幻想島 エルトラナム。
広大な海に浮かぶその島は古より「魔術」により栄えてきた。
「魔術」とは選ばれし者のみが手にする事を許される奇跡そのもの。
常人では魔術の世界に関わる事すら不可能である、
人が魔術を手にする方法はただ唯一。
神聖国家 アヴァロニア。
遥か古来より存在する不老不死の存在 「慈愛の聖女」が統治する巨大都市。
苛烈な試験を乗り越え、国を守護する「聖十字軍」に入軍し聖女より「祝福 (ギフト)」を賜る事でランダムな魔術能力に開花する。
これにより、ヒトは漸く魔術に触れる事が可能となる。
しかし、島に住まう者の中には生まれ持って魔術を手にしている種族が存在する。
彼らは「魔族」。
聖女と聖十字軍にとっては人を襲い喰らう悪しき怪物。
彼らは愛すべき民のためにこそ魔族と戦い続けてきた。
そしてそれに「一度目」の終止符を打った「魔王軍戦争」。
10年前─ 魔族に怯える民のため聖女は聖十字軍を率いて魔族との大規模な戦争に臨んだ。
壮絶な争いにより数多の犠牲を祓う中、魔族を束ねる魔王に相対するのは聖十字軍 最高峰の力を誇る「極光の騎士」。
命を懸けた両者の一騎打ちの果て、魔王はこの世から消滅する。
そして極光の騎士もまた命を落としてしまう。
しかし、その一手こそが魔王軍の士気を根こそぎ削り取り聖十字軍は勝利を治め、神聖国家には平和が訪れた。
ある予言では、不穏な一文が記されている。
永き時を経て魔王は再び甦り、神聖国家は新たなる災いに晒されるであろう。
その予言をなぞるが如く、 僅かな生き残りや魔王軍の子孫が仇討ちを企んでいるという噂がある。
それを指揮するのは、かつて聖十字軍所属の医師であり人間ながら魔王軍に寝返った裏切り者、異端者のコーデリオン・トライエルバ。
彼は魔王討伐後、異端者として審問を受け火刑に処されたが固有の能力である発火能力が火刑中に異常強化され逃亡。
信徒達はみな「打ち滅ぼされた魔族の怨念が彼に呼応し灯火のような力が呪いの炎に成ったのだ」と口を揃える。
以来、コーデリオンは魔族軍の生き残りと接触し勢力を広げている。
聖十字軍と魔族の間には再び強大な争いが起ころうとしている。
しかし、慈愛の聖女とそれに連なる敬虔なる信徒達は決して屈さず魔族達に抗い続ける。
そう、これはヒトが悪しき「魔族」と闘う愛と勇気の物語─────
などではなく、
身を焦がれる程の執念を灯した ある男の復讐の物語である。
───魔王軍戦争から 10年後 ───
神聖国家 アヴァロニア とある民家にて
「僕は、一体どうしちゃったんだろう...。」
アヴァロニアで暮らす 青年エルナンは洗面台の前に立ち1人途方に暮れていた。
その原因となったそれは丁寧に磨かれた鏡に確と映り込んでいる。
ヤギのような二本角に、獅子のように鋭利な牙。更には細長い尾まで生えている。
「これじゃあ、まるで魔族じゃないか!」
昨日はいつものように起床し、いつものように朝食を摂り、いつものように酒場へ仕事へ向かい昼にはまかないを食べ、いつものように仕事を終え帰宅し夕食を摂り、風呂に入り、ベッドに入って眠った。
異変の前兆と思わしき事は一つもなかった。ハズだ。
しかし、今日の朝に目が覚め自身の違和感に気が付き洗面台の前に経つと、そこには。
自分と瓜二つの化け物が立っていたのだ。
アヴァロニアで暮らす一般市民のエルナンにとって、魔族とは人を愚弄し喰らう悪しき怪物である。
幼少期より何度も教えを受けてきた。
とはいえ、実際に遭遇をした事はない。
幼少期は魔族の姿を教科書の絵と写真でしか見た事がないし、最近ではニュースペーパーで聖十字軍が神聖国家に侵入した魔族を討伐した事くらいしか魔族についての話題に触れた事がないのである。
そんな自分が何故突然魔族の姿になっているのか。
状況は全く飲み込めない上、何処へ助けを求めるべきかも分からない。
下手に街に出れば聖十字軍に捕らえられるだろうし、彼らに事情を話したところで何処まで信じてもらえるかの確証もない。
「こんな時、父さんと母さんがいれば助けてくれたかな。」
ベッドに戻り頭を抱えるエルナンはサイドテーブルに置かれた写真立てを縋るように見つめる。
そこには幼少期の彼と彼の両親が睦まじげに映っている。
彼の両親は1年前、置き手紙と彼を残し突然姿を消してしまった。
置き手紙には、
私達は理由あって貴方と共に居る事が出来なくなってしまいました。
本当にごめんなさい。
どんなに遠く離れても私達は貴方を愛しています。
どうか平穏に生きて下さい。
それが父さんと母さんの一番の願いです。
と綴られていた。
無論、その手紙を初めて読んだ時は両親の動機も残された手紙の意味も、何一つ受け入れる事が出来なかった。
彼はただひたすらに両親の行方を探し求めようとした。
周囲に相談したり捜索したり、聖十字軍に協力を申し出た事もあったが手がかりすら一切発見されず未解決として扱われてしまっている。
魔王軍戦争から数年後 神聖国家では 市民の失踪事件が多発するようになった。
噂では街に侵入した魔族が市民を襲っているのだとか...。
とはいえ、死体の一部も血痕すらも見つからない。
魔術を操る狡猾な魔族であればそれを消す事も可能であるかもしれないが。
しかし非力な市民である自分が推察した所でどうにもならない。
