「はい……」と答えてその日は眠りについた。
■募った想いでデートがしたい
翌日。表で鳴り響く、薪を割る音に気づきフェルンは目を覚ました。
ちなみにフリーレンは気が付いたらベッドの外に転がっていたので、起きるついでに元に戻しておいた。
ストールを巻いて1階の居間へ降りていくとお手伝いのライニが迎えてくれた。
「おはようございます、フェルン様。魔法の効果がまだ解けないということでしたので、お手伝いに上がりました」
「あ、はい、ライニ様……おはようございます」
慌てて返事をすると彼女はクスッと笑ったようだ。
「若い頃のフェルン様は……そのような方だったのですね。
私をこの地に残るよう口説き落とそうとしたフェルン様とは違い、趣深いです」
「はあ……」
昨晩も見ていたが、オルデン家という名家で働いていただけはある手慣れた手つきで朝食の準備を進める。
「調理は、仕事というより私の趣味でございます。他界しましたが、よく食べる夫がおりましたので」
フェルンがじっと見ていたのに気づいたのだろう、彼女はにこやかにフェルンに話してくれる。
「いつもの私は……ライニ様から見てどんな様子だったのですか?」
「気になりますか?」
「私は……未来……いえ、今の私につながっているはずの想いをちゃんと知らないといけないと思いまして」
調理の手を止めたライニは包丁を置いた。
「命を生み出すことに、懸命な方だと思いました。
それはきっと、フェルン様とシュタルク様が失いかけていたものを埋める……大切な人生の一部だったのでしょう。
人は、生きていれば様々なことで何かを失います。それでも立ち上がり、明日を望むなら必要なものを自分の手で作り出す生き物です」
ライニが顔を向けた先、薪割りをしている親子の姿があった。
シュタアルにシュタルクが大きな斧を渡すと、斧の重さで転んでばつが悪そうにしていた。
そんなシュタアルを立ち上がらせて頭を撫でるシュタルクの笑顔は……
「あの光景は、フェルン様とシュタルク様の努力が実った一つの結果です。
あれを望んだ奥方……それが私の知るフェルン様です」
「そう……ですか」
「傍に行ってあげてはどうですか?」
朝食の準備は任せてほしいとばかりに誘うライニに案内されて、フェルンは庭先に出ることにした。
✧ ✧ ✧ ✧
おずおずと庭先に行くと、二人はフェルンにすぐに気づいた様子だった。
「母さん?」
「おはようフェルン。よく眠れたか?」
シュタルクの言葉に苦笑いするフェルン。
「フリーレン様の寝相に起こされたこと以外は」
「まあ、いつまでたっても治らないよなあれは」
シュタアルは、なんだか借りてきた子猫のようにシュタルクの後ろに隠れた。
まだ、気にしているのだろう。
フェルンは屈んで腕を広げる。
「おいで。シュタアル」
シュタアルは迷ったような表情を見せてからシュタルクを見上げる。
シュタルクはうなずいてから彼の背をポンと叩いた。
「母さん。おはよう……」
「おはようございます、シュタアル……」
ゆっくりと今そこにある存在を抱きしめ、暖かさと感触を確かめる。
彼は幻ではなく今ここにいる命なのだ。
「ごめんなさい、必ず思い出します。少しだけ時間をください」
「うん……」
ふと、後ろから小さな足音が二つ聞こえた。
視線を向けると、タオルを持ったティアフォートと、裾を掴んでくっついているエリシアの姿があった。
「母様……?」
「二人とも、おいで?」
エリシアはティアフォートの腰にギュッと抱きついたが
ティアフォートはそんな妹の頭を撫でてから「行きましょう」と言って前に出ることを促す。
「お母さま……!」
抱えこんでいた何かを吐き出すようにエリシアはフェルンの腕の中に飛び込んできた。
自分とシュタルクによく似た匂いのする子供たち。
それは確かに、フェルン自身が生み出した血のつながった命なのだと身体は訴えている。
「すぐに……思い出します。だから待っていて」
「はいぃ……お母さま……お母さま……」
昨日、甘えられなかった分を取り戻すように子供たちはフェルンから離れようとはしなかった。
結局、後から来たライニさんが食事の準備の手伝いを呼びに来るまで続いたのだった。
✧ ✧ ✧ ✧
「ありがとう」
「いえ……」
二人になるとまだ、ぎこちなさが残る……隣に立っているシュタルクは……
どことなく、フェルンと違って余裕が見える。きっとフェルンの感覚である旅の後の10年以上の月日がそうさせる。
それが、嬉しいようで、恥ずかしいようで、どこか悔しい。本来の自分も成長したのだろうけど、今はそれが取り出せない。
