仮称:やる夫スレ的世界でオカルトやってくー   作:水野芽生

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038.5 焦燥の波紋と静かなる深淵

 

 放課後の港湾倉庫。夕日が差し込む中、速水冴は荒い息を吐きながらも、瞳を爛々と輝かせていた。

 

「コォォォォォ……!」

 

 彼女の指先で、ワイングラスの水面が微かに波打っている。たった1週間。呼吸法を変えただけで、疲れにくい体、溢れ出る活力、そして研ぎ澄まされた集中力を手に入れた。自分は生まれ変わったのだ。

 

「素晴らしい才能(タレント)です、ミス・ハヤミ」

 

 師匠であるジュリアス・ツェペリ(自称男爵)が、拍手を送る。

 

「横隔膜への強烈な一撃(荒療治)なしで、自力で波紋のビートを掴むとは。君の器は、私が想像していた以上だ」

 

「……これなら、勝てるわよね?」

 

 冴はグラスを握りしめた。

 

「あの小鳥遊六花に。次の体育で持久走(1500m)があるの。そこで決着をつけてやるわ」

 

 ジュリアスは眉をひそめ、大げさに首を振った。

 

「Non(ノン)! それはまだ早すぎます。君の波紋はまだ『さざ波』に過ぎない。それに、学校の授業中に呼吸法(=ドーピングに近い技術)を使うのは感心しませんね。フェアプレーの精神に反します」

 

「……関係ないわよ」

 

 冴は師匠の忠告を聞き流した。

 

「向こうだって、その『呼吸』で肉体改造してるんでしょ? なら、私が呼吸を使って何が悪いの? ……勝てばいいのよ、勝てば!」

 

 冴は鞄を掴んで走り去った。ジュリアスは一人、倉庫に残されて呟いた。

 

「やれやれ。若さ故の過ちか。……まあ、一度完膚なきまでに叩きのめされるのも、また修行のうちですかね」

 

 

 翌日。体育の授業。雲ひとつない青空の下、女子生徒たちがスタートラインに並んでいた。

 小鳥遊六花は、軽くアキレス腱を伸ばしていた。彼女にとって1500mは準備運動レベルだ。だが、隣に並んだ冴の雰囲気が、いつもと違うことに気づいた。

 (……ん? 速水さん、心音がおかしい)六花の鋭敏な聴覚が、冴の心臓が刻む異常に力強いビートを捉えた。(まるでエンジンを空ぶかししてるみたいだ。……血流の音が、すごく速い)

 

「小鳥遊さん」

 

 冴が六花を睨みつけた。

 

「今日は、最初から全力で行かせてもらうわ。……ついて来れる?」

 

「へえ……。面白そうじゃん」

 

 六花はニヤリと笑った。どうやら、ただの徒競走にはならないようだ。

 担任の鵺野鳴介がピストルを構える。

 

「よーし、無理すんなよー。特に速水、顔が赤いぞ? 大丈夫か?」

 

「……問題ありません」

 

「そうか? じゃあ……位置について、ドン!!」

 

 

 号砲一発。飛び出したのは、六花ではなかった。速水冴だ。

 

「コォォォォォォ……!!」

 

 冴の口から、微かに蒸気のような白い息が漏れる。呼吸のリズムと、走りのピッチを完全同調。血液中の酸素が爆発的なエネルギーに変換され、彼女の脚力を限界以上に引き上げる。

 ドッ、ドッ、ドッ! 速い。異常に速い。短距離走のスピードで、長距離を走り始めたのだ。

 

「……うそ!?」

 

 六花が目を見開いた。彼女も加速するが、追いつけない。(私の身体能力(素のスペック)より、速い!? 嘘でしょ……人間って、1週間であんなに速くなるの!?)

 冴の背中が、ぐんぐんと遠ざかっていく。50m、100m。1周目(400m)を通過する頃には、冴は六花に半周近い差をつけていた。

 

「ははっ……! 見たか!」

 

 冴は風の中で笑った。軽い。身体が羽のようだ。これなら行ける。1500mなんてあっという間だ! 彼女は勝利を確信し、さらにペースを上げた。

 一方、後続の六花は冷静さを取り戻していた。(……なるほど。あの呼吸音。そうか、『波紋』か)六花は、自分のペースを守りながら分析した。(凄い出力。今の彼女、単純な筋力なら私より上だわ。……でも、あの呼吸。リズムが『荒い』)

 

 

 残り2周(800m地点)。冴はまだトップだったが、異変は突然訪れた。

 

「ガッ……!?」

 

 横隔膜に、突き刺すような激痛が走った。呼吸が、吸えない。全力疾走による酸素消費量が、波紋生成に必要な酸素供給量を上回ってしまったのだ。

 (まずい……リズムが……!)

 

「コォッ……ハァッ、ハァッ……!」

 

 一度乱れた呼吸は、初心者には立て直せない。波紋のビートが途切れた瞬間、魔法は解けた。それまで「波紋」によって誤魔化されていた筋肉の疲労と、酸素不足(借金)が、利子をつけて一気に襲いかかってきた。

 ドスン。足が鉛のように重くなる。視界が明滅し、景色が歪む。

 (動け……! 動けよ私の足ぃぃッ!)

