仮称:やる夫スレ的世界でオカルトやってくー   作:水野芽生

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020 神殺しの虚構、悪霊の晩餐、最強の空(ソラ)

 

 2014年10月。神無月。

 日本中の神々が出雲《島根》に集まるとされるこの時期、隣県である鳥取の大山《だいせん》もまた、独特の霊的力場に包まれていた。

 紅葉が燃えるように山肌を染める中、一人の少女が山道を歩いていた。

 

「……ふぅ。やっぱり蓮くんがいないと、ツッコミ不足で寂しいな」

 

 小鳥遊六花《たかなし りっか》は、登山道の入り口で一人、呟いた。相棒である佐藤蓮は、季節の変わり目の風邪でダウン中だ。

 今日は学校の「秋の遠足」の下見という名目で、六花が単独でこの地の霊的調査(という名のサボり)に来ていた。

 

「でも、ソロ活動も悪くない。今の私は『孤高の邪王真眼』……!」

 

 六花は眼帯を撫で、サングラスの位置を直した。彼女の右目「六眼」は、通常の人間の視界を超え、この山に渦巻く澱んだエネルギーの流れを捉えていた。

 

 大山は霊山だ。

 だが、今の空気は澄んでいない。

 何かが腐っている。

 古い信仰が忘れ去られ、行き場を失った祈りが「呪い」へと変質しつつある気配。

 

「……いるね。結構デカいのが」

 

 六花は気配を消し、獣道へと足を踏み入れた。

 

 ◇

 

 山の中腹。かつて小さな祠があったと思われる開けた場所に、それはいた。

「堕ちた土地神」。

 大きさはトラックほどもあるだろうか。全身が腐った泥と落ち葉で構成された、巨大な猪の姿をしている。その体からは、神気と瘴気が混ざり合った不快な臭気が立ち上っていた。

 

「……ブモォォォォ……」

 

 猪神が低い唸り声を上げる。

 だが、六花が注目したのは、その怪物と対峙している「人間」の方だった。

 

「……うわっ、嘘でしょ」

 

 六花は茂みの陰で息を呑んだ。

 そこにいたのは、小柄な少女と、長身の青年だった。

 

 少女は、フリルのついたワンピースにベレー帽、そして片手にはステッキを持っている。左足は義足のようで、機械的な駆動音が微かに聞こえる。青年は、これといって特徴のない、強いて言えば「ヤギのような」無表情な顔立ちをしている。

 

(……岩永琴子《いわなが ことこ》!?)

(それに、桜川九郎《さくらがわ くろう》先輩!?)

 

 六花の脳内で、原作知識がスパークする。

『虚構推理』の主人公コンビだ。

 妖怪たちの「知恵の神」である彼女が、なぜ鳥取に? 

 ああ、そうか。ここは妖怪のメッカ・境港の近くだ。妖怪絡みのトラブルなら、彼女が出張ってきてもおかしくない。

 

「……静まりなさい」

 

 岩永琴子が、凛とした声で猪神に語りかけた。彼女は戦おうとしていない。ただ、言葉を紡いでいる。

 

「貴方は神ではありません。明治の世に、この山で撃たれた巨大な猪の霊が、人々の『山の主がいる』という噂を吸収して肥大化しただけの、哀れな亡霊です」

 

 それは「虚構」だった。

 目の前にいるのは、間違いなく「元・神様」だ。

 だが、神は信仰を失えば消える。逆に言えば、「ただの動物霊だ」という認識を周囲(この場の精霊や妖怪たち)に植え付ければ、神としての格を失い、弱体化して消滅する。

 

 彼女は今、論理《ロジック》で神殺しを行っているのだ。

 

(すごい……生で見ると圧巻だなぁ。九郎先輩も、ただ立ってるだけに見えて、いつでも琴子ちゃんを庇える位置にいる)

 

 六花はオタクとしての興奮を抑えつつ、息を殺して見守った。これは「ミステリー」の領分だ。「バトル」担当の自分が安易に介入すれば、彼女が積み上げたロジックタワーを崩しかねない。

 

 そう。

 このままなら、平和的に(論理的に)解決するはずだった。

 

 ◇

 

 だが、六花の「六眼」は、もう一つの異質な気配を捉えていた。反対側の茂みから、どす黒い、それでいて子供のような小さな影が近づいているのを。

 

(……え? あのドクロのような瞳……)

 

 ランドセルを背負った、無表情な幼女。その両目は、同心円状の瞳孔──重瞳《ちょうどう》を持っている。そして、その後ろには、怯えきった様子の大学生風の男。

 

(……寶月夜宵《ほうづき やよい》ちゃん!? それに螢多朗《けいたろう》君!?)

