2014年8月1日。午前6時25分。
鳥取県境港市、水木しげるロードから少し離れた場所にある「妖怪公園(通称)」
正式名称はただの児童公園だが、鬼太郎の遊具があるためそう呼ばれているこの場所に、地域の子供たちが集まっていた。
夏休み名物、ラジオ体操である。
「……ふわぁ。眠い」
佐藤蓮は、大きくあくびをした。首から下げた出席カードが、カチリと音を立てる。朝の空気はまだ少し冷やりとしているが、すでに湿気を含んだ夏の匂いが立ち込めていた。
「……なんで夏休みになっても、学校がある日と同じ時間に起きなきゃいけないんだ。理不尽だ」
「文句言わないの、蓮くん。ハンコもらわないと、最後にお菓子もらえないよ」
隣で不機嫌そうにサングラスを直しているのは、小鳥遊六花だ。彼女は極度の低血圧である。五条家の遺伝子を継ぐ彼女の「六眼」は、寝起きだろうがなんだろうが強制的に周囲の情報を脳に流し込んでくるため、朝の機嫌は常に最悪だった。
今はサングラスで視界を遮断し、なんとか意識を保っている状態だ。
「……眩しい。蝉がうるさい。空気が重い」
「はいはい。終わったらジュース奢るから」
蓮は六花をなだめつつ、周囲を見渡した。眠そうな小学生たち。おしゃべりに夢中な母親たち。そして、ラジカセの準備をしている、ジャージ姿の保護者代表――鵺野鳴介先生。
「おーい、みんな! 整列しろー! 間隔を開けて!」
鵺野先生の元気な声が響く。
平和な朝の風景だ。
……一人を除いて。
◇
公園の入り口付近にあるベンチ。
そこに、顔面蒼白で震えている女子高生がいた。
彼女の名は、四谷みこ。
(……なんで。なんで、こんな田舎に来てまで……)
彼女は、東京から境港の親戚の家に遊びに来ていた。
「妖怪の町」として有名な観光地だが、まさか「本物」がこれほどウジャウジャいるとは思わなかったのだ。
彼女の視界には、普通の人間には見えない「異形」が映っていた。公園の滑り台に絡みつく、ドロドロとした黒い影。ブランコを漕ぎ続ける、首のない子供。そして、ラジオ体操の列に紛れ込んでいる、体のパーツがねじ切れたような半透明の老人たち。
(見えてない。私には見えてない。ただの朝の風景。爽やかな朝……!)
みこは必死に虚空を見つめ、「見えてないフリ」を貫いていた。反応したら終わる。気づかれたら憑かれる。それが彼女の処世術だ。
だが、その恐怖をさらに加速させる存在が現れた。
(……ッ!? なに、あの子……!?)
みこの視線が、サングラスをかけた少女――小鳥遊六花に釘付けになった。少女の全身から、青白く輝く莫大なエネルギーが噴き出していたからだ。
それは幽霊の怨念とは違う、もっと純粋で、圧倒的な力の奔流。
(……人間? いや、発光体? 眩しすぎて直視できない……!)
その光に引き寄せられるように、公園中の「見えないモノたち」が、六花の方へと顔(のようなもの)を向けていた。
まるで、焚き火に集まる蛾のように。
(ヤバいヤバいヤバい! あの子、霊を引き寄せてる! あんなに目立ったら、囲まれて殺されるよ!?)
みこは心の中で絶叫した。しかし、声をかけるわけにはいかない。声をかければ、自分も「こちら側」だとバレてしまう。
『新しい朝が来た〜♪ 希望の朝だ〜♪』
ラジカセから、軽快なピアノのイントロが流れた。鵺野先生が朝礼台(ベンチ)の上に立つ。
「さあ、ラジオ体操第一! 腕を前から上げて、背伸びの運動!」
「「いち、に、さん、し!」」
子供たちの元気な声に合わせて、みこも震える手足を動かした。彼女のすぐ隣では、首が真後ろを向いた老婆の霊が、バキバキと音を立てて体操をしていた。
(無視。無視。私はただの女子高生。夏休みを満喫してるだけ……!)
その時。六花の周囲に集まっていた霊の一体が、彼女の肩に手を伸ばそうとした。
「……チッ」
六花が小さく舌打ちをした。サングラスの下の蒼い瞳が、ギロリと霊を睨む。
「……朝から鬱陶しい。消し飛べ」
六花が指先をわずかに動かす。
その瞬間、彼女の周囲の空間が歪んだ。「術式順転・蒼(出力最小)」吸い込むような引力が発生し、霊の腕がねじ切れそうになる。
(ヒィィィッ!? 見えてる!? あの子、見えてるどころか攻撃しようとしてる!?)