旅の間、旅の中でしっかりしていたはずの10代の終わりの自分。
「こういう時さ、フェルンは肩とか腰を引き寄せないと結構怒ったりするんだ」
「……本当ですか?」
「本当」
ちょっと怖いけど、それも悪くない。悪いことではない。
自分の知るシュタルクがしなさそうな感じでもあるが、要求されるからそうするのはシュタルクらしい。
「やったらダメかな……?」
「……だめだと思いますか?」
精一杯、強がって目を瞑る。肩を抱かれたり、腰を引き寄せられる。今のシュタルクに。
……と思った瞬間、頭にポンと分厚い掌がのった。
「やめとこうか」
「……」
突然の中断宣言に頬を膨らませてしまい、つい手が出る。
ポコポコ叩くと苦笑いで「痛い痛い」と言いながらもシュタルクは甘んじてこれを受けていた。
そんな最中、ポコポコを受けながらもシュタルクは語りかけてくる。
「なあ、フェルン。何とかして時間を作るから」
「……なんですか?」
そして、そんな今の夫であるシュタルクの口から出たのは
「明日デートしようぜ」
デートの申し込みだった。
■デートの準備リフレイン
シュタルクは仕事に出てしまった。フェルンは……当然働けないためお留守番という形になる。
長期化するなら何らかの……というお話もあったが当面は今いるメンバーで、場合によってはグラナト領の文官を派遣してもらうということだ。
「エアフォルクの妹のルーエに手伝っていただきましょう」
というのはライニの発案。エアフォルクと共に魔族被害から保護した少女。
現在17歳のルーエはフェルンとフリーレンから魔法の技術を学びつつ、ライニから地政学、経済学などを学んでいる。
「もともとの教育水準が高かったのでしょう。シュタルク様のお手伝いをしているエアフォルクに引けを取らない逸材ですよ」
という彼女の発案。エアフォルクと当人もOKらしいので喜んでお願いすることにした。
無論、年齢的に残業はNGで。なお、翌年からほぼ主戦力化することは今は誰も知らない。
現在のフェルンの回帰年齢的にも年下の女の子が働くなら自分も……とは名乗り出たがこれは却下された。
フェルンはシュタルクとほぼ同等の権限を持つ。現場に出た段階でそういう仕事になってしまうからだ。
しょんぼりしているとシュタルクが「任せとけ!」と言いながら肩を叩いて家を出て行った。
「もう……情けないなんて、言えませんね」
「言ったでしょ。シュタルクはすごく頑張ってるって」
「そうですね……ところでフリーレン様は?」
「私はフェルンの傍にいないと」
要するに、今の師に固定の職はないらしい。
✧ ✧ ✧ ✧
何はともあれ、わかる範囲の家事をこなしつつ……明日の準備をしなくてはならない。
「クローゼットは……寝室のこれだったかな。ほら」
「結構、あるんですね……」
フリーレンがガチャッと開けたフェルンの衣服のクローゼット。
旅をしていたころはそんなに多くは持っていなかったのだが……思いのほか多い。
「フェルンは、領主夫人だからね。公の場に呼ばれるとシュタルクと腕組んで歩くから」
「え……?」
結構衝撃の事実に驚く。
「フォーリヒで社交界デビューしたでしょ?」
「いえ、まあ……はい……」
「まあ、けしかけたのは私だけど……今この場所はシュタルクの自治領なんだよ。
正式に貴族の爵位は持っていないけど。立場上、領地の代表としてそれなりに出る必要はあるから」
「それにしても、こんなぜいたく品……」
腕を組んだフリーレンは「ふーむ」という反応を示す。
「まあ、これは一つの態度だよ。豪華品というより、領内の職人たちがシュタルクとフェルンのために作ってくれたものだ。
自分たちの領主はどこに出しても恥じない人物だと示すためにね」
「そう……なんですね。わかりました。とりあえず……デートに着ていける服を探します」
という訳で、衣装を見繕うことにした。
が――しかし……
「フリーレン様……大変です。服のサイズが!」
「そうか……フェルン。昔と比べて太っちゃってたか……」
「違います!ウエストサイズは……ちょっとだけ緩いですけど……バストサイズが割と緩くて……」
現在、魔法の効果でフェルンは自己認識の身体サイズに変動している。要するに、19歳ぐらいのフェルンの身体形状になっている。
結果的に……
「胸が、太ったんだね……フェルン、いっぱい食べるから……」
「失礼な言い方しないでください。子供を3人も育てたんです。体型も変わります!」
「でも、ここの衣装は今のフェルンの物だからねぇ……」
「寝巻も……あまり気にしていなかったんですけど、大きかったですね。今の服は?」
