それは、博麗霊夢が黒山に拠点を構え、自衛隊を追い返してから数日後のことだった。
5月の昼下がり。
霊夢は、社務所の縁側で茶を啜りながら、完成したばかりの防衛システムに満足げなため息をついていた。
「……完璧ね」
神社の周囲には、二重三重の結界が張り巡らされている。
外側には、物理的な侵入を拒む「博麗大結界・簡易版」。
内側には、前世の島根と今世で培った神職知識を総動員した「八重垣(やえがき)の術式」。
これにより、許可なき者は鳥居をくぐることすらできない。
泥の怪異だろうが、重武装した軍隊だろうが、この聖域には指一本触れられないはずだった。
(これで安眠が確保できるわ。あとは参拝客さえ来れば……)
ズズズ、と茶を飲み干した、その時だった。
チャリン。
硬貨が落ちる音がした。賽銭箱の方からだ。
「……は?」
霊夢は湯呑みを持ったまま凍りついた。
警報は? 鳴っていない。
結界の破損は? どこにもない。
なのに、「すでに境内に誰かいる」。
霊夢は音もなく立ち上がり、気配を消して拝殿へと回り込んだ。
そこにいたのは、あまりにも異質な「二人組」だった。
「へえ。これが噂の『博麗神社』か。案外ボロ……じゃなくて、趣があるね」
賽銭箱の前で、長身の男がニヤニヤと笑っている。
白髪。黒いサングラス。上質なシャツにスラックス。
その立ち姿だけで、周囲の空間が彼を中心に歪んでいるような錯覚を覚える。
「んあ〜……おじさん、眠いよぉ……ここ、日当たり良すぎない……?」
そして、その足元の石畳に、ピンク髪の少女が直接寝転がっていた。
だらしない格好だが、その身体から漂う「神秘」の密度は、拝殿の神気すら凌駕している。
(……いつ入った? いや、違う)
霊夢は戦慄した。
男の方は、結界を「壊して」いない。「無限」の距離を操り、結界の座標をすり抜けて入ってきたのだ。
そして少女の方は、結界が彼女を「異物と認識できずにスルーした」。あまりに自然体すぎる「神秘」の塊だからだ。
「……無銭参拝はお断りよ」(※無銭じゃないです)
霊夢は静かに声をかけながら、袖の中から大麻(おおぬさ)を取り出した。
瞬時に、空気が張り詰める。
男――五条悟が、ゆっくりと振り返った。
サングラス越しに、蒼い瞳が霊夢を射抜く。
「お、怖い怖い。挨拶に来ただけだって。……僕ら、ご近所さんだし?」
「挨拶なら鳥居から入り直しなさい。不法侵入者には、お祓い(物理)で返すのがウチの流儀よ」
問答無用。
霊夢は地面を蹴った。
速い。
常人なら視認すらできない速度で踏み込み、神気を込めた大麻で、男の脳天をカチ割る一撃を放つ。
ガギィン!!
硬質な音が響いた。
大麻は、男の髪の毛一本触れることなく、その数センチ手前で「見えない壁」に阻まれて停止していた。
「おー、いい踏み込み。……でも、僕には当たらないよ」
五条が余裕の笑みを浮かべる。
「無限」。対象との間に無限の距離を作る、絶対不可侵の術式。
霊夢の脳内で、前世のオタク知識が警鐘を鳴らす。
(やっぱりこいつ、五条悟だわ! 物理無効、術式無効のチートキャラ!)
だが、今の霊夢は「ただのファン」ではない。博麗の巫女であり、明階の位を持っていた神職だ。
この程度の理不尽、幻想郷(のシミュレーション)で飽きるほど見てきた。
「……当たらないなら、『当たる理屈』を無視するだけよ」
霊夢の瞳が、暗い赤色に輝いた。
ふわり、と彼女の体が重力から解き放たれる。
いや、重力だけではない。摩擦、抵抗、距離、因果。あらゆる物理法則から、彼女の存在が「浮いた」。
――夢想天生(むそうてんせい)・片鱗。
霊夢の大麻が、音もなく軌道を変えた。
無限のバリア? 関係ない。
彼女は今、現実の座標軸にいない。
「そこにある」という事実だけを残し、干渉判定をすり抜けて、五条の懐へと「滑り込んだ」。
「……っ!?」
五条の余裕が消えた。
彼は反射的にバックステップを踏み、同時に強烈な呪力を掌に収束させる。
ドォォォォォン!!
