大公ロザリアの領地運営録   作:白瀬 いお

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第21話:区別という仕事

 マレディウムの民たち——税を納めている者たちの視点で見た貧民街の者たちの印象は、決して良いものではない。治安維持兵から上がってきた報告書を読んで最初に感じたのは、そんな感想だった。

 貧民街の者たちは日常的に窃盗を行い食い扶持を稼いでいるらしく、その被害額も馬鹿にならないという。食べ物から衣服まで、主に生活用品を扱う店が被害に遭うことが多く、そのため店主らからは酷く嫌われているらしい。

 また、貧民街に繋がる路地からは異臭がしており、近隣住民もほとほと困っているようで、地価もその一帯は低くなってしまっていた。確かに、異臭が届く範囲の土地を高く買う者は少ないだろう。

 

 そして、やはり犯罪組織が貧民街を根城にしているらしい。これは断定情報ではないが、人相の悪い者たちが貧民街へ出入りしているという目撃情報が多数あるので、かなり可能性が高いものとして扱っていいはず。

 現段階で得られた情報はこの程度で、はっきり言えば施策を行うにしても不確定要素が多すぎる。貧民街の規模も、男女や年齢層の比率も、彼らの貧困がどの程度深刻なのかも、想像の域を出ない。

 外側から得られる情報は、どうしても限られてしまう——となると、内側から探るのが手っ取り早いだろう。幸いにも、お兄様から譲り受けた『影』がいる。諜報活動が得意な部隊の一部を割いてでも、早期に着手した方がいいはずだ。

 

「——何をするにせよ、わたくしたちには情報が足りません。早急に貧民街についてのより詳しい情報を手に入れ、草案を作らねばならないでしょう。わたくしが行うのは慈善活動ではなく、政。如何に民を束ね、反発を減らしながら税収を増やすかが重要です」

「仰る通りです。しかし、大公殿下が全ての矢面に立たれる必要はありません。御身を守るのは、私共の責務——それはお体のみならず、お心も含まれます。我らが白薔薇の君、どうぞ私共を上手くお使いください」

「ええ、頼りにしています。……この議題について、現時点ではこれ以上の議論は時間の浪費となるでしょう。これにて終了とします。次回については、情報が集まり次第招集します」

「かしこまりました」

 

 本当なら、すぐにでも手を差し伸べたい。でも、個人的な感情で行政を動かすことはできないし、してもならない。これはお母様たちから学んだ最も大切なことで——最も辛いことだ。

 一時凌ぎの支援を行うだけなら、そう難しくはない。孤児院に対してしているように、炊き出しをすればいい。でも、それでは根本的な解決にはならないし、領民たちが汗水垂らして納めてくれた税を食い潰すことになりかねない。

 命に貴賤はないけれど、為政者として立つ以上、区別はしなければならないんだよね。

 第一に守るのは、税を納めている領民。彼らの存在がなければ、予算を組むことさえできない。貧民街に手を入れるのも、領地運営の資金となる税収を増やし、犯罪を減らすため。

 それを忘れてはならない。

 

 会議室から自室に戻って、ようやく深く呼吸することができた。

 人の命に関わることを考えるというのは、どうしても精神的に疲弊してしまう。助ける人、助けない人を区別するということは、つまり後者を見捨てるということだ。

 わたしがただのお金持ちだったら、慈善活動と称して好きなようにお金を出すこともできた。でも、違う。この領地の主であり、わたしの決定一つで領民の生活を左右してしまうんだ。

 コルセットのお陰で、背中が丸まってしまうことはない。でも、視界には絨毯の模様ばかりがぼんやりと映る。

 視力矯正のために眼鏡をかけたいけど、アンナルデクス王国では為政者が眼鏡をかけることを良しとされていないんだよね。眼鏡という物体で顔を、それも目を遮ることは、民から目を逸らすことだという考えがある。

 だから、わたしが眼鏡をかけることができるのは、自由時間の間だけ。

 

 セレナが淹れてくれたミルクティー、相変わらず程よい甘さで美味しい。足も侍女さんたちが温めながらマッサージしてくれているから、自然と息を吐くことができる。彼女たちの献身には、感謝してもし切れないな。

 午後の必須業務は終わったし、晩餐会までまだ時間がある。でも書類仕事に戻るには微妙な時間だから、ちょっと読書をしよう。マレディウムの民間伝承や御伽噺、アンナルデクス王国のものとはまた違って面白いんだよね。

 それに、演説の時や領民と話す時に、彼らの慣れ親しんできた物語を匂わせるというのも、人心掌握にはプラスへ働くかもしれないし。

 そういえば、マレディウムに図書館のようなものがあるか確認してなかった。わたしが読んでいる本は元々領主館にあったものだというし、領民向けの本があるならそれも読んでみたい。

 アンナルデクス王国だと、一領地につき二、三ヶ所は図書館——記録館があって、領民なら誰でも利用可能なんだよね。勿論国民の高い識字率あってこそのものだけど、マレディウムはどうだろう。

 

「ねえ、グラディア。治安維持兵に知り合いはいるかしら?」

「はい、殿下。内密の指示があれば、承ります」

「業務ではないの、個人的な興味なのだけれどね。マレディウムの全体的な雰囲気は、どうかしら。報告書では読み取れないところもあるから、治安維持兵が直接感じているものを知りたいわ」

「かしこまりました、幾人かに声をかけましょう。……しかし、お心を傾けていらっしゃるものは、他にもございましょう?」

「あら、読み取られてしまったわね。ええ、マレディウムに記録館はあるのか、領民は利用しているのか、気になるの」

「そちらも併せて確認致します」

「頼みました」

 

