銀河英雄伝説GQuuuuuuX   作:銅大

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アスターテ会戦後の銀河宇宙 
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第2話

 銀河帝国皇帝フリードリヒ四世の朝は早い。薔薇の世話があるのだ。

 若いころは水晶と見紛うばかりに透明で壮麗な薔薇に入れ込んだこともあったが、年を重ねてからは素朴な薔薇を好むようになった。

 薔薇はよい。薔薇は気高く気難しいが、正しく世話をすれば美しい花を咲かせる。人間とは大違いだ。

 居城である(ノイエ)無憂宮(サンスーシー)には皇帝のための沈床(ちんしょう)式の薔薇園がある。朝食を摂る前に薔薇園を一巡りするのはフリードリヒ四世の日課であった。この時間帯は庭師すら薔薇園に入ることを許されない。

 だが、この朝は皇帝の背に呼びかける者がいた。

 

「陛下」

 

 年老いた廷臣の声に、背を向けたまま皇帝は答える。

 

「何か」

「ご不興をこうむるのを覚悟のうえで申しあげまするが……」

「叛徒どもの処分についてか?」

「はい。流刑星からの脱走行為は遠い祖先が行ったこととはいえ、これまでの罪を問わぬままお許しになるのはよろしくないと臣は愚考いたします」

難儀(なんぎ)なことよの。祖先が罪をおかせば、子々孫々まで(つぐな)わねばならぬか」

「祖先の罪だけではございませぬ。今代でも高貴なる血のものが何人も叛徒どもに(しい)されております。そのすべてをなかったことにしては国内の諸侯もおさまりがつきますまい」

「そうか」

 

 皇帝は薔薇の枝にある棘に細い指を伸ばす。触れはしない。

 権力とはこのようなもの。(じか)に触れれば刺さる。皇帝は園芸用腕輪(ブレスレット)を作動させ薔薇の手入れをする。肌の表面を覆う力場(フィールド)のおかげで棘は刺さらない。

 

「では方々(ほうぼう)(はか)ってよいようにせよ」

 

 権力とはこのようにあつかうもの。皇帝が命じれば反動は皇帝にくる。恨みだけではない。忠誠や敬愛の念すらも朽木(くちき)に等しい今のフリードリヒ四世が背負うには重すぎる。権力は臣下にふるわせるに限る。

 

「は。加えて今ひとつお願いが──」

 

 今朝のクラウスは案外と(ねば)る。

 意外に思い皇帝は薔薇の手入れを中断して後ろをふりかえる。

 国務(こくむ)尚書(しょうしょ)リヒテンラーデ候の銀色の頭頂部がみえた。

 

()皇孫(こうそん)殿下のことにございます」

「エルウィンか」

「は」

「あれについてはそちに任せておる。よいようにせよ」

 

 皇帝が皇位継承権で筆頭にあたる孫について語っているとは思えぬ物言いであった。言い回しはともかく声に突き放すほどの熱量はない。虚無に似た無関心のみがあった。

 続いてわずかな逡巡(しゅんじゅん)。たおやかで心優しい寵姫(ちょうき)母性(ママみ)に触れ続けるうちに乾いた心の中で何かが(ほだ)されたのか。皇帝は言い訳をするかのように言葉を続けた。

 

「もしあれが癇癪(かんしゃく)をおこして侍女に暴力をふるうようであれば、心を落ち着かせる薬を処方してやるがよい」

 

 皇孫であるエルウィン・ヨーゼフ二世はひどい癇癪(かんしゃく)持ちだ。世話をする侍女が暴れるエルウィンに青痣(あおあざ)をつけられたことも一度や二度ではない。

 

「ご心配にはおよびませぬ」

 

 リヒテンラーデ候の得意げな声。

 

()皇孫(こうそん)殿下におかれましては偉大なる陛下のもとで光輝ある帝国の治世を学びたいとのおおせでございます。そのためこたびの件で臣が諸侯とはかる場に列席して見学することを許していただきたい、とのことです」

「エルウィンが? そちに頼んだのか?」

「はい」

 

 薔薇園に沈黙がおりる。

 

「……あれについてはそちに任せておる。よいようにせよ」

 

 しばらくの後。

 皇帝は鸚鵡(おうむ)のように先の言葉を繰り返した。

 

+++++++++++

 ブラウンシュヴァイク公オットーとリッテンハイム候ウィルヘルムは政敵である。

 どちらも広い所領をもつ門閥貴族で、皇帝の息女と結婚して子をなしている。

 どちらも今の皇帝フリードリヒ四世が崩御したのちには娘を即位させ、みずからは摂政となる野心をもっている。

 これで仲良くなれるはずがない。ふたりが顔をあわせるのは皇帝の名で行われる公事(こうじ)に限られる。その場合も大勢の取り巻きを引き連れており、声をかわす距離まで近づくことすらない。

 そのふたりが(ノイエ)無憂宮(サンスーシー)の奥まった一室で、供ひとりつれることなく机ひとつをはさんで顔を合わせることとなった。

 

