この世界は……とっくに終わっているはずだった。


炎症で赤く染まる空、大気を汚染する猛毒ガス。

大地は命の気配を感じない渇いた大地か、死んで解けて混ざってなお蠢き続ける腐肉の海か。

免疫は正気を失い、癌細胞は無限に増殖し、細菌やウィルスは極限の蟲毒の中、無秩序の変異を繰り返す。


そんな世界で生きていたあたし達はある日……死ぬことができなくなった。




はたらく細胞と相州戦神館學園八命陣のクロスオーバー作品です。

戦神館を知っている人ならタイトルだけで何がやりたいかわかるはず。


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狂った世界ではたらく者達

 私は、酸素を運ぶ。

 

 それが私の仕事で、

 それが私の存在理由で、

 それがこの世界の“本来”の姿だと教わった。

 

 昔は、受け取る誰かがいた。

 目的地があった。

 生の営みがあり、生命の流れがあった。

 

 だけど──

 

 この世界に、“本来の姿”なんてものは、

 

 もう残っていない。

 

 ~~~~~~~~~~~~~

 

 

 あたしは重い酸素ボンベを背負い、荒野を歩く。孤独な旅だがもう慣れたものだ。

 

「次は……あっちだったかな。また……地形が変わってる」

 

 乾き罅割れた大地を進み、所々に広がる腐肉の海を避けながら、地図を広げて歩く。

 

 つい数日前に更新されたばかりの地図だ。

 それなのに、もう役に立たない。

 

 あたしは小さく溜息をつく。

 

 おそらく投薬兵器だろう。

 奴らは加減というものを知らない。

 

 正常も異常も、

 守るはずの世界すら破壊し、

 役割を終えた後もまともに排泄されず、

 残骸だけがこの世界に沈殿する。

 

 そのたびに地形が変わる。

 

 運搬ルートは崩れ、地図はただの紙切れになる。

 

 ……こっちの身にもなってほしい。

 

 もっとも──

 

「あたしのやってることなんて、全部無駄なんだろうけどさ」

 

 

 

 

 この世界は、とっくの昔に終わっている。

 

 本来、人間の身体の中というのは、細胞と呼ばれる小さな組織が無数に存在し、それぞれが与えられた役割を果たすことで成り立っているらしい。

 

 ここを街に例えるなら、団地やマンションのような建物に細胞が暮らし、その合間を走る道を多くの細胞が行き交っていたはずだ。体中に張り巡らされた血管という通路も、本来なら多くの細胞で賑わっていたのだろう。

 

 だがそれはもう、歴史書(DNA)に記されているような過去の話だ。

 

「やっぱり……」

 

 迷いに迷ってようやく辿り着いた目的地の前に立ち、あたしは小さく呟く。

 

 目の前に広がっていたのは、受け渡し拠点の名残すら判別できないほど崩れた廃墟だった。

 

 建物は外壁ごと抉り取られ、内部構造が剥き出しになっている。通路だったはずの血管は途中で裂け、干上がった流路の底には黒ずんだ血と崩れた細胞片が層を成して堆積していた。

 

 受け取り口の標識は折れ、搬入口は潰れ、運搬ラインは跡形もない。ここにかつて「機能」があったことを示すものは、壁面に残る識別番号の欠片くらいだった。

 

 それでも廃墟ならまだましな方だ。

 

 視界の端で何かが蠢く。崩れた構造体の陰に、かつて免疫だったものが折り重なっている。形は崩れ、核は露出し、関節の位置すら判別できない。それでも動いている。動きながら互いを引き裂き、噛み砕き、意味のない殺し合いを続けている。敵味方の区別はない。ただ近くにあるものを壊し、破り、叩き潰す。それが仕事だと言わんばかりに。

 

 少し離れた場所には、乾ききらずに残った腐肉の海が広がっていた。そこには溶けた細菌、裂けたウイルス、崩壊した細胞が混ざり合い、原型を失ったまま沈殿している。泡立つように膨らみ、はじけ、また沈む。死んでいるはずなのに、完全には止まらない。終わりきれずに残り続けている。

 

 さらに遠くでは、地面そのものが削り取られていた。

 直線的で、無機質で、意図的な破壊跡。

 

 投薬兵器の通過痕だ。

 

 一帯が丸ごと焼き払われ、細胞も組織も区別なく粉砕されている。だが徹底的に破壊されたはずの場所でも、断片は残り、形を保てないまま動き続けている。壊れたまま働かされ、壊れたまま殺し合い、壊れたまま積み重なっていく。

 

