宇宙暦七九六年(帝国暦四八七年)。帝国軍は自由惑星同盟へ侵攻を開始した。艦艇数は一万。イゼルローン回廊を抜けた帝国艦隊は同盟の薄いが
守る側である同盟軍の反応も早かった。帝国軍の倍近い一万八〇〇〇の艦艇が六〇〇〇ずつ三つの
両者の激突はもう間もなく。場所はアスターテ星域
「三方から我が艦隊を包囲するつもりか。
ラインハルト・フォン・ローエングラム大将は星図に浮かび上がる敵の陣容をみて
「これは一五六年前に我が帝国軍が
「現在の戦力不足を補うため過去の栄光にあやかるか。
「現在が未来であっても
「そうだな。連携もよくとれてる。少し時間を戻すぞ。ほら、ここだ」
中央の同盟軍(中)に帝国軍の偵察艦隊が近づくと同盟軍(中)の動きが遅くなる。それからしばらくして両翼の同盟軍(右)同盟軍(左)が時間差で動きを早める。
偵察艦隊が
「想定していたより反応が機敏ですね。どうやって互いの進退を確認してるのでしょう」
「色だ」
「色?」
「やつらは推進剤に工夫して戦隊ごとに違う色の噴射ガスを出せるようにしてある。
「理屈はわかりますが実施にはかなりの困難が予想されます。どうめ……
「本番直前に慌てて決めたところでうまくはいくまい。演習で経験を重ねた成果だろう。前の戦いでも実感したことだが反乱軍の奴らはしぶとい」
ラインハルトは胸の勲章を指ではじく。
半年前の戦いで得た新しい勲章だ。
あの戦いで、ティアマト星域に侵攻したミュッケンベルガー元帥率いる帝国軍に対して同盟軍は終始劣勢であった。それでも同盟軍は粘り強く戦い、帝国軍に付け入る隙を与えなかった。同盟軍が先に撤退したおかげで帝国軍は勝利を宣言できたが帝国軍に余力は残っておらず、イゼルローン要塞に引き上げることになった。
この戦いでラインハルトは帝国軍の中では
帝都に帰還したラインハルトは各所にはたらきかけ、新たな出征を求めた。だが反応は悪く借りを増やす羽目になった。
「戦場では負けてばかりのくせに星域は必ず奪い返す。逃亡者の
「はい。我が帝国は艦隊戦での勝率こそ八割ですが、占領星域の維持には失敗を続けてます。負けて奪われるのではなく、赤字なので放棄する形ですね」
「せっかく姉さんのため軍人になったのに、反乱軍との戦いは武功をあげにくくて困る」
「
キルヒアイスが
「
「笑ってなどいませんよ」
あなたを
「帝国全体としてみれば戦いで武功をあげにくいことにはよい側面もあります」
キルヒアイスが曖昧な言い回しをした意図を察し、ラインハルトは顔を引き締めた。
立ち上がり顔を近づけ小声で返す。唇を読まれないためだ。周囲の空間は
「そうだな。門閥貴族どもが
「はい。わたしもそうですが平民出身の
ラインハルトが元帥
集めた力で何をなすのか。
かつての姉と
目標は遠く、今はまだ力が足りない。
だからこその、こたびの遠征だ。
「いくぞ、キルヒアイス。おれたちで銀河を手に入れるんだ」
「はい。どこまでもお供いたしますラインハルトさま」
+++++++++++
ここで時間を
宇宙暦七九五年(帝国暦四八六年)末。帝国軍が同盟領への大規模な侵攻を意図しているという情報は複数の
この
ハイネセンにある統合作戦本部に集まった将校グループは、取りまとめ役にムライ中佐をあて帝国軍の新たな攻勢への対策を検討した。
「帝国軍は一万の艦隊でほぼ確定のようだ」
「先週の時点では敵艦隊には五〇〇〇~三万五〇〇〇くらい幅があった。追加情報があったのか?」
「フェザーン経由で。艦艇のバイオ排泄物のリサイクルを請け負う企業に大口の注文があったそうだ。それが一万隻相当」
「バイオ排泄物って……大便や小便のことか」
「残飯などの生ゴミを含むから分類上そうなるらしい」
宇宙における生ゴミや排泄物は、かつては貴重な資源であった。原始的な反動推進系で重力井戸の底から持ち上げる質量はなんであれコストがかかるからだ。
慣性駆動系が普及した現代は貴重さこそ薄れているが、投棄するくらいならリサイクル処理するのが常識だ。
リサイクルにはそれなりの空間と時間が必要なため艦船の中では脱水圧縮のみを行い、残りの処理は宇宙港や宇宙要塞にある施設で行う。
長期航宙などで保管タンクが満杯になる場合は、輸送船や再処理システムを専らとするリサイクル・シップにうつす。
帝国軍と契約したフェザーンの企業はリサイクル・シップを保有しており、辺境を巡回する形でバイオ排泄物を集めて回っている。
「リサイクルするだけなら行き帰りにイゼルローン要塞に寄ったときできるだろ」
「通常ならな。何か理由はあると思うが、そこまでは
「考えられることとしては……貴族閥の嫌がらせか?」
「ありえる話だ。今回の出征は一年前に掴んだ帝国軍のスケジュールにはなかった。ティアマト星域の戦いの結果に不満な皇帝の
「寵姫の弟というとミューゼル大将か」
「今はローエングラム大将だ。ティアマトの時もミュッケンベルガーの本隊から離れて孤軍でふらふら動いてたし帝国軍側でも持て余してる感じはあったな」
「戦いの後でミューゼル艦隊の動きについて分析したレポートがあったはずだ。戦闘詳報の下位フォルダを検索してみろ」
数人で手分けしてティアマト星域の戦いでの帝国軍の動きを確認しようとしたとき、それまで議論を黙って聞いていた男が手をあげた。
ぴたり、と。
「そのレポートならラップから聞いてる。難解な言い回しを多用しててくどいけど、内容は正確で面白いよ」
「
ムライ中佐が促すと、ここに集まった
「ミューゼル提督。今はローエングラム伯だから呼び名はこっちで統一するけど、皇帝の寵姫グリューネワルト伯爵夫人の弟だ。統合作戦本部の情報分析課のプロファイリングによれば若く有能で情熱的な野心家だ。出世が早く、敵も多い。ティアマト星域でのローエングラム艦隊の不可思議な動きは彼と敵対する貴族閥による嫌がらせが原因にあると考えれば矛盾が少ない」
続いてヤン大佐は貴族閥の仕掛けた罠と、それを逆手にとって武功につなげたローエングラム艦隊の巧みな用兵について語った。その語り口調は
「……とまあ、こういう感じかな。このように戦場で味方を後ろから刺すかのような裏工作は同盟軍ではまず起きない。不確定要素が多すぎるからね。陰謀としてみると敵の行動に頼りすぎる。恨みがあるなら自分たちだけで片付ける方が労が少なく益も多い。それができないのはローエングラム伯がいる帝国軍正規艦隊はそれだけで独立した政治勢力になっているからだ。これは銀河帝国の軍事力が貴族の私的な艦隊と正規艦隊との
女性士官が絶妙なタイミングで紅茶をだしヤンの講義を止めた。若いころに歴史家を夢みて挫折した反動か、自身が興味を持つ分野が絡むとヤンの話はすぐに脱線する。
他のメンバーも心得たもので、ヤンが紅茶を飲んでいる間に残ったスタッフで同盟軍側の
「これが現時点での
リストを受け取った全員がうめき声をあげる。
文字のほとんどが赤い字で書かれ、ティアマト星域の戦いでの消耗がいかに深刻であったかを誤解の余地なく表していた。
「前回出撃した二万四〇〇〇の艦艇のうち八割が中破以上の損傷か……沈んだ艦は一〇〇〇未満で死傷者数を抑えることには成功したが、艦の被害が大きいな」
「五〇〇〇は廃艦だ。スクラップにしかならん」
「九〇〇〇は大規模な修理が必要でドックが足りない。ひとまずは繋留したまま放置だ」
「残る五〇〇〇の修理に集中すれば来年中に一〇〇〇は復帰できる」
「現時点で出撃可能な艦艇と合わせても帝国軍の半分にしかならんぞ」
「今のうちに
「ダメだ! 動かせるようにするだけで今年度の予備費が全部ふっとぶ」
「なんとかならないのか」
「キャゼルヌ先輩がいてくれたらなんとかしてくれたかも……」
「もういない人間に頼るのはよせ」
紅茶の湯気で顎を湿らせながら、ヤンは思案に沈む。
半分閉ざした
脳細胞は線香花火のようにシナプスを化学的に燃やして活動するが、浮かぶのは彼が住む官舎の中のように無造作にとっ散らかった、とりとめのない考えばかりだ。
(こうした議論が自由
戦いがない時でも宇宙艦隊には日々さまざまな業務が発生する。それらを整理して分割し、艦の維持や艦隊行動に関する内容は
帝国軍が攻めてきた時には相手の規模に合わせて
たとえば今回。帝国軍の新たな攻勢の情報に対しては五、一〇、一三の三つの
逆に
(さて、今ごろローエングラム伯の側でも