二人の力が衝突……しなかった。
衝突する寸前で、巨大な鋼鉄の壁が間に割って入ったのだ。
「うへぇ……おじさんの昼寝を邪魔する子は、お仕置きだよぉ……」
寝ていたはずの少女――小鳥遊ホシノが、いつの間にか二人の間に立っていた。
その手には、自身の身長ほどもある巨大な展開式盾(アイアン・ホルス)。
霊夢の「夢想」の一撃と、五条の「無限」の余波を、彼女はあくび混じりに受け止めていた。
三すくみ。
境内が静寂に包まれる。
(……嘘でしょ)
霊夢は冷や汗を流しながら、距離を取って着地した。
五条悟の「無限」をすり抜けるつもりだったが、その攻撃をホシノの「神秘」が弾いた。
相手は、ジャンプ最強とブルアカ最強。こっちは東方最強(自称)。
これ、続けてたら境港の地図が書き換わるわよ。
「……やるねえ」
五条が口笛を吹いた。
その目は、もう霊夢を「ただの神社の娘」とは見ていない。
「空間干渉を無視して、因果ごと『浮く』能力か。……噂には聞いてたけど、これが『博麗』の力ってわけ?」
「あら、ウチのことご存知?」
霊夢は大麻を下ろし、警戒を解かないまま問いかけた。
「そりゃね。この業界じゃ都市伝説だろ。『あらゆる境界を司る、幻想の社』。……まさか、この黒山に流れ着いてるとはね」
「おじさんも知ってるよぉ。……ここの神様、すっごく気難しいって。でも、巫女さんは意外と武闘派なんだねぇ」
ホシノも盾を下ろし、のほほんとした笑みに戻る。
どうやら、彼らはこの世界の住人として、「博麗神社」の知識を持っているらしい。
そして、霊夢の実力が「対等(あるいはそれ以上)」であると認めたようだ。
(……助かった。これ以上やったら、神社の修繕費が億を超えるわ)
霊夢は瞬時に計算した。
この二人と敵対するコストと、仲良くする(利用する)メリット。
答えは一つだ。
彼女はスッと表情を緩め、完璧な「営業スマイル」を浮かべた。
「……失礼しました。最近、タチの悪い泥棒が多くて、つい過剰防衛してしまいまして」
「ははっ、泥棒扱いか。傷つくなあ」
「で、ご用件は? 賽銭箱の前にお立ちということは、参拝をご希望で?」
霊夢は箒で賽銭箱をポンと叩く。
「金を出せ」の合図だ。
五条はニカっと笑い、懐から財布を取り出した。
「いいよ、気に入った。君みたいな強い術師が近くにいるなら、六花(娘)にとっても悪くないしね」
「おじさんも、ここの縁側気に入ったよぉ。……また寝に来ていい?」
「ええ、構いませんとも。『維持管理費(お賽銭)』さえ頂ければ、特等席をご用意しますわ」
五条が放り込んだ万札が、賽銭箱の中で軽い音を立てた。
こうして、最強の呪術師と、最強の神秘、そして博麗の巫女による、奇妙なご近所付き合いが始まった。
霊夢は彼らを見送りながら、心の中で固く誓った。
(……絶対に関わらない。挨拶と集金だけして、徹底的に距離を置くわ。あんなの、混ぜるな危険の劇薬よ!)
しかしその誓いが数ヶ月後、彼らの娘である六花と、転生者の少年・蓮によって破られることを、今の彼女はまだ知らない。