きっかけは決戦前夜、虎杖がふと漏らした一言だった。
「高羽ってどんな芸風なの?」
「ん?聞きたいか? なら披露しよう。著作権フリーだ、何度でも擦るといい」
その場の空気がわずかにざわめき、期待と緊張が混じったように張り詰めていく。
「――余計なお世WI–FI!!」
両手を限界まで広げ、右足を九十度に跳ね上げる。
高羽史彦の芸人人生において、重要であり、渾身であり、そして何度か救われてきた一発ギャグ。
「ははっ、なんだよそれw」
笑ってくれたのは、見渡す限り虎杖と、外見ではわからないが声を押し殺しているパンダの二人だけ。
それ以外の者たちは、間の抜けた顔か無表情で高羽と虎杖を交互に見ている。
――笑いのない劇場特有の、あの冷たく乾いた空気。
そんな中、日車が静かに口を開いた。
「すまない。それは……喫茶店で電波の弱いWi-Fiに勝手に繋がりそうになったときに生まれたギャグだと思うのだが」
「おぉ! めっちゃ分かってくれるじゃないか!」
「日車も意外にお笑い好きか!?」
「いや、そうでもないが……少し聞いてもいいか?」
「おう! 何でも聞いてくれ!」
日車の表情に笑顔はない。
それでも、興味を持ってくれた。その事実だけで、胸のどこかが温かくなった。
「そのギャグには、フリはないのか?」
「え?」
「“余計なお世WI–FI”はショートギャグのオチ部分だと思うのだが、前フリは用意していないのか?」
「え……いや……これが全部だけど……」
「そうか……。そういうスタイルもあるのだな」
あぁ――。
わかってる奴に、真正面から失望されるって……こんなに刺さるんだ。
(オマエとお笑いやっても楽しくねえんだよ!!)
過去に相方から浴びせられた言葉が、頭の奥底から浮かび上がる。
客から否定されたわけでもない。
ただ、真剣に聞いてくれた人間に「足りない」と言われる。この痛みは特別だった。
(ずっと売れ続ける奴には二種類おんねん)
(ずっとおもろい奴と)
(ずっと自分のことおもろいと勘違いできるやつや)
大丈夫。俺は面白い。
俺は……面白いはずだ。
俺は――。
「他に笑えるギャグとかないの? 芸人だろ?」
五条悟が、擦り減った声で言葉を投げる。
その無神経さは、鋭利な刃より容赦がない。
笑えねぇ――。
(オマエとお笑いやっても楽しくねえんだよ!)
(俺たちが笑ってねえのに客が笑えるわけねえだろ!)
なんで俺……芸人やってるんだっけ。
この場にいたくない。
誰も見ていない場所に逃げ込みたい。
「高羽……大丈夫?」
虎杖の、優しい声すら今は刺さる。
「悪い。ちょっと……頭冷やしてくる」
「え……」
困惑する虎杖たちを背に、高羽は静かに輪を抜け出した。
「五条悟……君にはデリカシーというものがないのか? 高羽には明日の決戦で重要な役割があるのだぞ」
「はぁ? 人の体に勝手に入り込んでるやつに言われたくないんだけど」
五条と天使の間に、微かな火花が散る。
「まぁ五条には人の心なんかないからねぇ~」
「えー! 硝子もそっちの味方すんの~?」
「ほんと成長しないね……」
「まぁまぁ、先生たちも落ち着いてよ。高羽には俺から話してくるから。先生たちはここで待っててよ」
虎杖は深呼吸を一つし、高羽の背中を追って走り出した。
周囲には、気まずさを含んだ静寂が降りていた。
高羽が立ち去った後の空白だけが、妙に広く、重く感じられる。
そんな中、日車が申し訳なさそうに口を開いた。
「……すまない。あそこであんな話を振るべきではなかったな」
乙骨が柔らかく首を傾ける。
「日車さんって、意外にお笑いに詳しいんですか?」