 死なない。

 終わらない。

 

 この身体の主が、終わることを許さないからだ。

 

 あたしはしばらくその光景を見ていたが、やがて視線を落とした。

 酸素ボンベの圧はまだ残っている。

 運搬先はもうない。

 それでも、運ばなければならない。

 

 ここは、そういう世界だ。

 

 

 

 あたしが赤芽球だった頃、この世界はまだ動いていた。壊れかけながらも、なんとか循環は保たれていた。

 

 ただし正常じゃない。最初からずっと無理をしている身体だったと、マクロファージ先生は言っていた。

 

 ある日を境に、空から得体の知れないものが降るようになった。苦くて重い液体、焼けるような粒子、機械じみた異物。それが血流に混じり、街に流れ込み、組織を強引に動かした。

 

 壊れた場所は一時的に静まる。だが別の場所が壊れる。

 止まりかけた臓器は無理やり回り、弱った細胞は働かされ、限界を超えた修復が命じられる。

 

「これは治療じゃないわ。延命よ」

 

 マクロファージ先生はそう言った。

 治すためではなく、止まらせないためだけの力。世界を休ませないための命令。

 

 その命令が持つ力は強すぎた。

 敵味方の区別もなく押し流し、正常な組織も異常な組織も一緒くたに焼き、抑え、削り、また流し込まれる。

 

 一時的に世界は動く。

 だが代償は確実に積み重なっていった。

 

 白血球は減り、修復は追いつかず、街は少しずつ荒れていく。

 それでも上からの力は止まらなかった。

 

 無理やり動かされ続ける世界。

 無理やり働かされ続ける細胞。

 

 それでも、止まらない。

 

 やがて誰もが分かり始めた。

 これは無駄に、無謀に、終わりを先延ばしにしているだけだと。

 

 あたしはその頃、もう達観していた。

 恐怖も絶望もあまりなかった。ただ、漠然ともうすぐ終わるんだろうなと思っていた。

 

 巡回に来たマクロファージ先生が、ほんの少しだけ安堵した顔をしたことがある。あの人はずっと掃除を続けてきた。壊れたものを片付け、死んだものを処理し、無理やり回る世界を支えてきた。

 

 だから分かった。

 世界の終わりが近いと知って、あの人はほっとしていた。

 

 もはやこの世界にとって、死は救いだった。

 確かに異常な生だったのかもしれない。けれど最期だけは、人間として、生き物として、ひとつの終わりを、真っ当な結末を迎えられるのだと。

 

 静かに止まる。

 それで終わる。

 

 ──そう思っていた。

 

 

 

 

俺を邯鄲に投じろよ。ともに楽園(ぱらいぞ)を掴み取ろう

 

 

 

 ある日、世界に何かが起きたのだ。

 

 何が起きたのかは分からない。

 光が差したわけでも、音が鳴ったわけでもない。目に見える何かが降ってきたわけでもない。

 ただ──

 

 ある瞬間を境に、あたし達は死ねなくなった。

 

 最初に気づいたのは脾臓(清掃区画)だった。

 壊死したはずの組織が腐りきったまま動き続けていた。

 崩れた細胞が、形を保てないまま作業を続けていた。

 

 処理されるはずの残骸が、残骸のまま立ち上がった。

 

 やがて前線から報告が来た。

 白血球が戻ってこない。

 いや、戻ってこないんじゃない。

 

 戻れないのだ。

 

 腕がもげても、

 核が砕けても、

 形が崩れても、

 死ぬことができない。

 

 倒れない。

 止まらない。

 終われない。

 

 それでも命令だけは届く。

 

 働け、と。

 

 この身体の主が命じている。

 これまでの無茶な延命処置など比べ物にならない、常識を超越した力を伴って。

 

 死ぬな、と。

 

 血流の奥から、世界そのものが命令してくる。

 休むな。止まるな。終わるな。

 

 壊れた細胞たちは、その命令に従った。

 従うしかなかった。

 

 肝細胞は溶けたまま解毒を続け、

 皮膚は裂けたまま再生を繰り返し、

 神経は断線したまま信号を流し、

 免疫は敵味方の区別を失ったまま殺し続ける。

 

 廃墟には細胞が群がっている。

 本来ならとっくに処理されているはずの残骸たちが、腐り、崩れ、溶けながら、それでも働いている。

 

