短編その1:『PLANT-5の週末、貧乏神と地獄先生』
週末のPLANT-5境港店。
境港市民の生活を支えるこの巨大ショッピングセンターの食品売り場で、博麗霊夢は鋭い眼光を放っていた。
「……へえ。今日のもやしは太いな」
彼女は前世において、神職の階位である「明階(めいかい)」を持ち、一級神職として大きな神社を取り仕切っていた経験がある。祭事の段取りから神饌(お供え物)の調達まで完璧にこなしていた彼女にとって、PLANT-5の特売品選びなど、祝詞(のりと)を奏上するより容易い。
(……だが、今の私は貧乏巫女。質と価格のバランス、ここが勝負所ね)
カゴには業務用の大袋煎餅と、半額シールの貼られた油揚げ。
彼女は冷静だ。たとえこの世界に「五条悟」がいようが「宇宙戦艦ヤマト」がいようが、彼女の精神は揺らがない。……揺るがないったら揺るがない!神職とは、常に泰然自若であるべきだからだ。
その時。
彼女の「プロの勘」が、ある異質な気配を捉えた。
「……ん?」
精肉コーナーの「おつとめ品(消費期限間近)」ワゴンの前。
そこに、一人の男が立ち尽くしていた。
白いシャツに黒いネクタイ。そして、左手には季節外れの黒い皮手袋。
男――鵺野鳴介は、脂汗を流していた。
彼の視線の先にあるのは、半額シールが貼られた「国産牛のステーキ肉」だ。
「……くっ、半額でも1200円か……! 今月の残金からすると痛い……痛すぎる……!」
聞こえてくる独り言が、あまりにも切実だった。霊夢は冷静に彼を観察する。
(……あの太い眉毛。黒手袋。間違いない、『地獄先生ぬ〜べ〜』ね)
彼女の内なる「オタク知識」が、即座に彼の正体を特定する。
だが、彼女は叫んだりしない。前世で数々の修羅場(神事トラブルやクレーマー対応)を潜り抜けてきた彼女の精神力は、ジャンプの主人公が目の前にいた程度では動じない。ん?五条悟と小鳥遊ホシノには動揺していたって?はて何のことやら。
(霊力は……凄まじいわね。鬼の気を制御しつつ、人間としての器も大きい。……だけど)
霊夢は、彼の手にある財布の中身を透視(霊視)した。千円札が数枚と、小銭。そして大量のポイントカード。
(……金運が死んでる。私と同類、あるいはそれ以下の『貧乏相』が出てるわ)
同情と親近感。霊夢は静かに彼に近づいた。
「……迷ってるなら、買った方がいいわよ」
霊夢が声をかけると、鵺野はビクッとして振り返った。
「え、あ、いや……君は?」
「ただの通りすがりの巫女よ。……その肉、奥さんが喜ぶんじゃない?」
霊夢はさりげなく言った。
鵺野はハッとした顔をする。
「……そうだな。律子くん、最近忙しくて疲れてるみたいだしな……」
「栄養つけさせてあげなさいよ。……金なんて、天下の回りものよ(回ってこないけど)」
「だよな! よーし、買ったぁ!」
鵺野は決意を固め、ステーキ肉をカゴに入れた。
その瞬間、彼の顔がパァッと明るくなる。自分はカップラーメンで済ませても、愛する人のためには金を使う。それが鵺野鳴介という男だ。
その時、ワゴンの影から黒い霧が湧き上がった。
半額シールを求めて殺到した主婦たちの殺気(怨念)が凝縮し、小さな「貧乏神」のような低級霊が実体化しようとしていたのだ。
「……おっと」
鵺野が左手に手をかける。
だが、霊夢の方が早かった。
パァン!