「これはこれは。こうして会うのは新年の参賀以来かな、リッテンハイム候」

「さようですな。どうやらお互い国務(こくむ)尚書(しょうしょ)に呼ばれたようで、ブラウンシュヴァイク公」

 

 白々しく笑顔で挨拶をかわしたふたりは、そろって険のある視線を部屋にいる三人目の人物に向けた。奥に続く重厚な扉を背にした銀髪の国務(こくむ)尚書(しょうしょ)慇懃(いんぎん)に頭を下げる。

 リヒテンラーデ候クラウスもまた皇帝の女婿(じょせい)ふたりの政敵である。

 皇帝フリードリヒ四世の信任が厚いことに加え、皇帝の孫であるエルウィン・ヨーゼフ二世を抱えているからだ。

 しかし門閥貴族ではない。若いころのフリードリヒ四世は放蕩(ほうとう)者で皇位を継ぐのは兄弟ふたりのどちらかだと考えられていたからだ。当時からの側近であったクラウスは宮廷貴族の出自で先祖伝来の所領は持たない。国務(こくむ)尚書(しょうしょ)としての権勢(けんせい)も今代限りと考えられている。

 そのリヒテンラーデ候から「帝国の未来について内密にお話したい」という使いがきたのは昨夜のこと。

 ブラウンシュヴァイク公もリッテンハイム候も権力基盤が弱いリヒテンラーデ候がついに大貴族である自分の派閥を頼る決断をしたのだと考えた。重力軽減装置を使わずとも浮き立つ思いで宮殿内の奥まった部屋にきてみれば、あろうことか対立派閥の領袖(りょうしゅう)が目の前にいるではないか。

 苦虫を噛み潰した政敵の顔をみれば、相手もまた自分と同じ内容の使いを受けてきているのは明白だった。

 

「リヒテンラーデ候。満足のいく弁明をいただけるのでしょうな」

「さよう。内容によっては国務(こくむ)尚書(しょうしょ)といえどただではすみませんぞ」

 

 大貴族ふたりに(すご)まれてもリヒテンラーデ候は泰然(たいぜん)としていた。

 

「騙し討ちをするような形になって申し訳ない。皇孫(こうそん)殿下が、おふたりにぜひお会いしたいとおっしゃられまして。こうしてお集まりいただいたのです」

皇孫(こうそん)殿下が?」

「五歳の殿下が我らに会いたいと申されたのか?」

 

 怒りや呆れよりも困惑が(まさ)った。

 宮殿内には蜘蛛の巣のように諜報の糸が張り巡らされている。

 エルウィン・ヨーゼフ二世が「両親がなく躾もされてない癇癪(かんしゃく)持ちの男児」であることはふたりとも知っている。

 知っているからこれまで軽んじてきた。自分の娘が女帝として次の帝位につく障害になるとは思わなかったからだ。そして派閥の領袖(ボス)が軽んじてる事柄については配下からの情報も薄く途切れがちだ。

 

(たしか一ヶ月前に突如として人事不省(じんじふせい)となり、三日間寝込んだのであったな)

(その後は回復し、健康状態にはなんら異常はないと)

 

 ふたりの脳裏に部下から受けた報告が同時に浮かんだ。

 その報告は部下が自分の目と耳で得た一次情報ではない。侍女や侍医、警備兵らという情報源からの二次、三次情報だ。(ノイエ)無憂宮(サンスーシー)は初代皇帝ルドルフによって建てられたが、権勢を誇るためあえて自動機械(オートマトン)に頼らぬ作りとなっている。情報はすべて人の目と耳が掴み口で伝えられる。()きる人間に濾過された(なま)の情報は思い込みや勘違いを多く含み、そのままではとても上に報告できるものにならない。時間と手間をかけて整理せねばならず、優先順位が低ければ後回しにされる。

 

(だが時間の問題だ。いずれ両者には報告が上がる。殿下のかわりようもバレよう。なら、まだ報告が上がる前にここは先手を打つ)

 

 銀髪の帝国宰相代理は奥の部屋へつづく扉をうやうやしくあける。

 ふたりの大貴族が床にひざまずき、(こうべ)をたれた。

 

+++++++++++

 (ノイエ)無憂宮(サンスーシー)からそれぞれの居城へ戻ったブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム候の言動は鏡に写したかのように同じだった。

 

「まったく。狡猾な銀狐(ぎんぎつね)めにしてやられたわ」

 

 銀狐はリヒテンラーデ候のあだ名だ。

 

「なにがあったのかはわからぬが、あれではまるで別人よ」

 

 五歳の男児と思えないエルウィン・ヨーゼフ二世のおとなびた立ち居振る舞いは、大貴族ふたりに強い印象を与えた。

 

「強い言葉で恫喝(どうかつ)して圧をかけてみたが笑顔で軽く受け流された。付け焼き刃の演技ではないな」

「あのまま成長すれば十歳には立太孫(りったいそん)の動きがあろう」

 

