仮称:やる夫スレ的世界でオカルトやってくー   作:水野芽生

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怪談:海沿いのリサイクルショップ

俺がその鏡を見つけたのは、まったくの偶然だった。週末、暇つぶしに境港の水木しげるロードを散歩していた時のことだ。観光客でごった返すメインストリートから一本裏に入った、少し寂れた路地に、その店はあった。

 看板もない、倉庫のようなリサイクルショップ。店の前には、錆びた自転車や、誰が買うんだというような古びた木彫りの熊が乱雑に置かれている。妖怪ブロンズ像が並ぶ表通りとは違う、生活感と埃っぽさが混じった、リアルな「魔都の裏側」という雰囲気が、妙に俺の好奇心を刺激した。

 店の中は薄暗く、カビと古い紙の匂いがした。奥のカウンターには、店主らしき老婆が一人、古新聞を読みながら微動だにせず座っていた。

 

「……いらっしゃい」

 

 俺が入っていくと、老婆は顔も上げずに、枯れ木のような声で言った。

 俺は適当に店内を見て回った。昭和初期のラジオ、誰かの遺品であろうアルバム、動作確認されていないゲーム機。そんなガラクタの山の中で、店の隅に立てかけられていた「それ」が目に留まった。

 全身を映せる、大きな姿見だ。枠は黒塗りの木製で、アール・ヌーヴォー調の奇妙な曲線が彫り込まれている。鏡面は少し曇っていたが、磨けば十分に実用できそうだった。何より、俺の殺風景なワンルームのアパートには不釣り合いなほど、存在感があった。

 

「ばあさん、これいくら?」

 

 俺が声をかけると、老婆はようやく顔を上げた。濁った眼球が、俺ではなく、俺の背後にある鏡をじっと見つめた。

 

「……持ってくのかい?」

 

「ああ、値段次第だけど」

 

 老婆はしばらく黙り込んだ後、皺だらけの指を三本立てた。

 

「三千円。……ただし、返品は不可だよ」

 

 安い。この細工なら、骨董屋で買えば数万はするだろう。俺はすぐに財布から三千円を取り出した。

 金を渡す時、老婆が俺の手首を冷たい手で掴んだ。その力は、老人とは思えないほど強かった。

 

「いいかい、兄ちゃん。その鏡、夜中の二時から三時の間は、絶対に覗き込んじゃいけないよ」

 

「は? なんで?」

 

 俺が苦笑いすると、老婆は真顔で言った。

 

「『映っちゃいけないモノ』が通る道だからね。……あいつらは、仕事熱心なんだ。見つかったら、記録(つけ)られちまうよ」

 

 俺は「はいはい、妖怪の街だもんな」と適当に相槌を打った。観光客向けの演出だろう。俺は少し気味悪さを感じながらも、得な買い物をした満足感と共に、重い鏡を抱えてアパートへ帰った。

 

 

 鏡は、俺の6畳一間の部屋の隅に置くと、そこだけ空気が変わったように見えた。俺はガラスクリーナーで鏡面をピカピカに磨き上げ、自分の全身を映してみた。特に歪みもない。いい鏡だ。

 その日は、老婆の警告なんてすっかり忘れて、いつも通りビールを飲んで寝た。

 異変が起きたのは、それから三日目の夜だった。

 ふと、喉の渇きで目が覚めた。枕元のスマホを見ると、時刻は午前2時15分。俺は寝ぼけ眼でキッチンへ向かおうとして、ふと、部屋の隅にある鏡に視線をやった。

 月明かりだけが頼りの薄暗い部屋。鏡の中には、当然、俺の部屋が映っている。散らかった雑誌、脱ぎ捨てた服、そして俺自身の寝癖がついた間抜けな顔。

 ……いや、違う。

 俺は自分の目を疑った。鏡の中の俺の部屋に、「知らない男たち」がいた。

 二人組だ。季節外れの真っ黒なスーツに、黒いネクタイ。顔には、深夜の室内だというのに、真っ黒なサングラスをかけている。体格はいいが、どこか人間味がないというか、マネキンが動いているような奇妙な硬さがあった。

 幽霊? 泥棒? 俺は恐怖で声が出なかった。だが、すぐに奇妙なことに気づいた。彼らは、鏡の外にいる「俺」には目もくれず、鏡の中の「俺の部屋」を、淡々と捜索していたのだ。

 

 

 一人の男が、俺の本棚から本を一冊ずつ取り出し、パラパラとめくっては、小型の機械でスキャンしている。もう一人の男は、俺が昨日食べたコンビニ弁当の空き容器を手に取り、ピンセットで何かを採取して、ガラスの小瓶に入れていた。

 彼らの動きには、泥棒のような焦りも、幽霊のような怨念もない。ただひたすらに、事務的で、機械的だった。まるで、工場のライン作業を見ているような、冷たい完璧さ。

 俺が金縛りにあったように立ち尽くしていると、本棚を調べていた男が、ふと手を止めた。そして、ゆっくりと、サングラス越しの視線を、鏡の外にいる俺の方へ向けた。

 心臓が止まるかと思った。見つかった。殺される。

 だが、男は襲ってこなかった。彼は懐から小さな手帳を取り出すと、無表情のまま何かをサラサラと書き留めた。そして、もう一人の男に短く合図をした。

 二人の男は、作業を中断し、鏡の中の「部屋のドア」――現実の俺の部屋のドアと同じ位置にある――を開けて、出て行った。鏡の中のドアが閉まる音が、現実の部屋に微かに響いた気がした。

 俺は腰が抜けて、その場にへたり込んだ。あれは、幽霊なんかじゃない。もっとタチの悪い、「組織」の人間だ。そう直感した。

 

