仮称:やる夫スレ的世界でオカルトやってくー   作:水野芽生

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046 琥珀色のグリッチと、無限回廊の地下鉄

6月の夕暮れ。湿度を含んだ生温かい風が、開け放たれた窓から吹き込んでくる。ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。単線の線路を走るディーゼル車両特有の、腹に響くような振動とリズム。僕――佐藤蓮(さとう・れん)と、幼馴染の六花(りっか)ちゃんは、JR境線の「キタロー列車」に揺られていた。

 車内には、水木しげるロードの妖怪たちが描かれた座席や天井イラストが並んでいる。観光客には人気のこの内装も、地元民である僕たちにとっては見慣れた日常の風景だ。だが、今の時刻――逢魔が時(おうまがとき)。車窓の外を流れる田園風景が、徐々に茜色から毒々しいほどの「琥珀色」へと染まっていくにつれ、僕は奇妙な違和感を覚え始めていた。

 

「……ねえ、蓮くん」

 

 向かいのボックス席に座る六花ちゃんが、スマホから顔を上げずに言った。彼女は夏服の白いシャツのボタンを少し緩め、銀色の髪を耳にかけている。

 

「ん? どうした?」

 

「電波、死んでない? さっきから『圏外』と『5G』を行ったり来たりしてるんだけど」

 

「……この辺りは田んぼが多いからな。電波が入りにくいエリアはある」

 

 僕は努めて冷静に答えたが、内心では警鐘を鳴らしていた。ここは米子空港駅を過ぎたあたりだ。見渡す限りの平地。電波が遮断されるような遮蔽物はない。

 ふと、車内を見渡す。乗客はまばらだ。サラリーマン風の男性、買い物帰りの老婆、そして学生服の少年。彼らは全員、うつむいて微動だにしない。まるで一時停止ボタンを押された映像のように、呼吸の動きさえ止まっているように見える。

 ガタン、ゴトン……ザザッ……ガタン……。走行音に、奇妙なノイズが混じり始めた。それは古いビデオテープを再生した時のような、湿った電気的な雑音だ。

 

「……蓮くん。外」

 

 六花ちゃんの声色が、少し低くなった。彼女が顎でしゃくった窓の外を見る。息を呑んだ。田んぼがない。弓ヶ浜の松林もない。そこにあるのは、どこまでも続く灰色のコンクリートの壁だった。列車はいつの間にか、存在しないはずの「トンネル」の中を走っていたのだ。

 

「……境線に、こんな長いトンネルはない」

 

 僕は呟く。

 

「おい、これは『迷い込んだ』ぞ。次元の断層だ」

 

「ふーん。また?」

 

 六花ちゃんは動じない。彼女はスマホをポケットにしまうと、軽く首を鳴らした。

 

「でも、なんか変だよ。いつもの『妖怪の仕業』とは空気が違う。もっと乾燥してて、埃っぽい……あ、嫌な予感」

 

 その時。車内アナウンスが流れた。

 

『ツギハ……ザザッ……トウ……ザザ……墓……場……』

 

 合成音声が壊れたように歪む。キィィィィィン……! 耳をつんざくようなブレーキ音と共に、列車が減速し始めた。窓の外のコンクリート壁に、落書きのような文字が一瞬だけ流れていく。『LOOK』『DON'T』『IT HURTS』。意味不明な羅列。生理的嫌悪感を煽るフォントだ。

 列車が完全に停止した。プシュゥ……と空気が抜ける音と共に、ドアが開く。そこに広がっていたのは、境港駅のホームではなかった。

 

 

 僕たちが降り立ったのは、巨大な地下空洞だった。天井が見えないほど高く、ドーム状の空間がどこまでも広がっている。光源は不明だが、空間全体が古いナトリウムランプのような、あるいは変色した羊皮紙のような「琥珀色」の光に満たされていた。

 

「……うわぁ」

 

 六花ちゃんが、ハンカチで口元を覆った。

 

「何ここ、すごく臭い。鉄錆と、古い血と、カビの混じった匂い……生理的に無理」

 

