銀河帝国皇帝フリードリヒ四世の朝は早い。薔薇の世話があるのだ。
若いころは水晶と見紛うばかりに透明で壮麗な薔薇に入れ込んだこともあったが、年を重ねてからは素朴な薔薇を好むようになった。
薔薇はよい。薔薇は気高く気難しいが、正しく世話をすれば美しい花を咲かせる。人間とは大違いだ。
居城である
だが、この朝は皇帝の背に呼びかける者がいた。
「陛下」
年老いた廷臣の声に、背を向けたまま皇帝は答える。
「何か」
「ご不興をこうむるのを覚悟のうえで申しあげまするが……」
「叛徒どもの処分についてか?」
「はい。流刑星からの脱走行為は遠い祖先が行ったこととはいえ、これまでの罪を問わぬままお許しになるのはよろしくないと臣は愚考いたします」
「
「祖先の罪だけではございませぬ。今代でも高貴なる血のものが何人も叛徒どもに
「そうか」
皇帝は薔薇の枝にある棘に細い指を伸ばす。触れはしない。
権力とはこのようなもの。
「では
権力とはこのようにあつかうもの。皇帝が命じれば反動は皇帝にくる。恨みだけではない。忠誠や敬愛の念すらも
「は。加えて今ひとつお願いが──」
今朝のクラウスは案外と
意外に思い皇帝は薔薇の手入れを中断して後ろをふりかえる。
「
「エルウィンか」
「は」
「あれについてはそちに任せておる。よいようにせよ」
皇帝が皇位継承権で筆頭にあたる孫について語っているとは思えぬ物言いであった。言い回しはともかく声に突き放すほどの熱量はない。虚無に似た無関心のみがあった。
続いてわずかな
「もしあれが
皇孫であるエルウィン・ヨーゼフ二世はひどい
「ご心配にはおよびませぬ」
リヒテンラーデ候の得意げな声。
「
「エルウィンが? そちに頼んだのか?」
「はい」
薔薇園に沈黙がおりる。
「……あれについてはそちに任せておる。よいようにせよ」
しばらくの後。
皇帝は
+++++++++++
ブラウンシュヴァイク公オットーとリッテンハイム候ウィルヘルムは政敵である。
どちらも広い所領をもつ門閥貴族で、皇帝の息女と結婚して子をなしている。
どちらも今の皇帝フリードリヒ四世が崩御したのちには娘を即位させ、みずからは摂政となる野心をもっている。
これで仲良くなれるはずがない。ふたりが顔をあわせるのは皇帝の名で行われる
そのふたりが
「これはこれは。こうして会うのは新年の参賀以来かな、リッテンハイム候」
「さようですな。どうやらお互い
白々しく笑顔で挨拶をかわしたふたりは、そろって険のある視線を部屋にいる三人目の人物に向けた。奥に続く重厚な扉を背にした銀髪の
リヒテンラーデ候クラウスもまた皇帝の
皇帝フリードリヒ四世の信任が厚いことに加え、皇帝の孫であるエルウィン・ヨーゼフ二世を抱えているからだ。
しかし門閥貴族ではない。若いころのフリードリヒ四世は
そのリヒテンラーデ候から「帝国の未来について内密にお話したい」という使いがきたのは昨夜のこと。
ブラウンシュヴァイク公もリッテンハイム候も権力基盤が弱いリヒテンラーデ候がついに大貴族である自分の派閥を頼る決断をしたのだと考えた。重力軽減装置を使わずとも浮き立つ思いで宮殿内の奥まった部屋にきてみれば、あろうことか対立派閥の
苦虫を噛み潰した政敵の顔をみれば、相手もまた自分と同じ内容の使いを受けてきているのは明白だった。
「リヒテンラーデ候。満足のいく弁明をいただけるのでしょうな」
「さよう。内容によっては
大貴族ふたりに
「騙し討ちをするような形になって申し訳ない。
「
「五歳の殿下が我らに会いたいと申されたのか?」
怒りや呆れよりも困惑が
宮殿内には蜘蛛の巣のように諜報の糸が張り巡らされている。
エルウィン・ヨーゼフ二世が「両親がなく躾もされてない
知っているからこれまで軽んじてきた。自分の娘が女帝として次の帝位につく障害になるとは思わなかったからだ。そして派閥の
(たしか一ヶ月前に突如として
(その後は回復し、健康状態にはなんら異常はないと)
ふたりの脳裏に部下から受けた報告が同時に浮かんだ。
