レタスはただ闇夜を彷徨い歩いていた。どこに向かうわけでとない。無心になって歩き続けていた。天候は大雨だった。満月は雲に隠れて見えない。レタスは雨に打たれても気にせず歩いていた。いつの間にか村を抜けて何も無い荒野にまで来ていた。それでもレタスは無心になって歩き続けた。フラフラの足取りで足元にはポタポタと滴り落ちた血の跡がある。普段は腰に巻いている尻尾も、この時は無防備に垂れ下がっていた。
レタスの目からは涙が伝っていた。無意識に流れているのである。自分でも泣いていることに気付いていなかった。頭に過るのは下級戦士として生まれた自分の不甲斐なさである。全てが、何もかも、この事態は自分が下級戦士として生まれた事に起因するのだと。父の期待を裏切った自分が悪いのだと。そんな自分を呪った。父に対して腹が立つより先に自分への怒りが先に生まれていたのだ。
「…………ふぅぅぅ……ふぅぅ……!!」
やがて気持ちが抑えられなくなり、涙が噴水のように溢れ出る。全身が痙攣しているかのようだ。そこで自分が泣いていることに気付いて、父の言葉を思い出し、必死に泣くのを堪らえようとした。しかし溢れ出る気持ちを抑えることが出来ない。気持ちの土台が崩れて水が土台から零れ落ちるようである。土台が崩れてしまっては水はただ下に落ちるしかない。それを止めるものは存在しないのである。
まるで心臓の病気になったかと錯覚する程に胸がキツく締められているのを感じた。あまりにも苦しくて息が出来ない。呼吸は乱れて過呼吸を起こした。膝が崩れてその場に留まる。両手は涙を拭うか胸を抑えるかで迷っているようだった。
「なんで、なんでこんな……」
混乱して身動きも出来ない様子のレタス。その背後に一人の男が立っている事にも気付けなかった。男は垂れ下がっていたレタスの尻尾を突然握り締める。レタスはいきなり全身が脱力してしまった。泣くどころでは無くなった。男は尻尾を持ち上げる。レタスは逆さまの状態になり、そこで初めて男の姿を視認した。フードを被っており、顔は見えない。大人のサイヤ人だろうか? 誰なのか見当も付かなかった。男はレタスと目が合うとニヤリと笑みを浮かべた。
「いかんなぁ。子供が弱点の尻尾を無防備に垂らしていては。いつ誰に握られるかわかったもんじゃない。今この瞬間のようにな。尻尾は普段から腰に巻いておけと教わらなかったのか?」
「……だ、誰?」
「名乗る程の者じゃない。ただの迷い人だよ」
そして男はレタスをぶら下げたまま移動を始めた。レタスが尻尾を離してと頼むが男は聞こうとしない。やがて男は近くにあった洞窟の中に入っていった。そこでようやくレタスの尻尾を離した。レタスはようやく自由になり、安堵した。すると男はフードを脱いで顔を見せた。額に傷のある、これまた特徴的なヘアースタイルをした男だった。
「俺の名はリキュウ。よろしくな」
リキュウはサイヤ人らしからぬ穏やかな顔で微笑んだ。レタスはこんな顔をする大人のサイヤ人を初めて見た。少しだけ安心する自分を理解していた。
「レタスです。はじめまして」
レタスはそう言って挨拶すると頭をペコリと下げた。するとリキュウは懐からキュウリを出してレタスに渡した。食えと言っているのだ。レタスはそこで自分が空腹な事に気付いた。思えば昼食後から何も食べてはいない。キュウリを手に取ると無心になってかじりついた。特段美味しくなかったがまぁまぁ普通の野菜である。
その様子をリキュウはたたただ眺めていた。そして自分も新たに取り出したキュウリをかじる。
「俺は農家をやっているんだ。そいつを育てて野菜屋に売って儲けてる。戦う事に疲れてね」
レタスは話を聞いていないようだった。やがてかじりついていたキュウリはすぐに無くなってしまった。当然一個では全く足りない。リキュウに物欲しそうに視線を向けるがリキュウは手持ちはもう無いと首を横に振った。レタスは少し残念な気持ちになった。
「少しは落ち着いたようだな。子供とはいえ、戦闘民族サイヤ人がみっともなく泣いて情けない事だ」
「……面目ないです。でもたしかに少し気持ちが落ち着きました」
尻尾を握られて全身が脱力してしまい、それまでの心の乱れが一気に平坦化した。体の反応が心をそれどころでは無いと抑えつけたのだ。それをリキュウが狙ったのかどうかはわからないが結果的にレタスの気持ちが落ち着いたのは事実だった。
リキュウは何故泣いていたのか、レタスに問う。子供の内にあんなに心の乱れた泣き方をするのは普通では無いと。サイヤ人としてもとても珍しい事だと。レタスはわけを話した。自分が下級戦士として生まれた事で父が自分の事を激しく憎んでいること。母は自分に期待していないこと。そんな自分が不甲斐無くて、悔しくて、それで悲しくなって泣いていたと。