 彼女の周りに、青白い光の膜が展開される。無下限呪術だ。彼女は自身の身体に触れる空気を「無限」で遮断し、この世界の不浄を物理的に拒絶し始めた。

 僕は震える手で眼鏡の位置を直し、周囲を観察した。これはただの地下鉄の駅ではない。建築様式が異常だ。ホームを支える柱は、コンクリートではなく、巨大な生物の肋骨が絡み合ったような形状をしている。壁面には無数の「窓」のような穴が空いているが、そこからは黒い液体が涙のように垂れ落ちていた。床には赤茶色の砂が積もり、風もないのにサラサラと流れている。

 

「……ズジスワフ・ベクシンスキー」

 

 僕は思わず、その画家の名前を口にした。

 

「終末的で、荒廃していて、でもどこか荘厳な……『死の砂漠』の世界観だ」

 

「ベクシンスキー? どこかで聞いたような?」

 

「画家だよ。……六花ちゃん、ここはヤバい。妖怪の縄張りじゃない。もっと抽象的で、根源的な『滅び』の概念が具現化した空間だ」

 

 僕たちが乗ってきた列車を振り返る。そこには、すでに列車はなかった。代わりに、線路の上には巨大な錆びついた鉄の塊――人の顔のような装飾が施された機関車の残骸だけが転がっていた。

 

「……ねえ、蓮くん。あっち」

 

 六花ちゃんが指差す。ホームの向こう側、改札へと続くと思われる階段の上に、人影があった。いや、「人」ではない。全身に汚れた包帯を巻き、頭部が異常に肥大化した人型の何かが、ゆらりと揺れていた。顔はない。包帯の隙間から、ただ黒い闇が覗いている。

 

「……アンノウン(未確認存在)。敵性反応あり」

 

 僕は後ずさりした。

 

「六花ちゃん、物理でいけるか?」

 

「触りたくないなぁ。ベトベトしてそうだし」

 

 六花ちゃんは心底嫌そうな顔をした。

 

「でも、通してくれそうにないね」

 

 彼女が右手を軽く掲げる。その頭上に、キィン……という澄んだ音と共に、光の輪が現れた。ヘイロー(神秘の光輪)。形状は、六角形の雪の結晶。その青白く冷たい輝きは、この琥珀色の澱んだ世界において、唯一の清浄な光源として煌めいた。

 

「――どいて。汚いから」

 

 六花ちゃんが一歩踏み出す。その足元から波紋が広がる。波紋疾走(オーバードライブ)。彼女の肉体に流れる生命エネルギーが、太陽の光となって煉瓦色の床を伝い、包帯男へと走った。

 

 ジュワァッ!!

 

 波紋が触れた瞬間、包帯男は悲鳴を上げることもなく、砂のように崩れ落ちた。物理的な打撃ではない。浄化の波動による強制解体だ。

 

「……ふぅ。やっぱり、こういう手合いには波紋ね。直接触らなくて済むし」

 

 六花ちゃんは満足げに頷いた。だが、安堵したのも束の間。ズズズ……という重低音と共に、駅の奥から「それ」らは湧き出してきた。包帯男だけではない。椅子と融合した人間。手足が異常に長い影。顔の部分がトランペットのように変形した巨人。それらが、ゆらゆらと、不規則なグリッチノイズを発しながら、こちらへ向かってくる。

 

「……数が多いな。リスポーン地点かここは」

 

 僕は冷や汗を拭った。

 

「六花ちゃん、全滅させる気か?」

 

「キリがないよ。とりあえず出口を探そう」

 

 僕たちは階段を駆け上がった。だが、上がった先には、また同じホームが広がっていた。無限回廊。あるいは、非ユークリッド幾何学による空間のループ。

 

「……詰んだか?」

 

 僕が絶望しかけた、その時だった。

 

 ドォォォォン!!