 赤血球もいる。

 ボロボロの膜で酸素を抱え、血液とも汚泥ともつかない流れの中を、

 終わらない苦痛にうめき声をあげながら、崩れた身体を引きずって歩き続けている。

 

 白血球もいる。

 肉体は半壊し、刃は欠け、

 それでも狂ったように笑いながら戦いをやめない。

 

 誰も死なない。

 誰も終われない。

 

 この世界は命令し続ける。

 

 働け。

 運べ。

 戦え。

 

 死ぬな。

 生きろ。

 

 ここは、終わらない体内。

 

 終われない世界。

 

 誰かが逆十字界と呼んだ悪夢の具現。

 

 自己紹介が遅くなった。

 あたしは、赤血球。識別番号はRBC-044。

 おそらくこの身体の中で、

 たった一人の完全な正常細胞。

 

 ──だからこそ、あたしはこの世界では異端者だ。

 

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

「み……ッケ……た……ぞ……ォォ……」

 

 背後から、濁った声が響いた。

 

 振り返る。

 

 原型をとどめていない免疫系の群れが、こちらへ這ってきていた。

 

 白血球だったもの。

 脳天から腰まで左右に大きく裂け、内部が外にこぼれていた。

 それでも動く。

 

 マクロファージだったもの。

 上半身の半分が腐った肉塊に覆われ、片足を引きずりながら地面を歩く。

 

 リンパ球だったもの。

 形容できない。

 形が、もう細胞のそれではない。

 

 どれも崩れている。

 だが死なない。

 そして、止まらない。

 

「あ……ああ……」

「い、ぶ……つ……」

「は、い……じょ……」

 

 言葉にならない音が重なり、やがて一つの意味になる。

 

「──排除」

 

 群れが一斉に走った。

 

「クソッ」

 

 あたしは駆けだす。

 

 酸素を抱え、血管の裂け目を飛び越え、崩壊した組織の隙間を縫う。

 

 追いかけてくる奴らに正気などない。

 免疫系は狂い、敵味方の識別など、もう誰もつけていない。

 

 というより──

 

つける機能そのものが、残っていない。

 

 本来なら免疫は、

「自己」と「非自己」を見分ける。

 

 守るべきものを守り、

 排除すべきものだけを排除する。

 

 そう教わった。

 

 だが今は違う。

 

 見つけたものを、壊す。

 動いているものを、壊す。

 存在しているものを、壊す。

 

 それだけだ。

 

 後方で、崩れた白血球が別の免疫細胞を引き裂いた。

 敵味方の区別すらない。

 ただ、目に入ったから壊した。

 

 次の瞬間、そいつも別の何かに潰される。

 

 連鎖する誤認。

 連鎖する排除。

 連鎖する殺戮。

 

 この世界の免疫に、

 もう「識別」という概念は残っていない。

 

 だから──

 

 あたしが狙われるのも、

 理由なんてない。

 

 いや、もしくは、

 

 ただ一人正常なあたしこそが、

 この世界の最大の異端者だからか。

 

 互いを潰し合っている隙を突き、あたしは血管の残骸を必死に走る。

 

「ここを曲がれば……」

 

 ひとまず、安全な場所へ抜けられる。

 そう思って踏み込んだ先は──

 

 崩落した組織の残骸と、腐肉の海だった。

 

「えっ……嘘……」

 

 足が止まる。

 

 失敗した。

 ついさっき、地図はもう役に立たないと知ったばかりなのに。

 

 背後で、音がする。

 

「い、ひ……ひ」

「あ……ああ……」

 

 振り向かなくても分かる。

 免疫系が来ている。

 

 逃げ場はない。

 

 あたしは、ゆっくりと酸素ボンベを下ろした。

 手が震えている。

 

「……ここで、終わり?」

 

 ようやく理解した。

 ああ、ついに来たんだ、と。

 

 赤血球が、免疫に勝てる道理なんてない。

 目の前に迫る奴らは壊れている。

 だが戦闘能力だけは、何一つ壊れていない。

 

 このまま、あたしは──壊される。

 

 ふと、ここへ来るまでに見た、同胞たちの姿を思い出す。

 

 半分千切れた身体。

 裂けた外殻。

 中身の漏れた酸素ボンベを引きずりながら、

