仮称:やる夫スレ的世界でオカルトやってくー   作:水野芽生

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026 その右手が砕くのは、最強の盾か、不運なカニか

 

 2015年、4月初旬。桜前線が日本列島を北上し、ここ鳥取県境港市――通称「魔都」にも春の暖かさが訪れていた。

 

 そんな穏やかな昼下がり、一人の少年が駅に降り立った。ツンツン頭に、少し着古した学生服。茨城県つくばみらい市からやってきた中学一年生、上条当麻である。

 

「着いた……着いたぞ、境港! 夢にまで見たカニの聖地!」

 

 上条は駅前の水木しげるロードで、両手を空に突き上げた。彼がここにいる理由はシンプルだ。地元の商店街の福引きで、奇跡的に「一等・境港カニ食べ放題バスツアー(現地解散可)」を引き当てたからだ。生まれてこの方、「不幸」を絵に描いたような人生を送ってきた彼にとって、これは天地がひっくり返るほどの幸運だった。

 

「待ってろよ、松葉ガニ! 紅ズワイガニ! 今日の俺は勝ち組だ! 不幸なんて言葉は辞書にない!」

 

 上条は意気揚々と歩き出した。予約している店は、港の近くだ。時間はまだある。浮かれた彼は、道沿いにあった小さな神社に目が留まった。観光客向けの撮影スポットも兼ねた、立派なしめ縄が飾られた社だ。

 

「……せっかくだし、旅の安全でも祈っておくか。これ以上、財布を落としたりバスに乗り遅れたりしませんように」

 

 上条は境内に入り、賽銭箱に五円玉を投げ入れた。カラン、と乾いた音がする。ふと見上げると、拝殿の軒先に吊るされた「しめ縄」が少し傾いているのが気になった。

 

「ん? 風でズレたのか? ……神様の前だし、直しておくか」

 

 それは、ごく自然な善意だった。上条は背伸びをして、しめ縄の端に手を伸ばした。彼の「右手」が、しめ縄の結び目に触れる。

 

 ――パリン。

 

 耳慣れない音がした。ガラスが割れるような、あるいは張り詰めた糸が切れるような、硬質な音。

 

「……え?」

 

 上条が瞬きをした瞬間。しめ縄が、まるで砂のようにサラサラと崩れ落ちた。それだけではない。神社の空気が一変した。今まで感じなかった冷たい風が吹き抜け、地面が微かに振動する。何か、目に見えない「膜」のようなものが、彼を中心にして連鎖的に砕け散っていく感覚。

 

「う、うわぁぁぁぁ!? なんでだよ! ちょっと触っただけだぞ!?」

 

 上条は慌てて崩れたしめ縄を拾おうとするが、後の祭りだ。彼は知らなかった。そのしめ縄が、この街の「異物(一般人)」を遠ざけ、同時に「内側の怪異」を抑え込むために張られた、五条悟直製の「帳(とばり)」の基点の一つであったことを。そして、彼の右手が、あらゆる異能の力を打ち消す「幻想殺し(イマジンブレイカー)」であることを。

 

「……不幸だ。カニを食べる前に器物破損で捕まるなんて……!」

 

2.

 

「――君かな? 僕の結界を割ったのは」

 

 頭上から声が降ってきた。上条が恐る恐る見上げると、神社の屋根の上に、一人の男が立っていた。長身痩躯。目元を覆う黒いアイマスク。重力を無視したような立ち姿で、彼は上条を見下ろしていた。

 

「あ、いや、その……俺はただ、しめ縄を直そうと……」

 

 上条は弁明しようとするが、男――五条悟は、興味深そうに首を傾げただけだった。

 

「ふーん。言い訳はあとで聞くけどさ」

 

 五条が指を弾く。瞬間、見えない衝撃波が上条を襲った。それは攻撃というよりは、威嚇のための軽い呪力放出。普通の人間なら尻餅をつく程度の「風」だ。

 

「うわっ!?」

 

