今回はちょっと短めです。
心臓が、早鐘を打っているなんてもんじゃない。口から飛び出して、そのまま逃走しようとしている。
骨董店『界』のリビング。薄暗い室内に漂う甘い線香の香り。
その奥のソファに、その男はいた。
雪のような白髪。黒い目隠し(アイマスク)。長い脚を組み、スマホを片手にニヤリと笑う、不遜な態度。
五条悟(ごじょう さとる)。
間違いない。見間違えるはずがない。前世で読み漁った週刊少年ジャンプの看板キャラクター。現代最強の呪術師。
……でも、待ってくれ。
今は2013年だ。
『呪術廻戦』の連載が始まるのは2018年だぞ?
なんで「未来の漫画のキャラ」が、鳥取の古民家に実在してるんだ!?混乱で脳味噌がショート寸前になっている僕に、彼は面白そうに声をかけた。
「へえ。六花が『男』連れ込むなんてね。……度胸あるじゃん、少年」
その声。その威圧感。
冗談じゃない。コスプレとかそっくりさんとか、そんなレベルじゃない。
「本物」だ。
生物としての格が違う。
アイマスクの下にあるはずの「六眼」に見つめられている気がして、全身の毛穴が収縮する。
「な、なに固まってんの? 僕に見惚れた?」
五条……いや、六花のお父さんが、首を傾げた。
「それとも……僕の周りに『何か』見えちゃった?」
試されている。
僕が「ただの子供」か、それとも「視える側」か。
「パパ、いじめないでよ! 蓮くん、人見知りなんだから!」
バンッ、と背中を叩かれた。六花だ。その物理的な衝撃で、僕はなんとか呼吸を再開した。
「あ、えと……は、初めまして。さ、佐藤蓮です……」
「ん、よろしくー」
彼は興味なさげに手を振った。
助かった。六花のおかげで、なんとか「極度の人見知り」という体裁は保てた……はずだ。
だが、絶望はこれだけじゃなかった。
「んあ〜……うるさいなぁ……」
リビングの真ん中に置かれたコタツが、モゾモゾと動いた。布団の隙間から、ピンク色のボサボサ髪が這い出してくる。オッドアイの瞳を眠そうに擦りながら、その少女のような女性は大きなあくびをした。
「うへぇ……パパ、お客さんの前で脅すのはよくないよぉ……おじさん、怖くて泣いちゃう……」
小鳥遊(たかなし)ホシノ。
嘘だろ。
『ブルーアーカイブ』のアビドス高校生徒会、小鳥遊ホシノじゃないか。
こっちもリリースは2021年だぞ。未来のソシャゲキャラだぞ。
ジャンプの最強と、Yostarの最強(タンク)。
なんでこの二人が夫婦やってるんだよ。どういう世界線だここは。ハーメルンのクロスオーバー作品か?
「あら〜、お客さん? 小学生の男の子なんて珍しいねぇ」
ホシノさんは、僕を見てのほほんと笑った。
その笑顔は無害そうに見える。
でも、僕は知っている。この人が本気を出した時の「盾」としての硬さと、ショットガンの火力を。
「六花ちゃん、誘拐してきたわけじゃないよね?」
「違うってば。お茶しに来ただけ!」
「そっかそっか。じゃあ、おじさんがお茶淹れようかねぇ……よいしょ……」
彼女はコタツから這い出し、よろよろとキッチンへ向かった。その背中に、奇妙なほど巨大な存在感を感じて、僕は再び硬直した。
そして始まったのは、地獄のティータイムだった。
テーブルの上には、東京の有名店の高級ロールケーキ。飲み物は、ホシノさんが淹れてくれた温かい日本茶。美味しいはずだ。絶対に美味しいはずなのに、味なんて分からない。
目の前には五条悟。斜め前には小鳥遊ホシノ。隣には、涼しい顔でケーキを突っついている小鳥遊六花。
四面楚歌とはこのことだ。
「で、蓮くん?」
五条さんが、フォークを咥えながら切り出した。
「君さ、『今日、学校で何見た?』」
心臓が跳ねる。
唐突な核心。さっきの避難訓練のことだ。
六花から聞いたのか? いや、違う。この人は、僕の「匂い」か何かで、僕が怪異と接触したことを嗅ぎつけているんだ。
嘘をつくべきか?