 皇孫エルウィン・ヨーゼフ二世は皇帝の血をひく唯一の男児だ。

 父である皇太子は薨去(こうきょ)しており、亡き母の出自が低かったこともあって皇太孫としては認められていない。

 そこに大貴族ふたりが野心を(はぐく)む下地があった。

 ふたりは将来は女帝の婿に迎えるという甘言を用いて自派閥への多数派工作を積極的に行っている。もちろん口約束であるが口説かれる相手もそれは承知のこと。見返りにどのような利益を引き出せるかの駆け引きこそが楽しいのだ。やってることは猿山の猿がボス猿を決める行為とさほどかわりはない。

 

「これまで皇統(こうとう)を継ぐ選択肢はふたつしかなかった。わしとやつの孫娘だ」

「どちらかがひとたび有利になれば、様子見をしていた連中も雪崩(なだれ)を打って支持に回ると思っておった」

「そこに第三の選択肢があるとなれば話は別。わしを勝たせぬためであれば、やつとて自分の娘を捨てて皇孫(こうそん)を推すであろうよ」

「もちろんわしもそうするがな。まったく頭の痛いことよ」

 

 空に神鴉(フギンとムニン)が飛んでいれば、合わせ鏡のようなふたりの大貴族が言葉や表情とは裏腹に生き生きとしていたと主神(オーディン)に報告したであろう。

 美酒も美食も望むがままの地位にあっては、そこに価値を見いだせない。

 同格の相手との政治闘争にこそ、価値がある。

 ふたりは謀臣(ぼうしん)を呼び集め“将来が楽しみな皇孫”という新たなカードを手に入れたリヒテンラーデ閥といかに対峙すべきか検討することにした。

 

「ん? あいつがおらんな」

 

 ここでブラウンシュヴァイク公だけが違う反応をみせた。公爵が信頼する懐刀(ふところがたな)のひとりがいないのだ。

 

「軍の命令で出向中だと? どこへだ?」

「先月から──菩提樹(リンデン・バウム)のお方さまの警備担当として」

 

 近習の“菩提樹(リンデン・バウム)のお方さま”という言い回しから、ブラウンシュヴァイク公は出向命令に許可をだした理由を思い出す。

 

「おお、そうであったな。あそこは外から探るにはガードがちと固い。あいつが中から探ってくれるのはありがたいことよ」

 

 皇孫がまだ五歳であることから考えても、リヒテンラーデ閥との本格的な争いはまだ先の話だ。それよりは現時点で皇帝に強い影響力をもつ“菩提樹(リンデン・バウム)のお方さま”の内情を探る方が優先する。

 

「あいつは軍人としても優秀な男。うまくすれば“菩提樹(リンデン・バウム)のお方さま”に取り入ることもできよう。しばらく放置でよい」

 

 “菩提樹(リンデン・バウム)のお方さま”とは、寵姫アンネローゼのこと。

 そこに出向となったブラウンシュヴァイク公の懐刀をアンスバッハ大佐という。

 

+++++++++++

 (ノイエ)無憂宮(サンスーシー)の一角に菩提樹(リンデン・バウム)がしげる湖がある。(ほとり)には館もある。

 軍の命令を受け“菩提樹(リンデン・バウム)のお方様”の元へ出向となったアンスバッハ大佐は、表面上は穏やかな日々を過ごしていた。

 警備状態の確認のため館の廊下を歩いているとよい匂いがした。続いて厨房からエプロンをかけた三人の女性が顔をだす。中央の女性がアンスバッハに声をかける。

 

「大佐、巴旦杏(すもも)のケーキを焼いてみましたの。お茶にいたしませんか」

「今は勤務時間中です」

「そうですか……」

「部下に預けていただければ休憩時間に皆でいただきます。それでよろしいでしょうか」

「はいっ。手作りなので皆さんの感想をお待ちしてますね」

 

 そういってアンスバッハの警備対象である寵姫アンネローゼは腕まくりをした格好のまま微笑んだ。かたわらにはマリーンドルフ伯爵令嬢と、短い癖毛の侍女がいる。

 アンネローゼに会釈をして背を向けたアンスバッハは、眉間に寄った皺を指でほぐしながらため息をついた。

 助けてくれ、と内心で思う。

 今のやり取りを誰かが外に漏らせば自分はどうなる。

 姉によく似た美貌と姉とは正反対の苛烈さをもつラインハルトが知れば、ただではすむまい。

 

「姉さんの手作りケーキだと? うらやましいものだな。では問おう。貴君はそれほど素晴らしい褒美を得るにたる、どのような功をあげたかを!」

 

 そしてアンスバッハが何を答えようとも有罪が確定し、側近のキルヒアイスが穏やかな笑顔を張り付かせたまま熱線銃(ブラスター)で胸を撃ち抜くだろう。なぜかはわからないが、そう思う。

 皇帝もそうだ。アンネローゼの母性(ママみ)にどっぷりと浸かったフリードリヒ四世がアンネローゼの母性(ママみ)を一介の大佐風情が振る舞われたと知ったとき、どのような反応をみせるか。普段は虚無の塊のような人物だけに、底がわからず恐ろしい。

 もしかしたら、アンネローゼの狙いはそこにあるのではないか。

 ブラウンシュヴァイク公の懐刀という市販のひげ剃りの替刃がごとき取り替え容易な自分を、己の手を汚さずに排除するためあえて巴旦杏(すもも)入りの手作りケーキを食べさせようとしているのでは。