ヤンは銀河の反対側──政治的な意味で──で攻勢計画をたてているであろう帝国軍に思いを
同盟軍が
(といって、帝国軍も昔のままではない。ローエングラム伯の率いる艦隊であればなおのことだ)
すでに予兆はある。帝国軍のワインだ。
従来の帝国軍の攻勢では同盟側はフェザーン商人を通して帝国艦隊にワインがいつどれだけ納入されるかを調べることで艦隊の規模や動向を正確に予測できた。
貴族は自分のために高級なワインを取り寄せる。上位の門閥貴族であればワインの品種にもこだわるから特定がたやすい。ティアマト星域での戦いでも貴族艦隊については事前に調べあげることができたし、帝国正規艦隊についてもミュッケンベルガー元帥ら幹部クラスの数から陣容は丸わかりとなった。
(たぶん……ミュッケンベルガー元帥は自分が日々飲むワインを部下が手配していることに気づいてない。プロファイリングによれば古武士の風格をもつ有能な将だ。わざわざ自分が飲むワインの調達を部下に指示するような人物とは思えない。気づいていれば防諜の面からも止めていたろう)
帝国における貴族とはそういう存在だ。
ただ──気にとめない。
自分の生活が誰に支えられているのか。
自分の意識の外で誰がどのように働いているのか。
貴族は気にとめない。知らないから罪悪感もない。それが貴族制度の弊害であり限界だ。
(そこに隙があった。だが、ローエングラム伯にはその隙がない)
ラインハルトが出撃準備を整えている艦隊からは、高級ワインの一本すら外部への発注がない。
嗜好品は艦隊の誰もが使える
「ダメだ。年度内はどうあっても動員できる艦艇は六〇〇〇が限界だ」
「帝国軍にお願いするか? 来年度予算が使えるようになるまで半年ほど攻勢を遅らせてくださいって」
「帝国軍が聞いたら、即座に攻め込んでくるぞ。大喜びでな」
冗談まじりの会話が耳から入ってきて、ヤンは顔の前で両手を拝むように合わせて唇に浮かんだ笑みを隠す。
笑みとともに、ひとつの思案が形になる。
「そうだな。それがいいかもしれない」
「は?」
「諸君。わたしに考えがある。賭けではあるが、ノってみないかい?」
+++++++++++
前哨戦はアスターテ宙域
電磁波乱れ飛ぶ星雲ガスは探知可能
偵察部隊は星雲ガスの濃いエリアに母艦を潜ませ、周囲に
両軍の偵察部隊がほぼ同時に、そして同じ星雲ガスを利用しようとしたのは偶然であったが必然でもあった。同時に相手に気づいたときはすでに互いが至近距離にあった。ほとんどの艦が自衛用の小口径砲しか装備しておらず、火力に乏しい。
帝国軍の偵察部隊は平民出身の経験豊富な
「
「なるほど
「感心している場合ですか。逃げられてしまいますよ」
同盟軍の偵察部隊には
「わたしが焦ったところでどうにもなるまい。こういうのは役割分担だ」
「ですが」
「まあ見ていたまえ。
同盟軍の偵察部隊には輸送船改造空母が一隻、組み込まれている。空母と名はついているが搭載機は単座式戦闘艇スパルタニアンの改造型が四機のみ。
「
「よし。外部装甲板、分離!」
改造空母の船腹に並んだボルトが一斉に破裂する。減圧された空気中の水蒸気が氷の粒を
四機のスパルタニアン
自由になったスパルタニアンMは、
広がるプラズマ火球を背に新たな目標へと向かいながら、スパルタニアンのパイロットは心の内で
(なんだこりゃ。
スパルタニアンのパイロット、オリビエ・ポプラン中尉は
やがて帝国軍の偵察部隊は最後の一隻となり、
(今の敵の動きはよかった。こちらが肉薄するのを待ってから
ポプランは敵偵察部隊の指揮官に惜しみない賞賛を送る。スパルタニアンMは改造空母からの発進方式をみればわかるように一度出撃すれば整備や補給は不可能に近い。敵指揮官は特性を見抜いてなんとか逃走して偵察情報を持ち帰ろうとしたのだ。
最後に沈められた敵旗艦が
+++++++++++
全滅と引き換えに偵察部隊が届けた同盟軍の情報は驚くべきものだった。
「囮が含まれているのは予測の
ラインハルトは呆れと感心のない混ざったつぶやきをもらす。キルヒアイスが新たな偵察情報を元に戦況図を組み直す。
「はい。敵艦隊の三梯団一万八〇〇〇のうち一万三〇〇〇がダミーで、戦闘力を保有しているのは右翼六〇〇〇のうちの五〇〇〇というのは驚きました」
「このままいけば最初にぶつかる中央すら囮だったか」
「囮といっても旧式艦や損傷が大きく廃艦予定の艦です。ガワは戦闘艦ですから何か罠が仕掛けてあるかもしれません」
「囮部隊を無人で動かすのなら
そこまで口にしてラインハルトは押し黙る。頬の輪郭がわずかに膨らんでいる。どこか納得がいってないのだ。
ラインハルトの感情の
「側面から攻撃を仕掛けるにしては五〇〇〇という数は少なすぎる気がします」
「おれもそう思う。ここまでの手間をかけた連中なら、もう少し
キルヒアイスは両軍の激突までもう間がないこの場で唇がほころびそうになるのを首をねじってこらえた。
「どうしたキルヒアイス。寝違えたか」
ラインハルトがキルヒアイスの顔をのぞきこんで心配そうにいう。さらにねじる。
「いえ。それよりもラインハルトさま。ここは敵の意図を探るより、我が軍の攻勢計画を再確認してはいかがかと思います」
「そうだな。敵の動きに右往左往しては思わぬ不覚をとるかもしれない。
ラインハルトは現在の戦況図に重ねるように三ヶ月前に作り上げた攻勢計画を投影する。
親友と一緒に知恵を絞った攻勢計画を見つめる
ラインハルトは決断し命令を発した。
+++++++++++
帝国軍一万は前方に火力を集中できる
同盟軍右翼は六〇〇〇。そのうち一〇〇〇は退役間近の旧式艦である。戦力比は一対二であり、いかな戦術を駆使しようが勝ち目はない。
「これがダゴンの包囲戦であれば右翼が支えている間に中央と左翼が
「我が艦隊の中央と左翼はハリボテです。そのような働きを期待されても困ります」
「うん。ここまで誤魔化せただけでも期待以上だ。さすがは艦隊運動の名人フィッシャー中佐だ。わたしだったらもっと早く見抜かれていただろう」
側面や背後を気にする様子がまったくない帝国軍の猛攻をみれば、右翼をのぞく中央と左翼が
ヤンとムライの周囲では、
「
「
「本日の
ヤンの中に
戦況が前線での殴り合いにまで進行してしまえば任務艦隊司令官であるヤンにできることはほとんどない。いや、ひとつしかない。これ以上は味方が持ちこたえられないというタイミングを見極め、戦線が崩壊する前に全軍撤退を命令するのだ。この決断だけは司令官以外の誰にもできない。だからヤンは何もせずその時を待つ。一秒ごとに敵と味方の命がすり潰されるのを見つめながら。
それに比べれば目の前の戦況を逐次読み解いて指示をだし、一秒でも長く戦列を維持する作業のなんと気楽なことか。頭は使うが心はすり減らない。
目が
「ピュロスの勝利という言葉がある。勝ちはしたが犠牲が多く得られるものが少ない勝利という意味だ」
ヤンは
どうせ戦況が変化するまで待つしかないのだ。これくらいの心理的な逃避は許してもらいたい。
「同盟は帝国にピュロスの勝利を強いてきた。戦場で勝利するのは常に帝国軍。だがそれは、その後の出血を帝国に強いるためでもあった」
戦場で勝利すれば、その星域は勝者のものとなる。
しかしそれは獲得した星からただちに利益があがることを意味しない。資源であれ税収であれ占領地からの回収にはそれなりに手間がかかる。特に大事なのが治安と物流だ。
同盟の狙いはそこにあった。
帝国に明け渡した星域と帝国本領との間隙を狙った通商破壊を繰り返すことで、新領の運営が赤字になるようにしたのだ。
帝国は勝利して星域を獲得するが、しばらくして赤字のため手放す。その繰り返しだ。
「一〇年ほど前から帝国軍の戦い方が変わってきた。勝利しても占領せず撤退する。その代わり撤退前に戦場となった星域のインフラを徹底的に破壊する」
「エル・ファシルがそうであったように、ですね」
ヤンの背後から女性の声。情報参謀のフレデリカ・グリーンヒル中尉だ。
ヤンは振り返ることなく、おさまりの悪い黒髪をかいてうなずく。
「エル・ファシルの戦いは同盟にとって完全な不意打ちだった。帝国軍はこちらの通商破壊部隊を真似た数十~数百隻規模の
エル・ファシル星系の第四惑星には同盟軍の
だが、いかに重要拠点とはいえ五〇〇に満たない星系守備隊で