 

 空間を揺るがす爆発音が響き、迫り来ていた怪異の群れが、見えない力で弾き飛ばされた。赤錆色の煙が晴れると、そこには場違いなほど鮮やかな紅白の衣装を纏った少女が立っていた。

 

 

「――ったく。最近の漂流物は、質が悪すぎるわよ」

 

 その少女は、大きな赤いリボンを揺らし、手に持ったお祓い棒を肩に担いでいた。その背後には、陰陽玉のような紅白の球体が二つ、ふわふわと浮いている。

 

「……霊夢さん!?」

 

 僕が声を上げると、少女――博麗霊夢はこちらを振り返り、露骨に嫌そうな顔をした。

 

「あー、やっぱりあんたたちか。この『臭い』気配、六花の無下限の術式反応だと思ったわ」

 

 彼女は、長野県から島根半島、そして今は境港の黒山に神社ごと漂着した、さすらいの女性神主の転生体だ。年齢不詳だが、見た目は高校生くらい。普段は賽銭箱の前でお茶を啜っているが、ひとたび「異変」が起きれば、容赦のない弾幕(物理含む)で解決するプロフェッショナルである。

 

「霊夢さん! 来てくれたんだ!」

 

 六花ちゃんがパァッと表情を明るくする。

 

「ここ、どこなの? 汚いし、出口ないし、最悪なんだけど」

 

「ここは『合わせ鏡の隙間』よ。アナログ放送の終了と共に捨てられた電波の残滓と、誰かの悪夢が混ざってできた、出来損ないの結界」

 

 霊夢は周囲の琥珀色の空間を睨みつけた。

 

「私の神社の裏山(黒山)に、いきなり『地下鉄の入り口』なんてふざけたもんが繋がったから、潰しに来たのよ。……そしたら、あんたたちが迷い込んでるのが見えたってわけ」

 

「助かりました……と言いたいところですが、状況は芳しくないようですね」

 

 僕は周囲を指差した。霊夢の登場によって一掃されたかと思われた怪異たちが、再び壁のシミから滲み出すように再生を始めていた。しかも、今度は壁そのものが動き出し、巨大な「顔」を形成しようとしている。

 

『……ミ……ナ……イ……デ……』

 

『……コ……ッ……チ……ヲ……』

 

 空間全体に響く、ノイズ混じりの合成音声。壁に浮かび上がった巨大な顔は、目があるべき場所に黒い空洞があり、口は頬まで裂けていた。

 

「うわっ、キモい!」

 

 六花ちゃんが顔をしかめ、無下限のバリア強度を上げた。

 

「あの顔、生理的に無理! 蓮くん、見ちゃダメ! SAN値削られるよ!」

 

「言われなくても……!」

 

 霊夢は舌打ちをした。

 

「チッ、数が多い上に、再生持ちか。……六花、あんた『神秘(ミステリー)』の出力、まだ上げられる?」

 

「うん。ヘイロー全開ならいけるけど?」

 

「よし。私が『夢想封印』でこの空間の座標を固定して、敵の再生を止める。その隙に、あんたがあのデカい顔(中枢)をぶち抜きなさい」

 

「りょーかい! 物理でいいの?」

 

「物理でも概念でも何でもいいわよ! とにかくあの気色悪いツラを粉砕して、このクソみたいなインスタレーション・アートを終わらせるわよ!」

 

 霊夢が懐から数枚の御札を取り出す。その御札は、紙ではなく、金属のような質感の霊力でコーティングされていた。

 

「行くわよ! 霊符『夢想封印・強制執行(エンフォースメント)』!」

 

 霊夢が放った御札が、空中で幾何学模様の結界を展開する。赤と白の閃光が走り、琥珀色の空間に亀裂を入れる。時が止まったかのように、再生しかけていた怪異たちの動きが停止した。

 

「今よ、六花!」

 

 六花ちゃんが地を蹴った。その銀色の髪が、流星の尾のようにたなびく。彼女の頭上の雪の結晶のヘイローが、かつてないほどの輝きを放ち、周囲の「錆」や「腐敗」を純白の光で漂白していく。

 彼女は、右の拳を握りしめた。そこに纏うのは、無下限の引力と、波紋の生命エネルギー、そして神秘の加護。全ての異能を乗せた、渾身の一撃。

 

「――とっとと成仏しなさい! この不法投棄ゴミ!」

 

 六花ちゃんの拳が、壁面の巨大な顔の眉間(と思われる場所)に叩き込まれた。

 

 バギィィィィィンッ!!

 

 ガラスが割れるような音が、地下空間全体に響き渡った。巨大な顔に亀裂が走り、そこから眩い光が溢れ出す。世界が、崩壊を始めた。

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