2014年4月。
春の陽気が漂う、鳥取県境港市。JR境港駅のホームに、一人の男が降り立った。
年齢は30代前半。少しボサボサの黒髪に、太い眉毛。ワイシャツに黒いネクタイという地味な格好だが、唯一異彩を放っているのは、左手に嵌められた黒い皮手袋だ。
「……へえ。ここが境港か」
男――鵺野鳴介(ぬえの めいすけ)は、駅前の「水木しげるロード」を見渡した。一般人の目には、ただの観光地に見えるだろう。
だが、彼の「霊視」を通すと、その景色は一変する。
道端に並ぶ100体以上の妖怪ブロンズ像。
それら一つ一つが、霊的な「避雷針(アンテナ)」や「依り代(ハウス)」として機能している。観光客の熱気(生気)に混じって、古今東西の雑多な妖怪たちが、人間に紛れて通りを闊歩しているのだ。
「童守町も妖怪の吹き溜まりだったが……ここは別格だな。人間と妖怪の境界(ライン)が曖昧だ。まさに『生きた魔都』ってやつか」
鵺野はニヤリと笑った。嫌いじゃない。むしろ、肌に合う空気だ。
ふと、彼は視線を北西の方角へ向けた。観光マップには何も描かれていない、海沿いの山岳地帯。
「……ん? なんだ!これは!?」
鵺野の表情が凍りついた。
そこには、山があった。だが、彼の霊視でも「底」が見えない。ただ、どす黒いコールタールのような瘴気が、天に向かって立ち昇っているだけだ。
妖怪の巣窟? いや、違う。もっと無機質で、根源的な……。
「……まるで、世界に空いた『穴』だな。政府か、あるいはもっと上の連中が隠蔽しているのか?」
鵺野は眉をひそめ、黒手袋を握りしめた。赴任早々、嫌な予感がする。
だが、今の彼には守るべき場所(クラス)がある。
「ま、何が出ようが関係ないか。……行くぞ、鵺野鳴介!」
彼はカバンを担ぎ直し、新しい戦場(学校)へと歩き出した。
一方、境港市立境第2小学校
5年生になった僕、佐藤蓮は、昇降口のクラス分け掲示板の前で膝から崩れ落ちていた。
『5年3組:佐藤 蓮、小鳥遊 六花……』
「……またかよ」
5年連続、同じクラス。
いや、六花ちゃんと同じなのは百歩譲っていい。問題は、このクラスに漂う「キャラの濃さ」だ。
名簿を見るだけで、何か事件が起きそうな予感がプンプンする。
「おはよー、蓮くん。またよろしくね」
背後から、六花ちゃんが声をかけてきた。彼女は相変わらずマイペースに、パックのコーヒー牛乳を飲んでいる。
「……よろしく。ねえ、今年の担任って誰か知ってる?」
「知らない。でも、噂だと『とんでもないのが来る』って、パパ(五条)が言ってた」
五条悟が言う「とんでもない」なんて、ろくなもんじゃない。僕は重い足取りで教室に向かった。
チャイムが鳴り、5年3組の教室が静まる。
ガラッとドアが開き、新しい担任が入ってきた。
「よーし、席につけ!」
元気な声。黒板の前に立ったその男を見て、僕は目を疑った。
太い眉毛。黒いネクタイ。そして、左手の黒手袋。
「俺が今日から担任になる、鵺野鳴介だ! 日本で唯一の霊能力教師だぞ! あだ名は『ぬ〜べ〜』でいい!」
教室がざわつく。
「霊能力教師だって〜」「ウケる〜」「手袋、中二病?」
僕は口をあんぐりと開けたまま、固まっていた。
嘘だろ。ジャンプの主人公がいる。
しかも、漫画のデフォルメキャラじゃなく、妙にリアリティのある「実写版」みたいな存在感で。
(……世界観! ジャンルが変わっちゃうよ!)
鵺野先生――ぬ〜べ〜は、生徒たちの反応を気にする様子もなく、教壇に手をついて教室全体を見渡した。
その鋭い視線が、僕と六花ちゃんのところで一瞬止まった気がした。
1時間目。国語の授業中。
ぬ〜べ〜先生は黒板に漢字を書きながら、背中で教室の気配を探っていた。
(……いるな。天井裏だ)
冬休みの間に住み着いた低級霊か、あるいは学校の怪談レベルの小妖怪か。
害はないかもしれないが、授業の邪魔だ。
先生は説明を続けながら、チョークを指で弾いた。
同時に、左手の黒手袋の下で、何かが脈動する気配がした。
バシュッ!!
