仮称:やる夫スレ的世界でオカルトやってくー   作:水野芽生

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017 ロード・エルメロイⅡ世の境港調査録(ケース・ブラックテクスチャ)

 

 時計塔(クロックタワー)の魔術師、ロード・エルメロイⅡ世は悪夢を見ていた。

 それは、彼が時計塔(ロンドン)で教鞭を執り始めて数年が経った頃の忌まわしい記憶だ。

 

 場所は現代魔術科(ノリッジ)の講義室。

 埃っぽいチョークの匂いと、古い羊皮紙の香り。

 彼は教壇に立ち、現代魔術における「術式構成の最適化」について熱弁を振るっていた。理論は完璧だった。これまでの魔術基盤を覆すほどの、美しいロジックだったはずだ。

 

 だが、最前列に座っていた一人の「留学生」が、欠伸をしながら手を挙げた。白髪に、黒い目隠し(あるいはサングラス)をした、極東の青年。

 

『ねえ先生。それ、間違ってない?』

 

「……何?」

 

『だって、僕の目にはそう見えてないもん。原子レベルの結合、そこじゃなくてこっちだよ。ほら』

 

 青年が指先を弾く。

 ただそれだけで、Ⅱ世が徹夜で構築した術式理論が、物理法則ごとねじ曲げられ、講義室の壁が「青く」抉り取られた。

 

『ほらね? 先生の理論だと、空間が拗ねちゃうんだよ』

 

「……君は……ッ!!」

 

『あーあ。魔術って不便だね。全部"こう"すればいいのに』

 

 五条悟。

 後に時計塔から厄介払いのように「祭位(フェス)」の階位を与えられ、放逐された規格外。根源に至る道を視認できるにも関わらず、「面倒くさい」という理由で歩もうとしない、魔術師の風上にも置けない男。

 

「……やめろ。私の教室を破壊するな……!」

 

 ──ガバッ。

 

 Ⅱ世は跳ね起きた。全身に脂汗をかいている。胃が焼きつくように痛む。

 

「……ハァ、ハァ。……最悪の目覚めだ」

 

「師匠。大丈夫ですか?」

 

 心配そうな声と共に、冷たい水が差し出された。

 声の主は、灰色の髪をフードで隠した女性──グレイ。彼女の手には、鳥取名物「鬼太郎まんじゅう」の袋が握られている。

 

「……ああ、すまないグレイ。少し、昔の胃痛の種を思い出してな」

 

 Ⅱ世は水を受け取り、一気に飲み干した。周囲を見渡す。

 ここはロンドンの研究室ではない。極東の島国、鳥取県境港市にある、レトロな純喫茶「水木」のボックス席だ。

 

「……それにしても、なぜ私がこんな僻地に来なければならんのだ」

 

 彼は不機嫌そうに葉巻を取り出した。今回の依頼は、時計塔の上層部からのトップダウンだった。

『極東の特異点にて、"黒いテクスチャ(世界表皮)"の剥離現象を確認。直ちに調査・封印せよ』

 

「……五条の庭だろう、ここは。あいつがやればいいものを」

 

「その五条様ですが……なんでも、京都の本家で『重要な会合』があるとかで、足止めされているそうです」

 

「……ふん。どうせ、法政科あたりが裏で手を回して、あいつを京都に釘付けにしたんだろう。『君主(ロード)が直々に出向く案件だ』とかなんとか言ってな」

 

 Ⅱ世は鼻を鳴らした。

 五条悟は動けないのではない。あえて動かないのだ。

『ウェイバーちゃんが行くなら安心だね! お土産よろしく!』という、ふざけたメールが届いたのが証拠だ。まあ実はII世が自分で手を回したのをこの時失念していただけなのだが。

 

「……まあいい。調査を始めよう。この国の『神秘』は、スパゲッティのように絡み合っていて吐き気がするがな」

 

 Ⅱ世はテーブルの上に、採取した「黒い砂」の入った試験管と、魔術礼装である携帯端末を広げた。

 

 ◇

 