 

『ダークギャザリング』の主人公たちだ。

 最悪だ。

「秩序と調停」を重んじる岩永琴子と、「狩猟と蠱毒」を行う寶月夜宵。この二組は、水と油どころか、ガソリンと火だ。

 

「……見つけた」

 

 夜宵が、ポツリと呟いた。

 彼女は猪神を見上げ、そのドクロのような瞳を輝かせた。

 

「すごい怨念。……あれなら、空亡を殺すための戦力《コマ》になれるかも」

 

 彼女は「論理」など求めていない。

 欲しいのは「暴力」だ。

 琴子が言葉で神を弱らせて消滅させようとしているその横で、夜宵はリュックから薄汚れたぬいぐるみを取り出した。

 

(ま、待って! そのぬいぐるみはマズい! それは多分……!)

 

 六花が止めようとするより早く。夜宵は、躊躇なくぬいぐるみを猪神に向かって投げつけた。

 

「行って。……『狗坂山・千枯肢重抜刀狂妃《せんこしがさねばっとうきょうひ》』」

 

 ◇

 

 グシャァァァッ!! 

 

 空気が破裂したような音が響いた。

 ぬいぐるみが空中で弾け飛び、そこから巨大な「何か」が出現した。それは、十二単を着た巨大な女性の霊……に見えたが、その着物の下からは無数の干からびた手足が伸び、手には巨大な日本刀のような凶器が握られていた。

 

 卒業生《Sランク悪霊》。

 夜宵が育て上げた、神すら殺せる悪霊の軍勢。

 

「──ヒヒッ、ヒヒヒッ!」

 

 狗坂山の霊は、猪神の巨体に取り付き、その刃を脳天に突き立てた。

 論理もへったくれもない。純粋な物理的暴力と、呪いの侵食。

 

「ブモォォォォォォッ!!?」

 

 猪神が絶叫した。

 琴子が積み上げていた「貴方はただの動物霊です」という定義が、圧倒的な質量攻撃によって粉砕される。「ただの動物霊」が、こんな特級悪霊と拮抗できるわけがない。

 つまり、逆説的に「やはり私は神だ!」と、猪神の自己認識を強めてしまったのだ。

 

「なっ……!?」

 

 岩永琴子が目を見開いた。彼女はステッキを突き、激昂して叫んだ。

 

「何をしているんですか、このクソガキ! 今、秩序が整うところだったんですよ!?」

 

 琴子の怒声に、夜宵は冷ややかな視線を向けた。

 

「……お姉さんこそ邪魔。弱体化させたら、美味しくなくなる」

 

「美味しく……? 貴方、あれを食べる気ですか? 正気ですか! あれは腐っても土地の神ですよ! 蠱毒の壺に入れるようなモノではありません!」

 

 知恵の神と、悪霊コレクター。二人の少女の視線がバチバチと火花を散らす。

 

「螢多朗、あのお姉さんをどかして。邪魔」

 

「ええっ!? 僕が!? 無理だよ夜宵ちゃん、あんな知的そうな人!」

 

「……九郎先輩! あの凶暴な幼女を摘み出してください! 私の計算が台無しです!」

 

「やれやれ。人使いが荒いな、おひいさま」

 

 地獄の釜の蓋が開いた。六花は頭を抱えた。

 

(あーもう! 予想通りだけど最悪のクロスオーバーだ!)