その報告は部下が自分の目と耳で得た一次情報ではない。侍女や侍医、警備兵らという情報源からの二次、三次情報だ。
(だが時間の問題だ。いずれ両者には報告が上がる。殿下のかわりようもバレよう。なら、まだ報告が上がる前にここは先手を打つ)
銀髪の帝国宰相代理は奥の部屋へつづく扉をうやうやしくあける。
ふたりの大貴族が床にひざまずき、
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「まったく。狡猾な
銀狐はリヒテンラーデ候のあだ名だ。
「なにがあったのかはわからぬが、あれではまるで別人よ」
五歳の男児と思えないエルウィン・ヨーゼフ二世のおとなびた立ち居振る舞いは、大貴族ふたりに強い印象を与えた。
「強い言葉で
「あのまま成長すれば十歳には
皇孫エルウィン・ヨーゼフ二世は皇帝の血をひく唯一の男児だ。
父である皇太子は
そこに大貴族ふたりが野心を
ふたりは将来は女帝の婿に迎えるという甘言を用いて自派閥への多数派工作を積極的に行っている。もちろん口約束であるが口説かれる相手もそれは承知のこと。見返りにどのような利益を引き出せるかの駆け引きこそが楽しいのだ。やってることは猿山の猿がボス猿を決める行為とさほどかわりはない。
「これまで
「どちらかがひとたび有利になれば、様子見をしていた連中も
「そこに第三の選択肢があるとなれば話は別。わしを勝たせぬためであれば、やつとて自分の娘を捨てて
「もちろんわしもそうするがな。まったく頭の痛いことよ」
空に
美酒も美食も望むがままの地位にあっては、そこに価値を見いだせない。
同格の相手との政治闘争にこそ、価値がある。
ふたりは
「ん? あいつがおらんな」
ここでブラウンシュヴァイク公だけが違う反応をみせた。公爵が信頼する
「軍の命令で出向中だと? どこへだ?」
「先月から──
近習の“
「おお、そうであったな。あそこは外から探るにはガードがちと固い。あいつが中から探ってくれるのはありがたいことよ」
皇孫がまだ五歳であることから考えても、リヒテンラーデ閥との本格的な争いはまだ先の話だ。それよりは現時点で皇帝に強い影響力をもつ“
「あいつは軍人としても優秀な男。うまくすれば“
“
そこに出向となったブラウンシュヴァイク公の懐刀をアンスバッハ大佐という。
+++++++++++
軍の命令を受け“
警備状態の確認のため館の廊下を歩いているとよい匂いがした。続いて厨房からエプロンをかけた三人の女性が顔をだす。中央の女性がアンスバッハに声をかける。
「大佐、
「今は勤務時間中です」
「そうですか……」
「部下に預けていただければ休憩時間に皆でいただきます。それでよろしいでしょうか」
「はいっ。手作りなので皆さんの感想をお待ちしてますね」
そういってアンスバッハの警備対象である寵姫アンネローゼは腕まくりをした格好のまま微笑んだ。かたわらにはマリーンドルフ伯爵令嬢と、短い癖毛の侍女がいる。
アンネローゼに会釈をして背を向けたアンスバッハは、眉間に寄った皺を指でほぐしながらため息をついた。
助けてくれ、と内心で思う。
今のやり取りを誰かが外に漏らせば自分はどうなる。
姉によく似た美貌と姉とは正反対の苛烈さをもつラインハルトが知れば、ただではすむまい。
「姉さんの手作りケーキだと? うらやましいものだな。では問おう。貴君はそれほど素晴らしい褒美を得るにたる、どのような功をあげたかを!」
そしてアンスバッハが何を答えようとも有罪が確定し、側近のキルヒアイスが穏やかな笑顔を張り付かせたまま
皇帝もそうだ。アンネローゼの
もしかしたら、アンネローゼの狙いはそこにあるのではないか。
ブラウンシュヴァイク公の懐刀という市販のひげ剃りの替刃がごとき取り替え容易な自分を、己の手を汚さずに排除するためあえて
アンスバッハの推測には根拠もある。事前調査では彼の前任者は誰もそのような
ちらと肩越しに後ろをみる。
自分の背をじっと見つめるアンネローゼがいた。アンスバッハが振り返ったのに気づき、お茶目な笑みを浮かべ、小さく手をふりかえしてきた。