 カランコロン、と喫茶店のドアベルが鳴った。

 入ってきたのは、二人組の客だった。

 一人は、店内だというのにサングラスをかけた、派手な雰囲気の少女。

 もう一人は、そこにいることに気づかないほど存在感の希薄な、地味な少年。

 

 小鳥遊六花と、佐藤蓮である。

 

「うへ〜、暑い。蓮くん、私クリームソーダ飲みたい」

 

「はいはい。……あ、奥の席空いてますよ」

 

 二人がⅡ世の隣の席を通ろうとした、その時。

 六花がピタリと足を止めた。サングラスの下の瞳が、Ⅱ世を凝視している。

 

「(……えっ!? 嘘、本物!?)」

 

 六花の内心で、オタクの血が騒いだ。長い黒髪、不機嫌そうな顔、赤いマフラー、そして葉巻。間違いなく、『Fate』シリーズの人気キャラクター、ロード・エルメロイⅡ世だ。

 

「(ウェイバーちゃんじゃん! 2014年だから、事件簿の頃よりちょっと老けてる? でも渋くてカッコイイ!)」

 

 六花は興奮を抑えきれず、思わず声をかけてしまった。一応、相手は英国人だ。彼女なりの精一杯の英語で。

 

「ハ、ハロー! アイ・アム・リッカ! ナイス・トゥ・ミーチュー!」

 

 Ⅱ世は、葉巻の手を止めて、ゆっくりと顔を上げた。その眉間には、深い深い皺が刻まれている。

 

「……Is that meant to be English? It sounds more like a spell to summon a headache.(それは英語のつもりか? 頭痛を召喚する呪文に聞こえるが)」

 

「えっ」

 

「……日本語で構わん。翻訳の術式を通している」

 

 Ⅱ世は流暢な(しかし気だるげな)日本語で返した。そして、鋭い視線を六花のサングラスに向けた。

 

「それより、お嬢さん。……君、目が多すぎやしないか?」

 

「……へ?」

 

「右目に『世界を解析する眼』。左目に『世界を改変する眼』。……ふざけたキメラだ。アクセルとブレーキを同時に踏み抜くような構成だな」

 

 一瞬で看破された。六花は冷や汗を流した。さすがは時計塔の君主。五条悟とはまた違うベクトルでの「鑑識眼」を持っている。

 

「あ、あはは〜。何のことですか〜? ただのカラコンですよ、おじさん」

 

「……ふん。まあいい。五条の親戚か何かだろう。あいつと同じ、腐った魔力の臭いがする」

 

「(パパを知っている……まあ、あれだからね)あのもしかしてパパの時計塔での先生ですか?」

 

「……そうだ」

 

 Ⅱ世は興味を失ったように視線を外した。

 だが、その視線が隣にいた蓮で止まった。

 

「……む?」

 

 Ⅱ世の目が、わずかに見開かれる。彼は葉巻を灰皿に置き、蓮の方へ身を乗り出した。

 

「……そっちの少年。君は、なんだ?」

 

「……え? 僕ですか? 佐藤蓮ですけど」

 

「名前を聞いているのではない。……君、『座標』がズレているぞ」

 

 Ⅱ世は指先で空中に幾何学模様を描き、蓮をスキャンした。

 

「魔術回路がないわけではない。魂もある。だが……世界が君を『観測』できていない。量子的な揺らぎ? いや、これは『虚数』の属性に近いか……?」

 

「……はあ」

 

 蓮は曖昧に笑った。

 

(この人、鋭いな。転生者であることまではバレてないみたいだけど、僕の『モブ特性』を魔術的に言語化しようとしてる)

 

「……面白い。実に興味深い検体だ」

 

「師匠。一般の方を怖がらせてはいけません」

 

 グレイが窘(たしな)めるように声をかける。Ⅱ世は「む、すまん」と咳払いをして、居住まいを正した。

 

「……失礼した。私はロード・エルメロイⅡ世。……ある調査のためにこの地に来たのだが、君たち、地元の人間か?」

 

 ◇

 

 Ⅱ世の依頼はシンプルだった。

「この街の郊外にある『黒山(くろやま)』と呼ばれる場所への案内を頼みたい」。

 