「いや、そんなことはない。ただ……感覚として理解できるギャグだったからな。だからこそ余計に、気になってしまって」
真希が腕を組みながら小さく鼻を鳴らす。
「まぁ、高羽の反応を見る限り……痛いところだったんだろうな」
日車は、返す言葉を探して視線を落とした。
だが、落ち込んだ空気は徐々に薄れ、会話が少しずつ全体に広がっていく。
「まあ高羽も大人だし、明日までには立ち直るでしょ!」
五条はまるで自分の非を感じていないように、明るい声を放つ。
「これがかえって良い結果に転ぶかもしれないし、そうなったら僕のおかげだね!」
「んなわけねーだろ、ボケ悟!」
真希が即座にツッコむ。
五条は気にした様子もなく背伸びをして、
「まぁ悠仁が何とかしてくれるでしょ。僕は明日に備えて先に寝てるよ~。おやすみ~」
と軽い足取りで去っていった。
「はい先生、また明日」
乙骨が丁寧に頭を下げる。
「憂太、私らは最後に明日の確認だけしとくぞ。――秤、あんたたちもな」
真希が仕切り直し、再び全体の空気が締まっていく。
作戦の確認が進み、各々が明日へ向けて気持ちを整え始める。
混乱の残り香はまだあるものの、夜はゆっくりと更けていった。
翌朝
――高羽史彦の姿は、まだ宿舎に戻ってきていなかった。
「悠仁! 高羽はどうしたんだよ!」
焦りを隠しきれない声で、真希が虎杖に詰め寄る。
「真希先輩! いや……あの後すぐ追いかけたんですけど、全然見つからなくて……」
虎杖は息を整えながら続ける。
「それで高羽の部屋の前に行ったら、“探さないでください 朝には戻ります”って紙が貼ってあったんですよ。まだ来てないんすか?」
「……ああ、まだ来てねえ」
真希は眉間にしわを寄せ、拳を軽く握りしめた。
「あいつ……本当に大丈夫なんだろうな……」
「まぁ、まだ時間はあるし……大丈夫だよ、真希さん」
乙骨がやわらかい声で励ましを入れる。
だが、天使は冷静に状況を分析していた。
「しかし……高羽が来なければ、作戦を大幅に変える必要が出てくる」
その言葉に、空気が一気に引き締まる。
「羂索の気を引く役を……他のメンバーがやる必要があるな……」
真希の視線が全員を横切り、その意味を全員が理解した。
――高羽史彦の“お笑い”が、羂索戦の鍵なのだ。
それが欠ければ、戦況は根本から変わる。
作戦は、高羽ありきで組まれていた。
沈黙を破ったのは乙骨だった。
「……もしもの時は、羂索の気を引く役、僕がやります」
真希が眉をひそめる。
乙骨は真っすぐ前を見据えたまま続けた。
「手順は変わるけど、僕が正面から気を引いて……真希さんが不意打ちする。この流れなら、高羽さんが抜けてもいけると思います」
簡単に言っているように聞こえるが、それは乙骨自身への負担が跳ね上がる作戦だ。
その覚悟を察したのか、場がさらに重くなる。
だが、
「――やるなら私だ」
「憂太、お前がやられたらいくつ保険が消えると思ってんだ。」
乙骨は即座に首を振る。
「真希さんがやられても同じだよ。戦力的にも、作戦の柔軟性でも」
真希は言葉を詰まらせる。
乙骨の言うことは正しい。
だが、それでも――。
「待て待て、ガキども」
不意に低い声が割って入った。
全員が振り返ると、腕を組んだ日下部が渋い顔で立っていた。
「日下部先生……」
「ここで言い争ってももう遅いだろ。高羽が戻らねぇなら――手順を変えるしかねぇ。領域を使える乙骨が気を引いて、真希が刺す。現状で一番成功率が高いのはこれだ」
真希も乙骨も、反論できず唇を噛む。
日下部は、肩をすくめながら続けた。
「……まぁ、五条が勝てば全部関係ねぇけどな」
