ここは剣と魔法のファンタジー異世界『アーク・アース』。
王都の大聖堂にて、数十人の集団による人類の存亡をかけた一大儀式が執り行われようとしていた。
「おお、神よ! 異界より救世の勇者を招き寄せたまえ!」
王女リリアーナの悲痛な祈りと共に、召喚魔法陣がカッと輝く。
そう、これは世界征服を目論む魔王を打ち倒す勇者召喚の儀式であった。
本来ならば、ここで伝説の剣を持った若者か、あるいはジャージ姿の日本人の高校生が現れるはずだった。
しかし。
──アオォーン……。
「えっ、ワンちゃん?」
どこからか現れた黒と白の犬たちが、魔法陣の周囲に鎮座しながら遠吠えを上げた。しかしそれは遠吠え本来の役割である警告やコミュニケーションというよりも、神聖な存在に対する讃美歌や祝詞のようであった。
いったい何が始まるというのか。
重々しい、金属が擦れるような音が響き渡る。
光が収束したその場所に立っていたのは、爽やかな勇者ではなかった。
身長は三メートルを優に超える巨躯。
筋骨隆々とした白き異形の肉体。
眼窩にあたる場所から伸びる二対の翼。
そして頭上には不可解な車輪のような物体──法陣が浮かんでいる。
『
本来ならば十種影法術によってのみしか召喚されないはずの式神が、どういう訳か勇者召喚の魔法陣を通じて異世界に現出していた。
「ひ、ひぃぃぃぃッ!?」
「化け物だァァッ!?」
神官たちが腰を抜かす。王女リリアーナも泡を吹いて倒れそうになった。
だがその異形、魔虚羅はただ静かに佇んでいる。
自我がない。言葉もない。
ただ召喚されたという事象に対して、『この世界の
──ガコンッ。
頭上の法陣が回転する。
魔虚羅はまず『異世界語』に適応し、理解できるようになった。
喋らないけど。
「あ、あの……勇者さま?」
リリアーナ王女は震える声で魔虚羅に話しかけた。
魔王軍が今にも王都に侵攻しようかという現状、もう見た目が化け物でも戦ってくれるなら何でもよかったからだ。
藁にもすがる思いとはこのことだった。
「魔王を……倒してくださいますか?」
魔虚羅は無言でリリアーナを見下ろす。
その顔には目も鼻もないが、凄まじい圧力が放たれている。
(肯定……と受け取っていいのですよね!?)
リリアーナは勝手に頷いた。
もうこの際、自分にとって都合のいいように解釈するしかなかった。
「で、では、参りましょう! 魔王城は北の果てに……」
その時である。
魔虚羅がいきなり地面を蹴った。
ドォォォォォンッ!!
大聖堂の床と天井が爆散し、衝撃波で周囲の騎士たちが吹き飛ぶ。
魔王の所在地を知った魔虚羅が北の方角へと跳躍したのだ。
「ちょっ、待っ……置いてかないでぇぇぇッ!」
リリアーナは慌てて風魔法で飛翔し、魔虚羅の足首にしがみついた。
こうして本来なら何ヶ月もかかる魔王城への旅路は、魔虚羅の超人的な跳躍力によってわずか十五分に短縮された。
なおその道中、というより空中で火を噴くドラゴンと遭遇する事故があったが、魔虚羅の超人的な速度での衝突によりドラゴンは爆散した。
本当に事故だった。
途中で灼熱のエリアや猛吹雪のエリアがあったが、魔虚羅は猛暑や極寒に適応し、ついでにリリアーナへの風除けにもなった。
リリアーナは「あ、意外と優しい……」とキュンとした。
──魔王城、玉座の間。
「クックック……人間どもめ、とうとうここまで来たか」
魔王は玉座に座り、ワイングラスを揺らしていた。
結界を潜り抜けた反応があった。勇者が来たのだ。
まずは配下の四天王を差し向け、撃破するような猛者ならば自らが圧倒的な力を見せつけてやろう。
そんなことを余裕綽々の態度で夢想していた。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!