「それは魔法の効果で当時のフェルンのイメージに一緒に寄っちゃった」
しかし、デート向けの衣装はどうすればいいのか。そう思いながらいくつかを見繕ったところ……
「これは……」
一着の見覚えのある柄のドレスが目に入った。
✧ ✧ ✧ ✧
夕方になると子供たちが帰ってきたので、ハグで出迎える。これぐらいしか思いつかないのだけれど……
娘二人は喜んでいたが、長男のシュタアルは逃げ出してしまった。今朝は受け入れてくれたのに反抗期だろうか?と首をかしげる。
夕食はライニから指導を受けながら作ったのだが、彼女は「フェルン様に教えるのは久しぶりです」と笑っていた。
母の味……というものに仕上がったのか分からなかった。分からなかったが子供たちはすべて食べてくれた。
夕食を片付けようとしたとき、ティアフォートが専用の布巾を持って隣に並んだ。
「母様……明日父様と出かけるんですよね?」
「知ってたんですか……?」
「なんとなく聞こえて」
フェルンが洗った食器を拭いて戸棚へとしまっていくティアフォートは、どこに何があるのか理解している。
間違いなく、この家で育った子で……
「いつもお片づけは手伝ってるんですよ?」
「そうみたいですね。偉いと思います」
「何もしなかったら、母様が怒るから」
「……ごめんなさい、フフ」
間違いなく自分の血を分けた存在だと実感する。
「父様は、明日の時間を作るために今日遅くなると思います。だから……帰ったら褒めてあげてください。
それは……きっと母様の役目だと思います」
「分かりました……」
意地っ張りで、気遣いで、素直じゃない。聡明な女の子。
「ありがとう……ティアフォートたちも遅くなる前に、ゆっくりとお休みしてください」
「もう少し……兄様をからかった後、学び舎の宿題をやったら寝ます」
「あまり、いじりすぎると拗ねるからほどほどにしてあげてください」
そういうとティアフォートは目を丸くした。
「今、分かるのですか?」
そんな様子にフェルンは苦笑する。
「はい、まるで……出会った頃のシュタルク様にそっくりなので」
「そっか……母様が言うなら、そうかもですね……」
納得したように、ティアフォートは兄と妹の下へと向かう。
シュタアルはエリシアとカードゲームで遊んでいるようだ。
見た限り、ずっとシュタアルが負けてうなだれているようにも見えるが……
エリシアは楽しそうにしている。そういうコミュニケーションなのだろう。
✧ ✧ ✧ ✧
子供たちが寝静まった頃、シュタルクが帰って来た。
「ごめん、遅くなっちまった」
「おかえりなさい、シュタルク様。遅くなるだろうとは聞かされていましたので。
すみません、私のせいですよね」
謝るときょとんとした顔をしたシュタルク。
だが彼はすぐに笑顔に戻った。
「フェルンのせいじゃなくて、フェルンのためかな」
「私の……ためですか?」
シュタルクは上着を脱いで「お洗濯の魔法頼む」と渡してきた。
それを受け取りながらもフェルンは聞き返してしまう。
「フェルンが大変だから、俺が頑張りたい。頑張らせてくれよ。
いつもフェルンには助けられているんだ。そうじゃないと家族のバランスが崩れちまう」
「そう……ですか……。あの、お食事は……?」
フェルンの呼びかけに振り向いたシュタルクは意外そうにしていた。
「あるの?」
「……はい」
「じゃあ、遅いから軽くだけもらおうかな。汗だけ流してくるよ」
シュタルクから渡されたコートを強く抱きしめると、旅の途中に感じた懐かしい匂いがする。
昨日のベッドでもそうだったが……とても安心する匂いだと……そう感じた。
✧ ✧ ✧ ✧
――「明日は、領の交易街の中をフェルンに案内する形のデートになるけどいいかな?
夫婦で練り歩くと……視察みたいになっちゃうけど……そういうのじゃないって一応連絡は回したけど」
苦笑いをしながらシュタルクがそう言っていた。そんなことを思い出してベッドの中で微笑んでしまう。
「フェルン……何かいいことでもあった?」
「いえ……でも少しずつ。今が分かってきました。子供たちの事とか、周りの人達とか、シュタルク様の事とか」
「そう……」
もぞっと動いて寝返りを打ったフリーレンと目が合った。
フリーレンはじっとフェルンの瞳の奥を覗いている。
「魔法の効果が……薄まっている。もうすぐ元に戻るかもしれない……」
「え……?」
そうなると……どうなるのだろう?今の自分の意識は消えて元の自覚が体に戻るのだろうか?
いや、そうあるべきなのだが……消えるのだろうか?今の想いは……?