 アンスバッハの推測には根拠もある。事前調査では彼の前任者は誰もそのようなおそろしい(うらやましい)目に遭っていないのだ。

 ちらと肩越しに後ろをみる。

 自分の背をじっと見つめるアンネローゼがいた。アンスバッハが振り返ったのに気づき、お茶目な笑みを浮かべ、小さく手をふりかえしてきた。

 軍人らしくまっすぐに伸びた背筋に悪寒が走る。アンスバッハは顔を戻すと足を早めて立ち去った。

 

+++++++++++

「ちっ」

 

 聞こえるはずのない舌打ちが聞こえた気がして、ヒルダは手をふる年上の友人を見た。

 視線に気づいたアンネローゼが、不思議そうにヒルダを見返す。

 

「どうかしましたか、ヒルダ?」

「いえ。その……」

「?」

 

 邪気のないアンネローゼの瞳に思わずたじろぐ。やはり聞き間違いか。

 だが自分の中に疑問はある。答えが得られないとしても放置しておくべきではない。

 

「アンネローゼさま。不躾(ぶしつけ)であることを承知の上で問います」

「はい」

「なぜ、あの大佐に手作りのケーキを振る舞おうとされたのです?」

 

 アンネローゼは優しい女性だ。それはこの館で働く全員が知っている。使用人はもちろん、館を警護する一兵卒に対しても見かければ会釈をし親しく声もかける。

 それでも。だとしても。アンスバッハ大佐に向ける優しさは、親しみの一線を越えている。

 

「前任の警備担当の中佐には、このようなことはなさらなかったですよね」

「あの方は太り気味で糖尿の傾向があり奥様におやつを禁止されてましたから」

「そうだったんですか……いや、そういう意味で聞いたのではなくて……」

「ふふっ、もちろんヒルダが聞きたいことはわかってますよ。そうですね、どう説明すればいいものか……」

 

 アンネローゼは考えをまとめるため(まぶた)を閉じた。

 前世においてアンスバッハはジークを──ジークフリード・キルヒアイスを殺した男だ。

 貴族連合との内戦の最終盤、アンスバッハはブラウンシュヴァイク公の亡骸(なきがら)を利用してラインハルトを暗殺せんと近づき、キルヒアイスに阻止された。そのときにキルヒアイスは死亡し、アンスバッハも自害して果てた。

 アンネローゼの中に深い悲しみはあるがアンスバッハを恨む気持ちはなかった。

 それは過去転生した今も同じである。

 しかし、魂の共有者ともいうべきジェシカ・エドワーズに一連の出来事を語ったとき、放置しておくのはよくないと説得されたのだ。

 前世で音楽教師をしていたジェシカは子供たちが好む空想物語に詳しかった。

 

「歴史の復元力を甘くみてはいけません」

「はあ」

「過去を変えようとしたのに、状況を変えても同じことが起きてしまう。これを歴史の復元力といいます。聞けばアンスバッハさんという方は主君への忠誠からそのような暴挙におよんだのですよね。彼の主君の……えーと、ブラなんとか公爵は今生(こんじょう)歴史(ルート)では破滅せずにすみそうなのですか?」

「難しいですね。貴族連合との内戦は防ぐつもりですが、ご本人が権力闘争が大好きな方なので……」

「あー、自由惑星同盟(こっち)でいうヨブ・トリューニヒトのような男ですね。わかります。政局大好きというのをこえて、政局を泳ぎ続けないと窒息死しちゃう遠洋回遊魚(マグロ)みたいな人格異常者。いるんですよね、存在するだけで迷惑なのが」

 

 前世で自分が死ぬ原因にもなったので、ジェシカのトリューニヒトに対するあたりは(キツ)い。笑顔で聞かないふり(スルー)である。

 

「ブラなんとか公は自分から火に飛び込んで丸焼けになる習性を持ってるようですので放置しましょう。ですがそのアンスバッハさんはブラ公から引き剥がすのが本人のためでもあると思いますよ」

「引き剥がす……どうやって?」

「アンスバッハさんは帝国軍人ですよね。(ラインハルト)さんの部下にはできませんか」

「それは難しいですね」

 

 帝国軍は正規軍と貴族軍のふたつの組織が融合した存在だ。

 徴兵された若者がどちらに割り振られるかは本貫星(ほんがんち)で決まる。帝国直轄領の出身であれば正規軍に。貴族領の出身であれば貴族軍だ。訓練や装備は共通だが、指揮系統は違う。将校レベルであれば流動性もあるが、兵卒にはない。

 アンスバッハはブラウンシュヴァイク公が領有する星のひとつで生まれた。平民階級だった彼は貴族軍に徴兵され三年を現役兵として過ごしたのち民間人に戻る予定(はず)だった。