「ボクは、今より強くなりたい。お父さんやお母さんに、失敗じゃなかったって認めさせたいです。……でも下級戦士の判定を受けたボクでは、どうせお父さんみたいに強くなれないですよね」
俯いたままレタスは言った。するとまた心が乱れ始めて泣きそうになる。今度はみっともなく泣き出さないように、必死で心を抑えつけた。そうしているとリキュウが考え込むように腕を組みながら答えた。
「下級戦士とかいう判定は幼少期に計測された潜在能力で決まる。これは大人になっても大きくは変化しない、とされてきた。つまりお前さんの言葉通り、下級戦士と判定を受けたならたとえこれから強くなろうとそれほど成長の見込みは無いだろう。要は才能が無いんだよ、お前さんはな」
「……そう、ですよね」
頑張って鍛えればより強くなれるから。そう言われるのを無意識に期待していたレタス。しかしどこかで感じていた、強くはなれない現実を突き付けられた気がしてそれ以上何も言えなくなった。黙り込んでしまったレタス。それをみかねたのかリキュウはある提案をする。
「一つ、提案がある。それをすればお前の戦闘力は格段に上がるはずだ。そしてそれをこれからも絶えず繰り返せば、もしかしたら上級戦士とまではいかずとも中級戦士クラスには行けるかもしれん。とても辛いな事だがね」
その言葉を聞いてレタスは顔を勢いよく上げてリキュウを見る。闇の中に光明を見たかのような感覚である。そんな方法が本当にあるのか? レタスは目を輝かせた。
「お、教えてください! 強くなれるならボク、なんでもやります。どんな辛い事でもします!」
それを聞いてリキュウは不気味な顔で微笑み、これまた不気味な笑い声を出した。外ではすっかり豪雨になっており雷の音がゴロゴロゴロと鳴り始めていた。やがて落雷が起きて爆発したかのような轟音が鳴り響く。レタスは驚いて体をビクリと震わせる。それを見てリキュウはケラケラと笑う。雷なんかでそこまで怖がるとは子供だなと。レタスは恥ずかしくなって顔を赤くするのだった。
そしてリキュウは語り出した。
「お前の親父は教えていなかったようだな。我々サイヤ人は死の淵から復活した時、戦闘力が大幅に上がるという特性がある。下級戦士のお前にだってその特性は当然ある」
「死の淵から復活……」
「つまり何度も死ぬギリギリまで自分を追い詰めてから回復するのを繰り返せば、下級戦士のお前でもそれなりに強くなれるということだ。これから飛ばし子にされるんだろう? 戦っていれば誰でも経験する事だ」
サイヤ人の特性。それは死の淵から蘇った時、大幅に戦闘力が上がるというもの。それは戦闘民族サイヤ人の特徴。言うなれば筋トレでの超回復を更に発展させたようなものだろう。しかしこれは上級戦士のように元々強いサイヤ人には起こりにくい事でもある。何故なら生まれつき戦闘力の高いサイヤ人はそもそも死の淵まで追い詰められる事自体が稀だからだ。それだけサイヤ人という種族は宇宙全体で見ても強い種族なのである。戦闘民族との名はダテではない。
「ぼ、ボクは今すぐ強くなりたい! 飛ばされて戦っている内に強くなるんじゃなくて、今すぐ強くなってお父さんに強くなったボクを見せてやりたい! 二度と屑なんて言わせない!」
レタスは立ち上がるとそう豪語した。するとレタスがそう言うと確信していたのだろう。リキュウは高らかに笑うのだった。
「レタスよ。我々サイヤ人のやっている事は正しいと思うか?」
「……正しいと思うかってどういう事ですか?」
突然別の話をしてきた事にレタスは困惑した。今すぐにでも自分を半殺しにしてくれと頼みたいくらいなのに。するとリキュウは続けた。
「他人の星を制圧し、他の異星人に高く売る。それが我々サイヤ人の生業。奇しくもフリーザ軍がやっている事と同じだ。他人の星を侵略し、その星の住民を皆殺しにする。それをこれまで繰り返してきた。だが、それは本当に正しい事なのか?」
「……正しいもなにも、それが普通なんじゃないですか? サイヤ人の昔からの仕事でしょ?」
「……俺は疲れた。戦うことにな。昔は人を殺すことなんてなんとも思っていなかった。むしろ楽しみにすら思えたさ。自分の力を、強さを証明出来るからな。敵を殺す事が強さの証明、自分の存在意義だと思っていた」
リキュウは昔を懐かしむような顔で、天井を見上げながらそう呟いた。レタスはなんだか長い話が始まってしまったなと思ってしまった。しかしサイヤ人の生業について疑問に思ったことなど無かった。正しいかどうかなんて考えた事すら無かった。自分には無かった視点だ。レタスも同じく考える。リキュウは何を言いたいのか? 人を殺す事がいけない事だとでもいうのだろうか?