「フリーレン様……」
「今のフェルンをこの魔法で呼び起こしたのは偶発的なものだ。だけど、決して時間の狭間から呼び起こした仮想人格じゃない。
おおもとのフェルンの中にある記憶が呼び起こされたフェルン一個人だ」
「……」
「魔法を信じて。これは憧憬を呼び起こし、幸せを願う魔法だ。だから、フェルンの願いをまっすぐに信じて」
そう言ってフリーレンはフェルンを抱きしめた。
「……は……い……」
彼女の胸元から感じる心音はどこか心地よく……ゆっくりとフェルンを眠りに誘っていった。
■エスコートは貴方らしく
――そして時間は、今朝の冒頭へと戻る。
「じゃあ、街の方へ行こうか」
「はい」
フェルンの手を握るシュタルクは、あの当時からすると……身長が少し高い。
元々身長差はあったのだが、今のフェルンからすると頭一つ変わる。
「どうした?」
「いえ……私の知っているシュタルク様から、やっぱり歳を重ねたんだなと」
フェルンの言葉にシュタルクは何とも言い難い表情となる。
「ごめんね……俺だけおっさんになって。フェルンは今体感で19歳ぐらいだもんね」
「そういう話じゃないです」
「そーなん?」
フェルンの言葉にションボリして猫背になるシュタルク。
その姿がおかしくてフェルンは噴出した。
――そうだ、シュタルクはこういう人だった。
「フェルン?」
「いえ……そうですね。でも私も魔法でこうなってるだけで。本当は同じ歳なんですよね」
――変わったけど、変わらない。そんなものを少しずつ見つけていこう。
フェルンがそうしみじみと感じていると、シュタルクは遠くを眺めて語りだす。
「そうなんだけどね……いいな。19歳の身体……肩が凝らないんだよね……」
「え……凝らないですか?」
きょとんと聞き返すフェルンにこちらもきょとんとするシュタルク。
「うん?若い時はそういうの無縁だったけど、フェルンはそうじゃないの?」
「いえ、私はその時はもう、結構肩は凝……シュタルク様、それはえっちです!」
「ええっ!? 今の会話何がえっちだったの?痛い痛い!たたかないで!」
という、特になんということもない会話を繰り返していると街についたのだった。
ただ自然に、時間はすれ違っているはずなのに、なんとなくそう在れた。
✧ ✧ ✧ ✧
「ここは、領主館。仕事場。次、行こうか」
「……あっさりし過ぎじゃないですか? 街の中でも比較的立派な建物ですよ?」
街についてからたどり着いたのはこの街の心臓となる館だが、すぐさま次に行こうとしたシュタルク。
「いや、だって……今日、エアフォルクとルーエが中で働いているし……そんな中でデートとかちょっと……」
「何か心苦しい仕事の仕方したんですか?」
「昨日は普通にいっぱい働いたよぉ……どっちにしろデートで来る場所じゃないから。みんなに申し訳ないから行こう……」
やけに嫌がっているなと思ったらちらほら視線を感じる。
窓や1階の受付、様々な箇所から局員が隠れて見ている。全員、視線が一様にニヤニヤしている。
「ね、フェルン……後でいろんな人から冷やかされるから……」
フェルンの手を引っ張って、逃げようとするシュタルク。
「シュタルク様、一応領主様なんですよね?」
「役割はね!!」
なんとなく察するところはある。
先程からシュタルクは事務手続きに来た親子連れの子供にちょいちょい手を振り返していたりする。
「愛されてますね」
「みんなこういう時生暖かい目で見るから……この先の喫茶店のケーキが美味しいから、そっちに行こう……」
「分かりました……」
✧ ✧ ✧ ✧
そうして案内された喫茶店はこの街では比較的古いお店で昔からよく使っていたらしい。
「フェルンと一緒に来るのは久しぶりだけどね」
「そうなんですか……?」
「フェルンが淹れてくれるお茶や、焼いてくれるお菓子が美味しいから……
子供が出来てからはよく作ってくれた。おっ、きたきた。ここのショートケーキが美味しいんだ」
―― 何気ない。会話。フェルンにとっては少し前だった気がする初めてのデートとは違う会話。
「甘いものは、フェルンに付き合ってよく食べたよ。今だと俺もそれなりに詳しくなったんだぜ」
―― 最初は手慣れてしまった……と見えたそれは少し違う。
「フェルンのチーズケーキも旨そうだな。一口ずつ交換しないか?」
―― きっとこれは、二人で歩んできた変化なのだ。少し自分がまき戻っただけ。変えたのは自分。