エル・ファシル星系守備隊指揮官のリンチ大佐は出撃前に士官学校を出たばかりの若い中尉に
「わかりました。全力を尽くします」
中尉は
そして作戦案のファイルをリンチ大佐にさしだした。
「つきましては、この作戦案に承認をお願いします」
リンチはこの事態を予期してたかのような中尉の行動にまず
そこにはリンチと星系守備隊がいかに行動し、どのような結末を迎えるべきかまで詳細に書かれていたからだ。
「この案に従って行動すると、わたしと守備隊は逃げ回るだけで最後は敵に追い詰められて全滅することになるのだが」
「はい。ですが、星系中を逃げ回ることで時間を稼げます。その時間をいただければ、ここに書かれたとおり作戦は成功します」
「成功……か。これを成功といっていいのか? この作戦案では我らが守るべき第四惑星のエル・ファシル補給廠は失われる」
「そこはまあ優先順位の問題です。抵抗したところで帝国軍は我らを全滅させ、この星の補給廠を破壊して
他人事のような中尉の言葉に、リンチは思わず
「だからこそ、救えるものをひとつでも多く救うべきです。わたしたちが軍に
「……我らは事に
守備隊の最後の一隻が恒星に呑まれるとき“勝利”を意味する
守備隊が全滅したのち帝国軍がエル・ファシル星系でみたのは同盟軍自身の手で破壊された補給廠の破片をリングとしてまとう第四惑星だった。補給廠と共にあった民間人の居住コロニーも解体されており三〇〇万人の民間人の姿はどこにもなかった。
衛星軌道に到達した帝国軍が第四惑星をスキャンしたところ、はたして高熱溶岩で覆われた
地表と宇宙をつなぐ軌道エレベーターは残されていたが、小癪なことに宇宙側の低軌道駅を利用するには、まず補給廠の破片からなるデブリを掃宙する必要があった。
エル・ファシルを制圧した帝国軍に時間と選択肢はあまり残されてなかった。
時間をかければ同盟軍の救援部隊がやってくる。二〇〇〇の
撤退する前に軌道エレベーターを完全に破壊し、ついでに大きめのデブリのいくつかを隕石爆弾として地上に落とし三〇〇万人の“叛徒ども”を
この決断をした
「わたしは運に頼るのは嫌いだが、あのとき軌道上にいた帝国軍の指揮官がメルカッツ提督だったのは本当に幸運だったよ。地表爆撃はともかく軌道エレベーターを破壊するだけで民間人三〇〇万人を地表から脱出させるのはそうとうな時間と困難を伴ったからね」
八年前には中尉だった男はかつてエル・ファシルの恒星に呑まれて
「ですがメルカッツ提督はエル・ファシルの後すぐに退役しました」
八年前にエル・ファシル星域にいた三〇〇万人の民間人のひとりだった少女はかつて自分を救ってくれた中尉と同じ階級となり、アスターテ星域での戦いの指揮を取る男の背を見つめている。
「退役というより失脚だね。メルカッツの勝利は帝国軍にとっても貴族たちにとってもありがたくないものだった。だけどもし帝国軍がエル・ファシルの戦いのような
メルカッツの不運は彼が考案した
「帝国貴族にとって同盟に勝利することは手段であって目的ではない。名声を手に宮廷内の序列を上げることが目的だ。宇宙海賊まがいの
帝国軍にとって不幸なことに本領防衛の要として築いたイゼルローン要塞の存在も自由惑星同盟という“小癪な叛徒ども”への危機感を減じていた。帝国軍が莫大な予算と資源を投入して作り上げた鉄壁の要塞に、同盟軍はただの一度も挑まなかったのだ。文字通りの意味で“無敵の要塞”である。主砲開発計画が凍結されたのも
「半年前のティアマト星域の戦いは帝国軍にとって従来型の攻勢作戦の
「それはなぜです?」
「ローエングラム伯がこたびの遠征に単独で挑んでいるからだよ。門閥貴族は出費ばかりが
「それは言い換えてみれば、帝国貴族にとって“叛徒ども”との戦いは勝って当然になっているわけですよね」
「不服かい?」
「いえ。この現状こそ同盟が建国以来二百六十九年の時をかけて求めたものであると思います」
同盟という蟻が帝国という巨象と戦うには、敵を分断する必要があった。
分断の対象は何か。貴族と平民か? 違う。その両者では力に差がありすぎる。
分断するのは帝国という国家体制と貴族だ。中央と地方と言い換えてもいい。
帝国には反乱討伐の建前があり、貴族には損だから関わりたくない本音がある。
どちらも相手の理屈を否定しにくい現状こそが同盟にとってもっとも望ましい。
「わたしもそう思う。だからこそ、ローエングラム伯はここで止める。止めたい。……止められるといいな、と思ってる」
ジリジリと押されまくる戦況を確認するヤンの口調が自信を失っていく。
甘かったかもしれない。ここまでローエングラム伯が
戦線を支える同盟軍六〇〇〇のうち三〇〇〇は
ギリギリまで耐えられる陣形だからこそ、限界を越えた瞬間に一気に崩壊する。
ヤンは
その時ヤンが、そして全員が待ち望んでいた報告が届いた。
+++++++++++
帝国軍は勝利しつつあった。おおむね予定通りに。
数で勝っている上に前方に火力を集中する陣形で戦っているのだ。勝利は当然だ。
予定外だったのは今になっても同盟軍の防御陣を突破できていないことだ。
「楽しませてくれるではないか」
ラインハルトは
「敵は後退の動きが滑らかですね。これだけ艦列を押し下げられてるのに隊列の組み換えに
「そうだな。そして無人艦の動きに遅滞がないということは、この戦況は敵にとって事前の想定通りということだ。こちらの手の内を読み切ってるからこそできる動きだ」
ラインハルトはくつくつと笑う。
「つまり我が方は勝利しつつあるにもかかわらず、いまだ敵の手のひらの中で踊っているということだ。これはもう一波乱あるぞ、キルヒアイス」
艦橋にいるキルヒアイスをのぞく参謀やオペレーターたちは、上機嫌な
もちろん、キルヒアイスはわかっている。ラインハルトの上機嫌な
キルヒアイスは不安を
キルヒアイスは希望を
もしかしたらそれはラインハルトの味方ではなく。敵として現れるのかもしれない。
「そうだ。敵の指揮官の名前はわかるか? 同盟は
「はい。今回の我らの攻勢に対しては、三つのチームが担当しています」
「チームリーダーは誰だ」
「ビュコック。ウランフ。そしてヤン。この三人のうちの誰が指揮官になったかはまだわかりません」
「前のふたりは知ってる。ビュコックは老練で手堅く、ウランフは猛将だ。ヤンという男は聞いたことが……いやまて。最近、誰かと話したことが……」
ラインハルトは唇に指をあてて思い出そうとした。
その時。
「敵艦隊に動きあり!」
「敵の旧式艦が前進を……いや、突進を始めました!」
オペレーターの声とともに戦況が急激に動きはじめる。
同盟軍六〇〇〇のうち一〇〇〇をしめる無人の旧式艦は、それまで鈍重な盾として同盟艦隊の戦列を構成していた。その盾を補う矛が
帝国軍にとって同盟軍の
そういうわけで戦列を突破寸前の戦況にあっても旧式艦のほとんどは無事だった。
帝国軍は旧式艦を無視するように意識を誘導されていた、ともいえる。
「どうやら旧式艦は、こちらには見えない背面側に使い捨てのブースターを増設していたようです」
「センサー画面が乱れているぞ」
「ブースターの推進剤ガスを煙幕の代わりに使ってるのでしょう。旧式艦という盾を失った敵砲艦の狙撃も止まりました」
「いちいち小細工が好きなことだ。そういえばヤンという男には“エル・ファシルの手品師”という異名があったな」
記憶から出てきた“手品師”は帝国側から敵将への評価だ。
「思い切りのよい男だ。旧式艦を使い捨てにかかったからといって
帝国軍の砲撃が飛び出してきた旧式艦に集中する。
それでも帝国軍は油断せず、ラインハルトの命じた通り突撃を続ける旧式艦を仕留め続ける。
半数の五〇〇隻が打ち砕かれた時点で、ラインハルトの手が肘掛けを強く握った。
「クソっ、してやられた」
すぐにキルヒアイスも気づく。
ラインハルトと視線をかわし、後方の味方に命令をだす。
「ドローン母艦を前進させてください。
そこには何もなかった。
正確にいえば、この宙域に同盟艦隊がまだいるようにみせかける欺瞞工作用の作業船がちらほらと残っていたが、反応からみてこちらも無人艦の群れだ。
「逃げた、か」
同盟軍の鮮やかにすぎる撤退をみて、ラインハルトの頭の中に警報が鳴り響く。
(自分は何を見落としている──いや、何から目を逸らされている?)
