2016年、2月某日。午後四時。鳥取県境港市。鉛色の空から重たい雪が舞い散る中、小鳥遊六花は学校からの帰り道を歩いていた。隣には、少し寒そうに首をすくめる佐藤蓮がいる。
「……寒いね、六花。今夜は積もるかな」
「かもね。……八雲さんから『雪女が出るから夜遊び厳禁』ってメール来てたし」
そんな平和な会話をしていた時だった。ズズズン……ドッドッドッ……。腹に響くような重低音が、静かな雪道を震わせた。軽自動車やハイブリッドカーが主体のこの田舎道には、あまりに不釣り合いなV8エンジンの咆哮。
「……何あれ」
六花が足を止める。視線の先、交差点を曲がってきたのは、巨大な黒塗りのクラシックカー。1967年型シボレー・インパラ。
「うわ、映画に出てくるみたいな車だ」
蓮が無邪気に感心する横で、六花はサングラスをずらした。その「六眼」が、インパラの車内……特にトランク部分をスキャンする。
「(……嘘でしょ。トランクの中、武器庫じゃん)」
岩塩を詰めた散弾銃、銀の杭、聖油、マチェット、そして正体不明の呪術的アーティファクト。さらに、運転席と助手席の二人組からは、数多の修羅場を潜り抜けてきた「濃密な死線の匂い」が漂っている。
「……蓮、離れて。あれは普通の観光客じゃない」
その時、インパラが赤信号を見落とし、交差点に進入しかけた。不慣れな左側通行と、吹雪による視界不良が原因だろう。ウゥゥゥゥ!! 隠れていたパトカーがサイレンを鳴らし、インパラの前に滑り込んだ。
「前の車、止まりなさい!」
制服警官が二人、誘導灯を持って降りてくる。
「……あーあ。捕まった」
六花たちは、野次馬として少し離れた場所から様子を伺うことにした。運転席から降りてきたのは、革ジャンを着た精悍な男──ディーン・ウィンチェスター。
「オー、アイ・アム・ソーリー。雪で信号が見えなくてね」
彼は愛想笑いを浮かべ、懐から革の手帳を取り出した。そこには輝くバッジとIDカード。
「FBIだ。極秘任務で、国際的な犯罪者を追っている。……地元警察の協力に感謝するよ、オフィサー」
ディーンは堂々と嘘をついた。アメリカの田舎ならこれで通じる。だが、ここは極東の島国、しかも鳥取県の片田舎だ。
「え? エフビーアイ? アメリカの?」
若い警官が困惑する。
「いや、そんな話聞いてないぞ……。それに、この車、日本の車検ステッカーがないようだが?」
「インターポールの特別措置でね。……ほら、これが書類だ(偽造)」
警官たちは顔を見合わせた。怪しい。あまりにも怪しい。だが、IDの精巧さと、ディーンの堂々とした態度に気圧され、強く出られないでいる。
「……不味いな」
六花が呟いた。このまま問答が長引けば、必ず「トランクの中身を見せろ」という話になる。そうなれば銃刀法違反で現行犯逮捕。大量の武器が押収され、ニュースになり、境港の「裏側」にメディアの目が向くかもしれない。それは、管理者の八雲が最も嫌う事態だ。
「……仕方ない」
六花はため息をつき、警官たちの元へ歩み寄った。
「あ、おまわりさん! その人たち、私の知り合いです!」
「え? 小鳥遊さん?」
六花は「子供」の無邪気さを装って、ディーンと警官の間に割って入った。
「アメリカから来た親戚なんです。日本語が分からなくて困ってたみたいで……。私が案内しますから! すみません!」
六花はディーンに向かって、小声で早口の英語で囁いた。
「(Show them the rental car papers, not the badge, you idiot! And get out of here!)」
(バッジじゃなくてレンタカーの書類を見せなさいよ、バカ! さっさと行って!)