 彼は、六花の「眼」の火力と、蓮の「隠密性」を即座に戦力として計算に入れたのだ。

 報酬は弾む、と言われた六花は「お小遣いゲット!」と乗り気だったが、蓮の反応は違った。

 

「……『黒山』ですか」

 

 蓮の顔色がサッと青ざめた。

 ガチリ。

 身体の奥底で、見えない南京錠が掛かる音がした。

 

 ──『二度と黒山に近づくな』。

 

 お盆の日に、岸部魯般によって書き込まれた「ヘブンズ・ドアー」の命令。それが絶対的な禁止事項として、蓮の肉体を縛り付けたのだ。

 

「……無理です。行けません。体が……動かなくなるんです」

「……ほう?」

 

 Ⅱ世は目を細めた。彼は席を立ち、蓮の前に回ると、無造作に蓮の腕を掴んだ。

 

「……失礼」

 

 彼が蓮の腕に触れた瞬間、パチリと静電気が走った。

 Ⅱ世には見えている。蓮の魂(あるいは肉体の情報層)に刻み込まれた、強制力のある文字の羅列が。

 

「……なるほど。『暗示』や『洗脳』ではない。『記述(スクリプト)』による現実改変か。この国には、言葉を物理法則に変換する能力者がいるようだな」

 

「……わかるんですか?」 

 

「ああ。術式としては荒っぽいが、強度は高い。……『行くな』という命令が、君の中枢神経系とリンクして、足を止めさせている」

 

 Ⅱ世は顎に手を当てて考え込んだ。

 

「解除(ディスペル)は可能だが、時間がかかる。術者の残留魔力が強すぎるな。……ならば、『視点』を変えるか」

 

「視点?」

 

 Ⅱ世はニヤリと笑った。それは、悪戯を思いついた少年のごとき表情だった。

 

「いいか少年。よく聞け」

 

 Ⅱ世は蓮の目を見て、呪文のように言葉を紡いだ。

 

「あそこにあるのは『山』ではない。地図にも載っていない、ただの地脈の『孔(あな)』だ」

 

「……孔?」

 

「そうだ。山ではない。窪みだ。……君は『山』に行くのではない。『孔』を埋める作業に行くだけだ。……そうだろう?」

 

 それは、詭弁だった。しかし、魔術師の君主による「世界解釈の再定義」は、蓮の脳に新しいルートを構築させた。

 

(……山じゃない。孔だ。……黒山に行くことにはならない)

 

 カチリ。

 南京錠が開く音がした。ヘブンズ・ドアーの命令は「黒山に近づくな」であり、「黒い孔を埋めるな」ではなかったからだ。

 

「……あ。身体が、軽くなりました」

 

「よし。自己暗示とパラダイムシフトによる、命令のすり抜けだ。……行くぞ。君のその『存在の希薄さ』は、今回の事件の鍵になるかもしれん」

 

 Ⅱ世はコートを翻し、店を出た。六花と蓮、そしてグレイが後に続く。目指すは、お盆の悪夢が残る場所。

 

 ◇

 

 市内から車で数十分。

 地図には存在しないはずの山道を進んだ先に、「それ」はあった。

 

 空間が歪んでいる。真夏の日差しが、そこだけ吸い込まれるように暗い。

 

「黒山」

 

 かつて魯般が恐怖した、あの黒い影の残滓が、山全体を覆うドーム状の結界となって顕現していた。

 

 その入り口に、一人の少女が立っていた。紅白の巫女装束。大きなリボン。手にはお祓い棒を持ち、無数のお札(スペルカード)を空中に展開している。

 

 博麗霊夢。長野の実家から戻った彼女は、この異変にいち早く気づき、封じ込めを行っていたのだ。

 

「……あら。珍客ね」

 

 霊夢は、車から降りてきたⅡ世たちを一瞥した。

 

「西洋の魔術師に、五条の所の目玉娘。それに……あんた(蓮)、また巻き込まれてるの?」

 

「……どうも、霊夢さん」

 