彼女は柏手を一つ打った。
ただそれだけで、清浄な神気が波紋のように広がり、低級霊は「あ、すんません」という感じで霧散した。
「……祓い清め、完了」
霊夢は何事もなかったようにカゴを持ち直した。
鵺野が目を丸くしている。
「……凄いな。今の柏手、ただ者じゃないな? 君、どこの神社の……」
「博麗神社よ。……賽銭箱に余裕があったら、入れに来てね」
霊夢はそれだけ言い残し、クールに背を向けた。
レジを済ませ、サッカー台(袋詰め場所)で二人は隣り合った。
鵺野はカゴの中身(ステーキ肉と、自分用の激安カップ麺)を見ながら、苦笑いして話しかけてきた。
「さっきは助かったよ、巫女さん。……俺、つい霊を見ると手が出そうになっちまってな」
「公衆の面前で『鬼の手』はマズいでしょ。……ここは現実(リアル)なんだから、コンプライアンス的にね」
霊夢は淡々と返す。
鵺野はその言葉に、妙な説得力を感じたようだ。
「ははっ、違いない。……君、若いのに肝が据わってるな。まるでベテランの神主みたいだ」
「……まあ、前世でそれなりにね」
霊夢は鳴介に聞き取れないほどの小声で呟き、袋詰めを終えた。
「じゃあね、先生。……奥さんを大事に」
「ああ! 君も、神社の経営頑張れよ!」
鵺野は爽やかに笑い、重そうな(でも中身は軽い)買い物袋を提げて去っていった。
その背中には、世界の平和を守るヒーローの風格と、来月の生活費を案じる庶民の哀愁が同居していた。
「……ふっ。悪くない男ね」
霊夢は小さく笑った。
漫画の中のヒーローは、現実でもやっぱりヒーローだった。ただし、金がないという点を除けば。
「さて、私も帰って『もやし炒め』でも作るか……」
元・一級神職、現・貧乏巫女。博麗霊夢は、夕暮れのPLANT-5を後にした。
その足取りは、少しだけ軽かった。
◇
短編その2:『最強の家庭訪問 〜地獄先生、五条家に挑む〜』
4月下旬。
境港市内の桜も散り、新緑が眩しい季節。5年3組の担任となった鵺野鳴介(ぬ〜べ〜)は、家庭訪問のため市内を自転車で爆走していた。
「ふぅ……次は佐藤蓮くんの家か」
地図を確認し、彼は一軒の酒屋の前で止まった。
『佐藤酒店』。
ごく普通の、どこにでもある商店だ。だが、鵺野の「霊視」には、店のガラス戸にうっすらと残る「無数の泥の手形」が見えていた。
(……ほう。綺麗に掃除されているが、霊的な痕跡は残っているな。この家、そしてあの子は……『招きやすい』体質か)
鵺野は眉をひそめ、襟を正してから引き戸を開けた。
「ごめんください! 担任の鵺野です!」
店番をしていた蓮の両親が、満面の笑みで迎えてくれた。
「あらー! 先生、よくいらっしゃいました!」
「いやぁ、噂通りの個性的な先生だ! その手袋、ロックだねぇ!」
一般人の両親には、鵺野の「鬼の手」もファッションに見えるらしい。
奥の居間でお茶を出され、面談が始まる。二階の階段では、蓮が心配そうに聞き耳を立てていた。
「佐藤くんは、非常に真面目で、クラスの調和を保ついい子ですよ」
「そうですかぁ? 家だと地味で、漫画ばっかり読んでて……もっとこう、主人公みたいに活発になってほしいんですけどねぇ」
母親の言葉に、鵺野は首を振った。
「いえ、お母さん。……彼は『生き残る才能』に長けています。どんな状況でも冷静に、自分の役割(モブとしての立ち回り)を見極める力がある。……これは、現代社会で最も重要なスキルですよ」
二階で盗み聞きしていた蓮は、胸を撫で下ろした。
(ぬ〜べ〜先生……! 分かってるじゃないか!)
帰り際、鵺野は店の商品棚に目を輝かせた。
「おっ、この地酒……美味そうですねぇ」
「ああ、先生イケる口? よかったらこれ、見切り品だけど持ってってよ!」
「えっ、いいんですか!? ……あ、ありがとうございます!!」
鵺野は賞味期限ギリギリの高級日本酒をゲットし、ホクホク顔で店を後にした。
これがあるだけで、今夜の晩酌(カップ麺のつまみ)が豪華になる。彼は上機嫌でペダルを漕いだ。
次は、問題の家だ。
小鳥遊六花。
クラスで一番の霊感を持ち、身体能力も異常に高い謎の少女。住所を頼りに向かうと、そこは古民家を改装した骨董店『界』……の裏手にある、立派な日本家屋だった。
「……なんだ、これは」
鵺野は門の前で立ち止まった。彼の霊的アンテナが、警報を鳴らしている。
家全体が、見えない「膜」で覆われている。物理的な結界ではない。空間そのものが歪められ、外部からの干渉を拒絶している。
(……無限? 近づくほどに遠くなる、アキレスと亀のパラドックスか?)