「そうですね……じゃあ、そのイチゴとクリームがたっぷり乗った場所を――」
「ちょっと、待て待て、ショートケーキにそれは反則だ――可愛い顔でお願いしてもダメ!」
―― そんな他愛のなさに歴史が刻まれていて……そこかしこに、あの日の情けない顔で可愛く笑う青年の姿が見える。
「酷い……イチゴ楽しみにとってたのに」
「シュタルク様、はい口を開けて」
「え!?」
―― あの日、たどたどしかったのは歩み寄り方を知らなかったせい。近寄り方が分からなかったせい。
―― 今シュタルクがしてくれているのは、歩み寄るための足場を作ってくれているのだろう。何度も何度も。
「はい、あーん」
―― だから。私も一歩だけ。
✧ ✧ ✧ ✧
「領主様!!領主様!!奥様も……奥様、あら?今日はずいぶん若――」
「おっちゃん、それ以上はダメだ」
アクセサリー商が声をかけてきた中で突然シュタルクが立ち止まって口をふさいだ。
「フェルンはいつも通り。若くて綺麗。はい、復唱。アクセサリー商だろ」
「奥様ハイツモワカクテキレイデスネ……」
「OK、おっちゃん。それで行こう。どうしたの?」
「いや、なんか買ってくれないかなーって」
商人の露骨な態度にシュタルクも眉を寄せる。
「どのような物があるんですか?」
「流石奥様!!」
露骨に奥様奥様と言われるとちょっと照れる。
立場上仕方ないとはいえ、フェルンの感覚では夫婦と言われ慣れていない。
「奥様が澄んだ青色が好みだって聞いてね。
この街の若い子もフェルン様の好みのものを身につけたがるし……こういうの良いかなって」
商人が取り出したのはブルーパールのはめ込まれたブローチ。
ブルーパールは綺麗に加工されており、花の形をしている。
「蒼月草の華と……鏡蓮華……」
「どうです?領主様……奥様が夢中で見てますよ?」
「我が家狙い撃ちじゃねぇか……」
フェルンを見ると目を輝かせて見上げてくる。
そういえば昔、さりげないデート中のアピール見逃したなぁ……
デート割のアクセサリを見て『デートってお得だな』と返してしまった過去の自分に頭突きをする。
「いくらだおっちゃん!割り引いてくれよ!俺のお小遣いはそんなに潤沢じゃない!」
「わぁ!領主様、さすがの懐の広さ!!サービスしますよ!それを作った職人自慢のケースもつけちゃう!」
「それ元からついてるやつだろ!」
✧ ✧ ✧ ✧
アクセサリー商から受け取った箱を嬉しそうに抱えるフェルン。
彼女はちらっとシュタルクを覗き込む。
「良かったのですか?」
「ん?何が?」
「いえ、お小遣い……という話です……というかお小遣い?」
新たな疑問が浮かんだフェルンは首をかしげる。
「あー、我が家の家計は……フェルンが握っていて、俺のお金は……お小遣い制です」
「えっ……」
まがいなりにも、この地方の最高権力者。そんな人物がお小遣い制……というか原因は自分。
「それは……すみません……」
「フェルンの気にするこっちゃないよ。むしろ助かってるぐらい」
「そうなのですか……? 実は家計が厳しめ……なんでしょうか?」
フェルンのもうしけなさそうな質問にシュタルクは苦笑いで返した。
「まあ、さすがにそこまでのことはないよ。子供たちとか、フェルンの夢のためとか。一緒に頑張ってるだけ」
「私の夢……とは?」
今の自分が望むこととは何だろう?かつて、旅の最果てにある物語を望んだフェルン自身の次の夢。
シュタルクはそれを受け入れた歩んでくれる自分の夢。
「未来の話だよ。途方もない未来の夢。
でも俺は、その話を聞いたときに嬉しかったんだ」
「……」
「その話は後にしようか……次は子供たちが通っている学舎を覗いていこう。魔法協会が協力して建ててくれたんだぜ」
シュタルクの言葉の続きが気になったが、今は彼の案内に従って足を進めた。
■夕暮れと告白とデートのドレス
――『魔法の効果が……薄まっている。もうすぐ元に戻るかもしれない……』
昨晩聞かされたフリーレンの言葉。それは今の状況がもうすぐ解決するという吉報。
間違いなく吉報だろう。
かつて自身が夢見た風景と今の光景が一致していく。答えが重なっていく。
何故か怖いとは思わなくなってしまっていた。あるべき場所に戻してあげたい。
今となりを歩くシュタルクが必要とするものが自分であることが分かる。
ただ、それは……19歳のフェルンではなく、彼と共に走り抜け続けた大人のフェルンだ。
―― 私はいったいどこへ行くのだろう?