とりあえず今は誰かに助けを求めたい。
だがそうするのであれば、最も信頼に足る人物が良い。
そう考えた彼は緊張と不安で手が震えつつも受話器をとった。
「ミーシャかい?朝早くにごめん。」
「あら、おはようエルナン。こんな時間にかけてくるなんて珍しいわね。何かあった?」
恋人のミーシャの問いにエルナンは一度迷ったものの、「魔族になったかもしれない」とその場で話せず言葉を飲む。
「...?どうしたの、エルナン。具合でも悪いの?」
ミーシャの心配するような声音にハッとしエルナンは我に返る。
「あっ、いや!具合は悪くない!悪くないけど、実は大事な相談があって...その急で悪いけど今日、僕の家に来れないかな。」
「相談事?構わないけど。それはいつ?もしかして今すぐに?」
今すぐにでも彼女が来てくれたのなら独りで悶々と悩み苦しむ時間は無くなるだろう。
だが、もしこの後すぐに彼女が来たとして、自分のこの姿を見てどう感じるのだろうか。
考えると緊張と不安がより一層強まってしまう。
自分の本心と不安と孤独、全てを汲んだ結果として彼が選んだのは。
「じゃあ今日の夜にお願い出来ないかな。遅くなっても待ってるからさ..。」
エルナンはミーシャに自分の内面を知られまいと必死に取り繕った。
それを知ってか知らずかミーシャはいつもと変わらぬ様子で返答した。
「分かったわ。今日は仕事があるからその後貴方の家へ行くわね」
「ああ、頼むよ。じゃあまた夜に。」
彼女とのやり取りを終え受話器を置くとエルナンは声を震わせながらベッドに潜り込んだ。
街中の花屋 (ミーシャの仕事先)
「それでは店長。お先に失礼致します。お疲れ様でした。」
ミーシャは店長の男に一礼する。店長は相変わらず無骨な態度で「お疲れさん。」と返すのみ。彼は基本無口で無愛想だが花への愛と客へ納品する商品への丁寧な仕事は本物だ。
それを知っていたミーシャもいつものように踵を返そうとする。
そこで「なあ、ミーシャ。」と呼び止められる。
今までであればそれで退勤時の挨拶は終わりなのに、どうしたんだろうと不思議に思い彼女は振り返る。
「はい、店長。」
「ここ最近、物騒だから用心しろよ。市民の行方不明事件も多くなってきたし行方不明者が出る日の夜にゃ街に亡霊が現れるって噂だ。」
あの店長が珍しく神妙な様子で自身を気にかけてくれている。そしてその噂を聞いたのは今が初めてだ。
「亡霊、ですか?」
「ああ。蒼い人魂を操る恐ろしい亡霊って話だ。お前さんも知ってるだろ。先日聖十字軍の一般兵サマが路地裏で倒れてたのを。随分と酷い全身火傷だったらしいじゃないか。」
早朝に聖十字軍の一般兵が重症を負い路地裏で倒れていた事件そのものは彼女も知っている。
だが、酷いほどの全身火傷?
神聖国家に住む市民はみな聖女様を信仰し悪行など決して起こさないと心から誓っている。
この国に犯罪者が存在しないのは聖女様が民を深く愛しているからだ。
それに仇を為す行為はあってはならない。
もしその誓いを侵す者がいるとしたら1人残らず聖十字軍が捕らえ厳しい刑を課されるか、最悪の場合死に至るであろう。
それとも魔族の仕業だろうか。
現に聖十字軍は街に侵入した魔族を早急に捕縛し処分している。
しかしそれを前者でも後者でもない「亡霊」とするのは何故か。
疑問は残るが、今日はエルナンとの約束がある。彼の事も心配だ。
彼の声音から察するに「大事な話」とは決して前向きな話題ではないだろう。
少しの間 思惟し彼女はその疑問を吹き飛ばすよう自身に言い聞かせるよう朗らかに笑った。
「大丈夫ですよ!この街は聖女様と聖十字軍の信徒様達が守って下さるんですから!」
彼女の返答に店長は何か言いたげではあったが急ぎ足で花屋を出る。
今は少しでも早く、彼(エルナン)の元へ向かわなければ─。
ミーシャは足早にエルナンの自宅へ向かっていた。
時折すれ違う人とぶつかりそうになるが、咄嗟に受け流す。
彼女の脳内は先刻店長から受けた忠告も深く残りつつ、最もな優先事項はエルナンの事であった。
彼の自宅は街の中心地の北側であり彼女の自宅や仕事先からもそう遠くはない。
しかし早急にエルナンの元に辿り着く必要があるため、彼女は路地裏にある「秘密の近道」を通ろうと試みる。
「きゃっ...」
小さく悲鳴を上げたそこに1人の青年がだらしなく倒れていた。
彼は酒気と濃いタバコの匂いを漂わせつつ路地裏に放置された木箱に寄りかかっている。
驚きのあまり目が合ってしまう。
酔っ払い特有の赤ら顔で青年は情けない笑みを浮かべ一方的に絡んでくる。
「こんばんは、美しいお嬢さん。いやあ。この街の酒場は良い。自分の命を賭けてでもなお飲みに行く価値がある!これに勝る喜びはそうそうありま...オェッ。」
浮かれた様子の途中で突然顔面蒼白となり、こちらに背を向けて嘔吐し始める。
ミーシャは見てはいけないものを見てしまったのだと思い、逃げるようにそそくさとその場を去る。
(何あれ..。初めて見る酔っ払いだった。カソックを着ていたけどまさか聖十字軍の人?でも聖十字軍の人があんな罰当たり事してるわけがないし..。変質者かしら。)
今にでも聖十字軍へ通報する事も考えたが、自身でも不思議なくらいあの青年に対する警戒心が徐々にたち消えていく。
(まあ良いわ。それよりも今はエルナンの所へ行かなきゃ!)