 

 ◇

 

 議論している間にも、戦況は悪化していた。H城址の攻撃を受けた猪神が、痛みと怒りで暴走し始めたのだ。腐った泥が散弾のように飛び散り、周囲の木々をなぎ倒す。

 

「ブモォォォォッ!!」

 

 猪神が、最も近くにいた琴子へ向かって突進した。H城址はそれを抑えきれない(あるいは、夜宵がわざと放置したか)。

 

「おひいさま!」

 

 桜川九郎が動いた。彼は琴子の前に立ち塞がり、何の防御もせずに猪神の突進を生身で受け止めた。

 

 グチャッ。

 

 生々しい音が響いた。九郎の左腕が千切れ飛び、腹部が巨大な牙に貫かれた。普通なら即死だ。

 

「ひいいいいいッ!! う、腕がぁぁぁぁ!」

 

 螢多朗が顔面蒼白で絶叫する。

 

 だが。九郎は眉一つ動かさなかった。

 彼は貫かれたまま、残った右腕で猪神の鼻面を殴りつけた。

 

「……痛くはないが、服が汚れるな」

 

 その傷口からは、血ではなく、何か別の「変質した肉」が盛り上がり、瞬く間に修復されていく。

 件《くだん》と人魚の肉を食べた、不死身の怪異。

 それが桜川九郎の正体だ。

 

(出た! 九郎先輩のグロ耐性! ……螢多朗君はドン引きしてるけど、私は知ってるから大丈夫!)

 

 六花だけが、その光景を「原作再現だ……」と冷静(?)に見ていた。

 だが、事態は呑気に見ていられる状況ではなくなっていた。

 

 九郎が足止めしている間に、夜宵が追撃を指示する。

 H城址が広範囲の斬撃を放つ。それは九郎ごと猪神を切り裂く軌道だ。

 

「ちょっ、夜宵ちゃん! 味方ごと!?」

 

「……あの男の人、死なないから大丈夫。盾にして」

 

「合理的ですけど倫理観!!」

 

 このままでは、琴子や螢多朗まで巻き添えになる。

 六花は覚悟を決めた。「観測者」の席を降り、「介入者」になる時だ。

 

「……もう! 仕方ないなぁ!」

 

 六花は茂みから飛び出した。眼帯を外し、サングラスを投げ捨てる。蒼い瞳──六眼が、戦場の情報を奔流のように飲み込む。

 

「二人とも下がって! 巻き込まれるよ!」

 

 六花は両手を広げ、呪力を練り上げた。

 術式順転。

 

「──蒼《あお》!」

 

 六花の指先に、ブラックホールのような引力点が発生した。

 

 ◇

 

「術式順転・蒼《あお》!」

 

 小鳥遊六花の指先に発生した「負の引力」が、戦場の物理法則を書き換えた。

 空間が収縮し、ブラックホールのような吸引力が発生する。

 

「ブモォォォォッ!?」

 

 猪神の巨体が、見えない力に引っ張られて宙に浮いた。

 同時に、それに噛み付こうとしていた『狗坂山・千枯肢重抜刀狂妃《せんこしがさねばっとうきょうひ》』の刃も軌道を逸らされ、空を切る。

 

「……!?」

 

 寶月夜宵が目を見開いた。

 彼女の操る「卒業生(特級悪霊)」の攻撃が、物理的にずらされたのだ。

 霊的な防御ではない。空間そのものが歪められている。

 

「なっ、何ですか今の光は!?」

 

 岩永琴子もまた、ステッキを構え直して六花を睨んだ。

 

「白髪にサングラス……まさか、噂に聞く『呪術師』ですか!? 最悪です! 暴力装置がまた一つ増えました!」

 

「人聞きが悪いなぁ! 私は助けに入ったんだよ!」

 

 六花は、引力で引き剥がした猪神を、安全な距離(といっても数メートルだが)に叩き落とした。

 そして、桜川九郎の前に着地する。

 

「九郎先輩、大丈夫ですか!? 腕、生えてます!?」

 

「……ああ。問題ない。もう繋がった」

 

 九郎は、再生したばかりの左腕を無造作に回した。

 その顔には痛みも驚きもない。ただ「やれやれ」という疲労感だけがある。

 

「君は……五条家の関係者か?」

 

「うん! 通りすがりの美少女呪術師だよ!」

 

「……そうか。なら、あのおひいさまと、あの危険な幼女を止めてくれ。俺の体が保たん」

 

 ◇

 

 猪神が体制を立て直すまでの数秒間、奇妙な膠着状態が生まれた。

 六花を挟んで、右に琴子と九郎、左に夜宵と螢多朗。

 

「ちょっと! そこの白髪のお姉さん、邪魔しないで」

 

 夜宵が、ドクロのような瞳で六花を睨みつけた。

 その視線は、霊的な圧力を伴っている。普通の霊能力者なら失神するレベルだ。

 

「あの神様は私が捕まえる。空亡《くうぼう》を殺すための戦力にするの」

 