ディーンは目を丸くしたが、すぐにニヤリと笑い、別の書類(これも偽造だが、より無難なもの)を出した。
「オー、イエス。姪っ子だ。……サンキュー、オフィサー」
警官たちは、地元の有名人(五条悟の娘という認識)である六花の言葉に毒気を抜かれた。
「……まあ、小鳥遊さんの親戚なら。でも、運転には気をつけてくださいよ」
インパラは解放された。走り去り際、助手席のサムが、六花に感謝の視線を送った。六花は「貸し1つ」と口パクで返し、それを見送った。
だが、日本の裏社会は甘くなかった。インパラが市街地を抜け、人気のない港湾道路に入った瞬間。キキィィッ!! 前後を、黒塗りのワンボックスカーに塞がれた。降りてきたのは、スーツ姿の男たち。J-GOCの実働部隊だ。
「……やれやれ。日本の警察より、こっちの方が手際がいいな」
ディーンがハンドルを叩く。拡声器から、冷静な声が響いた。
「シボレー・インパラの運転手及び同乗者に告ぐ。貴殿らの入国データおよびパスポート情報は、全て偽造であることを確認した。また、トランク内の『危険物』についても把握している。……抵抗せず、同行されたし」
サムが両手を挙げる。
「……兄貴。ここは大人しく従おう。彼らはただの警察じゃない。……同業者(プロ)の匂いがする」
こうして、ウィンチェスター兄弟はJ-GOCによって確保された。そして、現場を目撃し、彼らと接触した六花も、「参考人兼通訳(監視役)」として、下校途中の蓮を帰した後に呼び出されたのだった。
水木しげるロードの地下深く。表向きは防災地下施設、実態はJ-GOC(日本超常現象対策協議会)境港支部の厳重なセキュリティゲートを、泥にまみれた黒いクラシックカーが通過していた。1967年型シボレー・インパラ。そのV8エンジンの鼓動は、コンクリートの壁に反響し、まるで捕らえられた猛獣の唸り声のように聞こえた。
「……ヘイ、サミー。日本の『お役所』ってのは随分と豪華な秘密基地を持ってるんだな」
運転席のディーン・ウィンチェスターが、武装した警備兵に誘導されながら口笛を吹いた。その目は笑っていない。いつでも座席の下の隠しナイフを抜けるよう、全身の筋肉が張り詰めている。
「兄貴、挑発するなよ」
助手席のサム・ウィンチェスターが、周囲の結界密度を肌で感じ取りながら囁く。
「ここはただの警察署じゃない。……J-GOC。日本政府直轄の対アノマリー組織だ。FBIのIDが一瞬で見抜かれたのも無理はない」
車を降りた二人は、即座に黒服の職員たちに囲まれた。だが、彼らは数多の修羅場を潜り抜けてきた狩人だ。「手荒な真似はしない方がいい」という無言の圧力を放ちながら、二人は案内された部屋へと足を踏み入れた。
通されたのは、対呪術防壁で守られた大会議室だった。長机の向こうには、着物姿の女性──支部長の八雲が座っている。そしてその傍らには、小鳥遊六花が不機嫌そうに立っていた。彼女はあくまで「現場に居合わせた重要参考人」として、事情聴取のために同席させられていたのだ。
「……ようこそ、極東の島国へ。ウィンチェスター兄弟」
八雲が扇子を広げ、冷ややかな視線を向けた。
「単刀直入に聞くわ。あなたたちのインパラのトランクには、中隊規模の火器と、聖油、岩塩、銀の弾丸、そして強力な未登録呪具が満載されている。……観光に来たわけじゃないわよね?」
「観光さ。寿司と芸者を楽しみに来た」
ディーンが不敵に笑い、先ほど警察に見せようとしたFBIのバッジをテーブルに放り投げた。