軍人らしくまっすぐに伸びた背筋に悪寒が走る。アンスバッハは顔を戻すと足を早めて立ち去った。
+++++++++++
「ちっ」
聞こえるはずのない舌打ちが聞こえた気がして、ヒルダは手をふる年上の友人を見た。
視線に気づいたアンネローゼが、不思議そうにヒルダを見返す。
「どうかしましたか、ヒルダ?」
「いえ。その……」
「?」
邪気のないアンネローゼの瞳に思わずたじろぐ。やはり聞き間違いか。
だが自分の中に疑問はある。答えが得られないとしても放置しておくべきではない。
「アンネローゼさま。
「はい」
「なぜ、あの大佐に手作りのケーキを振る舞おうとされたのです?」
アンネローゼは優しい女性だ。それはこの館で働く全員が知っている。使用人はもちろん、館を警護する一兵卒に対しても見かければ会釈をし親しく声もかける。
それでも。だとしても。アンスバッハ大佐に向ける優しさは、親しみの一線を越えている。
「前任の警備担当の中佐には、このようなことはなさらなかったですよね」
「あの方は太り気味で糖尿の傾向があり奥様におやつを禁止されてましたから」
「そうだったんですか……いや、そういう意味で聞いたのではなくて……」
「ふふっ、もちろんヒルダが聞きたいことはわかってますよ。そうですね、どう説明すればいいものか……」
アンネローゼは考えをまとめるため
前世においてアンスバッハはジークを──ジークフリード・キルヒアイスを殺した男だ。
貴族連合との内戦の最終盤、アンスバッハはブラウンシュヴァイク公の
アンネローゼの中に深い悲しみはあるがアンスバッハを恨む気持ちはなかった。
それは過去転生した今も同じである。
しかし、魂の共有者ともいうべきジェシカ・エドワーズに一連の出来事を語ったとき、放置しておくのはよくないと説得されたのだ。
前世で音楽教師をしていたジェシカは子供たちが好む空想物語に詳しかった。
「歴史の復元力を甘くみてはいけません」
「はあ」
「過去を変えようとしたのに、状況を変えても同じことが起きてしまう。これを歴史の復元力といいます。聞けばアンスバッハさんという方は主君への忠誠からそのような暴挙におよんだのですよね。彼の主君の……えーと、ブラなんとか公爵は
「難しいですね。貴族連合との内戦は防ぐつもりですが、ご本人が権力闘争が大好きな方なので……」
「あー、
前世で自分が死ぬ原因にもなったので、ジェシカのトリューニヒトに対するあたりは
「ブラなんとか公は自分から火に飛び込んで丸焼けになる習性を持ってるようですので放置しましょう。ですがそのアンスバッハさんはブラ公から引き剥がすのが本人のためでもあると思いますよ」
「引き剥がす……どうやって?」
「アンスバッハさんは帝国軍人ですよね。
「それは難しいですね」
帝国軍は正規軍と貴族軍のふたつの組織が融合した存在だ。
徴兵された若者がどちらに割り振られるかは
アンスバッハはブラウンシュヴァイク公が領有する星のひとつで生まれた。平民階級だった彼は貴族軍に徴兵され三年を現役兵として過ごしたのち民間人に戻る
しかし召集された新兵時代に訓練用の小惑星基地が
「そういうことですので帝国正規軍の命令といえど
「なんという
「うーん、
アンネローゼは
不安そうに自分をみる未来の皇妃(候補)へ、自信に満ちた笑顔をみせる。
「
「はい? ブラウンシュヴァイク公爵の懐刀の大佐をですか? 手作りケーキで?」
「大丈夫です。
うわこれはダメだとヒルダは思い、なんとか説得すべく一緒にケーキを作った短い癖毛の侍女に応援を求めようとした。アンネローゼを“聖女さま”と呼ぶ、どことなく
「ルナちゃん。あなたからもいってあげて。うまくいきっこないって──あれ? ルナちゃん?」
そこにいたはずの侍女の姿は音もなく消えていた。
+++++++++++
巡回コースを変えて
振り返る。
「ここならいいだろう。姿をみせろ
「わたしを番号で呼ぶな」
くりくりとした愛らしい瞳を泥のように濁らせ、侍女が木陰から出てきた。
「ここは
「偽名じゃない!」