 しかし召集された新兵時代に訓練用の小惑星基地が宇宙(スペース)馬賊(バンディット)の襲撃を受けたことでアンスバッハの人生は大きく変わる。宇宙(スペース)馬賊(バンディット)の奇襲により教官を含む現役兵が全滅しアンスバッハは生き残った新兵を率いて小惑星の内部へ逃げ込んだ。追いかけてきた宇宙(スペース)馬賊(バンディット)もろとも小惑星(アステロイド)破砕爆薬(クラッカー)で小惑星を破壊し、混乱に乗じて賊の宇宙船の一隻を奪って逃走に成功。たまたまその宇宙船には修学旅行中を宇宙(スペース)馬賊(バンディット)にさらわれた名門女子校の一団が囚われており、そのひとりがブラウンシュヴァイク公の傍系であったことで士官への道が開けた。

 

「そういうことですので帝国正規軍の命令といえど本貫星(ほんがんち)の領主、この場合はブラウンシュヴァイク公の許可がなければアンスバッハ大佐を(ラインハルト)の部下にはできないのです。どうしましたジェシカさん? 思念体の頭を抱えて?」

「なんという主人公(まきこまれ)体質か……アンネローゼさん、絶対にアンスバッハさんを放置してはいけません。いかなる手を使っても。なんとしても今のうちに味方にしておくべきです」

「うーん、(ラインハルト)が頼れないとなりますと……」

 

 アンネローゼは(まぶた)を開いた。

 不安そうに自分をみる未来の皇妃(候補)へ、自信に満ちた笑顔をみせる。

 

餌付(えづ)け、でしょうか」

「はい? ブラウンシュヴァイク公爵の懐刀の大佐をですか? 手作りケーキで?」

「大丈夫です。前例(ジーク)もあります」

 

 うわこれはダメだとヒルダは思い、なんとか説得すべく一緒にケーキを作った短い癖毛の侍女に応援を求めようとした。アンネローゼを“聖女さま”と呼ぶ、どことなく不可解(ミステリアス)なところのある少女だが、これまでの行いから忠誠心に疑いはない。名前はルナ。

 

「ルナちゃん。あなたからもいってあげて。うまくいきっこないって──あれ? ルナちゃん?」

 

 そこにいたはずの侍女の姿は音もなく消えていた。

 

+++++++++++

 巡回コースを変えて菩提樹(リンデン・バウム)の庭に入ったアンスバッハは、屋敷の窓からは見えない位置に来たことを確認して足を止めた。

 振り返る。

 

「ここならいいだろう。姿をみせろ囚人(プリズナー)六号(ナンバーシックス)

「わたしを番号で呼ぶな」

 

 くりくりとした愛らしい瞳を泥のように濁らせ、侍女が木陰から出てきた。

 

「ここは識別名(コールサイン)の方がふさわしいと思ったのでそう呼んだのだが、ルナという偽名の方がよかったのか?」

「偽名じゃない!」

 

 侍女が激昂して叫ぶ。

 スカートが一瞬だけめくれ、侍女は両手に三日月をふたつ交差させた形状の武器を握った。鴛鴦鉞(えんおうえつ)という武具だ。

 

「ルナは聖女さまがつけてくれた名だ。わたしの本当の名だ。偽名じゃない」

「それはすまなかった、ルナ」

謝罪(ごめんなさい)は受け入れる。わたしはいい子なので」

「なら武器もしまってくれないか」

「それとこれとは別」

 

 侍女は両足を大きく広げ腰を落とした構えでアンスバッハを(にら)む。

 さて困った、とアンスバッハは本気で悩む。

 “菩提樹(リンデン・バウム)のお方さま”が地球教と呼ばれる怪しげな宗教団体において“聖女”という役についていることは調べがついている。

 目の前にいる少女についても調べは尽くしてる。

 少女は地球教がオーディンに作った拠点のひとつで孤児院に見せかけたテロリスト訓練施設の出身だ。出産前に生体改造を施された異能(タレント)の持ち主。施設での識別名は囚人(プリズナー)六号(ナンバーシックス)。暗殺者として育てられていたが八年前に施設ごと“聖女”の所有物となった。その時に与えられた名前がルナだ。書類では一八歳として登録されているが一五歳未満。

 訓練施設が制圧された八年前に侍女(ルナ)を含む十二人が“聖女”の所有物となったが地球教の別派閥との抗争によってこれまで七人が死んでいる。残る五人のうち三人は現時点での所在が掴めておらず、侍女と庭師のみが“聖女”ことアンネローゼの私的な護衛として菩提樹(リンデン・バウム)の館に住んでいる。

 

「それとこれとは別、といったが」

「ん」

「すまない。きみがわたしに何を望んでいるのかがわからない。わたしはどうすれば許してもらえるだろう」

 

 アンネローゼと館の公的(オフィシャル)な警備担当であるアンスバッハは、私的(プライベート)な護衛である侍女(ルナ)と対立するつもりはまったくない。

 むしろ、お互いに補い合える関係になれればよいと考えている。出向する前のブラウンシュヴァイク公爵との打ち合わせでも現時点でアンネローゼが害されるのは望ましくないと結論がでている。寵姫個人への好悪の感情からではなく“菩提樹(リンデン・バウム)のお方さま”というカードがある方が政治闘争の自由度が広がるためだ。

 

「許す? 何を?」

「おい」

 

