5月の風が、境港の湿った空気を運んでくる。
黒山の中腹、博麗神社。
その縁側で、霊夢は愛用のガラケー(2年契約の途中)をパチパチと操作していた。
『件名:Re: 生きてる?
本文:
生きてるわよ。ちょっと引っ越しが長引いてるだけ。
こっちは海鮮が美味しいわ。今度クール便でカニでも送るから、例の「例大祭」の新刊、確保しといて。
あと、私の部屋に残したHDD、絶対に見ないでね。見たら呪うわよ。』
送信ボタンを押すと、電波アンテナが一本だけ立った画面に「送信中」のバーが表示される。
黒山は電波状況が最悪だ。
「……はぁ。長野の山奥も大概だったけど、ここは別の意味で陸の孤島ね」
メールの相手は、長野県時代の高校の友人、真理(まり)だ。
彼女は一般人だが、私の「実家が神社ごと消滅した」という異常事態を、「霊夢のことだし、夜逃げか神隠しでしょ」と軽く受け流してくれている貴重な理解者(オタク仲間)である。
彼女のおかげで、私はまだ現世(長野側)とのパスを繋いでいられる。
「さて……今日は買い出しに行きますか」
霊夢は立ち上がり、社務所の奥へと向かった。
いつもの「腋(わき)出し巫女服」ではない。
今日はオフだ。境港の街へ降りるのに、あんなコスプレじみた格好で歩けば、水木しげるロードの妖怪着ぐるみバイトと間違われて観光客に囲まれてしまう。
着替えたのは、少し色落ちしたデニムのショートパンツに、赤いチェック柄のシャツ。その上から薄手のパーカーを羽織る。髪のリボンも、あの巨大なドデカリボンではなく、少し控えめなシュシュに変える。足元はブーツではなく、動きやすいスニーカー。
鏡を見る。そこに映っているのは、どこにでもいる(少し目つきが鋭いだけの)10代の少女だ。
これなら、誰も「博麗の巫女」だとは気づかないだろう。
「よし。ミッション開始。ターゲットは業務用スーパーの特売塩と、カップ麺の箱買いよ」
彼女はリュックを背負い、黒山の獣道を軽快に駆け下りていった。
◇
その頃。境港市、水木しげるロード。
平日だというのに観光客で賑わうこの通りの一角に、異様な集団がいた。
テレビクルーだ。カメラ、音声、照明。彼らが囲む中心に、濃すぎる三人の人物が立っていた。
「はい、カメラ回りましたー! 本番、3、2、1……」
「――というわけで! 本日はここ、妖怪の聖地・境港に来ております!」
カメラに向かって爽やかな(胡散臭い)笑顔を振りまくのは、ライトグレーのスーツを着こなす金髪の男。
自称「21世紀の霊能力者」、霊幻新隆(れいげん あらたか)。
中身は転生者であり、この世界のオカルト事情と「東方Project」の知識を持つが、今はテレビの仕事のために必死で「インチキ霊能力者」を演じている(本物の霊能力はないが、話術と体術とマッサージ技術はカンストしている)。
「いやー、すごいですねこの妖気! ビンビン来ますよ。私の『ソルト・スプラッシュ』が疼いています」
「おいおい、君たち。非科学的なことを公共の電波で垂れ流すのは良くないぞ」
その隣で、長身の男が鼻で笑った。独自の物理法則で逆立った髪型。やたらと仕立ての良いスーツ。日本科学技術大学教授、上田次郎(うえだ じろう)。
……の、皮を被った転生者である。
彼はカメラに向かって、自信満々に長い指を突きつけた。
「妖怪? 霊? ナンセンスだ。この世のすべての現象は、私の物理学で解明できる。なぜなら私は、IQ240の天才だからだ」
今回の特番企画は『霊能力 VS 物理学! 境港の怪異を暴け!』。
霊幻(インチキ)と上田(インチキ物理学者)という、混ぜるな危険の組み合わせである。
だが、この番組にはもう一人、「本物」がゲストとして呼ばれていた。