同盟軍の目的は、帝国の侵攻をここで止めることだ。
そこに間違いはない。ラインハルトが間違っていたのは、同盟軍は戦場で自分を止めるつもりでいる、と考えたことだ。
(考えてもみよ。その前提がそもそもおかしい。敵艦隊は我が方の半数しかいないのだ。もしこの艦隊を指揮しているのが門閥貴族の凡庸な提督であったとしても艦隊戦で止められるはずがない。なのにおれは今この瞬間まで、同盟軍は戦場で雌雄を決するつもりだと疑うことなく思い込んでいた)
なぜか。理由ははっきりしている。
(同盟軍がダゴンの包囲戦──
最初はこちらの倍近い艦隊で包囲しようとしているのだと考えた。
偵察でその多くが囮であると気づいてからも考えは変わらなかった。
(囮を使って大軍で包囲しているようにみせることで、我が方を戦わずして撤退させる。それが同盟軍の作戦だと考えた)
だが間違っていた。
先に撤退したのは同盟軍の方だった。
その意味することはひとつ。
同盟軍が狙っていたのは、最初からラインハルトではなかったのだ。
ラインハルトと艦隊を足止めして時間を稼ぐ。それためだけの分進合撃であり、旧式艦の突進だった。
ではその時間で、逃げた同盟軍は何をなそうというのか。
「後方の補給船団に退避するよう命令をだせ。また、我が艦隊から高速艦のみを編成して向かわせろ。急げ!」
ラインハルトは命じる。
だがその命令は、わずかに遅かった。
+++++++++++
再び時を三ヶ月前に戻す。
「諸君。わたしに考えがある。賭けではあるが、ノってみないかい?」
ハイネセンにある統合作戦本部の会議室で、
「どのような賭けでしょうか」
チームを代表してムライが仏頂面で聞く。
同時に賭けにノる気満々の若い将校たちを睨みつける。
「そうだね。まずは現状の戦力でローエングラム伯に勝つ方法はない。その認識では皆が一致しているとみていいだろう」
ヤンは会議においては基本的に聞き役だ。
議論の内容はおおむね把握している。それは他の
「
帝国軍が侵攻する星域内に防備を固めた拠点を複数作り、数の不利を補おうというのだ。
問題はどの星域が帝国軍に狙われるかが現時点ではわからない点にある。予測はたてられるが露骨に強化すれば攻勢直前に帝国軍が防備の弱い星域に攻め口を変える可能性もあった。そこでビュコックのチームでは旧式艦を改造した移動可能なトーチカの建造を検討している。帝国軍の侵攻まで一週間ほどの時間があれば、トーチカを異なる星域に再配置することも可能だからだ。
こちらもどの星域が狙われるかは不明であるが、旧式艦改造空母の隠蔽と擬装だけであればトーチカと比べて資材は必要ない。時間も帝国軍の侵攻直前に人員と戦闘機隊だけを送り込むので素早く展開できる。
ただし一戦すれば帝国軍に存在が露呈するので、改造空母も戦闘機隊も使い捨てとなる。人員だけ脱出して回収だ。
「どちらもよい案だとは思うが、
ヤンの指摘に、全員が無言のまま頭に
しばらくして、全員を代表してムライが問いかける。
「帝国軍が勝利のあとで星域を占領するのは我が方としては願ったりではありませんか。国境沿いにある低開発星域はどこも人口が希薄で産業もありません。帝国にとっては占領する旨味が少なく、同盟にとっては通商破壊で帝国の力を削り取るよい機会です」
ムライの言葉に、今度は全員が無言のまま
帝国が占領し、同盟が奪還する。最初の衝突以来、同盟と帝国の戦いは長くこの繰り返しだった。初期には新星域を占領するたび、功のあった提督に星域の名を冠した爵位を授けたほどである。この時期の帝国の浮かれぶりがうかがえる逸話だ。
近年になり、あまりに占領の旨味がないことに
先のティアマト星域の戦いにおいても勝利した帝国軍はデモンストレーションのように星域を一巡し、目についた同盟の武装ステーションを破壊して去っていった。同盟側も心得たもので近年は破壊されることを前提に無人で中身は簡素だが外見は派手な武装ステーションを作っている。
「うん。その通商破壊だ。我が同盟軍は通商破壊戦に力を注いだ編成になっている。帝国に国力で劣る以上、正面から艦隊決戦しても勝てないからね。我々にとって通商破壊でなら帝国に勝てずとも負けないのは疑問の余地がない大前提となっている」
ヤンは制御卓を操作して星図を投影した。
帝国本領と同盟領の間には大きな間隙がある。
“長征一万光年”。帝国の脅威を流刑囚として文字通り身をもって知っていたからこそ、自由惑星同盟は帝国領から遠く離れた辺境の、さらに無人の星域の
その判断が正しかったことは最初の接触から現在に至るまで二〇〇年近く同盟の主要星系が帝国軍に占領されていないことからもわかるだろう。
「通商破壊重視戦略を支えてくれたのがイゼルローン回廊の存在だ。帝国本領からは長距離ワープで超えることができない銀河系の
ヤンは同盟領とイゼルローン回廊との間にある星域を黄色のエリアで示してみせた。
ティアマト星域や、アスターテ星域、アルレスハイム星域、エル・ファシル星域などの星域が散らばっている。
これらは一応は自由惑星同盟の領土という形をとっているが、居住星系はまばらで、産業はなきに等しく、取られてもさほど害はない。特殊な資源を産出するがゆえに補給廠が建設されていたエル・ファシル星域は数少ない例外だったが、八年前の襲撃以降はエル・ファシルも補給廠は再建せず無人工場群のみが稼働する採掘中心の施設になっている。
「黄色で色付けした狭間にある星域群には超光速航行を阻害する障害はない。わたしたちがこれらの星域をあえて利用しないのは、帝国軍に占領させて通商破壊戦を行うためだ。天然の
同盟領が青、帝国領が赤で表示されていた星図の色が反転する。
「今のわたしたちを帝国軍のローエングラム伯の作戦参謀だと仮定しよう。この状態で、帝国軍はどう作戦をたてるべきだろうか」
ヤンが言葉を切るが、意見を口にするものはいなかった。
しばらくして、フレデリカ・グリーンヒル中尉が手をあげる。
「その場合、ローエングラム伯の目的はなんでしょう?」
「うん。よい質問だ。ティアマト星域の戦いで武功をあげたミューゼル提督は階級は大将のままローエングラム伯の
「つまりティアマト星域の戦いを上回る規模の、誰の目にも明らかな勝利が必要なわけですね」
「それは……」
「けっこうな無理難題ですね」
アッテンボローが手をあげた。
「ハイネセンです。首都を狙いましょう」
「はあっ?!」
「無理すぎる」
「帝国でも同盟でも無理だと考えているからこその狙い目ですよ。別に占領しようってわけじゃないんです。通りすがりに爆弾の一発でも落として帰ればいいだけです」
「だけってなんだよ。そんな無茶な遠征じゃ、そもそも補給が続かない」
「それに我が同盟だってハイネセンの守りには力をいれてる。アルテミスの首飾り計画は予算の都合でなくなったが旧式の要塞群があって……いや、なくなったのか」
「最後の一基が解体されてティアマト星域に運ばれ、帝国軍に破壊された」
「代わりの防衛計画がこのファイルに……こいつは指針だけだな。こっちは……検討中か」
ヤンがぱちぱちと拍手する。
「アッテンボロー少佐の意見には、いかにもローエングラム伯らしい
「どうも」
「だけど作戦としては失格だ。同盟軍が判断を間違い続ける前提に頼りすぎる。狙いがハイネセンだと見抜かれた瞬間に帝国軍は手詰まりになる」
その後もいくつかの案が出されたが、いずれも論破されて終わる。
「では、わたしの考えをいおう」
頃はよしとみて、ヤンが自分も手をあげる。ムライが指名するのを待ってから口を開く。
「わたしは帝国軍は恒久的な同盟領の占領を狙うと思う。そのためにはこちらの通商破壊を無力化する必要がある。なので帝国軍は艦隊戦に勝利したあと、星域内にゲートを敷設しようとするだろう」
ヤンはイゼルローン回廊から同盟領の中心へ伸びる航路に、ゲートのマークを置いた。
ゲートには複数の種類がある。もっとも高性能な転移ゲートであればワープ能力をもたない船や船ですらないコンテナや小惑星の類であっても
ヤンがマークで示したゲートは周囲の空間歪曲率を下げて転移座標を整えるワープ専用の宇宙灯台のような施設だ。似たものは同盟側も使っており、帝国軍の侵攻があるたびに同盟軍が長距離ワープで素早く進出するために使っている。
「これまではイゼルローン要塞が帝国にとっての策源だった。同盟領に攻め込む艦隊はすべてイゼルローン要塞で補給を整えて出撃した。だからイゼルローン回廊周辺の星域でしか戦いは発生しなかった。同盟もそれらの星域を低開発に留め、民間施設に被害がでないようにしてきた」