 ここは主従ともに問題が多(ポンコツ)すぎるとアンスバッハは思う。

 

「わたしを尾行し、武器まで向けてるのはルナの方だぞ」

「そうだった」

 

 うんうん、と侍女がうなずく。

 

「おまえの主のブランシュ、ブラシュバ、ブラシュバイク」

「ブラウンシュヴァイク公爵」

「そうそれ。それの家臣をやめて聖、じゃなかった女主人(おんなあるじ)さまの家臣になれ」

「お方さまがそういったのか?」

「ちがう。これはわたしの考え。でも女主人(おんなあるじ)さまはおまえが味方になってくれたら心強いといってた」

「いつだ?」

「寝る前。髪をブラシで(くしけず)りながら」

「盗み聞きは感心しないな、ルナ」

「盗み聞きじゃない。髪を()いてもらってたのはわたし。わたし癖っ毛だからすぐ跳ねる」

 

 侍女に鴛鴦鉞(えんおうえつ)で脅されてるこの状況はともかく、要求そのものはアンスバッハの想定の範囲内だ。

 アンスバッハ大佐がブラウンシュヴァイク公爵の謀臣のひとりであることはよく知られている。その彼を名指しで菩提樹(リンデン・バウム)の館の警備主任に任じようとしたのだから、引き抜きはあり得ることだ。

 

「お断りしよう」

「どうして? おまえの今の(あるじ)は悪いヤツ。でも女主人(おんなあるじ)さまは優しい。こっちにつく方が絶対にお得」

 

 ブラウンシュヴァイク公爵にこれまで会ったこともこれから会うこともないであろう少女が義憤をこめて「悪いヤツ」というのを聞いてアンスバッハは愉快に思う。

 間違っているからではない。彼の主君であるブラウンシュヴァイク公爵は正しく「悪いヤツ」だ。アンスバッハも主君の悪事の片棒を担いできた自覚がある。

 では「悪いヤツ」は、悪だけで塗りつぶされた存在なのか。

 アンスバッハは新兵時代の出来事を思い出す。彼が戦った宇宙(スペース)馬賊(バンディット)は「悪いヤツ」だった。小惑星の訓練施設を襲撃して教官ら百人以上を殺害し、アンスバッハら訓練中の新兵たちもあわや皆殺しにされるところだった。

 反撃し宇宙(スペース)馬賊(バンディット)の宇宙船を一隻奪って逃走したとき、アンスバッハは「悪いヤツ」が壁に飾った絵を見つけた。稚拙な絵には宇宙船と銃をもった男、そして母と子の姿が描かれていた。

 「悪いヤツ」にも愛する人が、家族がいる。守るべき友が、仲間がいる。

 境界線の問題だ。銀河系に四〇〇億を数えるヒトの群れの中でどのように境界線を引いて分けるのか。自分の愛する人は誰で、家族は誰と誰で、守るべき友と仲間はどこからどこまでなのか。

 「悪いヤツ」は自分が引いた境界線の外に優しさや(いたわ)りを向けない。境界線の内にいる相手には親しく接しても、境界線の外にいる相手がどうなっても気にならない。

 アンスバッハがどちらであるかはいうまでもない。家族がいる宇宙(スペース)馬賊(バンディット)を小惑星ごと粉砕して殺したのに、心がいたまないのだから。

 

「残念だけどわたしは悪いヤツだ。ルナの女主人(おんなあるじ)さまに仕えることはできない」

 

 己の人生への誇りと自信そして一抹(いちまつ)寂寥(せきりょう)を込めたアンスバッハの言葉に侍女が何かを返す間もなく──

 

 轟音と衝撃波が菩提樹(リンデン・バウム)の湖畔を駆け抜けた。

 

+++++++++++

 衝撃波で意識が飛んだのは一瞬だけ。

 目覚めたルナは素早く自分の状態を確認する。手足は動く。メイド服はズタボロだが戦闘行動に支障なし。耳はすごく痛い。

 軍服を着た男の体がルナの上にかぶさっている。アンスバッハだ。背中にはいくつもの破片が刺さっている。

 

「ありがとう。おまえのおかげで助かった」

 

 ルナは素直ないい子なので感謝の言葉は忘れない。

 

「でも邪魔。どけ」

 

 アンスバッハの体を横に押しのけ、ルナは立ちあがる。

 一歩前へ。敵対生物を確認。菩提樹(リンデン・バウム)に擬態していた肉食植物(トリフィド)だ。アンスバッハの背に刺さってる破片は、擬態をといた時のもの。

 

「庭師、仕事しろ」

 

 ペッ、と血の混じった(つば)を吐き捨てる。

 くりくりした瞳でにらむ正面には、肉食植物(トリフィド)

 ルナの後ろから、痛みをこらえた声が聞こえる。

 

肉食植物(トリフィド)だと? なぜ(ノイエ)無憂宮(サンスーシー)にこんな危険生物が……」

「銃を使うな!」

 

 アンスバッハが驚いて動きを止めるのが“聞こえた”。

 

「あいつはゼッフル粒子をばら撒いてる。ここで銃は使えない」

 