その言葉は軽く聞こえるが、表情はやけに必死だった。
日下部自身、内心は――
“すべては五条が勝つかどうか”
その一点に賭けている。
生徒たちはそれを感じ取っていた。
「そうですね……」
「……そうだな」
日下部は一度手を叩き、場を締め直した。
「よし。後は宿儺から羂索が離れるタイミングを待つだけだ。乙骨、リカの準備は?」
「はい。機材も呪具も、すでに全部入れてあります。リカちゃんはいつでも出れます」
その声は落ち着いていたが、覚悟がにじむ。
羂索が宿儺から離れて数分後
「高羽、戻ってこなかったんだって?」
五条少し心配気に伊地知に声をかける
「はい 張り紙を残したきり、姿が見えなくなっているそうです」
「あれぐらいで、そんなに落ち込むことかな〜?」
「五条さんは……人の嫌なところを突くのが上手いですから」
「えー!?僕だけの責任なの!?」
「まあでも、宿儺は僕がぶっ殺すから大丈夫だよ。そのあとで傑も眠らせてあげないといけないしね」
「頼みます……」
「はいよ。じゃあ、ぼちぼち始めようか。……歌姫、お爺ちゃん」
同時刻、五条悟から四キロほど離れたビルの屋上では――。
「宿儺様。決戦は本日24日ですが、時間と場所は……」
少し落ち着かない様子で裏梅が宿儺に疑問をぶつける。
「そんなもの、決める必要はない」
「……?」
「分かるのだ」
「……左様でございますか」
その瞬間、前方から異様な呪力が発せられる。
「くっくっ……噂をすれば、だな」
――同時刻
歌姫の術式“単独禁区”は術式範囲内の歌姫本人を含む任意の術師の呪力総量 出力を一時的に増幅させることができる。
本来呪術に必要な
“呪詞”“掌印”舞“楽”を
歌姫は一切省略することなく術式の儀式として昇華させることで120%の効力を得る。
史上最強の術師
現代最強の術師
どちらが挑戦者となるかはこの一撃で決まる。
「―九鋼―」
「―偏光―」
「―烏と声明―」
「―表裏の間―」
歌姫と同様に一切の手順を省略せず放つ200%の
「――虚式――紫――」
瞬間、渋谷から新宿にかけての一帯を五条の使用する無下限呪術「赫」と「蒼」が組み合わさることで発生する仮想の質量がすべてを薙ぎ払う。
宿儺へ向かうまでに存在したビル群を、片端から飲み込み粉砕しながら進むその奔流は、まさに“現代最強”の象徴と言えるだろう。
「ッ!!」
宿儺自身見落としていたわけではない。
だが――伊地知の張った結界により五条の初手を見誤る
五条の気配は察していてもその膨大な出力を直前まで感じ取れていなかった。
町一つを破壊出来るほどのエネルギー。
いかに全快の宿儺といえど、防ぎきれず右腕を失う。
五条が歩み出る。
「勘違いしてるみたいだから言っとくけど」
「そっちが挑戦者だから」
「クソガキが……」
「挑戦者……?」
宿儺の口元が歪む。
「不意打ちを当てた程度で、よほど嬉しいらしいな」
「五条悟――貴様は俎板の上の魚だ」
「多少、他より活きが良く、名前がついていないだけの魚よ。まずはその鱗から剝いでやる」
――そのとき。
「――ぴちょん、ぴちょん」
五条と宿儺の間。
突如として現れた俎板の上で、おじさんの顔をした錦鯉が跳ね始めた。
鮮やかな赤白の二色。
身も鰭も艶やかで、色の入りも妙に美しい。しかしおじさんである。
「「……は?」」
史上最強と現代最強が、揃って眉をひそめる。
「鱗を剥がないで! 私はこれからアメリカに行く夢があるの!」
鯉?が先ほどの宿儺のセリフに対して文句を言い始めた。
「そうだぞ! せっかく俺が落札したんだ、手を出さないでもらおうか!」