「……おい、いつまで茶番やってんだよ。日が暮れちまうぞ」
二人の背後から、ドスの利いた声が響いた。綾瀬星子(あやせ せいこ)。通称、霊媒師ドドリア三太。見た目は20代の美女にしか見えないが、その口調は古のヤンキーか、貫禄ある老婆のそれだ。
今日はテレビ用に着物を着崩しているが、手にはトレードマークの「金属バット(ネッシーの力と書いてある)」が握られている。
彼女は非転生者だ。だが、その実力は、この世界でもトップクラスの霊媒師である。
「(……うわ、この婆さんマジで怖え)」
「(……物理的に勝てる気がしない)」
霊幻と上田は、同時に冷や汗をかいた。
星子はタバコのような棒(禁煙パイポ)をくわえながら、周囲のブロンズ像を睨みつけた。
「ここ、土地神の気が狂ってやがる。……ツギハギだらけだ。おい金髪、あとデカいの。お前ら、自分の身は自分で守れよ。ワシはギャラ分しか働かねえからな」
彼女は一瞬でこの街の異常性――複数の作品世界が混ざり合ったキメラ状態――を、「土地神の異常」として看破していた。
一方、霊夢は境港市民の生命線、巨大ディスカウントストア「PLANT-5」にいた。
「もやし、19円……よし」
「カップ麺、ケース売り……重いけど背負えばいけるわね」
彼女は主婦顔負けの鋭い眼光で棚を睨みつけていた。
自衛隊からの「安全祈願料」は入ったが、神社の屋根の修繕費を考えると、食費は切り詰めなければならない。
「……あら?」
鮮魚コーナーの前で、霊夢は足を止めた。カニ売り場の前に、見覚えのある白髪の男が立っていた。サングラスをかけ、無駄に背が高い。
五条悟だ。
(げッ……ご近所さん)
霊夢はとっさに棚の陰に隠れた。
彼は隣にいる小柄なピンク髪の女性――小鳥遊ホシノと、何やら楽しそうにカニを選んでいる。
「ホシノ、これ生きてるよ。飼う?」
「ん〜、おじさん、動くのはやだなぁ……剥いてあるのがいいなぁ……」
「六花がカニクリームコロッケ食べたいって言ってたし、缶詰でいいか」
最強夫婦の平和な買い物風景。
店員さんも「背の高いイケメンと可愛い奥さん」くらいにしか思っていないようだが、霊的視覚を持つ霊夢からすれば、「核弾頭が二つ並んでショッピングカートを押している」ようなものだ。
下手に接触して「あ、博麗神社の巫女さんだ!」なんて声をかけられたら、周囲の注目を集めてしまう。
(関わらないでおこう。今日はオフよ。私はただの女子高生……)
霊夢は気配を絶ち(隠密スキルLv.MAX)、レジへと忍び寄った。
買い物を終えた霊夢は、両手にスーパーの袋を提げ、背中には竹刀袋(中身は大麻)を背負って、水木しげるロードを歩いていた。
バス停へ向かうには、この通りを抜けるのが一番早い。
夕暮れ時。
妖怪ブロンズ像の影が長く伸び、街全体が「あわい」の空気に包まれる時間帯。
前方から、テレビクルーの集団が歩いてくるのが見えた。
(……ゲッ、ロケ? 面倒くさいわね)
霊夢は顔を伏せ、通り過ぎようとした。
だが、その集団の中にいる「異質な三人」の気配に、無意識に反応してしまった。
霊幻新隆。
上田次郎。
綾瀬星子。
そして、向こうも気づいた。
霊夢という、隠しきれない「異物」の存在に。
「……ん?」
最初に反応したのは、霊幻新隆だった。
彼は転生者として、「東方Project」の知識を持っている。
目の前を歩く少女。私服だが、その黒髪、赤いシュシュ、そして背中に背負った棒状の何か。何より……「隠しきれない、世界を支えるレベルの結界の気配」。
(……なんだ、あの子? ただの女子高生じゃない。……あの赤いリボンの雰囲気、まさか『博麗霊夢』? いや、ここは幻想郷じゃないぞ。でも、この世界なら『実在』してもおかしくない……!)