「ッ...ううっ...う゛~゛ん...」
一頻り吐き続けその場に虹の海を創り出した後、青年は懐からティッシュペーパーを取り出し口をキュッと拭いそのティッシュを勢いよく地面へ放り投げる。
(はあ。今日も一生分吐きましたね。)
嘔気から解放された彼は清々したといった様子で再び懐を探りタバコを1本取り出し咥える。
ライターも持たず指先だけを煙草に触れたその時。
(...おや、あれは。)
路地の隙間から白いカソックを着た集団が闊歩している姿を見咎める。
その瞬間、彼はサッと身を潜めた。
サングラスの向こう側の視界から集団の背中が見えなくなるまで見送ると彼は不敵な笑みを浮かべる。
(今はまだ見つかるわけにはいかないのでね。)
そして咥え煙草に再び触れた指先には、蒼い篝火が灯っていたー。
「ああ...ああああああ。 」
ついに夜が来て、しまった。
エルナンはあれ以来ベッドの中に潜り込みついぞ外へと出る事が出来なかった。
こんな状況では顔を洗う気も、配達されたニュースペーパーを読む気も、食事を摂る気すらも起きるわけがない。
もし自分がベッドから出た時、それを窓から誰かが見ていたら?それを聖十字軍に通報されたら?
聖十字軍に捕まった自分が魔族として断罪されたら?
恐ろしさのあまり身体が震える。
眼孔からは涙、鼻孔からは鼻水が溢れ、口腔は震えガチガチと音が鳴る。
こんな自分の姿を見せても果たして恋人(ミーシャ)は助けてくれるだろうか?
恐れながらも手を差し伸べてくれるなら、それだけでいい。
だから、どうか僕を見捨てないでくれ!ミーシャ!
その緊張を切り裂くように突如ドアホンが鳴る。
驚きのあまりエルナンはヒャアと声を上げベッドから転落する。
身体をガクガクと震わせながらも玄関へと向かうエルナン。
「いるの、エルナン?私よ、ミーシャ!」
愛しい恋人の聞き慣れた声。
聴覚がそれを受け入れた時、今までの日常が戻ってきた気がして安堵の涙が溢れる。
今すぐにでもこの隔たりの向こうにいる彼女に会いたい。
声を聴いただけでも不安は収まったが、面と向かって話をしたい。
唐突な状況に彼女はひどく困惑するだろう。
でも最も信頼し最も愛する人だからこそ、今の自分の苦しみを打ち明けたいのだ。
息を切らしながら戸の鍵を解錠し勢い開く。
「ミーシャ!!実は僕こんな姿になってしまって...え?」
エルナンが見たのは彼の姿に驚愕するミーシャの表情。
しかしそれは純粋な驚きなどではなく、忌まわしい汚物を見るような侮蔑を強く含んだ眼差しであった。
「ばっ...化け物!!貴方、魔族ね!!本当のエルナンは何処!?」
口角に泡を含みつつ鬼の形相で捲し立てるミーシャ。
今までの冷静ながら穏やかな彼女からは想像もつかなかった姿にエルナンは哀しむ隙もなく呆然と立ち尽くす。
「違う、違うよミーシャ!!僕は、エルナンだ!君の恋人のエルナン・メイヴァス!」
すぐさま我に返り慌てつつ彼女を諌めようとするが、
「いいえ、貴方は違う!エルナンを返して!!」
その努力も虚しく。
彼女はエルナンを睨め付けながら後ずさりし、スカートのポケットから小さな十字架を取り出す。
「救済の手」。
それは聖女の加護が与えられた十字架。
聖十字軍は一般市民にこれを定期的に配布し、一般市民は何かしらの事故/事件に巻き込まれた際、魔族の襲撃を受けた際等に強く念じる事により聖十字軍がその祈りをキャッチし即座に駆けつけるという。
ミーシャはエルナンの手を片手で勢いよく払い除けつつ、十字架を強く握り締める。
直後、彼らの間に入るように白いカソックを纏う集団が現れる。
彼らこそが聖十字軍。そのうち街の基礎的な治安維持を任されている一般兵である。
「こんばんは。一般市民のお嬢さん。あんたを襲おうとしてる魔族っていうのはコイツの事かい?」
軽快な笑みを浮かべながら集団のリーダーだと思わしき男がミーシャへ尋ねると共に エルナンへ殺意の籠った剣が、銃が、槍が、向けられる。
絶体絶命的な状態の中、今もなお何かの冗談であってくれと祈りながらミーシャを見据える。
しかし、ミーシャはその表情と声音を一切変えぬまま言い放つ。
「ええ、アレが彼に成りすました魔族です。見るだけでも穢らわしい! !どうか早く殺して下さい!!」
彼女の言葉に深く頷いた直後、リーダーの男は冷徹な眼差しをエルナンへ向ける。
その眼差しに含まれた鋭い殺意にエルナンは膝から崩れ落ちてしまう。
「じゃ、そういう事だ。悪いね、兄ちゃん。」
エルナンはこれから自分に起こる惨劇を思い浮かべ目を瞑る。
(なんで。どうして。僕が何したっていうんだ...!)
