アメリカ、サウスダコタ州。荒涼とした大地に隠された巨大な秘密倉庫、ウェアハウス13。
管理者のアーティ・ニールセンは、円卓に広げられた資料を前に、怒りと焦燥で頭を抱えていた。資料のタイトルは『エージェント・リアム・ベルによる日本・大山事案報告書』。
「……ありえない。『呪霊』? 『結界』? 『特級』? 我々のデータベースには、そんな用語は一つもない!」
アーティは机を叩いた。ウェアハウス13は、歴史上の「遺物(アーティファクト)」を回収・保管する組織だ。彼らは「ルイス・キャロルの鏡」や「テスラ・ガン」の扱いは知っている。だが、日本でリアムが遭遇したような、純粋な悪意のエネルギー体や、物理法則を無視した概念攻撃については、完全に無知だった。
「知識の欠落だ。我々は世界を守っているつもりで、世界の半分も知らなかったんだ」
技術担当のクローディアが、モニターを見ながら補足する。
「日本のJ-GOCって組織、ネット上には影も形もないわ。でも、ペンタゴンの裏サーバーを掘ったら……とんでもないデータが出てきた。彼ら、独自の『超常法規』で動いてる。私たちのIDなんて、向こうじゃ紙屑同然よ」
現場エージェントのピートとマイカも、沈痛な面持ちだ。
「リアムの腕、まだ痛むらしいぜ。俺たちのテスラ・ガンが効かないなんて……次、俺が行ったら生きて帰れる気がしねえ」
その時。倉庫の入り口から、凛とした女性の声が響いた。
「だからこそ、私が来たのよ。アーティ」
現れたのは、エレノア上院議員。かつてアーティの上司であり、政府内でウェアハウス13の予算を守っている数少ない理解者(リベラル派)だ。
◇
カフェテリアのソファに座ったエレノアは、苦いコーヒーを一口飲み、重い口調で語り始めた。
「アーティ、貴方の怒りはもっともよ。だが、アメリカ合衆国の『裏側』は、腐ったパッチワークなの」
彼女は指を折って数え上げた。
「『シンジケート』は異星人技術を独占し、その隠蔽に奔走している。『デルタ・グリーン』は太古の神話生物と秘密裏に殺し合っている。『MIB』は移民エイリアンを管理し、市民の記憶を消して回る。……そして、『財団』や『世界オカルト連合(GOC)』といった超国家組織が、それら全ての上位で暗躍している」
アーティは眉をひそめた。
「名前くらいは聞いたことがある。だが、都市伝説の類だと思っていた」
「彼らは互いに情報を共有しないわ。『知ることはリスク(情報災害)』だと思っているから。その結果が、今回のリアムの一件よ。貴方たちは『遺物』しか知らされていない。だから、『呪い』や『現実改変』に対処できなかった」
エレノアは立ち上がり、倉庫の入り口を示した。
「だから、私は動いたわ。ウェアハウス13が、これ以上無知の犠牲にならないように。……プロの『家庭教師』を連れてきたの」
◇
エレノアの合図で、二人の人物が入ってきた。ウェアハウスのエージェントたちとは明らかに違う、異質で危険な空気を纏った者たちだ。
一人は、優雅なドレスを着た老婦人。手には杖ではなく、奇妙な意匠の施されたワンド(短杖)を持っている。
「ごきげんよう。元・世界オカルト連合(GOC)、物理部門所属。現在はフリーのコンサルタントをしております、マダム・ローザです」
彼女は微笑んだが、その背後にはピリピリとした静電気が走っていた。
「私の専門は『タイプ・ブルー』……貴方たちの言葉で言えば『魔術師』です。貴方たちが使う『中和剤(ニュートラライザー)』……あれは現代魔術的に見れば、紫のペンキと同じくらい粗雑な代物ですね」
そして、もう一人。白衣を着て、テンガロンハットを被り、なぜかウクレレを持った中年男。その顔は、見る角度によって微妙に違って見えるような、不安定な存在感を放っていた。
「やあやあ、ここが噂の『ガラクタ集め』の皆さんの倉庫かね?」
男はウクレレをジャカジャカと鳴らしながら、下卑た笑みを浮かべた。
「私はアルト・クレフ博士……の、ドッペルゲンガーだ」
「は? ドッペルゲンガー?」
ピートが呆気に取られる。
「そうとも。本物のクレフ博士は、今もGOCで神殺しや現実改変者の処分に忙しい。私はある『事故』で発生した彼の複製体(コピー)さ。本物と出会わないように概念的なロックをかけられている以外は、オリジナルと同じ知識、同じ技術、そして同じくらい性格が悪い」
