砕けた角笛は宇治の茶畑で蘇る 〜元・天才ホルン吹きは今日も「相方」にシバかれる〜 作:Survivalist
この作品は筆者のつたない吹奏楽部経験が1%、残りは妄想で成り立っております。
春。新しい門出の季節。京都府、宇治市の一角、京都府立北宇治高校にも、その季節は等しく訪れた。その校門は舞い散る桜とともに、期待と不安に胸を膨らませた多くの新入生を迎え入れようとしていた。
そんな、真新しい制服――女子は近隣では珍しいセーラー服、男子は詰め襟なのだが――に身を包んだ新入生たちの中に、一人だけ異質な存在がいた。
真新しい詰め襟とは不釣り合いな、猫背のだるそうな姿勢と歩き方。期待や不安といった若者らしい感情や輝かしさを欠片すらも感じさせない、死んだような目をした男子生徒。彼は桜の花びらの舞い散る校門を、何の感慨もなく、くぐり抜けていく
(おもんなさそうなとこやな。勉強とか部活もいまいちパッとせえへんみたいやし。ま、ワシが潜り込めるぐらいやから大したこともないわな)
洛外の言葉に比べるとかなり生々しい、ベタベタの大阪弁丸出しな内心のつぶやき。彼は、学内の光景と、自分とは正反対に目を輝かせていたり、不安げな表情を浮かべている同級生を、光のない目で見やっていた。大阪から事情があってこの春から京都に「流れ着いてきた」彼にしてみれば、北宇治高校という場所も周囲の新入生も、まったく馴染みのないものだった。
入学後のオリエンテーションのために体育館に歩いていく道すがらで、早速運動部、文化部問わずで在校生による熱心な新入生の勧誘合戦が繰り広げられていたが、彼はどの部活にも目もくれず、足も止めずにだるそうに歩いていく、運動部の在校生は彼のやる気のなさそうな態度に声をかけようともせず、文化部の勧誘係は、新入生らしくないやさぐれた態度の彼に少し引いていた。
「新入生の皆さーん、北宇治高校へようこそ!」
やたらと張り合いのある女子の声に足を止めるやさぐれ男子。声のする方に目を向けると、階段をひな壇代わりにして木管楽器や金管楽器、打楽器を持っている集団が整列していた。彼の死んだような目に、少しだけ興味を持った色が浮かぶ。
(吹奏楽部か…どのみち世話になるんや。お手並み拝見やな)
足を止めて真剣な目をその集団に向ける少年、「輝かしい皆さんの入学を祝して!」と、この場の指導者役らしい赤縁メガネに長い黒髪の女子は手を広げて芝居がかった仕草で声を張り上げてから指揮をするために楽団に振り返る。そして、吹奏楽部による「暴れん坊将軍」の演奏が始まって五秒も経たないうちに、その新入生は、目の前の楽隊に怒鳴り込んで演奏を止めてやりたい誘惑に駆られてしまう。音量以前に芯がなくピッチの合わない音。アンサンブルどころではない足並みの揃わないテンポ。笑わせようとするかのようにクラリネットのリードミスによる裏返った高音が更に彼の苛立ちを煽るように響いてくる。
(…何がしたいんやこいつら。楽器に屁をこかせてるだけで演奏してるつもりやったら全然笑えんで。腰掛けにしてもこんなとこに入らなあかんとはな。やが…)
怒鳴りつけたい衝動を押さえつけて内心で毒づくが、やがて、自分の「今の立場と状況」を思い出して口の端に歪んだ笑みを浮かべてしまう。
(…昔とは違うんや。今のワシには、あのヘボというのもおこがましい楽隊が、ちょうどええっちゅうことやな)
内心で「楽器の屁こき」と、それよりも自分自身を嘲笑いながら踵を返そうとした彼の耳に、
「ダメだこりゃ…」
女子の小さい声だが遠慮のないつぶやきが聞こえてくる、少し驚いて彼が目を向けると、ポニーテールの地味な、どこにでもいそう、という印象の新入生がそのつぶやきの主のようだ。
(地味な顔してはっきり物言いよるな…ワシもそう思うけど)
素直に「生演奏だ!」「すごい!」と感心している他の新入生とは一味違うようやなと一瞬だけ思って、彼は体育館の方に何事もなかったかのように、歩いていった。
オリエンテーションを終え、彼が分けられたクラスは1年3組だった。松本美智恵という担任教師の自己紹介と、名簿と生徒たちの名前と顔の確認が終わり、中学時代からの知り合い同士や、新しく出来た友人と話をしている周囲の同級生に全く関心を持たずに、彼は、今日のうちに吹奏楽部に顔を出すべきかどうかをぼんやりと考えていた。