 蓮は苦笑いした。霊夢の視線が、鋭くⅡ世を射抜く。

 

「……ここから先は、あんたたちの管轄外よ。この泥、ただの穢れじゃないわ。もっと『根本的におかしい』何かよ」

 

「……ああ、わかっているとも」

 

 Ⅱ世は怯むことなく、結界の前に進み出た。グレイが、背負っていた鳥籠のようなケースから、鎌の形をした魔術礼装「アッド」を取り出す。

 

「師匠。……臭います。これは『死』です。それも、生物の死ではなく、世界そのものが壊死しているような……」

 

「……やはりな」

 

 Ⅱ世は試験管を取り出し、中にある「黒い砂」をかざした。

 

「この場所で起きているのは、呪いではない。『テクスチャ(世界の表皮)』の剥離だ」

 

 彼は葉巻の煙を吐き出し、講義を始めるように言った。

 

「本来、世界は『物理法則』という薄い皮(テクスチャ)で覆われている。神代の神秘も、妖怪も、現代ではその皮の下に隠されているわけだ。……だが、ここは違う」

 

 Ⅱ世が指差した先。結界の向こう側で、黒い泥が沸騰するように泡立っていた。

 

「あそこにあるのは、『世界のゴミ捨て場』だ。過去に廃棄された歴史、不要になった伝承、矛盾して消えた事象……。それらが堆積した『虚数ポケット』が、何らかのトリガーで決壊し、現実世界に逆流している」

 

「……ゴミ捨て場?」

 

 六花が首を傾げた。

 

「ああ。……そして、そのトリガーとなったのが、先日のお盆に起きた『集団幻覚』だろう」

 

 Ⅱ世の推理はこうだ。

 8月15日。街の人々は「あれは仏ではない」ナニカを見た。

 彼らの信仰心と認識エネルギーが、誤ってこの「ゴミ捨て場」に注ぎ込まれてしまった。その結果、ゴミたちが「自分たちはまだ存在していいんだ!」と勘違いし、「過去の亡霊(レイス)」となって溢れ出したのだ。

 

「……厄介なことになってるわね」

 

 霊夢が舌打ちをした。

 

「私の結界で堰き止めてるけど、限界よ。物理攻撃も霊撃も、吸収されちゃうの」

 

「当然だ。あれは『孔』なのだから。埋めるには、エネルギーではなく『蓋』が必要だ」

 

 Ⅱ世は振り返り、蓮を見た。

 

「……少年。出番だ」

 

「えっ」

 

「君が、その『蓋』になるんだ」

 

 その時。黒い泥の中から不定形の巨人が立ち上がるのが見えた。 

 それは、かつて魯般を襲った影よりも、さらに実体化し、禍々しさを増していた。

 

 ◇

 

 それは以前、岸部魯般を襲った「影」よりも遥かに密度が高く、禍々しい質量を持っていた。

 

「……気持ち悪い。呪霊とも違う、もっとドロドロした何かだね」

 

 小鳥遊六花が顔をしかめた。

 彼女の「六眼」には、あの巨人がどのように映っているのか。

 恐らく、情報のノイズだらけで直視できないほどのバグ塊に見えているはずだ。

 

「……来るわよ!」

 

 博麗霊夢が警告する。

 巨人が腕(のような触手)を振り上げた。その一撃は、物理的な破壊力ではなく、触れた空間の「意味」を消失させる概念攻撃だ。

 結界の一部が、音もなく削り取られる。

 

「……チッ。なら、消し飛ばすまで!」

 

 六花が前に出た。彼女は右手を掲げ、指先を弾く構えを取る。

 

「術式順転・蒼(あお)!」

 

 収束する無限。 

 空間をねじ切る引力が発生し、巨人の上半身を丸ごと抉り取った。

 ゴォォォォッ! 