ゲートのマークをもつ星域を点滅させて強調する。
「ゲートの設置はその前提を覆す。帝国軍はここを新たな策源として出撃できるようになる。周辺星域はすべて危険エリアだ。民間施設は疎開をよぎなくされる。さらにこれを放置すれば、帝国軍は新たなゲートを敷設して前進を繰り返すだろう」
ひとつ。ふたつ。みっつ。
イゼルローン回廊からみっつのゲートを敷設した先にある表示をみて皆が絶句する。
ハイネセン。自由惑星同盟の首都惑星があるバーラト星系が
ヤンがくつくつと笑う。
「もったいぶってすまなかったね。アッテンボロー少佐がハイネセン強襲案をだしたので見抜かれたかなと思ったんだけど、そうじゃなかった時には少しホッとしたよ」
「もったいぶって当然ですよ。まさかこんな手があるとは……これ一箇所ゲートを設置するだけで、わたしが出したハイネセン強襲案の成功確率がぐっとあがりますよね」
それまで議長役として沈黙を守っていたムライが強い口調で割ってはいった。
「それどころではないぞ。ゲートの敷設がひとたび成功すれば帝国軍は投機的な作戦にでる必要がなくなる。ゲート先の星域を前進拠点に帝国軍が通商破壊に力を入れれば今度こそ同盟経済は破綻する。すべての民間船に長距離ワープ能力をもたせることも、主要航路のすべてに転移ゲートを設置することも現実的ではない」
ムライが青ざめた顔をヤンにむける。
「ヤン大佐。これは同盟の最高評議会にかけるべき議題です。今後も帝国軍の攻勢が続くかぎり、ゲートはいつか設置されます。もし来たるローエングラム伯の攻勢がゲート敷設狙いでなかった場合でも、何か手を打たねば同盟存亡の危機です」
「うん。そのとおりだ。でもまずは目の前の攻勢をしのごう」
ヤンはムライをなだめるとアッテンボローに向き直る。
「アッテンボロー。君に一〇〇〇隻をあずけ、分艦隊の指揮を任せる」
+++++++++++
「大佐が分艦隊指揮官で、小官がその補佐になるという手も……」
「それはいかん。
ビュコックは声を荒げることなく静かな口調でアッテンボローを
アッテンボローの背がしゃん、とのびる。
「はっ、申し訳ありません。小官が甘えておりました」
「もちろん出撃前であれば、わしに頼るのもよかろう。どれ、編成案をみせてみい」
アッテンボローが
「ふむ。
「偏りすぎましたかね」
「なに。分艦隊に求められる役割を考えれば、このくらい偏って当然だとわしは思う」
帝国軍の大規模な艦隊が同盟領に侵入。
イゼルローン回廊の同盟側を哨戒する部隊から通報が入るや、準備を整えていた分艦隊はヤンの本隊よりも先に出撃した。長距離ワープを繰り返して前進するうちに帝国軍の数は一万隻、目標がアスターテ星域だと伝わる。
「アスターテ星域か。資源もなく無人の星域だ。前進拠点としてのゲート敷設にはうってつけじゃな」
「放浪惑星がたくさんありますからね。大規模な補給船団を隠すにはよい場所です」
本隊に先駆けてアスターテ星域に到達したアッテンボローの分艦隊がまず始めたのは、自軍の潜伏である。所在だけでなく、存在そのものを隠蔽する。
一〇〇〇隻規模の分艦隊の存在が露呈した瞬間、作戦のすべてが破綻するからだ。
ヤンの本隊がやたらと派手に分進合撃の動きをみせたことも、分艦隊から帝国軍の意識を逸らさせる役目を果たした。
「ここからは時間との競争じゃな」
「はい。こちらが帝国軍の補給船団を見つけるのが早いか。ヤン先輩が帝国軍を支えきれずに撤退するのが早いか」
分進合撃する三梯団は、帝国軍に位置を知らせる目的もあって積極的に偵察を行った。これらが偵察したエリアに帝国軍の補給船団が見つかるはずもないが、分艦隊にしてみれば、手持ちの偵察部隊を「送らなくていい」エリアが広がる意味でも助かった。
「ヤン大佐は打ち手が多彩というだけでなく一手にこめられた意図が多いのも特徴じゃな」
「そうなんです。ヤン先輩はすごいんですよ。これは士官学校時代の話なんですけどね……」
やがて分艦隊の偵察部隊から、怪しい放浪惑星をみつけたという報告が届く。
周囲を機雷群に囲まれているのだ。
「機雷群に囲まれた放浪惑星か……どう思います? 補給船団がいるか、いないか」
「わからん。こちらを釣り出す撒き餌という可能性もあるな」
「疑おうと思えばきりがないか……よし、やります。分艦隊、出動せよ」
思い切りのよいアッテンボローの決心に、ビュコックは彼を分艦隊指揮官に選んだヤンの狙いを読む思いだった。機雷群が引っ掛けだとしても有力な同盟分艦隊の出現は必ずや帝国軍を動かす。ヤンという男は相手を積極的に揺さぶりできた隙を狙う戦い方を得意とする。裏も表もなくただ手堅いだけの指し手より、策が多い指し手の方を好むのだ。
ビュコックは自分が「ただ手堅いだけの指し手」である自覚がある。アッテンボローの副官にビュコックが選ばれたのもバランスを取るためとみて間違いない。
(どこまでも用意周到。たいした男じゃ“ヤン先輩”は)
同盟分艦隊は放浪惑星の機雷群を除去する前に周囲に自分たちの機雷群を撒いた。
同盟分艦隊の存在を知った帝国軍の本隊が輸送船団を救出するためやってくるのは確定である。機雷群で足を止め、あるいは迂回させて時間を稼ぐのだ。
機雷群を除去しつつ、同盟分艦隊は放浪惑星が浮かぶ
「見つけました。放浪惑星WXC二一二七です」
一般に惑星は恒星の周囲を公転する軌道をもつ。
恒星が複数ある場合や恒星の軌道に大きな惑星が複数ある場合は万有引力による綱引きが繰り広げられる。そしてたまさか綱引きのあげく勢いあまって
放浪惑星WXC二一二七もそうやって誕生した。
二〇億年ほど前に原始恒星系を包むガス雲の中で生まれ周囲を漂う微小惑星を吸い込みながらすくすくと育った岩石惑星は、もしもハビタブルゾーンという
そこからは天文学的な必然であった。何億年もの間、何度も巨大ガス惑星や巨大氷結惑星に引っぱられた岩石惑星は、とうとう恒星の周囲をめぐる軌道から弾き出されて漆黒の恒星間宇宙へと漂いだすことになる。放浪惑星WXC二一二七の誕生である。
それからの八億年を放浪惑星は黒体輻射の凍てついた銀河空間を旅して過ごした。恒星系から旅立つ前に中心核をもつサイズまで成長できたのが幸いであった。恒星からの電磁輻射という恵みを受けられなくなった放浪惑星は自重で押しつぶされた中心核からもたらされる熱エネルギーでわずかな暖をとる。八億年の間に惑星表面は冷えて分厚い氷に覆われたが、氷の下には地熱で溶けた水を
「帝国の輸送船を見つけました。高度一キロメートル」
「一といったか?」
「はい。一〇〇〇メートルです」
「一隻単位で惑星表面を飛んでます」
「観測範囲にある輸送船だけで八〇〇隻。惑星の裏側も含めると一〇〇〇隻はこえているもよう」
放浪惑星WXC二一二七に大気はない。かつてはあったが今はすべて凍りついて地表に積もっている。それゆえ第一脱出速度さえあれば空気抵抗で惑星に落ちることなく高度を維持できる。
それでも多少の起伏や割れ目はある。鈍重で角ばった輸送船の巨体が秒速一〇キロメートルを超える速度で高度一キロメートルを舐めるように飛びかう姿にはだまし絵めいたものがあった。
「帝国艦の中にゲート敷設用の工作船はいるか?」
「見える範囲にはいません。放浪惑星WXC二一二七の表面に走っている
「そして護衛艦もみあたらず、か。敵はよほどの手練れじゃな」
これまでの戦争で同盟軍が通商破壊戦の経験を積んだように、帝国軍もまた護衛戦のプロフェッショナルである。船団護衛という裏方仕事を好む貴族はいないから平民出身の指揮官が限られた予算と装備をやりくりしてなんとかしてきたのだ。
アッテンボローは赤毛の髪をくしゃくしゃにして苛立ちを抑えると、分艦隊の全艦に通じる通信を開いた。
「分艦隊指揮官アッテンボローだ。放浪惑星WXC二一二七の表面をこれみよがしに飛んでいる輸送船は
それでも今は時間が惜しい。帝国軍の策で被害が出ることを許容しても勝利をめざさねばならない。嫌でたまらないことなのに、なぜ自分は自信満々なそぶりをしてまで部下に命じているのか。味方の命は惜しいが敵の命はどうでもいい偽善者だからか。それはそうだ。でもそれだけではない。
(この役をおれがやらなければ、おれの代わりを誰かにやらせることになるからだ)
指揮権とはババ抜きのババだ。己で選んで引いたカードだ。望んだものとは違っても、誰かが自分の手札から引いてくれるまで、持ち続けるしかない。