レタスの考えでは人が死ぬかどうかとは戦闘による勝敗の結果に過ぎない。弱くて、戦いに負けたから死ぬのである。勝者によって殺されるのである。それは自然の摂理、当然の事だ。父に憎まれている自分のように。弱いのが悪いのだ。なのに、それが正しいのかどうか、とは? 戦いの勝者が敗者を殺すのは当然ではないか?
「しかし、仲間が敵に殺されたりするのを見ている内に、何かがおかしいと思うようになった。自分の常識は本当に正しいのかと疑問を抱くようになった。……レタス、お前は人を殺した事はあるかな?」
「いえ、無いです」
「そうだよな。実際飛ばされてみて、戦ってくればわかるかもしれん。俺も気付けたんだからな。周りはどいつもこいつも疑問すら抱かなかったが」
「……リキュウさんが何を言いたいのか、ボクにはわからないです。他人の星を攻めるのは悪い事だと言いたいんですか? でもそれがボク達の仕事なんでしょ? それを悪い事だなんて言ったらどうすれば良いんです?」
「たしかにその通りなんだ。俺もどうすれば良いのかわからない。だからこうして隠れて農家やってんのさ。言ってしまえば戦闘民族そのものの否定なる。そうなれば俺達は一体なんなんだ? これまでずっと間違った事を続けていたのか? そう考えるようになったら何もかも嫌になっちまった」
リキュウが何を言いたいのか。なんとなくレタスは理解した。この人はサイヤ人の生業そのものを間違っているのでは無いかと疑問を抱いて揺れているのだ。何故そう思うに至ったのかはレタスにはわからなかったが、とにかくそう思ったから悩んでいることは理解出来た。
しかし、そんな難しい話など、正しいか間違っているかなんて、今のレタスには関係の無い事だった。今、レタスがしたい事はたった一つである。それは、今より更に強くなる事。そして父に認めさせる事である。
「そんな、おかしな話なんて今はどうだっていい! ボクはとにかく強くなりたい!! リキュウさん、今すぐボクを半殺しにしてください! ボクを今より強くしてください! お願いします!」
レタスは土下座をして頼み込んだ。リキュウは微笑んだ。たいしたガキだと思ったのだ。立ち上がるとレタスの肩を掴んで立ち上がらせた。
「今は出来ることをやるだけだ。お前はまだ子供だからな。難しい話は大人になってからゆっくり考えると良い。だが約束だ。俺の話は頭の片隅には入れておいてくれ。そして考えて欲しい。それからどうするべきか判断して行動するんだ。……たぶんフリーザ軍の下で戦うのがバカバカしくなってくるぜ」
リキュウはそう言うと拳を振りかざして、拳を握り締めた。全身のエネルギーを拳に集約させる。レタスにもその気迫が伝わって唾を飲んだ。そして恐怖した。これから自分は半殺しにされるのだと。
「これからお前の腹に一撃打ち込む。死なない程度の威力でな。とても苦しいだろうし、気を失うかもしれん。そのまま死ぬ可能性もある。覚悟はあるな?」
恐怖は確かにある。しかしそれ以上に強くなりたいという気持ちが強かった。レタスは拳を握りしめて首を縦に振った。
「覚悟は出来てます。いつでも大丈夫です。お願いします!」
次の瞬間、リキュウの右拳が放たれて、レタスの腹を抉った。ボディブロー。あまりの衝撃にレタスの腹が貫通して背中が拳の形に飛び出してしまうと思えるような衝撃だ。レタスがこれまで感じた中で一番の衝撃。レタスの体は弾丸のような凄まじい勢いで横一直線にふきとんでいった。そして洞窟のはるか外に飛んでいき地面に倒れた。
豪雨が全身を打ち付ける。胸が詰まって息が出来ない。呼吸をしたくても肺が動かない。胃の中で出血しているのが理解出来た。腹の中が血で満たされるのを感じた。そしてそれが喉に向かって溢れていってやがて口から飛び出る。レタスは大量に吐血した。黒い血が口元を染めた。
「がああ!! ……うああっっ!!」
やっとの事で呼吸が出来たかと思うと全身にダメージが回って全身に激痛が走った。そこで初めて死というものを実感出来たような気がした。このままでは確実に死んでしまう。幼いレタスでもそれが理解出来た。
やがてレタスのもとにリキュウがやってきた。雨に打たれながらレタスを見下ろす。レタスは思わず助けを求めて、リキュウの方に手を伸ばした。
「村までは連れて行く。その後生き延びるか死ぬかはお前次第だ」
「……うっ! おげぇっっ!!」
レタスはまた大量に吐血する。すると急に視界が暗くなってプツンと途切れた。気絶したのだ。そしてレタスはぴくりとも動かなくなった。リキュウはレタスの胸に手を置いて脈を測る。脈動は微かにだが残っていた。リキュウはレタスを抱き抱えるとレタスの村へと向かった。村の方向はレタスの血が示してくれていた。