 風穴が空く。

 しかし。

 

「……嘘でしょ? 再生してる?」

 

 抉れた空間に、周囲の泥が即座に流れ込み、傷を埋めてしまった。

 いや、埋めただけではない。「蒼」の莫大な呪力エネルギーさえも飲み込み、巨人はさらに一回り大きくなったのだ。

 

「無駄だ、お嬢さん!」

 

 後方で戦況を分析していたロード・エルメロイⅡ世が叫んだ。

 

「あれは『生物』ではない! 空間に空いた『孔(あな)』だ! 攻撃すればするほど、エネルギーを吸って孔が広がるぞ!」

 

「じゃあ、どうすればいいのよ!」

 

「霊力もダメ、呪力もダメ。……お手上げじゃない」

 

 霊夢もまた、放ったお札(スペルカード)が無効化され、苛立ちを露わにしていた。夢想封印の光弾も、泥に触れた瞬間に「最初からなかったこと」にされてしまう。

 

 ◇

 

 君主の講義(Whydunit)

 

 Ⅱ世は、冷静に葉巻の煙を吐き出した。彼の脳内では、すでに勝利への方程式(ロジック)が組み立てられていた。

 

「いいか。敵の正体を正しく認識しろ」

 

 彼は戦場とは思えない落ち着いた声で、講義を始めた。

 

「あそこにあるのは、『世界のゴミ箱』だ。過去に廃棄された歴史、不要になった伝承、矛盾して消えた事象……。それらが堆積した虚数空間だ」

 

「ゴミ箱……?」

 

「そうだ。本来なら蓋がされていたはずだが、お盆の時期に発生した『集団幻覚』……住民たちの誤った信仰心がトリガーとなり、蓋が外れてしまった」

 

 Ⅱ世は、隣で震えている佐藤蓮を指差した。

 

「住民たちはあれを『仏』だと思って拝んだ。その信仰エネルギーが、ゴミデータに『質量』と『意味』を与えてしまったのだ。……結果、ゴミたちが『自分たちはまだ存在していいんだ!』と勘違いし、あのような亡霊(レイス)となって溢れ出した」

 

「……つまり、みんなの勘違いが産んだ怪物ってことですか?」

 

 蓮が尋ねる。

 

「その通りだ。だから、力でねじ伏せることはできない。力を使えば使うほど、それは『観測』となり、奴らの存在を補強してしまう」

 

 これが、この怪異の厄介なところだ。

「倒そうとする意思」そのものが、敵への栄養になってしまう。

 最強の術師(五条悟)がここにいたら、あるいは「茈(むらさき)」で次元ごと消滅させたかもしれないが、それでは周囲の地形ごと街が消えるリスクがある。

 

「必要なのは破壊ではない。『再定義』と『封印』だ」

 

 Ⅱ世はコートを翻し、命令を下した。

 

「グレイ! 『ロンゴミニアド(最果てにて輝ける槍)』の展開準備だ! ほんの一瞬でいい、この場の物理法則(テクスチャ)を『神代』に固定しろ!」

 

「イエス、マイ・ロード!」

 

 フードの少女、グレイが前に出た。

 彼女が持つ大鎌「アッド」が、ガチャリと音を立てて変形を始める。

 

「そして五条のお嬢さんと、博麗のお嬢さん! 君たちは道を切り開け! 倒す必要はない、ただ『通るためのトンネル』を作ればいい!」

 

「……へいへい。人使いが荒いわね」

 

「わかった! トンネルなら任せて!」

 

 ◇

 

 そしてⅡ世は、蓮に向き直った。

 その瞳は、教師が教え子を導く時のように、厳しくも信頼に満ちていた。

 

「少年。君が走れ」

 

「えっ!? 僕ですか!?」

 

 蓮は耳を疑った。

 自分はモブだ。戦闘力はない。あんな泥の中に飛び込んだら、一瞬で溶けてしまう。

 

「そうだ。君しかいない」

 

 Ⅱ世は断言した。

 

「あの泥は『観測される』ことで存在を確定させている。だが、君は『観測されない』特性を持っている」

 

「観測されない……?」

 

「君のその『影の薄さ』……いや、『存在希釈性』は、魔術的には『虚数』に近い。君が泥の中心(核)に飛び込んでも、世界は君を『異物』として認識できない」

 