(あのヘボ楽隊とはあんまり関わり合いになりたくないねんけど、『吹奏楽部には入らないといかん』からな…第一、今のワシはそのヘボ楽隊の中ですら…)
「あれは、下手だったなあ…」
「何が?」
「えっ!?」
「今言ったじゃん!ヘタって」
彼のすぐ隣で女子同士の会話が始まっている。なんとなく聞き覚えのある声と、内容が引っかかったのでそちらを振り向くと、女子の片一方には見覚えがあった。
(さっきの名簿合わせの時に、なんや見覚えある女がおる思たけど間違いないな、あの「はっきり物言う地味女」や、名前は確か…)
「わたし?加藤葉月!後ろの席だからよろしく!」
「わたし黄前久美子、よろしく」
(間違いないわ。黄前っちゅうんは、なんか楽器やっとんのかもしれんな)
吹奏楽部の演奏のマズさ、という話題を共有できそうと思い、初対面の女子に少々馴れ馴れしいかも知れないがウザがられたらその時、位の気持ちで立ち上がる。
「で何が…?」
「さっき、演奏しとる吹部の真ん前で『ダメだこりゃ』て言うてたやろ。…いや、悪い、聞こえてもうて。ワシもだいたい同じこと思うたんや」
加藤という活発そうな印象の女子の質問に答えにくくしている様子の黄前にかわって、横合いからベタベタ大阪弁で話しかける男子。彼の方を黄前は少し驚いて、加藤の方はそれほど驚かずに見やってきた。
「うわっ、聞かれてたんだ…いや、その、そこまで言うつもりじゃ…でも、まあ…上手いとは言えなかった、かな。ええと、あなたは?」
「…勉(べん)くん!確か、藤森勉(ふじもりべん)君、だったかな?」
「なんや、名簿合わせの時のこと、覚えとってくれたんか?」
「それはね。松本先生が「ふじもり・つとむ」って言った後に「ああセンセ、すんまへんけど「べん」って呼んでくれまへんか」って答えてたら、いやでも目立つと思うよ?」
初対面の男子に戸惑う久美子に対して、名前合わせの時のことをしっかり覚えて気さくに話しかけてくる葉月に対して、異物感のある新入生こと藤森勉は、わずかに笑いかけていた。
「そりゃ、結構インパクトあったから覚えられるよね、ベン君の名前。えっとたしか、エメラルドちゃんと同じぐらいのインパクトが…」「緑輝(サファイヤ)ですが!?」
加藤の言葉になぜか横から、即座に突っ込みが飛んでくる。藤森が驚いて振り向くと、そこにいたのは小柄な、ふわふわした印象の女子だった。初対面のはずだが、藤森も一回で名前と顔が一致していた。
「川島、やっけか?抗議のためにこっち来たんか?」
「いえいえ!音楽の話をされていたようですから聞きに来たんです!それから…」
なぜか緑輝は、久美子の学生カバンに取り付けられていた白いマスコットに、うっとりとした熱い視線を向けながら言った。
「あの…あのあの!それってチューバ君ですよね!」
「えっ!」
話を振られて、というより緑のチューバ君への食いつきぶりに驚き、うっとりした様子に少し引いてる久美子に向かって、納得したように頷く藤森。
「楽器のマスコットか、自分、音楽やってるん?それもチューバ」
「…ユーフォ。チューバ君なのは、このシリーズでユーフォのマスコットがないから、代わり」
「…まあ楽器としては、近いといえば近いわな。吹部の演奏に食いついとったから経験者やとおもっとったけど」
諦観したような遠い目で「代役」をカバンにつけてる理由を告げた久美子と、ユーフォニアムという楽器の立ち位置から何かを察した藤森に向かって、緑輝は嬉しそうに聞いてくる。
「ユーフォニアムの人だったんですね!緑、吹部だったんですよ。コンバスやってました!」
「ユーフォ?チューバ?コンバス?」
「緑?」
楽器の名前自体、詳しくない様子の葉月の質問と、緑輝の自分の名前の略し方に少し疑問を持った久美子の言葉の後に、藤森は葉月に解説を入れた。
「ユーフォニアムとチューバは金管楽器…トランペットと同じ原理で音出す楽器の、ごつくて音が低い奴やな。コンバス…コントラバスはやっぱり音が低い、バカでかいバイオリンやと思たらええ、それこそ緑ちゃんよりもごついんやで」