再び涙がボロボロと零れる。
しかし、その時は一向に訪れない。
直後のミーシャの悲鳴によりエルナンは恐る恐る瞼を開く。
彼の目に映った光景は。
向けられた殺意の先端はそこには無く。
蒼い焔に包まれもがき苦しむ一般兵達の姿があった。
「クソッ!!熱い!熱い!熱い!!!」
「何だ、何が起こって...!!!」
一般兵達は身を苛む災焔を振り払おうと足掻きつつ周囲を見渡した。
「良い月夜ですねぇ。清らかなる聖十字を掲げた敬虔な信徒の皆様。どうです?こんな素敵な夜は──。」
背後から浴びせられる飄々とした声。
そこに佇むのは。
蒼い髪に漆黒のコートとカソック、
サングラス越しでさえはっきりと分かる妖艶な笑みを称える眼差しを向ける青年。
その両手には冷徹な殺意を宿した蒼い焔が燻っていた。
「お前は─。大罪人 コーデリオン・トライエルバ...!!」
コーデリオンは怨嗟を含んだ声色で名を呼ばれようと意に介さず不敵な笑みを返す。
「極上のディナーに相応しいステーキのように丸焼きになってみては。ミディアム?レア?それとも思い切ってウェルダン?どのご希望にも喜んで対応致しますよ。」
身を焼かれ続けながらも一般兵の1人がコーデリオンへ銃を向ける。
「ふざ、けるな...!お前は魔族に並ぶ邪悪な存在だ...!ここで罰を受け...ぐっ!?」
銃の引き金を引きかけ、吐血する。
それを表情を変えず眺めるコーデリオン。
「すみませんねえ。俺の操る焔はただの焔ではありません。何よりも清らかなお前達を魂から焼き尽くす呪いの焔です。」
そう言いつつ彼はエルナンに歩み寄り、勢いよく抱え込んだ。
「!?」
何が起こっているか、今のエルナンには現状を飲み込む余裕等なかった。
ミーシャが聖十字軍を呼び、自分はその場で処分されるはずだった。
そこに突如として現れた 謎の青年。
聖十字軍の兵は彼をかの大罪人「コーデリオン・トライエルバ」と呼ぶ。
かつて聖十字軍に所属していたが謀反を起こし処刑される最中逃亡した、人に在らぬ極悪非道の者。
しかし、その人物が窮地の自分を救ってくれたのだ。
考えれば考えるほどに思考が混乱するエルナンは、 コーデリオンに抗う事もなく硬直するほかなかった。
「待ちなさいッ!!」
呪焔に焼かれ倒れ伏す聖十字軍を目の当たりにし自身も同じ目に合うかもしれないと考えながらも、ミーシャはコーデリオンを呼び止めた。
「貴方、何者なの!?そいつは正真正銘の魔族でしょ!?どうして手を貸すの!?」
金切り声で叫ぶその表情には憎悪と恐怖が入り交じる彼女はヒステリー状態そのものだ。
しかしコーデリオンは一切動揺する事はなく、幼い子供を優しく諌めるように口元に「しーっ。」と指をあてる。
その直後に放たれた一言は何ともデリカシーのないものではあったが。
「静粛に。喚き叫ぶと毛穴が全開になって折角の美貌が台無しですよ、お嬢さん。」
コーデリオンの挑発じみた一言にミーシャは苛立ち歯を食いしばりながらもこちらを睨めつける。
彼女があれ以来「救済の手」を使用する素振りはない。
どうやら1つしか持ち歩いていなかったようだ。
「逃げても無駄よ!近隣の住民を頼って聖十字軍に改めて通報してやるわ!!」
それを聞いた途端、コーデリオンはエルナンを抱えたまま駆け出し高く飛翔すると住宅の屋根へと飛び乗る。
「それは困りますね。荷物を背負いながら戦うのは骨が折れます。」
気だるげに頭を掻きつつ、一言残しその場から姿を消した。
時刻は夜更けとなり辺りは暗闇に包まれている。
コーデリオンは抱えられたままのエルナンに声をかける。
「ハニーの事は残念でしょうが、そこまで気を落とす必要はありませんよ。」
それに対しエルナンは黙り込んでいたがゆっくりと口を開く。
「でも少し冷静になった今考えてます。
僕たちは子供の頃から魔族は怖いものだと教わった。
だからこそ彼女の反応は当然なんだって。」
コーデリオンはなるほどと言った様子で顎に手を当てる。
「フム。 つまりお前のハニーだった女は人間らしいと。あながち間違いではないですね。」
コーデリオンはエルナンを気にも留めず懐からタバコを取り出し口に咥えると指先を当てる。そこから僅かだが蒼焔が湧き出し着火する。
勢いよく吸った灰煙をフーッと吐き出すコーデリオンに戸惑いつつもエルナンは苦笑する。
「そうかもしれませんね。
それでも本当に優しい彼女でした。
ボクをいつも気遣ってくれて。
何で、こうなったのかな...。」
優しかった頃のミーシャを思い出す。
不器用でうっかり屋な自分を叱りつつ気遣ってくれた彼女。
不安に駆られそれに怯えても「大丈夫よ!」と元気づけてくれた彼女。
その彼女から向けられた明らかな憎悪と侮蔑。
気が付けばエルナンは視界を奪われる程の大粒の涙を流していた。
その様子を横目にコーデリオンは静かに呟く。
「その姿になってしまった事について、もし原因があると言ったらお前は信じますか?」
投げかけられた言葉に、エルナンは目を見開く。
「知りたい、です。100%信じられるかは分からないですけど。」
自身に起こった災難に原因があるとするのなら何が何でも知りたいとエルナンは望んだ。