 Ⅱ世の作戦はこうだ。

 泥の中心核は、膨大なエネルギーの渦だ。普通の人間や術師が触れれば、その情報量に押しつぶされるか、同化してしまう。

 だが、蓮は違う。

 彼は「そこにいるのに、いない」存在だ。彼が核に触れることで、「誰も見ていない=現象が存在しない」というパラドックスを発生させ、強制的にシステムをダウンさせる。

 

「君は『蓋』だ。溢れ出したゴミ箱を閉じるための、世界で唯一の鍵だ」

 

「……」

 

 蓮は生唾を飲み込んだ。

 怖い。

 でも、妙に納得してしまった。自分が「主役」になれない理由。それが逆に、世界を救うための武器になるなんて。

 

「……わかりました。走ります」

 

「よし。……死ぬなよ。君のレポートは、まだ書きかけなんだ」

 

 ◇

 

 グレイが、大鎌を構えた。鎌の刃が展開し、巨大な槍のような形状へと変化していく。

 封印礼装解除。擬似人格停止。

 

「──『灰色(グレイ)……』」

 

 彼女の詠唱と共に、周囲の空気が変わった。

 現代の物理法則が薄れ、神代の神秘が顕現する。

 それは、世界を繋ぎ止める「塔」の影。

 

「──『……剥離(レイブ)』!!」

 

 ズドォォォォン!! 

 グレイが放った閃光が、黒い泥の海を一直線に貫いた。

 破壊ではない。光の柱が泥を縫い止め、空間そのものを「固定」したのだ。暴れていた巨人の動きが、ピタリと止まる。

 

「今よ! やっちゃいなさい!」

「オッケー! 出力最大!」

 

 霊夢と六花が同時に動いた。霊夢が五行の結界を展開し、泥を左右に押し広げる。六花が無数の「蒼を織り交ぜた呪力の奔流を放ち、グレイが作った光の道をさらに拡張する。

 

 黒い海の中に、一本のトンネルが開通した。

 その先にあるのは、ドス黒く渦巻く「孔」の中心。

 

「行けぇぇぇッ! 少年ッ!!」

 

 Ⅱ世の怒号が飛んだ。

 

「はいっ!!」

 

 蓮は走った。

 人生で一番速く。

 モブが、主役たちの切り開いた道を、ただひたすらに走る。

 

 泥の壁から、無数の亡者が手を伸ばしてくる。

『こっちへ来い』『忘れるな』『見ろ』

 怨嗟の声が聞こえる。

 だが、蓮は見ない。聞かない。

 彼は「無」だ。

 亡者たちの手は、蓮の身体をすり抜け、空を掴むだけだった。

 

(僕は、ただの蓋だ。……ただの、通りすがりのモブだ!)

 

 蓮は、渦巻く黒い核に向かって、躊躇なく身を投げ出した。

 

 ◇

 

 佐藤蓮は、黒い泥の中心(核)へと飛び込んだ。

 

 そこは、音のない世界だった。視界は漆黒。肌にまとわりつくのは、腐った情報のヘドロ。『痛み』も『恐怖』もない。ただ、猛烈な『吐き気』だけがある。

 

(……うわ。これ、全部『誰かの記憶』だ)

 

 蓮の脳内に、無数の映像がフラッシュバックする。忘れ去られた土地神の嘆き。誰にも語り継がれなかった英雄の最期。お盆に帰る家を失った浮遊霊の迷い。

 

 それらは、行き場を失ったデータゴミ(ジャンク)だ。ゴミたちは、新しく入ってきた「異物」である蓮に殺到した。『見ろ』『知れ』『同化しろ』彼らは蓮を観測し、定義し、自分たちの仲間(ゴミ)として取り込もうとする。

 

 しかし。

 

『 ERROR 』

 

 泥たちが蓮に触れた瞬間、彼らの動きが止まった。

 掴めないのだ。蓮という存在の解像度が低すぎて、彼らのプロトコル(認識方法)では「そこに人間がいる」と判定できない。

 まるで、幽霊が人間をすり抜けるように、逆に「情報」の方が蓮をすり抜けていく。

 