「……と言いたいところだが、あんたらの目は誤魔化せそうにないな。俺たちは『仕事』で来た。あんたらの管轄内で、厄介な害獣駆除をしにな」
「害獣駆除? 許可なく?」
机の上にいた小さな影が動いた。つぶらな瞳の爬虫類──エージェント・カナヘビだ。財団日本支部から、ゼロ研への定例連絡で来ていた彼は、呆れたように尻尾を揺らした。
「自分ら、えらいええ度胸しとるなぁ。ここはアメリカの田舎道とはちゃうで。銃器の持ち込み申請もなしに、勝手に狩場にされたら困るんやけど」
「……喋るトカゲか」
サムが眉一つ動かさずに観察する。
「話には聞いていたよ。『財団(The Foundation)』の日本支部には、人外のエージェントがいるってね。……あんたらの組織の理念は『確保、収容、保護』だろ? だが、俺たちのやり方は違う」
「そう。『狩り』だ」
ディーンが身を乗り出す。
「怪物(モンスター)は殺す。それが俺たちの流儀(ファミリービジネス)だ。書類仕事に埋もれてるあんたらには分からねぇだろうがな」
その時。部屋の隅から、軽快なウクレレの音色が響いた。ポロロ〜ン♪
「プギャー(笑)。カッコイイねぇ! これだからカウボーイごっこは面白い!」
アロハシャツを着た男──GOC(世界オカルト連合)所属、アルト・クレフ博士(ウクレレマン)が、嘲笑を浮かべて歩み寄ってきた。彼もまた、八雲との打ち合わせで来訪していたのだ。
「君たち、アメリカじゃ『狩人』気取りで好き放題やってるみたいだけど。ここは私のシマ(連合の友好領域)でもあるんだ。無許可で発砲騒ぎを起こして、一般人を巻き込んだらどうするんだい?」
クレフはディーンの目の前でウクレレをかき鳴らした。
「私が直々に『終了(リキデーション)』してあげてもいいんだよ? ……99人の現実改変者を殺した、この手でね」
クレフの瞳が、狂気の色を帯びる。並の人間なら失禁するほどの殺気。だが、ディーンは鼻で笑った。
「へっ。99人? それがどうした」
ディーンは立ち上がり、クレフを見下ろした。
「俺たちはな、天使も悪魔も、リヴァイアサンも地獄の王もぶっ殺してきたんだ。ウクレレ弾きのピエロ如きに脅されると思ったら大間違いだぜ」
バチバチと火花が散る。クレフが懐のショットガンに手を伸ばし、ディーンが背中のマチェットに触れる。
「……いい加減にして」
冷ややかな声が水を差した。六花だ。
「ここ、私たちの街なんだけど。よそ者が勝手に喧嘩しないでくれる?」
六花はサングラス越しに、ウィンチェスター兄弟を見た。
「あなたたちのトランクの中身……凄かった。あんな高密度の呪具と聖遺物、博物館でも見たことない。……ただの無法者じゃないのは分かった。だから、ちゃんと話して。何を追ってきたの?」
場が落ち着いたところで、サムが真剣な表情で切り出した。彼は一枚の写真をテーブルに置いた。境港の森林公園。雪の中に佇む、顔のない長身の男。
「……スレンダーマンだ」
「スレンダーマン?」
カナヘビが首を傾げた。
「ネットの都市伝説(クリーピパスタ)か。最近、若者の間で流行っとるタルパやな」
「そうだ。だが、こいつはただの噂じゃない」
サムが説明する。
「アメリカで発生し、ネットを通じて世界中に拡散した『新種の怨霊』だ。既存の妖怪や悪霊とは違う。物理的な実体と、電子的なウイルスの性質を併せ持っている」
クレフがつまらなそうに鼻を鳴らす。
「やれやれ。ネットの怪談ごときに、わざわざ海を渡ってきたのかい? 財団もGOCも、そんなものは『Idan』……つまり異常性のない創作物として処理しているよ」
「それが間違いなんだ」