侍女が激昂して叫ぶ。
スカートが一瞬だけめくれ、侍女は両手に三日月をふたつ交差させた形状の武器を握った。
「ルナは聖女さまがつけてくれた名だ。わたしの本当の名だ。偽名じゃない」
「それはすまなかった、ルナ」
「
「なら武器もしまってくれないか」
「それとこれとは別」
侍女は両足を大きく広げ腰を落とした構えでアンスバッハを
さて困った、とアンスバッハは本気で悩む。
“
目の前にいる少女についても調べは尽くしてる。
少女は地球教がオーディンに作った拠点のひとつで孤児院に見せかけたテロリスト訓練施設の出身だ。出産前に生体改造を施された
訓練施設が制圧された八年前に
「それとこれとは別、といったが」
「ん」
「すまない。きみがわたしに何を望んでいるのかがわからない。わたしはどうすれば許してもらえるだろう」
アンネローゼと館の
むしろ、お互いに補い合える関係になれればよいと考えている。出向する前のブラウンシュヴァイク公爵との打ち合わせでも現時点でアンネローゼが害されるのは望ましくないと結論がでている。寵姫個人への好悪の感情からではなく“
「許す? 何を?」
「おい」
ここは主従ともに
「わたしを尾行し、武器まで向けてるのはルナの方だぞ」
「そうだった」
うんうん、と侍女がうなずく。
「おまえの主のブランシュ、ブラシュバ、ブラシュバイク」
「ブラウンシュヴァイク公爵」
「そうそれ。それの家臣をやめて聖、じゃなかった
「お方さまがそういったのか?」
「ちがう。これはわたしの考え。でも
「いつだ?」
「寝る前。髪をブラシで
「盗み聞きは感心しないな、ルナ」
「盗み聞きじゃない。髪を
侍女に
アンスバッハ大佐がブラウンシュヴァイク公爵の謀臣のひとりであることはよく知られている。その彼を名指しで
「お断りしよう」
「どうして? おまえの今の
ブラウンシュヴァイク公爵にこれまで会ったこともこれから会うこともないであろう少女が義憤をこめて「悪いヤツ」というのを聞いてアンスバッハは愉快に思う。
間違っているからではない。彼の主君であるブラウンシュヴァイク公爵は正しく「悪いヤツ」だ。アンスバッハも主君の悪事の片棒を担いできた自覚がある。
では「悪いヤツ」は、悪だけで塗りつぶされた存在なのか。
アンスバッハは新兵時代の出来事を思い出す。彼が戦った
反撃し
「悪いヤツ」にも愛する人が、家族がいる。守るべき友が、仲間がいる。
境界線の問題だ。銀河系に四〇〇億を数えるヒトの群れの中でどのように境界線を引いて分けるのか。自分の愛する人は誰で、家族は誰と誰で、守るべき友と仲間はどこからどこまでなのか。
「悪いヤツ」は自分が引いた境界線の外に優しさや
アンスバッハがどちらであるかはいうまでもない。家族がいる
「残念だけどわたしは悪いヤツだ。ルナの
己の人生への誇りと自信そして
轟音と衝撃波が
+++++++++++
衝撃波で意識が飛んだのは一瞬だけ。
目覚めたルナは素早く自分の状態を確認する。手足は動く。メイド服はズタボロだが戦闘行動に支障なし。耳はすごく痛い。
軍服を着た男の体がルナの上にかぶさっている。アンスバッハだ。背中にはいくつもの破片が刺さっている。
「ありがとう。おまえのおかげで助かった」
ルナは素直ないい子なので感謝の言葉は忘れない。
「でも邪魔。どけ」
アンスバッハの体を横に押しのけ、ルナは立ちあがる。
一歩前へ。敵対生物を確認。
「庭師、仕事しろ」
ペッ、と血の混じった
くりくりした瞳でにらむ正面には、
ルナの後ろから、痛みをこらえた声が聞こえる。
「
「銃を使うな!」
アンスバッハが驚いて動きを止めるのが“聞こえた”。
「あいつはゼッフル粒子をばら撒いてる。ここで銃は使えない」
無謀だ、とアンスバッハは思う。
左右から。上下から。小柄な侍女めがけて
「邪魔」
末端速度で音速を超える
いや、とアンスバッハは
ルナが
ルナの“耳”は
「だとしても尋常の反応速度ではない。さすがだな」
アンスバッハの賞賛のつぶやきも聞こえている。
ルナは小鼻をむふー、とふくらませた。