そこにメジャーリーガーのコスプレをした高羽史彦が、鯉?をむぎゅっと抱きしめた。
「嫌よ! 私あなたとなんか行きたくない! 助けてスッ君!」
なぜかおじさんの顔をした鯉が、宿儺に助けを求め始める。
最強二人はあまりの状況に反応が遅れた。
だが――先に動いたのは宿儺だった。
「――解ッ!」
高羽と鯉へ向けて、迷いなく術式を発動する。
だが宿儺の掌から放たれたのは――
花束だった。
赤い薔薇だけで構成された、やけに情熱的な花束を、宿儺はそのまま鯉に突き出す。
「君にはこの赤い薔薇が良く似合う」
宿儺自身わけわからんことを口走っていた。
「スッ君! 私、嬉しい! ずっと待ってたんだよ!」
「なにぃ!? 貴様なんぞにこいつは譲らん! これは俺の鯉だ!」
おじさん顔の鯉を巡って、宿儺と高羽が謎の三角関係を繰り広げる中――
五条悟本人は、ただ一言つぶやいた。
「……僕の虚式より意味わかんねぇんだけど」
もっともである。
――その瞬間。
「うわっ!!」
五条の脳内に、“存在しない記憶”が洪水のように押し寄せた。
ついでに、なぜか乙骨のリカの中に強制転移させられている。
「せ、先生ッ!?」
乙骨が目をひん剥く。
周囲も同じく困惑の表情だが――五条も困惑していた。
「五条!? いったい何があった!?」
「いや……高羽の術式だと思う。わけわかんねぇわ……なんか“宿儺は任せて友達を救えって説教されて……」
そう、さっき五条の脳内で起きたのは――
高羽による謎の友情説法タイムである。
宿儺戦を楽しみにしていたはずの五条だが、高羽の術式の影響か気持ちが完全に冷えてしまっていた。
「まあ釈然としないけど……とりあえず羂索を殺してくるよ。冥さん、場所は?」
「んー、岩手県付近を移動中だね。送ろうか?」
「いや、場所が分かれば十分。行ってくるわ」
冥冥の説明を受ける横で、鹿紫雲一が眉間にしわを寄せていた。
そんな彼に、五条が言う。
「あの場には行かない方がいいよ〜。意味わかんねーキャラを演じさせられるだけで戦いにならないから」
「ちッ! あいつは何なんだよ!」
「さあ? 昨日の後に何か掴んだんだろうね。あれは真面目に考えるだけ無駄だよ」
乙骨が恐る恐る口を開いた。
「先生の無下限も貫通してくるんですか?」
五条は肩をすくめ、苦笑いする。
「天使の言ってた通り。“事象の創造”だよ。あれは戦いとかとは別問題だね」
言葉では説明できない。
できたとしても、理解できる保証はない。
なにしろ“高羽史彦”なのだから。
――場面は変わる。
なぜか宿儺と高羽はボクシングをしていた。
リングの上。
両者とも満身創痍、汗と血を飛び散らせながら、
試合はすでに最終12ラウンド――残り1分。
実況も解説もいないのに、空気だけは完全に世界タイトルマッチである。
ここまでの激闘で、
互いの胸には“敵”を超えたもの――
拳で語り合った者だけが抱く、奇妙な友情が芽生えつつあった。
宿儺自身、過去を振り返りながら思う。
(……ここまで拳で語り合えたのは、やつが初めてだ)
そこへ――
「スッ君! 負けないで!」
セコンドについているおじさんの顔をした鯉が声援を送る。
その瞬間、宿儺の気力がほんの少しだけ戻るのだから、本当にわけがわからない。
一方、高羽もポイントでは僅差で劣勢。
このラウンドでKOを狙う動きを見せていた。
宿儺はその動きを見つめ、静かに目を細める。
(しかし……奴には致命的な隙がある)
(ジャブで間を広げ、ガードが下がったときに右のフック。今日だけで何度も見た癖だ)
(だからこそ――ここで合わせる!)
