境港市、五条邸。結界によって外部と遮断されたこの街において、唯一「聖域」としての機能を維持している場所である。リビングでは、大型テレビに「緊急特番:境港市全域での通信障害」というニュースが流れていたが、すぐに砂嵐となって消えた。電波すら、ベルンハルトの結界(テクスチャ)に食い荒らされているのだ。
「……うへぇ。インターネットが繋がらないよ~」
ソファの上で、ピンク色の髪をした女性──小鳥遊ホシノが、けだるげにスマホを振っていた。彼女はこの家の主婦であり、五条悟の妻。そしてかつて西日本において「最強」と呼ばれた神秘の体現者である。
「ごめんねホシノ。悪い魔術師が電波ジャックしてるみたい」
帰宅した五条が、コンビニ袋(溶けたアイス入り)をテーブルに置く。蓮と六花も、重い足取りでリビングに入った。
その時。空間に、まるで紙を裂いたような「スキマ」が開いた。そこから、一匹の式神(管狐)が飛び出し、優雅な女性の声で喋り出した。
『──聞こえるかしら、五条さん』
「お、八雲さん? 繋がるんだ」
五条が手を振る。声の主は、八雲(やくも)。J-GOC境港支部の支部長であり、この街の「裏の管理者」の一人。
『私のスキマなら、多少の結界は無視できるわ。……それにしても、やってくれたわね、あのアインズワースの末裔。境港を丸ごと人質に取って聖杯戦争ごっこ? 魔術協会もカンカンよ。「神秘の隠匿」をここまで派手に破り捨てて、タダで済むと思ってるのかしら』
「で、どうするの? 外から壊せる?」
『無理ね。この結界、内部の霊脈をアンカーにしてるわ。無理に剥がせば、街の住人の魂ごと消し飛ぶ構造になってる。……悔しいけど、今は手が出せない。中の掃除は、貴方たちに一任するわ』
「りょーかい。報酬、弾んでよね」
五条は軽くウインクし、通信を切った。式神はふわりと消滅し、部屋には再び重苦しい静寂が戻る。
◇
「さて」
五条はパンと手を叩いた。
「状況を整理しようか。敵はベルンハルト。目的は『聖杯の完成』による根源への到達。手段は、街に放たれた七体の『偽サーヴァント』を僕らに倒させて、その魂を聖杯に回収すること」
五条はホワイトボード(なぜか家にある)に図を描く。
「つまり、僕らが敵を倒せば倒すほど、敵の計画は進むってわけ」
「じゃあ、倒しちゃダメなんじゃないか?」
蓮が手を挙げる。彼は転生者として、『Fate』の知識を持っている。聖杯戦争のシステム上、サーヴァントの魂が小聖杯に満ちれば、孔(あな)が開く。
「いや、倒すしかない」
五条は冷徹に言い放った。
「あの偽サーヴァントたちは、放っておけば街の人を襲って魔力を補給する。被害を最小限にするには、即座に殲滅するしかない。その上で、満ちた聖杯ごとベルンハルトをぶっ飛ばす。……力技(パワープレイ)だね」
(……脳筋だ。でも、それしかないのか)
蓮はため息をつく。彼は心の中で、現状を分析していた。
(この世界の聖杯戦争は、フィクションのそれとは違う。英霊(ヒーロー)はいない。クラスの中身は、この土地に縛られた怨霊や妖怪だ。さっきの沖田総司も、美少女じゃなかった。……当たり前だ、史実の沖田は男だ。しかも結核で死んだ、無念の塊。つまりこれは、聖杯戦争という名の『百鬼夜行』だ)
蓮は震えた。ゲーム画面の向こうの華やかな戦いではない。生々しい死と、無念が渦巻く、本物の呪術戦。
「蓮くん、顔色が悪いよ?」
六花が心配そうに覗き込む。
「……大丈夫。ただ、相手が『本物』じゃないってことが、逆に怖いんだ」
「ふふ。大丈夫だよ」
ホシノがソファから立ち上がる。彼女が動くと、空気が変わった。けだるげな「おじさん」の雰囲気が消え、歴戦の「戦術家」の覇気が漂う。
「偽物でも本物でも、生徒(みんな)の日常を壊すなら、先生(わたし)が許さないよ」
彼女の手には、いつの間にか愛用のショットガン(神秘礼装)が握られていた。
◇
「じゃ、手分けしようか」
五条が指示を出す。
「ホシノは港の方をお願い。反応がデカいのが一匹いる。多分『バーサーカー』クラスだ」
「うへぇ、一番うるさそうなやつだね~。了解~」
「僕は黒山方面の霊脈を抑える。『キャスター』と『ランサー』の反応がある。……術師タイプは僕が相手するよ」
「六花は?」
銀髪の少女が目を輝かせる。
「六花は、さっきの『セイバー』を追って。あいつ、まだ街を彷徨ってる。……ただし、無理はしないこと。やばそうならすぐ僕を呼ぶか、蓮くんを盾にして逃げるんだよ」
「おい!」
蓮がツッコミを入れるが、五条は真顔だった。
「冗談だよ。……蓮くん、君には『観測手』としての役割がある。六花のサポートと、戦況の分析を頼む」
「……分かりました。死なない程度に頑張ります」
深夜零時。結界に閉ざされた魔都・境港にて、最強の一家による迎撃戦が始まった。
◇
境港、海岸通り。普段は漁船が停泊する静かな港町が、今夜は破壊の宴と化していた。
ズドォォォォン!!