 鴛鴦鉞(えんおうえつ)を構えてルナは肉食植物(トリフィド)に近づく。

 無謀だ、とアンスバッハは思う。鴛鴦鉞(えんおうえつ)は対人格闘戦の武器だ。間合いは短く植物を刈るようにはできていない。

 左右から。上下から。小柄な侍女めがけて肉食植物(トリフィド)花弁(むち)を打ち込む。肉食植物(トリフィド)はぜんまいのように(ねじ)りに(ねじ)った花弁(むち)で包んだ(つぼみ)をつける。一輪開花するたび、何本もの花弁(むち)がルナを襲う。

 

「邪魔」

 

 末端速度で音速を超える花弁(むち)をルナは両手の鴛鴦鉞(えんおうえつ)で余裕をもって迎撃する。事前にどこから花弁(むち)が飛んでくるかわかっているかのように。

 いや、とアンスバッハは囚人(プリズナー)番号(ナンバー)シリーズについての報告書を思い出す。生身で装甲服(アーマースーツ)を着用した装甲(パンツァー)擲弾兵(グレナディア)と戦える力を持ち、番号(ナンバー)それぞれに異能(タレント)を保有している。

 六号(ナンバーシックス)ことルナの異能(タレント)は“耳”だ。

 ルナが肉食植物(トリフィド)に向け一歩踏み出す。

 肉食植物(トリフィド)(つぼみ)の拘束帯が外れる。続いて花弁(むち)が飛び出す。花弁(むち)の軌道上に鴛鴦鉞(えんおうえつ)が待ち構えている。

 ルナの“耳”は(つぼみ)の拘束帯が外れる音を聞いているのだ。

 

「だとしても尋常の反応速度ではない。さすがだな」

 

 アンスバッハの賞賛のつぶやきも聞こえている。

 ルナは小鼻をむふー、とふくらませた。

 さらに二歩を重ねると肉食植物(トリフィド)はもう目の前。(つぼみ)花弁(むち)は近すぎて使えない。手詰まり(ステイルメイト)だ。

 けれどそれはルナも同じこと。肉食植物(トリフィド)には脳や心臓のような致命傷となる器官が存在しない。

 ここからどうするのか。

 

「ふんっ」

 

 侍女は無造作に右手に握った鴛鴦鉞で自身の左手首を切った。噴き出した血が肉食植物(トリフィド)を赤く染める。

 するとどうしたことか。

 肉食植物(トリフィド)が悲鳴にも似た軋みをあげはじめた。花弁(むち)がのたうち、周囲の地面を叩いてえぐる。

 ルナの血がよほどの猛毒であったのか。肉食植物(トリフィド)はみるみる黒ずみ、枯れた。

 ルナは振り向くとアンスバッハに向け右手で親指をたててみせた。

 

「駆除かんりょ……」

 

 言い終える前に小柄な体がぐらっ、と傾いた。

 地面に倒れる前にアンスバッハが抱きとめる。

 

「無茶をする」

 

 左手首を確認する。すでに血は止まっていた。それどころか傷さえ塞がっている。

 

「生体ナノマシン……この目で見るまではオカルト話だと思っていた。地球教はこんな超技術をどこで手に入れたんだ」

 

 囚人(プリズナー)番号(ナンバー)シリーズを生み出した地球教は名前のとおり人類の故郷である地球を信仰の対象としている。

 しかし地球は帝国から統治を放棄されるほどの(ひな)びた田舎の星だ。人口も少なく産業もない。

 

「……知りたいか? なら教える」

 

 アンスバッハの腕に抱かれたルナが、黒い瞳で見上げていた。

 

「いいのか? わたしは悪いヤツだぞ」

「おまえはよい悪いヤツ」

 

 矛盾したことを平気で口にする。

 

「とおいとおいむかし。母なる星にはすべてがあった。でもケチで誰にもわけあたえなかったから、他の星がみなで母なる星に攻め込み、焼き払った」

「その話、長くなるんじゃないだろうな。背中の怪我を治療したいんだが」

「我慢しろ。痛み止めくらいしてやる」

 

 ルナはアンスバッハの頬を両手で挟むと顔を近づけ唇を重ねた。

 口の中に血が混じった唾液を流し込まれる。

 

「……驚いたな。痛みが消えた」

嫦娥(じょうが)が生きてたら傷も治せた。わたしでは痛みを麻痺させるだけ」

 

 アンスバッハは嫦娥(じょうが)とは囚人(プリズナー)二号(ナンバーツー)のことかとあたりをつける。報告書では即死に近い負傷であっても仮死状態にして蘇生につなげることができる異能(タレント)の持ち主とあった。聖女の下で初期に死亡した異能の持ち主だ。

 

「母なる星は……ええっと……自分を焼いた星々(こどもたち)にしかえしすることにした」

 

 いろいろ説明が面倒になったな、とアンスバッハは思う。

 

「でも力がない。だからひとりの男に目をつけた。そいつが心の底から欲しているものをあたえるかわりに、しかえしを手伝わせようとした。でも失敗した」

 