「捕まえるって……あんなデカいのどうやって持ち帰るのさ!」

 

「……圧縮して、人形に詰める」

 

「物理的すぎる!」

 

「待ちなさい! 貴方たち、いい加減にしなさい!」

 

 琴子が義足の音を響かせて割り込んだ。

 

「あれは『神』ではありません! 私が今、ネットの噂と連動させて『ただの動物霊が巨大化したもの』という虚構を定着させようとしていたんです! そうすれば、神格を失って消滅するはずだったのに!」

 

 琴子の主張はこうだ。

「神」として扱うから強いのだ。「雑魚」として扱えば、その認識通りに弱体化する。

 これが彼女の戦い方、「虚構推理」。

 

「はあ? 何言ってるの。あれは強い。強いから価値がある」

 

 夜宵は即座に否定した。

 

「弱体化させたら意味がない。強いまま捕獲して、私の毒《呪い》で支配する」

 

 これが彼女の戦い方、「悪霊蠱毒《ダークギャザリング》」。

 

「えっと……私は、とりあえず九郎先輩が死なないように……」

 

 これが六花の戦い方、「推し活《ミーハー》」。

 

 三者の主張は平行線だ。

 

 琴子: 「弱く定義して消したい(論理)」

 夜宵: 「強く定義して奪いたい(物理)」

 六花: 「とりあえず場を収めたい(呪術)」

 

 この矛盾した干渉が、哀れな猪神に最悪の化学反応《バグ》を引き起こした。

 

 ◇

 

 神の変異、呪いの暴走

 

「オ……オオオ……」

 

 猪神が奇妙な声を上げた。

 その輪郭がブレ始めた。

 琴子の流した「お前は弱い」という虚構情報。

 夜宵がぶつけた「お前を支配する」という悪意の物理攻撃。

 六花が放った「お前を拒絶する」という呪力干渉。

 

 相反する定義を同時に叩き込まれた猪神の霊核が、自己矛盾に耐えきれず崩壊し──そして、再構築された。

 

「ブ、ブギィィィィィィッ!!!」

 

 爆音。

 猪神の背中から、無数の黒い触手のようなものが噴き出した。

 それは、もはや「神」でも「動物霊」でもない。

 純粋な「特級呪霊」に近い、呪いの塊へと変貌していた。

 

「なっ……!?」

 琴子が絶句した。

「私の『虚構』が弾かれた!? 物理的な干渉と呪力が強すぎて、理屈が通じなくなっています!」

 

「……チッ。腐った」

 夜宵が舌打ちをした。

「あれじゃ使えない。ただの爆弾」

 

 変異した猪神(もどき)は、周囲に強烈な瘴気を撒き散らし始めた。

 木々が一瞬で枯れ、岩が溶ける。

 神聖な気配は消え失せ、あるのは破壊衝動のみ。

 

「ひいいいッ! こっち来たぁぁぁ!」

 幻燈河螢多朗が悲鳴を上げた。

 彼は極度の霊媒体質だ。あのような呪いの塊にとって、彼は最高に美味しい餌に見える。

 

「螢多朗、下がって!」

 夜宵がH城址をけしかける。

 だが、変異した猪神は、H城址の刃をその身で受け止め、あろうことかその霊体を「捕食」しようと触手を伸ばした。

 

「嘘……卒業生が押されてる!?」

 夜宵の表情に焦りが浮かぶ。

 相性が悪すぎる。相手は「秩序」を失ったカオスだ。物理攻撃も呪いも、すべて吸収して巨大化していく。

 

 ◇

 

 邪眼の限界

 

「まずい! このままじゃ全員飲み込まれる!」

 

 六花は判断した。

 今は喧嘩している場合ではない。

 彼女は再び前に出た。

 

「九郎先輩、螢多朗君を連れて逃げてください! 琴子ちゃんも!」

「君はどうする気だ!?」

「私が止める! ……『赫《あか》』はまだ使えないけど、全力の『蒼』なら!」

 

 六花は両手を合わせた。

 パパ(五条悟)の見様見真似。

 呪力出力を最大まで引き上げる。

 

「術式順転・出力最大……蒼!!」

 

 大気が悲鳴を上げた。

 猪神の頭上に、巨大な引力球が発生する。

 周囲の瓦礫、倒木、そして猪神自身の肉体が、メリメリと音を立てて球体へと吸い込まれていく。

 

「グオオオオオッ!!」

 

 猪神が抵抗する。

 その触手が地面に突き刺さり、引力に逆らうアンカーとなる。

 六花の呪力と、猪神の怨念が拮抗する。

 

(くっ……重い! 特級クラスの出力!?)