それだけが微かに気になった。
✧ ✧ ✧ ✧
「学び舎の子供たち、可愛かったですね」
「ははは……元気なことはいいことだな」
ちょっとボロッとなったシュタルク。学び舎を外から眺めていた彼を襲ったのは……
「あー!!シュタルク様だ!!」
という初等部の子供たちの声。そのまま雪崩のように「遊んで」と飛びついてくる子供たちにつかまってしまったのだ。
そんな中、一緒に交じっていたエリシアはパタパタとフェルンの下にやってきて彼女の足元にしがみついてきた。
そんな感じで、学舎の先生がやってくるまでわちゃわちゃしていたわけだ。
「シュタルク様は相変わらず人気者ですね」
「そうかな?」
「昔からですよね。目を離すとすぐに村の人達と仲良くなって」
「あんまり気にしたことがなかったな。旅してた頃からそんな感じだっけ?」
シュタルクのとぼけようにフェルンは笑う。いろんなことが分かったようで芯は何一つ変わっていない。
「無意識でやってたんですか?」
「わかんない……」
だからこそ心を許して、隣を歩めた。
「じゃあ、あと数か所まわったら、公園の高台のほうへ行こうか。見晴らしがいいんだ」
「はい」
その後、女神の教会や露店街を回り、空に夕日がかかってきた頃に街の高台のある公園へと向かった。
✧ ✧ ✧ ✧
「この大きな木がある場所、ここから街を一望できるようになってるんだ」
シュタルクと共に訪れた夕暮れの公園。赤く染まる街の風景が夕日へと溶けていく。
「綺麗ですね」
「城塞都市ハイスで初めてデートした時の風景が良かったから、ああいう場所造ろうって話してさ。
ここを高台にして公園にしたんだ。本当は魔法で無理やり真っ平らにしたほうが効率も良かったけど……
まっ、こういうのも田舎町の味かなって」
手すりに肘を乗せて街を眺めるシュタルクの顔に夕日が差し込み。
なんとなく初めてデートをした日を思い出す。あの時は何の話をしたのだったか。
あの日のデートはお世辞にも、うまくはいかなかった。
たどたどしい会話。かみ合わない希望。伝わりきらない感情。
それが楽しい想い出にもなったのは気持ちを全て言葉にしたから
――『なんだか、シュタルク様らしくなかったです。せっかくのデートだったのに……』
――『どうしてもフェルンに喜んでほしかったんだ。せっかくのデートだから』
今日のデートはたぶんもうすぐ終わる。
しっかりと前に進むためには、あいまいにはできないことがある。
だから ――
「シュタルク様は、私が今までの記憶を思い出したほうがいいと思いますか?」
「どうしたの?」
シュタルクはフェルンの疑問に少し驚いたような表情をする。そして少し苦笑した。
「……まあ、ずっとこのままって訳にはいかないかな。
フェルンが今思い出せないことの中にはたくさんの大切なことがある。
それは……捨て置けないよ」
「そう……です……よね」
手すりから手を放してフェルンに歩み寄ったシュタルクはフェルンの持っていたブローチの箱を受け取る。
「その服は、フェルンがずっと旅の後も大事にしてたドレスだ」
「……」
「フェルンにとってはちょっと前の出来事なんだよな」
「はい……」
シュタルクは箱からブルーパールのブローチを取り出した。
「俺からするともう十数年前の出来事だ。ずっとフェルンと駆け抜けてきた。
でも一秒だってあの日の光景と話した思い出は忘れたことがない」
ブローチの裏面を見ると魔法で服に張り付く仕様になっていた。
穴をあけずにつけられるタイプだ。フェルンの胸元にそっと据えるとブローチは服に吸い付いた。
「俺にとっては、19歳のフェルンも大人のフェルンも、結局は同じだ。
小さなものも大きなものも、勝ち得た人生と思い出を誰よりも大切にする女の子。
大切なものを俺に見せてくれる女の子。不器用な俺を許してくれる女の子。……まあ時々許してくれないけど」
ブローチを取り付けたシュタルクはフェルンから一歩下がり、彼女の手を取った。
「迷ってる俺の背中をいつでも押してくれる女の子」
シュタルクはそのまま、何かを誓うように、フェルンの手を取ったまま膝をついた。
「この街はさ……廃墟のような何もない俺の故郷から始まった。
旅をやめて、フェルンとフリーレンと別れて、村を立て直す……って当時は言ってたけど。
多分一人で、墓守のような人生を過ごしていたんだと思う」
「シュタルク様……」
膝をついて見上げるシュタルクから目が離せない。
「ここまでこれたのは、フェルンがいたからだ。背中を押してくれた。支えてくれた。
いつも黎明のように俺の目指す場所を指し示してくれる。一緒に歩いてくれる。フェルンの夢が俺の人生の色を与えてくれた」
シュタルクは、そのままフェルンの手に軽く口づけてから額に当てる。
「フェルンがいないと、俺は明日をもわからない。
クレ地方の財政はグラナト伯爵やオルデン卿たちからの融資で受けた借金経営だ。
フェルンがいないと俺一人じゃ身動きもできない。
誰かの言う英雄なんて肩書き、そんなものじゃ誰一人救えない情けない戦士だ。
だけど――」
再びシュタルクがフェルンを見上げる。その瞳はともし火の様な暖かな覚悟が宿っているように見えた。
その視線に圧倒され、思わず息をのんでしまう。
「フェルンが居たら。俺はなんだってできる。どこへだって行ける。だから。フェルン」
今のフェルンの意識は、仮初の記憶。共に人生を駆け抜けた本人ではない。
だけど……シュタルクはそれでも、真っ直ぐに――
「―― これからも俺のお嫁さんでいてくれますか?」
そう告げてくれる。こんなにも確信めいているのに掴んだ手は震えていることが伝わってくる。
―― 『でも、とても嬉しいです。私のために必死で考えてくれたんですね』
(そう、シュタルク様はいつだって……必死に――)
その時、フェルンの中で破裂しそうな感情の渦が、何か音を立てて弾けたような……そんな気がした――
■君の帰還と弾けたボタン
まるで――夢を見ている。そんな感覚があった。
自身はまだ若く、未熟で……隣を歩く師や戦士、時折交じる人々との関わりが世界だった。
手が届く範囲と見える場所、世界はそれだけ。それだけでいい。
いつか――。旅の果てで、たどり着く場所に降り立ち、小さな幸せを手に入れる――
3人で、幸せな――家族を造って――末永く――
そんな。当たり前の憧憬。だけどそれは、眺めてみているだけのものではない。
―― この手でつかみ、手繰り寄せ、放さずに抱きしめるべき、そんな何よりも大切なもの ――
✧ ✧ ✧ ✧
「フェルン……?」
彼女は答えない。視線をこちらに向けたまま固まっている。
もしかして格好をつけすぎただろうか?