 

 気がつくと、俺は部屋の床で寝落ちしていた。窓から差し込む朝日で目が覚めた。時計を見ると、午前九時を回っている。

 

「……夢、か?」

 

 全身が汗でびっしょりと濡れている。俺は重い頭を振って立ち上がり、部屋を見回した。

 部屋は、昨夜寝る前と変わらないように見えた。散らかった雑誌、脱ぎ捨てた服、飲みかけのペットボトル。何も盗まれていない。何も壊されていない。やはり、あの黒いスーツの男たちは、俺の悪夢だったのだろうか。

 安心しかけた俺の視界に、ふと、「違和感」が飛び込んできた。

 本棚だ。俺は本を適当に突っ込む癖があるから、背表紙の高さも種類もバラバラだ。だが、今朝の本棚は、背表紙の高さ順に、ミリ単位で整列されていた。

 さらに、ゴミ箱の中。昨夜捨てたはずのコンビニ弁当の空き容器が、一番上にない。ゴミ箱を漁ってみると、弁当の容器だけがきれいに洗われ、プラスチックと燃えるゴミに分別されて、底の方に押し込まれていた。

 背筋に冷たいものが走る。夢じゃない。誰かが、俺が寝ている間に部屋に入り、「整理整頓(サンプリング)」をして行ったんだ。

 そして、極めつけは鏡だった。俺が恐る恐る鏡に近づくと、その右下の隅に、赤い油性マーカー(あるいは口紅のようなもの)で、小さな文字が書かれていた。

 

『Subject: 892 (Satoh) - Observation Phase 4 Complete.』

 

『Classification: Safe(異常なし)』

 

 俺は、ただの一般市民だ。だが、奴らにとっては「被検体892号」でしかなかった。

 

 

 俺は鏡を毛布で包むと、抱えてアパートを飛び出した。あのリサイクルショップへ叩き返すためだ。

 店に着くと、昨日の老婆が同じ姿勢で座っていた。俺は鏡をカウンターに叩きつけ、怒鳴った。

 

「おい! なんだよこれ! 夜中に変な男たちが映ったぞ! 俺の部屋を漁りやがって! 幽霊か!? それとも泥棒か!?」

 

 老婆はゆっくりと顔を上げ、俺の顔と、鏡の隅に書かれた赤い文字を交互に見た。そして、少しも驚く様子もなく、フンと鼻を鳴らした。

 

「……だから言っただろう。夜中は見るなって。あの鏡はね、『あっち側(組織)』がこっちを覗くための窓なんだよ」

 

「あっち側ってなんだ! 警察か!?」

 

「警察なんかより、もっとタチが悪い連中さ」

 

 老婆は古新聞をめくりながら、独り言のように続けた。

 

「この境港はね、妖怪だの神様だの、いろんなモノが集まる『吹き溜まり』なんだよ。だから、奴らは常に監視している。変なモノが紛れ込んでいないか。住民が『汚染』されていないか。……あんた、最近、妙な頭痛や、記憶の欠落はないかい?」

 

 俺は言葉に詰まった。言われてみれば、最近よく頭が痛くなる。一昨日の晩飯に何を食べたか、どうしても思い出せない。

 

「奴らはね、定期的に来るんだよ。『記憶処理(メモリー・ワイプ)』ってやつをして、住民の頭の中を掃除していくのさ。あんたも、昨日の夜、何か変な光を見なかったかい?」

 

 俺はハッとした。昨夜、男たちを見た後、強烈な睡魔に襲われた。その直前、鏡の中で、男の一人が「銀色の棒」のようなものを俺に向けて光らせたような気がする。

 

 

「……じゃあ、俺は」

 

 俺の声は震えていた。

 

「俺は、実験動物か何かなのか?」

 

 老婆はニタリと笑った。その笑顔は、妖怪よりも不気味だった。

 

「いいや。『対照群(コントロール・グループ)』だよ。異常がないことを確認するための、正常なサンプル。……よかったねぇ、兄ちゃん。鏡に『Safe(安全)』って書かれたんだろう? もしそれが『Euclid(注意)』とか『Keter(危険)』だったら、あんた、今頃ここにはいないよ。どっかの収容所に送られて、一生出られなかっただろうさ」

 

 老婆は、「返品は不可だと言っただろう」と言い捨てて、奥の部屋へ引っ込んでしまった。

 俺は鏡を捨てることができなかった。アパートのゴミ捨て場に置いて、もし誰かが拾って「Safe」以外の判定を受けたら? あるいは、鏡を割ってしまったら、奴らが「監視カメラの破損」として俺を処分しに来るんじゃないか?

 結局、俺は鏡を部屋に持ち帰り、ガムテープでぐるぐる巻きにして押入れの奥に封印した。

 だが、恐怖は消えない。街を歩いていると、視線を感じるようになった。電柱の防犯カメラ。ショーウィンドウのガラス。すれ違う黒い車のスモークガラス。スマホのインカメラのレンズ。それら全てが、鏡の向こうの「奴ら」に繋がっている気がしてならない。

 今朝、郵便ポストに何も書いていない封筒が入っていた。中には、一枚の紙切れと、錠剤が一つ。

 

『定期検査のお知らせ。同封のサプリメントを摂取してください。健康維持のためです。拒否した場合、ランクを「Safe」から変更する可能性があります。管理番号892より』

 

 俺は震える手で、その錠剤を飲み込んだ。味がしなかった。俺の日常は、もう俺のものではない。俺はただ、正常な市民を演じ続けるだけの、サンプルの一つに過ぎないのだ。

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