(……僕はモブだ。主人公にはなれない。悪役にもなれない)

(だから、君たちの『物語』の登場人物にもなってあげられない)

 

 蓮は、泥の中心で静かに目を閉じた。

 彼は何もしない。

 ただ、そこに「在る」だけで、周囲の演算処理を狂わせていく。

 

 システムは混乱した。

「質量(エネルギー)があるのに、観測値がゼロ」という矛盾。

 ゼロ除算。

 存在しない変数を参照しようとした結果の、致命的なエラー。

 

 ズズズ……ッ。

 外の世界で、巨人の動きが完全にフリーズした。

 

 ◇

 

「──今だッ!!」

 

 ロード・エルメロイⅡ世が叫んだ。

 彼は葉巻を投げ捨て、懐から魔術触媒を取り出した。

 巨人の動きが止まり、その構成要素(テクスチャ)が揺らいでいる今こそが、唯一の勝機。

 

「グレイ! 固定を解除しろ! 泥が崩れるぞ!」

 

「イエス、マイ・ロード!」

 

 グレイが聖槍の輝きを収束させる。

 それと同時に、Ⅱ世は両手を広げ、朗々たる声で詠唱を開始した。

 それは攻撃魔法ではない。

 この場に展開された「誤った物理法則」を弾劾し、正しい世界へと書き戻すための、解体の儀式。

 

「──告げる(I announce)。汝の構成は矛盾に満ち、汝の存在は理(ことわり)に反する」

 

「──過去は過去へ。虚無は虚無へ。忘れ去られし記録は、あるべき墓所へと還れ」

 

 Ⅱ世の周囲に、幾何学的な魔法陣が展開される。彼の魔術回路が軋みを上げ、胃がキリキリと痛むが、思考は冴え渡っていた。

 彼は「孔」の淵に立ち、蓮という「特異点」をアンカーにして、強引に世界の皮を縫合していく。

 

「──この法廷は閉廷する! 消え失せろ、亡霊ども!!」

 

「『強制閉廷(システム・ダウン)』!!」

 

 バシュッ!! 

 

 空間が圧縮されるような音が響いた。

 黒い泥の巨人が、内側から吸い込まれるように収縮していく。

「孔」が閉じる。

 蓮という「無」が、栓の役割を果たし、溢れ出した泥を全て虚数空間へと押し流したのだ。

 

 最後に、ポンッという軽い音と共に、蓮が何もない空間から吐き出された。

 彼は尻餅をつき、キョトンとした顔で周囲を見回した。

 

「……あれ? 終わった?」

 

 黒い泥は消滅していた。

 夕暮れの黒山には、ただ静かな風だけが吹いていた。

 

 ◇

 

 戦いが終わり、日が沈んだ。

 一行は、山の入り口に停めてあったⅡ世の車(魔術協会が手配した黒塗りの高級車)の前に集まっていた。

 

「……ふぅ。やれやれ」

 

 Ⅱ世は新しい葉巻に火をつけ、深く紫煙を吸い込んだ。疲労困憊の様子だが、その目は満足げに細められている。

 

「見事だった。……と言いたいところだが、課題も多いな」

 

 彼は、三人の協力者たちを見回した。

 

「まず、サングラスの嬢ちゃん(六花)。君の出力は『Aプラス』だ。破壊力だけなら君主(ロード)級と言ってもいい」

 

「えへへ、照れるなぁ〜」

 

「褒めていない! 繊細さが欠片もないと言っているんだ! 君の術式は『雑』すぎる。……まったく、五条の奴はどんな教育をしているんだ。あいつも大概だったが、君も相当だぞ」

 

 Ⅱ世はこめかみを押さえた。六花は「むっ。パパの悪口はダメ!」と頬を膨らませた。

 

「次に、巫女の嬢ちゃん(霊夢)。君の結界術……『博麗』といったか。非常に興味深い。西洋の基盤とは全く異なるが、強度は極めて高い」

 

「……で?」

 

「どうだ? 時計塔(ロンドン)に来ないか? 現代魔術科なら、君のような特異な才能も歓迎するぞ。特待生として奨学金も……」

 