ディーンが食い下がる。
「あんたらの監視システムは、世界をひっくり返すような『現実改変』には敏感だが、路地裏で子供が消える程度の『怪談』には鈍感だ。俺たちはデータじゃない。……被害者の悲鳴を聞きつけて動く」
「奴は子供をさらう。特に、精神的に不安定な奴や、世界から『浮いている』奴を好む。……この街で、最近おかしな失踪事件はないか? あるいは、条件に当てはまる子供は?」
その言葉に、六花の背筋が凍った。世界から浮いている。精神的に不安定。記憶に空白がある。佐藤蓮。彼以上の「餌」はいない。
ビーッ! ビーッ! その時、J-GOC支部の警報が鳴り響いた。モニターに、境港市内の監視カメラ映像が映し出される。雪の降る公園。ベンチに座る佐藤蓮の背後に、ノイズ混じりの「黒い影」が立っていた。蓮が頭を押さえ、苦悶の表情を浮かべている。
「……ビンゴだ」
ディーンがマチェットを掴んで走り出す。
「おい! 案内しな、六花! 奴を狩るぞ!」
「許可するわ!」
八雲が叫ぶ。
「クレフ、カナヘビ! 彼らの監視と援護を頼むわ! ただし、街への被害は最小限にすること!」
「プギャー! 了解!」
「しゃあないなぁ。ほな、行くで!」
異邦の狩人と、日本の管理者たちが、共通の敵に向かって動き出した。
境港の夜道を、黒いシボレー・インパラが雪を巻き上げて疾走する。助手席の六花は、後部座席のサムが広げたノートパソコンの画面(スレンダーマンの出現予測地点)を覗き込みながら、インカムに指を当てた。
「八雲さん、状況は?」
『J-GOC実働部隊、展開完了よ。現場となる「水木しげる記念館」裏の公園を中心に、半径500メートルを封鎖したわ。「ガス漏れ事故」という名目でね』
通信機から八雲の冷静な指示が響く。さすがは地元の管理者だ。初動が早い。彼女の部下たちは、怪異との直接戦闘よりも、情報の隠蔽と被害の拡大防止(周辺警備)に徹している。
「おい、トカゲとウクレレはどうした?」
ハンドルを握るディーンがバックミラーを見る。インパラの後方には、財団日本支部の黒塗りセダンと、GOCの装甲SUVが追走していた。
「あいつら、部下は連れてないのかよ?」
「連れてるわけないでしょ」
六花は呆れたように言った。
「今日はただの『定例連絡会』で来てただけなんだから。財団のエージェント・カナヘビには専属の運転手(ハンドラー)が一人。GOCのクレフ博士には……まあ、護衛が数人いるけど、あの人本人が一番の『兵器』みたいなものだし」
「プギャー! 聞こえてるよ、お嬢さん!」
割り込んできた通信音声に、ディーンが顔をしかめる。
『私のストライク・チーム(打撃部隊)を呼ぶには時間がかかるんでね。それに、君たちの無様な「狩り」を特等席で見物するには、身軽な方がいい』
「……クソ野郎が」
ディーンはアクセルを踏み込んだ。V8エンジンが咆哮し、雪道を切り裂いていく。
その頃。記念館裏の公園。しんしんと降る雪の中、佐藤蓮はベンチのそばで膝をついていた。
「……はぁ、はぁ……」
頭が割れそうだ。耳の奥で、テレビの砂嵐のような「ザザッ……ザザザッ……」という電子ノイズ(スタティック)が鳴り止まない。鼻から垂れる温かい液体が、雪を赤く染めていく。
「(……なんだ、これ。景色が……歪んでる?)」
蓮の視界が、バグったゲーム画面のように明滅していた。彼の「存在の希薄さ」と「記憶の欠損」につけ込み、スレンダーマンの放つ現実改変波(ミーム汚染)が侵食を開始しているのだ。
──オイデ。──コッチハ、寂シクナイヨ。