(きた……いまだッ!)
高羽の右フックが軌道を描いた瞬間、
宿儺のカウンターが鋭く閃き、高羽の顎に炸裂した。
完璧なタイミング。
一瞬で高羽の意識が刈り取られ、リングに崩れ落ちる。
次の瞬間、会場は割れんばかりの歓声に包まれた。
その熱が宿儺の全身に突き刺さる。
「天晴れだ、高羽史彦」
静かに呟くその声は、どこか震えていた。
「生涯――貴様を忘れることはないだろう」
宿儺の胸に、これまで味わったことのない
奇妙な熱が込み上げる。
だが――。
「ッ……!!」
(なんだこれは!? 俺はいったい何を……!?)
全身に走る嫌悪と困惑。
意識の奥に、現実とは似ても似つかない“茶番”の残滓が渦巻く。
宿儺は即座に判断した。
(適応しなければ、この術式から抜け出せない!)
「魔虚羅ッ!!」
宿儺の影から、十種影法術が呼び出される。
完全適応を誇る式神“魔虚羅”が姿を現す――が。
直後。
轟音。
一台のトラックが、
全力で魔虚羅へ突っ込んできた。
「危なーーい!!」
高羽の声が響いた瞬間、
魔虚羅はトラックの直撃を受け――その身体は一瞬で四散し、塵となって消えた。
「マッ……マコーー!!」
魔虚羅の叫びが響く。
その顔には、これまで見せたことのない“素の衝撃”が宿る。
「な……ッ!?」
魔虚羅が破壊された――
それだけではない。
十種影法術そのものが使用不能になっている。
(術式が……消えている!?)
背筋に冷たいものが走る。
これは幻覚などではない。
確かに“現実”を侵食している。
「お兄さん、急に飛び出して来たら危ないよ~」
と――
穏やかな声が耳に届く。
赤い帽子に半袖短パン、手には赤白のモンスターボールを構えた高羽史彦。
どこからどう見ても、文句なしの“ポケモントレーナー”だった。
「いけ! カイリキー!」
高羽の声とともに放たれたボールが光り、宿儺の眼前に現れたのは――
四つの眼、二つの口、四本の腕を持ち、どう見ても“宿儺に見える”カイリキー。
「ぐはッ!」
容赦のない打撃が宿儺の胸板を貫く。
その衝撃はただの打撃ではないと、宿儺は直感した。
(これは……! 俺と伏黒恵の魂の境界を正確に捉え、そこへ打ち込んできている!?
まずい、このままでは――!)
「領域展開 “伏魔御厨子”!」
高羽が世界を書き換えるより前に、一瞬で決着をつける。
領域展開中に領域に付与されている術式は必中効果を得る。
これで高羽の創造を上回り――終わらせるはずだった。
だが。
目の前の光景に、宿儺は息を呑む。
――両面宿儺のお料理教室――
そこはもう戦場ではなかった。
すべてが白いタイル張りのキッチンスタジオに変わり、宿儺自身がエプロン姿で立っていた。
料理番組のタイトルロゴが、陽気なBGMに合わせて空中で踊っている。
(……何だ、これは?)
宿儺の思考が追いつく前に、スタジオの隅から高羽が手を振る。
「さ、スッ君!今日は“愛情たっぷり! 呪物入り激辛カレー”を作っていくよ!」
理解不能の現実に、宿儺の眉間の皺が深く刻まれた。
だが――
これはもう、あの男の領域。
「ってあれ? もう呪物入り激辛カレーができてるじゃない!」
高羽が指さす先、キッチンの作業台には湯気立つカレー皿。
渋谷で宿儺が焼き払ったはずの“火山呪霊”がライスにとろりとかけられ、
そして――その上には宿儺の指が3本、まるでウィンナーのように可愛らしく盛り付けられていた。
「ぐッ!?」
喉の奥から、思わず呻きが漏れる。
(俺の“魂”が……引き裂かれている……!?