 

 六花の額に脂汗が滲む。

 彼女はまだ小学生(転生者とはいえ肉体は子供)。

 呪力操作は天才的だが、絶対的な出力では、数百年の信仰を溜め込んだ土地神(の成れの果て)には及ばない。

 

「……くっ、押し負ける……!」

 

 猪神の触手が、六花の「無下限バリア」を叩いた。

 バリアは破れない。だが、衝撃で六花の体が吹き飛ばされる。

 

「きゃあっ!」

 

「五条ちゃん!」

 

 螢多朗が叫ぶ。

 

 体勢を崩した六花に、猪神の追撃が迫る。

 H城址も、琴子の結界も間に合わない。

 

 その時。

 

 ◇

 

 天井が落ちる

 

 ドォン。

 

 世界が、一段階「重く」なったような感覚。

 音ではない。

 大気そのものが、何か巨大な質量に押し潰されたような圧迫感。

 

「……ッ!?」

 

 夜宵が、反射的に空を見上げた。

 彼女の操る狗坂山の霊が、攻撃を止めてカタカタと震え出したからだ。

 あの好戦的な卒業生が、「怯えている」。

 

「な、何ですか……このプレッシャーは……」

 

 琴子もまた、全身の毛が逆立つような悪寒を感じていた。

 妖怪たちが一斉に逃げ出した。

 この山にいる全ての「人ならざるもの」が、本能的な恐怖に駆られて沈黙した。

 

 上空。

 紅葉に染まる大山の空に、一人の男が浮いていた。

 

 黒い目隠し。

 長身痩躯。

 重力を無視して、まるで階段を降りるように、ゆっくりと降下してくる。

 

「……あ」

 

 六花が、安堵と悔しさが入り混じった声を漏らした。

 その男は、戦場の惨状を見下ろし、軽い調子で言った。

 

「はーい、そこまで」

 

 五条悟。

 現代最強の呪術師が、そこにいた。

 

「六花〜。お散歩中に変なもの拾わないでって言ったよね? ……あと、そっちのちびっ子たちも」

 

 五条は地上に降り立った。

 猪神が、本能的な危機感を覚えて咆哮する。

 だが、その声は震えていた。

 

「……へぇ。神様崩れか。随分と趣味の悪い姿になっちゃって」

 

 五条は、猪神の巨体を見上げても、眉一つ動かさなかった。

 琴子の論理も、夜宵の物理も、六花の術式も、彼にとっては「誤差」でしかない。

 

「ま、祓っちゃっていいよね」

 

 彼は、無造作に指先を向けた。

 構えすら取らない。

 ただの指差し確認のような動作。

 

「術式反転」

 

 その指先に、赤い光が灯る。

 六花が喉から手が出るほど欲しがっている、正のエネルギー。

 

「──赫《あか》」

 

 五条悟の指先から、赤い閃光が弾けた。

 音は遅れてやってきた。

 光が放たれた瞬間、そこにあった空間そのものが「拒絶」されたかのように吹き飛んだ。

 

 ドォォォォォォォォン!! 

 

 特級呪霊クラスに変異していた猪神の巨体が、一瞬で蒸発した。

 防御も、再生も、呪いの抵抗も許されない。

 ただ純粋な「正のエネルギー」による斥力が、神だったモノを原子レベルで分解し、彼方へと弾き飛ばしたのだ。

 

「……あ」

 

 寶月夜宵が、呆然と口を開けた。

 彼女が操っていた『狗坂山』の霊が、その余波を受けただけで霊核を震わせ、強制的にぬいぐるみに戻ってしまったのだ。

 捕食どころではない。

 あと一歩踏み込んでいれば、卒業生ごと消滅させられていた。

 

「……嘘でしょう」

 

 岩永琴子もまた、ステッキを握りしめたまま硬直していた。

 彼女が必死に組み立てていた「論理(虚構)」が、圧倒的な「出力(暴力)」の前には紙切れ同然であることを突きつけられた瞬間だった。

 