 冴は必死に足を前に出すが、それはもはやジョギング以下の速度だった。

 

 

 ホームストレート。失速し、よろめく冴の横を、一定のリズムで走る影が追い抜いていった。六花だ。彼女は涼しい顔で、呼吸ひとつ乱していない。波紋は使っていないが、その肉体は完璧に制御されている。

 

「……っ、待て……!」

 

 冴が手を伸ばす。六花は追い抜きざま、速度を緩めて冴の横に並走した。そして、呆れたように呟いた。

 

「……バカだなぁ、速水さん」

 

「なっ……!?」

 

「呼吸は『吸う』ことより『吐く』ことの方が大事なんだよ。肺の中の汚れた空気を全部絞り出さないと、新しい酸素が入ってこないでしょ?」

 

 六花は自分の胸をトントンと叩いた。

 

「きみは勝ち急いで呼吸が浅くなってた。……出力は凄かったけど、エンストしたら意味ないじゃん」

 

 それだけ言うと、六花は再び加速した。今度は、冴には絶対に追いつけない速度で。圧倒的な「経験値」と「基礎」の差を見せつけられて、冴はその場に膝をついた。

 

 

 結局、冴は途中棄権(リタイア)。保健室で酸素吸入を受ける羽目になった。

 放課後。校門を出たところで、六花と蓮が歩いていると、ジャージ姿の冴が待ち構えていた。その顔色はまだ青いが、瞳の炎は消えていない。

 

「……小鳥遊六花!」

 

「あ、速水さん。大丈夫? 酸欠だったんでしょ?」

 

 六花が心配そうに言うのが、余計に腹立たしい。

 

「勘違いしないでよ。……実力で負けたわけじゃないわ!」

 

 冴は指を突きつけた。

 

「あんたが言った通り、呼吸の使い方が下手だっただけ! 出力(パワー)じゃ、私のほうが上だったでしょ!?」

 

「うん。それは認める」

 

 六花は素直に頷いた。

 

「序盤のスピードは凄かったよ。私じゃ追いつけなかった。……維持できてれば、あなたの勝ちだったね」

 

「っ……!」

 

 素直に認められたことで、冴は言葉に詰まった。だが、すぐに気を取り直して宣言した。

 

「次は負けない! 完璧に呼吸をマスターして、1500mだろうがフルマラソンだろうが、あんたの前を走りきってやるわ!」

 

 冴はそう言い捨てて、港の倉庫(師匠の元)へ走っていった。

 

「……元気だねぇ」

 

 蓮が感心したように言う。

 

「ま、ライバルがいるのは悪いことじゃないよ」

 

 六花はニッと笑った。

 

「あんな面白い子がいるなら、退屈しなくて済みそうだしね」

 

 遠くのビルの屋上から、ジュリアス男爵がワイングラスを片手に微笑んでいた。

 

「Bene(良し)。挫折を知り、それでも折れない心。彼女は強くなる。……いつか、黄金の精神を持つ戦士にね」

 

 こうして、白浜中学校の「最速」を巡る戦いは、第二ラウンドへと持ち越されたのであった。

 

 

 午前7時。境港の港湾地区、改装された赤レンガ倉庫の居住区。ジュリアス・ツェペリの朝は、完璧な「回転」から始まる。

 

「Nyo-ho(ニョホ)。今朝の湿度、風向き……全てが黄金長方形の軌道を描いている」

 

 彼はシルクのパジャマ姿でキッチンに立ち、コーヒー豆を挽いていた。ただし、ミルは使わない。彼の手の中で、2つの鉄球(スチール・ボール)が高速回転し、その摩擦と振動で豆をミクロン単位の均一な粉末に粉砕しているのだ。

 

「豆の細胞を壊さず、香りだけを抽出する。これが『回転』の極意」

 

 熱湯を注ぐ際も、波紋を指先から伝導させ、お湯の分子活動を活性化させる。そうして淹れられたエスプレッソは、表面張力でカップの縁ギリギリまで盛り上がり、決してこぼれることはない。

 彼は優雅に一口啜り、窓の外に広がる日本海を眺めた。

 

「Delicious(デリシャス)。……さて、今日も『種』を見守りに行きますか」

 

 彼はこの世界に転生した際、ツェペリ家の血統と共に、二つの技術を魂に刻み込んでいた。一つは、仙道――波紋法。その実力は、かつての女傑リサリサに匹敵する。もう一つは、ネアポリスの遺産――鉄球の回転。この二つを併せ持つ彼は、本気を出せばJ-GOCの特殊部隊などとも単身で渡り合える戦闘力を持っている。

 だが、彼は戦わない。彼の目的は「継承」だ。自分の持てる全てを次世代に託し、彼らが運命に立ち向かう様を最前列(特等席)で見届けること。それが、この世界における彼の「娯楽」であり「使命」なのだ。

 

 