 それでも運び続けていた赤血球たち。

 

 死ねない。

 止まれない。

 壊れたまま、働き続ける。

 

 もうすぐあたしも、あの姿になる。

 

「……嫌だ」

 

 喉の奥から、かすれた声が漏れた。

 

「嫌だッ、嫌だ!」

 

 壊れたくない。あんな姿で働き続けるなんて、嫌だ。

 

 いっそ終わるなら、今ここで終わりたい。

 

 だが──

 

 この世界は終わらない。免疫の影が、目の前まで迫る。

 

「排……じょ……」

「こ……ろ……」

「は……た……ら……」

 

 意味にならない言葉を発しながら近づいてくる。

 

 あたしは目を閉じた。

 

 ──次の瞬間。

 

 音が消えた。

 

 絶叫も、足音も、腐った肉の擦れる音も、

 何もかもが唐突に途切れる。

 

 代わりに聞こえたのは一度だけの湿った破裂音。

 

 何かが潰れる音。

 

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 

 短く、正確に響き、

 そしてまた、静寂が広がった。

 

 恐る恐る目を開ける。

 

 さっきまであたしに手を伸ばしていた免疫系だったものが、動かなくなっていた。

 

 崩れている。

 刻まれている。

 断たれている。

 

 ──死んでいる?

 

 いや。

 

 違う。

 

 動けなくされている。

 

 視線を向けたその中央に黒いのが立っていた。

 

 全身を覆う、黒い装甲。

 

 返り血と腐血で塗れたそいつは、まだ動いている免疫の残骸を踏みつけ、ゆっくりと首を探す。

 

 程なく見つける。

 

 そして躊躇なく、剣を振り下ろした。

 

 ぐしゃり。

 

「……死ね」

 

 初めて聞いた意味のある言葉。

 

 低い。

 抑揚がない。

 感情がない。

 

 だが、純粋な殺意だけがあった。

 

 そいつは周囲を見渡し、まだ動いている肉塊を一つずつ処理していく。

 

 剣を叩きつけ、踏み砕き、

 確実に動かなくする。

 

 まるで、清掃のようだと思った。

 

「死ね。死ねッ。死ね!」

「屑がッッ!!」

「誰がッ、呼吸をッ、していいと言った!!」

 

 いままで感じたことのない、純粋で度外れた殺意。

 

 それだけであらゆるものを破壊できそうな激しい怒り。

 

 質量さえ伴いそうなそれを向け、黒い影は最後の一体を時間をかけて潰す。

 

 動かなくなるまで。

 完全に止まるまで。

 

 そして──

 

 そいつはふと上を見上げた。

 

 通路に影が落ちる。

 

 炎症で赤く焼けた空。

 紫色の毒の霧。

 

 その奥で何かが蠢いていた。

 

 巨大な球体。

 

 ゆっくりとこちらを見下ろしている。

 

「……何なの、あれ」

 

 形はウィルスに似ている。

 だが違う。

 

 あんな大きさのものが存在するはずがない。

 

 球状の肉体は腐肉の集合体。

 無数の手足が生え、絡み、ねじれ、

 融合している。

 

 中心には濁った巨大な眼。

 

 腐った血涙を流しながらこちらを見ていた。

 

 この世界の外から来たはずの異物。

 

 だがここでは外も内も関係ない。

 

 侵入したものはすべてこの身体の地獄に呑まれる。

 

 喰い合い、

 混ざり、

 変質し、

 生き延びたものだけが残る。

 

 ここは蟲毒で、あれはその果てに生まれた、この世界だけの怪物。

 

「……殺すッ」

 

 黒い鎧の何かが呟く。

 

 次の瞬間、地面が砕けた。

 

 黒が跳ぶ。

 

 一直線に迷いなく。

 

 巨大な異形へ向かって。

 

 巨大な怪物はゆっくりと膨張した。

 脈打つたびに表面の肉が波打ち、内部で何かが蠢く。

 腐った血管が膨れ、破れ、また再生し、全身が不自然に呼吸しているようだった。

 

 次の瞬間──

 

 全身が開いた。

 

 肉が裂け、骨が反転し、無数の孔が露出する。

 

 裂け目の奥で粘ついた血が泡立つ。

 膿のような体液が糸を引き、その奥に並んでいるのは──

 

 砲口。

 

 生物のそれではない。

 だが機械でもない。

 ただ撃つためだけに存在する穴。

 