チャイムを押そうとする指が、ボタンの数ミリ手前で止まる。押せない。届かない。
「はーい、どうぞー。鍵は開いてますよー」
インターホン越しではなく、直接中から声がした。結界がふっと緩む。門がひとりでに開いた。
玄関で出迎えたのは、目隠しをした長身の白髪男だった。黒い服に、リラックスしたスウェット姿。
だが、その全身から立ち昇るオーラは、鵺野がこれまで出会ったどんな妖怪よりも濃密で、鋭利だった。
「……初めまして。担任の鵺野です」
「どうもー。保護者代わりの五条悟でーす」
五条悟。
その名を聞いた瞬間、鵺野の記憶がリンクした。
(五条悟……! 噂には聞いている。呪術界の御三家・五条家の当主にして、現代最強の術師。……超常界隈の『改革派』の筆頭か!)
鵺野のような霊能力者(フリーランスや寺社勢力)と、呪術師(呪術高専などの組織)は管轄が違うが、彼の悪名は轟いている。
まさか、こんな田舎で隠居生活を送っているとは。
通された客間には、見たこともない高級そうな調度品が並んでいた。
出されたお茶菓子は、一粒千円はしそうな高級チョコレート。鵺野の左手(鬼の手)が、五条の「六眼」に反応してドクンと脈打つ。
「先生、その手袋カッコいいね。僕も目隠ししてるし、なんかお揃いって感じ?」
「は、はは……。貴方のような大物が保護者とは、六花さんも只者ではないわけです」
鵺野は冷や汗を拭いながら、単刀直入に切り出した。
「……六花さんは、非常に強い『霊感』を持っていますね。それも、制御できないほど強大な」
「あー、バレちゃった? さすがプロだね」
五条はあっけらかんと笑い、チョコを放り込んだ。
「ま、ウチの子は『フィジカルギフテッド』なんで。肉体的にも呪術的にも、才能の塊だよ」
フィジカルギフテッド。
超常界隈では本来は天与呪縛(呪力がない代わりに身体能力が高い)を指す言葉だが、五条はあえて「肉体的才能(フィジカル)もギフトされている」という意味で使ったようだ。
「先生。もし学校に『変なモノ』が出たらさ、遠慮なく実戦経験積ませていいよ?」
「……は?」
「あの子、座学より実技向きだから。先生のサポートがあれば、特級呪霊くらいなら祓えるでしょ」
教育実習のノリで「除霊」を提案する五条。
鵺野はガタンと茶碗を置いた。
「……お父さん。それは違います」
彼の太い眉が吊り上がった。
「子供を守るのは、大人の役目です。……ましてや学校内であれば、教師である私が守ります。生徒を戦わせるような真似はさせません!」
貧乏教師の、精一杯の啖呵。
五条は目隠しの下で目を丸くし、それから面白そうに口角を上げた。
「……へえ。熱血だねぇ」
「教育方針の違いです。……ですが、私のクラスにいる以上、私のやり方に従ってもらいます」
「ま、いっか。六花が楽しそうならそれで」
五条はあっさりと引き下がった。
そして、帰り際。
「あ、これ。お土産です。仙台銘菓『喜久福』。……生クリーム大福、好きでしょ?」
五条が差し出したのは、冷凍された高級大福の箱だった。
ずっしりと重い。鵺野の喉が鳴る。これ、ネット通販で数ヶ月待ちのやつだ。自分の給料じゃ手が出ないやつだ。
「……くっ、教師が生徒の親から物品を受け取るわけには……!」
「いいじゃん、余り物だし。賞味期限近いから、捨てちゃうよ?」
「……捨てちゃう!? それはいかん! 食べ物を粗末にするのは教育上よろしくない!!」
鵺野は素早い手つきで箱を受け取った。プライドと食欲の戦いは、0.1秒で食欲が勝利した。
「……ありがたく頂戴します。妻(リツコ)への土産にします」
「はいはい、お幸せに〜」
五条に見送られ、鵺野は五条家(要塞)を後にした。カゴには日本酒と喜久福。
「……ふぅ。どっと疲れた」
鵺野は夕日を見上げた。
最強の術師・五条悟。彼がバックにいるなら、妖怪の脅威など些細なことかもしれない。
だが、鵺野は思う。
「力があるから幸せとは限らない。……あの子(六花)に必要なのは、最強の力じゃなく、普通の小学生としての日常かもしれないな」
地獄先生はペダルを漕ぐ。
愛する妻の待つ、安アパートへと帰るために。