 上条は反射的に、顔を庇うように右手を振った。ブンッ。彼の右手が空を切る。

 

 ――シュン。

 

 その瞬間、五条が放った衝撃波が、霧散した。物理的に弾かれたのではない。存在そのものが「無かったこと」にされたかのように、完全に消滅したのだ。

 

「……は?」

 

 五条の動きが止まった。アイマスクの下、六眼(りくがん)が瞬時に情報を解析する。術式の構成、呪力の流れ、大気中のマナの動き。全て正常だ。だが、あの少年の「右手」に触れた瞬間だけ、術式が強制解除されている。

 

「……面白いね」

 

 五条の口元が吊り上がる。彼は屋根から飛び降り、音もなく上条の目の前に着地した。

 

「君、名前は?」

 

「か、上条当麻です……。あの、弁償ならしますから……」

 

「いいよ、金なんて。それよりさ」

 

 五条は一歩踏み込み、上条の胸倉を掴もうと手を伸ばした。彼の体には常時「無下限呪術」が展開されている。対象との間に無限の距離を作る絶対防御。触れようとしても、触れられない。はずだった。

 

 ガシッ。

 

 五条の手が、上条の制服の襟を掴んだ。同時に、上条が驚いて五条の手首を右手で掴む。

 

 パリン。

 

 五条の脳内で、何かが割れる音がした。術式が解けた。無限が消えた。ただの人間として、物理的に接触している。

 

「……へぇ。僕の『無限』まで無効化するのか」

 

 五条の声色は、驚きから純粋な歓喜へと変わっていた。この世界に来て初めて出会う、理解不能(バグ)の存在。

 

「君、最高だよ。ちょっと実験させてくれない?」

 

「は、はぁ!? 離してくださいよ! 俺はカニを食べに行かなきゃならないんです!」

 

「カニなんて後でいいじゃん。ほら、もう一回触ってみてよ」

 

 五条が顔を近づける。その時。

 

「パパ? 何してるの?」

 

 鈴を転がすような声が、二人の間に割って入った。

 

3.

 

 そこに立っていたのは、一人の少女だった。銀色の髪の毛先が、淡いピンク色に染まっている。小鳥遊六花。五条悟と、この世界のホシノの間に生まれた娘である。彼女は買い物袋を提げており、どうやらお使いの帰り道のようだった。

 

「おや、六花。お買い物?」

 

「うん。ママに頼まれてたお醤油……って、パパ。その人は?」

 

 六花の視線が、五条に胸倉を掴まれている少年――上条当麻に向けられる。ツンツン頭。不幸そうな顔。そして、何よりその「右手」。

 

(……! あの子、まさか上条当麻?)

 

 六花は「転生者」としての知識を検索する。『とある魔術の禁書目録』の主人公。全ての異能を打ち消す「幻想殺し(イマジンブレイカー)」。この世界には学園都市も魔術サイドも存在しないはずだが、彼という「特異点」だけは存在していたらしい。

 

「パパ、離れて」

 

 六花は買い物袋を置き、小走りで二人に近づくと、五条の服をクイクイと引っ張った。

 

「その人の右手に触っちゃだめだよ。パパの『無限』が消えちゃうから」

 

「お、気づいた? すごいよねこれ! 六眼でも解析不能なんだよ」

 

 五条は楽しそうだが、六花は複雑な表情だ。彼女は上条当麻という存在を危険視はしていない。彼が善人であることは(物語の知識として)知っている。だが、彼の「不幸体質」と「異能殺し」の特性は、規格外のパパと混ぜると化学反応を起こしかねない。

 

「あの……お知り合いですか?」

 

 上条がおずおずと尋ねる。

 

「うん、娘。可愛いでしょ?」

 

「はぁ……綺麗な髪ですね」

 

「ありがとう。……貴方、上条さんだよね?」

 

 六花が静かに尋ねると、上条は目を丸くした。

 

「え、なんで俺の名前を? 名札つけてないのに」

 

「なんとなく、ね」

 

 六花は曖昧に微笑む。そして、五条に向き直った。

 

「パパ。この人をいじめちゃだめだよ。ただでさえ不幸そうな顔をしてるんだから」

 

「いじめてないよー。ただのスキンシップだって」

 

 平和な会話。だが、その穏やかな時間は、足元の揺れによって中断された。

 

 ズズズズズ……。

 

4.