 相変わらず、グラディアの表情筋は固いなあ。

 幼い頃からわたしに仕えたいからって、厳しい訓練を受けてきた所為かな? いや、初対面の時からこんな感じだったかも。キツめの顔立ちだけど、セレナとはまた違った美人だから、目の保養にもなる。本業は護衛だけど。

 本当は自分の足で領都を歩いたり、空気感を感じてみたくはあるけれど、領主が気軽に出歩くことはできない。護衛が必要だし、領民も異質な空気に萎縮してしまうかもしれないから、実際の空気感を知ることは難しいというのもある。

 お忍びで、というのも、身の安全を考えるなら候補にすら挙げられない。わたしは一個人ではあるけれど、その前に大公であり領主だからね。執務が落ち着いたら、予定を組んで領地を回るつもりではあるけれど。

 さて、読書をしよう。時間は有限、キリの良いところまで読んでおきたい。

 

 マレディウム大公領に古くから伝わる民間伝承や御伽噺は、前世のものと同じく教訓を含んだものが多い。これはアンナルデクス王国でもそうなので、世界が変わろうとも人間が考えることは同じということなのだろう。

 特に民間伝承は過去の災害についての戒めが多く、これを読み解くことでどの土地がどんな災害に見舞われたのかをある程度予測することができる。読み物としても面白いし、読書欲を満たせると同時にマレディウムのことを知れて、正に一石二鳥。

 公的記録と民間伝承を読む限り、マレディウムは四季の移ろいが穏やかで、酷暑に見舞われることはかなり少ないらしい。ただ、厳冬になることはそれなりにあるようだから、毎年冬の気温には気をつけておいた方がいいかな。

 島の面積に対して山が多く、そのため水資源には恵まれている——裏を返せば大雨が降ると土砂崩れと河川が氾濫する危険性を孕んでおり、三年前の大雨で村一つが洪水に飲まれたという記録がある。

 

 自然の恵みは脅威と表裏一体。後々ダムの建設も視野に入れた方がいいけど、費用も建設にかかる時間も膨大なものになるだろう。魔術だって万能じゃない、とてもじゃないけど前世の機械ほど便利なものだとは言えないし。

 何にせよ、税収を安定させつつ増やさない限り、大規模な公共事業に着手することは不可能。机上の空論にさえならない。

 そういえば、王都から呼び寄せた土壌研究の専門家さんたちが五日後に到着予定だっけ。事前にやって欲しいことは説明してあるけど、ちゃんと出迎えをして改めて依頼内容の確認をしよう。

 前世で得た農作についての知識はあくまでも地球を前提としたものだから、こっちの世界に丸々転用することはできない。元々、農作について深い知識があるわけでもないから、口出しのしようもないんだけどね。

 何にせよ素人がしゃしゃり出て良いことはないから、わたしは信頼して任せる、という仕事をするとしよう。

 

「殿下、晩餐会のお支度を」

「もう? 時間が経つのは早いことね。この山は戻してちょうだい、こっちは残したままで」

「かしこまりました」

 

 晩餐会の準備、時間かかるんだよね。本当はもっと読みたいけど、我慢。夕飯くらいゆっくり食べたくはあるけど、これも業務のうち——人脈作りと関係強化は、こつこつやっていくしかない。

 今日の晩餐会は小規模なものではあるけれど、腹の探り合いがないわけではない。むしろ規模が小さいからこそ、一挙手一投足、言葉の選び方一つさえも厳しく見られてしまう。

 参加者の大半は古くからマレディウム領で幅を利かせてきた有力者たち。身分はわたしの方が圧倒的に上だけど、向こうからすれば他国の王族とはいえ小娘だ。何度か顔を合わせているから、実際に嘗められているという実感がある。

 心の内でわたしのことをどう思おうと知ったことではないけれど、それを表に出されるのは領地運営にも良い影響を齎さないだろうから、表向きだけでも改めさせなければならない。

 まあ、何人かは既にわたしを立ててくれてはいるけど——立ち回りが上手い人は好きだ。それが有能であればなおのこと。

 

 思考に耽っている間に、晩餐会用のドレスへの着替えが終わっていた。相変わらず侍女さんたちの手際が良い、コルセットも苦しくない程度だから助かる。

 コルセットの着用が義務って知った時は絶望したけど、無理に括れを作るためのものじゃなくて背中が丸まらないようにするためのものだから、ほとんど苦しくなくて心底安心した。

 着替え中、侍女さんに扮した『影』に貧民街についての情報収集指示も出したし、そっちは一旦頭の隅に置いておこう。今は晩餐会での腹の探り合いに集中しなければ。

 今日の晩餐会では政治に関わる重要な話をするわけじゃないけど、ちゃんと貴方が治めてきた土地に関心がありますよ、ってことは示さないといけない。かといって肩入れしてくれるかも、と思わせるほど歩み寄ってはいけないから、匙加減が中々難しいんだよね。

 もっと王都で経験を積めれば良かったけど、過ぎてしまったことはどうしようもない。せめて失態を犯すことだけはしないように気をつけなきゃ。

 

「大公殿下、お時間でございます」

「ええ。行きましょう」

 

 背筋を伸ばして、胸を張る。この部屋を出たら、わたしは公人としての振る舞いに徹しなければならない——こうやって意気込まないと、ふとした瞬間に気が抜けそうで怖いだけだけど。

 晩餐室には既に招待客が着席している。でも、早足で移動してはならない。招待客より主催者の方が身分が高い場合、定刻から少し遅れて到着するのが良しとされてる。

 前世の感覚が強く残っていた時は予定時間より後に遅れて入室することに抵抗感があったけど、今はもう慣れた。人間、慣れって大事なんだなって改めて感じたなあ。

 廊下と晩餐室を隔てる扉の向こうには、人の気配がある——ゆっくり息を吸って、吐いて。さあ、頑張ろう。

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