 それはそうだろうな、とアンスバッハは思う。今の帝国で地球と地球教が裏に隠れていることを考えれば、うまくいったはずがない。

 

「男が欲したのは無敵の血統。健康な肉体。強靭な精神。不老に近い長寿。子々孫々まで繁栄を続ける最強の遺伝子配列(トリプレックスコード)。男はその力で銀河に永遠に君臨する王朝を生み出そうとした。でも失敗した」

 

 のぞきこむ黒い瞳はまるで深淵のよう。

 

「男の名をルドルフ・ゴールデンバウムという」

 

+++++++++++

 少年の祖父は子作りに熱心であった。好色の気もおおいにあったろうが至尊(しそん)の地位にあるものが子孫(しそん)を残すのは義務であったから当然のことだ。

 女性を妊娠させた数、なんと二八回。

 六回流産、九回死産、誕生した一三人も生後一年以内に四人、成人までに五人、成人後に少年の父親を含む二人が死亡している。今も生き残っているのは娘二人のみ。

 

死屍累々(ししるいるい)。まったく無惨なことだね」

 

 少年はくつくつと笑う。広い寝台の上で。子供は寝る時間だ。

 

「ホモ・サピエンスという種にとって寿(ことほ)ぐべきことなのが笑えるけど」

 

 五〇〇年前。愚かな男が望んだ無敵の超人遺伝子。世代をこえるたび不具合(バグ)修正(フィックス)を続けた遺伝子配列(トリプレックスコード)がいよいよ完成しようとしている。

 

「でもねえ。いくら(ボディ)だけ完成してもダメなんだなぁこれが。中に入れる(スピリット)が脆弱なままじゃぁ(ボディ)を使いこなせない。むしろ壊れちゃう」

 

 その意味で少年の祖父の(スピリット)は強靭であった。六〇を超えた今も壊れることなく生命活動を継続中なのだから。常人並の(ボディ)をもって産まれていればどれほどの才を発揮したことか。

 恨むなら五〇〇年前に愚かな約束をした祖先を恨んでほしい。

 

「アイツとの約束は超人遺伝子を作り出すこと。ぼくはちゃんと約束を守ったよ。(ボディ)に入れる(スピリット)がアイツの子孫ではなくぼくだってことをうっかりいい忘れただけで」

 

 少年は薄い胸に手をあてる。この(ボディ)を手に入れるため元の(スピリット)には退場願ったが予想外に手こずった。もう少し楽に転生(インストール)できるものと思ったが、手強かった。(スピリット)放逐(セイヴァー)には転生(インストール)馴れした彼をして苦戦させられた。

 その過程で手に負えない癇癪(かんしゃく)もちの悪童と周囲に印象付けてしまったことは不本意でもあった。

 

「こいつ今もどこかに隠れてそうなんだよね。(スピリット)の素質だけでいうなら、おじいちゃん以上じゃないかなぁ。まあ、さすがにもう悪さはできないだろうけど。この(ボディ)はぼくのものだ」

 

 少年は寝台の脇の机に置かれた水差しに指を向けた。

 水差しが持ち上がりコップに水を入れる。コップが空中を飛び少年の手元へと届く。

 水を飲んで、ふ、と笑う。

 

「苦労した甲斐はあったよ。これは歴代(ボディ)でも最強だ。欲をいえばいま少し(ボディ)が成長してから転生(インストール)したかったけど……」

 

 “聖女”の存在が銀河のチェスゲームを変えつつある。

 このままいけば遠からず銀河帝国と自由惑星同盟の講和は成る。

 そうなってからこの(ボディ)を手に入れたところで、できることは限られる。

 大過(たいか)なく一生を終えてもいいが、それではつまらない。

 

「“聖女”の行動パターンからみるに彼女は未来から過去へ転生、それも自分自身へ転生した存在だ。この技術をそんな風に使う発想はなかったな。しかしまあ、そうであるのならぼくの敵じゃないね」

 

 少年の(スピリット)は過去から未来へ何代も時を重ねてきた。

 五〇〇年前。ルドルフ・ゴールデンバウムと出会った段階ですでに少年の(スピリット)は四〇〇年近い人生を(けみ)していた。

 常人であれば時の重みにとうに発狂している。だが洗脳技術によって己の自我(エゴ)を極限まで強化した(スピリット)にとっては一〇〇〇年の時の流れも()むに足りない。

 

転生(インストール)仲間に会うのは三〇〇年ぶりかな。やはり戦いは同格の存在でないとね。せっかくだし楽しませてもらおう」

 

 どう遊ぶ(あらそう)かを少年は考え、よいことを思いつく。

 

「超人遺伝子はぼくの子の代で完成する。いよいよ不老不死で不滅の(ボディ)が誕生するんだ。ぼくを転生(インストール)させる最高で最後の(ボディ)は“聖女”に産んでもらおう。そうだ、それがいい!」

 

 少年は(おさな)さの残る(かんばせ)を邪悪に歪めケラケラと笑う。

 一〇〇〇年の人生を経た(スピリット)を宿した五歳の少年。

 銀河帝国皇帝の孫、エルウィン・ヨーゼフ二世はいつまでも笑い続けた。

 

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