 

「……ん?」

 

 五条が地面を見下ろす。震源は、この神社の地下。上条がしめ縄(結界)を壊したことで、抑え込まれていた「何か」が目を覚ましたらしい。

 

「おいおい、嘘だろ……」

 

 上条が足を止める。神社の拝殿が、内側から弾け飛んだ。土煙と共に現れたのは、巨大なハサミ。そして、軽トラックほどもある赤黒い甲羅。

 

「……カニ?」

 

 上条が呆然と呟く。現れたのは、妖怪・化け蟹。かつてこの港で暴れ、五条(あるいは先代の誰か)によって封印されていた土地神の成れの果てだ。

 

「シャァァァァ!!」

 

 化け蟹が咆哮し、口から大量の泡を吹き出す。その泡は触れた木々を一瞬で腐食させ、石灯籠を溶かしていく。

 

「うわっ、毒霧かよ!」

 

 上条が後ずさる。六花が瞬時に動き、上条の前に立った。魔力強化などは使わない。純粋な身体能力(フィジカル)だけで、瓦礫を蹴り上げ、泡の軌道を逸らす。

 

「下がってて。……パパ、どうする?」

 

「うーん。僕が術式で吹っ飛ばしてもいいんだけどさ」

 

 五条は困ったように頭をかいた。

 

「それだとカニ味噌が飛び散って、街中が磯臭くなっちゃうんだよね。それに、あの甲羅、魔術的な耐性が強すぎるし」

 

 化け蟹の甲羅は、数百年の怨念とヘドロが固まった、天然の対魔術装甲だった。中途半端な攻撃では弾かれ、強力な攻撃では中身ごと消し飛ぶ。綺麗に倒すには、「装甲だけを無効化」する必要がある。

 

「ねえ、そこの不幸な少年」

 

 五条が上条の肩に手を置く。

 

「君、カニ食べに来たんでしょ?」

 

「……は、はい。そのつもりでしたが……」

 

「だったらさ。自分で捌(さば)いてみない?」

 

 五条はニヤリと笑い、暴れる化け蟹を指差した。

 

「あの甲羅、君の右手なら『割れる』んじゃないかな?」

 

「はぁ!? 無理ですよ! あんなモンスター、近づく前に泡で溶かされます!」

 

「大丈夫。僕と六花が道を作るから」

 

 上条は六花を見る。銀髪の少女は、静かに頷いた。

 

「……パパの言う通りにするのが一番早いと思うよ。私がサポートするから、頑張って」

 

「……マジかよ」

 

 上条は天を仰いだ。カニ食べ放題ツアー。それは、巨大な化け蟹を自力で狩るという、地獄のツアーだったらしい。

 

「くそっ、やるしかねぇのか! 不幸だァァァァ!!」

 

 上条当麻は叫びながら、右手の拳を握りしめた。

 

5.

 

「行くよ、二人とも!」

 

 五条の号令と共に、作戦が開始された。まずは六花だ。彼女は軽やかに地面を蹴り、化け蟹の側面へと回り込む。その動きは風のように速く、それでいて音がない。フィジカルギフテッドとしての天性の身のこなし。

 

「こっちだよ!」

 

 六花が瓦礫を投げつける。単純な挑発だが、効果は抜群だ。化け蟹は怒り狂い、六花を追って体を捻る。巨大なハサミが振り下ろされるが、六花はひらりと身を翻し、ハサミの上に着地する。

 

「ナイス、六花」

 

 五条が指を組む。術式順転・「蒼」。彼は化け蟹の攻撃を止めるのではなく、周囲の瓦礫や車を吸い寄せ、即席の「階段」を作り上げた。上条の足元から、化け蟹の背中へと続く、一直線のルート。