 砂煙が晴れると、そこには半円状に抉り取られた地面と、更地になった森だけが残っていた。

 猪神の気配は、微塵も残っていない。

 

「はい、おしまい」

 

 五条悟は、パンパンと手を払った。

 まるで、ちょっとした掃除を終えたかのような気軽さで。

 

「六花〜。お家帰るよー。まったく、目を離すとすぐ変なのと遊ぶんだから」

 

「……遊んでないよ! 調査だよ!」

 

「はいはい。……じゃ、そっちのちびっ子たちも、気をつけて帰んなよ」

 

 五条は、琴子と夜宵たちに軽く手を振ると、「先に行ってるね」と言い残し、瞬間移動のように姿を消した。彼にとっては、この程度の怪異も、そこにいる異能者たちも、記憶に留めるほどの価値もない「日常」なのだ。

 

 残されたのは、呆然とする三組の異能者たちだけだった。

 

 ◇

 

 気まずい沈黙が流れた。最初に口を開いたのは、やはりこの男だった。

 

「……あー、死ぬかと思った。本当に死ぬかと思った……」

 

 幻燈河螢多朗《げんとうが けいたろう》が、へたり込みながら涙目で呟いた。極度の霊媒体質である彼にとって、今の空間は地獄釜そのものだった。

 

「九郎先輩、大丈夫ですか?」

 

 小鳥遊六花が、桜川九郎に駆け寄る。

 

「ああ。服が破れたのが痛手だがな。……それより、あいつは行ってしまったのか?」

 

「うん。パパは忙しいから」

 

 六花は苦笑いしながら、改めて全員を見回した。

 岩永琴子と桜川九郎。

 寶月夜宵と幻燈河螢多朗。

 そして自分。

 夢のクロスオーバーだが、全員が疲労困憊だ。

 

「……あの、君」

 

 螢多朗が、恐る恐る六花に話しかけた。

 

「さっき、僕の名前呼んでたよね? 『螢多朗君』って。……僕たち、どこかで会ったっけ?」

 

 当然の疑問だ。

 六花は一瞬焦ったが、すぐに「邪王真眼」モード(という名のオタク知識活用)に切り替えた。

 

「ふっふっふ。我が『六眼』は全てを見通すのです。……貴方のその異常な霊媒体質、そして背負っている因果の情報が、視覚情報として流れ込んでくるのですよ」

 

「えっ……目を見るだけで個人情報がわかるの!? 怖っ!」

 

 螢多朗がドン引きして後ずさる。

 

「……嘘だ」

 

 夜宵が、ジト目で六花を見上げた。

 

「私の名前も知ってた。……お姉さん、何者? あの白髪の男(五条悟)の身内?」

 

「うん。五条悟の娘小鳥遊六花です! よろしくね、夜宵ちゃん!」

 

「……馴れ馴れしい」

 

 夜宵は警戒心を解かないが、敵意も薄れているようだった。

 共通の脅威(五条悟と猪神)を前にして、一種の連帯感が生まれたのかもしれない。

 

 ◇

 

「それにしても……酷い結末です」

 

 岩永琴子が、ため息交じりに瓦礫の山を見つめた。

 

「私の計算では、あの神を『狸の仕業』という虚構に落とし込み、平和的に消滅させるはずだったんです。……それを、貴方たちが引っ掻き回すから!」

 

 彼女はビシッと夜宵を指差した。

 

「特にそこのドクロ目のお嬢さん! 神を物理で殴って捕獲しようだなんて、野蛮にも程があります! 日本の霊的秩序を何だと心得ているんですか!」

 

「……秩序なんてどうでもいい」

 

 夜宵は淡々と返した。

 

「私は、母の魂を連れ去った『空亡』を殺せればそれでいい。そのためなら、神でも悪魔でも利用する」

 

「復讐ですか。……動機としては理解できますが、手段が破綻しています。そんな特級悪霊(卒業生)を何体も連れ歩いて、いつか貴方自身が食われますよ?」

 

「食われない。私が支配してる」

 

「その過信が危ないと言っているんです!」

 

 バチバチと火花が散る。

「管理と調停」を司る神の巫女と、「狩猟と使役」を行う少女。

 相容れないスタンスだ。

 

「まあまあ、おひいさま。終わったことは仕方ないだろう」

 

 九郎が淡々と仲裁に入った。

 