「ビュコック大佐。
「どの群れだ? ふむ、どれも軌道が若いな……隕石爆弾に使うか」
「はい。氷塊を切り出し、ある程度の目星をつけた場所に落とします」
「わかった。こちらは任せろ」
手早く打ち合わせをすませ、ふたりは別れた。
ビュコックは
「分散は効率的だが脆弱だ。今は敵の護衛隊がどこに潜んでいるかがわからん。面倒でも集中して一隻ずつ沈めていく」
中軌道から見下ろす惑星表面は可視光でみると闇の中に沈んでいる。
闇の中に小さな光が
大きな光が生まれ、線香花火のように散った。飛び散る電磁放射を
「輸送船一隻撃沈! 爆発には窒素や炭素が多く含まれていました。糧食を運んでいたようです」
ビュコックは最初に撃沈された輸送船の端末で再生し、動きを確認した。回避行動はしているが主機関を使ったものではない。無人だとビュコックは判断し、戦術AIも同意する。主機関を動かし続けるには人の手が必要だ。プログラムだけで回避行動するには主機関を使わずに動かせる姿勢制御用スラスターに頼る他ない。輸送船を高度一〇〇〇メートルに軌道にのせたあと、乗員は脱出したのだ。
沈んだ敵艦が無人であったことに安堵してしまう自分を
同時に、自分が食いつかされているのが
「こちらが気づいていることを見抜かれてはならん。砲撃の手を緩めるな。容赦なく沈めよ!」
宇宙を孤独に漂う放浪惑星WXC二一二七だが、今は共に旅する家族が増えている。小さな氷の衛星の群れだ。これらは地熱の力で時に発生する巨大噴火で吹き上げられた水や岩石が宇宙空間で冷えて固まったものだ。ほとんどは百万年と経たずに再び母なる放浪惑星に落下するが、いくつかは衛星として軌道にのっている。
同盟軍の
「来るぞ!」
アッテンボローの言葉と共に、一瞬で消えゆく水蒸気を煙幕に、帝国軍の護衛艦が飛び出してきた。ありったけのミサイルが同盟軍の
同盟軍の
「敵の数に比してミサイルの数が多いな」
「自分たちが運んでた補給物資に手を出したんでしょう。護衛艦の表面に剥き出しのランチャーが外付けされてます。危険だろうに勇敢なヤツらですよ」
「だが無謀だ」
同盟軍
(ここまでは読み通り……だが、本当にそうか? 何か見落としてないか?)
ゲート敷設工作艦を放浪惑星WXC二一二七の
だから伏兵を隠すのであれば、氷衛星群の中だ。
では、その伏兵で帝国軍は何を狙うか。それを破壊すれば隕石爆弾を作れなくなる艦だ。工作艦か工作艦の代わりができる
(では、あのミサイルは本当に帝国側の切り札か? あれで
否。
こちらに護衛の
(敵の本命の伏兵はまだ出ていない。どうやれば使わせることができる?)
アッテンボローは考え、迷い、決心する。
+++++++++++
「敵の
できたばかりの臨時戦闘指揮所に動揺が走る。
氷衛星
「落ち着け諸君。我々が見つかったわけではない」
眠そうな眼の指揮官の言葉に、皆が落ち着きを取り戻す。
「彼らの狙いは我々ではない。我々と同じく
再び司令部がざわつきはじめる。
「隕石爆弾を落とされたら
「
「それだけじゃない。沸騰した惑星内海から高温高圧の蒸気が
「そんな! みんな死んじゃうよ!」
緊張と不安で作業の手が止まった者たちを、今度はくすんだ金髪の副官が元気づける。
「大丈夫。まだ時間はある。我々は我々にできることをしよう。準備作業を進めるんだ」
副官が作業進捗表をもって指揮官に近づく。副官の緑色の“軍服っぽい”服装をみて、指揮官は自分に付き合ってくれた青年士官への感謝の思いを新たにする。
「シュナイダー……くん。動揺を静めてくれてありがとう」
「みな技量は高いのですが、覚悟というか度胸が足りていません」
「仕方があるまい。この作業は戦いが終わって占領した後にやることだったからな。それに本来彼らは帝国軍人ではないのだ……いや、それをいうならわたしもか」
指揮官も着ている緑色の“軍服っぽい”服は
「階級など関係ありません! メルカッツ提督は今も栄光ある帝国軍人です!」
シュナイダー元少佐は力強く、そして誇らしく宣言する。
「ありがとう」
面映ゆい思いで細い両眼をさらに細め、メルカッツ元大将は礼をいう。
エル・ファシル星域の戦いの後、メルカッツは帝国軍を退役した。それが奇妙な運命のめぐり合わせのもと、ふたたび戦場に立っている。
天井から低い振動が伝わってきた。衛星
メルカッツは
「作業完了しました!
退役したメルカッツがいつの間にか社長にされていた
「よし、砲撃陣形を組め」
氷衛星
それでも直径一〇キロメートルになる氷の塊だ。四八〇〇万トンになんなんとする巨体を止めるのは容易なことではない。
同盟軍が手をこまねいている間に、巨大な氷の塊は砲撃陣形を組む。
「
六基の戦闘衛星からのエネルギーが中心にいる
光が直撃した同盟軍の
「やりました!
「よし、次の
「
要塞砲を発射した引き換えに自重の半分の氷を失った戦闘衛星
威力と工期短縮とコストカットのすべてを満たすため
二発めの
「これでふたつ。残りふたつの
シュナイダーが意気込む。
厳密にいえば
八年前のエル・ファシルでは実現できなかった戦略的勝利に手が届いた。
メルカッツがそう思ったとき。
連続した爆発が戦闘衛星
+++++++++++
戦闘衛星
戦闘衛星
「やったぞ!」
「ざまあみろ! おまえらに沈められた
それゆえ
アッテンボローが
「赤
「もうすぐです。こちらより目標の位置が遠かったのでその分だけ時間がかかります。ご存知のとおりステルスモード中に加減速や軌道変更はできませんので」
「赤
じりじりと
やがて戦闘衛星
「やったか?!」
「違う! ガンマ線は観測されてない! 対消滅弾の爆発じゃない!」
戦闘衛星
赤
防御力のなさでいえば氷の守りを失った戦闘衛星
双方が必死に追いかけっこをする中で戦闘衛星の外部ハッチが開き、三人の作業員が外骨格型作業用宇宙服を着て外に出てきた。向かう先は
アッテンボローがいる青
六隻となった赤
先頭の赤〇二に砲撃が集中する。穴だらけになって漂流する。二番艦の赤〇一が前にでる。こちらも長くはもたない。動けなくなり爆発する。三番艦。赤〇六は先頭に立つや二発の艦首対消滅弾を発射する。まだ射程外だが撃たれた戦闘衛星は無視できない。対消滅弾の迎撃に砲撃が分散する。赤〇六が爆発して火球となった時には、残りの三隻の
発射された六発の艦首対消滅弾のうち四発が命中した。氷の守りを失った戦闘衛星
残り五基で砲撃陣形は組めない。そして
+++++++++++
ラインハルト率いる帝国軍本隊が補給部隊と合流したときには、すでに同盟軍は去った後だった。
「手ひどくやられたものだな」
ラインハルトが苦い口調でつぶやく。
戦艦ブリュンヒルトから見下ろす放浪惑星WXC二一二七は大荒れの天気だった。地表に落下した四発の隕石爆弾は運動エネルギーを熱量に転換し、凍って地表に降り積もっていた二酸化炭素や窒素を気化させ八億年ぶりの大気を復活させていた。
そしてこれらの天変地異に呑み込まれ
「申し訳ありません。ゲート敷設艦を守り切ることができませんでした。いかなる処罰でも甘んじて受ける所存です」
メルカッツが頭を下げる。
「よい。
同盟軍アッテンボロー分艦隊は戦闘衛星
陸戦隊を投入しての
「私の功ではありません。敵がゲート敷設艦の破壊後すぐに撤退したからです。敵が残っていればワープできない
「やはりゲート敷設阻止が“手品師”の狙いだったか」
ラインハルトの言葉に、メルカッツが細い目を見開いた。
「“手品師”……閣下が戦った相手はヤン・ウェンリーでしたか」
「驚かないようだな」
「八年前のエル・ファシルの時から彼の手腕には卓越したものがあります。あのヤン・ウェンリーであれば閣下の狙いを見抜いても不思議ではありません」
「まったくだ。ヤン・ウェンリーという男。
損害を調査していたキルヒアイスが
「輸送船一七〇〇隻のうち残存艦艇は三〇〇隻。積荷も無事な輸送船は一〇〇隻です」
輸送隊の損害の大きさにメルカッツが青ざめる。
積荷が無事な輸送船はほとんどが囮として放浪惑星WXC二一二七を走り回っていた無人船で、無事な積荷というのは糧食などの消耗品がほとんどだ。
せめてもの救いは、輸送隊の人員のうち退避させた二万人が長楕円軌道にある氷衛星群で無事だったことだ。
「それで? 残る五基の
ラインハルトの性急な問いかけをメルカッツは
輸送隊を失い、ゲート敷設艦を破壊された今、ワープできない
キルヒアイスが