 

「道はできたよ! 走れ、少年!」

 

「うおおおおぉぉぉ!!」

 

 上条が駆ける。前兆感知が、降り注ぐ泡や破片の落下地点を教える。彼はそれをギリギリでかわし、五条が作った瓦礫の階段を一気に駆け上がる。目の前には、赤黒く脈動する巨大な甲羅。あれが、魔術や呪いを弾く絶対防御の要塞。

 

「そのふざけた幻想(こうら)を……!」

 

 上条は跳んだ。右手を大きく振りかぶり、渾身の力を込めて甲羅に叩きつける。

 

「ぶち殺す!!」

 

 ――パリンッ!!

 

 甲高い音が響いた。上条の右手が触れた一点から、亀裂が走る。数百年かけて蓄積された怨念の結界が、呪術的強度が、ガラス細工のように砕け散った。装甲が剥がれ、柔らかい中身が露わになる。

 

「よし! いい剥きっぷりだ!」

 

 五条が瞬間移動で上条の横に現れる。彼は上条の襟首を掴んで退避させると同時に、剥き出しになったカニの急所に、呪力を纏ったデコピンを放った。

 

 パチン。

 

 衝撃が内部に浸透する。化け蟹の巨体がビクリと震え、そのままズルズルと崩れ落ちた。爆発も、四散もすることなく。ただ静かに、活動を停止した。

 

「……勝った……のか?」

 

 上条が息を切らせて呟く。目の前には、綺麗に「殻剥き」された、巨大なカニの山が鎮座していた。

 

6.

 

 戦いは終わった。だが、上条当麻の不幸は終わっていなかった。

 

「あ、予約してた店からメールだ」

 

 上条がスマホを見ると、そこには非情な通知が。

 

『臨時休業のお知らせ:近隣でのガス爆発(カニの出現)により、本日の営業は中止となります』

 

「嘘だろォォォォ!! 俺の松葉ガニ食べ放題がァァァァ!!」

 

 上条はその場に膝から崩れ落ちた。結界を壊し、化け物と戦い、命がけで勝利した結果がこれだ。あまりにも報われない。

 

「……ぷっ」

 

 六花が小さく吹き出す。彼女は上条の絶望顔を見て、年相応の笑みを見せた。

 

「すごいね、上条さん。ここまで運がない人、初めて見たよ」

 

「笑うなよ! 俺にとっては死活問題なんだぞ!」

 

「まあまあ、元気出しなよ少年」

 

 五条が上条の背中をバンと叩く。

 

「君のおかげで、街が汚れずに済んだし。お礼にさ、ウチでカニ鍋パーティーしない?」

 

「え?」

 

「この化け蟹……は流石に食べられないけど、僕が最高級のカニを取り寄せてあげるよ。どう?」

 

 上条の目が輝いた。地獄に仏。あるいは、捨てる神あれば拾う神あり。

 

「行きます! 是非行かせてください! 五条先生、一生ついていきます!」

 

 こうして、奇妙な縁で結ばれた三人は、五条家へと向かうことになった。五条家にて。コタツに入ったピンク髪の女性――ホシノが、「うへぇ~、お客さん? 珍しいね~」と出迎える。上条は出された大量のカニを見て涙を流し、「美味い……美味すぎる……」と貪り食った。六花は黙々とカニの殻を剥き(その手際はプロ級だった)、五条はそれをつまみ食いして「パパ、私のがなくなるでしょ」と怒られていた。平和な食卓。上条当麻が、久しぶりに「不幸」を忘れた瞬間だった。

 

 ……しかし。帰り際、上条は玄関で靴紐が切れて盛大に転び、五条からお土産に貰った高級カニ缶を落としてへこませてしまった。

 

「不幸だァァァァ!!」

 

 境港の夜空に、少年の絶叫が響き渡る。五条と六花は顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめた。魔都・境港の春は、こうして騒がしく過ぎていくのだった。

 

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