いや違う、これは俺の指の概念が……料理として成立して……? 馬鹿な!)
宿儺の脳が拒絶反応を起こす中、
高羽は「あっ」と思い出したように手を叩く。
「あー! ごめんスッ君、そのウィンナー賞味期限切れてたわ!」
そして彼は――
カレー皿を持ち上げると、そのまま躊躇なくゴミ箱へ 中身ごと 投げ捨てた。
ベチャァッ。
料理番組とは到底思えない、容赦なさすぎる破壊音。
「ンギャァァァァッッ――――!!!」
宿儺の内側で、魂の痛覚が暴れ狂った。
すでに宿儺の中では指3本分の魂が消失している。
宿儺が落ち着きを取り戻したとき、鐘の音が鳴り響く
リンゴン リンゴン リン
「泳者による死滅回遊の総則追加が行われました!!」
「“総則15”天元による人類との超重複同化の発動権限は伏黒恵が持つこととする」
(……! 羂索が死んだ!? 五条悟か!?)
宿儺が思考を巡らせた一瞬――
世界がまた、高羽の気まぐれに“書き換え”られる。
視界が反転した次の瞬間、
宿儺は麻布の高層ビル34階にあるBARカウンターへ座らされていた。
静かなジャズ、夜景の光の海。
ありえないほど洒落た雰囲気の中――
テーブルには、カクテルグラスに乗った“天元の残骸”が
まるでエビのように美しく盛り付けられていた。
赤いソースがきらめき、
どう見ても“お洒落な前菜”にしか見えない。
そこへ、一杯のカクテルがすっと差し出される。
「お客様……あちらの方からです。」
ウェイター姿の高羽が、優雅な所作で視線の方向を示す。
宿儺がそちらを見ると――
そこにいた“羂索”は、上半身裸・パンツ一丁・満面の笑み。
背後の夜景を浴び、筋肉の影が妙にリアルに浮き立っている。
その隣では、ドレス姿でしっとりと微笑む万がシャンパングラスを軽く揺らしていた。
まるで“高級ラウンジに連れてこられた奇行種”と
“それを優しく見守る美女”という理解不能な構図。
羂索が静かに口を開く。
「ごめんね、宿儺。もう私たちは――別々の道を歩むことにするよ。」
そして万は小さく息を吸い、宿儺に向かって優雅に何かを投げる。
ひゅっ。
宿儺の手の中に収まったのは……
赤く透明感のある“腕”のようなもの。
「宿儺、私たちに会いたくなったら――いつでも、それで呼んでね」
次の瞬間、
“腕”が光を放ちながら変形した。
PON! CRUSH!! CRUSH!! PON!PON!PON!
底知れない呪力のうねりとともに
赤い腕は姿を変え、宿儺の手に収まる。
万が絶命の縛りと引き換えに生み出した呪具。
―― 呪具 “グルメスパイザー” ――
現実離れした名前にも関わらず、
その外見は妙に神々しく、
刃のような光沢が宿儺の手の中で脈動している。
宿儺は、胸の奥に湧き上がる得体の知れない感情を
抑えきれず、小さく呟いた。
「ありがとう……万……」
この状況を完全に破壊し、現実へ“帰還”できる術を得たのだ。
これで再び戦場へ戻り、五条悟――そして高専の生き残りを殲滅することができる。
宿儺は、確信する。
(これで……ようやく……)
宿儺はゆっくりと顔を上げ、高羽を睨みつける。
「高羽 貴様の術式もこれでは対抗できまい」
「おっ、なんか嫌な予感〜?」
「逃げ道のない貴様を切り刻みながらこれまでの鬱憤を晴らさせてもらうぞ!!」
宿儺はグルメスパイザーを頭上に持ち上げその術式効果を発動させようとしていた。
「!?」
芸人高羽に12時間ぶりの緊張が走る
グルメスパイザーを高羽に向け術式を発動した時だった。
ボキッ!!