「大丈夫です。五基あれば灯台方式のゲートとして使用できます」
「よしっ!」
ラインハルトが拳を強く握りしめる。それだけでは抑えがきかなかったのか、握った拳を力強くふりあげてガッツポーズまでしてしまう。
「みたかヤン・ウェンリー! おれの勝ちだ!」
あっけに取られるメルカッツに、キルヒアイスが説明する。
「申し訳ありません。
原型となったアルテミスの首飾り計画にも基本戦術として宇宙艦隊との連携があり、短距離ワープに必須の高精度の座標固定機能があった。役割からいえば
「フェザーン経由で情報が流れないよう
ラインハルトの方は喜色を隠しきれない顔で言い訳する。
「いえ、よいのです」
ラインハルトの悪口である“生意気な金髪の
これは“生意気な金髪の
自身でもはしゃいでいた自覚があったのか、メルカッツが去った後ラインハルトは照れくさそうに鼻の頭をかいた。
「ラインハルト様。イゼルローン回廊港の外部埠頭から連絡です。
「姉上には助けられてばかりだな。早く恩返しできるようになりたいものだ」
ラインハルトのこたびの遠征は
帝国軍は貴重なゲート敷設艦を同盟領への遠征に用いることを認めてない。フェザーンを通してゲート敷設艦が三隻も
伝統的に帝国の軍部や官僚は皇帝の
「幼年学校のころアンネローゼ様にお会いしたとき、ご自分の境遇を古い童話でたとえられていたのを覚えておられますか」
「もちろんだ。同じ場所にとどまるためには全力で走り続ける必要がある、という話だったな」
皇帝の寵姫という地位は、争いを避けるため何もせずおとなしくしているという選択肢すらアンネローゼから奪っていた。
「宮廷内にはマリーンドルフ伯のご令嬢のようにアンネローゼ様のお人柄を慕い味方される方も増えてます」
「ヒルデガルド嬢か。そういえばキルヒアイス。今回の遠征前に彼女とずいぶん熱心に話し込んでいたじゃないか」
「仕事の話だけですよ」
「本当か? 隠さなくてもいいんだぞ?」
「本当ですよ。プライベートなことは何も……」
キルヒアイスが指を唇にあてて考える仕草をみせたので、冗談のつもりだったラインハルトの方が焦ってしまう。
「なんだ。本当に何かあったのか。おまえまさかあんな少年っぽい感じの──」
「それはありません。ただアンネローゼ様にお仕えする侍女の中に少し毛色のかわった娘が混ざっていると教えてくれたのです」
「ベーネミュンデ侯つながりの者か?」
「貴族ではありません。平民出身で
「なんだそれは。姉上は知ってるのか」
「侍女の中では最古参のひとりで、孤児です。聞けばアンネローゼ様ご自身が運営されている孤児院の出身だとか。ヒルデガルド様の見立てではアンネローゼ様への忠誠に疑いはないそうです。ただ気になることがひとつ。その侍女は誰もいないところで──」
それは庭にある
「アンネローゼ様を“聖女様”と呼んでいたそうです」
+++++++++++
「聖女様」
「こら、違うでしょ」
アンネローゼは、短い癖っ毛でくりくりとした愛らしい瞳をもつ侍女を叱った。
「
侍女は素直に呼び方を変える。
「はい、どうしたの」
「報告。昨夜、“好ましからざる来客”があった。庭師と一緒に片付けておいた」
「そう。怪我はなかった?」
「大丈夫」
侍女が包帯を巻いた右手を後ろに隠しながらいう。アンネローゼはため息をついて侍女に近づき、キョロキョロと挙動不審になった少女を優しく抱きしめる。
「わたしのために危険をおかすのはしかたないけど、怪我をしたらちゃんと教えて。これは庭師にも伝えてね」
「……うん」
アンネローゼの腕の中で癖っ毛の侍女は幸せそうに目を閉じる。
侍女は貧民街にある孤児院で暗殺者として育てられた。八年前“聖女様”が現れて皆を解放してくれた。
今では孤児院は名前のとおりの慈善事業となっている。その頃の仲間は多くが市井で穏やかに暮らしている。暗殺者としてとりわけ優秀だった侍女と庭師と他数名は“聖女様”の元で働く道を選んだ。
「ごめんなさい。本当はあなたたちも解放してあげたいのだけれど、わたしの力不足で働かせてしまって。許してね」
「これはわたしの望み。先に母なる星に
アンネローゼの腕に、わずかに力がはいる。
「では……今だけは聖女として命じます。死んではダメですよ。あなたも。庭師も。これ以上は誰ひとりとして死んではダメです」
「うん。わかってる。死んだら母なる星に
アンネローゼは目をきつく閉じた。侍女の顔を“最初”にみたときの記憶が蘇る。炎上する
許さない。あんな
「聖女様の命令だから死ぬのは
地球教の。聖女となって。
+++++++++++
アスターテの戦いから一ヶ月後。同盟首都の惑星ハイネセン。
ヤン・ウェンリー大佐が暮らす官舎はひとり暮らしには大きすぎる一戸建てだが、足の踏み場がないほど床に本が積み上げられている。
その日、ヤンの家に来客があった。
「読んだ本をもとあった本棚に戻すだけでお前さんの暮らしは劇的に改善すると思うんだがな」
「この家では有史以来読んだ本は平積みする決まりです。先輩にも守ってもらいます」
アレックス・キャゼルヌ。士官学校時代のヤンの先輩である。軍を退役した後もこうして三次元チェスを打ちにやってくる。
「アスターテにゲートが敷設されたのは確実のようだ。こちらでも確認した」
「そうですか」
アスターテの戦いのあと同盟軍はヤンの任務艦隊と入れ替わりに通商破壊部隊をアスターテ星域とイゼルローン回廊とを結ぶ宙域に配置した。
この一ヶ月。戦果らしい戦果はない。
「同盟からみると戦いに勝って勝負に負けた形ですね。いや撤退したのはこっちが先だから、戦いに負けて勝負にも負けたのか」
「あまり残念そうじゃないな」
「ひとりの人間にできることには限界があります。だから群れを作って助け合うんです」
「問題はその群れの維持と管理の仕組みが同盟と帝国とでは大きく違うことだな」
「独裁国家は固いですが脆いですよ。いい加減、なんとかするべきです」
「ずいぶんと帝国に厳しいな」
「なにをいってるんです」
ヤンはきょとん、とした顔でいう。
「独裁国家というのは、今の自由惑星同盟のことですよ」
「
「否定はしないんですね」
「そりゃまあな」
キャゼルヌが苦笑する。
国力で帝国に劣る自由惑星同盟が今も戦いを続けられるのは、あらゆることが最適化されているおかげだ。すべてにおいて最善手を打つことでなんとか延命を続けている。
金も、資源も、時間も。無駄にできる
「対して銀河帝国は無駄の塊です。多数の貴族が好き勝手に治める領邦国家です。もし帝国に有能な独裁者が誕生して効率よく戦争をはじめたら同盟に勝ち目はありません」
「そうなりつつある」
「ローエングラム伯ですね。アスターテの戦いで思い知らされました。彼が帝国において然るべき地位につけば同盟は終わりです。全面降伏に追い込まれる前に和を結ぶべきです。今ならまだこちらにも条件を提示できる余地がある」
目の前の後輩には、どこまで先が見えているのだろうとキャゼルヌは思う。
「そうはいうがなヤン。ひとたび平和がきて現在の総動員体制が解除されれば、再び有事となっても同盟は二度と今のように効率よく戦えないぞ」
「それでいいんですよ。いや、そうあるべきです。グダグダしないで何が民主主義ですか。民主主義というのは迷走して非効率なものです。効率を求めるから独裁になるんです」
ヤンは力説する。
民主主義は
だからこそ憲法という枠を用意して暴走を食い止め、議論しながら法律を定める手間をかけることで熱狂をさましつつ進路を定める。
戦争はそのすべてをおかしくする。勝ち負けという基準があるせいで正解とそれ以外がはっきりしてしまう。戦い続けるうちに社会から非効率が排除されていく。今の自由惑星同盟がそうであるように。
「民主主義とはひとりひとりが自分の生き方を自由に決められる社会です。うまくいくとは限らない。間違ってやり直すことも増えてくる。だからこそ社会には愚かさや汚さを受け入れる余裕が必要なんです」
「お前さんのこの部屋のようにか」
キャゼルヌは冗談めかしていう。
「はい。わたしにはこの部屋が必要なんです」
「ざっと見渡しただけで同じ本が三冊あるんだが」
「四冊までは誤差です」
ヤンは大真面目に答える。
ヤン・ウェンリーという男は戦場において
「お前に必要なのは生活改善してくれる
「余計なお世話です」
「おっと思い出した。ラップの結婚のことだが。延期になるかもしれん。ジェシカの方に長期出張がはいってな」