霊幻の「オタク知識」と「詐欺師の危機察知能力」が警鐘を鳴らす。
「この子は、この世界の『管理者(GM)』クラスの重要人物だ」と。
次に反応したのは、上田次郎だ。彼は物理学者(自称)として、彼女の筋肉の動きに反応した。
スーパーの袋(推定10kg)を羽毛のように軽く持っている。そして、足運びが完全に武道の達人のそれだ。
(ヒェッ……なんだあの女子高生。通信教育の空手二段の私でも勝てる気がしない。……どんと来い、じゃない、こっちに来るな。私の『悪運』が、あれに関わるとロクなことにならないと告げている!)
そして、綾瀬星子。
本物の霊媒師である彼女だけが、真実を見た。彼女はサングラス(色眼鏡)越しに、霊夢を凝視した。
(……ほう。いい面構えだ)
星子には見えていた。少女の周囲に展開されている、幾重もの「二重結界」。
そして、彼女自身がこの土地(黒山)の神と、強引だが確かな契約を結んでいるパス(繋がり)。土地の力を借りて戦う星子にとって、それは「同業者」としてのシンパシーと、ライバル心を刺激するものだった。
(ワシと同じタイプか。……しかも、かなり根性が座ってやがる。ありゃあ、相当数の怪異を『物理』で叩き潰してきた目だね)
三者三様の視線が、霊夢に突き刺さる。霊夢は、その視線を真正面から受け止めた。
一瞬の静寂。
スローモーションのように時間が流れる。霊夢の瞳(暗い赤色)と、霊幻の瞳(胡散臭い眼光)、上田の瞳(怯え)、そして星子の瞳(鋭い観察眼)が交錯する。
(……何、こいつら)
霊夢は心の中で舌打ちした。
金髪のスーツ男からは、微かに「あっち(前世)」の臭いがする。同類か? でも霊力は皆無ね。
背の高い巨漢からは、「中身の違うガワ」の違和感と、異常な悪運の気配。
そして、金属バットを持った美女……あれは「本物」だ。それも、私と同じで「土地を使って殴る」タイプ。
(……関わりたくないメンツね。今日はオフよ。私はただの女子高生……)
霊夢はフン、と鼻を鳴らし、視線を切った。
そして、何事もなかったかのように、彼らの横をすり抜けていった。
「……」
「……」
すれ違いざま、霊幻と霊夢の間で、一瞬だけ火花が散った気がした。
それは「お互いの正体を知っているかもしれない」という、転生者特有の探り合い。
そして、星子はすれ違いざまに、小さく呟いた。
「……無理すんじゃないよ、お嬢ちゃん。若いのに肩凝ってらぁ」
霊夢は一瞬だけ足を止めかけ、しかし振り返らずに、片手だけを上げてひらりと振った。
「大きなお世話よ」と言う代わりに。
◇
霊夢が去った後。
テレビクルーたちは何事もなく移動を再開したが、三人の空気だけが変わっていた。
「……師匠、今の人」
「ああ、わかってる。……星子さん、今日はもうロケ切り上げませんか? 私、急にソルト・スプラッシュの在庫が気になりだして」
霊幻は額の汗を拭った。
彼は確信した。あの少女は「博麗霊夢」だ。
そして、彼女が実在するということは、この境港市は、自分の手に負えるレベルを超えている。
「……賛成だ。私の物理学的見地からも、今日の湿度は肌に悪い。早く温泉に入って、美味しいものを食べるべきだ」
上田もガクガクと震える膝を隠しながら同意した。
「ケッ、だらしない男どもだねぇ」
星子はバットを肩に担ぎ直し、ニヤリと笑った。
「ま、いいさ。今日は『いいもの』が見れた。……この街、腐ってるかと思ったが、案外骨のある奴が守ってんじゃねえか」
バスに揺られる霊夢。
彼女は膝の上に置いたスーパーの袋を見つめながら、小さく溜息をついた。
「……なんなのよ、この街は」
最強の呪術師夫婦。詐欺師と物理学者とガチの霊媒師。
「私がただ静かに、賽銭箱の前で寝ていたいだけなのに……。どうしてこう、面倒ごとの交差点になってるのかしら」
霊夢は窓の外、夕闇に沈む境港の街を見つめた。
そこには、魑魅魍魎と共に、行き場を失った「物語の住人たち」が蠢いている。
「……ま、せいぜい賽銭くらいは落としていってもらうわよ」
2013年、初夏。
博麗の巫女は、迫りくるカオスの予兆に胃の痛みを覚えつつも、不敵に笑うのだった。