時間を少し遡る。六花がセイバーと死闘を繰り広げていた頃。境港の霊的要所の一つ、黒山の中腹に、奇妙な神社が存在していた。博麗神社。時折その姿を現し、また霧のように消える「放浪する神社」として知られていた。
「……たく。どいつもこいつも、人の庭でドンパチやりすぎでしょ」
境内の掃除をしていた巫女服の少女――博麗霊夢は、不機嫌そうに竹箒を吐き捨てた。彼女もまた、この世界の理(ルール)を知る「転生者」の一人である。前世の記憶と、現世での「博麗神社の巫女」としての力を併せ持つ彼女にとって、今夜の騒動はただの迷惑行為でしかなかった。
「そこ。隠れてないで出てきなさいよ。……殺気、漏れすぎ」
霊夢が視線を向けた先、闇の中から二つの影が現れた。一つは、骸骨の馬に跨った武者のような亡霊――ライダー。もう一つは、影に溶け込むように蠢く忍びのような亡霊――アサシン。彼らは、強力な霊脈を持つこの神社を制圧し、魔力リソースとしようとしていたのだ。
「……女だ。喰らえ」
ライダーが槍を構え、幽霊馬を駆る。同時に、アサシンが数十の分身を生み出し、四方八方からクナイを投擲する。聖杯戦争におけるサーヴァントの連携。通常の魔術師なら、悲鳴を上げる間もなく挽き肉にされていただろう。だが、相手が悪すぎた。
「アンタら、自分が何様のつもり?」
霊夢は御札(スペルカード)を指に挟み、冷ややかに見下ろした。
「ここは博麗の敷地。……神聖不可侵の結界内よ」
彼女の背後に、巨大な陰陽玉が浮遊する。それは魔術でも呪術でもない。もっと根源的な、「ルール無用」の神の力。
「夢想封印(むそうふういん)」
ドォォォォォン!!
極大の霊撃が炸裂した。追尾性の光弾が、アサシンの分身を全て撃ち落とし、本体ごと消滅させる。ライダーの突撃も、霊夢が展開した「二重結界」に触れた瞬間、馬ごと粒子となって弾け飛んだ。
「な、馬鹿な……! サーヴァントを、一撃で……!?」
ライダーが消滅の間際に驚愕の声を上げる。
「サーヴァント? 笑わせないでよ」
霊夢は鼻で笑った。
「アンタら、ただの雑霊でしょ。英霊の座(あっち)の威光を借りただけの偽物。……本物の聖杯戦争なら、もっとマシな英雄を連れてきなさいよ」
パァァァン……。二体の偽サーヴァントは、光の粒子となって黒山の頂上へ吸われていった。霊夢はそれを見送り、やれやれと肩をすくめる。
「……ま、私が掃除しなくても、あの『五条悟』が出てくれば終わりか。賽銭箱に百万円くらい入れてくれないかしら」
彼女は再び竹箒を手に取り、静寂の戻った境内を掃き始めた。
◇
一方、境港駅前の高層ビル屋上。ここには、弓兵のクラスを与えられたアーチャーが陣取っていた。彼は「千里眼」に似た能力を持つ妖怪(遠目の鬼)であり、街を行く人々を無差別に狙撃しようと矢をつがえていた。
「……見つけたぞ。獲物だ」
アーチャーが眼下の通りを走る避難民に狙いを定める。
ヒュンッ!
風切り音。だが、倒れたのは避難民ではなかった。アーチャー自身だった。
「ガッ……!?」
アーチャーが喉を押さえる。そこには、対魔術処理が施された特殊な弾丸が突き刺さっていた。魔力阻害弾。霊体の構成を強制的に瓦解させる、現代の「魔弾」。
「目標、沈黙」
無線からの冷静な声。隣のビルの給水塔の影に、黒いタクティカルギアに身を包んだ集団がいた。J-GOC(日本超常現象対策協議会)・対アノマリー特殊作戦群。八雲の要請により、結界のわずかな綻びから侵入した、対怪異戦闘のプロフェッショナルたちだ。
「魔力反応消失。霊基の崩壊を確認」
隊長がスコープ越しに確認する。アーチャーは、自分がどこから撃たれたのかも理解できぬまま、黒い泥となって崩れ落ち、空へと昇っていった。
「……所詮は亡霊か。現代兵器(テクノロジー)と神秘の融合の前には無力だな」
隊長は銃を下ろし、通信を入れた。
『こちらアルファ1。アーチャーの排除完了。……これより、五条特級術師の支援に向かう』
偽りの聖杯戦争。その盤面は、魔術師の想定を遥かに超えたイレギュラーたちによって、瞬く間に整理されていった。
◇
黒山、山頂。ベルンハルト・フォン・アインズワースは、祭壇の前で狂喜乱舞していた。
「素晴らしい! 素晴らしいぞ! セイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカー! 七騎全ての魂が還ってきた!」
彼の手元にある「小聖杯」――歪な水晶体が、赤黒い光を放ちながら脈動している。偽サーヴァントたちが倒されるたびに、その汚れた魔力がこの器に注ぎ込まれていたのだ。