「……ッ!?」
乾いた、あまりにも情けないグルメスパイザーの破壊音が響いた。
宿儺の目が見開かれる。
高羽を一撃で屠るためとはいえじゃがりこを入れるのは流石に許容限界を大幅に超えていたのだ。
その隙を見逃す高羽ではなかった。
宿儺の懐に入り込み宿儺に付いているインターフォンを
高速17連打した。
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン!!!!
「伏黒くーーん!あーそびましょ!」
魂の境界に、最悪の嫌がらせが叩き込まれる。
宿儺の中で、伏黒と宿儺の魂を隔てる壁が、無意味で意味不明な干渉によって揺さぶられた。
「うッ……おぇぇ……!」
耐えきれず、宿儺は――
自分の指を5本まとめて吐き出した。
ぼとっ
それらは地に落ちた瞬間、宿儺の手が届く前に一瞬で塵と化す。
(魂が……引き裂かれる……ッ!!この俺が……芸人一人に……!)
浴によって奥深くに沈めていたはずの伏黒の意識が――強制的に浮上してくる。
「……ここは?」
意識を取り戻した伏黒が目にしたのは逃げ惑う宿儺とカウボーイ姿で馬に乗り宿儺を追いかける高羽であった。
正直わけわからな過ぎて自分の心配をし始めそうになる伏黒であったが、宿儺が鞭でたたかれるたびに意識がはっきりとしていく様に現実だと考えるほかなかった。
「ヘイヘイヘイ!スッ君!走れ馬鹿野郎ーー!!まだまだいくよーー!!」
バシィッ!!
鞭が逃げる宿儺の背中を打つたびに、伏黒の意識はどんどんクリアになっていく。
(……痛覚が……共有されてる……?っていうかなんだよこれ……!!)
状況の異常さに耐えられず、伏黒はついに口を開いた。
「高羽さん……これはいったい?」
「君を助けに来た!!」
振り返った瞬間、
そこには――突然筋骨隆々になった高羽史彦が立っていた。
伏黒は思わず一歩後ずさる。
(なんで鍛え上げて来たみたいな体になってんだよ……)
(見た目変わりすぎだろ……!)
「……そうですか。一応……感謝はします。で、これ何なんですか?」
高羽は胸を張って言った。
「昨日いろいろあってさ!お笑いの原点に立ち返ってたら……なんか、いろいろできるようになってた!」
「すいません。抽象的すぎて……何一つ理解できないんですが」
伏黒の冷静なツッコミも高羽には届かない。
「まあまあ、細けぇことはいいんだよ!それより……あいつ、どうする?」
高羽が顎で指した先――
そこには、魂が削れきった宿儺が倒れ込んでいる。
指はすでに15本分消失。魂の領域はガタガタに崩壊し、今や伏黒の意識を縛る枷はほとんど残っていない。
宿儺は、信じられないほど弱っていた。
同時刻
すでに羂索と裏梅を始末し、遺体を家入硝子へ引き渡していた五条は、遠巻きに高羽と宿儺の戦いを見守っていた。そして六眼が、ついに確定的な“終わり”を捉えた。
「あ! みんな〜! 終わったみたいだよ!」
「先生! 伏黒は戻ってきたの?」
虎杖が興奮気味に駆け寄り、五条に話しかける。
「無事っぽいね。宿儺もかなり弱ってるけど、恵の中で死んじゃったりはしてないみたい」
五条が軽い調子で言うが、周囲には少し緊張が走る。
だが当の本人はまるで気にした様子もなく、親指をぐっと立てて宣言した。
「でも結局、ぼくのおかげでいい結果になったわけだし? いや〜、やっぱ日頃の行いのおかげだね!」
……そんなわけあるか!!
全員まったく同じ感情になったが、誰も言葉にはしなかった。
言ったらめんどくさいからである。
――そして物語は静かに幕を閉じた。
おわり