 午前10時。ジュリアスは洒落たスーツに身を包み、白浜中学校が見渡せる松林の木の上に立っていた。傍から見れば完全に不審者だが、波紋の呼吸で気配を消し、さらに「回転」による光の屈折操作で周囲に溶け込んでいるため(そんな技術あった?)、誰にも気づかれない。

 眼下では、体育の授業が行われている。

 

「……フム」

 

 彼の視線は、グラウンドを走る二人の少女に向けられていた。

 小鳥遊六花。彼女は「怪物」だ。生まれながらにして強大な呪力を持ち、身体能力も規格外。波紋法も、見よう見まねで習得したという話だ。いわば、カーズやDIOのような「天上の存在」。放っておいても勝手に最強になるだろう。

 

「彼女は完成されすぎている。私の手ほどきなど不要……というか、下手に教えると世界バランスが崩壊しかねない」

 

 そして、速水冴。彼女は「人間」だ。才能はあるが、六花には及ばない。心は脆く、焦り、躓く。だが、だからこそ美しい。

 

「昨日の1500m走。……無謀な特攻でしたね。ですが、呼吸が乱れ、足が止まりかけても、彼女の瞳から闘志は消えていなかった」

 

 ジュリアスは口髭を撫でた。

 

「恐怖を我が物とすること。それが生きるということ。彼女には、ジョースターの家系に流れる『黄金の精神』が宿る素質がある」

 

 六花という圧倒的な壁(ライバル)がいるからこそ、冴は輝く。ジュリアスは、その成長の触媒となることを選んだのだ。

 

 

 午後4時。倉庫に戻ったジュリアスは、今夜の特訓の準備に取り掛かっていた。倉庫の中央には、高さ10メートルの鉄骨の柱が立っている。彼はバケツに入った大量の潤滑油(オイル)を、その柱に塗りたくっていた。

 

「ヌルヌルですねぇ。これでは指も引っかからない」

 

 そう、波紋の修行における登竜門、「地獄昇柱(ヘルクライム・ピラー)」の再現である。本来は24メートル級の石柱だが、中学生の課外授業なら10メートルの鉄柱で十分だろう。……十分か?

 

「ま、落ちても死にはしません。下には波紋で強化したクッション(大量のスポンジ)を敷いてありますから。私は鬼ではありませんよ。紳士です」

 

 彼はニヤリと笑い、懐から鉄球を取り出した。

 

「それに、もし彼女がこれをクリアしたら……次は『回転』の概念を教えましょうか。筋肉の振動だけでなく、骨、そして細胞の回転。無限のエネルギーを生み出す『黄金長方形』の理屈を」

 

 彼の実力をもってすれば、冴を短期間で超人にすることも可能だ。だが、それでは意味がない。一歩ずつ、痛みを知りながら登らせることに意味がある。

 

 

 午後5時。鉄の扉が開き、ジャージ姿の冴が入ってきた。昨日の敗北で落ち込んでいるかと思いきや、その表情は晴れやかで、しかし飢えた獣のように鋭い。

 

「男爵! 来たわよ!」

 

 冴は鞄を放り投げた。

 

「昨日は負けたわ。完敗よ。でも、分かったの。私には『基礎』が足りないって」

 

「Ho(ホゥ)。……良い面構えになりましたね」

 

 ジュリアスはワイングラスを片手に迎えた。

 

「で? 今日は何をすればいいの? 呼吸マスク? 水上歩行?」

 

「Non(ノン)。今日はこれです」

 

 ジュリアスは、テラテラと光る油まみれの鉄柱を指差した。

 

「この柱を、手を使わずに足の裏だけで登りなさい。波紋を足の裏に集中させ、油に吸着させるのです。もし登りきれなければ……」

 

「夕飯抜き?」

 

「いいえ。私がとっておきのイタリアンフルコースを目の前で食べます。君は見ているだけです」

 

「……あんた、性格悪いって言われない?」

 

 冴は呆れたように言ったが、すぐに靴を脱ぎ捨てた。

 

「上等じゃない。登ればいいんでしょ、登れば!」

 

 冴が柱に向かって走り出す。一歩目、吸着。二歩目、滑る。

 ズデーン! 派手に滑り落ち、スポンジの上に転がる。

 

「痛っ……!」

 

「おやおや。波紋が練れていませんよ。焦りは禁物。呼吸を整え、一点に集中するのです」

 

 ジュリアスは優雅に椅子に座り、鉄球を掌で転がしながら見守った。

 何度も落ち、油まみれになりながらも、冴は諦めない。その瞳の輝きを見るたびに、ジュリアスの胸には熱いものが込み上げてくる。

 (ああ、これだ。これが見たかった)

 彼は心の中で、かつての友(シーザー)や、祖先(ウィル)に語りかける。『人間讃歌』は、ここ極東の地でも健在ですよ、と。

 

「男爵! もう一回!」

 

「Bene(ベネ)! 何度でも挑戦なさい! 夜明けまで付き合いますよ、我が弟子(バンビーナ)!」

 

 境港の片隅で、奇妙な師弟の特訓は、今日も夜更けまで続くのであった。

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