みこは卒倒しそうになった。ダメだ。ここで霊を刺激したら、公園中の怪異が一斉に襲いかかってくる。彼女は必死に、心の中で念じた。
(やめて! 無視して! 見えてないフリをして! お願いだから!!)
その念が通じたのか、それとも単に面倒になったのか。
六花は「……はぁ。めんどくさ」と手を下ろし、再びダルそうに体操を続けた。霊は困惑したように(?)、六花の周囲をフワフワと漂っている。
六花への干渉を諦めた霊たちは、ターゲットを変えた。六花のすぐ隣に立っている、目立たない少年――佐藤蓮である。
(あっ! 今度はあの子が狙われてる!)
みこは息を呑んだ。あんな普通っぽい男の子に憑りつかれたら、ひとたまりもない。ドロドロとした怨霊が、蓮の正面に立ちふさがった。ラジオ体操の「体をねじる運動」。蓮が体を左にねじると、怨霊と正面衝突する軌道だ。
(逃げて! ぶつかる!!)
みこが目を瞑りかけた、その時。
スッ……
蓮の体は、怨霊を「すり抜けた」。
いや、正確には違う。怨霊の方が、蓮を認識できずに「素通りした」のだ。
(……え?)
みこは目を見開いた。
怨霊は、蓮の存在になど気づいていないかのように、そのまま背後へと通り過ぎていった。蓮は何事もなかったかのように、無表情で体操を続けている。
「……なんか、一瞬寒気がしたな」
蓮がボソリと呟く。
彼には霊が見えていない。しかし、霊の方も彼が見えていない。「存在感が薄すぎる」という特性は、時に最強の隠蔽スキルとなる。
生者からも、死者からも、彼は「風景の一部(モブ)」として処理されていたのだ。
(……な、なに今の?)
みこは混乱した。
あの男の子、生きてるよね?それとも、彼もまた「霊」なのか?いや、霊にしては影があるし、足もある。
(……この町、どうなってるの? 発光する美少女に、幽霊に無視される少年……。東京より怖いよ!)
『深呼吸の運動〜』
ラジオ体操が終わった。子供たちが「おわったー!」と歓声を上げ、スタンプカードを持って鵺野先生の元へ駆け寄る。
公園には、まだ大量の霊が漂っていた。むしろ、子供たちの活気に引き寄せられ、数が増えている。
(ま、マズい。囲まれてる……)
みこが冷や汗を流しながら後ずさりした時。子供たちの列の先頭にいた鵺野先生が、ふと空を見上げた。
「……おっと。今日は少し『湿気』が多いな」
鵺野先生の左手。黒い手袋の下で、何かが赤く脈打った。
「子供たちの朝を邪魔させるわけにはいかん。……ハァッ!」
鵺野が気合を入れると、目に見えない衝撃波(霊波)が公園全体に広がった。
それは攻撃的ではないが、確固たる「結界」のような波動。
ジュワッ……
集まっていた霊たちが、朝日に溶けるように霧散していく。強力な霊力による浄化。
(……え? 消えた?)
みこが呆然としていると、鵺野先生が爽やかな笑顔で近づいてきた。
「おはよう、そこのお嬢さん(みこ)。君もスタンプ欲しいかい?」
「あ、えっ……い、いえ! 結構です!」
「そうか? まあ、気をつけて帰りなさい。この辺はたまに『出る』からね」
鵺野は意味深にウィンクをした。彼は気づいていたのだ。この少女が「見えている」ことに。そして、必死に耐えていたことに。
「……は、はい。失礼します!」
みこは逃げるように公園を後にした。もう二度と、早起きなんてしないと誓いながら。
霊たちが消え、清々しい朝の空気が戻ってきた。六花と蓮は、鵺野先生にスタンプを押してもらい、ジュースの自販機へ向かっていた。
「……はぁ。やっと終わった。目が覚めた」
「お疲れ様、六ちゃん。はい、ブドウジュース」
蓮が缶ジュースを渡す。六花はサングラスを外し、蒼い瞳で公園の出口を見た。
「……さっきの女子高生。すっごいビビってたね」
「え? 誰のこと?」
「ベンチのところにいた人。……まあいいや。なんか『大変そう』だったし」
六花はプルトップを開け、ジュースを飲んだ。彼女には見えていた。
あの女子高生が、必死に霊を無視し、そして六花たちのことを心配してくれていたことが。
「世の中には、変わった人もいるもんだね」
蓮は何も気づかず、呑気にサイダーを飲んでいる。
「……蓮くんが一番変わってるけどね」
「え? 僕、普通だよ?」
「ふふ。……まあ、その『普通』が一番の武器かもね」
六花は笑った。
最強の術師と、最強のモブ。二人の夏休みの一日は、まだ始まったばかりである。
遠くで、鵺野先生が「こらー! 公園の水道で水遊びするなー!」と叫んでいる声が聞こえた。