キャゼルヌはこの家を訪れた本来の目的を口にする。
ヤンの同期で親友のジャン・ロベール・ラップはキャゼルヌにとっての後輩だ。
そしてその婚約者のジェシカ・エドワーズはキャゼルヌにとっての秘書となる。
「ジェシカが長期出張……フェザーンですか」
「そうだ。今はそれ以上はいえんぞ」
「もちろんです。軍人と政治家には適切な距離というものがあります。癒着してよいことはありません。それにしても軍を退役した先輩が議員の道を選んでくれて本当によかった。後輩一同みな応援してます。選挙にもいきます。これで第二のルドルフも狙えますよ」
「狙わない! お前、それ公的な場では絶対に口にするんじゃないぞ」
自分が何をしているかすべてヤンに見抜かれていることを承知の上で、アレックス・キャゼルヌ議員はしかつめらしい顔でいった。
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銀河帝国と自由惑星同盟の中間に位置するフェザーン
第四代フェザーン
「フェザーンへようこそジェシカ・エドワーズ嬢。かくも美しい方をお迎えできて光栄です」
ルビンスキーは舞台役者のように
「ありがとうございます、ルビンスキー補佐官」
ジェシカ・エドワーズは婚約指輪をつけた手を胸にあてて挨拶する。
「こちらが同盟政府の銀河帝国との和平案です」
「拝見いたします」
目を通しながら、これは長くかかりそうだとルビンスキーはあたりをつける。
銀河帝国はそもそも自由惑星同盟を国と認めていない。三〇〇年前に流刑星を脱走した犯罪者の子孫だ。今でも公式文書では自由惑星同盟のことを「叛乱軍」と記している。
自由惑星同盟を国家として認めるまでに帝国内でひと悶着。
公式な交渉のテーブルを作るまでに同盟と帝国の双方でふた悶着。
具体的な和平に向けての議論が始まるのはそれからだ。
「同盟としては時間がかかるのは覚悟の上です。それに──」
ジェシカは婚約指輪をなでて微笑む。
「プライベートでも婚約者にはわたしを待つよう申し渡してあります」
「それはそれは」
覚悟の決まったジェシカの目をみてルビンスキーは手強そうだと感じる。
(“聖女”と似た空気をまとっている。もしかすると何かつながりがあるかもしれんな)
フェザーン
それまでの地球教は地球に座す
当代のフェザーン
首席補佐官であるルビンスキーはそこまで楽観的にはなれない。名前しか知られていない地球の、名前すら知られていないローカルな宗教が一部の人間にだけこれほど強い影響力を維持できていることがおかしいのだ。そこには信仰とは異なるからくりが潜んでいるとルビンスキーはあたりをつけている。
ジェシカ・エドワーズという女の背景を調べるにあたっては、地球教との関係もチェックするようルビンスキーは心にとめておいた。
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フェザーンにある同盟の外交事務所が用意した宿泊施設は湖に面した別荘だった。
帝国の大富豪が
ルビンスキーとの対面を終えたジェシカは別荘で食事をとり、湖がみえる疑似露天風呂──特殊ガラスで覆われていて外からはみえない──をひとりで堪能したあと、介護機能満載の自動ベッドで眠りについた。
(ジェシカ)
声が聞こえた。“聖女”の声だ。姿はみえない。
「アンネローゼさん……ですよね? こちらで感じ取れるのは声だけですが」
(わたしもそうです。どうやら少しずつ距離が離れているようです)
物理的な距離でいえばジェシカはハイネセンからフェザーンにきているわけでアンネローゼとは近づいている。
「離れているのは心の……いえ、歴史の距離でしょうか」
(そうです。わたしたちが体験した歴史と、今いる歴史との分岐が広がっているのだと思います。これからはこうしてお話をすることも難しくなるでしょう)
ふたりが最初に出会った一〇年前はまるで目の前にいるかのように互いを感じられた。
眠るたびに会うことができたので、本来の目的とは違うおしゃべりもたくさんした。今では互いを姉妹のように感じている。
「さみしいことですが喜ばしくもありますね。そうそう、わたしのジャンが。ラップがアスターテから生きて還ってきたんですよ」
(おめでとうございます。あなたをわたしの都合に巻き込んでしまったことは今も申し訳なく思いますが、そのことを聞けてよかったです)
「よしてください。そもそも事故のようなものなのですから」
ジェシカが“最後”に見たものは、自分に振り下ろされる銃床だ。死ぬほど痛かった。いや死んだのだが。
目覚めたのは実家のベッドだった。体のどこにも怪我はなく、それどころか若くなっていた。混乱しながら一日を乗り切ったころにはこれが空想物語でよくみる「過去転生」であると
よくわからないまま眠り、そしてアンネローゼと出会った。
「わたしの死後の歴史もだいたいは──アンネローゼさんが生きていた時代のことは──教えていただけましたし、とても助かりました」
ラインハルトの死後、アンネローゼは国政にはかかわらずラインハルトとキルヒアイスの
ふたりの死は
そして地球教の根源へとたどり着いた。
八〇〇年前。地球統一政府はその末期にふたつの超技術を獲得していた。実用化に成功したのはそのうちのひとつ、完全でお手軽な洗脳技術だ。これは人格や記憶を根こそぎ書き換える力をもっていた。恐るべきことに、この洗脳技術を地球の権力者たちは自分たちに使っていた。己の人格を強化した権力者はどのような非道を行っても後悔することはなくなり、それがかえって地球統一政府を滅びへと導いた。
地球教はこの洗脳技術を受け継いでいた。自分たちの人格を強化し、他者を洗脳し、それらを使って帝国やフェザーンで暗躍した。
この事実を知ったアンネローゼは強い憤りを覚えた。そして懸念も抱いた。地球教はもしかしたら、もうひとつの超技術の実用化にも成功したのではないかと。
半世紀後にアンネローゼがたどり着いたとき、その超技術は実行される直前だった。
「それがこの過去への精神転移による歴史改変技術ですよね」
(そうです)
地球教が組織として壊滅するまで、そして壊滅したあとも自信満々で破滅的な活動を続けられたのは、歴史改変技術があったからこそだ。
何もかもをなかったことにできる力。
(わたしのキルヒアイスやラインハルト、そしてあなたのジャンさんやヤンさんたちが血と後悔で積み上げたすべてを、後だしで台無しにできる力です。そのようなことを許してはなりません)
「まあ、わたしたちが現在進行形でやっちゃってるんですが」
(それはいわない約束です)
過去転生した当初は、ふたりでさんざん議論を重ねたことだ。
今のように自分たちでやれる範囲ならやってしまっていいのではという結論がでたのは、過去転生したこの世界がどうも元の世界とは違うと気づいてからだ。
この世界の同盟にはアルテミスの首飾りがそもそもない。
この世界の帝国にはイゼルローン要塞はあるが、一度も戦っていない。
ひょっとしたら並行宇宙概念もあって、過去転生した自分たちが好き放題に歴史を捻じ曲げても、元の世界はそのままの歴史を重ねているのかもしれない。
「これからわたしはフェザーンで同盟と帝国の和平への道を探ります」
「わたしはラインハルトの手助けをしながら帝国が同盟と対話できるよう働きかけます」
二度とこのように夢で出会う機会はないかもしれない。
これまでのこと。そしてこれからのこと。ふたりはいつまでも話し合った。
どちらも生涯を独身で過ごしたので、結婚と子育てについては不安も語り合った。
やがて、終わりがきた。
「あ──」
(感じました。どうやら本当にお別れのようですね)
「アンネローゼさん。何度もいったし、何度もいうけど、ありがとう。感謝してます。未来がどうなるかもうわからなくなったし、これから失敗することもたくさんあるだろうけど、でもありがとう。だってわたしは、失敗すらできなくなってたんだから」
(わたしも感謝してます。あなたに会えなかったら、わたしはここでも同じ歴史を繰り返していたでしょう。たとえ無謀であろうと、戦うべき時に戦う勇気。あなたにはそれを教えられました。もう会うことはないでしょうが、どうかお
目覚めたとき、ジェシカは泣いていた。
涙をぬぐい、立ち上がる。窓辺にたち、特殊ガラス越しにフェザーンの湖をみる。
そして微笑みと決意をこめてつぶやく。
「もう会えない? そんなことはない──いつか会いに行ってみせる。ジャンと一緒に」