コンテナが紙屑のように吹き飛ぶ。暴れているのは、身長三メートルを超える異形の巨人だった。全身が黒い泥と、様々な生物のパーツ(牛の角、蜘蛛の足、人間の腕)で構成された合成獣(キメラ)。ベルンハルトが黒山の呪霊をかき集め、「狂化」の術式で縫い合わせたバーサーカーである。
「■■■■■──ッ!!」
言葉にならない咆哮。理性のない暴力の塊が、アスファルトを粉砕しながら進撃する。
その行く手に、小柄な人影が立っていた。ピンク髪の女性、小鳥遊ホシノ。彼女は巨大な盾(ライオットシールド)を地面に突き立て、欠伸を噛み殺していた。
「あーあ。港の設備壊しちゃって。漁協の人に怒られるよ~」
バーサーカーが彼女に気づく。圧倒的な質量差。トラックですらひしゃげる豪腕が、ホシノ目掛けて振り下ろされた。
ガギィィィン!!
激突音。しかし、砕けたのはホシノではなく、バーサーカーの拳の方だった。彼女の盾は微動だにしない。神秘(ミステリー)。彼女の頭上に輝く光輪(ヘイロー)が、物理的・魔術的な干渉を拒絶しているのだ。
「うへぇ、硬いね~。でも、私の盾はもっと硬いよ」
ホシノは盾の隙間から、ショットガンの銃口を突き出した。装填されているのは、対神秘用の魔力弾。
「お昼寝の邪魔しないでよね」
ドンッ!! 至近距離からの発砲。バーサーカーの巨体が、砲弾を受けたかのように吹き飛び、海へと叩き落とされた。
「……さて。タフそうだし、あと何発耐えられるかな~?」
ホシノはポンプアクションで排莢し、次弾を装填した。その目は、獲物を狩る捕食者のように冷たく輝いていた。
◇
一方、黒山の麓にある神社。ここは境港の霊的要所の一つであり、強力な結界が張られていた。
「フフフ……。素晴らしい。この地の霊脈は、我が術式の炉心に相応しい」
境内に陣取っていたのは、狩衣(かりぎぬ)を纏った幽霊──キャスターだった。平安時代の陰陽師の霊をベースにしたサーヴァント。彼は周囲に無数の式神を侍らせ、即席の「陣地作成」を行っていた。
「ここを我が神殿とする。近づく者は、我が呪詛で骨まで溶かして……」
「ねえ、君さぁ」
不意に、鳥居の上に男が座っていた。五条悟だ。
「人の家の庭で、勝手にリフォームしないでくれる? 景観条例違反だよ」
「……何奴!」
キャスターが扇を振るう。「急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」数十体の式神が、五条に向かって殺到する。炎、氷、雷。様々な属性の魔術攻撃が五条を包み込む。
だが。全ての攻撃は、五条の皮膚の寸前で「停止」していた。
「な、なんだと……!? 我が術式が、届かぬ!?」
「呪術? 古いね」
五条がふわりと地面に降りる。彼はポケットに手を突っ込んだまま、キャスターへと歩み寄る。
「現代の呪術師(ぼくら)は、もっとスマートにやるんだよ」
キャスターは焦った。とっておきの大魔術、固有結界に近い「百鬼夜行の宴」を展開しようと詠唱を始める。
「我は語る、万象の理、星の巡りを……!」
「詠唱が長い」
五条が指を弾く。術式順転・「蒼」。吸い込む反応。キャスターの詠唱ごとかき消すような重力の奔流が、神殿(神社)の一部ごとキャスターを吸引し、圧縮した。
「ぐ、ギャァァァァ!!」
キャスターは抵抗する間もなく、自身の陣地ごと圧殺され、金色の粒子となって消滅した。
「……はい、一丁上がり」
五条は埃を払い、夜空を見上げた。
「あとはランサーと……六花の方か」
◇
水木しげるロード、路地裏。六花と蓮は、屋根の上を跳躍しながら移動していた。
「六花ちゃん、反応があった! 港の倉庫街だ!」
蓮がスマホの地図(五条が共有した魔力探知アプリ)を見て叫ぶ。
「了解。……やっぱり、あいつは海の方へ行ったか」
六花は確信していた。セイバー(沖田総司)は、病に侵された肉体(霊基)を引きずっている。湿気の多い山側よりも、海風の吹く港を選んだのだ。
「蓮くんは今度は下がってて。……あいつとは、一対一(サシ)でやりたい」
「ちょっとちょっと相手は英霊(仮)だぞ? 小学生がサシで勝てる相手じゃ……」
「勝つよ」
六花は振り返り、ニッと笑った。
「私はパパの娘で、ママの娘だもん。……それに」
彼女は自分の拳を握りしめた。そこには、微かだが確かな「太陽の熱」が宿っていた。
「あの侍の剣。……あれを超えなきゃ、私は次のステージに行けない気がするんだ」
倉庫街の広場。月明かりの下、一人の剣士が待っていた。セイバー。彼は血のこびりついた手ぬぐいを外し、青白い素顔を晒していた。それは、歴史の教科書にある写真よりもずっと若く、そして死相に満ちた青年の顔だった。
「……来たか。童(わらべ)」
セイバーが刀を抜く。
「某の剣に魅入られたか。……よいだろう。今一度、修羅の巷へ誘おうぞ」
六花もまた、静かに構えた。呪力・魔力強化。波紋の呼吸。そして、神秘の守り。持てる全てのカードを切って、最強の剣豪霊に挑む。
「行くよ、沖田総司!」
偽りの聖杯戦争。その中盤戦、それぞれの戦場で、決着の時が迫っていた。