「ッ──!」

 

 来る。

 

 理解した瞬間、空間が歪んだ。

 空気が押し潰され、圧が先に到達する。

 

 血の弾丸。

 

 腐敗した赤黒い塊が、暴雨のように撒き散らされる。

 

 着弾。

 

 轟音。

 

 建造物の残骸が吹き飛ぶ。

 通路が崩落する。

 腐肉の海が爆ぜ、毒の霧が巻き上がる。

 

 爆ぜた肉片が雨のように降り、

 巻き込まれた細胞達が押し潰され、引き裂かれ、

 壁に叩きつけられ、形を失う。

 

 だが消えない。砕けたまま潰れたまま動いている。

 

 当たれば終わり。

 溶ける。

 砕ける。

 潰れる。

 だが死ねない。

 

 「最悪……」

 

 あたしは咄嗟に崩れた血管の陰へ転がり込む。

 足元が滑る。

 全身がぬめる。

 腐った体液で足を取られ、

 転がるように身を押し込む。

 

 遅れて着弾。

 

 衝撃。

 

 瓦礫が押し潰されさっきまで立っていた場所が消える。

 床ごと抉り取られ空洞が生まれる。

 

 風圧で身体が浮きかけ、壁に叩きつけられそうになる。

 

「な、に……あれ……」

 

 砲撃は止まらない。

 狙いもない。

 ただ撒く。

 

 撃つ。

 撃つ。

 撃ち続ける。

 

 無差別。

 

 味方も敵も地形も過去も、

 

 全部削る。

 

 世界そのものを削るような弾幕。

 

 だが……

 

 黒いのは止まらなかった。

 

 弾雨の中をまっすぐ進む。

 

 一歩。

 

 着弾。

 足場が吹き飛び、崩落した地面が空洞へ落ちる。

 

 だが、黒い影はもうそこにはいない。

 

 二歩。

 

 弾丸が装甲をかすめる。

 黒が裂け、金属と肉の境目が露出し、その隙間から赤い血が溢れ出す。

 

 だが止まらない。

 

 三歩。

 

 跳ぶ。

 

 空中に向けて翔ける。

 

 迫る黒い影に血弾が集中する。

 

 四方八方から同時に。

 

 直撃。

 

 黒い影が飲み込まれた。

 爆ぜる血。

 周囲に広がる赤黒い霧。

 潰れた細胞片。

 

 ──やられた。

 

 そう思った瞬間。

 

 弾幕の中から何かが落ちた。

 

 違う。

 

 落ちていない。

 

 進んでいる。

 

 黒い影は弾丸を斬っていた。

 

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 

 飛来する血塊が空中で割れる。

 断面が露出し、内部の腐肉が霧散する。

 

 黒い剣が振るわれるたび、弾丸が断ち切られる。

 

 斬っている。

 

 弾丸を。

 

 意味が分からない。

 

 あれは圧倒的な暴力だ。

 絶望的な数だ。

 苦しくなるほどの圧力だ。

 うんざりする様な質量だ。

 

 それを力技で突破している。

 

 弾幕を正面から。

 

「悪は何処だ」

 

 低い声。

 音というより振動。

 

「屑は何処だ」

 

 着地。

 

 踏まれた怪物が陥没する。

 足元の組織が潰れ、亀裂が走る。

 

「一匹残らず──」

 

 次の瞬間、黒が消えた。

 

 いや。

 

 速すぎて見えない。

 

 空気だけが裂け、衝撃だけが遅れて届く。

 

 巨大怪物の表面に線が走る。

 

 一本。

 二本。

 三本。

 

 遅れて腐肉が開く。

 

 斬撃。

 

 怪物の中身が露出する。

 腐臭を放つ膿。

 濁りきった黒い血液。

 未分化の肉塊。

 

 怪物が初めて悲鳴を上げた。

 

 声ではない。

 空間を響くそれはまるで振動。

 

 空間が震え骨に響く。

 

 全身の砲口が一斉に黒へ向く。

 

 集中砲火。

 

 空間が血で埋まる。

 逃げ場が消える。

 視界が赤に染まる。

 

 直撃圏。

 回避不能。

 

 それでも──

 

 黒は笑っていた。

 

 いや、笑っているように見えた。

 

 口元は見えない。

 だがそう見えた。

 

「死ね」

 

 剣が振り下ろされる。

 

 次の瞬間。

 

 巨大な怪物の半身が消し飛んだ。

 

 遅れて残された肉塊が震える。

 