「魔王軍戦争から数年後、神聖国家にはとある疫病が伝染しているのです。それは魔族化の病と言う。」
「魔族化の病」とは、人間が何の予兆もなくある日突然魔族の姿になってしまう病である。姿形こそは魔族だが生まれた時点で魔族である者とは決定的な違いがある。
それは魔力を持たぬため魔術を扱えぬ点である。
感染者は姿形のみ魔族となるが魔術を扱えぬ欠陥生物と化してしまうのである。
更に恐るべきはそれのみに限らない。
「聖女 エリシアと聖十字軍はそれを隠蔽した上、感染者を秘密裏に処分し失踪事件として偽装している。失踪事件が起こる日には同じく街に侵入した魔族を聖十字軍が討伐しているでしょう。つまりはそういう事です。」
それを聞いた途端、エルナンの脳裏に真っ先に浮かび上がってきたのは3年前に失踪した両親の事だった。
信じたくはない事実を予期し思わず声が震える。
「じゃあ、僕の両親は...まさか...。」
しかしその言葉は途中でコーデリオンに遮られてしまう。
「確かに間に合わなかった人々もいます。本当に悔しくて仕方ありません。...ですが、この手で救う事が出来た人々だっている。」
何やら裏のありそうな言葉にエルナンは疑問符を浮かべる。
「それって一体... 」
それに対しコーデリオンは優しく微笑むのみだった。
「これから行く先で分かりますよ。」
そう話し、路地裏の奥深くの暗闇まで歩みを進める。
コーデリオンは最も深い暗闇の中で立ち止まりコート首元のボタンをぐっと押し込む。
すると
「コーデリオン・トライエルバ様と魔族化の病感染者1名 帰還及び入城を許可致します。」
何処からともなく淡々とした声が聞こえた直後、コーデリオンとエルナンは漆黒の暗闇 に足元からズブリと沈んでいった。
「うーん..。ここは...? 」
不思議な感覚に包まれた余韻が身体に残りつつもエルナンは周りを見渡す。
いつのまにか彼はコーデリオンから降ろされたようで地面に直立していた。
そこは神聖国家に比べると、とても小さな集落であり民家が点々と建っている。
「ようこそ、魔王城 ナハトブルグへ。我々はお前を歓迎しますよ。」
恭しく一礼するコーデリオンの背後には満月を讃えた仰々しい程の荘厳な古城がそびえ立っている。
「魔王城 ここが!?どうやって移動したんですか!?だって魔王城は冥府の砂漠を越えた先にあるはずじゃないですか! 」
冥府の砂漠。
神聖国家の外門を出た眼前に広がる広大な砂漠であり、まさに気の遠くなる程に果てのない距離の地形と天候、気温の寒暖差が数多の通行者の命を奪い、越えられる者はひと握りである。
故にそう名付けられている。
魔王城 ナハトブルグ は、冥府の砂漠を真っ直ぐに北へ進み続けた遥か先に位置している。
かつて魔王 ルシファーが統治した領土であり、城下には魔族達が暮らす小規模の集落がある。
空は常に夜の帳を下ろしており、美しい満月が魔王城を静かに照らしている。
「それはうちの‘’技術顧問‘’が血と涙の努力の末に開発した超特殊技術による賜物です。ひとまずは影と暗闇、そして魔力を用いていると説明しておきましょう。」
自分が主に関わったわけでは無さそうだがコーデリオンは得意げにフフンと鼻を鳴らした。
「技術顧問...。」
「この魔王城も集落も、魔族達が支え合いながら密やかに暮らしています。そして...」
語りながらコーデリオンはエルナンをスっと指す。
「お前のような魔族化の病に感染した者を保護し治療の手段を探し求める事も我々の使命です。これから集落の中を案内しましょう。」
魔族の村の集落はとても平穏で、重暗いはずの夜の闇を点在する行灯が温かく照らしている。
実を言うとエルナンの不安は、コーデリオンに出会う以前よりは和らいだが完全に消え失せたわけではない。
コーデリオンは聖十字軍が手配中の大罪人であり、現に蒼い焔を操り一般兵に重傷を負わせた。
その大罪人が理由あって自分を救い出してくれたのは事実であるが、何処まで信用して良いのかは未だ掴めないのだ。
そして自身の本心を今ここで打ち明けるべきかも悩ましい。
もし、自分が打ち明けたとしても彼はこの不信を打ち消す程に信頼に足る事実を提示してくれるのだろうか。
後ろを着いて歩きつつもエルナンの表情には陰りがあった。
集落の中心部の広場に辿り着いた頃、エルナンはある光景を見咎める。
「あれは、魔族...?」
そこには小さなスライムから巨大なゴーレム、リザードマンや狼男、今の自身と同じく人間の身体に角や尾を生やした姿の者たちが集っていた。
ある子供達は種族に関わらず楽しそうに遊び、ある魔族は畑で育てた野菜を売り、ある魔族は鍛冶屋と研ぎ屋をし、ある魔族達は広場のベンチに腰掛け談笑している。
自分の暮らしていた街並みに比べれば少しちっぽけだが感じ慣れていた風情に近い雰囲気を感じ取る事が出来た。
「あっ、こーでりおん!お帰りなさいっ!」
そこで魔族の子供達がコーデリオンの周囲に集まってくる。
「ただいま。皆今日も元気そうで何よりです。」
つい先程、殺意の視線で聖十字軍と相対していた男とは全く別人のようにコーデリオンは優しく微笑み子供達の頭をそっと撫でた。