声ではない。概念が脳に直接流れ込んでくる。顔を上げると、松の木の影に「それ」はいた。身長3メートル近い、極端に細長い人影。黒い喪服のようなスーツ。そして、顔があるべき場所には、真っ白な「無」があった。
「……う、あ……」
蓮は逃げようとしたが、足が動かない。スレンダーマンの背中から、黒い触手のような影が伸び、蓮の身体を絡め取ろうとする。
キキィィィッ!! ヘッドライトの光が闇を切り裂いた。インパラが公園の入り口に滑り込み、ディーンとサムが飛び出してくる。
「蓮!!」
六花も後を追う。
「Hey, Ugly! (よう、ブ男!)」
ディーンが叫び、ソードオフ・ショットガンを構えた。装填されているのは、悪霊退治の基本にして奥義──岩塩弾(ロックソルト)だ。ドォォン!! 轟音と共に、塩の塊がスレンダーマンの胸部に直撃した。バヂヂヂッ! 火花のようなエフェクトが散り、怪人は数メートル後方へ弾き飛ばされた。
「効いたか!?」
サムがマチェットを構えて距離を詰める。だが、スレンダーマンは倒れない。のっぺらぼうの顔がこちらを向いた瞬間、空間が「グリッチ(バグ)」を起こした。ザザッ! 次の瞬間、怪人はサムの背後に転移(テレポート)していた。
「なっ……!?」
サムが振り向きざまに斬りつけるが、刃は黒い霧を空振るだけだ。
「……物理干渉が無効? いや、違う」
六花がサングラスを外し、蒼い六眼(りくがん)を見開いた。
「あれは幽霊じゃない。……情報のバグだわ。ネット上の『噂』を実体化してるから、物理的に破壊しても、すぐにデータが修復されちゃう!」
「つまり、クラウド上のバックアップがあるウイルスみたいなもんか!」
ディーンが舌打ちし、再び発砲する。しかし、スレンダーマンはノイズと共に揺らめき、攻撃をすり抜ける。そこへ、新たな銃声が響いた。ただし、ショットガンなどという可愛いものではない。重機関銃のような、腹に響く連射音だ。ガガガガガガッ!!
「ギョエェェェ!?」
スレンダーマンが初めて苦悶の声を上げ、蜂の巣になって吹き飛んだ。
「おやおや。アメリカの狩人は、あんな豆鉄砲で遊んでいるのかい?」
雪煙の向こうから現れたのは、アロハシャツの男──クレフ博士(ウクレレマン)だった。彼の手には、GOC支給の対現実改変用アサルトライフルが握られている。その背後には、黒い戦闘服に身を包んだ護衛部隊(数名だが精鋭)が続き、的確な援護射撃を行っている。
「……ウクレレ野郎! あそこには子供(蓮)がいるんだぞ! 巻き添えになったらどうする!」
ディーンが激怒して掴みかかろうとする。
「安心したまえ。計算済みだ」
クレフは事もなげに言う。
「それに、私の仕事は『怪異の終了』だ。人命救助は二の次でね」
「自分ら、喧嘩しとる場合か!」
低い声が割り込んだ。財団の黒塗りセダンから降りてきたのは、スーツを着た男性(ハンドラー)と、その肩に乗ったエージェント・カナヘビだ。
「あれを見ぃ! 再生しよるぞ!」
蜂の巣にされたはずのスレンダーマンが、空中のノイズを集束させ、再び元の姿に戻っていく。それどころか、背中の触手が増え、巨大化している。
「……Idanや思うて舐めてたわ。こいつ、ネットの『恐怖』をリアルタイムで食うて成長しとる。このままやと、物理法則ごとこの公園が飲み込まれるで!」
戦況は膠着した。ウィンチェスター兄弟の「狩りの技術(塩と鉄)」は、時間を稼ぐことしかできない。クレフ博士の「火力」は、一時的に吹き飛ばすことはできても、根絶はできない。カナヘビは前線指揮を執りながら、財団本部へ増援(ミーム対抗部隊)を要請しているが、到着には時間がかかる。その中で、唯一「視えている」者がいた。小鳥遊六花だ。