「お断りよ」

 

 霊夢は即答した。

 

「私は賽銭箱の守りがあるの。それに、あんたたちの魔術って、なんか小難しくて肩が凝りそうだし」

 

「……ふん。まあ、そう言うだろうと思ったがな」

 

 そして最後に、Ⅱ世は蓮の前に立った。

 蓮はビクッとして身構えた。

 

「……そして少年(蓮)。君のレポートだが……『評価不能』だ」

 

「……評価不能?」

 

「ああ。君の『存在希釈性』は、魔術的な才能ではない。君という存在の在り方(オリジン)そのものが、世界からズレている」

 

 Ⅱ世は蓮の肩に手を置いた。その手は、意外なほど温かかった。

 

「……いいか。君のその『無』は、使いようによっては世界を救う『蓋』にもなるが、一歩間違えれば、あらゆる事象を飲み込む『ブラックホール』にもなり得る」

 

「……」

 

「自覚して生きろ。そして、決して自分を見失うな。……君が『自分はここにいる』と思い続ける限り、君は人間でいられるはずだ」

 

 それは、数多くの「怪物」や「天才」を見てきた教師としての、最大限の助言だった。

 蓮は深く頭を下げた。

 

「……はい。肝に銘じます。先生」

 

 ◇

 

 悪夢の足止め

 

 Ⅱ世とグレイは車に乗り込んだ。

 エンジンがかかる。窓を開け、Ⅱ世が最後に六花に声をかけた。

 

「おい、嬢さん。五条に伝えておけ」

 

「え? パパに?」

 

「ああ。『祭位(フェス)』の更新手続きに関する書類不備の件は、三日後に受理されるよう手配した、とな」

 

 六花は首を傾げた。

 

「……? どういうこと?」

 

「あいつなら分かる。……『悪かったな、足止めをして』とも伝えてくれ」

 

 Ⅱ世はニヤリと笑い、ウィンドウを閉めた。

 車が走り去っていく。

 

 車内にて。

 グレイが不思議そうにⅡ世に尋ねた。

 

「師匠。……足止め、というのは?」

 

「……ああ。今回の件、五条悟が動けば一瞬で終わったかもしれん。だが、奴の破壊力では『孔』ごと街を消し飛ばしかねん」

 

「はあ」

 

「だから私が、時計塔の政治的権限を使って、奴に『重要参考人招致』のような面倒な書類を送りつけたのだ。『回答には最低三日を要する』という法的拘束力付きでな」

 

 Ⅱ世は悪戯が成功した子供のように笑った。

 

「かつての教え子への、ささやかな嫌がらせと……信頼の証だよ。『ウェイバーちゃんが行くなら大丈夫』と、あいつも分かっていただろうからな」

 

 グレイは呆れたように、しかし微笑ましそうに微笑んだ。

「師匠らしいですね」と。

 

 ◇

 

 黒山から「孔」が消え、静寂が戻った。

 六花と蓮、そして霊夢は、夜道を歩いて帰っていた。

 

「……変な人だったね、あの先生」

 

 六花が言った。

 

「でも、なんかカッコよかった。あんな大人になりたいかも」

 

「無理ね」

 

 霊夢がバッサリと言った。

 

「あんたは『力』で押し通すタイプでしょ。あの人は『理屈』の人よ。真逆だわ」

 

「えー! ひどい!」

 

 二人のやり取りを聞きながら、蓮は自分の掌を見つめた。

 黒い泥の感触は、もうない。

 けれど、Ⅱ世の言葉が胸に残っていた。

『自覚して生きろ』。

 

(……僕はモブだ。でも、世界を救う『蓋』くらいにはなれる)

 

 蓮は夜空を見上げた。

 お盆が終わり、少しだけ秋の気配が混じった風が吹いている。最強たちが帰ってくるまで、あと少し。この奇妙で、ごちゃ混ぜで、でも少しだけ優しい世界の片隅で、彼はこれからも「影の薄い少年」として生きていくのだろう。

 

 遠くで、祭りの後のような静けさが広がっていた。

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