『シュタルク。今のフェルンにありったけの愛をぶつけてあげて。きっとそれが魔法を昇華する最後のピースだ。
……あ、くれぐれもえっちじゃない方法でね」
フリーレンからさりげなく言われたこと。憧憬回帰の魔法は過去の夢の現実を重ね合わせ己の夢を見せられる魔法だという。
不思議な魔法だ。そんなものどうして必要だったのだろう?フリーレンにそう問いかけると彼女は苦笑いで答えた。
『これは……エルフのための魔法だ。作者もエルフなんだろうね。数百年を意に介さないエルフが幸せを定義するための魔法。
悠久不変のエルフが変化と幸せを理解するための魔法。ちょっと人間のフェルンには激変過ぎたのかもね……』
人にとって、10数年という時間はあまりにも長い。一つの街が出来る程度には……
そんな中で感情や関係、想い出、たくさんの変化を巻き起こす。
「……ずるいです。シュタルク様……こんな……私……この想いは……消えて……元に戻るって……」
「?」
フェルンはその場に屈んでふさぎ込んだ。
「え?フェルン大丈夫?」
「こんなの、もう無茶苦茶です……」
夕日がさして赤みがさしているからわかりづらい。分かりづらいが……多分耳まで紅くなっているようにも見える。
「私に……選択肢ないじゃないですか……」
「あー、そう……かな? 確かに想定外のこと言われると明日からどうしていいかわかんないけど」
シュタルクがフェルンに合わせてかがみこむとフェルンがこちらを向いたと同時に、シュタルクに飛びついてきた。
「おわ……」
「傍にいさせてください……私が望みました。私を拒絶するシュタルク様に何一つあきらめたくないと。あの日私がお願いしました」
「フェルン……記憶が」
フェルンが飛びついたことでしりもちをついてしまった。胸元に顔をうずめる彼女の頭を撫でて苦笑する。
そういや、旅の終わりにそんな喧嘩したなぁと……しみじみ思い出した。
「フェルン……魔法解けちゃったか」
「解けてません……ただ、思い出してしまっただけです。フリーレン様の魔法で昔のことを思い出して、今のことを忘れていただけで……
消えると思っていたのに……想いと、想い出がぶつかって……感情がうまく言葉に……」
「そっか……しばらくこうしてる?」
と問うと、彼女は胸元で顔をうずめたまま動こうとしない。
やれやれと思いつつ夕空を見上げていると――
―― ピッ ――
という、まるで布生地がものすごく引っ張られるような音が聞こえた。
✧ ✧ ✧ ✧
違和感は……ちょっとだけ感じていた。
ちょっとだけ……だが、気持ち、ドレスの胸元と微かに腰回りがきつく感じる。
フェルンも決して日々怠惰に過ごしていたわけではない。
いつまで経っても筋力の衰えを感じさせない隣人に並び立てるように日々努力している。
いやいや、そんな……サイズが合わないなんて事……
「フェルン……多分なんだけど、記憶が戻って体型が……」
「シュタルク様、それ以上言うと……この至近距離で撃ちます」
「酷いッッ!変な意味じゃないよ」
フェルンはシュタルクから体を離して膨れた顔で起き上がった。
「はは、やっぱり、いつものフェルンだ」
そこには何かが変わったと言うほどの変化があるわけではないが……
ずっと隣を歩いていたからわかる。いつもの……フェルン。ちょっと頬を膨らませているけど……
そんな彼女が女の子握りの手を振り上げて、伝家の宝刀のポコポコを振り下ろす瞬間。
袖が引っ張られ、はち切れそうに膨らんだ彼女の愛と母性が形を成した奇跡がシュタルクへと牙を剥いた――
―― パシッッ!! ――
「痛いっっ!」
今や音速に近い剣戟を見切って躱すシュタルクの額を撃ち抜いたのは、フェルンの胸元のドレスのボタンだった。
「シュタルク様!」
慌てて動くともう一つが弾けて飛んで、眉間を撃ち抜いた。
流石にかなり痛かったらしく、目元を抑えながらうめくシュタルク。
「つっぅぅ〜!!」
「……すみません」
フェルンははだけそうになったドレスの上着を腕で抑える。
申し訳なくしていると彼女の肩から赤いジャケットが被せられた。
ふわっと香る、愛しい匂いは言わずもがなのシュタルクのもの。
「いてて……ひとまずは、帰ろうか。そろそろ日も落ちて冷えてくるし」
鼻元を抑えながら立ち上がり、なんでもないことのように振る舞うシュタルクに苦笑する。
フェルンは彼の差し出した手を取った。
「はい、帰りましょう。我が家に――」
夕日を背に赤い髪をより赤く輝かせる夫を見つめながら、フェルンは今出せる精一杯の笑顔で答えた。
■君の憧憬