「……サム! ディーン! アイツの『核』が見えた!」
六花が叫ぶ。彼女の六眼は、スレンダーマンの無限再生の源──情報が集束する一点の「特異点」を捉えていた。
「アイツの心臓部……ネットの都市伝説と、この現実を繋げている『アンカー』がある! そこを壊せば、クラウドとの接続が切れる!」
「どこだ!?」
ディーンが叫ぶ。
「胸の奥、ネクタイの結び目の裏! でも、動きが速すぎて照準が合わない! ……動きを止めて! 一瞬でいいから!」
その言葉に、狩人と組織の人間たちが顔を見合わせた。流儀は違う。目的も違う。だが、「怪物を止める」という一点において、彼らの利害は一致した。
「……へっ。いいぜ」
ディーンがショットガンに、最後の「特別な弾丸」を装填した。
「おいサミー! あれやるぞ! 『ウィンチェスター・スペシャル』だ!」
「了解。……クレフ博士! あんたの火力も貸してくれ!」
「プギャー! 人に指図されるのは嫌いだが……まあいいだろう!」
クレフがニヤリと笑い、ライフルを構え直した。
「カナヘビさん! 援護を!」
「しゃあないなぁ! やったるわ!」
雪の降る森林公園が、閃光と爆音に包まれた。
「撃てぇぇぇッ!!」
財団エージェント・カナヘビの号令と共に、護衛部隊(ハンドラー1人)が一斉射撃を開始する。ただし、それは通常弾ではない。対ミーム汚染用の特殊ゴム弾と、GOCから提供された焼夷弾の混合バーストだ。ドガガガガガッ!! 無数の弾丸がスレンダーマンの身体を穿つ。黒いスーツが穴だらけになり、そこからテレビの砂嵐のようなノイズが噴き出す。
「プギャー! 効いてる、効いてるぞぉ!」
クレフ博士がアサルトライフルを撃ちまくりながら高笑いする。
「ネットの海から無限に再生するといっても、物理的な器(ハードウェア)を壊されればラグが生じる! そこを狙うんだ!」
「クソッ、化け物め!」
ディーンがショットガンのポンプアクションを操作し、距離を詰める。スレンダーマンが背中から無数の黒い触手を伸ばし、迎撃しようとする。
「させない!」
小鳥遊六花が印を結ぶ。六眼(りくがん)が空間の歪みを精緻に読み取り、触手の軌道を先読みする。
「──術式順転・『蒼(あお)』!」
六花の指先に収束した引力が、触手を強引にねじ曲げ、互いに絡まらせて動きを封じた。
「ナイスだ、キッド!」
その隙を見逃さず、サムが駆け出す。彼の手には、聖油(ホーリーオイル)をたっぷり染み込ませた布が巻かれたマチェットが握られている。
「燃え尽きろ!」
ザシュッ!! サムの一撃が、スレンダーマンの左腕を切り落とす。同時に、聖なる炎が傷口から燃え広がり、怪人の再生能力を阻害する。
「グオォォォ……!!」
スレンダーマンが、初めて明確な実体としての悲鳴を上げた。ノイズが激しくなり、周囲の空間がグリッチ(バグ)を起こし始める。奴は逃げようとしている。ネットの深層へ。
「逃がすかよ!」
ディーンが至近距離まで肉薄する。彼が構えたショットガンには、ウィンチェスター家秘伝の「対霊スペシャル弾(岩塩+銀+鉄屑の混合散弾)」が装填されている。
「あばよ、のっぺらぼう(Bitch)!」
ズドン!! 轟音が響き、スレンダーマンの胸板が消し飛んだ。その奥に、青白く発光する「核(アンカー)」が露わになる。
「六花! 今だ!」
サムが叫ぶ。
「見えたッ!!」