さらに二歩を重ねると
けれどそれはルナも同じこと。
ここからどうするのか。
「ふんっ」
侍女は無造作に右手に握った鴛鴦鉞で自身の左手首を切った。噴き出した血が
するとどうしたことか。
ルナの血がよほどの猛毒であったのか。
ルナは振り向くとアンスバッハに向け右手で親指をたててみせた。
「駆除かんりょ……」
言い終える前に小柄な体がぐらっ、と傾いた。
地面に倒れる前にアンスバッハが抱きとめる。
「無茶をする」
左手首を確認する。すでに血は止まっていた。それどころか傷さえ塞がっている。
「生体ナノマシン……この目で見るまではオカルト話だと思っていた。地球教はこんな超技術をどこで手に入れたんだ」
しかし地球は帝国から統治を放棄されるほどの
「……知りたいか? なら教える」
アンスバッハの腕に抱かれたルナが、黒い瞳で見上げていた。
「いいのか? わたしは悪いヤツだぞ」
「おまえはよい悪いヤツ」
矛盾したことを平気で口にする。
「とおいとおいむかし。母なる星にはすべてがあった。でもケチで誰にもわけあたえなかったから、他の星がみなで母なる星に攻め込み、焼き払った」
「その話、長くなるんじゃないだろうな。背中の怪我を治療したいんだが」
「我慢しろ。痛み止めくらいしてやる」
ルナはアンスバッハの頬を両手で挟むと顔を近づけ唇を重ねた。
口の中に血が混じった唾液を流し込まれる。
「……驚いたな。痛みが消えた」
「
アンスバッハは
「母なる星は……ええっと……自分を焼いた
いろいろ説明が面倒になったな、とアンスバッハは思う。
「でも力がない。だからひとりの男に目をつけた。そいつが心の底から欲しているものをあたえるかわりに、しかえしを手伝わせようとした。でも失敗した」
それはそうだろうな、とアンスバッハは思う。今の帝国で地球と地球教が裏に隠れていることを考えれば、うまくいったはずがない。
「男が欲したのは無敵の血統。健康な肉体。強靭な精神。不老に近い長寿。子々孫々まで繁栄を続ける最強の
のぞきこむ黒い瞳はまるで深淵のよう。
「男の名をルドルフ・ゴールデンバウムという」
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少年の祖父は子作りに熱心であった。好色の気もおおいにあったろうが
女性を妊娠させた数、なんと二八回。
六回流産、九回死産、誕生した一三人も生後一年以内に四人、成人までに五人、成人後に少年の父親を含む二人が死亡している。今も生き残っているのは娘二人のみ。
「
少年はくつくつと笑う。広い寝台の上で。子供は寝る時間だ。
「ホモ・サピエンスという種にとって
五〇〇年前。愚かな男が望んだ無敵の超人遺伝子。世代をこえるたび
「でもねえ。いくら
その意味で少年の祖父の
恨むなら五〇〇年前に愚かな約束をした祖先を恨んでほしい。
「アイツとの約束は超人遺伝子を作り出すこと。ぼくはちゃんと約束を守ったよ。
少年は薄い胸に手をあてる。この
その過程で手に負えない
「こいつ今もどこかに隠れてそうなんだよね。
少年は寝台の脇の机に置かれた水差しに指を向けた。
水差しが持ち上がりコップに水を入れる。コップが空中を飛び少年の手元へと届く。
水を飲んで、ふ、と笑う。
「苦労した甲斐はあったよ。これは歴代
“聖女”の存在が銀河のチェスゲームを変えつつある。
このままいけば遠からず銀河帝国と自由惑星同盟の講和は成る。
そうなってからこの
「“聖女”の行動パターンからみるに彼女は未来から過去へ転生、それも自分自身へ転生した存在だ。この技術をそんな風に使う発想はなかったな。しかしまあ、そうであるのならぼくの敵じゃないね」
少年の
五〇〇年前。ルドルフ・ゴールデンバウムと出会った段階ですでに少年の
常人であれば時の重みにとうに発狂している。だが洗脳技術によって己の
「
どう
「超人遺伝子はぼくの子の代で完成する。いよいよ不老不死で不滅の
少年は
一〇〇〇年の人生を経た
銀河帝国皇帝の孫、エルウィン・ヨーゼフ二世はいつまでも笑い続けた。