薄暗めのサングラスと黒コートさえ無ければ、身につけたカソックと彼の雰囲気も相まって、まさに教会の神父のような出で立ちである。
しかしその幻想は即座にたち消えてしまう。
「あっ、お酒とタバコくさい!それにちょっとこげくさいなあ。」
子供故の実直な意見にストレートをかまされ、コーデリオンは一瞬だけたじろぐ。
「バレましたか..。でもゲロの臭いは誤魔化せたようで良かった...。」
今この人一瞬ゲロとか言わなかった?と思いつつエルナンはコーデリオンを一瞥するが彼は気が付いていないようだ。
すると、子供達の1人がエルナンに気付き不思議そうに見つめてくる。
「この人はだーれ?新しいお友達?」
その声を皮切りに子供達がエルナンの周りに歩み寄ってくる。
子供達は各々「はじめましての人だ。」、「ツノが生えてるよ」、「しっぽもだ。」、「デーモンかな?ボクとおんなじ!」等とエルナンに興味津々だ。
エルナンは戸惑いつつも「はは..。どうも。」とはにかんだ。
「彼はね、今日からこの集落で暮らす事になったのですよ。名前は...おっと失礼。聞くのをすっかり失念していました。」
そういえば救い出された身であるのにここまで来る間に名を名乗っていなかった事をエルナンはふと思い出す。
彼らを未だ完全に信用しきったわけではないが、名前くらいなら名乗っておいた方が良いのではと彼は判断した。
「僕の名前はエルナン・メイヴァス、です。」
その名を聞いた途端、コーデリオンが神妙な顔つきでエルナンを凝視する。
「メイヴァス...?」
「えっ?僕今何か、気に障る事を言っちゃいましたか?」
含みがあるような反応に困惑するエルナンの手は直後、コーデリオンに手を引かれる。
「お前に会って欲しい人々がいます。少し先を急ぎましょうか。」
何かを思い出した様子のコーデリオンはそれだけを言い残すと子供達に「失礼。急用を思い出しました。それでは。」と手を振りエルナンを連れその場を立ち去った。
子供達が「またねー!」と手を振る様を背にコーデリオンはエルナンの手を引き広場を突き進む。
「ちょっと!急にどうしたんですか?会わせたい人って一体誰なんですか?」
彼の突発的な行動にエルナンは慌てふためきながらもコーデリオンの後を着いて行く。
この村はおろか、自分に魔族の知り合い等いる筈がない。
そもそもここは魔王城だ。
コーデリオンを真っ当な人間としてカウントするべきかは不明瞭だが少なくとも神聖国家で暮らす人々は誰一人ともいないだろう。
唯一、例外を除いては。
「お前の名を聞いてピンと来ました。彼らに会えばお前もきっとこの意味が分かるはずです。」
コーデリオンの言葉と声音に含まれた期待のようなものを察する事は出来ても、何が彼を駆り立てているのだろうか。
魔族達が病によって魔族化した者と共生する集落、「メイヴァス」という姓に反応した事。
そして魔族化したヒトは神聖国家では行方不明者として扱われる事。
それらを点と線で結び合わせると一つの可能性に繋がる。
「着きましたよ。...とはいえ家主が不在であれば探しに行く必要がありますが。」
コーデリオンに導かれエルナンが辿り着いたのは住宅密集地の内にある小さな一軒家。
連なる庭には薪が積み重ねられ纏められており傍らには薪割り用の手軽な斧がある。
ふと、父親と共に薪を割った記憶が蘇り懐かしい情景が脳裏に浮かぶ。
もしこの先起こる事が自分の願っている事なのか否かを考えると希望と期待が湧き出す反面、元より抱いていた不安が更に強まる。
様々な感情が綯い交ぜになるあまり緊張で脈打つ鼓動を感じつつ、コーデリオンが来客用の呼び出しドアベルを鳴らす様子を見守った。
「はい。あら...コーデリオンさん。今日はどんなご用事かしら?」
開かれたドアの向こうに現れたのは下半身が蛇胴と尾に化した蛇女(ラミア)の姿をした女性だった。
しかしその顔つきはエルナンにとってよく馴染みのあるものだった。
「母、さん...?」
驚愕のあまり思わず声が漏れる。
呆気にとられているエルナンを察し、コーデリオンが身を後方へ引く。
「実は貴方と旦那さんに会わせたい人がいましてね。エルナン・メイヴァスとは貴方がたのご子息ではありませんか?」
その言葉と同時にエルナンに視線を向けた女性の身体は震え、瞳からはいつのまにか涙が溢れていた。
「エルナン...!ああ、エルナン!!」
女性はエルナンの元へ駆け寄り力強く抱擁する。
「ごめんなさい...!1年前、私も父さんもこの病に罹ってしまって...傍に居られないと思ったから貴方を独り置いていってしまったの!」
震える母親の声音からは深い懺悔の意を感じ取れる。
だが、今はそんな事も魔族化の病もどうだっていい。
何故ならこうして再会する事が叶ったのだから。
「ずっと会いたかったよ、母さん...!僕は独りで心細かったし不安で仕方なかったけれど、母さんに会えてすごく安心してるんだ。」
エルナンも号泣し母親を抱きしめ返す。
すると、外の様子が気になってか一軒家からもう1人、男性が現れる。
「どうした。マリーダ。一体何があったんだ?」