 ぶくぶくと膨れ、裂け目から血と膿が噴き出し、全身の砲口が不規則に開閉する。

 

 そして──

 

「────ぎ、ぎ、ぎィィィィィィ……」

 

 耳を塞ぎたくなる。

 だが塞げない。

 

「ぎ、ァ、あ、あ、あああああああああああああッ」

 

 それは声ではない。

 言葉でもない。

 

 腐った臓器を無理やり擦り合わせたような、

 骨を削るような、世界そのものが拒絶反応を起こすような音。

 

 醜い。

 

 あまりにも醜い。

 

 聞いた瞬間、吐き気が込み上げ、耳の奥が焼ける。

 

 それでも止まらない。

 

 怪物は残った半身を痙攣させ、

 膨張し、収縮し、壊れたポンプのように血を吐き出しながら、

 なお生きようとしていた。

 

 生きているのか死んでいるのか、もう分からない。

 

 ただ──終わらない。

 

「……ッ」

 

 あたしは瓦礫の陰から見ているしかない。

 

 黒いのは、動かない。

 

 剣を下ろしたまま怪物を見上げている。

 

 逃げない。

 構えもしない。

 

 ただ、そこに立っている。

 

 怪物の膨張が限界に達する。

 

 肉が裂け、内部の圧が外へ押し出され、

 全身の砲口が一斉に反転する。

 

 次の瞬間──

 

「────────────ッッッ!!」

 

 爆ぜた。

 

 爆発ではない。

 

 破裂。

 

 巨大な血肉の塊が空中で内側から弾け飛ぶ。

 

 赤。

 黒。

 膿。

 骨片。

 臓器。

 

 すべてが混ざった雨が空一面に広がる。

 

 そして降ってきた。

 

 血の雨。

 

 どろりとした腐血が瓦礫を通路を、あたしの隠れている残骸を、

 すべてを濡らす。

 

 鉄臭い。

 重い。

 温い。

 

 空から落ちてくるそれは雨というより、世界の内臓が降ってくるみたいだった。

 

 その中心に黒いのが立っていた。

 

 動かない。

 

 避けない。

 

 ただ、血を浴びている。

 

 全身を腐った血が叩きつけ、流れ落ち、滴り、黒をさらに黒く染めていく。

 

 赤い雨の中で、それだけが影みたいに立っていた。

 

 ──何、あれ。

 

 言葉が出ない。

 

 怖い。

 

 助かったはずなのに安心できない。

 

 あたしを襲っていた連中は全部、あれが殺した。

 

 結果的に助けられた形になる。

 

 なのに。

 

 目が離せない。

 

 黒いのはゆっくりと剣を振った。

 血を払う。

 

 それだけの動作。

 

 だがその一振りでさっきまでこの場を支配していた怪物の気配が完全に消えた。

 

 静かだ。

 

 あれだけの破壊のあとで信じられないくらい静かだった。

 

 血の雨だけが降っている。

 

 その中で黒いのが、

 

 ──こちらを見た。

 

 心臓が止まりかけた。

 

 次はあたしかもしれない。

 

 そう思ったあたしは必死に気を保ちながら黒い存在を見つめる。

 

 目を離したら殺される。もはや立っているのが奇跡のような有様。

 

 ゆっくり黒が迫る。

 

 鎧が散らばった肉片を踏みしめ、こっちに迫る。

 

 そしてあと数歩で私に剣が届く。

 

 その距離まで迫り……

 

 

 

 ピンポーン

 

 ……。

 

 黒鎧の頭頂部から〇の札が立ち上がり……

 

 ピンポーン

 

 ……。

 

 ピンポーン

 

 その場に響く、場違いなほど軽い電子音。

 

 

 

「………………へっ?」

 

 

 今までの雰囲気を丸ごとぶち壊すその音。

 

 その音で思わず気が抜けてしまったあたしは改めて目前の黒を見る。

 

 そして、気づく。

 

 黒い鎧だと思っていたそれが、深い赤錆にまみれているせいで黒ずんでいるのだと

 そしてその形状、正確なものを直接見たことがないが資料でなら知っている。

 

 そして頭頂部で今も軽快な音を出し続けてるのは

 

「レセ……プター、まさか……白血球……?」

 

 

 白血球。

 体内に存在する免疫細胞の一種。

 

 細菌やウイルスなどの異物を発見し、排除・破壊する役目を持つ戦闘者。

 

 赤血球とは管轄が違い、通常は血管外や炎症区画で活動する。

 