日が落ちてくるとさすがに気温も下がってくる。
シュタルクのジャケットはフェルンが着ているため、シュタルクは現在黒のノースリーブのインナー姿。
「シュタルク様……寒くはありませんか?」
「フェルンが暖かいから、寒くないよ」
「……えっち」
下手に動くと思い出のドレスがピンチ(?)ということでシュタルクがフェルンを背負って家路についている。
「憧憬回帰の魔法」
「ん?」
「憧憬を見ていました。旅の途中で。旅の先に何があるのかと。あの時、フリーレン様とシュタルク様が一緒にいることがとても幸せで」
そんな家路につく最中、耳元でフェルンが語り掛けてくる。
彼女がかかった魔法の話だ。彼女の見た憧憬。それがあの姿にフェルンをとどめていたということになる。
「ずっと、傍に居たいと。私は願っていたんだと思います。そして、きっと不安だったんです。
何もかもは不変で永遠などありえないと……心のどこかでわかってはいて」
「そっか」
彼女は二度の喪失を経てなお、こうして真っ直ぐに生きている。
それは彼女が誰よりも強い証であると同時に彼女の心の枷でもあったのだろう。
だから……
(俺が証明しないといけないんだな)
「今に続いていると分かってよかった……あの日の私は、シュタルク様の背を押せてよかった……支えられてよかった……」
「そうだな……よかった。俺も安心して傍にいられる。傍にいていいって、傍にいたいって思えた」
比翼連理。お互いに上手く飛べない片翼の鳥。だからこそ、折り合える。
フェルンから小さな息遣いが聞こえて、背中からもたれかかっている彼女の腕がキュッと締まったように思った。
「えっちって言うなら、そんなに強く押し当てないでよ……」
「嫌です……」
「……まったく、わがままなお嫁様だな」
というやり取りの末にたどり着いた我が家。正面にはシュタアルとティアフォート、フリーレンと手をつないだエリシアが待っていた。
「お母さま!!」
フェルンをおんぶから降ろすと、エリシアが飛びついてきた。
「ただいま……寂しい思いをさせてごめんなさい」
「はい……お母さま!お母さま!」
その様子を見ていたシュタルクの隣にやって来たのは兄のシュタアル。
「なんで、父さんのジャケットを着ている母さんが背負われて帰って来たの?」
「兄様……それは、父様と母様に失礼というものです」
「え……そうなん?」
どういうこと?という表情でシュタルクを見上げてくるシュタアル。
やれやれという様子でティアフォートは言葉を続けてくる。
「突然若返って生娘になった母様というシチュエーションが成ったのです。
まさか、父様ともあろう人が、何もしないわけがありません」
「いや、わかんないけど……」
「つまり、着衣の乱れがあるのです!ジャケットはそういうことです。
背負われているのは、歩きづらいのです、初めての異物感に母様は――」
とんでもないことを言い始めたので「やめなさい」とティアフォートの頭を小突いた。
「元に戻って、ドレスのサイズが合わなくなったんだよ。ちょっと動きづらいんだ」
「あー……なるほど。でも、サイズ合わないならもう持っている意味なくない?」
「そうでもないさ……実際、今日は役に立った」
そう言って、エリシアを抱きしめるフェルンを温かく見つめるシュタルク。
シュタアルはわかるようなわからないようなという様子で「そーなんだ」と返した。
「シュタアル、ティアフォート。夕食を作りましょう。手伝って」
エリシアの手を握ったフェルンが二人を呼んでいる。
「「はーい」」
と声を合わせたシュタアルとティアフォートはフェルンの元に駆け寄っていく。
それと同時にフリーレンがやって来た。
「流石シュタルク」
「まあ、ヒントはいっぱいあったしね」
「魔法は最後どうなったの?」
「フェルンが忘れてたことを思い出して終わりだよ。何も変わっていない」
シュタルクの答えにフリーレンは微笑んだ。
「そっか、じゃあフェルンは今夜大変だ。なんせ十代の頃の想いと、十年以上かけて培った今の想いが多重に重なっているんだから」
「え?そうなの?」
シュタルクの腰をとんと叩いたフリーレンはフェルンの後を追いながら家に向かう。
「今夜はフェルンと寝室で寝なよ。私には手に負えない。シュタルクしか抑えられない」
「……頑張ります」
空を見上げるとうっすら月が見えている。
「今のフェルンの憧憬にも付き合うって決めたからな……最後まで頑張るか」
シュタルクは自分の頬をぱんぱんと叩いてから、家族の待つ我が家へと帰るのだった。
~ 君の憧憬とデートのドレス fin ~