空気を切り裂く音。
弾かれたチョークは弾丸のように天井のシミを貫き、そこから「ギャッ!」という叫び声と共に、黒い煤のようなものが落ちて退散した。
「……はい、そこ。よそ見しない」
先生は何事もなかったように授業を続けた。
クラスのほとんどは気づいていない。だが、僕と六花ちゃんだけは見ていた。一瞬だけ、手袋の隙間から「鬼のオーラ」が漏れ出したのを。
「……やるじゃん」
六花ちゃんが小声で呟き、ニヤリと笑った。
僕は顔面蒼白だ。
本物だ。本物の「鬼の手」だ。五条さんの「無下限呪術」に続いて、今度は「覇鬼(バキ)」の力がこの教室にあるのか。
僕の胃がキリキリと痛み始めた。
放課後。
僕と六花ちゃんは、掃除当番でもないのに理科室へ呼び出された。夕日が差し込む理科室。人体模型がガタガタと動いているが、そんなのはもう驚かない。
実験台に腰掛けたぬ〜べ〜先生は、僕たちを見るなり、真剣な顔で切り出した。
「単刀直入に聞くぞ。……お前たち、何者だ?」
先生は左手を掲げた。威嚇ではない。覚悟の提示だ。
「このクラス、霊的な偏差値がおかしいぞ。……特に小鳥遊。お前の背後には、特級クラスの守護霊……いや、父親か? 規格外の術師がいるな」
「うん。パパは最強だからね」
六花ちゃんは悪びれずに答える。
「そして、佐藤」
先生の視線が僕に刺さる。
「お前は……なんだ? 一見ただの凡人に見えるが、魂にべっとりと『古い泥(黒山)』と『神の加護(大神山)』がこびりついている。……それに、小学生にしては『修羅場』を潜り抜けすぎだ。魂が擦り切れているぞ」
霊視能力が高すぎる。僕の「モブとしての苦労」まで見抜かれた気分だ。
先生は溜息をつき、遠い目をした。
「……俺は以前、夜見山北中学という場所で臨時講師をしていたことがある」
「夜見山……?」
六花ちゃんが反応する。オカルト界隈では有名な場所らしい。
「ああ。そこでは、3年3組のクラス全員が『死』に魅入られる現象――〈災厄〉が起きていた。……俺は戦ったよ。鬼の手で〈死者〉を物理的に掴み出し、因果を断ち切ろうとした。そして呪いを終わらせることができた」
先生は黒手袋を強く握りしめた。ギリギリと、革が軋む音がする。
「だが、守りきれなかった。……何人も生徒を死なせた。俺の霊能力でも、あの『理不尽な死の重力』には勝てなかったんだ」
その言葉には、漫画のヒーローのような明るさはなく、挫折を知る大人だけが持つ、苦い悔恨が滲んでいた。
「この5年3組には、あれに似た『死の引力』がある。……お前たちが呼び寄せているのか、あるいはあの『北西の黒い山』のせいかは分からんがな」
「……気づいたんだ、あの山」
六花ちゃんが試すように言う。
「ああ。なぁにこれ? って感じだぜ。……俺の霊視でも底が見えない。ありゃあ、妖怪や幽霊じゃない。もっとタチの悪い『世界のバグ』だ」
重苦しい空気が流れる中、先生は突然、ニカっと笑った。あの、頼もしい笑顔で。
「ま、何が出ようが関係ない!」
先生は僕と六花ちゃんの頭を、大きな手でガシガシと撫で回した。
「俺はこのクラスの担任だ! お前たちが妖怪だろうが、呪われてようが、宇宙人だろうが……今度こそ俺が命懸けで守ってやる!」
「生徒を一人も死なせない。……それが『地獄先生』の流儀だからな!」
その言葉を聞いた瞬間、僕の胸のつかえが取れた気がした。
五条悟は「最強」だけど、どこか人間離れしていて怖い。
でも、ぬ〜べ〜先生は違う。泥臭くて、おっちょこちょいで、でも絶対に生徒を見捨てない「人間」の先生だ。
「……よろしくお願いします、先生」
僕は素直に頭を下げた。
「おう! 何かあったらすぐに言えよ! 妖怪退治なら任せとけ!」
先生はサムズアップして見送ってくれた。
校門を出て、夕暮れの水木しげるロードを歩く。
「……いい先生だね」
「うん。パパとは相性悪そうだけど、ママ(ホシノ)とは気が合うかも。……あと、律子先生と結婚してるって噂だよ」
「え、マジで? ゆきめさんルートじゃなかったのか」
僕は少し驚いた。
原作では雪女のゆきめと結ばれるはずだが、この世界では人間の律子先生を選んだらしい。
「じゃあ、ゆきめさんはどうなったんだろう?」
「さあ? 案外、境港のどこかでスナックのママでもやってるんじゃない?」
六花ちゃんが冗談めかして言った瞬間。
ヒュゥゥゥ……と、一陣の冷たい風が吹き抜けた。4月だというのに、肌を刺すような冷気。
そして、どこからか「あら、噂されてるかしら?」という涼やかな声が聞こえた気がした。
「……ねえ、今」
「聞こえた。……この街、本当にキャラが渋滞しすぎだよ」
僕は空を見上げた。
最強の呪術師。天才科学者。霊能力教師。そして雪女(?)。
小学5年生。
僕のモブライフは、ますますカオスな方向へと突き進んでいくのだった。