へー、という顔で解説を聞いてる葉月の横で、目を輝かせる緑。
「緑というのは緑の名前です。サファイアってなんかアレですし緑って呼んでいただけるとありがたいなって思ってます。それにしても藤森君お詳しいですね!あなたも吹部だったんですか?」
「ホルンやった…まあ、その、万年補欠で大したことあらへんのやけどな」
わずかに表情を引きつらせながら答える藤森の横で、葉月は弾んだ声を出す。
「それじゃ、久美子も藤森君もオパールちゃんも吹奏楽部だったんだ!ちょうどよかった、わたしね、中学まではテニス部だったんだけど高校からは吹奏楽やろうと思ってたんだ」
「緑ですが!それでしたら、今から吹部の見学に行こうと思ってたんですが、もしよかったらみんなで一緒に行きませんか?」
(初日からえらいにぎやかになっとるな…まあ、こういう成り行きもあるやろ)
あれよあれよという間に、女子が多数の初対面のグループでの吹奏楽部見学の話がまとまるのに、藤森も乗ってみることに決めた。
「うわすっごー!あれトランペットだよね!わたしあれがいいんだー!かっこいいよねー」
音楽室に通じる右側の引き戸のガラスから中を覗き込む葉月が声を上げる、そちらには女子三人が固まり。藤森は左側の引き戸の窓ガラスから、背中を扉にくっつけた姿勢で肩越しに中を覗き込んでいた。
(高音楽器にしか目が行かんあたり、葉月ちゃんはやっぱ完全なシロウトやな)
「見て見て、葉月ちゃん。あれがユーフォ」
緑が指し示す先を藤森ものぞいてみると、そこにはよく磨かれた銀メッキのユーフォニアムを吹いている長い黒髪に赤縁メガネの女子の姿があった。
「どれどれ…ユーフォでか!もうビックリするじゃん!久美子がチューバ君より小っちゃいって言うから」
「あーごめん…」
(ん、確かさっき指揮してたのあの姉ちゃんやなかったか?)
久美子と葉月に会話をよそに銀ユーフォの女子の様子に注目する藤森。すると彼がこっそり中を覗き込む視線の先で、その女子はユーフォニアムを椅子の上に置いて、なぜか腰を落としてスニーク移動で扉に近寄ってくるではないか。
「あー、サックスもいいなー」
葉月たちはほかの楽器にも目移りしていて、その女子はHIDDEN状態のまま、久美子たちのいるほうの扉の前に忍び寄っていく。
黙って中を見ている藤森と、ふと顔を上げたスニーク移動中の女子の視線が合った。
彼女は藤森がCAUTION状態だと気付いたか気づかないのか、意味ありげにウインクをしてから、なおもスニーク移動を続ける。
(知らんぷりしとこ…)
藤森は、まったく姿勢も表情も動かさずに音楽室の中を観察する姿勢を取り続けた。
突如として、右側のガラスを覗き込んでいた久美子たちが悲鳴を上げて、腰を抜かすようにして揃って床にへたり込む。藤森がそちらのほうを見ると、スニーク移動女子が幽霊のように窓ガラスに顔を接近させて、久美子たちに視覚でのスニークアタックを成功させていた。
「葉月ちゃん!」
「痛い!」
「大丈夫?」
自分も腰を抜かして床にへたり込みながら、慌てて後ろに飛びのいて、しりもちをついた様子の葉月に声をかける緑。戸惑いながらも気遣う久美子の眼前で引き戸が横にずれて、そこには「不意打ち」を仕掛けた赤縁メガネの先輩が立っていた。
「あれー?君たち、もしかして見学しに来てくれたのかな?さあ入って入って!カモンジョイナス!」
やたら明るい声で女子三人を招き入れる先輩を「きれい…」を目を見開いて見つめる葉月。そういう言われるにふさわしい雰囲気と容貌をその先輩は持っていたが、女子たちの横で落ち着いて立っていた藤森の姿を見かけると、実に面白そうに笑いながら声をかけてくる。
「ご協力ありがとう、きみ、なかなか見どころがあるねぇ」
「ゆーあーうぇるかむ。さんきゅー、そー、まっち」
「気が付いてたならどうして教えてくれなかったのよ!?」
棒読み英語で先輩にこたえる藤森に向かって、不意打ちを食わされた恨みで初対面に近い男子に容赦なく罵声を浴びせるが藤森は涼しい顔で真っ先に音楽室に入っていく。久美子は、やがてあきらめたように葉月と緑に続いて音楽室に入っていった、(これからとんでもなく、めんどくさい事になるかもしれない…)と、一抹の不安を覚えながら。