猪のような顔面をしたオークのような姿をしているが、顔つきにはエルナンが深く知る面影がある。
「父さん!僕だよ、エルナン!」
エルナンの声を聞くと男性もエルナンの元へドタドタと駆け寄ってくる。
「お前、まさか魔族化の病に...!?他に症状はないのか?熱が出たり気分は悪くないか?お前には無事であって欲しかったが..。いや、それより本当にすまなかった!お前にひどく寂しい思いをさせて...!」
エルナンは涙しつつも優しく微笑み、母と父を自分の腕で抱き寄せた。
「いいんだ。だってこうしてまた2人と会えたんだから。」
魔族化の病という困難に苛まれ一度は離れ離れになった親子。
彼らは皆、自身が突然魔族の姿になってしまい絶望し深い恐怖と哀しみに駆られたはずだ。
しかし、その困難により彼らは再び巡り会う事が叶ったのである。
皆異なる魔族の姿をしているが、長年寄り添い共に過ごした家族の血筋もその愛はいずれも繋がっている。
奇妙な境遇に巻き込まれようと変わらぬ家族達の温かいひと時を、コーデリオンはただ静かに見守っていた。
「コーデリオンさん、貴方のおかげで両親にまた会えました、ありがとうございます!」
メイヴァス家のリビングにて椅子に腰掛けるコーデリオンに、エルナンが深々と一礼する。
「俺は魔族化の病に感染したお前とその両親を聖十字軍から保護した、それだけの事です。家族誰かを残しほかの者が感染するに留まればこの再会は叶わなかったでしょう。」
「それはそうですけど...。」と口篭るエルナンの背後から、彼の母が淹れたての紅茶が入ったティーカップを運んで来る。
「それでも、私達は貴方に感謝しているのよ。あの日、貴方が助けてくれなかったら私達はここにはいない。それだけじゃない。貴方は息子の事も救い出してくれたでしょう。」
コーデリオンは手元に置かれた紅茶にそっと口をつけ一口飲むとふう、と息を吐く。
「マリーダの言う通りだ。あの夜あんたと出会った時は息子に何も伝えず置いていく事が悔しくて仕方なかったが、結果的にこうして家族皆で揃う事が出来たんだからな。 」
エルナンの父はそう言うと彼の頭を優しく撫でる。
しかしコーデリオンの何処か憂いを帯びた表情は変わらない。
「神聖国家は並以上の魔力を持つ者にしか出入りを許されていません。つまりはヒトとして出入りが可能な者は聖十字軍のみ。何も持たぬ一般市民は脱出を実行するどころか試みる事すらしない。」
コーデリオンの言葉に含まれた意図が理解できずエルナンは小首を傾げる。
「それってどういう事ですか、コーデリオンさん..。僕にはよく分からないんですけど。」
「聖女は一般市民と聖十字軍、神聖国家に住まう者全てを洗脳していると言えば信じますか?」
表情を変えぬまま答えるコーデリオンに、エルナンは更に困惑した。
両親に視線を送ると2人とも陰鬱な表情で俯きゆっくりと頷いた。
「魔族は悪しき存在であると子供の頃から教わってきたとお前は言いましたね。それは人々積み上げてきた教えではなく、聖女が生み出した虚構に過ぎません。」
コーデリオンの言葉に、エルナンは以前の自身の記憶と、魔族化した自身の姿を見て驚き悲鳴を上げたミーシャの事を思い出す。
自分もまた、ミーシャと同じく魔族を悪しき存在であると断じていた。
神聖国家の外には恐ろしき魔族が跋扈している。
冥府の砂漠の事もあり、この島で最も安全な場所は神聖国家の内にあると信じきっていたのである。
「中には洗脳が意味を成さぬ者もいます。それは魔族とその因子の一部が身体に現れる魔族化の病の感染者。加えて極めて僅かですが偶然それを無効化する事が可能な者です。」
続くコーデリオンの言葉にエルナンは自身が魔族化した以降の記憶を呼び起こす。
当初は悪しき存在されている魔族のような姿になってしまった事に驚愕していたが、コーデリオンに救い出されそこで暮らす魔族を知り両親と再会する事が出来た事もあり、今は恐怖と不安から解放されている。
「初めて出会ったあの日、まだ普通の人間であるご子息を置いて行くのは心配だと訴えましたね。メイヴァスさん。」
コーデリオンがエルナンの父と母へ視線を向ける。
それに対しエルナンの父が口を開く。
「ああ。そしたらあんたは聖女の洗脳が解けないままの息子と面と向かっても魔族と断じられ、騒ぎを聞きつけた聖十字軍が俺達を殺しに来る。息子もどんな事情であれ必ず救う。家族皆が再び集う事を叶えると言った。でもあんたを信じて良かったと思っているよ。」
その言葉を聞き途端にエルナンは肩を竦めた。
今こそ自分自身も魔族の姿に変化しているが、もしあの時魔族の姿と化した両親が自分の前に現れていたなら、果たして自分は心から両親だと信じる事が出来ただろうか。
ミーシャと同じく化け物と糾弾していたのではないだろうか。
「所詮は魔族化の病という災厄が生み出した偶然の奇跡という事です。俺はあくまで自己満足でそれに加担したに過ぎません。」
そう言うとコーデリオンは紅茶を全て飲み干した。
ティーカップを手元に置き、立ち上がり見なり整えると優雅に一礼する。
「では今日はこの辺りで失礼します。これ以上長居しては家族団欒の邪魔になってしまいますからね。」