「何も見てません」と。
いや、六眼の前で嘘は通じない気がする。かといって、詳しく説明すれば「あっち側」だと認定されてしまう。
僕は、冷や汗を隠しながら、あくまで「一般人の子供」として答えた。
「……し、白い、人形みたいなのが……廊下を、通って……」
「ふーん。どう思った?」
「……こ、怖かったです。夢に出そうで……」
正直な感想だ。あれはトラウマレベルに気持ち悪かった。
五条さんは「そっか」と短く言い、ニヤリと笑った。
「ま、素直でよろしい。怖がれるのは才能だよ」
「そうだよ〜。この街じゃ、変に勇気がある子や、鈍感な子から海に行っちゃうからねぇ」
ホシノさんが、お茶を啜りながら同意する。
二人の空気感が少し緩んだ。どうやら、「ちょっと勘のいい一般人の子供」として、一旦スルーしてもらえたらしい。てか「海に行っちゃう」て何!?
「はい、お茶会終了! 蓮くん、私の部屋でゲームしよ!」
六花が立ち上がり、僕の手を強引に引いた。ナイスだ、六花。これ以上ここにいたら、胃に穴が開くどころか蒸発するところだった。
「お邪魔しました!」
僕は逃げるように席を立ち、六花に連れられて二階への階段を駆け上がった。
背後で、五条さんがボソリと呟くのが聞こえた気がした。
「……ま、『魂の形』は悪くないね。六花の友達にしちゃ上出来か」
バンッ、とドアが閉まる。
そこは、パステルカラーのインテリアと、少しばかりマニアックな本が混在する、六花の部屋だった。
僕はドアにもたれかかり、へなへなと座り込んだ。
「……し、死ぬかと思った……」
「お疲れ様。うちの『ボスキャラ』たち、濃かったでしょ」
六花はベッドに腰掛け、悪びれもせずに笑っている。
「濃いとか、そういう次元じゃないよ……」
僕は顔を上げ、彼女を見た。
もう、隠す必要はないだろう。さっきのリビングでの僕の反応を見れば、バレているはずだ。
六花が、ニヤリと笑った。
「で、君。『知ってる』んでしょ? パパとママのこと」
やっぱり。
僕は観念して、大きくため息をついた。
「……知ってるも何も。あのご両親、漫画とゲームのキャラクターだよね? なんで実在してるの? ここ、2013年だよね?」
「あはは、やっぱそっち(転生者)かー! よかった、話が早くて!」
六花は嬉しそうに手を叩いた。
「私は転生者。君もだよね。でもパパとママは違う。あれは『本物(オリジナル)』だけど、原作の記憶はないみたい」
「……つまり、この世界の住人ってこと?」
「そう。スペックは原作並みたいだけど、未来のシナリオは知らない。……だから、『攻略本(wiki)』を持ってるのは、この世界で私たちだけってこと」
六花は身を乗り出し、僕の顔を覗き込んだ。
「ね、蓮くん。この世界、結構バグだらけで危険でしょ? パパたちは強いけど、原作の知識がないと思わぬ『初見殺し』に引っかかるかもしれない」
「……まあ、そうかもね」
「だからさ、協力してよ。私一人じゃ抱えきれないし、君も『一般人』のフリして生きるのは限界があると思うんだよね」
彼女は右手を差し出した。
握手を求める手。それは、この狂った境港市で生き残るための、同盟の誘いだった。拒否権なんて、あるわけがない。
あんな両親を見てしまった後で、「関係ない」なんて言えるはずがない。
それに……彼女の言う通り、僕一人でこの情報の洪水を抱え込むのも、限界だった。
「……わかったよ。僕でよければ」
僕は彼女の手を握り返した。六花の手は、思ったよりも柔らかくて、少し温かかった。
「契約成立! よろしくね、相棒」
彼女は満面の笑みを浮かべた。
こうして僕は、モブとしての平穏な人生を完全に諦め、主人公(仮)のサポート役兼、胃痛係としての人生を歩み始めることになったのだった。