 基本的に味方だが、

 戦闘中は非常に危険。

 近づかないのが鉄則とされている。

 

 のはずだ。

 

 だが、それはあたしが知っているそれとは色々な意味で違っていて……

 

 

 そして黒い白血球は私の横を通り過ぎる。

 

 何事もなかったように。

 

「待って!」

 

 思わず声をかけていた。

 

 それはある期待。

 

 確かに彼の戦闘は凄まじかった。

 抗体記録にも載ってないような未知の病原体に対して一歩も譲ることなく戦っていた。

 

 正直恐ろしかった。だが、彼の行動は紛れもなく正常なものである。

 

 彼の役割はこの世界に危害を加える危険要素を排除すること。今の行動はただ職務に忠実だっただけなのではないか。

 

 もしかして、彼は正常な細胞なのかもしれない。

 

 異端の同胞かと思い思わず声をかけたが何を言うべきかわからない。

 

「えっと、その……」

 

 相手はフルフェイスの鎧を着ている。よって表情はうかがえない。

 

 やがて、あたしに興味をなくしたのかそっぽを向いて歩きだす。

 

「くだらないことを考えてないで、さっさとそれを運べ」

 

 

 

「それが……貴様の役割だろう」

 

 それだけ言って去っていく黒い白血球。

 彼が指示した方向にあったのは、こんな時まで手放さなかった酸素ボンベ。

 

 彼が見えなくなった頃、あたしは落ちていた酸素ボンベを背負い直す。

 

「…………とりあえず、一度戻るか」

 

 何しろ酸素を届けるはずだった場所は根こそぎ消滅し、残ったのは細胞達の残骸と腐肉の海だけ。

 

 一度ホームに戻り、指示を仰ぐ場面だった。

 

「また……会えるかな」

 

 人体を構成する細胞の数は約37兆個と言われている。

 

 この逆十字界で正常に近い機能を保った細胞があとどのくらい残っているのかわからない。

 

 だが、少なくとも一人。自らの使命を全うするべく戦っている細胞がいる。

 

『それが……貴様の役割だろう』

 

「……よし」

 

 私は酸素を抱え直す。

 

 走り出す。

 

 まだ、運べる。

 

 彼がいるなら。

 

 この世界でも、まだ──

 

 働ける。




というわけで映画見て思いついた1発ネタでした。

以下設定

>赤血球(RBC-044)
本作の主人公。容姿は赤血球の基本の姿に長い赤色の三つ編み(アーシェちゃんがツボだったので)
この世界では滅多に見られない完璧な正常細胞。
産まれた時から異常な世界で生まれ育ったことで達観しており、自分が大人になる頃にはこの世界も終わるかなと思っていたら魔王の加護により延命されたので地獄の世界を生き抜く羽目になる。
あくまで赤血球なので戦闘能力は皆無だが酸素供給を応用した支援能力に目覚める可能性はあり。

>黒い白血球
この作品のもう一人の主人公。識別番号は不明。
ある意味この世界でもっとも職務に忠実な免疫細胞。モデルはもちろんマグサリオン。原作白血球も雑菌野郎!とか叫んでるしそれの超超超凄いバージョンだと思っていただければ。

>逆十字界
別名:玻璃爛宮とも。
はたらく細胞とは人間の体内に存在する細胞を擬人化させ、その機能や役割をコミカルに時にはシリアスに表現する作品であり、数多のスピンオフで数多の人間の体内の活動が描かれてきたが、この男の体内を超える地獄は間違いなく存在しない。
空は常に炎症で赤く染まり、猛毒のガスが漂う。大地は命の恵を感じさせない渇いた荒野か多くの細胞や細菌、ウィルスなどが腐り、溶けてなお蠢く腐肉の海かどちらか。ほぼ沙耶の唄の郁紀視点みたいなもの。
当然そこに存在している存在はまともではない。多少崩れていても人(正常)の形をしていれば恵まれたもの。大半は崩れた肉塊。
かといって体外から入ってきた細菌やウィルスにとって天国というわけではない。この内界で蟲毒のごとく喰らい合った結果、現在では対処方法が存在しない無敵に近いヒト免疫不全ウィルスや狂犬病ウィルスなどもそのままでは成す術なく喰われる魔境。
それでも限界はあり、いずれ死ぬはずだったが、光の魔王の加護を得たことで細胞達は死ぬことができなくなり、宿主の死ぬな、働けという命令で壊れてなお働かされる。

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