メイヴァス一家は玄関先までコーデリオンを見送っていた。
「時折様子を見に伺いますので有事の際は遠慮なく。もしくは近所の者に助けを求めても良いですよ。彼ら、イヤな顔はしませんから。」
その言葉を最後に立ち去ろうとするコーデリオンに対し、エルナンが今までの彼の行動・言動から感じ続けてきた最後の問いを投げかける。
「待って下さい!最後に教えてくれませんか...!どうして貴方は聖十字軍と戦ってまで、僕達のような人を助けるんですか?」
エルナンの問いに、コーデリオンは背を向けたまま手をヒラヒラと振り答える。
「俺は救いたいのです。病に苦しむ人々や迫害され続けている魔族を。」
そして一軒家を後にし、コーデリオンは1人拳を強く握りしめ本当の胸の内を吐露する。
「...なんてものは建前です。
復讐ですよ。たった1人の親友を奪われた事への、ね。」
神聖国家 アヴァロニア 聖城 マグダラ
聖十字軍の本拠地であり聖女が住まう聖城 マグダラ。
軍事会議や報告を行う円卓の間では聖女エリシアと共に戦闘特化部隊 10の信徒ならびにごく一部の一般兵が集っていた。
10の信徒とは、聖十字軍の中でも極めて戦闘能力が高く優秀な魔術を有する者達で構成された部隊。
入隊試験、審問をクリアした上で上級の魔族5体を討伐するか候補生同士で競い合う聖伐試験に合格する事が加入条件である。
なお、数字の序列は戦闘能力を参照している。
「...以上がコーデリオン・トライエルバに関する情報及び被害状況です。」
一般兵は報告を終えると即座に後方へ控える。
聖女 エリシアは憂いを帯びた様子でため息をつく。
「罪のない一般兵を150人も焼き殺すなんて、恐ろしい人。やはり怨念に囚われた亡霊なのですね。」
それを見た10の信徒のうち、第6の信徒 過爆の魔術の使い手 イコラは心底腹が立つといったようで癇癪を起こす。
「あのクソ野郎、聖女様を悲しませるなんてほんとにサイッテー!!二度と復活出来ないように肉片も残らないくらいぶっ飛ばしてやるわ!!」
それを第4の信徒 蒼波の魔術の使い手 ハインリヒが窘める。
「全く、五月蝿い女です。呪いであろうと所詮は焔。僕の能力の前ではボヤにすらなりませんよ。」
イコラがハインリヒに「何ですって!?この陰湿クソメガネ!」と掴みかかりそうになる。
その間に素早く介入し2人を抑制するのは、第2の信徒 錬鉄の魔術の使い手 アッシュフォード。
「まだ聖女様の話が終わっていない。勝手に盛り上がるなら2人とも外でやってくれるかい?」
アッシュフォードの手にはいつのまにか二丁の銃が握られ、2人のこめかみに強く押し当てられている。
それを優しく諭すように聖女が「待ちなさい。」と片手を上げ制止の意を表す。
アッシュフォードは即座に銃を離し自席に戻り、2人は何事も無かったかのように黙り込む。
「とても胸が痛む話ではあるけれど、魔王軍残党及び全て魔族の討伐を貴方達に命じます。これは神聖国家とそこに暮らす民のため。救いの手を望む者達こそ護られるべきです。」
聖女の降した命に10の信徒達は深々と頭を垂れた。
すると第3の信徒 存記の魔術の使い手 ローザが高々と手を掲げた。
「まずは奴らの資源収集先と比較的弱い魔族が管理しているコロニーを攻め落とすというのはどうだろうか。」
それに対し苛立った様子で反論するのは第9の信徒 大地の魔術の使い手 ジェラルド。
「さっさと大将首をとれば済む話だろ。回りくどいんだよ。」
ローザは余裕綽々な様子で悪辣な笑みをうかべる。
「それではつまらないよ。罰というものはじわじわと相手をいたぶってこそ楽しいものだろう。絞首刑のように、さ。」
「悪趣味な女だぜ、全く。」
吐き捨てるジェラルドをローザは意にも介さない。
「いくらでも言うがいいさ。僕がその気になれば君を僕の虜に出来るのだから。」
ジェラルドは反論する意思が失せたようで小さな舌打ちのみを返す。
「良いでしょう。ローザの提案を汲みます。」
聖女がローザに柔らかく微笑みながら頷く。
一方、ローザは「ありがたきお言葉です!」と恭しく一礼した。
聖女はこの場に集う聖十字軍の者全てに呼びかけるよう語る。
「彼らの一手や行動は未知数。偵察も兼ねて包囲網を敷くよう戦いに挑むのです。」
そして力強い声色と共に優しく微笑む。
「どうか恐れないで。貴方達には私の祝福があるのですから。」
その様はまさに神聖国家 アヴァロニアを統治する「慈愛の聖女」そのもの。
無論その言葉と微笑の裏に潜む何かを知る異端者は、この聖域にはいない。
そして聖域の外にいる者もまた、魔王軍戦争のような悲劇が再び引き起こされる事を知る由もない。
だが復讐の蒼炎はこの程度で決して燻る事は無い。
数多の命を呪い燃やそうと、かき消されようと、烈滝のごとく豪雨が振り注ごうとも。
亡霊となった咎人は、その業火に魅せられた同胞と共に矛盾と欺瞞にまみれた十字架を砕かねばならない。
その艱難辛苦の果てにこそ、魔族の王であった友が何よりも望んでいた平穏があるのだから。
再び魔族を粛清し滅ぼす事を目論む聖十字軍と、魔王亡き残党軍の壮絶な戦いが今、幕を開ける─。