クレフ(偽)は、懐からショットガンを取り出し、愛おしそうに撫でた。
「専門は『現実改変(タイプ・グリーン)』への対抗策。あと、君たちの甘ったれた性根を叩き直すことだ」
◇
倉庫の一角が、即席の教室となった。ホワイトボードの前に立ったクレフ(偽)は、いきなりピートに向けてショットガンを向けた。
「おい、そこのクッキー好き。もし目の前の人間が、指パッチン一つで『君の血液をソーダ水に変えよう』としていたら、どうする?」
「えっ!? テ、テスラ・ガンで撃つ!」
ピートが答える。
「ブブーッ! 不正解! 死んだ!」
クレフ(偽)が大袈裟に叫ぶ。
「いいか、君たちが相手にしてきた『遺物』は、スイッチを入れたら動く機械みたいなもんだ。ルールがある。だが、世の中には『現実改変者(タイプ・グリーン)』という、ルールそのものを書き換える連中がいる。テスラ・ガンを構えた瞬間、その銃は花束に変えられ、君はソーダ水になって終わりだ」
教室に沈黙が流れる。マイカが挙手した。
「じゃあ、どうすれば?」
「即座に殺せ。あるいは、スクラントン現実錨(SRA)のような対抗兵器を使え。……まあ、君たちにそこまでは求めない。せめて、『物理攻撃が効かない相手がいる』ことくらいは理解しろ」
続いて、マダム・ローザがワンドを振った。空中に青い光の文字が浮かび上がる。
「リアムさんが日本で遭遇したのは、『呪霊』と呼ばれる霊的実体。これは物理的な肉体を持ちません。貴方たちのテスラ・ガンは電気(物理エネルギー)です。だから効かないのです」
「……じゃあ、幽霊退治はどうすれば?」
クローディアが尋ねる。
「『EVE(Elan Vital Energy)』……生命エネルギーを込めるのです。意志、感情、魔力。呼び方は何でも構いません。この倉庫には、魔術書や儀式用の短剣が山ほどあるでしょう? あれをただのコレクションにしておくのは、宝の持ち腐れですよ」
ローザは優雅に微笑んだ。
「日本のJ-GOCは、この『EVE』の扱いに長けた組織です。彼らと対等に渡り合うには、貴方たちも最低限の『魔術防御(カウンター・マジック)』を覚えなくてはなりません」
アーティは、頭を抱えた。
「魔術に、現実改変……。科学と歴史の倉庫だったはずが、オカルト教室になるとはな」
エレノア上院議員が、アーティの肩に手を置いた。
「時代は変わったのよ、アーティ。世界は広くて、怖い場所。……生き残るために、学びなさい」
こうして、ウェアハウス13の「特別補習授業」が始まった。それは、彼らが「井の中の蛙」から脱却し、より広大で危険な超常世界へと足を踏み入れる第一歩だった。
◇
ウェアハウス13の即席教室。元GOCの魔術師、マダム・ローザが、空中に浮かべた複雑なグラフを指しながら講義を続けていた。
「さて、先ほど私は『EVE(Elan Vital Energy)』という言葉を使いましたが、誤解しないでくださいね。これはあくまで、私たちGOCが観測する際の『総称』であり、『放射線量』のようなものです」
彼女はワンドを振って、いくつかの異なる色の光を表示させた。
「例えば、日本のJ-GOCが使う『呪力』。これは人間の負の感情から精製されるエネルギーです。ドス黒く、粘着質です。一方、西洋魔術の『魔力(マナ)』。これは大気中の生命力を論理(ロジック)で変換したものです。さらに、東洋の仙人が使う『霊力(気)』や、神代から続く『神秘』……。これらは全て、発生源も、法則も、『味』も違います」
ローザは生徒たち(ウェアハウスのエージェント)を見回した。
「ですが、共通しているのは、物理法則をねじ曲げる際に、高いEVE反応を放出するという点です。貴方たちが目指すべきは、呪術師になることではありません。このEVEの波長を感知し、『妨害(ジャミング)』する技術を身につけることです」
クレフ博士(偽)が、ショットガンの手入れをしながら補足する。
「要するにだ。相手がガソリン(呪力)で動こうが、電気(魔力)で動こうが、『エンジン(術式)』自体をぶっ壊せば止まるってことだ。スクラントン現実錨(SRA)はその究極系だが……まあ、君たちにはまだ早いな」
◇
講義を受けた技術担当のクローディアは、すぐに作業場へ駆け込んだ。数時間後。彼女は改造されたテスラ・ガンを持って戻ってきた。