六花は、露出した核に向かって、全呪力を叩き込んだ。物理攻撃ではなく、概念攻撃。この怪物を「都市伝説」として成立させている因果の鎖を断ち切る一撃。
「──情報の彼方へ、還れ!!」
パァァァァン!! 六花の呪力が核を粉砕した。その瞬間、スレンダーマンの身体が爆散し、無数の0と1のデジタル信号となって雪空へと霧散していった。後に残ったのは、静寂と、焦げ臭い匂いだけだった。
騒動から数時間後。場所はJ-GOC境港支部、第一会議室。
「……ふぅ」
八雲が重いため息をつき、一枚の書類をテーブルに置いた。その向かいには、少しバツが悪そうな顔をしたウィンチェスター兄弟が座っている。
「本来なら、不法入国、銃刀法違反、器物損壊、公務執行妨害で、懲役刑か強制送還コースよ」
八雲は扇子でこめかみを押さえた。
「でも、今回は情状酌量の余地がある。スレンダーマン討伐への貢献と、人的被害ゼロという結果を考慮して……J-GOC法務部が特別措置を決定したわ」
八雲は書類をスッと差し出した。
「罰金刑。……日本円で3万円」
「……は?」
ディーンが目を丸くした。
「3万? 3万ドルか?」
「いえ。日本円よ。ドルに換算すると……今のレートで260ドルくらいかしら」
「マジかよ! 安っ!」
ディーンが思わず声を上げる。アメリカで同様の破壊活動を行えば、保釈金だけで数千ドルは吹っ飛ぶ。それが、たったの3万円。スピード違反のチケット並みだ。
「……今回だけよ」
八雲が鋭い眼光で釘を刺す。
「これは『道路交通法違反(騒音および整備不良)』としての処理。あなたたちのハンター行為は、公式には『なかったこと』にするわ。これ以上、日本の警察組織を刺激したくないからね」
サムが苦笑して財布を取り出す。
「……感謝します。正直、檻の中に入れられると思ってました」
「ただし!」
横からカナヘビが口を挟む。
「次は無いと思えや。もしまた日本で狩りをする気なら、事前にちゃんと『臨時活動許可申請書(様式第4号)』を提出すること。あと、銃器持ち込みは『特別所持許可』が必要やから、最低でも1ヶ月前には申請せなアカンで」
「……お役所仕事だな」
ディーンがげんなりした顔をする。
「プギャー(笑)。申請書が欲しかったら、GOC日本支部のサイトからダウンロードできるよ。日本語だけどね!」
クレフが楽しそうにウクレレを鳴らす。
翌朝。境港の海岸沿いの道路。解放されたインパラのエンジンが唸りを上げる。
「やれやれ。クレイジーな国だぜ」
ディーンが窓から身を乗り出す。
「だがまぁ、寿司は食えなかったが、カニは旨かったな」
「気をつけてね」
見送りに来た六花が言う。
「次はちゃんと申請してきてよ。……そしたら、また案内してあげるから」
「ああ。考えておくよ」
サムが優しく微笑む。
「ありがとう、六花。……蓮君も、元気で」
隣に立つ佐藤蓮がぺこりと頭を下げる。スレンダーマンの呪縛が解け、彼の顔色はすっかり良くなっていた。
「あばよ! 日本のリトル・ハンター!」
ディーンがアクセルを踏み込む。インパラは水しぶきを上げながら、国道431号線を西へと走り去っていった。
「……行っちゃったね」
蓮が呟く。
「うん。……騒がしい人たちだったけど」
六花は、遠ざかるテールランプを見つめた。彼らはまた、どこかの国で、何かを狩り続けるのだろう。世界は広い。まだ見ぬ「特異点」たちが、この星には溢れている。
「さて、帰ろっか。八雲さんに報告書出さなきゃ」
「手伝うよ、六花」
二人は雪の残る道を歩き出した。日常が、再び戻ってくる。……まあ、次のトラブルが起きるまでの束の間だが。