「それに、あの白髪の男……五条悟か。彼が介入した時点で、俺たちの理屈など通じなかっただろうさ」

 

「……むぅ。九郎先輩がそう言うなら」

 

 琴子は不満げに頬を膨らませた。

 

「あの、九郎さん……でしたっけ?」

 

 螢多朗がおずおずと尋ねた。

 

「さっき、腕がちぎれてませんでした? ……治ってるんですけど」

 

「ああ。俺は幼い頃に妖怪の肉を食ってな。死なない体になったんだ」

 

「ひえぇ……世の中には不思議な人がいるなぁ……」

 

「(君も大概だけどね)」

 

 六花は心の中でツッコミを入れた。

 

 ◇

 

 険悪なムードの琴子と夜宵の間に入り、六花は手を挙げた。

 

「まあまあ! どっちの言い分も分かるよ! 琴子ちゃんは『世界のバランス』を守りたくて、夜宵ちゃんは『個人的な目的』のために戦ってるんだよね」

 

「……ちゃん付けはやめてください」

 

「……馴れ馴れしい」

 

 二人に同時に拒否されたが、六花はめげない。

 

「でもさ、結果的に誰も死ななかったし、あの暴走した神様も祓われたし、オールオッケーってことで!」

 

 六花の能天気な言葉に、琴子は呆れたように溜息をつき、夜宵はふん、と鼻を鳴らした。

 

「……貴方、変わった術師ですね」

 

 琴子が六花を観察するように見た。

 

「五条悟の血縁にしては、理性的というか……話が通じる相手です。あの『六眼』を持ちながら、狂わずにいられるのは稀有なことですよ」

 

「えへへ、褒められた?」

 

「呆れているんです。……でも、貴方のような『バランサー』がいるなら、五条悟の暴走も多少はマシになるかもしれませんね」

 

 琴子は懐から名刺を取り出し、六花に手渡した。

 

「『岩永琴子』です。怪異絡みで、理屈が必要になったら連絡してください。……物理で解決できない問題なら、相談に乗りますよ」

 

「わぁ! ありがとうございます!」

 

 六花は感動で震える手で名刺を受け取った。

 

「……私も」

 

 夜宵が、リュックから何かを取り出した。それは、小さな身代わり人形《形代》だった。

 

「……あげる。身代わりになる」

 

「えっ、いいの!?」

 

「お姉さん(六花)の『蒼』、便利だった。……また、強い悪霊が出たら呼ぶかも。その時は手伝って」

 

 それは、夜宵なりの不器用な感謝と、戦力としての勧誘だった。

 

「うん! 任せて! 私と夜宵ちゃんのタッグなら無敵だよ!」

 

「……それはどうかな」

 

 夜宵は少しだけ口元を緩めた。

 

 ◇

 

 日が暮れかけていた。

 三組は、それぞれの帰路につく。

 

「じゃあね、螢多朗君! 頑張って生き延びてね!」

 

「うん……ありがとう、六花ちゃん。君も気をつけて」

 

 螢多朗と夜宵は、バス停の方へ歩いていった。

 琴子と九郎は、タクシーを呼んでいるようだ。

 

「九郎先輩、お腹が空きました。帰りに牛丼を食べて帰りましょう」

 

「……また牛丼か。たまには野菜も食え」

 

「野菜は毒です」

 

 そんな会話が聞こえてくる。

 

 六花は一人、夕焼けの大山を見上げた。

 今日は蓮がいなくて寂しかったが、とんでもない体験をした。

 虚構の神と、悪霊使い。

 全く違う理《ことわり》で動く彼らが、この世界で交差した奇跡。

 

「……ふふっ。やっぱりこの世界、飽きないなぁ」

 

 六花はスマホを取り出し、蓮にメッセージを送った。

 

『蓮くん! 今日のクエスト報告! 岩永琴子と寶月夜宵と遭遇! パパが全部ぶっ壊して終了! お土産話いっぱいあるから覚悟してて!』

 

 既読はすぐについた。

 

『……お疲れ様。無事で何よりだよ(胃薬飲んで寝てます)』

 

 六花は笑って、五条悟が待つ駐車場へと駆け出した。最強の娘としての日常は、まだまだ続きそうだ。

 

 

「それにしても、野菜は毒、か。変な怪異の影響でも受けたのかな?」

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