「できた! 名付けて『対EVE共鳴・妨害モジュール(アンチ・ブルー・アタッチメント)』!」
彼女は得意げに説明する。
「先生たちの言う通り、私たちは呪力も魔力も作れない。でも、ウェアハウスにはニコラ・テスラの遺産があるわ。テスラコイルの周波数を調整して、対象が放出するEVE(超常エネルギー)の波長に『逆位相』の電流をぶつけるの。ノイズキャンセリング・ヘッドホンみたいにね!」
「……ほう」
マダム・ローザが感心したように眉を上げた。
「魔術的な防御(カウンター)を、科学的に再現しようというのですか。面白い。試してみましょう」
ローザが詠唱し、小さな「使い魔(低級の霊体)」を召喚した。物理攻撃が効かない霊体だ。
「ピート、撃って!」
「任せろ! 食らえ、科学とオカルトのハイブリッド!」
バチチチッ……ブォン! テスラ・ガンから放たれたのは、いつもの蒼い電撃ではなく、白く濁った奇妙な波紋だった。それが使い魔に命中した瞬間、霊体は「ギャッ」と声を上げ、霧のように掻き消えた。
「やった! 消えたぞ!」
リアムが歓声を上げる。
「これだよ! 日本でこれがあれば、あの呪霊に対抗できたんだ!」
クレフ(偽)が口笛を吹く。
「悪くない。簡易的な現実錨(アンカー)として機能しているな。ただし、相手が『特級』クラスや『神』レベルだと、出力負けして銃が爆発するから気をつけろよ」
◇
講義が終わり、講師たちが帰る準備をしている時。アーティは、エレノア上院議員と静かに話し合っていた。
「……今日だけで、寿命が縮んだ気分だ。現実改変者に、魔術師に、呪術師……。世界には、我々が知らない『プレイヤー』が多すぎる」
エレノアは頷き、窓の外の荒野を見つめた。
「ええ。それに、GOCや財団が全てを把握しているわけでもないわ。中国の奥地には、何千年も生きている『仙人』たちが独自の社会を築いているというし、北欧の荒海には、神代の魔術を継承する『彷徨海』超常社会からも独立した結社がある。……ウェアハウス13のような『孤立した組織』は、世界中に点在しているのよ」
「我々は、その中の一つに過ぎない、と?」
「そう。巨大なパッチワークの、小さな一片。だからこそ、これからは『連携』が必要なの。情報の断絶(ディープステートの壁)を越えてね」
◇
数日後。ウェアハウスの司令室に、一本の特別な回線が引かれた。モニターには、日本の呪術高専にいる夏油傑の姿が映し出されている。
『やあ、アーティ。機材の調子はどうだい?』
夏油は穏やかな笑顔で手を振った。アーティは、緊張した面持ちで答える。
「ああ、Mr.ゲトウ。おかげさまで、対霊装備の基礎はできた。……今後、我々がアジア圏で遺物を回収する際は、事前に貴方の組織(J-GOC改革派)に連絡を入れる。その代わり、日本国内での『安全なルート』と『翻訳(通訳)』を頼みたい」
『もちろんだとも。無知による悲劇は、お互いに避けたいからね。……それに、君たちの作る「科学と呪術のキメラ装備」、私の生徒たち(真希あたり)も興味を持つかもしれない』
通話が切れると、アーティはホワイトボードの「日本」の項目の横に、『連絡先:Suguru Geto (J-GOC/Reformist)』と書き加えた。
◇
一方、日本。東京都立呪術高等専門学校。通信を終えた夏油の背後から、白い髪の男――五条悟がひょっこりと顔を出した。
「へーえ。アメリカの『ガラクタ倉庫』と手を組んだんだ。傑にしては殊勝じゃん」
「これからの時代、孤立は弱さになるからね、悟。それに、彼らは『非術師』だが、知恵と勇気がある。……君も少しは見習ったらどうだい?」
「は? 俺は最強だから関係ねーし」
五条はケラケラと笑い、夏油の端末を覗き込んだ。
「でもまあ、向こうの『変な道具』には興味あるかな。『何でも願いを叶えるタイプライター』とか、『歴史を書き換える懐中時計』とかあるんでしょ? 今度アメリカ行ったら、その倉庫でお土産漁っていい?」
「……やめたまえ。君が行ったら、倉庫ごと吹き飛んで『世界遺産消失』のニュースになる未来しか見えないよ」
世界は広く、隙間だらけで、危険に満ちている。だが、その隙間を埋めるように、少しずつ「知」のネットワークが繋がり始めていた。
ウェアハウス13の棚には、今日も新たなファイルが追加される。
『File JP-025:対EVE共鳴装置の実戦データ』。