「これだ……この膨大な魔力リソース! これさえあれば、星の抑止力(カウンター・フォース)など恐るるに足らん! 物理法則の壁を突き破り、根源の渦へと至る道が開かれる!」
ベルンハルトは叫び、小聖杯を天に掲げた。彼には見えていなかった。あるいは、見ようとしなかったのかもしれない。集まった魔力が、純粋な「無色の光」ではなく、ドロドロとした「黒い泥」に変質していることに。
この世界の境港は、神代の魔力が残る土地だが、同時に「人々の負の感情(呪い)」も吹き溜まる場所だ。英霊召喚という正規の濾過システムを通さず、現地の悪霊を詰め込んで殺し合わせた結果、聖杯の中身は「第三次聖杯戦争のアンリマユ」もかくやというほどの、高濃度の呪い(カース)と化していた。
「開け、天の孔(あな)よ! 我が悲願の成就なり!」
ズズズズズ……。小聖杯から、黒い液体が溢れ出した。それは祭壇を浸し、ベルンハルトの足元へと広がっていく。
「……む? なんだこの色は。根源の光ではないのか?」
ベルンハルトが眉をひそめる。その時、泥の中から無数の「手」が伸びた。
「なっ!?」
手はベルンハルトの足首を掴み、引きずり込もうとする。呪詛の声が聞こえる。『痛い』『寒い』『恨めしい』『死にたくない』――。犠牲になった亡霊たちの怨念が、術者への逆流(バックドラフト)を始めたのだ。
◇
「おーい。お取り込み中ごめんね」
絶望に染まりかけたベルンハルトの頭上から、軽い声が降ってきた。空間が歪み、三人の影が現れる。五条悟。小鳥遊六花。そして小鳥遊ホシノ。さらに、後方から息を切らせて登ってきた佐藤蓮。
「き、貴様らは……! 私のサーヴァントたちを屠ったイレギュラーか!」
ベルンハルトが叫ぶ。泥に足を掴まれながらも、彼は魔術師としての矜持(プライド)で立っていた。
「イレギュラーじゃないよ。この街の管理者(オーナー)だ」
五条がアイマスクを外し、蒼い六眼でベルンハルトと聖杯を見据えた。その瞳には、侮蔑と哀れみが混じっていた。
「……ひどいね、これ。聖杯戦争ごっことは聞いてたけど、中身が全部『生ゴミ』じゃん。君、分別って言葉知らないの?」
「愚弄するか、極東の術師風情が!」
ベルンハルトが激昂する。
「これは崇高なる儀式だ! 英霊など不要! 魔力の総量さえ足りていれば、孔は開く! 私の理論は完璧なのだ!」
「完璧?」
蓮が思わず声を上げた。彼は転生者として、目の前の惨状にツッコミを入れざるを得なかった。
「あんた、この世界の『聖杯』の仕組みを勘違いしてるぞ! 型月世界の冬木でさえ、泥に汚染されたら願いなんて叶わないんだ。ましてや、正規のシステムもないこの世界で、悪霊を煮詰めただけの鍋が、万能の願望機になるわけないだろ!」
「黙れ小僧! 魔術の何たるかも知らぬ分際で!」
ベルンハルトが杖を振るう。泥の一部が鎌首をもたげ、蓮たちに襲いかかる。
「っと、危ないよ~」
ホシノが前に出て、盾で泥を受け止める。ジュッ……!泥が盾に触れた瞬間、酸のように煙が上がった。
「うへぇ、これ強酸性? 呪いってレベルじゃないね~」
◇
「もういい。貴様らも聖杯の糧となれ!」
ベルンハルトが詠唱を加速させる。小聖杯が砕け散った。制御を失った黒い泥が、爆発的に膨れ上がる。それはベルンハルト自身をも飲み込み、巨大な津波となって山頂を覆い尽くした。
「グオオオオオォォォ……!!」
泥が集束し、一つの形を成す。巨人だ。七騎の偽サーヴァントの怨念と、ベルンハルトの執念、そして境港の負の遺産が融合した、高さ五十メートルを超える「泥の巨人」。その姿は、かつて別の世界で冬木を焼いた「この世全ての悪(アンリマユ)」の紛い物でありながら、質量だけは本物を凌駕していた。
「……デカいな」
五条が呟く。
「これ、放置したら街ごと飲み込まれるね」
「パパ、どうする?」
六花が問う。彼女の波紋や、未完成の無下限では、この質量を消し飛ばすことはできない。ホシノの火力でも、再生速度に追いつかないだろう。
「簡単だよ」
五条はニッと笑った。彼は空中に浮遊し、巨人の頭上へと上昇していく。
「全部まとめて、消し飛ばす。……六花、手伝ってくれるかい?」
「うん!」
六花もまた、呪力と波紋を練り上げながら、父の隣へと跳躍した。
偽りの聖杯戦争、最終局面。根源への道は閉ざされた。残されたのは、世界を呪う泥の怪物と、それを祓う最強の親子のみ。
魔都・境港の夜明け前。最大の閃光が、放たれようとしていた。