天井が崩落した。
瓦礫と共に白い巨人と、髪がボサボサになった王女が着地する。
「な、なんだ貴様は!?」
魔王が当然の疑問を叫ぶが、魔虚羅は答えない。
ただ右腕に装着された『退魔の剣』が、対魔特化の『正のエネルギー』を帯びて眩く輝いている。
「ええい、魔王退治の礼儀作法も弁えぬ無礼者め! 食らえ、我が最強の黒炎魔法『ヘル・インフェルノ』を!!」
「えっちょっと待ってくださいってきゃあああああ!!!!???」
魔王が放った地獄の業火が魔虚羅を包み込む。
数千度の熱量。全てを灰にする絶対的な破壊力。本来ならば呑み込まれたリリアーナごと跡形もなく消滅していただろう。
「ハハハ! 焼滅したか!」
煙が晴れる。
そこには、無傷の魔虚羅とリリアーナが立っていた。
「な、なんだとッ!? 何故だ、何故傷ひとつついておらん!?」
「あ、あれ? 私も無傷……?」
ここへ来る前に通った灼熱地帯で、既に熱には適応済みだった。
リリアーナ王女への庇護も同様だ。今、魔虚羅の周囲は熱を遮断する結界によって覆われていた。結界術の実装である。
──ガコンッ。
そして法陣が回った。
黒炎を受けたことによって、火炎攻撃への耐性はほとんど完璧なものとなった。もう炎熱で魔虚羅を倒すことは叶わない。
「な、なに……ッ!? ならば物理攻撃だ! この空間ごと切り裂く魔剣グラムの太刀筋を見よ!!」
魔王が空間断裂の斬撃を放つ。
それは奇しくも魔虚羅が元いた世界で、唯一自分を調伏したご主人様に授けた拡張術式の手本と同質の攻撃だった。
世界を断つ斬撃。
魔虚羅の右腕が、根本から切り飛ばされた。
「そんな、勇者様っ!!」
「フハハハハハ!!!! どうやら魔法に高い耐性を持つようだが、物理攻撃には弱いらしいな!! このまま切り刻んでくれるわ!!」
王女が嘆き、魔王が哄笑をあげる。
対して魔虚羅はやはり変わらぬ無表情で、しかし見方によってはどこか笑みを湛えているようにも見えた。
──ガコンッ。
「『無尽斬』ッッッ!!!!」
瞬間、数十もの斬撃が魔虚羅を両断した。
まるで地球の渋谷でどこぞの呪いの王にサイコロステーキ状に刻まれた女子高生のような末路を迎える、はずだった。
切り刻まれたはずの魔虚羅の肉体は、瞬く間に接合してしまっていた。
「ば、馬鹿な……斬撃を無効化しただと……!?」
ついさっきまで効いていたはずの攻撃が無効化される。
八岐大蛇という前例も、十種影法術への事前知識も、遠い宇宙の果てからやってきた最強の宇宙人のような洞察力もない魔王にはまだそのカラクリは読み解けなかった。
しかし事ここに至って、ようやく魔王は理解した。
こいつは生かしておいてはいけない怪物だ。理不尽の塊だ。
必ず今ここで仕留めておかねば世界征服の妨げになる、と。
「我が究極奥義! 貴様の心の闇を増幅させ、絶望に突き落としてやる!」
魔王が精神干渉魔法を放つ。
それは人心を巧みに操り、己が欲望を満たす魔族としての本懐であり極致。闇魔法の究極の一つであった。
普通の人間ならばたとえ勇者であっても闇堕ち必至の禁呪。
しかし、魔虚羅にはそもそも心も自我もなかった。
何故ならそれは単なる式神。彼にはAIのような自律思考は備わっていても、生物が持つような精神は持ち合わせていなかった。
虚無。
圧倒的虚無。
──ガコンッ。
そして自身には無害なそれすらも、魔虚羅は適応し耐性を獲得した。
魔王の心が折れる音がした。
まるで、安い硝子細工が落ちて砕けるような。
「な、なんなんだ……貴様は一体、何者なんだッッッ!!!??」
魔虚羅がゆっくりと右腕を振り上げた。
その腕には呪霊に対して特攻の『正のエネルギー』が纏われている。
この世界における魔物や魔族とは、人の負の想念が魔力に指向性を与えて発生する一種の妖精や精霊のようなものだった。
その成立は魔虚羅の世界の呪霊に酷似しており。
『正のエネルギー』は、魔王にも特攻となり得た。
「ひ、ひぃぃ! 待て、話し合おう! 世界の半分をやる! だから貴様と我で人間どもを支配しようじゃな──」
交渉には、適応しなかった。
右腕の剣が振るわれる。何の技術もないただの暴力。
しかし剣から放たれた正のエネルギーは、魔王城全体を飲み込むほどの閃光となって全てを断ち切った。
「ぎゃあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!?????」
魔王、消滅。
ついでに魔王城も半壊。
城にいた魔族も、瘴気も、すべて浄化されて綺麗な空気が広がった。
静寂が戻った廃墟に、リリアーナ王女の声が響く。
「す、すごい……本当に倒してしまった……」
彼女は涙ぐみながら魔虚羅を見上げた。
「ありがとうございます、勇者さま! これで世界は平和に……」
そこでリリアーナは気づいた。
魔王が倒された今、この「ロクに意思疎通も図れない最強の殺戮生物」は、果たして世界に刃を向けないと言えるだろうか?
恐怖が心臓を締め付け、滝のような冷や汗が流れる。
魔虚羅がゆっくりとリリアーナの方を向く。
彼女にとって、それは死刑執行人のようだった。
魔虚羅の次なる挙動によって、世界の運命は決まってしまう。
そうして、彼はゆっくりと手をかざした。
リリアーナが「終わった」と思った瞬間だった。
魔虚羅の姿が、影となって消えた。
「……えっ」
そう、魔虚羅は勇者召喚という想定されないバグによって呼び出された存在ではあるが、あくまで根底にあるのは十種影法術の『調伏の儀』だった。
勇者召喚が与えた『魔王を討伐せよ』という指令が調伏の儀の仕様とガッチャンコした結果、魔虚羅は魔王こそが儀式の効果対象であると認識し、その打倒を完遂したのである。
けれどもちろん、リリアーナにそんなことが分かるはずもなく。
何も言わず、何も残さず。
最強の後出し
後に残されたのは半壊した魔王城と、呆然とする王女。
そして、この世界の歴史書にはこう記されることになった。
『勇者召喚により現れし白き巨人、一切の言葉を持たず、一切の攻撃を受け付けず、ただ一撃にて魔の王を葬り去り、風の如く去りぬ。……あれマジで何だったの?』
─―アーク・アース英雄譚より抜粋。